市場と諸価値の観念的な分断
行政機構が市場を生み、市場と政府は軍事的活動のために一体化して機能した。軍事=鋳貨=奴隷制複合体の中でも、倫理と徳性、現実に関する新たな理論を探究する哲学者たちが存在したが、複合体の危機とともに、やがて人間の活動領域は、貪欲が支配する市場と、寛大さや慈愛の諸価値を説く宗教とに、観念的に分断され、それは今日まで続いている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(1)政府と軍事的活動と市場
(a)行政機構が市場を出現させた
少なくとも近東においては、市場はまず政府の行政機構の副次的効果として出現したようだ。
(b)軍事的活動のための市場
しかしながら時がたつにつれ、市場の論理は軍事的活動に巻き込まれていった。そこで は市場の論理は、枢軸時代の戦争における傭兵の論理とほとんど見分けがつかなくなる。
(c)軍事的活動のための政府
最終的にその論理が、政府それ自体を征服し、政府の目的そのものまで規定するようになった。
(2) 軍事=鋳貨=奴隷制複合体
その結果、軍事=鋳貨=奴隷制複合体の出現する場所ならどこにおいても、唯物論哲学の 誕生がみられるようになる。
(a) 物質的諸力の世界
聖なる諸力でなく物質的諸力から世界は形成されていること。人間存在の最終的目的は物質的富の蓄積であるということ。
(b) 徳性や正義は統治のための道具
そこでは、徳性や正義のような諸理念も、大衆を満足させるべく設計された道具として再文脈化されていった。
(3) 倫理と徳性を探究する哲学者たち
軍事=鋳貨=奴隷制複合体という事態と格闘しながら、人間性と魂についての思想をつきつ め、倫理と徳性の新しい基盤をみいだそうとする哲学者たちがみいだされる。
(4)社会運動、民衆運動、新たな理論
(a)不可避的に形成された社会運動
どこにおいても、こうした並外れて暴力的かつ冷笑的な新しい支配者たちと対決しなが ら不可避的に形成された社会運動と共同戦線を張る知識人たちがみられる。
(b) 現実に関する対抗理論と民衆運動
そこから人類史に とって新しい現象が生まれた。すなわち、知識人の運動でもある民衆運動である。このとき現 存する権力装置に対立する人びとは、現実の性質についての特定の種類の理論の名のもとに対 立するという想定が現れたのである。
(5)民衆運動は平和運動であった
どこにおいても、これらの運動は、政治の基盤としての暴力という新しい発想、とりわ け侵略的戦争を拒絶したがゆえに、なによりもまず平和運動であった。
(6)負債によるモラル基礎づけの試み
(a) 市場によるモラル基礎づけ試み
どこにおいても、非人格的市場によって提供された新しい知的道具を使って新しいモラルの基盤を考案してやろう、という初発的衝動があったようだ。そしてどこにおいても、それ は頓挫した。
(b)社会的利益による基礎づけ
社会的利益という思想をもってその課題に応じた墨家は、 わずかのあいだ隆盛をきわめたかと思うと、たちまち瓦解した。そして、そのような思想を 全面的に拒絶した儒教が取って代ったのである。
(c)負債によるモラルの基礎づけ
モラル上の責任を負債の 観点から再定義しようとする試みは、新たな経済的状況によってほとんど不可避的だったとはいえ、一様に不満を残すものであったようにみえる。
(d) 社会的絆も束縛と考える極論
いっそう強力な衝動が、負債が全面的に廃棄されてしまうような、もうひとつの 世界を構想することのうちにはみられる。だがそこでは、ちょうど身体が監獄であるように、 諸々の社会的絆も束縛の諸形態とみなされてしまったのだ。
(7) 軍事=鋳貨=奴隷制複合体の危機
統治者の姿勢は、時ともに変化した。当初は、個人としては冷笑的な現実政治の諸説を 信奉しながら、新しい哲学的、宗教的諸運動に対しては興味本位の寛容を示していた。だが、 交戦する諸都市および諸公国に大帝国がとってかわるにつれ、そしてとりわけこれらの帝国が 拡張の限界に達して軍事=鋳貨=奴隷制複合体を危機に引きずり込むにつれて、すべてが変化し た。
(8)貪欲が支配する市場と慈愛を強調する宗教
(a)市場と宗教への活動領域の分断
最終的効果は、人間の活動領域の一種の観念的分断であって、それは今日まで続いている。すなわち、かたや市場、かたや宗教というわけである。
(b) 物財の獲得とは切り離された諸価値
利己的な物財の獲得に社会のある部分をあてがったとする。すると、誰か別の人間が、それとは別の領域を確定しようとするであろうことは、ほぼ不可避である。 そしてその領域から説教をはじめるわけである。究極の価値という観点から物質的なものは無意味である、利己的なものは――自己すらも――幻想である。与えることは受け取ることより高貴である、と。
(c) 貪欲と対立的な寛大さや慈愛の強調
枢軸時代の宗教が、それ以前には存在しないも同然だった慈愛の重要性をおしなべて強調したことは、間違いなく重要である。純粋な貪欲と純粋な寛大とは相補的な概念なのである。双方とも、非人格的で物理的な鋳貨が姿をあらわす場所であればどこでも、そろって出 現しているように思われる。
「こうしてみると、ここにみられるのは奇妙な往復運動、攻撃と反撃ということになる。そ んな動きによって、市場、国家、戦争、宗教のすべてが、たえず分離したり、あるいは結合し あうのである。可能なかぎり簡潔に要約してみよう。 (1)少なくとも近東においては、市場はまず政府の行政機構の副次的効果として出現したよ うだ。しかしながら時がたつにつれ、市場の論理は軍事的活動に巻き込まれていった。そこで は市場の論理は、枢軸時代の戦争における傭兵の論理とほとんど見分けがつかなくなり、最終 的にその論理が、政府それ自体を征服し、政府の目的そのものまで規定するようになった。 (2)その結果、軍事=鋳貨=奴隷制複合体の出現する場所ならどこにおいても、唯物論哲学の 誕生がみられるようになる。唯物論的であるというのは、次の二つの意味においてである。す なわち、聖なる諸力でなく物質的諸力から世界は形成されていること。人間存在の最終的目的 は物質的富の蓄積であるということ。そしてそこでは、徳性や正義のような諸理念も、大衆を 満足させるべく設計された道具として再文脈化されていった。 (3)どこにおいても、こうした事態と格闘しながら、人間性と魂についての思想をつきつ め、倫理と徳性の新しい基盤をみいだそうとする哲学者たちがみいだされる。 (4)どこにおいても、こうした並外れて暴力的かつ冷笑的な新しい支配者たちと対決しなが ら不可避的に形成された社会運動と共同戦線を張る知識人たちがみられる。そこから人類史に とって新しい現象が生まれた。すなわち、知識人の運動でもある民衆運動である。このとき現 存する権力装置に対立する人びとは、現実の性質についての特定の種類の理論の名のもとに対 立するという想定があらわれたのである。 (5)どこにおいても、これらの運動は、政治の基盤としての暴力という新しい発想、とりわ け侵略的戦争を拒絶したがゆえに、なによりもまず平和運動であった。 (6)どこにおいても、非人格的市場によって提供された新しい知的道具を使って新しいモラ ルの基盤を考案してやろう、という初発的衝動があったようだ。そしてどこにおいても、それ は頓挫した。社会的利益(social profit)という思想をもってその課題に応じた墨家は、 わずかのあいだ隆盛をきわめたかとおもうと、たちまち瓦解した。そして、そのような思想を 全面的に拒絶した儒教が取って代ったのである。すでにみたように、モラル上の責任を負債の 観点から再定義しようとする試みは――ギリシアとインドとに出現した衝だったが――新たな経済 的状況によってほとんど不可避的だったとはいえ、一様に不満を残すものであったようにみえ る。それよりいっそう強力な衝動が、負債が全面的に廃棄されてしまうような、もうひとつの 世界を構想することのうちにはみられる。だがそこでは、ちょうど身体が監獄であるように、 諸々の社会的絆も束縛の諸形態とみなされてしまったのだ。 (7)統治者の姿勢は、時ともに変化した。当初は、個人としては冷笑的な現実政治の諸説を 信奉しながら、新しい哲学的、宗教的諸運動に対しては興味本位の寛容を示していた。だが、 交戦する諸都市および諸公国に大帝国がとってかわるにつれ、そしてとりわけこれらの帝国が 拡張の限界に達して軍事=鋳貨=奴隷制複合体を危機に引きずり込むにつれて、すべてが変化し た。」(中略) (8)その最終的効果は、人間の活動領域の一種の観念的分断であって、それは今日までつづ いている。すなわち、かたや市場、かたや宗教というわけである。もっとおおざっぱにいって みよう。利己的な物財の獲得に社会のある部分をあてがったとする[市場]。すると、だれか べつの人間が、それとはべつの領域を確定しようとするであろうことは、ほぼ不可避である。 そしてその領域から説教をはじめるわけである。究極の価値という観点から物質的なものは無 意味である、利己的なものは――自己すらも――幻想である。与えることは受けとることより高貴である、と。いずれにせよ枢軸時代の宗教が、それ以前には存在しないも同然だった慈愛の重 要性をおしなべて強調したことは、まちがいなく重要である。純粋な貪欲と純粋な寛大とは相 補的な概念なのである。どちらも他方抜きでは想像することすらできない。双方とも、そのよ うな純粋かつ目的の限定されたふるまいを要求する制度的文脈においてのみ生じえたのだ。そ して、双方とも、非人格的で物理的な鋳貨が姿をあらわす場所であればどこでも、そろって出 現しているようにおもわれる。」
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第9章 枢軸時代(前800- 後),pp.370-373,以文社(2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎(訳),佐々木夏子(訳))