2018年1月13日土曜日

未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))

ソーカル事件

【未だ、量子論が提示した新たな世界像は、正しく理解されているとは言い難い。新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 かつて、ニュートン物理学の成功が、いわゆる「近代性」と呼ぶのがふさわしいような、科学的で工業的な文化の基礎的な考え方を醸成した。しかし、量子論が提示した新たな世界像は、未だ一般の人々には、正確に理解されるに至っていないように思われる。むしろ、ソーカル事件において露呈したように、科学を理解していない者や、反科学的な立場の者が、恣意的にその言葉を使用し、状況を混乱させている。これからの私たちには、新しい人文科学のための枠組み作りのために、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。
 「量子論の用語とイメージを理解し、その面白さを味わう――ことは、今日において教養人である条件のひとつだ。そのためには、自然科学と人文科学、両方の要素を学ぶことが必要である。そのような教育を可能にするためには、伝統的な学問分野の境界をいくつも越えることが必然的に伴うが、現代世界の教育はじつにもつれた状態にある。量子のモーメントと正面から向き合うには、二一世紀の人文科学のための新しい枠組み作りが不可欠なのだ。
 第1章で、歴史家のベティー・ダブスとマーガレット・ジェイコブの「ニュートン的モーメント」は「現在、ほとんどの西洋人と、一部の非西洋人が暮らしている、物質的かつ精神的で、工業的で科学的な宇宙、すなわち、『近代性』と呼ぶのがふさわしいもの」を提供したという言葉を引用した。だがこの宇宙は、少しずつ変化しつつある。そのあとにやってくるものを記述する正しい方法はどこにあるのか? よく使われる「ポストモダン」という言葉は、種々雑多な人々がいろいろな意味であまりに無造作に使っているので、私たちは好きではない。それにこの言葉は、第8章でも見たが、あの名高いソーカル事件が露呈したように、科学を理解していない者や反科学的な立場の者も好んで使っているのにも辟易する。今の科学が、このポスト・ニュートン的文化の宇宙の枠組みに密に織り込まれていることは明らかで、これと取り組みたいと望むものはみな、この事実を直視しなければならない。ニュートン的モーメントの次にやってくるものを記述する正しい言葉は「量子のモーメント」なのだろうか? 私たちは学生たちにこう問いかける。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)結び 新しいモーメント、pp.431-432、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー、ソーカル事件)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



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フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))

フルーツルーパリー

【フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる。(ロバート・P・クリース(1953-))】
 フルーツルーパリー(fruitloopery)とは、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指す。広告、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われ、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、「再構成水」などの言葉が、しばしば使われる。
 「イギリスの科学雑誌、《ニュー・サイエンティスト》は、意味もわからず偉ぶって科学用語を持ち出して、間違った使い方をしているのを指して「フルーツルーパリー(fruitloopery)」と呼ぶ。そもそもこの言葉は、妙な比喩として使われ始めた。「フルーツループ」とは、一九六六年にケロッグ社が販売を始めた朝食用シリアルで、フルーツのような香りがする色とりどりの小さなリング状のシリアルだ。」(中略)「「フルーツルーパリー」は、広告のなかで科学が、検証不可能なかたちで使われたり、前後関係から完全に外れた使われたりする様子を指して、《ニュー・サイエンティスト》が独自に使う用語となった。フルーツルーパリーの可能性を見わける指標としては、「量子(クォンタ)」、「タキオン」、「振動(波動)エネルギー」、あるいは、「再構成水」などの言葉があり、これらが組み合わされている場合は特にあやしい。私たちの講義では、意味をさらに拡張し、広告のみならず、自己啓発本、アマチュア哲学、似非科学に現われる、偉ぶっているくせに間違っている科学用語を指すのに、この「フルーツルーパリー」という用語を使う。
 物理学は、文化のなかで高い地位を占めているため、ほかの分野よりも「フルーツルーパリー」を刺激することが多い。あなたがペテン師で、何かを売り込もうとしているとき、それを物理学に結びつければ、それは深遠で信頼性が高いと思わせることができる。」
(ロバート・P・クリース(1953-)&アルフレッド・シャーフ・ゴールドハーバー『量子モーメント』(日本語書籍名『世界でもっとも美しい量子物理の物語』)第8章 ずたずたになったリアリティ、pp.261-262、日経BP(2017)、吉田三知世(訳))
(索引:フルーツルーパリー)


世界でもっとも美しい量子物理の物語――量子のモーメント



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7.標準模型:強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測は、これまでことごとく実証されている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

標準模型

【標準模型:強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測は、これまでことごとく実証されている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用の3つの基本的な相互作用を記述するための理論である標準模型の予測はことごとく実証されていった。素粒子をめぐる数々の物理学的実験は、今日までの三〇年以上にわたり、つねに標準理論の正しさを裏づけてきた。直近の例としては、二〇一三年に世界中を騒がせた、ヒッグス粒子の発見が挙げられる。

 「はじめのうち、標準模型(もけい)は学者たちから、あまりまともに相手にされていなかった。標準模型には、どこか間に合わせの理論といった風情があったからである。

この理論は、一般相対性理論や、マクスウェルとディラックの方程式が備えていた、透きとおるような単純さとは無縁だった。

しかし、大方の予想に反して、標準模型の予測はことごとく実証されていった。素粒子をめぐる数々の物理学的実験は、今日までの三〇年以上にわたり、つねに標準理論の正しさを裏づけてきた。

なかでも重要なのが、カルロ・ルッビア率いるイタリア人チームによる、Z粒子とW粒子の発見である。ルッビアはこの業績のために、一九八四年にノーベル賞を受賞している。

直近の例としては、二〇一三年に世界中を騒がせた、ヒッグス粒子の発見が挙げられる。ヒッグス粒子は、理論を機能させるために導入された標準模型の場のひとつであり、やや作為的な存在と見なされていた。しかし、ヒッグス粒子は実際に観測され、まさしく標準模型が予測したとおりの性質を備えていた(ちなみに、この粒子を「神の粒子」と呼ぶ向きもあるが、それはあまりにばかばかしい呼称である)。

このとおり、量子力学の領域において構築された「標準模型」は、その素朴で飾り気ない名称にもかかわらず、華々しい大勝利を収めてきた。」
(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第2部 革命の始まり、第4章 量子――複雑奇怪な現実の幕開け、pp.128-129、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))


すごい物理学講義


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6.現在の状況としては、量子力学にもとづく素粒子の標準模型と、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するような実験、観測結果は、未だ発見されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

量子力学と一般相対論

【現在の状況としては、量子力学にもとづく素粒子の標準模型と、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するような実験、観測結果は、未だ発見されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 ヒッグス粒子の発見は、量子力学にもとづく素粒子の標準模型を支持する確固たる証拠である。また、人工衛星プランクの測定データは、一般相対性理論に基づく宇宙論的標準模型に反するようなデータを、何ももたらさなかった。一方、超ひも理論が予言する超対称性粒子は、未だ発見されていない。これが、現在の状況である。

 「本書で紹介してきた理論のほかに、現在もっとも盛んに研究されているのは、いわゆる「超ひも理論」である。

ジュネーヴに拠点を置くCERN(欧州原子核研究機構)は、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)と呼ばれる新型の素粒子加速器を擁している。

超ひも理論の分野(またはその関連分野)の研究に取り組んでいる物理学者の大部分は、LHCが実用化されるなり、超ひも理論が要請する未発見の粒子、つまり超対称性粒子が観測されるだろうと想定していた。

超ひも理論が成り立つためには、この粒子の存在が確認されなければならず、そのため「ひも論者」たちは、超対称性粒子の発見を期待していたのである。

一方のループ量子重力理論は、超対称性粒子が存在しなくとも問題なく成立する。こうしたわけで「ループ論者」たちはむしろ、この粒子は見つからないだろうと予測していた。

 LHCが稼働してから現在にいたるまで、超対称性粒子は観測されていない。この結果は、多くの研究者に深い失望をもたらすところとなった。

二〇一三年にヒッグス粒子の存在が確認されたときの大騒ぎが、この失望をなおのこと際立たせている。

超対称性粒子は、多くのひも論者が想定していたエネルギーの範囲内には存在していなかった。もちろんこれは、決定的な証拠ではない。わたしたちはまだ、決定的な答えからは遠く離れた場所にいる。

しかしわたしには、二つの選択肢を前にした自然が、ループ論者に有利となるささやかな兆候を提供してくれたように思えてならない。

 素粒子物理学の分野において、二〇一三年に得られた重要な実験結果には、以下の二つが挙げられる。一つ目は、ジュネーヴのCERNでヒッグス粒子が確認されたことであり、この報せは世界中のマスメディアを賑わせた。

二つ目は人工衛星プランクの測定データであり、それは二〇一三年にまとまった形で公開された。この二つが、自然が最近になってわたしたちに与えてくれた兆候である。

 この二つの結果のあいだには共通点がある。それはつまり、どちらもまったく驚きに値しない結果だったということである。

ヒッグス粒子の発見は、量子力学にもとづく素粒子の標準模型を支持する確固たる証拠である。今回の発見は、三〇年前に発表された予測の正しさを裏づけている。

「プランク」の測定結果は、宇宙項を加えた一般相対性理論にもとづく、宇宙論的標準模型を支持する確固たる証拠である。

二つの結果は、最先端の技術と、莫大な費用と、多くの科学者の尽力のもとに得られたものである。ところがわたしたちは、二つの結果を前にして、あらかじめ抱いていた宇宙の発展経過のイメージを強化しただけだった。そこには何の驚きもなかった。

むしろ、こうした驚きの欠如こそが、驚嘆に値するものだった。

なぜなら、多くの研究者は驚きを待ち構えていたのだから。

物理学者がCERNに期待していたのは、ヒッグス粒子ではなく超対称性粒子だった。

物理学者の多くは、プランクの観測データと宇宙論的標準模型のあいだに、何らかの不一致が生じるものと期待していた。そうした不一致が、代替となるなんらかの宇宙論を、一般相対性理論にかわる新たな理論を提示してくれるのではないかと期待していた。

 現実は違った。自然がわたしたちに告げた内容はシンプルだった。「一般相対性理論と量子力学は正しい。量子力学の分野において、標準模型は正しい」。これですべてだった。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第9章 実験による裏づけとは?、pp.210-212、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))


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5.(仮説)ループ量子重力理論は、時空にも収縮の限界があり「点」まで縮むことはないと考える。そして、ビッグバンの前後では、時空は確率の雲のなかに溶解しており、この雲の向こう側の別の宇宙が「ビッグバウンス」を経て、この宇宙が生まれたと考えている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

ループ量子重力理論

【(仮説)ループ量子重力理論は、時空にも収縮の限界があり「点」まで縮むことはないと考える。そして、ビッグバンの前後では、時空は確率の雲のなかに溶解しており、この雲の向こう側の別の宇宙が「ビッグバウンス」を経て、この宇宙が生まれたと考えている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 物質の安定性は、量子力学により理解可能となった。電子が原子核の内部に落ちていこうとしても、量子力学の不確定性のために限界があり、電子の確率の雲は、原子の大きさ程度に保たれる。一般相対性理論における特異点の理解についても、物質の安定性と同じ状況が存在する。アインシュタインの方程式によれば、収縮し自らの重みに押しつぶされ、途方もなく小さくなった時空は、無限に押しつぶされ「点」になる。もし、時間と空間そのものも、確率の雲のなかで、収縮にも限界があり広がりを持たない「点」まで縮むことはないとすれば、一四〇億年前になにが起こったのかの姿も変わってくる。ループ量子重力理論は、時間と空間の確率の雲を記述することができる。宇宙の始まりを「点」にまで遡ることはできない。ビッグバンの前後では、空間と時間は、確率の雲のなかですっかり姿を消してしまう。今日の物理学者は、この確率の雲の向こう側に、すなわちビッグバンの「前」に、わたしたちの宇宙が生まれる前の、別の宇宙が存在していたと考えている。その前の宇宙が崩壊し、空間と時間が確率のなかで溶解する量子的な局面を経た末に、新しい宇宙が生まれたのである。これを、「ビッグバウンス」と呼んでいる。宇宙はどこかで反発し、巨大爆発に後押しされるようにして、ふたたび膨張を始める。

 「一四〇億年前になにが起こったのかを理解するには、量子重力理論が必要になる。この点について、ループ理論はなにを教えてくれるのか?

 はるかに単純化した形で、類似の状況について考えてみよう。

古典力学に従うなら、原子核に向っていく一個の電子は、やがて核に飲みこまれて消えてしまう。だが、現実にはこうした事態は発生しない。この意味で、古典力学は不完全である。

電子の振る舞いを正しく把握するには、量子の効果を考慮しなければならない。現実の電子は量子的な対象であるため、明確な軌道をたどらない。電子を正確な一点に留めておくことは不可能である。

むしろ、正確に位置づけようとすればするほど、電子はどこかへ逃げ去ってしまう。もし、一個の電子を原子核のそばに留めておこうと望むなら、わたしたちにはせいぜいのところ、電子をもっとも寸法の小さな原子軌道に引きとめておくことしかできない。それ以上、電子は原子核に近づけない。

きわめて短い瞬間だけ、そこからさらに近づいたとしても、電子はたちまち別の場所へ逃げ去ってしまう。つまり量子力学は、現実の電子が原子核の内部に落ちていくことを妨げている。まるで、電子が原子核に限りなく近づいたとき、量子的な性質を帯びた反発力が電子を押しかえしているかのようである。

量子論が成り立つからこそ、物質は安定していられる。量子論が成り立たなければ、あらゆる電子は原子核の内部に落ちていく。結果として、この世界には原子も、わたしたちも、なにひとつ存在しなくなるだろう。

 同じ議論が、宇宙にたいしても当てはまる。収縮し、自らの重みに押しつぶされ、途方もなく小さくなった宇宙を想像してみよう。

量子力学以前の理論、つまりアインシュタインの方程式によれば、この宇宙は無限に押しつぶされる。そうして最後は、原子核に飲みこまれる電子のように、一点となって消失する。これが、アインシュタインの方程式によって予見される、「点」としてのビッグバンである。

量子力学を無視すれば、自然とこのような結論に到達する。

 しかし、量子力学を考慮に入れれば、宇宙の収縮にも限界があることが判明する。それはあたかも、量子的な反発によって、宇宙が跳ね返っているかのような状況である。

収縮過程にある宇宙が、広がりを持たない「点」まで縮むことはない。宇宙はどこかで反発し、巨大爆発に後押しされるようにして、ふたたび膨張を始める。

 わたしたちの宇宙がたどった歴史は、これに似た反発の結果であった可能性が高い。英語ではこの巨大な反発を、「ビッグバン」の代りに「ビッグバウンス」と呼んでいる。ループ量子重力理論の方程式を宇宙に適用すれば、このような結論が得られると考えられている。

 ただし、「反発」という表現を、文字通りに受け取ってはいけない。これはあくまで比喩である。

電子に話を戻すなら、わたしたちが電子を原子核に可能なかぎり近づけようとした場合、電子はもはや粒子ではなくなる。代わりに、わたしたちは電子のことを、確率の雲として捉えられる。こうなると、電子の正確な位置はもはや存在しない。

宇宙の場合も同じである。ビッグバンのさなかの決定的な移行過程においては、わたしたちはもはや、明確に記述された空間や時間を想定することはできない。

わたしたちの考察の対象となるのは確率の雲だけであり、空間と時間はその雲のなかですっかり姿を消してしまう。

ビッグバンの前後では、確率が泡立つ雲のなかに、世界はきれいに溶解する。そして、量子重力理論の方程式なら、こうした確率の雲を記述することができる。

 今日の物理学者は、わたしたちの宇宙が生まれる前には、別の宇宙が存在していたと考えている。空間と時間が確率のなかで溶解する量子的な局面を経た末に、ひとつの宇宙が崩壊し、新しい宇宙が生まれたのである。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第8章 ビッグバンの先にあるもの、pp.202-204、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:物質の安定性、確率の雲、特異点、ループ量子重力理論、時空の確率の雲、ビッグバン、ビッグバウンス)


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2018年1月12日金曜日

悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物のある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))

悟性と想像力

【悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物のある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものを理解しようとするときは、その観念を、判明に想像力の中に形成すべきである。このとき、この観念を表現する物自体(モデル)を、外部感覚に示すと、理解を容易にする。ところで、多数の事物を、判明に理解するということは、その多数の事物の多様性のなかから、注意する必要のない属性をすべて除去し、本質的な属性を引き出すことである。さらに、この抽出された観念は、物自体として表現するよりも、むしろ物のある省略された形(記号)で示すことにより、より理解を容易にする。
 「それはこうである。悟性は想像力によって動かされ、また逆に想像力に働きかけることができ、同様に想像力は運動力を介して感覚に働きかけてそれを対象に向かわせ、また逆に感覚は想像力に働いてその中に物体の像を画くことができ、しかしてかの記憶なるものは、少なくともそれが身体的であって獣の記憶と同様である限り、想像力と別のものではない、のであるから、人は確実に次の結論に達する。悟性は、物体的なもの乃至は物体に似たものを少しも含まぬ事柄に携わる時、上の諸能力の助けを借りることはできない。かえって、それらに妨げられるために、感覚を遠ざけ、かつ想像力をあらゆる判明な印象から、できる限り除き去るべきである。しかしながら、もし悟性が、何か物体に関係をもちうるものを、吟味しようと企てるならば、そのものの観念を、できるだけ判明に、想像力の中に形成すべきである。しかして、より容易にこのことを成し遂げるには、この観念の表現する物自体を、外部感覚に示すべきである。ところで事物が多数あっても、その一々を悟性が判明に直感する助けとはなりえない。で、しばしば多くのものの中からただ一つを抽き出す必要があるが、それには、事物の観念からして現在注意する要のないものをすべて除去し、残部がより容易に記憶に留められるようにすべきである。そして同様にして、この時物自体を外部感覚に示すべきではなくむしろ物の或る省略された形を示すべきであり、この形は、記憶の誤りを避けるに足りさえするなら、小さければ小さいほど都合がよいであろう。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、pp.77-78、[野田又夫・1974])
(索引:悟性、想像力、観念を表現する物自体、捨象、抽象、物の省略された形、モデル、記号)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))

悟性と想像力

【悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「さてわれわれがわが内に認めるところ、ただ悟性のみが知識を獲得しうるが、それはまた他の三つの能力、すなわち想像力(imaginatio)・感覚・記憶(memoria)によって、或いは助けられ或いは妨げられうる。そこで、順序正しく、これら三つの能力の一々がいかなる害を与えうるかを考察し、以ってこの害を防ぐべきであり、またいかなる益を与えうるかを考察して、以ってそれらの寄与を残らず用うべきである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第八、p.56、[野田又夫・1974])
(索引:想像力、悟性、感覚、記憶)

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 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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4.一般相対性理論は、宇宙論、天体物理学、重力波やブラックホール研究の基礎であり、量子力学は、原子物理学、核物理学、素粒子物理学、物性物理学など多くの分野の研究基礎となっている。ところが、この二つの理論は、いまだ統一されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

一般相対論と量子力学

【一般相対性理論は、宇宙論、天体物理学、重力波やブラックホール研究の基礎であり、量子力学は、原子物理学、核物理学、素粒子物理学、物性物理学など多くの分野の研究基礎となっている。ところが、この二つの理論は、いまだ統一されていない。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 一般相対性理論は、宇宙論、天体物理学、重力波やブラックホール研究の基礎である。一方の量子力学は、原子物理学、核物理学、素粒子物理学、物性物理学をはじめ、多くの分野の研究基礎となっている。ところが、一般相対性理論の重力場は、「量子化された場(量子場)」を想定していない。一方、量子力学は「時空間は曲がる」という点を無視して定式化されている。

 「わたしたちが現代物理学から得ている豊かな知識の中心には、どこか矛盾した要素が潜んでいる。

一般相対性理論と量子力学という、二〇世紀の物理学が遺した二つの宝は、世界を理解するうえでも、今日のテクノロジーを成り立たせるうえでも、計り知れない恵みをわたしたちにもたらした。

一般相対性理論は、宇宙論、天体物理学、重力波やブラックホール研究の基礎である。一方の量子力学は、原子物理学、核物理学、素粒子物理学、物性物理学をはじめ、多くの分野の研究基礎となっている。

 しかし、二つの理論を並置すると、周囲には不協和音が響きわたる。少なくとも、現今の形式においては、二つの理論のどちらもが正しいということはありえない。

なぜなら、一般相対性理論と量子力学のあいだには、明白な矛盾が認められるからである。

一般相対性理論の重力場は、量子力学を考慮に入れずに記述されている。つまり一般相対性理論は、「量子化された場(量子場)」を想定していない。

量子力学はというと、「時空間は曲がる」という点を無視して定式化されている。量子力学の扱う空間に、アインシュタインの方程式は当てはまらない。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第3部 量子的な空間と相関的な時間、第5章 時空間は量子的である、p.144、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:一般相対性理論、量子力学)

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3.現在の宇宙像:宇宙は、今から一四〇億年前に巨大な爆発によって誕生し、以来ずっと膨張を続けている屈曲した時空間である。一方、時空間のなかの事物は量子場であり、別のなにかと相互作用を起こすときだけ粒子としての姿を現わし、相互作用を終えるなり「確率の雲」のなかへ溶けこんでいく。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

宇宙と量子場

【現在の宇宙像:宇宙は、今から一四〇億年前に巨大な爆発によって誕生し、以来ずっと膨張を続けている屈曲した時空間である。一方、時空間のなかの事物は量子場であり、別のなにかと相互作用を起こすときだけ粒子としての姿を現わし、相互作用を終えるなり「確率の雲」のなかへ溶けこんでいく。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 わたしたちが生きる世界には、屈曲した時空間が広がっている。これは、今から一四〇億年前に、巨大な爆発によって誕生し、以来、時空間はずっと膨張を続けている。これは、物理的な「場」であり、時空間の力学は、アインシュタインの方程式によって記述される。その方程式によると、物質の重みが時空を曲げ、物質が極度に凝縮されたときには、ブラックホールになることもある。一方、宇宙には無数の銀河が散らばっており、ひとつひとつの銀河に無数の星が散らばっている。銀河を形づくっている物質は、量子場によって形づくられている。量子場は、電子や光子のように、粒子の形態をとって現われる。また、量子場は電磁波のように、波の形で現われることもある。この量子場は、奇妙な存在である。量子場を形成するひとつひとつの粒子は、別のなにかと相互作用を起こすときだけ、ある一点に居場所を定め、その姿をあらわにする。そして、ひとたび相互作用を終えるなり、粒子は「確率の雲」のなかへ溶けこんでいく。これが、現在私たちが理解している宇宙像である。

 「わたしたちが生きる世界には、屈曲した時空間が広がっている。

どのようにしてかは分からないが、それは今から一四〇億年前に、巨大な爆発によって誕生した。以来、時空間はずっと膨張を続けている。

この空間は実在する「事物」であり、物理的な「場」である。時空間の力学は、アインシュタインの方程式によって記述される。物質の重みのもとで、空間は折れたり曲がったりする。物質が極度に凝縮されたときには、空間がブラックホールへ呑みこまれていくこともある。

 宇宙には無数の銀河が散らばっており、ひとつひとつの銀河に無数の星が散らばっている。銀河を形づくっている物質は、量子場によって形づくられている。量子場は、電子や光子のように、粒子の形態をとって現われる。または、量子場は電磁波のように、波の形で現われることもある。テレビの映像や、太陽の光や、星の輝きをわたしたちに伝えているのは、電磁波である。

 原子や光をはじめ、宇宙に存在するあらゆる事物は、量子場によって記述される。

量子場は奇妙な存在である。量子場を形成するひとつひとつの粒子は、別のなにかと相互作用を起こすときだけ、ある一点に居場所を定め、その姿をあらわにする。ひとたび相互作用を終えるなり、粒子は「確率の雲」のなかへ溶けこんでいく。

世界とは、素粒子が起こす事象の湧出である。波のように振動する、大きく躍動的な空間の海に、素粒子は浸かっている。

 世界のこのようなイメージと、このイメージを形づくるわずかな方程式によって、わたしたちの目に映るほとんどすべてのものを記述することができる。

 そう。あくまで、「ほとんど」である。肝心な何かが、まだ欠けている。今日のわたしたちが要求しているのは、その何かである。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第3部 量子的な空間と相関的な時間、pp.142-143、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:時空間、量子場、粒子、波、事物、相互作用、確率の雲)


すごい物理学講義


カルロ・ロヴェッリ(1956-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
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2.理論における想像力の役割:何の手がかりもなしに新たな理論を「想像しようと試みる」には、わたしたちの空想力はあまりに貧弱である。すでに成功を収めている理論と実験データに、この世界の真の姿の兆候が現われている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))

理論と想像力

【理論における想像力の役割:何の手がかりもなしに新たな理論を「想像しようと試みる」には、わたしたちの空想力はあまりに貧弱である。すでに成功を収めている理論と実験データに、この世界の真の姿の兆候が現われている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))】
 科学の理論は、確かに人間の自由な創造であり、理論における想像力の役割には大きいものがある。しかし、この世界について、何の手がかりもなしに「想像」するには、わたしたちの空想はあまりに貧弱である。わたしたちが所有している手がかり、この世界の真の姿を知るのに利用できる兆候とは、成功を収めた理論と実験データであり、それ以外の何物でもない。科学の歴史を考えてみれば、コペルニクスも、ニュートンも、マクスウェルも、アインシュタインも、決して何の手がかりもなしに、新たな理論を「想像しようと試みる」ことはなかった。

 「今日、じつに多くの理論物理学者が、新たな理論を求めて勝手気ままな仮説を立てている。その人たちの口癖が、「想像してみよう……」というものである。

わたしには、このような科学の手法が良い結果をもたらすとは思えない。世界がいかにして成り立っているのか手がかりもなしに「想像」するには、わたしたちの空想はあまりに貧弱である。

わたしたちが所有している手がかりとは、わたしたちが利用できる兆候とは、成功を収めた理論と実験データであり、それ以外の何物でもない。いまだ想像できていない事柄は、こうしたデータや理論から見つけ出してくるべきである。

コペルニクスも、ニュートンも、マクスウェルも、アインシュタインも、そうして科学を発展させてきた。彼らは決して、新たな理論を「想像しようと試みる」ことはなかった。

しかしわたしの見るところ、今日ではあまりに多くの物理学者が、好んで想像の世界に浸かっている。」

(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第4部 空間と時間を超えて、第9章 実験による裏づけとは?、p.212、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))
(索引:想像力、理論)

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(出典:wikipedia
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