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2018年5月4日金曜日

3.有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))

有能性への欲望

【有能性への欲望:私たちには、活動それ自体を楽しみ、その効力感を感じ、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求がある。例として、好奇心、刺激への欲求、遊び、冒険への欲求。(ロバート・W・ホワイト(1904-2001))】
 好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求は、活動それ自体を楽しむ自発的、積極的で創造的な活動であり、このとき感じる快は、能動的主体として生きているという効力感からもたらされる。この傾向は、生物が本来的に生きて活動しているという観点からは、有能性を獲得し効果的に機能すること、課題に習熟することへの欲求ともいえる。動機付けという観点からは、この欲求は内発的であり、賞賛などの外的報酬によるものではない。
検索(Robert W. White)
検索(ロバート・W・ホワイト)

 「好奇心や刺激への欲求、遊びや冒険への欲求などのさまざまな高次の動機は、すべて基本的な動機、有能性への欲望の一部とみなされる(White,1959)。

マレーとともに研究していたハーバード派人格学者ホワイトによると、日々の活動、例えば子どもの探究や遊び、会話、ハイハイや歩行でさえも、習熟や効果的に機能するための欲望を反映している。日々の活動はそれ自体で、内発的に満足し、効力感を生みだすのである。ホワイトはこれらの言葉で要点を論じている。

 『動機について考えるとき、積極的対応という、この総合的な傾向を考慮しないなら、恐怖、動因、情熱に支配され何もできない無力な生物という見方をせざるとえなくなる。文明の創造者どころか、生き延びることさえできないほど無力な存在である。

有能性を獲得するための奮闘努力が、生物が本来的に生きて活動しているということの最も明確な表象となっている。

それは、自分自身の人生と生活を能動的主体として生きている感覚を経験するときの自発性とがんばりの力である。この経験は効力感とよぶことができる。』(White,1972,p.209)

 有能性への動機づけは、課題の習熟それ自体への欲望であり、ランニング、ピアノの演奏、手品、チェス、新しい外科手術の手続きのような多様な課題に適用される。

ホワイトによると、習熟への欲望は飢えや性のような生物学的動因とは無関係に生じ、それらに由来するものではない。さらに、人々は、例えば賞賛や、注意、金のような外的報酬のためではなく、活動自体のための有能性への欲求を満足させる活動に従事する。

有能性への動機づけの概念は、人間が追い求め、それ自体を楽しむ膨大な範囲の創造的活動を強調する点において価値があり、動機づけや適応的な問題解決の研究に主要な役割を果たす(例:Dweck,1990)。

しかし、それは人間の行動に影響を及ぼす多くの動機の一つにしかすぎない。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅲ部 精神力動的・動機づけレベル、第8章 精神力動論の適用と過程、pp.240-241、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:有能性への欲望、好奇心、遊び、刺激への欲求、冒険への欲求)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2.生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))

生物的準備性

【生物的準備性の例:ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、見知らぬ人への恐怖、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚。(スティーブン・ピンカー(1954-))】
 何の条件づけも行われないうちから存在するしているような恐怖の対象がある。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なものだ。これらは、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものである。恐怖だけではなく、言語の獲得、数学的な技能、音楽の観賞、空間知覚などの高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)。

(出典:wikipedia
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 「進化的アプローチはまた、人々が生物的に、進化過程において人類の生存の脅威であったようなものを恐れる傾向にあると主張している(Buss,1997; Seligman,1971)。あまり多くはないが、多くの人に共通した恐怖症は、実質的に普遍的なものと考えられる。ヘビ、クモ、血、嵐、高所、暗闇、そして見知らぬ人に対する恐怖症はその典型的なもので、それらには同一のテーマがある。進化過程の祖先を危険にさらしたものであり、それらを怖がるよう、私たちはあらかじめプログラムされているようである。ピンカー(Pinker,1997,p.387)は次のように述べている。「子どもはラットを恐がり、ラットは明るい部屋を恐がる。これらの恐怖は何の条件づけも行われないうちから存在し、子どももラットも、危険とそれらを容易に連合させる」。

このような知見は、進化の過程で形成され、脳内にあるとされる、あらかじめプログラムされている傾向として、近年になって議論されることが増えた広範なデータの一部にすぎない。

そして、これらの性質は、あるものに対してはそれほどでもないが他のものを強く恐れるというように、恐怖に関して人々を独特の形に準備しているだけでなく、言語の獲得から数学的な技能、音楽の観賞から空間知覚まで、すべての種類の高次精神活動においても、ある事柄は容易であるけれども他のことはそれほどでもないというように、生物的準備性をもたらしている(Pinker,1997)というのである。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅱ部 生物学・生理レベル、第6章 脳、進化、パーソナリティ、pp.185-186、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:生物的準備性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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1.不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)

不確かさへの志向

【不確かさへの志向:次のようなパーソナリティ次元が存在する。不確実さを正面から受けとめ新しい情報を求めて解決しようとする。逆に、不確実さに不快を感じて状況を回避し、新しい情報も求めない。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-)】
 次のようなパーソナリティ次元が存在する。
(a) 不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする傾向。
(b) 不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする傾向。
 結果についてコントロールできない状況を経験した後、(a)の傾向の強い人は、その状況に関連する新しい情報を求めるのに対して、(b)の傾向の強い人は新しい情報を回避する。
 特殊例として、(a)の傾向の強い人は、「あるテストが重要な能力を診断する」と言われた方が、良い成績をとり、(b)の傾向の強い人は「テストが重要な能力を診断するものではない」と伝えられた方がが、よりよい成績をとる。(リチャード・M・ソレンティーノ(1943-))

(出典:Western University



 「人と状況の相互作用の例における個人差の次元として、不確かさへの志向の研究をみてみよう。このパーソナリティ次元は、不確実さを扱うことに比較的自信があり、それを正面から解決しようとする個人の極と、不確かさに不快になり、不確かさの主観的感覚が増加する状況を回避しようとする個人の極で定義される(Sorrentino & Roney,1986,2000)。

さて、次の問題を考えてみよう。結果についてコントロールできない状況を経験した人は、その後で新しい情報を回避するのか、それとも接近するのか。

あるテストが重要な能力を診断すると言われたなら、学生は成績がよくなるのだろうか。

これらの質問に対する回答は、個人の不確かさへの志向によって違ってくる。不確かさへの志向が高い人、すなわち不確かさに自信をもち、それをどうにかしようとする人にとって、二つの質問への回答はイエスである。しかし、不確かさが不快な人の答えは非常に異なったものとなる(Huber,Sorrentino,Davidson & Epplier,1992)。例えば、テストが重要な能力を診断するものではないと伝えられたほうが、よりよい成績をとる(Sorrentino & Roney,1986)。さらに、不確かさへの志向が低い人が制御不能状態を経験したとき、そして特に中程度に抑うつ的であったなら、新しい情報を回避する(Walker & Sorrentino,2000)。

そのため、すべては人のタイプと状況のタイプの相互作用によって決まってくる。そして、ある人にとって性格にあっている状況というのは、他の人にとっては苦痛かもしれない。」

(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅰ部 特性・性質レベル、第4章 性質の表出、p.107、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:不確かさへの志向、パーソナリティ次元)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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