所有権
【所有権は、抽象的で絶対的な権利ではなく、慣習や法律に基づいて賦与される特定の時代・社会の制度であり、人間事象の発展改善と公共の福祉のために、廃止や変更がされてきた。なおまた、改善の余地がある。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】「かくてわれわれは、所有権は時と処との異なるに従って解釈も異なり、範囲も異なるということ、それに含まれる概念は変化する概念であり、頻繁に改訂されてきたし、また尚一層の改定の余地があることを、知るのである。更に又、それが社会の進歩の中でこれまで受けてきた改訂は、一般に改善であったということも、注意されねばならない。従って、或る物に対し其の物の所有者と法律上認められている人々によって行使される権力における或る変化或いは修正が、公衆に対し有益であり且つ一般的改善に寄与するであろう、と、正否はともかく、主張される時には、この想像上の変化が財産の観念と衝突すると単に言うだけでは、これに対する良い答えとはならない。財産の観念は歴史の通じて同一にして且つ変更することのできない一つの物ではなくて、人間精神の他のあらゆる創造物と同様に変化するものである。いかなる時でも、それは、その当時の或る社会の法律又は慣習によって賦与された、物を支配する権利を示す簡潔な表現である。併しこの点においても、又その他いかなる点においても、或る時と処との法律と慣習は永久に固定されることを要求する権利はない。法律又は慣習上の提案された改革は、その採用があらゆる人間事象の現在の財産観念への適応ではなくて、現在の観念の人間事象の発展改善への適応を意味するから、という理由を以て、常に反対すべきではない。こう言ったからとて、所有権者たちの正当な要求――つまり、彼らが公益のために奪われるかもしれないような所有権的性質を帯びた法律的権利に対して、国家の補償を得たいという要求を妨げることにはならない。この正当な要求、その根拠と正しい限界とは、それ自体として一つの問題であり、かかるものとして今後論じられるであろう。しかし、かかる条件のもとで、社会は、充分の考慮をつくしたうえで公共福祉の妨げとなると判断されるところの、いかなる特殊の所有権をも廃止したり変更したりする充分の権利を有する。そして勿論、われわれが前章で見たように社会主義者が現在の社会の経済的秩序に対して持ち出すことのできる凄まじい反対論は、現制度が、いかなる手段を用いたならば、現在のところその直接的利益の最小の分け前しか享受していない社会の大部分の人々に対しもっと有利になるように運営せしめられうる可能性があるか、それらあらゆる手段についての充分な考慮を要求するのである。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『社会主義論』,第4章 社会主義の難点,pp.150-153,社会思想研究会出版部(1950),石上良平(訳))
(索引:所有権)
(出典:wikipedia)
「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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近代社会思想コレクション<京都大学学術出版会