自ずからして明らかなもの
【おのずからしてわれらに明らかであるもの(ルネ・デカルト(1596-1650))】認識するわれわれ
認識さるべき物自身
おのずからしてわれらに明らかであるもの
2.私は存在する
人間精神が何であるか。
3.私でないものが、存在する
4.精神と身体
身体は何であるか。
身体は精神によっていかに形成されるか。
5.私(精神)のなかに見出されるもの
この複合物(人間)全体において、事物を認識するに役立つ能力はいったい何である。
それらの一々はいかなる働きをするか。
5.1 意志のすべてが精神の能動である。
5.1.1 精神そのもののうちに終結する精神の能動
5.1.2 身体において終結する精神の能動(運動、行動)
5.2 あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である。
5.2.1 身体を原因とする知覚
5.2.1.1 外部感覚
5.2.1.2 共通感覚
5.2.1.3 想像力、記憶
5.2.1.4 自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
5.2.1.5 身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
5.2.1.6 精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
(広い意味では、情念の一種)
5.2.2 精神を原因とする知覚
5.2.2.1 意志についての知覚
5.2.2.2 意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚
5.2.3 精神だけに関係づけられる知覚(情念)
(身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を、原因とする。)
いかにして或るものが他のものから認識せられるか
各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
「さて第一の点を考察するに当って、ここに私は、人間精神が何であるか、身体は何であるか、後者は前者によっていかに形成(informari)されるか、この複合物(人間)全体において、事物を認識するに役立つ能力はいったい何であるか、それらの一々はいかなる働きをするか、を説明できればしたいのである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.72、[野田又夫・1974])
(索引:おのずからしてわれらに明らかであるもの)
哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
2.私は存在する
3.私でないものが、存在する
4.精神と身体
5.私(精神)のなかに見出されるもの
(出典:wikipedia) |
「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」 (ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964]) |
ルネ・デカルト(1596-1650)
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