2019年4月25日木曜日

真偽値を持つ陳述も、行為遂行的発言と同じように、有効に発動するための諸条件がある。例として、言及対象が存在しない場合、その陳述は真でも偽でもなく「不適切」である。(ジョン・L・オースティン(1911-1960))

不適切な陳述

【真偽値を持つ陳述も、行為遂行的発言と同じように、有効に発動するための諸条件がある。例として、言及対象が存在しない場合、その陳述は真でも偽でもなく「不適切」である。(ジョン・L・オースティン(1911-1960))】

(3)(A・2)追記。

(1) 真偽値を持つ陳述と、行為遂行的発言が全く異なる現象と考えるのは、誤りである。陳述は、行為遂行的発言の構造から特徴づけできる。また、行為遂行的発言の適切性の諸条件は、真偽値を持つ陳述で記述される。(ジョン・L・オースティン(1911-1960))
(2)行為遂行的発言「私はそこに行くと約束する」
 (A・1)ある一定の発言を含む慣習的な手続きの存在
  (i)「約束する」という言葉を発することが、権利と義務を発生させるような慣習が社会に存在する。
  (ii)慣習が存在しない場合、発言は「不適切な」ものとなる。
 (A・2)発言者、状況の手続的適合性
 (B・1)手続きの適正な実行
 (B・2)完全な実行
 (Γ・1)発言者の考え、感情、参与者の意図の適合性
  (i)私は、そこに行く意図を持っている。
  (ii)私は、そこに行くことが可能であると思っている。
  (iii)このとき、「私はそこに行くと約束する」は、この意味で「真」であるとも言い得る。
 (Γ・2)参与者の行為の適合性
(3)陳述(事実確認的発言)「猫がマットの上にいる」
 (A・1)ある一定の発言を含む慣習的な手続きの存在
  (i)「猫」「マット」「上にいる」の意味、ある発言が「真か偽かを判断する」方法についての、慣習が社会に存在する。
  (ii)慣習が存在しない場合、発言は真でも偽でもなく、「不適切な」ものとなる。
 (A・2)発言者、状況の手続的適合性
  (i)陳述は、言及対象の存在を前提にしている。対象が存在しない場合、その陳述は真でも偽でもなく、「不適切な」ものとなる。例として、「現在のフランス国王は禿である」。
 (B・1)手続きの適正な実行
 (B・2)完全な実行
 (Γ・1)発言者の考え、感情、参与者の意図の適合性
  (i)私は、その猫がマットの上にいることを信じている。
  (ii)私が、それを信じていないときは、発言は真でも偽でもなく、「不適切な」ものとなる。
  (iii)私は、この発言によって、主張し、伝達し、表現することもできる。
 (Γ・2)参与者の行為の適合性

 「さて、AとBの種類の不適切性は、――警告、保証というような――種類の行為を空虚で無効なものとするものであったが、陳述はこの種の不適切性に関してはいかなることになるのであろうか。すなわち、陳述の外見を呈するものが、一般に契約などについて言われているのとまったく同様に空虚で無効なものになり得るであろうか。これに対する答えは、重要な点で肯定的であるように思われる。最初の事例はA・1とA・2とである。すなわち、慣習すなわち一般に受け入れられた慣習が一切存在しない場合、または、与えられた状況が発言者による当該慣習の発動に対して不適当である場合である。まさにこの型の不適切性の多くが陳述を待ちうけているのである。
 われわれはすでに、陳述であってそれが言及しているところのものの存在を(いわば)《前提》(presuppose)しているとされるような場合を知っている。もし、そのようなものが存在しないとするならば、その「陳述」は何ものについてのものでもないということになるであろう。さて、ある人々の言い方によれば、このような状況においてたとえば、ある人が現在のフランス国王は禿であると主張したとすると、そのとき、「その国王が禿であるか否かの問題は生じない」ということになる。しかし、このような場合はむしろ、私があなたに何かを売ろうと言いながら、そのものが自分の所有物でないとか、(火事に遭って)もはや存在しないというようなときとまったく同様に、その陳述が空虚で無効であると言う方が適切なのである。契約は、しばしば、その関与している対象が存在しないという理由から無効となる。これは、対象言及に故障があるという場合である。(全体的曖昧性)」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『いかにして言葉を用いて事を為すか』(日本語書籍名『言語と行為』),第11講 言語行為の一般理論Ⅴ,pp.229-230,大修館書店(1978),坂本百大(訳))
(索引:不適切な陳述,行為遂行的発言)

言語と行為


(出典:wikipedia
ジョン・L・オースティン(1911-1960)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「一般に、ものごとを精確に見出されるがままにしておくべき理由は、たしかに何もない。われわれは、ものごとの置かれた状況を少し整理したり、地図をあちこち修正したり、境界や区分をなかり別様に引いたりしたくなるかもしれない。しかしそれでも、次の諸点を常に肝に銘じておくことが賢明である。
 (a)われわれの日常のことばの厖大な、そしてほとんどの場合、比較的太古からの蓄積のうちに具現された区別は、少なくないし、常に非常に明瞭なわけでもなく、また、そのほとんどは決して単に恣意的なものではないこと、
 (b)とにかく、われわれ自身の考えに基づいて修正の手を加えることに熱中する前に、われわれが扱わねばならないことは何であるのかを突きとめておくことが必要である、ということ、そして
 (c)考察領域の何でもない片隅と思われるところで、ことばに修正の手を加えることは、常に隣接分野に予期せぬ影響を及ぼしがちであるということ、である。
 実際、修正の手を加えることは、しばしば考えられているほど容易なことではないし、しばしば考えられているほど多くの場合に根拠のあることでも、必要なことでもないのであって、それが必要だと考えられるのは、多くの場合、単に、既にわれわれに与えられていることが、曲解されているからにすぎない。そして、ことばの日常的用法の(すべてではないとしても)いくつかを「重要でない」として簡単に片付ける哲学的習慣に、われわれは常にとりわけ気を付けていなければならない。この習慣は、事実の歪曲を実際上避け難いものにしてしまう。」
(ジョン・L・オースティン(1911-1960),『センスとセンシビリア』(日本語書籍名『知覚の言語』),Ⅶ 「本当の」の意味,pp.96-97,勁草書房(1984),丹治信春,守屋唱進)

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