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2022年4月22日金曜日
ある社会やその内部の特定の集団が、基本感情とその適切な表現に対して 保持する態度や基準をエモーショノロジーという。こうした態度や基準は、諸制度に反映され、促進される。(ピーター・スターンズ(1936-))
2022年4月20日水曜日
短時間のうちには注意が翻訳することのできない思考材料を、ある目的や目標のために感情的な発話行為へと翻訳し、この思考材料を活性化させる。この発話行為が、エモーティヴである。エモーティヴは感情に関する活性化した思考材料に対して、説明を付与する効果と、自ら変化する効果を持つ。(ウィリアム・M・レディ(1947-))
エモーティヴ
短時間のうちには注意が翻訳することのできない思考材料を、ある目的や目標のために感情的な発話行為へと翻訳し、この思考材料を活性化させる。この発話行為が、エモーティヴである。エモーティヴは感情に関する活性化した思考材料に対して、説明を付与する効果と、自ら変化する効果を持つ。(ウィリアム・M・レディ(1947-))
2022年4月4日月曜日
感情は、感情価と覚醒の度合いを2つの次元とする円環に配置できる。覚醒度中立の快である喜び、快だが覚醒度が下がる落ち着き、不快なら落ち込み、不快だか覚醒度中立の不機嫌、不快なまま覚醒度が上がると動揺、覚醒度高くて快なら高揚である。(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))
感情円環図
感情は、感情価と覚醒の度合いを2つの次元とする円環に配置できる。覚醒度中立の快である喜び、快だが覚醒度が下がる落ち着き、不快なら落ち込み、不快だか覚醒度中立の不機嫌、不快なまま覚醒度が上がると動揺、覚醒度高くて快なら高揚である。(ジェイムズ・A・ラッセル(1947-))
不快・覚醒度高い 快・覚醒度高い
(動転,動揺) (高揚,興奮)
不快・覚醒度中立 快・覚醒度中立
(惨めさ,不機嫌) (満足,喜び)
不快・覚醒度低い 快・覚醒度低い
(無気力,落込み) (穏やか,落着き)
「心理学者のジェイムズ・A・ラッセルが考案した、気分を追跡する方法は、臨床医、教師、科学者 のあいだでよく知られている。彼は、「感情円環図」と呼ばれる二次元空間(図4.5のような円構造) 上の点として、その瞬間の気分を記述できることを示した。 ラッセルのこの二次元構造は、感情価と 覚醒の度合いを、原点からの距離で表わしている。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の源泉,p.128,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
2022年4月3日日曜日
爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
気分
爽快感、不機嫌、落ち着いている、興味津々、活力がみなぎっ ている、退屈や倦怠など、恒常的な内受容感覚が気分である。気分は、快・不快の感情価と、覚醒度の属性を持つ。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.126-127,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
内受容ネットワーク
情動に関係のある脳領域は、様々な内臓器官、代謝、免疫系の機能を維持するために必要なエネルギーの需給を予測し管理する身体予算管理領域と、心臓、 肺、腎臓、皮膚、筋肉、血管などの器官や組織の変化を予測し内受容刺激と突き合わせ内受容感覚を生み出す一次内受容皮質とから構成される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第4章 情動の指源泉,pp.119-122,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
概念によるシミュレーション
心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激には、客観的な心理的意味など全く含まれていない。脳はつねに概念を用いてこれらの刺激をシミュレートしており、概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
「生きている限り、脳はつねに概念を用いて外界をシミュレートしている。 概念を欠けば、ミツバチ が不定形のかたまりに見えたときのように経験盲の状態に置かれる。 脳は、概念を用いて本人が 気づかぬうちに自動的にシミュレートするため、視覚や聴覚をはじめとする感覚作用は、構築ではなく反射であるように思える。
さて今度は、次の問いを考えてみよう。 脳がそれと同じ手順を用いて、心拍、呼吸、内臓の動きなど、体内から得られた感覚刺激の意味も作り出していたとしたらどうだろう? 脳の観点からすれば、自分の身体は感覚入力の源泉のうちの一つにすぎない。心臓や肺、代謝作用、 体温の変化などに由来する感覚刺激は、図21に示されている不定形のかたまりのようなものだ。 これら純然たる身体由来の感覚刺激には、客観的な心理的意味などまったく含まれていない。しかし ひとたび概念が関与し始めると、追加の意味が感覚刺激に付与される。食卓にすわっているときに感 じた胃の痛みは、空腹として経験されるだろう。インフルエンザが流行っていたら、同じ痛 まは吐き として経験するだろう。 あるいは判事なら、被告を信用してはならないという虫の知らせ としてこの種の痛みを受け取るかもしれない。このように、脳は時と場合に応じて、概念を用いて、 外界の感覚刺激と体内に由来する感覚刺激の両方に同時に意味を付与するのだ。こうして脳は、 空腹、吐き気、疑いなどのインスタンスを生成する。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,pp.60-61,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
シミュレーションとしての心的現象
知覚のみならず、言語、共感、 想起、想像、夢などの心理現象は、それぞれ異なる心的事象ではなく、外界に対する単なる反応では なく、シミュレーションという一つの普遍的な過程によって記述で きる。 (リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第2章 情動は構築される,p.58,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
情動に生理的指標はあるのか
身体反応は任意であるわけでもなく、各行動にはそれ独自の動きを維持するために、異なる心拍、呼吸などのパターンが伴う。しかし、状況や文脈によって、異なる身体反応に同じ情動カテゴリーが割り当てられる。その結果、各情動に独自の生理的指標が見出せない。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
「数百の実験を要約した四つのメタ分析が、各情動に対応する自律神経系の独自の指標を一貫して見 出すのに失敗したというのはいったいどういうことか? それは、情動が幻想にすぎないことを意味 するのでもなければ、身体反応が任意であることを意味するのでもなく、状況や文脈によって、ある いは研究によって、同一人物であろうが個人間であろうが、同じ情動カテゴリーに、異なる身体反応 が関与しうることを意味する。画一性ではなく、多様性が標準なのだ。これらの実験結果は、おのお のの行動にはそれ独自の動きを維持するために、それぞれに異なる心拍、呼吸などのパターンがともなうという生理学者たちの半世紀以上前からの知見とも合致する。
このように、膨大な時間と資金が投入されてきたにもかかわらず、いかなる情動に関しても、それ に対応する一貫した身体的指標は見出されていないのである。」
(リサ・フェルドマン・バレット(1963-),『情動はこうしてつくられる』,第1章 情動の指標の探求,p.38,紀伊國屋書店 ,2019,高橋洋(訳))
2022年4月2日土曜日
顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 しかし、顔面の動きは必ずしも情動的なものだとは言えないし、それが表わす意味もつねに同じわけではない。それは、文化に基づく予想や社会的状況、ボディランゲージなどの文脈に依存している。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
情動と表情
顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 しかし、顔面の動きは必ずしも情動的なものだとは言えないし、それが表わす意味もつねに同じわけではない。それは、文化に基づく予想や社会的状況、ボディランゲージなどの文脈に依存している。(リサ・フェルドマン・バレット(1963-))
「確かに、顔は社会的コミュニケーションの道具と見なせる。 顔面の動きには意味のあるものもあれ ば、ないものもある。 しかし現在のところ、どの顔面の動きに意味があり、どの動きにないのかを 人々がいかに見分けているのかについては、文脈 (ボディランゲージ、社会的状況、文化に基づく予想など)が重要だという点以外、ほとんど何も知られていない。 眉を吊り上げるなどの顔面の動きによって心 理的なメッセージが伝えられる場合、そのメッセージが必ずしも情動的なものだとは言えないしそ れが表わす意味がつねに同じかどうかさえわからない。科学的な証拠を総合すると、各情動には、特 定が可能な表情が必ずやともなうと言い切ることはできない。」
2022年3月28日月曜日
権力と支配の特定の形態を拒絶し、それに立ち向かいつつ、社会関係を再構築する。自らを構成し、規約あるいは行動原理を集合的につくり、継続的にそれらを再検討するような自律的共同体を創造する。こうした行動の継続的な積み重ねは、ほとんど全てを変革してしまう。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
変革はどのように起こるのか
権力と支配の特定の形態を拒絶し、それに立ち向かいつつ、社会関係を再構築する。自らを構成し、規約あるいは行動原理を集合的につくり、継続的にそれらを再検討するような自律的共同体を創造する。こうした行動の継続的な積み重ねは、ほとんど全てを変革してしまう。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
アナーキスト人類学のための断章 [ デヴィッド・グレーバー ]
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絶対的に世界から切り離されて自律し、社会、自然、宇宙と交渉し、負債を返済できると空想することは、常軌を逸した精神状態であり、モラルの論理として説かれれば、それは欺瞞的であり犯罪である。恐らく真実は、世界の方こそが、あなたが生きることから、価値あるものを受け取っているのに違いない。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
負債を負っているのは世界の方
絶対的に世界から切り離されて自律し、社会、自然、宇宙と交渉し、負債を返済できると空想することは、常軌を逸した精神状態であり、モラルの論理として説かれれば、それは欺瞞的であり犯罪である。恐らく真実は、世界の方こそが、あなたが生きることから、価値あるものを受け取っているのに違いない。 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]
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自己存在は、両親や祖先、社会や国家のおかげであり負債を負っていると説かれるが、事実は、全ての文化的遺産、人類全体、自然、全宇宙が必要だったのであり、負債を返済し自律を構想すること自体が、とんでもない思いあがりである。仮に無限の負債を仮想しても返済方法は各個人の選択に任されている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
無限の負債と個人の自由
自己存在は、両親や祖先、社会や国家のおかげであり負債を負っていると説かれるが、事実は、全ての文化的遺産、人類全体、自然、全宇宙が必要だったのであり、負債を返済し自律を構想すること自体が、とんでもない思いあがりである。仮に無限の負債を仮想しても返済方法は各個人の選択に任されている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第3章 原初的負債,pp.102-103,以文 社(2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎(訳),佐々木夏子(訳))
私たちの責任を、商取引における負債のようなもので基礎づけようとする様々な試みが多くなされてきた。しかし、これは真実であろうか。自分の実在を、私たちは誰に負っているのか。存在の基盤である自然、宇宙、文化、祖先、人類全体。(デヴ
私は誰のおかげで存在しているのか
私たちの責任を、商取引における負債のようなもので基礎づけようとする様々な試みが多くなされてきた。しかし、これは真実であろうか。自分の実在を、私たちは誰に負っているのか。存在の基盤である自然、宇宙、文化、祖先、人類全体。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]
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2022年3月27日日曜日
政治とはつまるところ説得術である。政 治的なものとは、十分な数の人びとが信じるならば物事が真実になる、そのような社会生活の 次元である。だが、その主張の唯一の基盤が、誰もが信じているということだけであることを認めてしまえば、決してうまくいくことはない。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
政治は魔術に似ている
政治とはつまるところ説得術である。政 治的なものとは、十分な数の人びとが信じるならば物事が真実になる、そのような社会生活の 次元である。だが、その主張の唯一の基盤が、誰もが信じているということだけであることを認めてしまえば、決してうまくいくことはない。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第11章 大資本主義帝国の時代(1450 年から1971年),pp.505-506,以文社(2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎(訳),佐々木夏子 (訳))
ある国王は常備軍を維持したい。どうすれば良いか。兵士たちに硬貨を配布し、つい で、王国内のすべての世帯にその硬貨の一部を王に返すべしと要求するなら、一夜にして国民経済は兵士への物資供給のための巨大機械に転換することになる。これが、そもそもなぜ王国は臣民たちに納税を強いたのかの理由である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
市場と貨幣を機能させる
ある国王は常備軍を維持したい。どうすれば良いか。兵士たちに硬貨を配布し、つい で、王国内のすべての世帯にその硬貨の一部を王に返すべしと要求するなら、一夜にして国民経済は兵士への物資供給のための巨大機械に転換することになる。これが、そもそもなぜ王国は臣民たちに納税を強いたのかの理由である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『負債論』,第3章 原初的負債,pp.74-75,以文社 (2016),酒井隆史(訳),高祖岩三郎(訳),佐々木夏子(訳))
負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]
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2022年3月26日土曜日
行政機構が市場を生み、市場と政府は軍事的活動のために一体化して機能した。軍事=鋳貨=奴隷制複合体の中でも、倫理と徳性、現実に関する新たな理論を探究する哲学者たちが存在したが、複合体の危機とともに、やがて人間の活動領域は、貪欲が支配する市場と、寛大さや慈愛の諸価値を説く宗教とに、観念的に分断され、それは今日まで続いている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
市場と諸価値の観念的な分断
行政機構が市場を生み、市場と政府は軍事的活動のために一体化して機能した。軍事=鋳貨=奴隷制複合体の中でも、倫理と徳性、現実に関する新たな理論を探究する哲学者たちが存在したが、複合体の危機とともに、やがて人間の活動領域は、貪欲が支配する市場と、寛大さや慈愛の諸価値を説く宗教とに、観念的に分断され、それは今日まで続いている。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
負債論 貨幣と暴力5000年 [ デヴィッド・グレーバー ]
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