2021年11月23日火曜日

物理法則が数学で記述されるというとき、次の事実を忘れてはならない。法則は、実際の宇宙の理想化された姿であり、実在だと考えてはならない。実際の宇宙には、有限の資源しか存在せず、宇宙の計算能力には、自然な宇宙的制限があることになる。(ポール・デイヴィス(1946-))

数学の限界

物理法則が数学で記述されるというとき、次の事実を忘れてはならない。法則は、実際の宇宙の理想化された姿であり、実在だと考えてはならない。実際の宇宙には、有限の資源しか存在せず、宇宙の計算能力には、自然な宇宙的制限があることになる。(ポール・デイヴィス(1946-))

「ランダウアーが問うたのは、「ニュートンの法則やその他の物理法則に体現された数学的理想化は、 本当に真に受けるべきものなのかどうか」という疑問だ。法則が、何らかの理想化された数学的形式の 抽象的領域に限られているうち は、 何の問題もない。しかし、法則が、超越的なプラトニックな領域で はなく、実際の宇宙に存在していると考えるならば、話はまったく違ってくる。実際の宇宙には、実際 の制約がある。特に、実際の宇宙には有限の資源しか存在しないはずだ。したがって、たとえば、一度 に有限の数のビットしか保有できないだろう。だとすると、原理的にさえも、宇宙の計算能力には、自 然な宇宙的制限があることになる。たいていの物理法則の正統的解釈は実数に基づいているが、その実 数は、存在しえないことになる。

 グレゴリー・チャイティンは、先人のランダウアーと同じくIBMに勤務するコンピュータ科学の概 念的基盤に関する一流の理論家だが、彼も同じ結論に到達した。彼はそれを次のように、印象的に表現 している。「実数を計算することができないなら、そのビットが何であるか示すことができないなら、 そしてそれを参照することさえできないなら、どうして実数を信じなければならないのだろう? ………0 から1までの実線は、ますますスイスチーズのように見えてくる」。ランダウアーの主張は、さまざま な物理的制約が存在する現実の宇宙のなかでは、原理的にすら、実際に実行することは不可能な数学的 操作を、物理法則を記述するために持ち出すことは正当化できないということだった。言い換えれば、

『物理的に不可能な操作に頼らざるを得ない物理法則は、不適当なものとして拒否せねばならない』

ということである。プラトン主義的な法則は、便利な近似として扱うことはできるだろうが、「リアリ ティー」ではない。 プラトン主義的な法則が持つ無限の正確さは、通常は十分無害な理想化だが、常に 無害というわけではない。ときにはわたしたちを迷わせる。そして、極初期宇宙を議論するとき以上に その傾向が著しいことはない。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.411-412,日経BP社,2008,吉田三知世)





量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))

観測過程と生命、意識

量子的な確率分布は実在そのものではなく可能な宇宙を表現し、観測過程によって初めて実在化する。生命と意識は、宇宙の生成物でありながら同時に、何らかの観測過程を経由して、宇宙の在り方に参画しているのではないだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))


「二つ目の問題―何らかの目的論的要素に関するものは、量子力学によって解決できる可能性が ある。 ホイーラーは、間違いなくそう信じていた。彼は、観測者というものを、物理的リアリティーを形作る作業の単なる観客ではなく、その参加者だと考えていた。このような考え方そのものは、何も 新しいものではない。 哲学者は、伝統的にこのような考え方にどっぷりと浸かっている。ホイーラーが 遅延選択実験によって新たに導入したのは、現在と未来の観測者が、観測者など一切存在しなかった遠 い過去も含めて過去の物理的リアリティーの性質を形作るという可能性である。この考え方は、生物と 心に、物理学のなかで一種創造的な役割を与え、生物と心を宇宙論的物語全体のなかで不可欠なものと するという点で、極めて斬新だ。 それでもなお、生物と心は宇宙が生み出したものである。したがって、 時間的であると同時に論理的なループが存在することになる。通常の科学では、「宇宙→生物→心」 という直線的な論理の流れを仮定している。 ホイーラーは、この鎖を閉じて、「宇宙→生物→心→宇宙」 というループにすることを提案した。 彼は独特の簡潔な言い回しで、この考えの本質を次のように表現 した。「物理学は観測者参加をもたらす。観測者参加は情報をもたらす。 情報は物理学をもたらす」。だ とすると、宇宙は観測者を説明し、観測者は宇宙を説明することになる。このように主張することによ  ってホイーラーは、宇宙は固定された先験的な法則に支配される機械だという認識を拒否し、それを、 彼が 「参加型宇宙」と呼ぶ、自己合成を行う世界に置き換えた。ホイーラーは、前のセクションで検討 したベニオフの自己一貫性の議論と類似した、閉じた説明のループを仮定することによって、やっかい な「亀の塔」の問題を巧みに回避したのである。生物に好適な宇宙が自らを説明するのなら、空中浮揚するスーパー・タートルは必要なくなるのだ。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.426-427,日経BP社,2008,吉田三知世)




多くの非生物系が、 何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる自己組織化現象が存在する。雪の結晶の成長のように、物理法則にのみ由来する現象である。(ポール・デイヴィス(1946-))

自己組織化現象

多くの非生物系が、 何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる自己組織化現象が存在する。雪の結晶の成長のように、物理法則にのみ由来する現象である。(ポール・デイヴィス(1946-))


「もうひとつ、進化のメカニズムとして可能性のあるものが、自己組織化である。多くの非生物系が、 はじめの何ら特徴のない姿から、複雑なパターンと組織構造を進化させる。このような非生物系の進化 はすべて、ダーウィン的進化のような個体差や選択が関与することは一切なしに、自然発生的に起こる。 たとえば、雪の結晶は特徴的な六角形をした精緻なパターンを形成する。 雪の結晶に遺伝子があるなど と主張する人はいないが、雪の結晶は知性を持った設計者によって作られたと主張する人もいない。雪 の結晶は、明確な数学の規則と物理法則に従って、自発的に自己組織化し、自己集合するのである。この自己組織化によって進む、ダーウィン的進化とは異なる進化は、物理学、化学、天文学、地球科学、 そしてワールドワイドウェブなどのネットワークにおいても見られる。これが生物学においても、あち らこちらで起こっていないとしたら驚きだという気がするが、そういうわたしの感じ方は間違っている かもしれない。もし仮にわたしが正しかったとしても、それはダーウィンの進化論が反証されたという ことではなく、ダーウィン的進化は、進化のメカニズムのほんの一部を説明するに過ぎないのだろう、 ということである。とはいえ、その、進化のメカニズムのなかで、まだ明らかになっていない、ダーウ イン的進化以外の部分に存在するのは、宇宙的な魔術師のようなものではなく、物理法則に由来する、 未知の組織化原理に適合する、自然のプロセスなのである。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第9章 インテリジェント・デザインとあまりインテリジェントでないデザイン,pp.344-345,日経BP社,2008,吉田三知世)



知られている最小のバクテリアのゲノムには、数百万ビ ットの情報が含まれている。生命の著しい複雑性を進化には、数十億年にわたる厖大な数の情報処理のステップが必要だったのだ。生命は、1%の物理と99%の歴史から成っている。(ポール・デイヴィス(1946-))

1%の物理法則と99%の歴史

知られている最小のバクテリアのゲノムには、数百万ビ ットの情報が含まれている。生命の著しい複雑性を進化には、数十億年にわたる厖大な数の情報処理のステップが必要だったのだ。生命は、1%の物理と99%の歴史から成っている。(ポール・デイヴィス(1946-))

「ある気体が、任意の状態で、閉じた容器に入れられ、その後放置されたとすると、そ の気体は、どの場所でも温度と圧力が同じで、分子の速度が、ある厳密な数学的関係 (マクスウェル= ボルツマン分布)に則って分布した、ある最終状態へと急速に近づいていく。この場合も、その最終状 態は、完全に予測可能で、再現性がある。それは、物理法則で前もって決定されているのである。この ように、塩や気体の最終状態は、物理法則に「書き込まれている」と断言するのは、まったく正しいことである。

 しかし、わたしたちが直面しているのは、生物が、そして意識までもが、物理法則に書き込まれてい るかどうか、という問題だ。生命を持たないものから生命が出現するという現象は、たとえば、結晶化と同じように、さまざまな初期条件のもとで、物理法則だけに従って起こるのだろうか? この問いに 対する答えは、断固たる「ノー」である。生物的な系は、結晶とカオス的気体という、二つの両極端の 中間に位置する。生きた細胞は、著しく組織化された複雑さを持っているという点でほかのものと明確 に区別される。細胞は、結晶の単純さも、気体の無秩序さも持ち合わせていない。それは、大量の情報 を持った、具体的で特殊な物質の状態である。知られている最小のバクテリアのゲノムには、数百万ビ ットの情報が含まれている――この情報は、物理法則のなかに暗号化されてはいない。物理法則は、極 めて少量の情報によって表現することが可能な、単純な数学的関係である。それは普遍的な法則であり、 すべてのものに適用されるので、あるひとつの種類の物理系―つまり、生きた生命体だけに当て はまる情報を含むことはありえない。生物が大量の情報を含んでいることを理解するには、生物は、物 理法則だけの産物なのではなく、物理法則と環境の歴史の両方をあわせたものの産物であることを認識 しなければならない。生物が出現し、その著しい複雑性を進化させたのは、数十億年もかかるプロセス の結果であり、また、それには厖大な数の情報処理のステップが必要だったのである。このように、ひ とつの生命体は、複雑で入り組んだ歴史の産物を含んでいる。これを一言でまとめると、わたしたちが 今日観察している形の生物は、一パーセントの物理と九九パーセントの歴史から成っていると表現でき よう。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.401-402,日経BP社,2008,吉田三知世)





3つ目は、生命の情報処理能力である。ある物理化学的状況(文脈)において、ある特定の物理化学的性質は、意味情報に変わる。これは、その系に対しては「何らかの意 味を持っている」のであり、それを読み取った系は、それに従って「行動する」ようになる。(ポール・デイヴィス(1946-))

生命の情報処理能力

3つ目は、生命の情報処理能力である。ある物理化学的状況(文脈)において、ある特定の物理化学的性質は、意味情報に変わる。これは、その系に対しては「何らかの意 味を持っている」のであり、それを読み取った系は、それに従って「行動する」ようになる。(ポール・デイヴィス(1946-))

「生物が持つ三つ目の際立った特徴は、その情報処理能力である。 すべての物理系は、 初歩的な意味で、 情報を処理していると見なすことができる。たとえば、惑星の位置を特定するには、いくつかの数字が 必要だ、惑星が太陽の周囲を動くにつれて、その位置は変化し、それを記述する数字も変化する。このように、惑星の運動という単純なプロセスは、「入力情報」( 惑星の最初の位置)を「出力 的な位置」に変換する。しかし、ゲノムや脳に含まれる情報は、このような単純なデータ を超えている。ゲノムは、あるタンパク質を作る、分子をコピーする、食物を探すなど、何かのプロジェクト を実行するための青写真、もしくは、アルゴリズム、あるいは、一組の指示である。アルゴリズムがう まく機能するには、遺伝子の指示を解釈し実行することができる物理的な系が必要である(ゲノムの場 合は、リボソームがその役割を担う場合もあろう)。これらの指示は、その系に対しては「何らかの意 味を持っている」のであり、それを読み取った系は、それに従って「行動する」。哲学者やコンピュー 夕科学者たちは、意味を持った情報を(ビットそのものに対立する概念として) 意味情報と呼んでいる。 このように、生物的な情報には、意味の次元と文脈の次元とがある。遺伝情報は、恣意的にビットが連 なっただけのものではなく、DNAの四文字からなるアルファベット 〔4種類の分子A (アデニン)、T (チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)] によって書かれた、あらかじめ定められたゴールを暗号化した、 一貫性を持つコンピュータプログラムの一種なのだ。単なる生化学的活動に対立するものとしての意識 の場合、神経による情報処理が意味情報の性質を帯びていることは明らかだ。心が、意味のある情報を 処理しているということには疑問の余地がない。心が行っているのは、おおざっぱに言って、そういう ことなのだ。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.390-391,日経BP社,2008,吉田三知世)





生命が持つ二つ目の重要な性質は、自律性である。生命も、物理的法則に従っているにもかかわらず、その運動は予測不可能である。この予測不 可能性は、カオス的もしくは無秩序なプロセスの予測不可能性とはまったく異なる。(ポール・デイヴィス(1946-))

 生命の自律性、予測不可能性

生命が持つ二つ目の重要な性質は、自律性である。生命も、物理的法則に従っているにもかかわらず、その運動は予測不可能である。この予測不 可能性は、カオス的もしくは無秩序なプロセスの予測不可能性とはまったく異なる。(ポール・デイヴィス(1946-))


「生物が持つ二つ目の重要な性質は、自律性である。生物は、文字通り、それ自体の命を持っており、 独り歩きをする。生物も、ほかのすべての物質系と同じさまざまな物理的な力の影響を受けるが、生物 はこれらの力を制御して、意図したことを行うことができる。これがどういうことかをはっきりさせる には、単純な例をひとつ挙げれば十分であろう。死んだ鳥を空中に投げても、それは単純な幾何学的経 路を辿って、予想したとおりの場所に落ちるだけだ。だが、生きた鳥を空に放てば、その鳥がどのよう な経路で飛ぶのかも、どこに降り立つのかも、予測するのは不可能だ。重要なのは、この生物の予測不 可能性は、サイコロ投げや、激流の渦の運命のように、カオス的、もしくは無秩序なプロセスの予測不 可能性とはまったく異なるという点だ。 鳥の飛行経路は、鳥が持つ遺伝的性質や神経学的な状態によっても形づくられているのである。 」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,p.390,日経BP社,2008,吉田三知世)





生命が持つ特別な性質の1つ目は、ダーウィン的進化の産物であるということである。複製される個体の存在と、複製の際の個体間のばらつきと環境内における選択による変化とを、組織化原理としている。(ポール・デイヴィス(1946-))

 ダーウィン的進化の産物

生命が持つ特別な性質の1つ目は、ダーウィン的進化の産物であるということである。複製される個体の存在と、複製の際の個体間のばらつきと環境内における選択による変化とを、組織化原理としている。(ポール・デイヴィス(1946-))

「生物を特別なものとしているのは、それを形作る物質ではなく、それが行う事柄である。生物を定義 することは、ご承知のとおりたいへん難しいが、特に目立った性質が三つある。最初のものは、生物は ダーウィン的進化の産物だということだ。実際、一部の科学者たちは、この基準だけで生物を定義して いる。 複製の際の個体間のばらつきとそのあいだでの選択に基づく進化の原則は、間違いなく基本的である。それは、宇宙のあらゆる場所に存在する生物に適用されるはずであり、地球に存在する生物とは まったく異なる生物にも当てはまるはずだ。 ダーウィン的進化は物理法則ではないが、重力の法則と同 じくらい深く重要な組織化原理である。したがって、生物は、ダーウィン的進化という宇宙の極めて基 本的な性質から生まれたものだということになる。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第10章 どうして存在するのか,pp.389-390,日経BP社,2008,吉田三知世)






宇宙における生命の誕生、人間の意識と知性の誕生、そしてその知性に宿った宇宙の理解、これらの事実は、無意味な宇宙における例外的で偶然な出来事なのだろうか。それとも、なお一層深い別の筋書きが働いているのだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))

生命、意識の誕生は偶然なのか 

宇宙における生命の誕生、人間の意識と知性の誕生、そしてその知性に宿った宇宙の理解、これらの事実は、無意味な宇宙における例外的で偶然な出来事なのだろうか。それとも、なお一層深い別の筋書きが働いているのだろうか。(ポール・デイヴィス(1946-))


 「どうしてこのようなことになったのだろうか? ある意味、宇宙は、自分自身の意識のみならず、自 分自身の理解をも作り上げたのだ。心を持たずに動き回っている原子たちが結託して、生物だけでなく、 また、心だけでもなく、理解というものを作り出したのだ。 進化する宇宙は、宇宙進化という見世物を 見ることができるだけでなく、その筋書きを明らかにすることもできる生物を生み出した。人間の脳の ように、ちっぽけで微妙で、しかも地球での生活に適合したものが、宇宙の全体と、宇宙がそれに合わ せて踊っている、数学で書かれた音のない音楽に取り組むのを可能にしているのは、いったい何なのだ ろう? わたしたちが知る限りでは、これは、宇宙のどこかで心が宇宙の暗号を垣間見た最初にして唯 一の事例だ。もしも宇宙が瞬きをするあいだに人間が完全に消滅してしまったなら、このようなことは 二度と起こらないかもしれない。宇宙はさらに一兆年にわたって存続するかもしれないが、ごく普通の ひとつの銀河が誕生してから一三七億年のちに、そのなかの平均的なひとつの恒星の周囲を回っている ひとつの小さな惑星の上で、 知性の光が一瞬輝くときを除いては、その悠久の時間を通して、完全な謎に包まれたままだろう。 

 これは単なる偶然なのだろうか? リアリティーがその最も深いレベルで、わたしたちが「人間の心」 と呼ぶ奇妙な自然現象に接触したという事実は、でたらめで無意味な宇宙のなかで一時的に生じた、 普 通にありえない例外的なことでしかないのだろうか? それとも、なお一層深い別の筋書きが働いているのだろうか。」

(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),第1章 いくつかの重大な疑問,p.24,日経BP社,2008,吉田三知世)




諸法則に従う宇宙の様々な可能性の中から、何故この特定の宇宙が存在するのか。自己説明する自己一貫性を持ったループだけが、自己創造によって存在し得るのではないのか。そして、生命と意識の存在も、この原理によって理解できるのではないか。(ポール・デイヴィス(1946-))

なぜ存在するのか

 諸法則に従う宇宙の様々な可能性の中から、何故この特定の宇宙が存在するのか。自己説明する自己一貫性を持ったループだけが、自己創造によって存在し得るのではないのか。そして、生命と意識の存在も、この原理によって理解できるのではないか。(ポール・デイヴィス(1946-))

「因果関係ループもしくは後戻り因果関係を含むモデルのなかには、宇宙が自らを作り出すようなものま である。このような説の長所は、自己完結しており、「亀の塔」の無限の列も、頭から信じる以外にな い、空中浮揚するスーパー・タートルを受け入れる必要性も、どちらも回避できるという点だ。欠点は、 どうしてこの宇宙―この自己説明し、自己創造する系であって、ほかにも存在しうるさまざまな 自己説明する宇宙ではないのかということについてはわからぬままだという点だ。もしかしたら、自己 説明する宇宙はすべて存在するのだが、わたしたちの宇宙のようなものだけが、生物の存在が可能なた めに観察される、ということなのかもしれない―つまりは、形を変えた多宇宙論である。あるいは、 こちらの方がさらに好ましいのだが、存在は、存在する可能性のあるものに、何か説明されぬ行為者 (つまり、超越的な存在生成者)によって「息吹を与えられ」ることによって、外側から与えられるも のではなくて、それ自体が自己始動する何かなのかもしれない。自らを理解することができる自己一貫 性を持ったループだけが、自らを作り出すことができるので、生命と心 (少なくとも、その可能性)を 持った宇宙だけが実際に存在するのではないかということを、わたしはすでに示した。」


(ポール・デイヴィス(1946-),『ゴルディロックスの謎』(日本語書籍名『幸運な宇宙』),あとがき,p.458,日経BP社,2008,吉田三知世)




2021年11月22日月曜日

ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集

ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集

《目次》

(1)実験方法

 (1.1)操作的な基準としての内観報告

(2)意識の発生は遅れるが内容は遅れない

 (2.1)感覚皮質への刺激で意識感覚を生じさせるには約0.5sの持続時間が必要

 (2.2)では、刺激は遅れて意識されるのか?

 (2.3)初期誘発電位と事象関連電位

 (2.4)意識は遅れない

 (2.5)刺激の位置や感覚モダリティの違いによらず同時に意識される

 (2.6)時間的な遅れなしの意識は、脳機能の創発特性か?

(3)その他の実験

 (3.1)実験(感覚皮質への刺激、皮膚への刺激)

 (3.2)実験(内側毛帯の束への刺激、皮膚への刺激)

 (3.3)遅延刺激によるマスキング効果 

 (3.4)遅延刺激による遡及性の促進効果

 (3.5)意図的な引き延ばしによる反応時間

(4)記憶と意識

 (4.1)疑問:0.5sの持続時間は短期記憶に必要なのではないか?

 (4.2)意識経験と記憶は別の現象である

 (4.3)意識感覚は瞬時に発生してはいない

 (4.4)痕跡条件付けを利用する実験

(5)意識と無意識

 (5.1)無意識な信号の検出

 (5.2)無意識な信号の検出の例

 (5.3)無意識と精神事象 

 (5.4)持続時間理論

 (5.5)意識現象の発現の仕方

 (5.6)ふるい分けされた、ごく一部の感覚入力が意識化される

(6)自由意志論




(1)実験方法
(1.1)操作的な基準としての内観報告
 気づきのない行動と、気づきのある行動が存在する。気づきのある行動は、被験者の内観報告 を基礎に判断できる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
(a)気づきのない行動
 (1)信号を検出し、観察可能な筋肉の活動とか、自律神経系の変化(たとえば心拍数、血 圧、発汗など)が起こる。
 (2)被験者は、気づくことなく、無意識に反応する。
(b)気づきのある行動
 (1)被験者は、信号に気づき、主観的な意識経験をする。
 (2)被験者は、実験者の質問を理解し、自分の個人的な経験について、内観的な経験を報告 する。

(2)意識の発生は遅れるが内容は遅れない


(2.1)感覚皮質への刺激で意識感覚を生じさせるには約0.5sの持続時間がが必要

 感覚皮質に、約0.1~0.5msのパルス電流を20~60p/s の周波数で与え、閾値レベルの微弱な意識感覚を生じさせるには、約0.5sの持続時間が必要で ある。高周波数では閾値の強度は低くなるが、約0.5sの持続時間は不変である。(ベン ジャミン・リベット(1916-2007))
(1)実験方法
(1.1)短いパルス電流(実験によってそれぞれ約0.1~0.5ミリ秒間持続する)による刺激 を、1秒あたり20パルスから60パルスの範囲で反復する。
(1.2)1秒あたりのパルス数を決めたら、電流の強さは、意識感覚を生じるような最低限の レベルまで下げる。
(2)実験結果
(2.1)閾値レベルの微弱な感覚を引き出すには、反復的な刺激パルスを約0.5秒間継続しな ければならない。
(2.2)1秒間あたり30パルス(pps)から60パルスという、より周波数の高い刺激パルスに すると、閾値の強度が低くなる。すなわち、弱い電流でも意識経験が生じる。
(2.3)しかし、60ppsで意識感覚を引き出すために必要な最小限の連発持続時間が0.5秒間 で、変わらない。すなわち、与えられた周波数ごとに決まる閾値強度を用いている限りは、 0.5秒間の連発時間という最小限の必要条件は、周波数または刺激パルスの回数には影響を受 けず、不変である。

以下、補足説明。(ただし、図は概念的なものである。)
(a)被験者の報告する意識感覚の長さも変わる。
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│←─5~0.5秒───────────→│

(b)閾値レベルの微弱な感覚を引き出すには、反復的な刺激パルスを約0.5秒間継続しなけれ ばならない。
││││││││││
┼┴┴┴┴┴┴┴┴┼
│←─0.5秒 ──→│

(c)連発した閾値の刺激を0.5秒以下に短縮すると、感覚が消失する。
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┼┴┴┴┴┴┴┴┼
│←0.5秒 より→│
短時間

(d)パルスの強度(ピーク電流)が十分に上がっていればどうにか意識的感覚を引き出すこと ができる。しかし、強度をより強くしていくと、人間の通常の日常生活ではそう簡単には出会 わないであろうレベルの末梢感覚インプットの範囲に達する。
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(e)ほんの数回、または単発のパルスでも反応が生じるほどの強度の刺激を体性感覚皮質に与 えた場合には、手または腕の筋肉のわずかな痙攣が発生し、被験者の報告に影響を与える。す なわち、感覚皮質への刺激だけから、意識的感覚が生み出されたかどうかを判断することがで きなくなる。
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(2.2)では、刺激は遅れて意識されるのか?

 感覚皮質への刺激が意識経験を生じさせるのに、約0.5sの持続時間が必要だとすれば、通常の 皮膚への刺激などによって意識感覚が生じるためには、刺激から約0.5sの遅れがあるはずであ る。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))



(2.3)初期誘発電位と事象関連電位

皮質の一連の電気変化
 ↑意識感覚を生み出すために、
 │500ms以上の間持続することが必要である。
 │全身麻酔状態にある場合、ERPは消失する。
 │皮膚パルスの強さを、意識できないレベル
 │まで下げると、ERPは突然消失する。
 │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生 する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │初期EPが無くとも,意識感覚は生み出せる。
 │初期EPがあっても,意識感覚は生み出せない。
 │
 │速い特定の投射経路を通っていく。
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

(2.4)意識は遅れない

 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、片側の感覚上行路 に損傷のある患者の例で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(1)初期EP(誘発電位)の役割
(1.1)皮膚への刺激の正確な位置を識別するために重要な役割を果たす。
(1.2)皮膚入力の主観的なタイミングを、過去のある時点に向って遡及するときに、遡及先 となるタイミング信号を提供する。
(2)確認されている事実
(2.1)脳卒中患者は、非常に大ざっぱな方法でしか、皮膚刺激の位置を示せない。例とし て、2点刺激の弁別では、刺激ポイントを何cmも離さないと識別できない。
(2.2)脳の右半球に限局した脳卒中で、特定の感覚上行路に永久的な損傷のある患者の場 合。
(a)不自由な左手の皮膚への刺激パルス
(b)健常な右手の皮膚への皮膚パルス
(a)と(b)を同時に与えた場合、(b)の次に(a)を感覚する。
(a)と(b)の意識感覚が、同時に発生したと患者が報告できるようにするには、(b)よりも 0.5秒先に(a)を与えなければならない。

意識的な皮膚感覚
↑↑
││刺激の正確な位置と、
││発生タイミングを決める
│└────────────────────┐
事象関連電位(ERP) と呼ばれる  │
皮質の一連の電気変化      │
↑意識感覚を生み出すために、   │
│500ms 以上の持続が必要である。 │
│                           │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生 する。
↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。


単発の有効な皮膚への刺激パルス


(2.5)刺激の位置や感覚モダリティの違いによらず同時に意識される

 初期誘発電位反応には、刺激の位置や感覚モダリティによって、5~40msの潜伏時間の違いが あるにもかかわらず、主観的には同時に意識される。(ベンジャミン・リベット(1916- 2007))

初期EP(誘発電位)の発生タイミング
(a)同じ体性感覚のモダリティの刺激でも、体の部位間の距離の違いによって、5~10ms (頭への刺激の場合)から、30~40ms(脚への刺激の場合)と差がある。
(b)異なる感覚モダリティ間で、同期した刺激を与えた場合、たとえば、銃の発射音と閃光 を知覚する場合。視覚は、時間がかかり初期誘発反応の遅延は、30~40msになる(網膜内の 光受容体⇒次々と神経層を通る⇒神経節細胞⇒視覚神経線維⇒視床⇒視覚皮質)。
(c)実験に当たっての注意事項1:身体の一つの部位へ非常に強い刺激が与えられた場合に は、意識化に必要な脳の活動は極めて短い持続時間になる。この脳活動時間の差は、100~ 200msに及ぶ。これは、同時には感じられない(推測)。
(d)実験に当たっての注意事項2:皮質の表面に設置した電極で記録ではなく頭皮の記録で見 られる最も速い大きな電位は、初期誘発電位反応ではなく、より遅いコンポーネントの反応で ある。このコンポーネントは、初期誘発電位反応よりも50~100ms長い潜伏期間がある。


(2.6)時間的な遅れなしの意識は、脳機能の創発特性か?


 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。もしこれが、初期EP反応だけで実現されていたとしても、「適切な脳機能 の創発特性」として十分あり得ることだ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007)) 

意識的な皮膚感覚
↑↑
││刺激の正確な位置と、
││発生タイミングを決める
│└───────────────────┐
事象関連電位(ERP) と呼ばれる │
皮質の一連の電気変化     │
↑意識感覚を生み出すために、   │
│500ms 以上の持続が必要である。│
│               │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生 する。
↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。


単発の有効な皮膚への刺激パルス

(1)意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。これは、どのようにして実現されているのだ ろうか。
(2)「タイミングと空間位置に遡及する主観的なアウェアネスへの信号を与えているのは、初 期EP反応だけであるようなのです。すると、初期EP反応にまで逆行する、この遅延した感覚経 験の遡及性を媒介し得るような、追加の神経プロセスを考えることが難しくなります。もちろ んそのようなメカニズムは実際にもまったく不可能というわけではないですが」。
(3)例えば、アントニオ・ダマシオ(1944-)が「中核自己」が発現する仕組みの中で仮定し た、「原自己」の変化と感覚された対象の状態を時系列で再表象する「2次のニューラルマッ プ」のようなものへ、初期EPからの情報が接続されていれば、このような意識の時間遡及性を 説明できるだろう。(未来のための哲学講座)
(参照: 2次のニューラルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)))
(4)「他の未知の神経活動の媒介なしで時間の規定因となるのであれば、主観的な遡及は純粋 に、脳内での対応神経基盤のない精神機能ということになります」。この場合、「精神の主観 的機能は、適切な脳機能の創発特性であるというのが私の意見です」。すなわち、今の場合、 初期EPの存在というタイミングを決めるのに必要な情報は不足していないので、一見して明白 でないと思えるような精神現象を生み出していても、それは十分あり得ることでもあり、それ が適切な脳のプロセスなのかもしれない。

(3)その他の実験


(3.1)実験(感覚皮質への刺激、皮膚への刺激)

 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。これは、感覚皮質への直接刺激による感覚と、皮膚への刺激による感覚と の比較により検証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(a)感覚皮質への、アウェアネスに必要な閾値に近い強さの連発した刺激パルス(500ms)
(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス
(a)の後、(b)が数百ms遅延したとしても、(b)(a)の順で感覚される。
(a)の後、(b)が500ms遅延したときのみ、(b)(a)は同時に感覚される。

(a)感覚皮質への、アウェアネスに必要な閾値に近い強さの連発した刺激パルス(500ms) 

意識的な皮膚感覚


事象関連電位(ERP)と呼ばれる
皮質の一連の電気変化
↑意識感覚を生み出すために、
│500ms以上の持続が必要である。

感覚皮質への連発した刺激パルス

(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス

意識的な皮膚感覚
↑↑
││刺激の正確な位置と、
││発生タイミングを決める
│└────────────────────┐
事象関連電位(ERP) と呼ばれる   │
皮質の一連の電気変化           │
↑意識感覚を生み出すために、    │
│500ms 以上の持続が必要である。│
│                           │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生 する。
↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。


単発の有効な皮膚への刺激パルス

参照: 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、片側の感覚上行路 に損傷のある患者の例で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(3.2)実験(内側毛帯の束への刺激、皮膚への刺激)

 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、内側毛帯の束へ の、連発パルス刺激の実験で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス
(c)脳内の特定の感覚上行路(内側毛帯の束)への、連発パルス
(c)の一番最初の刺激パルスと、(b)のパルスが同時に与えられると、「被験者はどちらの 感覚も同時に現われたと報告する傾向がありました」。
(c)の持続時間が、500ms以下にまで削減されると、被験者は何も感じない。

(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス
意識的な皮膚感覚
↑↑
││刺激の正確な位置と、
││発生タイミングを決める
│└───────────────────┐
事象関連電位(ERP)と呼ばれる │
皮質の一連の電気変化     │
↑意識感覚を生み出すために、   │
│500ms以上の持続が必要である。│
│                           │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生 する。
↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。


単発の有効な皮膚への刺激パルス

(c)脳内の特定の感覚上行路(内側毛帯の束)への、連発パルス
意識的な皮膚感覚
↑↑
││刺激の発生タイミングを決める
││
│└───────────────────┐
事象関連電位(ERP) と呼ばれる │
皮質の一連の電気変化     │
↑意識感覚を生み出すために、  │
│500ms 以上の持続が必要である。│
│               │
内側毛帯への連発パルスの、それぞれ個々の刺激パルスに対して、初期EP(誘発電位)が局所 的に発生する。


脳内の特定の感覚上行路(内側毛帯の束)への連発パルス


(3.3)遅延刺激によるマスキング効果

 遅延刺激によるマスキング効果:最大で100ms遅れた刺激は、先行する刺激の意識化を抑制す る。遅延刺激が皮質への直接的な刺激の場合には、200~500ms遅れた刺激でも、先行刺激の 意識化を抑制する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(a)1番目の刺激による意識的な感覚が生じるのに十分な脳の活性化が完了する前に、2番目の 刺激を与えると、2番目の刺激に妨げられて、1番目の刺激が意識されなくなる。

1番目の刺激は
意識されない


感覚皮質の活性化─妨げられる
↑                                 ↑
1番目の刺激      │
小さな微弱な          │
光の点                      │
│                    2番目の刺激
│                    1番目の刺激を囲む、
│                    より強く大きな閃光
│                          │
      最大100ms遅れ

(b)両腕の皮膚刺激による実験
1番目の刺激
一方の前腕の皮膚に、閾値の強さのテスト刺激(電気刺激)を与える。
2番目の刺激
もう一方の前腕に、条件刺激を与える。
結果:テスト刺激の閾値が上がる。
最大100ms遅れても効果がある。500ms遅れると効果はない。

(c)条件刺激を、皮質への刺激に変えた実験
1番目の刺激
皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。
2番目の刺激
電極を使って、皮質へ連発したパルスを与える。
結果
200~500ms遅れた皮質刺激でも、意識をブロックできる。
皮質刺激が、100ms以下の連発刺激や単発のパルスでは、意識をブロックできない。

(3.4)遅延刺激による遡及性の促進効果

 遅延刺激による遡及性の促進効果:遅延刺激が皮質への直接的な微弱な刺激の場合には、最大 400msの遅れた刺激でも、先行刺激を遡及して強める。すなわち遅延刺激は、条件によってマ スキング効果と促進効果の両方を持つ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

2番目の刺激S2
S1より強く感じられる


感覚皮質の活性化─促進
↑                     ↑
2番目の刺激 │
S2                      
│                    │
│           3番目の刺激
│                    │
│                    │
   50~1000ms遅れ

(a)遅延する条件刺激は皮質への刺激
1番目の刺激(テスト刺激の大きさを評価するための対照刺激)
皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。S1
2番目の刺激(テスト刺激)
1番目と同じ、皮膚へ微弱な単発のパルスを与える。S2
1番目の刺激から、5秒間の間隔を置いている。
3番目の刺激(条件刺激)
電極を使って、皮質へ連発したパルスを与える。
このパルスは、マスキングの時より、小さい刺激である。
2番目の刺激S2から、50~1000ms遅れて与える。
結果
S2の後、最大400ms以上遅れていたとしても、S1よりも S2の刺激のほうが強く感じされると被験者は報告する。


(3.5)意図的な引き延ばしによる反応時間

 信号に対する反応時間は、200~300msであ る。被験者に100ms、意図的に反応を引き延ばすよう指示すると、結果は600~800msにな る。これは、刺激を意識化するのに必要な約500msで説明可能だ。(ベンジャミン・リ ベット(1916-2007))

(a)通常の反応時間(RT)測定
(a1)被験者への指示
前もって決められた信号が現れたらできるだけ早くボタンを押すこと。
(a2)結果
採用した信号の種類によって、200~300ms
(b)意識的な引き延ばしによる反応時間(RT)測定
(b1)被験者への指示
前もって決められた信号が現れたら、100ms程度、意図的に引き延ばしてボタンを押すこ と。
(b2)結果
採用した信号の種類によって、600~800ms

(a)通常の反応時間(RT)測定では、反応のために刺激へのアウェアネスは必要ない。実際、 アウェアネスの発生前に、反応が起こるという直接的な証拠がある。

意識的感覚
↑                             反応.....................
│                              ↑           ↑
感覚皮質の活性化 │         200~300ms
↑                               │          │
├───────────┘         │
刺激.............................................

(b)意図的なプロセスによってRTを引き延ばしたい場合、被験者はまず刺激に気がつかなくて はならない。

      反応.....................
      ↑                              ↑
┌───────┘                      600~800ms
意識的感覚                                   │
↑                                                     │
│                                                    │
感覚皮質の活性化           │
↑意識感覚を生み出すために    │
│500ms以上の持続が必要         │
刺激.............................................


(4)記憶と意識


(4.1)疑問:0.5sの持続時間は短期記憶に必要なのではないか?

 疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を 生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。(ベンジャミン・リベット (1916-2007))

(a)明らかに、被験者がそのアウェアネスを想起し報告するには、ある程度の短期記憶の形成 が起こらなければならない。

記憶の想起と内観報告

意識的な皮膚感覚──この感覚の短期記憶
          があるはず

アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間

単発の有効な皮膚への刺激パルス


(4.2)意識経験と記憶は別の現象である

 意識経験を生み出す0.5秒間の脳の活性化は、海馬が媒介する顕在記憶や、非宣言的記憶や潜 在記憶と同じものではない。すなわち、意識経験と記憶とは別の現象である。(ベンジャ ミン・リベット(1916-2007))

(1)宣言記憶、顕在記憶
 意識的な想起や報告が可能で、側頭葉の海馬組織が生成を媒介している。
(2)非宣言的記憶、潜在記憶
 事象についての意識的なアウェアネスがまったくなくても形成され、想起や報告ができな い。
(3)両方の海馬構造が損傷した患者の事例
(3.1)今起こったばかりの出来事について、実際想起できるアウェアネスがまったく無い。
(3.2)しかしながら、今現在と、自身について自覚する能力を維持している。起こったばか りのことを覚えられない自分の能力の欠陥についても自覚しており、これが生活の質に深刻な 損害を与えている、と苦痛さえ訴える。また、潜在的なスキルの学習能力もある。
(3.3)顕在記憶とは関係なく意識経験が発生するとしても、意識に必要な最低0.5秒間持続 する活動についての、短期記憶がなければ意識経験は発生しないのではないか。「どのような 短命の記憶であっても、依然としてそれはアウェアネスが生じる潜在的な基盤となる」。実 際、両方の海馬を損傷した患者でも「1分程度だったら、この患者はものを覚えている」。
参照: 両方の海馬構造が損傷している患者は、顕在記憶を失っているが、意識経験があることは、自 覚ある想起の証拠を必要としない心理認知テストで確認できる。(ベンジャミン・リベッ ト(1916-2007))

(b)疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記 憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。
(c1)可能な仮説1:記憶痕跡の発生そのものが、アウェアネスの「コード」である。
(c1.1)潜在記憶の生成そのものが、意識経験を生み出しているわけではない。なぜなら、 潜在記憶は想起や報告ができないからだ。

                          これは想起できない
         ↑
意識的な皮膚感覚    │
↑                                  │
アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
↑(これが、潜在記憶そのもの?)

単発の有効な皮膚への刺激パルス

(c1.2)顕在記憶の生成そのものが、意識経験を生み出しているわけではない。なぜなら、 両方の海馬を損傷して顕在記憶を失った患者でも、意識的な経験を確かに持っているからだ。

記憶の想起と内観報告に代えて、
自覚ある想起の証拠を必要としない
心理認知テスト

意識的な皮膚感覚──この感覚の短期
          記憶があるはず

アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
↑(これが、顕在記憶そのものではあり得ない。)

単発の有効な皮膚への刺激パルス


(c2)可能な仮説2:ある事象のアウェアネスは遅延無しに発生するが、それが報告可能になる には、0.5秒間の長さの活性化が必要である。(ダニエル・デネット(1942-))


(4.3)意識感覚は瞬時に発生してはいない

 意識感覚は瞬時に生み出されるとする仮説に反する諸事実:(a)両方の海馬を損傷している患 者の意識経験 (b)遅延刺激によるマスキング効果、遡及性の促進効果 (c)2番目の遅延刺激に よる脱抑制効果(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

記憶の想起と内観報告
↑意識経験があっても、
│記憶がないと報告できない

意識的な皮膚感覚──この感覚の短期記憶
          があるはず
↑ 記憶の定着に0.5秒間が必要である

(アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間)
↑これは不要で、意識的感覚は瞬時に発生する

単発の有効な皮膚への刺激パルス

(c2.1)(仮説2に反する事実1)
 両方の海馬構造が損傷している患者は、顕在記憶を失っているが、意識 経験があることは、自覚ある想起の証拠を必要としない心理認知テストで確認できる。 (ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(c2.2)(仮説2に反する事実2)
もし、意識経験が瞬時に発生すると仮定すれば、微弱な感覚刺激に引きつづく、感覚皮質に 与えられる連発した刺激パルスが、先行した意識経験をマスキングすることが説明できない。 先行する意識経験は、既に発生済みだからだ。マスキング可能な事実は、後続の刺激パルスが 与えられたとき、必要な0.5秒間に満たずに意識経験が「生成中」であることを示す。
参照:遅延刺激によるマスキング効果:最大で100ms遅れた刺激 は、先行する刺激の意識化を抑制する。遅延刺激が皮質への直接的な刺激の場合には、200~ 500ms遅れた刺激でも、先行刺激の意識化を抑制する。(ベンジャミン・リベット (1916-2007))

(c2.3)(仮説2の反論)
遅延したマスキングは、ただ単にアウェアネスのための記憶痕跡の形成を妨害しているので はないか。
(c2.3.1)(仮説2の反論に反する事実1)
記憶痕跡を破壊するような刺激は、ショック療法で使うような強い電気ショックである が、実験で使った刺激は、これと比較すると極めて小さい。
(c2.3.2)(仮説2の反論に反する事実2)
1番目のマスキング刺激の後に、2番目のマスキング刺激を与えるとき、2番目のマスキン グ刺激が、1番目のマスキング刺激の感覚を消去するとともに、最初の皮膚刺激のアウェアネ スを復活させることができる。もし、1番目のマスキング刺激が最初の刺激の意識経験の記憶 痕跡を破壊しているのだと仮定すると、この事実が説明できない。
(c2.3.3)(仮説2の反論に反する事実3)
 遅延刺激による遡及性の促進効果:遅延刺激が皮質への直接的な微弱な刺激の場合には、最大 400msの遅れた刺激でも、先行刺激を遡及して強める。すなわち遅延刺激は、条件によってマ スキング効果と促進効果の両方を持つ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(4.4)痕跡条件付けを利用する実験

参照: 両側の海馬に損傷があると、単純遅延条件付けが可能なのに対して、痕跡条件付けは不可能に なる。痕跡条件付けには、二つの刺激の時間的関係についての気づき経験と、それについての 宣言的な記憶とが必要である。(ラリー・スクワイア(1941-))

(a)古典的条件付け(単純遅延条件付け)
これは、両側の海馬に損傷のある動物でも起こる。

      CS-US関係が学習される
       ↑                         ↑
       │                   反射反応
気づき経験─気づきの記憶  ↑
↑                    (非宣言的な           │
│                     短期記憶)             │
アウェアネスに必要な     │
0.5秒間の活動持続時間     │
↑                                                    │
│                                                   │
│                                       非条件刺激(US)
           例:まばたき反応が
           生じる空気の圧力
条件刺激(CS) 例:信号音
USの直前、または同時。

(b)痕跡条件付け
(b1)両側の海馬に損傷のある動物や、海馬の構成に損傷のある健忘症患者では、この痕跡条 件付けが得られない。すなわち、時間的に離れた二つの刺激の関係を学習するには、海馬を介 した記憶が必要である。
(b2)刺激に気づいているときに限って、痕跡条件付けが得られる。人間以外の動物に対して も、この痕跡条件付けを用いると、気づきの経験を研究することができる。


     CS-US関係が学習される
       ↑              ↑
       │          反射反応
       │             ↑
       │         非条件刺激(US)
       │
気づき経験─気づきの記憶
↑                    (この記憶には、海馬が必要)

アウェアネスに必要な
0.5秒間の活動持続時間

条件刺激(CS) 例:信号音
USの始動する約500~1000ms前には終わる


(5)意識と無意識


(5.1)無意識な信号の検出

信号の無意識の検出を示す諸事例:(a)閾値に達しない弱い刺激に対する強制的選択による反 応、(b)皮膚に与えられた振動性パルスの周波数の弁別、(c)盲視の患者の事例。(ベン ジャミン・リベット(1916-2007))

(a)意識的な感覚経験に基づく反応

意識的な感覚経験────┐
↑                                         │
│                                        │
事象関連電位(ERP)         │
↑500ms 以上の持続時間 │
│                                        │
後続する脳活動────┐│
↑  信号の無意識の検出││
│                                     ││
初期誘発電位                ││
↑14~50ms後。               ││
│                                      ↓ ↓
閾値に近い刺激           反応

(b)刺激を意識できないレベルまで下げると、ERPは突然消失する。この実験の場合、被験者 は意識経験の有無にかかわらず、強制的選択により、反応するように指示される。
結果:被験者は限りなくゼロに近い低刺激信号に対しても、「偶然のレベルよりも高い確率 で反応」する。この場合信号の無意識の検出においては、閾値レベルのようなものは事実上存 在せず、「反応の正確さは、ゼロから始まる刺激の強さと正確さとを関係づけたカーブに沿っ てなめらかに増加」する。

事象関連電位(ERP)
↑消失

後続する脳活動────┐
↑信号の無意識の検出│
│                                   │
初期誘発電位        │
↑14~50ms後。      │
│                                     ↓
閾値以下の刺激        反応

(c)信号の無意識の検出を示す他の事例。
(c1)皮膚からの感覚入力については、一本の感覚神経線維にある、単発の神経パルスを検出 するらしい。
(c2)皮膚に与えられた振動性パルスの周波数の弁別。
・個々の反復する振動性パルスの間の時間間隔が、500msよりはるかに短い。
・この刺激が、意識に登る前の段階で検出されている。
・その後、周波数の違いを弁別するアウェアネスは、後から生ずる。
(c3)盲視の患者の事例
・視覚野に損傷があるため、視野のある部分で意識を伴う視力を失った患者が、見えない 領域にある対象を想像でもよいので指し示すように指示された場合、被験者は卓越した正確さ で実行していながら、対象が見えていなかったと報告した。


(5.2)無意識な信号の検出の例

信号の無意識の検出を示す例:例えばアスリートたちの、感覚信号に対する迅速な運動反応 は、信号への気づきの前に起こる。感覚信号を、後続する刺激でマスキングした場合にも、反 応時間が同じ可能性がある。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

信号の無意識の検出を示す例
(1)感覚信号に対する迅速な運動反応は、信号の100~200ms後に起こり、信号への気づきは その後に続く。
(1.1)偉大なアスリートたちは概して、意識的な心に妨げられることなく、彼らの無意識の 心に主導権を委ねている。
(1.2)「芸術・科学・数学といったすべての創造的なプロセスにもこれがあてはまる」。
(2)反応時間を測定している最初の信号に引き続き、遅延したマスキング刺激を与えること で、最初の信号への気づきをマスキングする。この場合でも、「与えられた信号への反応時間 は同じである可能性があることが示されて」いる。



(5.3)無意識と精神事象 

精神とは、主観的な意識経験と、無意識の心理的機能の両方を含んだ、脳の全体的な特性であ るという定義が有効である。無意識機能も、意識と類似の記述によって、臨床上の経験とも整 合的な理論記述が可能となる。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(1)無意識的な「精神事象」は、存在しないという考え方。
(1.1)無意識的な機能は、特定のニューロン活動だけを伴うと考える。
(1.2)ただしニューロン活動は、別の意識的な考えや感情に影響を与えることができる。 

(2)無意識的な「精神事象」も、存在するという考え方。
(2.1)無意識のニューロン活動
 アウェアネスがない以外は、質的に意識プロセスによく似ており、精神的特性と見てもよ い機能属性を持ったニューロン活動が存在する。また、皮質活動の持続時間が最大0.5秒間ほ ど長引けば、無意識機能にアウェアネスを付加することができる。
(2.2)無意識の機能
 無意識は、意識機能と基本的なところが似通って見える方法で、心理学的な課題を処理す る。例えば、無意識ではあっても、経験を表象していると考えられる事象がある。また例え ば、認知的で想像力に富んだ意思決定的なプロセスが、意識的である機能よりも、しばしばよ り独創的に、無意識的に進行する。
(2.3)意識過程の機能の言語で記述された無意識理論の有効性
 機能的な記述をする場合にも、より単純で、生産的な記述が可能で、より想像力に富んだ 予測も可能となり、臨床上の経験とも整合性があるように見える。

(5.4)持続時間理論

 意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、活動の持続時間が 500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」による選択が関与し ているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

持続時間理論(仮説)
(1)意識を伴う感覚経験を生み出すには、その感覚事象が閾値に近い場合、適切な脳活動が最 低でも500ms持続していなければならない。
(2)この同じ脳活動の持続時間が、アウェアネスに必要な持続時間よりも短い場合でも、この 脳活動にはアウェアネスのない無意識の精神活動を生み出す働きがある。
(2.1)無意識の機能が現れるには、より少ない時間(100ms前後)でよい。
(2.2)この場合、意識的な神経反応に似た、記録可能なニューロンの反応が見られる。
(3)したがって、無意識機能の適切な脳活動の持続時間を単に長くしさえすれば、意識機能に 変わる。

意識的な感覚経験


事象関連電位(ERP)
↑500ms以上の持続時間

初期誘発電位
↑14~50ms後。

閾値に近い刺激

(4)タイム-オン(持続時間)はおそらく、無意識と意識との移行の唯一の要因というわけでは なく、むしろ一つの制御因子としてみなすことができる。以下は、仮説である。
(4.1)感覚信号が、無意識に検出される。
(4.2)他の信号ではなく、ある信号に「注意」を集中する。
(4.3)注意が、大脳皮質のある特定の領域を「点火」または活性化し、この興奮性のレベル の増加が、神経細胞反応の持続時間の延長を促し、アウェアネスに必要な活性化時間を継続さ せる。

《仮説》「注意」が選択するという仮説

意識的な感覚経験


事象関連電位(ERP)
↑↑500ms以上の持続時間
│└────────────┐
初期誘発電位         「注意」
↑14~50ms後。         ↑
│                                    │
閾値に近い刺激       能動的な自己?



(5.5)意識現象の発現の仕方

 意識作用には、意識を伴わない「精神機能」、 ニューロン活動が先行する。感覚だけではなく、意識を伴う思考や感情、情動、自発的な行為 を促す意図、創造的なアイデア、問題の解決なども、同様であろう。(ベンジャミン・リ ベット(1916-2007))
(a)体性感覚
(i)意識を伴わない感覚信号の検出、ニューロン活動が先行する。
(ii)適切なニューロン活動の持続時間が、ある程度増加することによって、感覚の意識が現 れる。
(iii) 意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、活動の持続時間が 500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」による選択が関与し ているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(b)他の感覚モダリティ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚)でも、同様である。

(c)意識を伴う思考や感情、情動、自発的な行為を促す意図でも、同様である。
(i)話し始める過程、話の内容が、話が始ま る前に既に無意識に起動され、準備されている。仮に、ある人が話す単語の一つ一つについて まず自覚してからでなければ話せないならば、一連の言葉を速やかに話すことが不可能になる だろう。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
(ii)ピアノやバイオリンなどの楽器の演奏 も、無意識のパフォーマンスの働きによるものに違いない。実際、個々の指を動かす意図を自 覚していない、と演奏者たちは報告している。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(d)創造的なアイデア、問題の解決なども、同様であろう。
(i)無意識の精神機能におけるニューロン 活動の持続時間は100ms以下である。このことは、意識されない問題解決のプロセスが極めて 迅速に、効果的に進行できることを示唆している。(ベンジャミン・リベット(1916- 2007))

(e)継続した意識の流れは、どのように生じているのか。
 内発的な意識過程には、発生時刻への主観的な遡及 を可能にする脳活動がないのに、遅延のない連続的でなめらかな流れが意識される。これは、 異なる複数の現象がオーバーラップして実現していると思われる。(ベンジャミン・リ ベット(1916-2007))

(i)意識的な感覚の、時間的に逆行する主観的な遡及
 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発 生時刻を指し示す。もしこれが、初期EP反応だけで実現されていたとしても、「適切な脳機能 の創発特性」として十分あり得ることだ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))
(ii)自発的な行為への意識を伴う意図
 自発的な行為への意識を伴う意図が、内発的に立ち現れる場合、その体験の主観的なタイ ミングは、自発的な行為を導き出す脳活動の始動後400ミリ秒間かそれ以上、事実上遅延する ことが、実験によって示されている。
(iii)内発的な意識過程には、遅延が発生すると思われるが、実際は違う
 遡及に必要な初期EP反応がない内発的な過程においては、500ミリ秒間の神経活動によっ て初めて、意識事象が始まるとしたら、一連の意識事象は継続した流れとしては現れず、非連 続的なものになると思われる。ところが、私たちの意識を伴う日常生活の中で、断続性は感じ られない。
(iv)仮説:非連続的である異なる精神現象がオーバーラップしている。
 私たちの一連の思考のスムーズな流れという主観的な感情は、異なる精神現象がオーバー ラップしているということで、説明できると思われる。内在している事象が非連続的であるに もかかわらず、全体としてなめらかで連続性のある産物を生み出している。


(5.6)ふるい分けされた、ごく一部の感覚入力が意識化される

 無数の感覚刺激が意識化されたら、無意味な騒音を抱え込みすぎることになる。意識はふる い分けの機能によって、一度にごく少数の事象や問題に集中することが可能になる。
 意識化されない無数の感覚刺激の中から、意味のある情報 をふるい分ける機能の一部として、意識化に必要な持続時間条件があり、また「注意」による 選択の仕組みが存在する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

(a)意識化されない感覚入力をふるい分けるための仕組み
(i)意識化に必要な持続時間条件
(ii)注意の機能
 おそらく注意のメカニズムが、与えられた選択された反応を、意識を引き出すために、 十分に長い時間持続させる。
参考:意識を伴わない感覚信号の検出、精神機能、ニューロン活動が存在し、 活動の持続時間が500ms以上になると意識的な機能となる。持続時間の延長には、「注意」に よる選択が関与しているらしい(仮説)。(ベンジャミン・リベット(1916-2007)) 

(b)意識化されない無数の感覚刺激
脳には、1秒間に何千回もの感覚入力が到達しているが、意識化されない。

サブリミナル知覚
 無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意識化 されるとする仮説は、意識されない刺激、知覚でも、意識的な知覚、選択、行為に影響を与え 得ることを示唆する。(サブリミナル効果、プライミング)(ベンジャミン・リベット (1916-2007))
(1)意識的でない知覚
 サブリミナル(閾下)の刺激に対して意識的な自覚が本人にない場合でも、そのサブリミ ナル刺激を無意識に知覚できる可能性がある。
(2)普通の自然な感覚における意識できな知覚
 サブリミナルとアウェアネスを生み出す閾値上の感覚刺激の強さ、持続時間などの違いが 通常小さいので、普通な自然の感覚刺激が使われる場合、立証するのはより難しくなる。
(3)実験で確認されたもの
 意識を伴うアウェアネスにまでは到達しないような刺激が提示された後で、テスト時に加 えられたさまざまな操作において、サブリミナル刺激の影響が現れる。
(a)サブリミナル効果
図や言葉を視覚的に提示した時間が1~2msのため、被験者はその内容にまったく気づか ないにもかかわらず、言語連想法のテストにおける被験者の反応の選択に影響を与えた。
(b)プライミング
閾値より下であっても上であっても、すなわち見えたという自覚がなくてもあっても、 図や言葉が先に提示されていると、その刺激または関連刺激への活性化が高まり、処理されや すくなる、あるいは選ばれやすくなる効果がある。

 無意識の精神機能が、持続時間500ms以上で意 識化されるとする仮説は、意識と無意識が脳の同一領域で生ずることを示唆する。ただし、機 能が複数の段階、複数の脳の領域と関係する場合は、事情はもっと複雑である。(ベン ジャミン・リベット(1916-2007))
 無意識の信号検出、精神機能、ニューロン活動 が存在し、持続時間が500ms以上で意識化されるとする仮説は、知覚や認知の変容現象を解明 する可能性を与える。変容には、その人独自の経験、歴史、情動が反映される。(ベン ジャミン・リベット(1916-2007))

(6)自由意志論


(a)陰極線オシロスコープ 
の点は2.56秒で円を一周する。すなわち、ひと目盛り約43msで移動する。 
(b)被験者
 (i)オシロスコープから約2.3メートル離れたところに座る。
 (ii)被験者は、自由で自発的な行為として、単純だが急激な手首の屈曲運動を、やりたいとき にいつでも行ってよいと指示されている。 
 (iii)被験者はいつ行動するかあらかじめ考えずに、むしろ行為が「ひとりでに」現れるがまま にさせるように言われている。
 (iv)被験者は、自分の動きを促す意図や願望への最初のアウェアネスを、その時点での回転す る光の点の「時計針の位置」と結び付けて覚えるように指示される。 
 (v)結び付けて覚えた時計が示す時点を、試行のあとに被験者は報告する。報告されたこの時 点を、私たちは、意識的な要求(wanting)、願望(wishing)、意志(willing)を表す 「W」と呼ぶ。


(a)被験者は、自発的な行為をせずに、一回の実験が終わるたびに(Wのときと同 様)皮膚感覚があったときに時計が示す時点を報告する。
(b)報告されたS時点は、実際に刺激が与えられた時点より約マイナス50ミリ秒 間の差がある(つまり、早い)ことが確かに示された。

→時間軸→
報告された 実際の
刺激時刻  刺激時刻
 ├─────────┤
    50ms
つまり、実際より早めに報告する傾向がある。

報告された 実際の
意志感覚  意志感覚
(W)
 ├─────────┤        準備電位
    50ms            (RP)
 ├────────────────────────┤
   200ms
        ├──────────────┤
           150ms
 

(RP) 
準備電位   自発的
 800ms                    行為
 ├──────────┤

RP:頭頂部にある領域から 負の電位が緩やかに上昇する



予定して  予定して
いる行為  いない行為
RP1                   RP2      W      S 筋電図
┼─────────┼───┼──┼
-1000                -500    -150     0
 ms                   ms       ms
W:意識を伴った意志
意識を伴った意志の前に、無意識の脳の過程が始まっている。





予定して  予定して
いる行為  いない行為
RP1                   RP2      W      S 筋電図
┼─────────┼───┼──┼
-1000                -550    -150     0
 ms                   ms       ms
RP1:予定している行為の準備電位
・あらかじめ予定していた行為は、平均して(運動行為の前から)約800~ 1000ミリ秒ほど早く始動するRP1を生み出す。
RP2:予定していない行為の準備電位
・補足運動野は、頭頂知覚の中心線に位置し、私たちが記録したRPの発信源であると 考えられてい

W:意識を伴った意志
・予定していてもいなくても、Wは同じである。この「今、動こう」とするプロセスは、行為を実行しようとする思考や事前の選択決定とは 区別しなければならない。
・意識的な意志の気づきと時計が指し示す時点を関連付けた時点は、自動的な時間軸に逆行する遡及で正しく知覚されていた。
・その関連性に気づいた時点は、お そらく最大500ミリ秒間の遅延があった。





拒否が、無意識過程の結果なのか、意識的な意志の発動なのかを、考察するための整理である。
(a)皮質への刺激では、感覚のアウェアネスは主観的に遅延する一方、皮質下の経路への刺激は、主観的に遅延しない。
(b)無意識の信号の検出は、この信号へのアウェアネスがある場合、正確な検出と一致する可能性もある。
(c)しかし、その同じ内容に気づくようになるには、皮質下経路への刺激の 持続時間はおよそ400ミリ秒増加する必要がある。
(d)内発的な、自由で自発的な活動において、行為を促す意図へのアウェアネスは、脳プロセス がプロセスを無意識に始動した後、約400ミリ秒間遅延する。
(e)意識的な意志のアウェアネスには、行為を促す意識的な衝動の内容と、意 識を伴う拒否に影響を与える要因の内容も含み、意図しあるいは拒否する一方のみ意識化されるというわけではないだろう。
(f)拒否するという決定の基となる要因は、拒否に先行する無意識プロセスによって事実上発生する可能性もある。同時に、先行する無意識プロセスがなく、直接実行されている可能性もある。









マインド・タイム 脳と意識の時間 (岩波現代文庫 学術429) [ ベンジャミン・リベット ]

拒否するという決定は、まさに意識されている故に、先行する無意識過程の結果なのか、あるいは、行為を促す衝動と拒否に影響を与える要因のせめぎ合いの中における能動的な制御なのか、これが問題である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

拒否は能動的な意志の発動なのか

拒否するという決定は、まさに意識されている故に、先行する無意識過程の結果なのか、あるいは、行為を促す衝動と拒否に影響を与える要因のせめぎ合いの中における能動的な制御なのか、これが問題である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))


拒否が、無意識過程の結果なのか、意識的な意志の発動なのかを、考察するための整理である。
(a)皮質への刺激では、感覚のアウェアネスは主観的に遅延する一方、皮質下の経路への刺激は、主観的に遅延しない。
(b)無意識の信号の検出は、この信号へのアウェアネスがある場合、正確な検出と一致する可能性もある。
(c)しかし、その同じ内容に気づくようになるには、皮質下経路への刺激の 持続時間はおよそ400ミリ秒増加する必要がある。
(d)内発的な、自由で自発的な活動において、行為を促す意図へのアウェアネスは、脳プロセス がプロセスを無意識に始動した後、約400ミリ秒間遅延する。
(e)意識的な意志のアウェアネスには、行為を促す意識的な衝動の内容と、意 識を伴う拒否に影響を与える要因の内容も含み、意図しあるいは拒否する一方のみ意識化されるというわけではないだろう。
(f)拒否するという決定の基となる要因は、拒否に先行する無意識プロセスによって事実上発生する可能性もある。同時に、先行する無意識プロセスがなく、直接実行されている可能性もある。


「明らかに、拒否するという決定を意識するということはまさに、その事象に気づいている ことを意味します。このことと私の提案とは、どのようにつじつまを合わせることができるの でしょうか? おそらく、私たちはアウェアネスの概念を再検討しなくてはならないでしょ う。とりわけ、アウェアネスとその内容とが、それらをともに発生させる皮質プロセスの中で どのように関係しているか、を。アウェアネスはそれ自身が独自の現象であり、その内容、す なわちその人が気づき始めることの中身とは区別しなければならないことを、私たちの研究は これまで示してきました。 たとえば、感覚刺激のアウェアネスは、体性感覚皮質と皮質下の経路(視床または内側毛 帯)両方への連発刺激と同じような持続時間を必要とする場合があり得ます。しかし、この二 つの場合において、これらのアウェアネスの《内容》は異なります。皮質への刺激では、感覚のアウェアネスは主観的に遅延する一方、皮質下の経路への刺激は、主観的に遅延しません。 無意識の精神プロセスの内容(たとえば、信号へのアウェアネスなしで正確に信号を検出する こと)は、その信号へのアウェアネスがある場合、その意識的な内容(正確な検出)と一致す る可能性があります。しかし、その同じ内容に気づくようになるには、皮質下経路への刺激の 持続時間はおよそ400ミリ秒増加する必要があるのです!(リベット他(1991年)参照) 内発的な、自由で自発的な活動において、行為を促す意図へのアウェアネスは、脳プロセス がプロセスを無意識に始動した後、約400ミリ秒間遅延します(前の節で扱った、「「今、動 こう」という状況の中での、事象の生起順序」参照)。ここで発生するアウェアネスは、意志 プロセス全体に適用されると考えられます。これには、行為を促す意識的な衝動の内容と、意 識を伴う拒否に影響を与える要因の内容も含みます。ある事象のアウェアネスは、全体の事象 の内容の中の一つの事項に制約される必要がありません。 拒否するという決定の基となる要因は、拒否に先行する無意識プロセスによって事実上発生す るという可能性は、排除されていません。しかし、拒否を促す意識的な決定は、先行する無意 識プロセスによる直接的な指定なしで実行される可能性があります。つまり、先行する一連の 無意識な脳プロセス全体によって与えられた運動プログラムを、人は意識的に受容または却下 できます。しかし、拒否しようとする決定のアウェアネスは、先行する無意識のプロセスを必 要とし、そのアウェアネスの内容(拒否しようとする実際の決定)は、先行する無意識プロセ スという同じ必要条件があてはまらない、特別な特質を持つのです。[訳注=ここでは著者は 「拒否する決定も意志決定である以上、他の意志決定と同様400ミリ秒先立つ無意識的プロセ スを必要とするのではないか。そうなると、論理的に無限後退してしまう」という批判に、応 えようとしている。]」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図――私 たちに自由意志はあるのか?――,岩波書店(2005),pp.172-173,下條信輔(訳))
(索引:)





マインド・タイム 脳と意識の時間 (岩波現代文庫 学術429) [ ベンジャミン・リベット ]

2021年11月21日日曜日

フランシス・ベーコン(1561-1626)を読んでみよう(哲学入門)

フランシス・ベーコン(1561-1626)を読んでみよう(哲学入門)


■■ 第一章 学問観、真理観、帰納法、未来への希望の根拠

一 知識の真の目的は、人生の福祉と有用であり、学問は愛によって支配されるべきである (B・一・一)。それは、人類の力と全世界への支配 とを、革新し伸長することで達せられる(B・一・二 )。そして、この力と支配は、原因から結果を生ぜしめる自然の法則を、学問によって、 知ることにより得られる(B・一・三)。

二 私は、いまの学問の状況を考えるに、「帰納法」という新たな発見の技術を提案する(B・一・四)。もちろん、真の哲学は、経験派の蟻のよう な流儀でもなく、合理派の蜘蛛のようなやり方でもなくて、庭や野の花から材料を吸い集め て、それを自分の力で変形し消化する蜜蜂のようなやり方なのである(B・一・五)。そして、私たちが目指している真理の究極 は、もっと抽象的で普遍的で高尚なものであろうことに、私も同意する。しかし、そこに到達 するためには、私の提案する帰納法を用いた、最も熱心な世界の分析と解剖が、まず今、求め られているのだ(B・一・六)。

三 ところで、現在の様々な問題の原因が、科学や技術により堕落させられたのだというよう な非難には、何ぴとも心動かされないよう望む。科学と技術の実行は、正しい理性と健全な宗 教とが舵をとるであろう(B・一・七)。むしろ、自 然に関する諸学だけでなく、論理学・倫理学・政治学についても、私の帰納法は適用し得るの であって、これら諸学の正しく健全な発展が、私たちを導いてくれるに違いない(B・一・八)。

四 学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつ ぎと、知恵と知識と発明のわけまえを取らせるのである。それは、他人の精神のなかに種子を まき、のちのちの時代に、はてしなく行動を引き起こし意見を生む(B・一・九)。このように素晴らしい学問であるが、私た ちの現在の学問は、未だ多くの課題を抱えている。しかし、もし、私たちの抱える課題や問題 が、事がらそのもののためにではなく、過去の時代の誤り、今まで試みられた方法の誤りによ るものであるならば、それらの誤りを除き、訂正することによって、事がらを大きく好転でき るに違いないということ、私はここに、最大を希望を見出している(B・一・一〇)。したがって、私の仕事はまず、これら の誤りを調べることから始まる。(参照:B・二・六 )

五 さらに、私の方法によれば、ほかならぬ私の提案した発見の技術も、完全なものなのでは なく、発見とともに成長しうるものなのである(B・一・ 一一)。

B・一・一【知識の真の目的は、人生の福祉と有用である。力への欲求や知識への欲求か らではなく、愛のうちで学問は成しとげられ、愛によって支配されるべきである。愛には過ぎ ることはない。】

「最後に我々はあらゆる人に全体として忠告したいと欲する。すなわち、知識の真の目的を 考えること、知識を心の楽しみのためとか、争いのためとか、他人を見くだすためとか、利益 のためとか、名声のためとか、権力のためとか、その他この種の低いことのためにではなく、 人生の福祉と有用のために求めること、それを愛のうちに成しとげ支配することである。それ というのも力への欲から天使は堕ち、知識への欲から人は堕ちたのだが、愛には過ぎることは ない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』大革新 序言、p.32、桂寿 一)
(索引:知識の目的)

B・一・二【仮に、野心というものに役割があるとすれば、人類の力と全世界への支配と を、革新し伸長することに努める野心ならば、ほかの野心に比べて、より健全でより高貴であ るとはいえる。】

「人々の野心の三つの種類、いわば程度を区別することも、不適当ではないだろう。第一 は、自分の祖国において、自己の力を伸ばそうと欲する人々のそれであって、この類の野心は 通俗的で、また変性している。第二は、祖国の勢力と支配とを、人類の間に伸長することに努 める人々のそれであって、これは前のより品格はあるが、しかし劣らず欲望に動かされてい る。ところがもしも人が、人類そのものがもつ全世界への力と支配とを、革新し伸長すること に努めるとしたならば、疑いもなくその野心こそ(かりにもそう呼んでいいとしたら)は、残 余のものに比べて、より健全でもあればより高貴でもある。しかるに人間の事物への支配は、 ただ技術と知識のうちにある。自然はこれに従うことなくしては、命令されないからであ る。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第、第一巻、一二 九、pp.195-196、桂寿一)

B・一・三【人間は、原因から結果を生ぜしめる自然の法則を知り、欲する結果の原因を 配置する。そして、あとは自然が自らのうちで成しとげる。このようにして、人間の知識と力 とはひとつに合一する。】

「人間の知識と力とはひとつに合一する、原因を知らなくては結果を生ぜしめないから。と いうのは自然とは、これに従うことによらなくては征服されないからである。そして〔知的 な〕考察において原因にあたるものは、〔実地の〕作業ではルールにあたる。」
「実地の〔作業の〕ためには、人間は自然の物体を合わせたり離したりする以外には何も為 し得ない、あとは自然が自らのうちで成しとげるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、三、 四、p.70、桂寿一)
(索引:知は力なり)

B・一・四【帰納法:感覚や実験により事物の本性に迫り、低次の命題から高次の命題 へ、飛躍することなく段階的に探求してゆき、一般的な命題に達する。そして、そこにおいて も、命題は概念的なものではなく、よく限定されたものであり、自然が事象的に自分により明 らかなものとして認め、かつ事物の核心に存するようなものなのである。】

「それゆえに我々は通俗的および推量的な技術に対する裁判権は、(この部分に我々は全く 係わらないのだから)推論式やこの種のよく知られかつ持てはやされた論証形式に任せるけれ ども、しかし事物の本性に対してはどこでも、低次の命題にも高次の命題にも帰納法を用い る。というのも「帰納法」とは次のような論証形式と考える、すなわち感覚を保ち(物の)本 性に迫り、そして実地を目指しかつほとんどそれに携わるものだからである。
したがって論証の順序もまた全く逆になる。というのは、今までは事は次のように運ばれる のを常とした、すなわち感覚および個々的なものから、直ちに最も一般的なものに向かって飛 んでゆく、いわばそれを廻って論争が転回する不動の柱に向かってのごとく。それから他のも のが中間者を通って派生せしめられる。たしかに近道ではあるが、急坂で自然には達しない道 であり、ただ論争に対しては下り坂で適当した道である。ところが我々のほうに従えば、命題 は飛躍することなく次々に引き出され、したがってやっと後になって最も一般的なものに達す る。しかしこの最も一般的なものも、概念的なものになってしまうのではなく、よく限定され たものであって、自然が事象的に自分により明らかなものとして認め、かつ事物の核心に存す るようなものなのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』著作配分、p.39、桂寿一)
「最も低い命題はむき出しの経験とあまり距ってはいないが、かの最高の最も一般的な (我々の持っている)公理なるものは、概念的であり抽象的であって、実質的なものをもたな い。しかるに、人間的な事がらや運命が懸けられているかの真実で実質的な生きた公理は、中 間的公理であり、さらにこられの上に最後に、かの最も一般的なもの、すなわち抽象的ではな く、これら中間的なものによって、正しく限定されているような公理があるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一〇 四、pp.162-163、桂寿一)
(索引:帰納法、公理、中間的公理)

B・一・五【経験派は蟻の流儀でただ集めては使用する。合理派は蜘蛛のやり方で、自ら のうちから出して網を作る。しかるに蜜蜂のやり方は中間で、庭や野の花から材料を吸い集め るが、それを自分の力で変形し消化する。】

「学を扱ってきた人々は、経験派の人か合理派の人かの何れかであった。経験派は蟻の流儀 でただ集めては使用する。合理派は蜘蛛のやり方で、自らのうちから出して網を作る。しかる に蜜蜂のやり方は中間で、庭や野の花から材料を吸い集めるが、それを自分の力で変形し消化 する。哲学の真の仕事も、これと違っているわけではない。それはすなわち精神の力だけにと か、主としてそれに基づくものでもなく、また自然誌および機械的実験から提供された材料 を、そのまま記憶のうちに貯えるのでもなく、変えられ加工されたものを、知性のうちに貯え るのである。それゆえに、これら(すなわち経験的と理性的の)能力の、密で揺らぎない結合 (未だ今までに作られていないような)から、明るい希望が持たるべきなのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、九 五、pp.154-155、桂寿一)
(索引:蜜蜂の譬え)

B・一・六【抽象的な知恵の澄んだ明るさと静けさは、実地の有用性を越えたより上品で 高尚なものであるが、知性に置かれる世界の真の雛型は、世界に見出されるままの型であっ て、最も熱心な世界の分析と解剖を通してでなければ、到達することができない。】

「また疑いもなく、次のことも考えられるであろう、諸学の目標ないし目的は、我々自らに よって掲げられるものが、(この点は我々が他人の場合に非難することだが)必ずしも真実で 最善のものではないということである。というのも真理の省察は、実地のあらゆる有用性や大 きさに比べて、より上品で高尚なものなのであるが、経験や素材や個々の事象の流れのうち に、そうして長くかついらいらして留まることは、精神をばいわば地上に縛り付け、或はむし ろ、混乱と動乱の無間地獄に投げ捨てるものであり、抽象的な知恵の澄んだ明るさと静けさと から(いわばはるかに神的な状態から)遠ざけ、他に移すことになるからという。ところでこ の意見には我々も進んで同意する。そして彼らが示唆し可とする所の当のそのことをば、我々 も主としてまた何を措いても行なうのである。何となれば、我々は世界の真の雛型を、人間の 知性のうちに立てようとするのだが、それは見出されるままの型であって、誰かに対して、彼 自身の理性が指定したような性質のものではない。ところがこのことは、最も熱心な世界の分 析と解剖とがなされずには、成し遂げられないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二 四、pp.187-188、桂寿一)

B・一・七【諸学および技術が諸悪や奢侈等へ堕落した原因であるという非難には、何ぴ とも心動かされないよう望む。その実行は、正しい理性と健全な宗教とが舵をとるであろ う。】

「最後にもし人が、諸学および技術が諸悪および奢侈等へ堕落することを、非難するとして も、これには何ぴとも心動かされないよう望む。というのは、それはこの世の一切の善なるこ とについて、知能・勇気・力・容姿・富・光そのもの、その他についても言われうることだか ら。ただ人類が、神の恵与によって、彼のものである自然への自分の権利を回復せんことを、 そして彼にその力が与えられんことを〔祈るのみ〕。実行は正しい理性と健全な宗教とが舵を とるであろう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二 九、p.197、桂寿一)

B・一・八【「帰納法」によって進行する我々の論理学は、自然哲学だけについてでな く、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。】

「また人は次のように反対する、というよりむしろ疑いもするであろ、果して我々は自然哲 学だけについて言うのか、それとも残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、我々の 方法で行なわるべきだと語っているのかと。ところでたしかに我々は、言われたことはすべて についてであると解しており、そして事物を推論式で支配する通常の論理学が、単に自然的の みならずすべての学に及ぶごとく、「帰納法」によって進行する我々の論理学も、一切を包括 するわけである。というのは我々は怒り・恐れ・恥じらいその他同様のものについて、また政 治的事例についても、〔自然〕誌および発見表を作り上げるし、また、寒熱や光や植物の生育 等について劣らず、記憶・合成および分割・判断その他の精神的働きについても同様である。 とは言え我々のいう「解明」の仕方は、誌が用意され整序された後には、(通常の論理学のよ うに)単に精神の働きおよび運びを見るだけではなく、事物の本性をも考察するのであるか ら、我々は精神をばあらゆる点で適切な仕方で、事物の本性に適用されるように指導する。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一二 七、p.191、桂寿一)
(索引:論理学、倫理学、政治学)

B・一・九【学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時 代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえを取らせるのである。それは、他人の精神の なかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動を引き起こし意見を生む。】

「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑 をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべ ての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほう が、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というの は、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、 あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がた ちくされ、とりこわされたのに。」(中略)
「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免 れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というの は、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく 行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、き わめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明が りっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられね ばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たっ た時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、服部 英次郎、多田英次)
(索引:学問の船)

B・一・一〇【希望を与える最大の理由:現在の私たちの抱える課題や問題が、事がらそ のものの為にではなく、過去の時代の誤り、今まで試みられた道の誤りによるものならば、そ れらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく好転させうるよう希望す ることができる。】

「希望を与えるのにあらゆる理由のうち最大のものがある。すなわち過去の時代の誤り、な らびに今まで試みられた道の誤りからの理由である。というのも、余り巧みでなく治められた 政治的状態について、或る人が次の言葉で表明した非難は、最も優れたものであろう。すなわ ち、「過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。という のは、もしも諸君が諸君の義務に係わる一切を遂行したが、にも拘わらず諸君の事態が好転し ないとしたら、それらをよりよい方に進めるという、いかなる希望さえ残らないであろう。し かしながら諸君の事がらの状態が、事がらそのものの為にではなく、諸君の誤りによってうま く行かないときには、それらの誤りを除き、もしくは訂正することによって、事がらを大きく 好転させうるよう希望することができる」と。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、九 四、p.153、桂寿一)
(索引:希望)

B・一・一一【発見の技術は、発見とともに成長しうるものである。】

「ところで今や、自然解明の技術そのものを提示する時である。その中で我々は最も有用で 最も真正な法式を説いたと信ずるけれども、しかしそれに絶対的必然性(あたかもそれなくし ては、何も行なわれ得ないということ)、もしくは完全無欠を認めたわけではない。」(中 略)
「精神をば単にそれ自らの能力においてだけではなく、事物との結合されている限りで考察 する我々は、発見の技術が、発見とともに成長しうるものであることを、主張せざるを得ない のである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、一三 〇、pp.197-198、桂寿一)

■■ 第二章 人間観、意志論、イドラ論


B・二【人間観、意志論、イドラ論(ベーコン)】

一 巧妙な詭弁、しつこい想像あるいは印象、激烈な情念と感情の三つのものによって、意志 は理性による支配から妨害されている。(
B・二・一 )どうすれば、意志を理性の命ずる方向にいっそうよく動かすことができるだろうか。
一・一 論理学の力をかりて巧妙な詭弁を見破り、理性を確実にする。(B・二・一)
一・二 ところが、想像はつねに意志の運動に先だつ。(B・二・二)
一・三 したがって、意志による判定も、能弁によって行われる説得や、事物の真の
すがたを彩り偽装するような、説得に似た性質の印象づけによって、主として
想像力に訴えなければ、意志を動かすことはできない。(B・二・二)
一・四 この際、感情は現在だけを見、理性は未来と時間の全体とを見るという点で
異なり、そしてそれゆえ、現在のほうがいっそう多く想像力をみたすので、
理性はふつう負かされてしまう。(B・二・一 )
一・五 そこで、雄弁と説得との力が、未来の遠いものを現在のように見えさせてし
まえば、そのときは、想像力の寝がえりで、理性が勝つのである(B・二・一)。
二 このように、どのようにして感情をたがいに対立させあい、他方によって一方を制するか についての認識は、道徳と政治に関することがらには特別に役だつ(B・二・三)。

三 ところで、理性の及ばないところにおける意志は、どのように自らを決定するのか。
三・一 感情そのものにも理性と同じように、つねに善への欲求がある。(B・二・一)
これが、解決のための手掛かりとして、私たちに与えられている。
三・二 しかるに、理性の及ばないところにおいて、信仰と宗教は、比喩と象徴と
たとえ話とまぼろしと夢によって、想像力を通じて意志に近づく。(B・二・二)
そしてそれは、小さくない権威そのものを付与されるか、そうっとそれを僭称
している(B・二・一)。
三・三 事物の本性が人間の精神に満足を与えないような場合に、想像力が、人間の霊
の要求に応じて自由に、より豊かな偉大さと、厳格な善と、完全な多様性とを表
現するところの、極度に無拘束な学問の部門がある。詩である。(B・二・四)
そして、これが第二の手掛かりである。
三・四 私は、この極度に無拘束な学問の部門の一例として、「博物誌」のあとに、
私が理想と考えるところの一つの法体系、あるいは国家の最良の様態、ないしは
型を記述してみたいと思う。これは、すべてを模倣することは到底不可能と思わ
れるほど壮大かつ高尚なものではあるが、人間の力で実現可能なものとして、
構想されるものである。(B・二・五)

四 これが全体の構想であるが、まずは予告どおり、人間の知性を捕えてしまって、そこに深 く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念から解明していこう。前もって知り自分を守 らなければ、真理への道を開くのは困難になろうから( B・二・六)。
四・一 種族のイドラ(B・二・六・一)
・種族のイドラの例(B・二・六・一・一 ~)
四・二 洞窟のイドラ(B・二・六・二)
・人物についての認識(B・二・六・二・ 一)
・意志と欲望に影響を及ぼしうるもので、われわれが自由に支配できるもの
がある(B・二・六・二・二)。
四・三 市場のイドラ(B・二・六・三)
・すべての政治論の中で、噂ほど扱われる価値のある題目はない。
(B・二・六・三・一)
四・四 劇場のイドラ(B・二・六・四)
・劇場のイドラの例(B・二・六・四・一 ~)
・古代の哲学の集録の効用(B・二・六・ 四・五)

五 役に立つ一覧表の例など
・異常な自然の歴史(B・二・七)
・問題の一覧表の効用(B・二・八)
・誤りの一覧表の効用(B・二・九)
例:学問の病気や不健康な状態を識別する(参照:B・ 三 以下)
・記憶術(B・二・一〇)
・知識の伝達法(B・二・一一)
・反乱の原因と動機、反乱の一般的予防法(参照:B・四 以下)
・ぺてんとよこしまな手管の研究(参照:B・五 以 下)

B・二・一【巧妙な詭弁、しつこい想像あるいは印象、激烈な情念と感情の三つのものに よって、意志は理性による支配から妨害されている。意志を理性の命ずる方向に動かすにあ たっては、まず、論理学の力をかりて巧妙な詭弁を見破り、理性を確実にする。ところで、感 情そのものにも、理性と同じように、つねに、善への欲求があるが、感情は現在だけを見、理 性は未来と時間の全体とを見るという点で異なり、そしてそれゆえ、現在のほうがいっそう多 く想像力をみたすので、理性はふつう負かされてしまう。そこで、雄弁と説得との力が、未来 の遠いものを現在のように見えさせてしまえば、そのときは、想像力の寝がえりで、理性が勝 つのである。】

「弁論術の任務と役目は、意志を理性の命ずる方向にいっそうよく動かすために、理性の命 令を想像力にうけいれさせることである。現に、理性はその支配を三つのものによって妨害さ れているからである。三つのものとは、論理学に関係のあるわなあるいは詭弁と、弁論術に関 係のある想像あるいは印象と、道徳哲学に関係のある情念と感情とである。そして他人との折 衝の場合、人間は巧妙な手としつこい要求と激烈さとによって左右されるように、内心におけ る折衝の場合も、人間は、まちがった推論によって根底をくずされ、印象あるいは所見にしつ こくまといつかれ、情念のために我を忘れさせられる。といっても、人間の本性はそれほどで きそこなってはいないので、あの三つの能力と技術は、理性をかき乱して、それを確立し高め ないような力をもっているわけではない。というのは、論理学の目的は、立論の形式を教えて 理性を確実にすることであって、理性をわなにかけることではなく、道徳哲学の目的も、感情 を理性に従わせることであって、理性の領域を侵させることではなく、弁論術の目的も、想像 力をみたして理性を補佐することであるからである。」
「なおまた、もしも感情それ自身が御しやすくて、理性に従順なものであったら、意志に対 する説得と巧言などを用いる必要はたいしてなく、ただの命題と証明だけで十分であろうが、 しかし、感情がたえずむほんをおこし扇動する、
「よいほうの道はわかっており、そのほうがよいと思う。
しかし、わたしはわるいほうの道をたどる」〔オウィディウス『変身譚』七の二〇〕
のをみると、もし説得の雄弁がうまくやって、想像力を感情の側からこちらの味方に引き入 れ、理性と想像力との同盟を結んで、感情と対抗しなければ、理性は捕虜と奴隷になるであろ う。というのは、感情そのものにも、理性と同じように、つねに、善への欲求があるが、感情 は現在だけを見、理性は未来と時間の全体とを見るという点で異なり、そしてそれゆえ、現在 のほうがいっそう多く想像力をみたすので、理性はふつう負かされてしまうからである。しか し、雄弁と説得との力が未来の遠いものを、現在のように見えさせてしまえば、そのときは、 想像力の寝がえりで、理性が勝つのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一八・二、一八・四、 pp.249-252、服部英次郎、多田英次)
(索引:論理学、弁論術、道徳哲学)

B・二・二【想像はつねに意志の運動に先だつ。したがって、理性による判定が意志によ り実行に移されるのも、能弁によって行われる説得や、事物の真のすがたを彩り偽装するよう な、説得に似た性質の印象づけによって、主として想像力に訴えることによる。ところで、信 仰と宗教の問題において、われわれはその想像力を理性の及ばないところに高めるのであっ て、それこそ、宗教がつねに比喩と象徴とたとえ話とまぼろしと夢によって、精神に近づこう とした理由なのである。】

「人間の精神の諸能力に関する知識には二つの種類がある。すなわち、その一つは人間の悟 性と理性に関するものであり、他の一つは人間の意志と欲望と感情に関するものである。そし てこれらの能力のうちさきの二つは、決定あるいは判定を生み、あとの三つは行動あるいは実 行を生む。なるほど、想像力は、双方の領域において、すなわち、判定を下す理性の領域にお いても、またその判定に従う情意の領域においても、代理人あるいは「使者」の役割をつとめ る。というのは、感官が想像力に映像を送ってはじめて理性が判定を下し、また理性が想像力 に映像を送ってはじめてその判定が実行に移されることができるからである。それというの も、想像はつねに意志の運動に先だつからである。ただし、この想像力というヤヌス〔二つの 顔をもつローマの神〕はちがった顔をもっていないとしてのことである。というのは、想像力 の理性に向けた顔には真が刻まれ、行為に向けた顔には善が刻まれているが、それにもかかわ らず、
「姉妹にふさわしいような」〔オウィディウス『変身譚』二の一四〕
顔なのであるから。なおまた、想像力は、ただの使者にすぎないのではなく、伝言の使命のほ かに、それ自身けっして小さくない権威そのものを付与されるか、そうっとそれを僭称してい る。というのは、アリストテレスの至言のように、「精神は身体に対して、主人が奴隷に対し てもつような支配力をもっているが、しかし理性は想像力に対して、役人が自由市民に対して もつような支配力をもっている」〔『政治学』一の三〕のであって、自由市民も順番がくると 支配者になるかもしれないからである。すなわち、われわれの知るように、信仰と宗教の問題 において、われわれはその想像力を理性の及ばないところに高めるのであって、それこそ、宗 教がつねに比喩と象徴とたとえ話とまぼろしと夢によって、精神に近づこうとした理由なので ある。それからまた、能弁によって行われるすべての説得や、事物の真のすがたを色どり偽装 するような、説得に似た性質の印象づけにおいて、理性を動かすのは、主として想像力に訴え ることによるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一二・一、pp.207-208、服 部英次郎、多田英次)
(索引:想像、意志、宗教、信仰)

B・二・三【どのようにして感情をたがいに対立させあい、他方によって一方を制するか についての認識は、道徳と政治に関することがらには特別に役だつ。想像力により感情がしず められ、あるいはもえたたされ、行動に発展するのを抑制され、あるいは抑制されていたもの が発動する。】

「詩人と歴史の著述家がこの認識の最上の教師であって、われわれは、そこにつぎのような ことがいきいきと描かれているのを見る。すなわち、どのように感情がもえたたされ、かきた てられるか、それがどのようにしずめられ、抑えられるか、そしてまた、それが行動に発展す るのをどう抑制されるか、抑えられたものがどのようにして外に出るか、それがどう活動する か、どう変化するか、それがどうつのってはげしくなるか、それらの感情がどのように重なり あうか、それらがどのようにたがいに戦い角つきあうかなどといったことが一つ一つ描かれて いる。それらのうち、最後にあげたことが、道徳と政治に関することがらには特別に役だつも のである。くりかえしていえば、それは、どのようにして感情をたがいに対立させあい、他方 によって一方を制するかということである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二二・六、pp.293-294、服 部英次郎、多田英次)

B・二・四【詩は、事物の本性が人間の精神に満足を与えないような場合に、想像力が、 人間の霊の要求に応じて自由に、より豊かな偉大さと、厳格な善と、完全な多様性とを表現す るところの、極度に無拘束な学問の部門である。これは、歴史上の行為とか事件とかを、より 偉大で、かつ英雄的なものとして仮作してきた。】

「詩は、韻律の点では大いに制約されているが、しかし他のすべての点では、極度に無拘束 な学問の部門であって、ほんとうに想像力に関係するものである。想像力は、物質の法則にし ばられることなく、好き勝手に、自然がひきはなしているものを結びつけ、自然が結びつけて いるものをひきはなし、こうして、自然の法則に反する結婚や離婚をさせるのであて、「画家 や詩人には、創作の自由がある」〔ホラティウス『詩篇』九〕といわれているとおりであ る。」
「この仮作の歴史の効用は、世界のほうが人間の魂よりもその品位がおとっているので、事 物の本性が人間の精神に満足を与えないような場合に、ある満足の影のようなものを与えるこ とであった。そうしたわけで、詩には、人間の霊の要求に応じて、事物の本性に見出されうる よりも豊かな偉大さと、厳格な善と、完全な多様性とがあるのである。こういう次第で、ほん とうの歴史上の行為とか事件とかは、人間の精神を満足させるほどの偉大さをもたないから、 詩はそれよりも偉大で、かつ英雄的な行為と事件を仮作するのである。ほんとうの歴史は、行 動の結末と成行きを、因果応報の理に応じて述べないから、それゆえに、詩は、それらがもっ と正しく応報をうけ、神の示された摂理にもっと一致するように仮作する。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、四・一、四・二、pp.146- 147、服部英次郎、多田英次)
(索引:想像力、詩、仮作された歴史)

B・二・五【フランシス・ベーコンの夢:「博物誌」のあとに、私が理想と考えるところ の一つの法体系、あるいは国家の最良の様態、ないしは型を記述してみたい。これは、すべて を模倣することは到底不可能と思われるほど壮大かつ高尚なものではあるが、人間の力で実現 可能なものとして、構想されるものである。】

「この寓話はわがベーコン卿が、人々の益となるよう、自然の解明と、数々の驚嘆すべき大 規模な装置の製造のために設立される学院―――「サロモンの家」または「六日創造学院」と呼 ばれる―――の雛型あるいは概要を示そうとされたものであります。卿はそこまでは書き終えて おられました。誠にその雛型は壮大かつ高尚、すべてを模倣することは到底不可能であります が、その中の多くは人間の力で実現可能なものであります。卿はまたこの寓話において、一つ の法体系、あるいは国家の最良の様態、ないしは型を記述する意図をお持ちでした。しかしな がらそれは長くなることを予知され、その前にぜひとも「博物誌」の編纂をしたいという願い に従われることになりました。
ご覧のように『ニュー・アトランティス』を(英語版に関する限り)、「博物誌」のあとに 置くのは、わが卿が意図されたことであります。この著述は(その一部が)「博物誌」と密接 な関連があるとお考えになっておられたのです。」
(ウィリアム・ローリー(1588頃-1667)『ニュー・アトランティス』読者に、p.6、川西進)

B・二・六【人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」およ び偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。】

「すでに人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽り の概念は、真理への道を開くのが困難なほど、人々の精神を占有するのみならず、たとい通路 が開かれ許されたとしても、それらはまたもや諸学の建て直し〔革新〕のときに出現し、妨げ をするであろう、もしも人々がそれらに対し、前もって警告されていて、できるだけ自分を守 るのでないかぎり。」
「人間の精神を占有する「イドラ」には四つの種類がある。それらに(説明の便宜のため に)次の名称を付けた、すなわち、第一の類は「種族のイドラ」、第二は「洞窟のイドラ」、 第三は「市場のイドラ」、第四は「劇場のイドラ」と呼ぶことにする。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、三 八、三九、pp.82-83、桂寿一)
(索引:イドラ)

B・二・六・一【種族のイドラ:人間の知性は、いわば事物の光線に対して平らでない 鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものである。】

「「種族のイドラ」は人間の本性そのもののうちに、そして人間の種族すなわち人類のうち に根ざしている。というのも、人間の感覚が事物の尺度であるという主張は誤っている、それ どころか反対に、感官のそれも精神のそれも一切の知覚は、人間に引き合せてのことであっ て、宇宙〔事物〕から見てのことではない。そして人間の知性は、いわば事物の光線に対して 平らでない鏡、事物の本性に自分の性質を混じて、これを歪め着色する鏡のごときものであ る。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 一、p.84、桂寿一)
(索引:種族のイドラ)

B・二・六・一・一【種族のイドラの例(一):否定的な、あるいは成果のないものに よってよりも、肯定的な、あるいは成果のあるものによって心を動かされる。】

「すべての人間の本性は、否定的な、あるいは成果のないものによってよりも、肯定的な、 あるいは成果のあるものによって心を動かされるという事例に認められる。それゆえ、一度か 二度うまく当たって成功しさえすれば、もうそれで、たびたび当たらず失敗することの埋め合 わせとなるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一四・九、p.227、服部英次 郎、多田英次)
「人間の知性は(或いは迎えられ信じられているという理由で、或いは気に入ったからとい う理由で)一旦こうと認めたことには、これを支持しこれと合致するように、他の一切のこと を引き寄せるものである。」(中略)「いや逆に、すべて正しい公理を構成するには、否定的 な事例のもつ力のほうがより大きいのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 六、p.87-88、桂寿一)

B・二・六・一・二【種族のイドラの例(二):実際にはない秩序と斉一性を想定す る。】

「人間の知性はその固有の性質から、これが見出すより以上の秩序と斉一性とを、容易に事 物のうちに想定するものである。そして自然においては、多くのものが個性的で不等であるの に、知性は実際にはありもしない並行的なもの、対応的なもの、相関的なものがあると想像す る。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 五、p.86、桂寿一)

B・二・六・一・三【種族のイドラの例(三):人間の知性は静止することができず、常 により先に何かがあるが考える。このため、世界の究極や極限とか、永遠に関すること、線が どこまでも可分的であるなどと考えるようになる。また、本来は原因を求め得ずそのまま肯定 的なものにまで、原因を求めるようになるのも、知性のこの働きによる。】

「人間の知性は絶えずいらいらして、静止もしくは休止することができず、常に先へ進もう とするが、しかし無駄働きなのである。それゆえに〔知性にとっては〕世界の究極もしくは極 限なるものは思惟され得ず、常により先に何かがあるということが、いわば必然的に生ずる。 さらにまた永遠がどのような仕方で、今日まで流れてきたかということも思惟され得ない。」 (中略)「線がどこまでも可分的であるという細かしい理屈も同様であって、思惟の〔止まる ことの〕不能からくる。ところが精神のこの不能は、原因を見出してゆく場合に、より大きな 災いを伴って障害を与える。というのは、自然における最も普遍的なものは、それらが見出さ れるごとく、また実際原因を求め得ないように、本来〔そのままの〕肯定的なものであるべき なのに、人間の知性は止まることを知らずして、なお〔自然に関して〕よりもとのものを求め る。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 八、pp.89-90、桂寿一)

B・二・六・一・四【種族のイドラの例(四):自然は人間の行動と技術に似たはたらき をすると考える。】

「どれほど多くのつくりごとと空想をば、自然は人間の行動と技術に似たはたらきをすると の考えが、人間は万物の「共通の尺度」〔プロタゴラス〕との考えといっしょになって、自然 哲学に導き入れられたかは、指摘されるまでは、信ぜられないほどである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一四・九、p.228、服部英次 郎、多田英次)

B・二・六・二【洞窟のイドラ:各個人は、受けた教育、談話した人々、読んだ書物、尊 敬し嘆賞する人々の権威などに応じて、多様で全く不安定な、いわば偶然的で特殊な性質を、 それぞれ持っている。】

「「洞窟のイドラ」とは人間個人のイドラである。というのも、各人は(一般的な人間本性 の誤りのほかに)洞窟、すなわち自然の光を遮り損う或る個人的なあなを持っているから。す なわち、或は各人に固有の特殊な性質により、或は教育および他人との談話により、或は書物 を読むことおよび各人が尊敬し嘆賞する人々の権威により、或はまた、偏見的先入的な心に生 ずるか、不偏不動の心に生ずるかに応じての、印象の差異により、或はその他の仕方によって であるが。したがってたしかに人間の精神とは、(個々の人の素質の差に応じて)多様でそし て全く不安定な、いわば偶然的なものなのである。それゆえにヘラクレイトスが、人々は知識 をば〔彼らの〕より小さな世界のうちに求めて、より大きな共通の世界の中に求めない、と 言ったのは正しい。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 二、pp.84-85、桂寿一)
(索引:洞窟のイドラ)

B・二・六・二・一【人物についての認識:性質、欲望と目的、習慣、生活様式、長所と 強み、弱点と短所、無防備なところ、友人と一味徒党と子分たち、反対者とそねむ者と競争 者、機嫌と潮時、主義、しきたり、習性、行動、その行動が好意をもたれ、反対されている か、どれほど重要であるかなど。】

「その性質、その欲望と目的、その習慣と生活様式、その助けとなっている長所とその強み のおもなもの、それからまた、その弱点と短所、そのもっともあけっぱなしで無防備なとこ ろ、その友人と一味徒党と子分たち、それからまた、その反対者とそねむ者と競争者、「あな ただけがかれにそっと近づく潮時を知っている」〔『アイネイス』四の四二三〕といわれる、 その機嫌と潮時、その主義としきたりと習性など、しかも人物についてだけでなく行動につい ても、どういうことがときおり行なわれているか、その行動がどのようになされ、好意をもた れ、反対されているか、どれほど重要であるかなど、一つ一つの点について正しい情報をつか むことである。というのは、相手の現在の行動について知ることは、それ自身たいせつである ばかりでなく、それを知らなければ、人物についての認識もひどくまちがったものとなるから である。それというのも、人間は行動とともに変わるものであって、あることを追求している ときと、本性にもどったときとでは人がらが変わることもあるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二三・一四、p.323、服部英 次郎、多田英次)

B・二・六・二・二【意志と欲望に影響を及ぼしうるもので、われわれが自由に支配でき るものがある。それらにより、人間に可能な限度で、精神の健康を回復し良好な状態を保持す るための処方が可能となる。それは、習慣、鍛錬、習性、教育、模範、模倣、競争、交わり、 友人、賞賛、非難、勧告、名声、おきて、書物、学問である。】

「さて、次の論題は、われわれがそれを自由に支配することができ、しかもそれは意志と欲 望に影響を及ぼして性格をかえるような力と作用を精神に対してもつものについてであるが、 それらのもののうち、哲学者たちは、習慣、鍛錬、習性、教育、模範、模倣、競争、交わり、 友人、賞賛、非難、勧告、名声、おきて、書物、学問をとり扱うべきであった。というのは、 これらは道徳論においてはっきりした効用のあるものであり、これらによって精神は影響と感 化をうけるのであり、また、これらから、精神の健康と良好な状態を、人間の手でなおしうる かぎり、回復しあるいは保持するのに役だつような処方が調剤され書かれるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二二・七、pp.294-295、服 部英次郎、多田英次)

B・二・六・三【市場のイドラ:人間を社会的に結合する会話、生活の中で獲得されてき た言葉は、驚くべき仕方で知性の妨げをし、人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去 る。】

「またいわば人類相互の交わりおよび社会生活から生ずる「イドラ」もあり、これを我々は 人間の交渉および交際のゆえに、「市場のイドラ」と称する。人間は会話によって社会的に結 合されるが、言葉は庶民の理解することから〔事物に〕付けられる。したがって言葉の悪しく かつ不適当な定めかたは、驚くべき仕方で知性の妨げをする。学者たちが、或る場合に自分を 防ぎかつ衛るのを常とするとき使う定義や説明も、決して事態を回復はしない。言葉はたしか に知性に無理を加えすべてを混乱させる、そして人々を空虚で数知れぬ論争や虚構へと連れ去 るのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 三、p.85、桂寿一)
(索引:市場のイドラ)

B・二・六・三・一【すべての政治論の中で、噂ほど扱われる価値のある題目はない。】

「すべての政治論の中で、この噂の題目ほど扱われることが少なく、しかもこれほど扱われ る価値のある題目はない。それゆえ、われわれは次の点について述べよう。すなわち何が偽り の噂であるか、何が真実の噂であるか、どうすればそれらが最もよく見分けられるか、どのよ うに噂は種を蒔かれて立てられるか、どのように広がって大きくなるか、どうすれば食い止め られて消されるか、そのほか噂の本性に関するいろいろなことである。
噂には非常に大きな力があり、それが大きな役割を演じていない偉大な行為はほとんどない ほどである。とくに戦争においてそうである。」(中略)
「それゆえ、すべての賢明な支配者は行為や計画そのものについてと同様に、噂についても 十分に警戒し注意するがよい。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』五九、pp.251-252、渡辺義雄)
(索引:噂の研究)

B・二・六・四【劇場のイドラ:哲学説が受け入れられ見出された数だけ、架空的で舞台 的な世界を作り出すお芝居が、生み出され演ぜられた。】

「最後に、哲学のさまざまな教説ならびに論証の誤った諸規則からも、人間の心に入り込ん だ「イドラ」があり、これを我々は「劇場のイドラ」と名付ける。なぜならば、哲学説が受け 入れられ見出された数だけ、架空的で舞台的な世界を作り出すお芝居が、生み出され演ぜられ たと我々は考えるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、四 四、pp.85-86、桂寿一)
(索引:劇場のイドラ)

B・二・六・四・一【劇場のイドラ:「偽りの哲学」の三つの種類、詭弁的哲学、経験的 哲学、迷信的哲学】

「哲学者のうち合理派は、経験からさまざまなありふれたことを、しかも充分に確かめるこ とも、慎重に吟味し考量することもなく撮み上げ、あとは省察と知能の動くままに委ねるから である。
また哲学する人々には他の種類の人もあって、少数の実験に熱心かつ細心に魂を傾け、そし てそこから哲学を引き出し作り出そうとあえてした、驚いたことには、残余のことは無理に歪 めてそれらに合わせながら。
さらにまた第三の、信仰や礼拝から神学および伝承を、〔哲学に〕混入する人々の種類もあ る。これらの人々の間では、或る人たちの虚想は常軌を外れて、諸学をば霊や守護神に求めか つそこから導き出そうとした。かくして誤謬の根元および「偽りの哲学」は、種類として三つ あることになる、すなわち「詭弁的、経験的および迷信的」である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六 二、p.102、桂寿一)
(索引:偽りの哲学、詭弁的哲学、経験的哲学、迷信的哲学)

B・二・六・四・二【劇場のイドラ(一)詭弁的哲学:まず自分勝手に一般的命題を決定 した後に、人に答えるときにどのような言葉でどう述べるかを考えて、哲学を構成する。】

「その他無数のことを、自分の意のままに事物の本性に押しつけた。しかも事物の内的な真 理についてよりも、むしろ人が答えるときどのようにして述べるか、また或ることをどのよう に積極的に言葉に表わすかということに、いつもやきもきしながらである。」(中略)
「というのは彼はまずもって決定しておいたので、決定や一般命題を構成するために、当然 すべきように経験に相談したのではなかった。そうではなくて自分の勝手に決定した後に、経 験をば思いのままに歪め、虜囚のようにして引き廻すのだから。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六 三、pp.103-104、桂寿一)
(索引:詭弁的哲学)

B・二・六・四・三【劇場のイドラ(二)経験的哲学:数少ない実験の結果を一般化し、 性急で軽率にも、普遍的な原理へいっきに跳躍し、自分の哲学を作り上げる。】

「ところが哲学の「経験派」は、「詭弁的」もしくは合理的な派よりも、畸形的かつ奇怪な 教説を導き出す。なぜならば、それは通俗的な概念の光(この光は薄くかつ皮相的ではあって も、或る意味で普遍的で多くのものに及んでいる)のうちにではなく、数少ない実験の狭さと 暗さのうちに、基礎をもっているからである。」(中略)
「今の時代では、おそらくはギルバートの哲学以外には、他にどこにもほとんど見出されな いであろう。だがしかしこの種の哲学の関しては、決して用心が怠られてはならなかった。と いうのは、我々が心ひそかに予見し予告するところでは、人々がいつかは我々の忠告に目覚 め、(詭弁的教説に別れを告げて)真剣に実験に立ち向かうとき、その時になって、知性の早 まった性急な軽率と、普遍的なものおよび事物の原理への、跳躍もしくは飛躍とのために、こ の種の哲学から、大きな危険が迫ってくるようなことが起こるだろうし、この害悪にも今から 備えておかねばならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六 四、pp.104-105、桂寿一)
(索引:経験的哲学)

B・二・六・四・四【劇場のイドラ(三)迷信的哲学:とくに高踏的かつ飛翔的な知能の うちには、知性の野心ともいえるものがあり、空想的で大げさで、いわば詩的な哲学を作り上 げる。】

「哲学の戦闘的かつ「詭弁的」な種類も、知性をとりこにするが、かのもう一つの空想的で 大げさで、いわば詩的な種類は、いっそう多く知性にへつらうからである。人間には、意志の 野心に劣らぬ知性の野心というものが、とくに高踏的かつ飛翔的な、知能のうちにはあるもの なのである。」(中略)
「誤謬の「神格化」は最悪のことであり、もしも虚影に崇拝が加わるなら、知性の疫病と見 なさなければならないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、六 五、pp.105-106、桂寿一)
(索引:迷信的哲学)

B・二・六・四・五【古代の哲学の集録の効用:哲学はすべての学問の母であり、私たち 人類が幼少だった頃の諸哲学のなかから、いままで残っていて光明となりうるものを集録する ことは、ほんとうの母を見分けるために必要なことである。】

「経験もまた、幼少の状態にあるときは、あらゆる哲学を母と呼ぶものであるが、成熟すれ ば、ほんとうの母を見分けるのである。そういうわけで、さしあたっては、各人は自然のある 点を他の仲間よりもはっきりとみたかもしれないので、自然についての多くの異なった説明と 意見を知ることは有益であり、それゆえに、「古代哲学の集録」が、それらの哲学のうちいま まで残っていて光明となりうるもののなかから、念入りにわかりやすく、つくられることを、 わたくしは希望する。そのような労作が欠けていることを知っているからである。しかし、こ のさいわたくしは、そのような集録は、個々別々に分け、各人の哲学を終始、個別にとり扱っ て、プルタルコスによってなされたように、標題によって一括してまとめる〔『倫理論集』に おさめられている諸篇でしたように〕ことのないよう、あらかじめ注意を促さなければならな い。というのは、ある哲学に輝きと信用を与えるものは、その哲学自体における調和であり、 これに反して、それがつまみ出され、ばらばらにされるなら、その哲学は、奇異で、耳ざわり なものとなるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、八・五、pp.182-183、服部 英次郎、多田英次)
(索引:古代の哲学の集録)

B・二・六・四・五・一【無題】

先哲らの哲学に輝きを与えているその哲学自体における調和を壊さずして、なおかつ、未来 へ継承すべき真なるものを、誰にも簡単に読めるように提示すること。この際、ベーコンが注 意するように、先哲の思想をばらばらにしてしまうことを免れ、のみならずむしろ、他の先哲 の思想とともに記述することによって、彼でなければなし得なかった最も重要な成果物を、浮 き彫りにすること。これが、当命題集の試みるところである。

B・二・七【異常な自然の歴史:自然のなかの驚異的な現象を発見、収集し研究すること は、一般的命題や学説の偏見を是正する効用があり、人工の驚異を実演する術を見つける一番 の近道である。なおまた、魔術や妖術や夢や占いなどに関する迷信的な話の研究も、自然の秘 密を明らかにするためには、まったく除外せねばならぬとは考えない。】

「アリストテレスがありがたくも先例をつくってくれたこの仕事の効用は、驚異の物語のす るように、せんさく好きでむなしい精神の欲望を満足させることではけっしてなく、つぎの二 つのいずれも重要な理由によるのである。その第一は、ありふれた熟知の例のみにもとづいて うちたてられるのがつねである、一般的命題や学説の偏見を是正するからであり、その第二 は、自然の驚異から出発するのが人工の驚異を実演する術を見つける一番の近道であるからで ある。それというのも、さまよえる自然のあとをつけ、いわば、かぎつけることによってこ そ、自然をのちにまたもとの場所に連れもどすことができるからである。なおまた、わたくし は、この驚異の歴史において、魔術や妖術や夢や占いなどに関する迷信的な話を、事実である ことの保証やはっきりとした証拠がある場合、まったく除外せねばならぬとは考えない。とい うのは、超自然力のせいにされている結果が、どのような場合に、どの程度まで自然的原因に 関係があるのかがまだわかっていないからである。こういう次第で、魔術など行なうことはと がめられるべきではあろうが、しかしそれらのものを観察し考察することによって知識が得ら れて、まちがいを識別できるだけでなく、自然の秘密をなおいっそうあきらかにすることがで きるかもしれないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一・四、pp.128-129、服部 英次郎、多田英次)
(索引:異常な自然の歴史、魔術、妖術、夢、占い)

B・二・八【問題の一覧表の効用:誤りが誤りを生ずることを防止し、またふつう不用意 にも考えもしないようなことを明確にし、よく考えるように促してくれることである。】

「質問を登録することには、二つのすぐれた効用があって、その一つは、そのことが哲学を 誤りと偽りから救うという効用であるが、それというのは、明瞭に証明されていないものがと りまとめられて、一つの主張となると、そこから誤りが誤りを生ずるというようなことはなく なり、疑問は疑問として保留されるからである。もう一つの効用は、疑問を登録することはま るで吸管か海綿かのように、知識の増加をすいつけるのであって、それというのは、まず疑問 にされることがないならよく考えてもみないし不用意にみのがしてしまうようなものでも、疑 問によって暗示されひかれると、よく気をつけて考えるようになるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、八・五、p.180、服部英次 郎、多田英次)
(索引:問題の一覧表)

B・二・九【誤りの一覧表の効用:人間の知識がそのような不純で空虚なものによって弱 められたり卑しくされたりしないためである。】

「もう一つの、それにおとらず、あるいはそれよりも重要な一覧表をつけ加えるのがよいと 思う。それは、一般にひろまっている誤りの一覧表である。わたくしのいうのは、主として自 然誌においてのことであるが、たとえば、ことばとして、また意見として通用してはいるが、 それにもかかわらず、うそであるとはっきり看破され確認されているような誤りの一覧表で あって、それをつけ加えるのは、人間の知識がそのような不純で空虚なものによって弱められ たり卑しくされたりしないためである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、八・五、p.181、服部英次 郎、多田英次)
(索引:誤りの一覧表)

B・二・一〇【記憶術:想起しようと思うものをあてどなくさがす労を省き、狭い範囲内 を探すようにしてくれる「予知」と、知的な想念を感覚的な映像に変換し記憶しやすいように する「象徴」との二つの意図から、記憶術を引き出すこと。】

「この記憶の術は、二つの意図に基づいてうちたてられるものにほかならない。その一つ は、予知であり、もう一つは象徴である。予知〔われわれが想起しようと思うものをどこにさ がし求めたらよいかをあらかじめ知ること〕は、想起しようと思うものをあてどなくさがす労 を省き、狭い範囲内に、すなわち記憶のありかにぴったりあっているものをさがすことを教え てくれる。つぎに、象徴は知的な想念を、感覚的な映像にかえてしまうのであるが、このほう がいっそう記憶に残るのである。予知と象徴の準則からは、いま行われているよりもずっとす ぐれた記憶術を引き出すことができるであろう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一五・三、p.233、服部英次 郎、多田英次)
(索引:記憶術、予知、象徴)

B・二・一一【知識の伝達法:教え込んで利用させる方法と、証明してみせて前進させる 方法とがある。植物と同じように、移植して成長させようと思うなら、根のない木の美しい幹 の運搬のような方法ではなく、自分が得た知識にどうして到達したかを理解させるような方法 で、根をしっかりと育てることが大切だ。】

「なおまた、伝達の方法あるいは本性は、知識の使用にとってたいせつであるだけでなく、 知識の進歩にとってもたいせつである。というのは、ひとりの人間の労力と生涯では知識の完 全に到達することができないがゆえに、伝達の知恵こそ、学ぶものを鼓舞して、学びとったこ とを踏み石に利用しつつ、さらに発見へと前進できるようにしてくれるものだからである。そ してそれゆえに、〔伝達の〕方法に関するもっとも本質的な差異は、〔伝達された知識を〕利 用させる方法と、前進させる方法との差異である。そのうち前者を教え込む方法、後者を証明 してみせる方法と名づけてよいだろう。」
「しかし、紡ぎつづけるべき糸として伝えられる知識は、できるものなら、それが発見され たと同じ方法で伝え知らされるべきであり、こういうことは帰納された知識なら可能である。 ところが、こんにちのような予断と推量の知識においては、だれも自分が得た知識にどうして 到達したかを知らないのである。しかしそれにもかかわらず、「多かれ、少なかれ」、ひとは 自分の知識と信念の基礎にまでたちかえり降りていって、それが自分の精神のなかで成長した とおりに、他人の精神のなかに移植することができるものなのである。というのは、知識も植 物の場合と同じだからである。すなわち、利用しようと思うなら、根は問題でないが、しかし 移植して成長させようと思うなら、さし木によりも根にたよるほうが確実なのである。同じよ うに、知識の伝達も(現在行われているところでは)根のない木の美しい幹の運搬のようなも のであって、大工にはそれでもよいが、植木師にはむかない。しかし、諸学を成長させようと する場合には、根を掘りおこすのによく注意すれば、木の茎や幹はたいして問題ではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、一七・二、一七・三、 pp.240-241、服部英次郎、多田英次)
(索引:知識の伝達法)

■■ 第三章 学問の病気や不健康な状態を識別する


B・三【学問の病気や不健康な状態を識別する(ベーコン)】

一 学問の三種の病気(
B・三・一)
・てらった学問(B・三・一・一)
・論争的な学問(B・三・一・二)
・空想的な学問(B・三・一・三)
二 学問の不健康な状態(B・三・二)
・保守的過ぎ、急進的過ぎ(B・三・二・一)
・もはや新たな発見などないとの考え(B・三・二・ 二)
・最新の学説や学派がつねに最善との考え(B・三・ 二・三)
・早まった、無理な体系化(B・三・二・四)
・普遍的認識あるいは「第一哲学」の必要性(B・ 三・二・五)
・人間の精神と知性に対する過度の尊敬(B・三・ 二・六)
・特定の学問、学説の不用意な一般化(B・三・二・ 七)
・疑うことがもどかしく、断定を急ぎすぎる(B・ 三・二・八)
・親方流の、有無を言わせぬやり方での教育(B・ 三・二・九)
・解釈や注解をつけることのみに熱心(B・三・二・ 一〇)
・学問の目的の誤り(B・三・二・一一)

B・三・一【学問の三種の病気:空想的な学問、論争的な学問、てらった学問】

「さてつぎに、わたくしは、学者の研究そのものに生じた、誤りとむなしさをとりあげるの であるが、そうすることはいま論じていることの主たる、本来の題目である。そのさい、わた くしは、それらの誤りを弁護しようとするのではなく、誤りを非難し識別することによって、 正しい確実なものを弁護し、それを誤っているもののうける悪評から救おうと思うのであ る。」
「経験からいっても、道理からいっても、学問にはつぎの三種の病気(とよんでもよいも の)があることになる。第一は空想的な学問〔虚偽と軽信による〕、第二は論争的な学問〔区 別だてによる〕、最後はてらった学問〔軽薄による〕である。あるいはむなしい想像とむなし い論争とむなしい気どりといってもよいのであるが、わたくしはこの最後のものから論じはじ めることにしよう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・一、四・二、pp.47-48、 服部英次郎、多田英次)
(索引:学問の三種の病気)

B・三・一・一【学問の三種の病気(一)てらった学問:ことがらよりもことばを追いま わす病気である。本来なら、ことがらの重要さ、主題の価値、論証の堅実さ、創意のはつらつ さ、判断の深さなどを求めるべきである。】

「人びとはことがらよりもことばを追いまわしはじめ、字句の適切、文の申し分なく洗練さ れた構成、文節の心地よいリズム、ことばのあやと比喩で作品に変化と輝きを与えることなど を求めて、ことがらの重要さ、主題の価値、論証の堅実さ、創意のはつらつさ、判断の深さな どを求めなくなった。」
「それゆえ、こうして人びとがことばを研究してことがらを研究しない場合に、学問の第一 の病気がおこるのであって、わたくしはその後代の一例をあげたが、しかしこの病気は、多か れ少なかれすべての時代にあったし、またあるであろう。そしてこのことは、普通の能力の人 びとに対してさえ、学問の信用をおとす作用をしないことがどうしてあるだろうか。かれら は、学者たちの著作が勅許状や絵本の頭文字のようなもので、大いに飾りたてられているけれ ども、ただの文字にすぎないことを知るのであるから。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・二、四・三、pp.50-51、 服部英次郎、多田英次)
(索引:てらった学問)

B・三・一・二【学問の三種の病気(二)論争的な学問:新規でめずらしい用語で独断的 な主張をし、論争を引き起こすだけの病気である。本来なら、学問の各部門は、たがいに支持 しあうように調和が取れているものなので、小さなたぐいの反対論は、実は簡単に論破される ようなものなのである。】

「つぎにみられる第二の病気は、第一のものよりも悪性である。」(中略)
「聖パウロの非難は、当時当たっていただけでなく、後代に対しても予言的であり、ただ神 学に関係があるだけでなく、もっと広くすべての知識にも当てはまるのである。―――「俗悪な 新奇の語といつわりの知識による反対論とをさけなさい」〔『テモテへの第一の手紙』六の二 〇〕。というのは、聖パウロは、疑わしいいつわりの知識の目印として二つのものを指摘して いるが、その一つは、用語の新規とめずらしさであり、もう一つは、独断的な主張であって、 それは必然的に反対論をひきおこし、したがって問題や論争をおこすからである。」(中略)
「すなわち、どの命題あるいは主張にもそれぞれ反対論をつくり、そしてそれらの反対論に 解答をつくるのであるが、しかしそれらの解答はたいてい論破ではなく区別だてとなる。とこ ろが、じつは、すべての学問の強さは、例の老人のまき束の強さと同じように、その結束にあ る〔アィソポス『寓話』五二〕。というのは、その各部門がたがいに支持しあうように、学問 の調和がとれていてこそ、すべての小さなたぐいの反対論をほんとうに簡単に論破し、おさえ ることができるのであり、またそうでなければならないからである。ところが、それと反対 に、まき束の割木のように、一般的命題を一つ一つとり出すなら、それに異議を唱え、それを 意のままに曲げたり、折ったりすることができるであろう。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・五、pp.52-54、服部英次 郎、多田英次)
(索引:論争的な学問)

B・三・一・三【学問の三種の病気(三)空想的な学問:せんさく好きな人の、たわいの ないおしゃべりとかうわさ話や、ずるさからだまそうとする意見とかを、やすやすと信じてし まう病気である。また、技術そのものへの過度の信頼や、その創始者たちへ寄せられる過度の 信頼が、学問を空想的なものにしてしまう。特に、諸学における創始者たちに与えられた過度 の信用は、その学問を低いところに停止させておくおもな原因である。】

「第三のまやかしまたは不真実に関係のある、学問の欠陥または病気についていえば、それ は、認識のだいじな本性をこわすものとして、もっともひどい病気なのである。」(中略)
「この欠陥は二種類に分かれるのであるが、その一つはだます喜びであり、他の一つはだま されやすいことである。すなわち、まやかしと軽信であり、両者はちがった性質のようにみ え、一方はずるさから、他方は単純さから生ずるようにみえるけれども、しかしたしかなとこ ろ、両者はたいていの場合、同時におこるのである。」(中略)
「すなわち、せんさく好きな人は、たわいのないおしゃべりといわれているように、同じよ うなわけで、軽信的な人は、だますひとである。うわさの場合にみられるように、やすやすと うわさを信ずるひとは、またやすやすとうわさを大きくし、かれ自身少し尾ひれをつける。」 (中略)
「つぎに、技術と学説にやすやすと信用が与えられることについていえば、これにもまた二 つの種類がある。すなわち、その一つは、過度の信頼が技術そのものによせられる場合であ り、もう一つはどの技術においても、ある創始者たちによせられる場合である。」(中略)
「つぎに、諸学における創始者たちを、そのことばには文句なしに服すべき独裁者にしてし まい、助言を与える顧問にはしないような、かれらに与えられた過度の信用についていえば、 それは、諸学を成長させあるいは発達させずに、低いところに停止させておくおもな原因なの で、諸学がそれからうける損害ははかりきれないほどである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・八~四・一二、pp.56- 60、服部英次郎、多田英次)
(索引:空想的な学問)

B・三・二【学問の不健康な状態】

「これで、学問の三種の病気をしらべたが、なおそのほかに、はっきりした病気というより はむしろ不健康な状態とでもいうべきものがある。それでも、それらは、どれほどかくれてい て目立たないものであっても、人びとの目にとまって、悪口をいわれるものであるから、見過 ごしてはいけないのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・一二、p.61、服部英次 郎、多田英次)
(索引:学問の不健康な状態)

B・三・二・一【学問の不健康な状態(一):保守的な人は変革を憎み、急進的な人は古 いものを抹殺するのは、あやまちである。尊敬に値する古いものの上に立ち、最善の道を見き わめて、どんどん進んでゆくべきである。】

「それらのうち第一のものは、二つの極端に対する極度の愛好である。すなわち、一方は古 いものの偏重であり、もう一方は新しいものの偏愛である。」(中略)
「すなわち、古いものを好む保守的なひとは、新しいものがつけ加わる変革を憎み、新しい ものを好む急進的なひとは、ただつけ加えるだけでは満足できず、古いものを抹殺せずにおか ないのである。」(中略)
「すなわち、古いものは尊敬に値するものであって、人びとはその上に立って、最善の道が どれであるかを見きわめるべきではあるが、しかし、見きわめたという確信がついたら、それ からはどんどん進んでゆくべきである。それに、じつをいうと、「時代の古いということは、 世界の若かったことである」〔出典不詳〕。世界が年をとっている現代こそが古い時代なので あって、われわれ自身から「逆算して」古いと考える時代が古い時代であるのではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・一、pp.61-62、服部英次 郎、多田英次)

B・三・二・二【学問の不健康な状態(二):どんなものがいまさら新たに発見されるで あろうかという疑念を抱くことは、あやまちである。大昔から気づかれずに見おとされている ものが、いくらでもあるのだ。】

「古いものの偏重によってひきおこされる、もう一つのあやまちは、大昔から気づかれずに 見おとされてきたもので、どんなものがいまさら新たに発見されるであろうかという疑念であ る。」(中略)
「われわれは、それとは反対に、ふつうそこに、人びとの判断のうわついた無節操をみるの である。すなわち、あるものごとがなされるまでは、はたしてなされるだろうかといぶかって いるが、なされるとたちまち、こんどは、どうしてもっと早くなされなかったかといぶかるの である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・二、p.62、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・二・一【今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も 理解もされ得ないことだと、思うことは僭越かつ傲慢である。】

「ところが遙かに大きな障害が、小心と、人々の努力が自らに課する仕事の貧しさと乏しさ とによって、諸学に持ち込まれてきた。しかも(最も悪いことには)そうした小心は、僭越と 傲慢を伴わずには現われないものなのである。」(中略)
「つまり彼らはその技術が、完全なものと見なされることにのみ心を労し、すなわちこの上 なく空しく、かつ見込みのない栄光のために骨を折りつつ、今まで発見も理解もされなかった ことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと、信じさせようと腐心しているの である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、八 八、pp.142-143、桂寿一)

B・三・二・三【学問の不健康な状態(三):最新の学説や学派が、つねに最善のもので あると考えてしまうのは、あやまちである。時は川や流れに似た性質をもっているようで、重 い、なかみのつまった価値のある学説が、時の流れのなかで沈められ、忘れ去られている場合 もある。】

「もう一つのあやまちも、前のものといくらか似たところがあるが、それは、これまでの学 説や学派のうち、かず多くの異なった学説が提唱され検討されたのち、最善のものがいつも 勝って、残りのものをおさえたのであるから、新しい探求の努力を始めようとすれば、以前に 承認されず、承認されないことによって忘れられてしまったものに出くわすだけだろうと考え るあやまちである。」(中略)
「こうした考えのまちがっているわけをいうと、時は川や流れに似た性質をもっているよう で、それは、軽い、空気のつまったものは運んできてくれるが、重い、なかみのつまったもの は沈めてしまうというのが真相なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・三、p.63、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・三・一【無題】

時の流れのなかに沈み込み、忘れ去られそうになっている先哲の思想のうち、未来へ継承す べきものを発掘し、誰にも簡単に読めるように提示すること。これが、当命題集の試みるとこ ろである。

B・三・二・四【学問の不健康な状態(四):まだその時期でもないのに、無理やり、知 識をでき上がった学問や体系式の書にまとめてしまうのは、あやまちである。】

「さきに述べたすべてのものとはちがった性質の、もう一つのあやまちは、まだその時期で もないのに、無理やり、知識をでき上がった学問や体系式の書にまとめてしまうことである が、そうされると、諸学は、もう少ししか、あるいは少しも進歩しないものである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・四、p.64、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・五【学問の不健康な状態(五):いろいろ専門に分かれた技術と学問の中だ けにとどまれば、技術と学問の進歩を止め、阻まずにはおかない。事物の普遍的認識あるいは 「第一哲学」が必要である。】

「いまあげたものからおこるもう一つのあやまちは、個々の技術と学問がいろいろ専門に分 かれたのち、人びとは、事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」を顧みなくなったことである が、これはすべての進歩をとどめはばまずにはおかない。というのは、平地や水平面に立って いては、残るくまなき発見を行うことはできないが、それと同じように、同一の学問の水平面 に立っているばかりで、高級の学問にまで上がってゆかないならば、どのような学問にせよ、 その深遠なところをきわめることが不可能であるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・五、p.64、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・五・一【然り。】

哲学とは、人間の知り得るすべての事物の、完全な知識の探究を意味する。
(ルネ・デカルト(1596-1650) 参照:
D・一・二 )

B・三・二・六【学問の不健康な状態(六):人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一 種の崇拝が、あやまちに陥らせることがある。神のみわざをしるしている書物である自然を、 一字一字を拾いながら、少しずつ判じとるように観察し考察しなければ、真理には到達できな い。】

「もう一つのあやまちは、人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝からおこった ものであるが、このあやまちゆえに、人びとは、自然の考察と経験の観察をすっかりやめてし まって、勝手なりくつをこね、根も葉もないことを考えて、混乱してしまったのである。これ らの自分勝手な思いにふける人びとは、そうはいうものの、ふつう、もっとも崇高で、神のよ うな哲学者と考えられているが、ヘラクレイトスはかれらに正当な非難をあびせて、「人びと は、真理をかれら自身の小さな世界に求めて、大きい共通の世界に求めなかった」〔セクス トゥス・エンピリクス『教師連の論駁』七の一三三〕といっている。すなわち、人びとは一字 一字をひろいながら、少しずつ、神のみわざをしるしている書物〔自然〕を判じとることをさ げすみ、それとは反対に、たえず瞑想し精神をゆり動かして、かれら自身の霊をせきたて、い わばよび出して、それに予言をさせ、信託を告げさせるのであるが、そのためにかれらがまど わされるのも当然なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・六、pp.64-65、服部英次 郎、多田英次)

B・三・二・七【学問の不健康な状態(七):彼らが最も感心した考え方や、最もよく研 究した学問の色で、彼の考えと学説を染まらせ、他の一切のものにも、まったく真実でない、 本来とは違う色をつけてしまうのは、あやまちである。】

「これといくらか関係のあるもう一つのあやまちは、人びとがいつもきまって、かれらの瞑 想したあげくの考えと学説を、かれらがもっとも感心した考え方やもっともよく研究した学問 の色に染まらせ、他のいっさいのものにも、その学問の色を、まったく真実でない、本来とは 違う色をつけたというあやまちである。こうして、その哲学にプラトンは神学を、アリストテ レスは論理学を、新プラトン派のプロクロスらは数学をまぜあわせた。というのは、これらの 学問は、かれらにとって、それぞれ長子であるかのようにかわいがっていた学問であったから である。こうして、錬金術師は熔鉱炉の二、三の実験から哲学をつくりあげ、わが国人ギルベ ルトゥスは磁石の観察から哲学をつくりあげた。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・七、p.65、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・八【学問の不健康な状態(八):疑うことがもどかしく、断定をいそぐあま りに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことは、あやまちである。疑いからはじめ ることに甘んじれば、確信に終わるであろう。】

「もう一つのあやまちは、疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟す るまで判断をさしひかえないことである。というのは、観想の二つの道は、古人がよく口にし た行動の二つの道にまったく似ているのであって、一つの道は、はじめ平らでなめらかである が、終わりには通れなくなり、もう一方は、はじめはでこぼこして骨がおれるが、やがて平ら なよい道になるのと同様に、観想の場合も、確信からはじめれば、疑いに終わるだろうが、疑 いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろうからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・八、p.66、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・八・一【然り。】

すべての諸学の基礎、その真理性を疑い得ないようなもの。
(ルネ・デカルト(1596-1650) 参照:
D・二 以 下)

B・三・二・九【学問の不健康な状態(九):親方流の、うむをいわせぬやり方での知識 の伝達と伝授の仕方は、あやまちである。】

「もう一つのあやまちは、知識の伝達と伝授の仕方にあるが、それは、たいてい、親方流 の、うむをいわせぬやり方であって、率直で誠実なやり方ではなく、いち早く信じられはする が、なかなか容易には吟味されない仕方である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・九、p.66、服部英次郎、 多田英次)

B・三・二・一〇【学問の不健康な状態(一〇):ただ一筋に忠実に研究を進めるのでは なく、深遠な解釈や注解をつける者、他の学者のはげしい擁護者や熱烈な弁護者、きちょうめ んな摘要やぬきがきをつくる者になろうとするのは、あやまちである。】

「なおそのほかに、人びとがもくろみ、そこに努力を傾ける目標にあやまちがある。という のは、どのような学問の専門家でも、ただ一筋に忠実に研究を進める人びとは、そのたずさ わっている学問をいくらかでも増進しようともくろむべきであるのに、いわば二等賞を得よう と思う方向にその努力をそらし、たとえば、深遠な解釈や注解をつける者になろう、はげしい 擁護者や熱烈な弁護者になろう、きちょうめんな摘要やぬきがきをつくる者になろうとし、こ うして、知識の世襲財産は、ときとして利用されるようにはなるが、増殖されるようになるこ とはめったとないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・一〇、pp.67、服部英次 郎、多田英次)

B・三・二・一〇・一【無題】

当命題集の試みは、まさに「ぬきがき」であろう。しかし、その目指すところは、真の哲学 の再構築である。

B・三・二・一一【学問の不健康な状態(一一):自然な好奇心と探求の欲求、心を楽し ませてくれる喜び、装飾と名声、戦いに勝つための知恵、お金儲けや生活の手段、これらだけ が学問の目的と考えることは、あやまちである。知識の最後の、あるいは終極の目的は、創造 主を賛美し人間のみじめさを救うための人類の利益なのである。】

「しかし、他のどれよりも大きなあやまちは、知識の最後の、あるいは終極の目的を見誤り あるいははきちがえることである。というのは、人びとが学問と知識を求めるようになるの は、ときとして、自然な好奇心と探求の欲求からであり、ときとして、さまざまな喜びで心を 楽しませるためであり、ときとして、装飾と名声のためであり、またときとして、知恵で勝っ て相手をやっつけることができるためであるが、しかしたいていは、かねもうけと生活の資の ためであって、神から授かった理性を、人類の利益になり、役にたつよう、誠実に、りっぱに 使うためであることはまれであって、人びとはまるで、知識のなかに、探し求めておちつかな い精神を休ませるための臥床を求めているようでもあり、さまよい歩く移り気な精神が美しい 景色を見ながらあちこちと歩くためのテラスを求めているようでもあり、高慢な精神がそのう えにのぼるための高い塔を求めているようでもあり、戦い争うためのとりでや展望のきく陣地 を求めているようでもあり、利得や販売のための店を求めているようでもあるが、創造主を賛 美し人間のみじめさを救うために、豊かな倉庫が求められているようではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・一一、pp.67-68、服部英 次郎、多田英次)
(索引:学問の目的(ベーコン))

■■ 第四章 反乱の原因と動機、反乱の一般的予防法


B・四【反乱の原因と動機:宗教における革新、重税、法律や慣例の変更、特権の廃止、 一般的圧政、くだらない人物の抜擢、他国人、食糧不足、除隊兵士、派閥争い、国民を怒らせ 団結させる共通の目的。】

「反乱の原因と動機は、宗教における革新、重税、法律や慣例の変更、特権の廃止、一般的 圧政、くだらない人物の抜擢、他国人、食糧不足、除隊兵士、どうにもならなぬ派閥争い、そ のほか国民を怒らせて共通の目的のために集合団結させるすべてである。
対策について言えば、一般的予防法がいくつかあるかもしれない。それについて述べること にしよう。適切な治療について言えば、それは個々の病弊に応えなければならない。したがっ て、それは規則よりむしろ思慮に委ねなければならない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.73、渡辺義雄)

B・四・一【反乱の一般的予防法(一):反乱の材料となる原因、つまるところ国内の欠 乏と貧困の原因を、あらゆる手段を尽くして取り除くこと。】

「第一の対策もしくは予防法は、前述した反乱の材料となる原因をあらゆる手段を尽くして 取り除くことである。それは国内の欠乏と貧困である。」
「何よりもまず、国家の財宝と金銭が少数の手に集まらないように、適切な政策が取られな ければならない。さもなければ、国家に大きな蓄えがあっても、飢えることがありうるからで ある。また金銭は肥料のようなものであって、ばら蒔かなければ役には立たない。そうするに は真っ先に、暴利をむさぼる高利貸し、独占、大牧場などを抑制すること、少なくともきびし く取り締まることである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.74、渡辺義雄)

B・四・二【反乱の一般的予防法(二):一般大衆と上層階級の両方が、不満を抱くよう な状況を作らないこと。】

「これらの一つが不満である時、危険は大きくない。一般大衆は上層階級によって扇動され ない限り、動きがにぶいし、また上層階級は群衆がみずから動き出そうとしない限り、微力だ からである。上層階級が下層階級の間に騒動が持ち上がるのをひたすら待ち望み、いよいよと なったら態度を表明しかねない時が危険である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.75、渡辺義雄)

B・四・三【反乱の一般的予防法(三):適度の自由を与えること。】

「苦痛や不満を解消させるために適度の自由を与えることは、(そのために度はずれの尊大 とか横柄とかにならない限り)安全な方法である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.75、渡辺義雄)

B・四・四【反乱の一般的予防法(四):時宜をはかって巧みに希望を抱かせつづけるこ と。】

「時宜をはかって巧みに希望を抱かせつづけ、人々を希望から希望へ進ませることは、不満 という毒に対する最上の解毒剤の一つである。人々の心を満足によって引きつけられなくて も、希望によって引きつけられるとしたら、またどんな害悪もはけ口の希望が少しもないほ ど、避けられぬものではないと思わせるように、事態を処理できるとしたら、それは賢明な統 治と行政の確かなしるしである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、pp.75-76、渡辺義雄)

B・四・五【反乱の一般的予防法(五):相手側の団結の中心になれる有望な人物が現わ れないようにすること。このような人物は、こちら側に引き入れてしまうか、同派の他の誰か に対抗させ名声を二分する。そして、相手方の党派や同盟は、分裂させ、分断し、反目させ、 互に信用しないようにさせること。】

「不満を抱く人々が頼りにし、彼らの団結の中心になれる有望な、あるいは適当な頭首がい ないように用心し予防することも、衆知の、しかしすぐれた注意事項である。私の言う適当な 頭首とは、傑出して名声もあり、不満を抱く一派に信頼があり、彼らの注目の的となり、当人 自身にも不満があると思われる人のことである。この種の人物は国家の側に、しっかりした間 違いのない仕方で引き入れて、これと妥協するか、さもなければこれに対抗させるために、同 派の他の誰かと対決させて、その名声を二分しなければならない。一般に、国家に敵対するす べての党派や同盟を分裂させたり分断したりして、彼らを互に反目させ、少なくとも信用しな いようにすることは、一考の余地がある対策である。国家の行政を支持する人々が、仲たがい や派閥争いに明け暮れ、反対する連中が仲よく団結しているならば、それは絶望的な状況だか らである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.76、渡辺義雄)

B・四・六【反乱の一般的予防法(六):秘密の意図から発射されてしまう、短い言葉に 注意すること。】

「私は王侯の口からふと洩れた才気走った辛辣な言葉が、反乱を燃え立たせたことに気づい ている。」(中略)「確かに、微妙な事件や不安定な時代に対処するには、王侯は自分の言う ことに気をつける必要がある。とくに短い言葉に気をつけなければならない。それは矢のよう に飛び出し、彼らの秘密の意図から発射されたと思われる。くだくだしい談話は、かえって退 屈なものであって、それほど注意されないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.77、渡辺義雄)

B・四・七【反乱の一般的予防法(七):反乱は、初期のうちに鎮圧すること。】

「最後に、王侯は万一に備え、反乱を初期のうちに鎮圧するために、武勇に秀でた誰か傑出 した人物を、一人またはそれ以上、必ずそば近くにおくがよい。そうしないと、騒動が突発し た初期に、宮廷内に相応以上に、動揺が起こるにきまっているからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.77、渡辺義雄)

■■ 第五章 ぺてんとよこしまな手管の研究


B・五【ぺてんとよこしまな手管の研究:悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、 ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。道徳を軽蔑するよこしまな人たち を改悛させるためにも、徳は、けっして無防備になることのないよう、悪の知識の助けを借 り、かれら自身の腐った考えの本当のところを、事実として知ることが必要なのである。】

「パシリスクス〔ひとをにらんで殺すという伝説のヘビ〕について伝えられる寓話では、こ れがあなたをさきに見つければあなたはそのために死ぬが、あなたがそれをさきに見つければ それは死ぬといわれているように、ぺてんとよこしまな手管についても同様だからである。す なわち、それらは、見破られたら生命を失うが、先手をとれば相手の生命を危くする。それゆ えに、われわれはマキアヴェルリやその他の、人間はどんなことをするかをしるして、どんな ことをすべきかはしるさなかった人びとに負うところが大きいのである。というのは、ヘビの 性情を残らず正確に知っていなければ、その卑劣さとはらばい、そのうねり歩きとすべっこ さ、その嫉妬と毒牙など、すなわち、悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢 さとハトの素直さ〔『マタイによる福音書』一〇の一六〕を兼ねそなえることはできないから である。それというのも、この心得がなければ、徳はあけっぱなしで、無防備になるからであ る。それどころか、正直なひとも、悪の知識の助けなくしては、よこしまな人たちを改悛させ るのに役だつことができないからである。というのは、精神の腐敗した人たちは、正直は品性 の単純さから生まれ、説教者や学校教師や人びとのうわべだけのことばを信ずることから生ま れるのだときめてかかっているからである。それゆえ、かれら自身の腐った考えのぎりぎり いっぱいのところをも知っているのだということをかれらに認めさせることができなければ、 かれらはいっさいの道徳を軽蔑するのである。―――「愚かな者は、かれが心に考えていること を告げられなければ、知恵のことばをうけいれない」〔『箴言』一八の二〕。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二一・九、pp.282-283、服 部英次郎、多田英次)
(索引:ぺてんとよこしまな手管の研究、ヘビの賢さ、ハトの素直さ)

B・五・〇・一【狡猾の一覧表】

「われわれは狡猾を陰険なもしくは邪悪な知恵と考える。そして確かに、狡猾な人間と賢明 な人間との間には大きな違いがある。誠実の点ばかりでなく、能力の点においてもそうであ る。」(中略)「こうした狡猾の小間物やつまらぬ特徴は、無数にある。それらの一覧表を作 ることは、やりがいのあることであろう。狡猾な人間が賢明な人間として通用することほど、 国家に害をなすものはないからである。」
以下すべての引用は、
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』二二、pp.103-109、渡辺義雄)

B・五・一【狡猾(一):相手を用心深く見る。】

「狡猾の一つの特徴は、対談する相手を用心深く見ることである。」

B・五・二【狡猾(二):別の話しで喜ばせ、油断に乗じて提案する。】

「もう一つの特徴は、何かすぐにも片づけたいことがあったら、交渉の相手を何か別の話を して喜ばせ、面白がせることである。相手が油断なくかまえていて異議を唱えたりしないため である。」

B・五・三【狡猾(三):相手が考えるゆとりがない時に、不意打ちで提案する。】

「同じような不意打ちは、相手が急いでいて提案されたことをとくと考えるゆとりがない時 に案件を持ち出すことによってなされるだろう。」

B・五・四【狡猾(四):成功を願っているふりをして、失敗する要素を提案する。】

「誰かほかの人が手際よく提案して効果を収めそうな議題を阻止したければ、自分もその成 功を願っているふりをして、それを失敗させるようなやり方で提案するとよい。」

B・五・五【狡猾(五):言い出したことを途中で打ち切り、知りたいという欲望を掻き 立てる。】

「言い出したことを、思いとどまったかのように、途中で打ち切ることは、かえって話し相 手にもっと知りたい欲望を掻き立てる。」

B・五・六【狡猾(六):いつもと違う様子や顔つきを見せて、相手に尋ねさせる。】

「どんなことでも、こちらから申し出るより、相手に訊き出されてしまったように思われる 時のほうが、うまくいくのであるから、いつもと違う様子や顔つきを見せて、訊きやすいよう にするのもよい。相手にいつもと違っているのはどうしたわけかと尋ねさせるためである。」

B・五・七【狡猾(七):ほかの誰かに口火を切ってもらい、もっと発言力のある人が、 その人の質問に答えるようなかたちで、言いたかったことを提案する。】

「話しにくく、相手に喜ばれそうにもない事柄にあっては、言うことが余り重んぜられてい ない誰かに口火を切ってもらい、その後でもっと発言力のある人がたまたま口に出し、前の人 の言ったことで問い質されるようにするのは、よいことである。」

B・五・八【狡猾(八):「世間の噂では」とか「こんな話が広がっている」とか。】

「自分も関係していると見られたくない事柄にあっては、「世間の噂では」とか「こんな話 が広がっている」とか述べるように、世間の名を借りるのも、狡猾の特徴である。」

B・五・九【狡猾(九):最も重要なことを、付けたりであるかのように追伸で書く。】

「私が知っている人は、手紙を書く時、最も重要なことを、あたかもそれが付けたりである かのように、追伸で述べたものである。」

B・五・一〇【狡猾(一〇):最も話したいことを、ほとんど忘れていたことのように話 す。】

「私の知っているもう一人は、話をする段になると、最も話したいことをとばして先へ進 み、また後戻りして、そのことについて、ほとんど忘れていたことでもあるかのように、話し たものである。」

B・五・一一【狡猾(一一):偶然を装って、相手に見せたい行動を、相手に見せる。】

「説得したい相手が不意にやってきそうだと思っていた時なのに、驚いた顔をし、手に手紙 をもっていたり、いつもしない何かをしていたりするところを見られるようにする。自分から 言い出したいことについて尋ねられたいためである。」

B・五・一二【狡猾(一二):相手に使わせようとする言葉を、ふと漏らしておき、相手 が使ったら、それにつけこむ。】

「他の人が覚えて使ってもらいたいと思う言葉を、独言のようにふと漏らし、そうなった ら、それにつけこむのも、狡猾の特徴である。」

B・五・一三【狡猾(一三):自分が他の人に言ったことを、まるで他の人が自分に言っ たことのように、他の人のせいにする。】

「われわれイギリスで「フライパンの中で猫を引っくり返す」と言っている狡猾もある。こ れは自分が他の人に言ったことを、まるで他の人が自分に言ったことのように、他の人のせい にする場合である。実際のところ、二人の間でそんなことが起こる時、それが二人のどちらか ら最初に持ち出され、どちらから始まったかを明らかにするのは、容易ではない。」

B・五・一四【狡猾(一四):「私はこういうことはしない」。】

「「私はこういうことはしない」と言うように、否定して自分を正当化しながら、他の人を あてこすって間接に非難する人もいるが、それも一つの方法である。」

B・五・一五【狡猾(一五):むきつけに言わず、噂話や物語を使って間接的に言う。】

「噂話や物語をいくつでもすらすらと話せるので、何かあてこすりたいことがあっても、む きつけに言わず、噂話でくるむことができる人もある。これはむきつけに言うより、話す人自 身を保護することに、また他の人々に面白がって吹聴させるのに役だつ。」

B・五・一六【狡猾(一六):もらいたいと思う返事を、あらかじめ自分の言葉や提案で まとめておく。】

「もらいたいと思う返事を〔あらかじめ〕自分の言葉や提案でまとめておくのも、狡猾のう まい点である。そうしておけば、相手は返事をすることに、それほどこだわらなくてすむから である。」

B・五・一七【狡猾(一七):自分の言いたいことは隠して、多くの別のことを持ち出し まわり道し、忍耐強く長い間待つ。】

「ある人々が何か自分の言いたいことをしゃべるのに、どんなに長い間待っているか、どん なに遠廻りするか、肝腎の話をするまでに、どんなに多くの別のことを持ち出すか、不思議な 気がする。しれは大いに忍耐を要することであるが、しかし非常に有効である。」

B・五・一八【狡猾(一八):不意の、無遠慮な、思いがけない問い。】

「不意の、無遠慮な、思いがけない問いは、しばしば人を驚かせ、本心を打ち明けさせ る。」





「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑 をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべ ての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑 のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかで

ある。 というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千 五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と 都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿 は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのであ る。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精 神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむ からである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域 をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考え られたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。 学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎ と、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部 英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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