2018年1月22日月曜日

あらゆる学問は人間的知恵にほかならず、対象の相違によって諸々の学問に細分化して研究すべきだと思い込んだのは誤りである。(ルネ・デカルト(1596-1650))

真の哲学とは?

【あらゆる学問は人間的知恵にほかならず、対象の相違によって諸々の学問に細分化して研究すべきだと思い込んだのは誤りである。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 あらゆる学問は人間的知恵にほかならず、このものはいかに異なった事象に向けられても、常に同一であることを失わない。諸々の学問を対象の相違によって互いに区別し、一つ一つ別々に、他のすべてと切り離して研究すべきだと思い込んだのは誤りである。精神を何らかの限界に閉じ込める必要はないのであり、事実、一つの真理の認識は、他の真理の発見を妨げることがなく、むしろかえって助けるのだからである。
 「人々は、もっぱら精神のもつ認識によって成り立つ学問(scientiae)と、身体の或る種の活動や素質を必要とする技術(artes)とを混同し、さらに、すべての技術が同時に同一人によっては学ばれえず、ただ一つの技術のみを練習する者の方が容易に優秀な技術家となること―――なぜなら同じ手が田畑の耕作と琴の弾奏とに、或いは同様な多くの異なる仕事に、習熟することは、それらの一つに習熟するほどたやすくはできぬから―――を見て、学問も同じであると信じた。そして諸々の学問を対象の相違によって互いに区別し、一つ一つ別々に、他のすべてと切り離して、研究すべきだと思い込んだのである。これは明らかにかれらの誤りである。何となれば、あらゆる学問は人間的知恵(humana sapientia)にほかならず、このものはいかに異なった事象に向けられても常に同一であることを失わず、またそれら事象から差別を受けとらぬことあたかも太陽がその照らす事物の多様から何の差別も受けとらぬのと同じである以上、精神を何らかの限界に閉じ込める必要はないのであり、事実、一つの真理の認識は、一技術の練習が他の技術の獲得を妨げるように、他の真理の発見を妨げることがなく、むしろかえって助けるのだからである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一、pp.9-10、[野田又夫・1974])
(索引:人間的知恵、学問の細分化)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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