2018年4月3日火曜日

他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:喜び、うらやみ、笑いと嘲り、憐れみ(ルネ・デカルト(1596-1650))

羨み、嘲り、憐れみ

【他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況による〈善〉と〈悪〉の感受:喜び、うらやみ、笑いと嘲り、憐れみ(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 他の人たちの現在の状況や未来に生じる状況が「喜び」や「うらやみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性に適するであろう何かが存在する。それが本性に適するものであるとき、それは〈善〉である。この〈善〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「喜び」または「うらやみ」を感じる。
 また、「笑いと嘲り」や「憐れみ」を感じさせるとき、そこには私たちの本性を害するであろう何かが存在する。それが本性を害するものであるとき、それは〈悪〉である。この〈悪〉が、その人たちにふさわしいか、ふさわしくないかに応じて、「笑いと嘲り」または「憐れみ」を感じる。
 「その善悪が他の人たちに属するものとして示されると、わたしたちは、その人たちが善悪にふさわしいと思うか、ふさわしくないと思うか、である。ふさわしいとする場合、わたしたちのうちに引き起こされる情念は、喜びにほかならない。ものごとが起こるべくして起こるのを見るのが、わたしたちにとって何らかの善であるからだ。ただ、善から生じる喜びはまじめであるが、悪から生じる喜びは、笑いと嘲りをともなうという違いがある。だが、その人たちがふさわしくないとわたしたちが思う場合、善はうらやみを引き起こし、悪は憐れみを引き起こす。いずれも悲しみの一種である。なお注目すべきは、現在の善ないし悪に関係するこれらの情念が、しばしば未来の善悪にも関係をもちうることだ。これらの善悪が未来に生じるという考えが、これらを現在のものとして表示する限りにおいてである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『情念論』第二部 六二、pp.57-58、[谷川多佳子・2008])
(索引:喜び、嘲り、うらやみ、憐れみ)

情念論 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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