2018年9月7日金曜日

17.意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。もしこれが、初期EP反応だけで実現されていたとしても、「適切な脳機能の創発特性」として十分あり得ることだ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

適切な脳機能の創発特性

【意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。もしこれが、初期EP反応だけで実現されていたとしても、「適切な脳機能の創発特性」として十分あり得ることだ。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(一部再掲)

意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。これは、感覚皮質への直接刺激による感覚と、皮膚への刺激による感覚との比較により検証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識的な皮膚感覚
 ↑↑
 ││刺激の正確な位置と、
 ││発生タイミングを決める
 │└──────────────┐
事象関連電位(ERP)と呼ばれる  │
皮質の一連の電気変化       │
 ↑意識感覚を生み出すために、  │
 │500ms以上の持続が必要である。│
 │               │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

(1)意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。これは、どのようにして実現されているのだろうか。
(2)「タイミングと空間位置に遡及する主観的なアウェアネスへの信号を与えているのは、初期EP反応だけであるようなのです。すると、初期EP反応にまで逆行する、この遅延した感覚経験の遡及性を媒介し得るような、追加の神経プロセスを考えることが難しくなります。もちろんそのようなメカニズムは実際にもまったく不可能というわけではないですが」。
(3)例えば、アントニオ・ダマシオ(1944-)が「中核自己」が発現する仕組みの中で仮定した、「原自己」の変化と感覚された対象の状態を時系列で再表象する「2次のニューラルマップ」のようなものへ、初期EPからの情報が接続されていれば、このような意識の時間遡及性を説明できるだろう。(未来のための哲学講座)
(参照: 2次のニューラルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-)))
(4)「他の未知の神経活動の媒介なしで時間の規定因となるのであれば、主観的な遡及は純粋に、脳内での対応神経基盤のない精神機能ということになります」。この場合、「精神の主観的機能は、適切な脳機能の創発特性であるというのが私の意見です」。すなわち、今の場合、初期EPの存在というタイミングを決めるのに必要な情報は不足していないので、一見して明白でないと思えるような精神現象を生み出していても、それは十分あり得ることでもあり、それが適切な脳のプロセスなのかもしれない。

 「主観的な遡及には、脳と心の関係の性質において根本的で重要な、また別の側面があります。遡及を直接媒介する、またはそれを説明するとみなし得る《神経メカニズム》がないようなのです!
 初期誘発電位反応が、感覚刺激の主観的な空間位置および主観的なタイミングが遡及する皮質反応とどのように作用するかを例にとりましょう。これはどのようにして起こるのでしょうか? 感覚刺激が、感覚が生じるために必要な閾値以下であっても、この初期EPは生じます。その場合には、後から誘発されるEPなしで、単発で発生します。後から発生するコンポーネントである0.5秒間以上継続するEPは、感覚が生じるために必要な刺激の強さが閾値以上である場合に発生します(リベット他(1967年)参照)。初期EPは、感覚皮質の極めて局所的な小さな部位にだけ発生します。しかし、遅れて発生するEPは、一次感覚皮質にだけ限定して発生するわけではありません。関連した反応が、皮質内に広く分散しています。おそらく閾値より上の強さにおける、単発の視覚事象に伴う活動の広範な分散については、他の研究者によっても記載されています(ブッフナー他(1977年)参照)。
 タイミングと空間位置に遡及する主観的なアウェアネスへの信号を与えているのは、初期EP反応だけであるようなのです。すると、初期EP反応にまで逆行する、この遅延した感覚経験の遡及性を媒介し得るような、追加の神経プロセスを考えることが難しくなります。もちろんそのようなメカニズムは実際にもまったく不可能というわけではないですが。もし初期EP反応が、他の未知の神経活動の媒介なしで時間の規定因となるのであれば、主観的な遡及は純粋に、脳内での対応神経基盤のない精神機能ということになります。
 しかし、神経機能に関連する精神機能の問題というのは、意識を伴う感覚経験の主観的な遡及、という特定の機能よりもずっと広範になります。主観的で意識を伴う経験(思想、意図、自己意識などを含む)を生じさせるすべての脳のプロセスは、そこから発生した経験「のように」は見えません。実際、原因である神経プロセスについて完全な知識があっても、それに付随する精神事象を《先験的に》は説明できていません(関連性を発見するには、この二つの現象を同時に研究しなければなりません)。ニューロンパターンから主観的な表象への変容が、神経パターンから発生した精神領域で展開しているように見えます。(つまり、感覚の遡及を導き出すために特定の神経信号を使っていることを解明しても、遡及の過程そのものを解明したことにはなりません。)
 それでは、主観的な感覚遡及や他の精神現象について直接の神経学的説明が《できない》というこの結論は、脳と心の関係についての特定の哲学的立場とどのように関係するのでしょうか。第一に、このような提案によって、デカルト的な意味での二元論の類いが引き合いに出されたり、またそういう二元論が構成されたりは《しません》。つまり、私のこの提案では、物質としての脳と精神的な現象について、それらを分離可能な、または独立した存在と考える必要はありません。精神の主観的機能は、適切な脳機能の創発特性であるというのが私の意見です。意識を伴う精神は、それを生み出す脳のプロセスなしには存在しません。しかし、その意識を伴う精神は、脳という物質的システムの独自の「特性」である神経活動から生じるため、それを生み出す神経脳の中では明白ではない現象を表出することができるのです。この意見は、ロジャー・スペリーが指示するシステムの創発特性とも一致します。
 心脳同一説はおそらく、「物資的なもの」と「精神的なもの」を関連づけた、最も一般的に支持されている哲学的理論です(フック(1960年)を参照)。心脳同一説の最も単純な説明は、外部から観察可能な脳の構造と機能の特徴、すなわち物質的に観察可能な側面が、システムの外部、または客観的な特性を説明するということです。意識的でも無意識でも、精神事象は、《同じシステム》または「実体」の「内的な特性」を説明します。すなわち、与えられた実体は、問題となっている外的・内的両方の特性の原因となっているというのです。心脳同一説では、主観的な経験にアクセス可能なのは(内的な特性として)それを実際に経験している個人のみであるとみなしています。しかしもし、精神事象に(空間と時間における主観的な遡及のように)対応する特定の神経(身体事象)がなければ、こうした外的・内的特性を特定する一般的な実体はないということになります。心脳同一説を早いうちに提唱していた一人が、カリフォルニア大学バークレー校の哲学の教授である、ステファン・ペッパー(1960年)です。ペッパー教授は私との議論の中で、私たちの発見である主観的な時間の遡及性が、心脳同一説に重大な困難を生ぜしめることに即座に気づきました。特に(主観的遡及という)この精神作用に神経対応が存在しなければ、彼の気づいた通り心脳同一性に困難が生じるのです。
 観察可能な特性と内的(精神)特性の間にある明らかな分離は、その共通する単一の実体の二つの側面(内的と外的)が単に表出しているだけである、と心脳同一説では説明するでしょう。しかしこれでは、共通の実体という言葉を当てはめることによって困難をうまく繕い、すべての特性を説明してしまっているかのようです。その上、いわゆる実体というものは、どのような検証をもってしても否定できない、思弁性によって構成されています。いずれにしても、内的な精神現象の特性は、物質的で観察可能な脳とは極めて異なるということは明らかで、その内的および外的な特性はそれぞれもう一方からは《先験的には》説明不能なのです。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.99-102,下條信輔(訳))
(索引:適切な脳機能の創発特性)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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