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2022年3月1日火曜日
支配の諸関係の内部で、当該の社会的諸関係がどのように実際には作動しているのかは、実質的に従属した人々がどのように考え、行動しているかで理解できる。召使は自分を雇っている家庭の事情について事細かに知っているものだが、その逆はほとんどあり得ないのである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
2022年2月28日月曜日
西洋の知的伝統として、創造的だが混沌をはらんだ衝動、欲望、感情を制御するのが理性とされてきた。ヒュー ムは、合理性は規範や価値とは区別され、理性は目的・価値の手段と明確に述べた。官僚制は手段である。目的は何か。市場は事実なのか。ある価値が合理性を僭称しているのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
合理性の観念をめぐって
西洋の知的伝統として、創造的だが混沌をはらんだ衝動、欲望、感情を制御するのが理性とされてきた。ヒュー ムは、合理性は規範や価値とは区別され、理性は目的・価値の手段と明確に述べた。官僚制は手段である。目的は何か。市場は事実なのか。ある価値が合理性を僭称しているのではないか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
官僚制は支配者にとって不可欠であるだけでなく、非統治者にとっても利点がある。それは現金取引に似ており、魂がない。他面では、それらはともに単純で予測可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。また、複雑で疲弊を招くような解釈労働も不要である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
非人格的な官僚制の利点
官僚制は支配者にとって不可欠であるだけでなく、非統治者にとっても利点がある。それは現金取引に似ており、魂がない。他面では、それらはともに単純で予測可能、そして少なくとも特定の文脈内部では、万人を多かれ少なかれ同等に扱う。また、複雑で疲弊を招くような解釈労働も不要である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,3 規則のユートピア、あ るいは、つまるところ、なぜわたしたちは官僚制を愛しているのか,pp.215-216,以文社 (2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹(訳))
官僚制は、重大な情報へのアクセスを独占し、「職務上の秘密」として知識や意図を秘匿することによって非統治者からの批判を回避し、優位性を高める。官僚制が議会に対立する場合、議会が自分自身の手段を用いて利害関係者たちから専門的知識を得ようとするあらゆる企てに対し挑戦する。(マックス・ヴェーバー(1864-1920))
官僚制は知識や意図を秘匿する
官僚制は、重大な情報へのアクセスを独占し、「職務上の秘密」として知識や意図を秘匿することによって非統治者からの批判を回避し、優位性を高める。官僚制が議会に対立する場合、議会が自分自身の手段を用いて利害関係者たちから専門的知識を得ようとするあらゆる企てに対し挑戦する。(マックス・ヴェーバー(1864-1920))
官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]
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2022年2月25日金曜日
民衆的な意思決定とは暴力的で混沌としていて恣意的な暴徒支配にしかなりえないものなのだ、という感覚を強化すべく、エリート層によって促進され支持された諸々の制度は、忌わしい鏡とでも呼べる暴動の制度化である。こうした制度は権威主義的諸体制にはまったく一般的なものなのではないかと思われる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
暴動の制度化、忌まわしい鏡
民衆的な意思決定とは暴力的で混沌としていて恣意的な暴徒支配にしかなりえないものなのだ、という感覚を強化すべく、エリート層によって促進され支持された諸々の制度は、忌わしい鏡とでも呼べる暴動の制度化である。こうした制度は権威主義的諸体制にはまったく一般的なものなのではないかと思われる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
【中古】民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義/デヴィッド・グレーバー、片岡大右
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人々が集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚が存在し、かつ、決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置が存在するとき、多数派民主主義が成立する。しかし、採決は屈辱、恨み、憎しみを残す。コンセンサスによる意思決定はいかにして可能かが問題である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
多数派民主主義とコンセンサスによる意思決定
人々が集団的意思決定に際して平等な発言権を持つべきだという感覚が存在し、かつ、決定事項を実行に移すことができる強制力を持った装置が存在するとき、多数派民主主義が成立する。しかし、採決は屈辱、恨み、憎しみを残す。コンセンサスによる意思決定はいかにして可能かが問題である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
【中古】民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義/デヴィッド・グレーバー、片岡大右
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民主化運動弾圧の標準的な戦術:(a)相手が卑劣で暴力的だと宣伝、(b)中産階級の支持者を分断、(c)治安紊乱を意図的につくりあげる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
民主化運動弾圧の標準的な戦術
民主化運動弾圧の標準的な戦術:(a)相手が卑劣で暴力的だと宣伝、(b)中産階級の支持者を分断、(c)治安紊乱を意図的につくりあげる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
デヴィッド・グレーバー (1961-2020) |
二つの競合し均衡する暴力の場合、両者は互いを理解しようとする。しかし一方が圧倒的に有利であるとき、解釈労働の必要性はなくなり、暴力それ自体が 見えにくくなる。構造的暴力とは、不均衡な実力の脅威によって支えられ、不平等の構造が深く内面化された状況である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
不平等を支える構造的暴力
二つの競合し均衡する暴力の場合、両者は互いを理解しようとする。しかし一方が圧倒的に有利であるとき、解釈労働の必要性はなくなり、暴力それ自体が 見えにくくなる。構造的暴力とは、不均衡な実力の脅威によって支えられ、不平等の構造が深く内面化された状況である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]
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物理的危害をもって他者に脅威を与えることは、その効果は限定的とはいえ、互いの理解を省略して、予測可能な結果を得ることができる唯一の手段である。このため、暴力は頻繁に愚か者に好まれる武器となり切り札となる。それは知的対応の最も困難な愚かさであり、人間存在の悲劇の一つである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
予測可能な結果を得る手段としての暴力
物理的危害をもって他者に脅威を与えることは、その効果は限定的とはいえ、互いの理解を省略して、予測可能な結果を得ることができる唯一の手段である。このため、暴力は頻繁に愚か者に好まれる武器となり切り札となる。それは知的対応の最も困難な愚かさであり、人間存在の悲劇の一つである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
暴力行為がコミュニケーション行為でもあるということは、間違いない。しかし、およそ人間の行為ならば、いかなる形態であってもコミュニケーション行為でもある。暴力について本当に重要なことは、この行為形態のみが、コミュニカティヴであることなしに社会的諸効果をもたらす可能性を提供することである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
暴力行為の特徴付け
暴力行為がコミュニケーション行為でもあるということは、間違いない。しかし、およそ人間の行為ならば、いかなる形態であってもコミュニケーション行為でもある。暴力について本当に重要なことは、この行為形態のみが、コミュニカティヴであることなしに社会的諸効果をもたらす可能性を提供することである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
企業による利潤のうちの益々大きな割合が、レント取得という形をとるようになる。規則や規制が増殖し、かつ、それらを強制する物理力による脅迫が、益々洗練し複雑なものになっていく。同時に、利潤は還流し、専門家、企業官僚幹部の養成のため投入され、ブルシットジョブが増殖する。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
レント取得、ブルシットジョブの増殖
企業による利潤のうちの益々大きな割合が、レント取得という形をとるようになる。規則や規制が増殖し、かつ、それらを強制する物理力による脅迫が、益々洗練し複雑なものになっていく。同時に、利潤は還流し、専門家、企業官僚幹部の養成のため投入され、ブルシットジョブが増殖する。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
2022年2月24日木曜日
19.この200年間にわたる官僚制的組織形態による支配の最も深遠なる遺産とは、合理的・技術的手段と、それが奉仕する根本的には不合理な目的の間の直感的分裂を、あたかも常識であるかのように見せかけてきたことにある。何らかの実現手段と、それとは別の自由な価値、または実現手段が価値を主張してくる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
合理的・技術的手段と目的、価値
この200年間にわたる官僚制的組織形態による支配の最も深遠なる遺産とは、合理的・技術的手段と、それが奉仕する根本的には不合理な目的の間の直感的分裂を、あたかも常識であるかのように見せかけてきたことにある。何らかの実現手段と、それとは別の自由な価値、または実現手段が価値を主張してくる。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,序 リベラリズムの鉄則と 全面的官僚制化の時代,pp.54-56,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹 (訳))
18.個人の自由の保護には、規則に縛られた組織が必要である。官僚制国家は、個人の自由のために正当化され、現在のシステムも、消費を介した個人の自己実現のためとされている。しかし、合理的な効率性が貢献する真の目的は何なのか、また個人の自由はシステムの枠内のみで追求されるものなのか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
規則に縛られた組織と個人の自由
個人の自由の保護には、規則に縛られた組織が必要である。官僚制国家は、個人の自由のために正当化され、現在のシステムも、消費を介した個人の自己実現のためとされている。しかし、合理的な効率性が貢献する真の目的は何なのか、また個人の自由はシステムの枠内のみで追求されるものなのか。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,序 リベラリズムの鉄則と 全面的官僚制化の時代,pp.53-54,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹 (訳))
官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]
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17.政治は、究極的には価値にかかわるものである。しかし、巨大な官僚制システムを構成する人びとが、その価値が本当には何なのかを認めることはほとんどない。彼らは、自らの行動を効率性や合理性、技術的有効性のもとに正当化するが、投資家の利潤の保障という目的は隠蔽される。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
効率性や合理性、技術的有効性とは
政治は、究極的には価値にかかわるものである。しかし、巨大な官僚制システムを構成する人びとが、その価値が本当には何なのかを認めることはほとんどない。彼らは、自らの行動を効率性や合理性、技術的有効性のもとに正当化するが、投資家の利潤の保障という目的は隠蔽される。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
16. 「自由貿易」や「自由市場」とは実際には投資家にとっての利潤取得の保障を主要に狙う、グローバルな行政機構の形成のことであり、「グローバリゼーション」の本当の意味は官僚制化である。このシステムの諸基礎は1940年代に構築され、冷戦の衰退とともに真に実効的となった。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
自由貿易、自由市場とは何か
「自由貿易」や「自由市場」とは実際には投資家にとっての利潤取得の保障を主要に狙う、グローバルな行政機構の形成のことであり、「グローバリゼーション」の本当の意味は官僚制化である。このシステムの諸基礎は1940年代に構築され、冷戦の衰退とともに真に実効的となった。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
15.投資家の利潤取得を保障するために、規則と規制の網で、公的権力と私的権力とを徐々に融合して単 一の統一体を形成してゆく。その際、規制緩和とラベリングされるが、それは官僚制の縮小でも、個人の創意工夫の解放でもなく、自らに都合の良い規制に公的権力を改変できる「緩和」である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
全面的官僚制化、略奪的官僚制化
投資家の利潤取得を保障するために、規則と規制の網で、公的権力と私的権力とを徐々に融合して単 一の統一体を形成してゆく。その際、規制緩和とラベリングされるが、それは官僚制の縮小でも、個人の創意工夫の解放でもなく、自らに都合の良い規制に公的権力を改変できる「緩和」である。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))
(デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,序 リベラリズムの鉄則と 全面的官僚制化の時代,pp.23-25,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和樹 (訳))
2022年2月21日月曜日
14.富の蓄積は、ただそれをそっくり他の人びとに分ち与えることができる場合にのみ、弁明可能になる。そして、社会で最高の価値となるの は、「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」である。 人類は、いずれこのような倫理を持つことが可能である。(マルセル・モース(1872-1950))
与えることが最高の価値である社会
富の蓄積は、ただそれをそっくり他の人びとに分ち与えることができる場合にのみ、弁明可能になる。そして、社会で最高の価値となるの は、「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」である。 人類は、いずれこのような倫理を持つことが可能である。(マルセル・モース(1872-1950))
【中古】民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義/デヴィッド・グレーバー、片岡大右
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