2022年2月25日金曜日

物理的危害をもって他者に脅威を与えることは、その効果は限定的とはいえ、互いの理解を省略して、予測可能な結果を得ることができる唯一の手段である。このため、暴力は頻繁に愚か者に好まれる武器となり切り札となる。それは知的対応の最も困難な愚かさであり、人間存在の悲劇の一つである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))

予測可能な結果を得る手段としての暴力

物理的危害をもって他者に脅威を与えることは、その効果は限定的とはいえ、互いの理解を省略して、予測可能な結果を得ることができる唯一の手段である。このため、暴力は頻繁に愚か者に好まれる武器となり切り札となる。それは知的対応の最も困難な愚かさであり、人間存在の悲劇の一つである。(デヴィッド・グレーバー(1961-2020))



「なるほど、だれかに障害を加えたり、だれかを殺害したりすることによって与えることの できる効果は、きわめて限定されている。しかし、それらは十分に現実的である。そして、決 定的なことには、その効果がどのようなものであるのかが前もって正確に予測可能なのであ る。それ以外のいかなる行為の形態も、共有された意味や了解に訴えることなしには、いかな る予測可能な効果もいっさいうることはできない。さらにいえば、暴力の脅威で他者に影響を 与えようとする試みが、あるレベルの共有された了解を必要とするにしても、それはまったく 最小限のものである。ほとんどの人間の関係は――それが長期の友人のあいだであろうと敵同士 のあいだであろうと、とりわけ継続中のそれは――、とんでもなく複雑なものであり、歴史と意 味を濃密にはらんでいるものである。それを維持するには、想像力とか世界を他者の観点から みる終わりのない努力といった、恒常的でたいてい繊細な作業を必要とする。先に「解釈労 働」として述べたものはこれである。物理的危害をもって他者に脅威を与えることは、こうし たすべてを省略することを可能にする。それははるかに単純で図式的であるような関係を可能 にするのである(「この線をふみ超えたら撃つぞ」とか「もう一言でもいってみろ、刑務所に ぶちこむぞ」とか)。もちろん、このために、暴力はひんぱんに愚か者に好まれる武器となる のである。暴力は愚か者の切り札であるとすらいえるかもしれない。というのも(そしてこれ は人間存在の悲劇のひとつであることはたしかだが)、それが知的な対応のもっとも困難であ る愚かさの一形態だからである。」
 (デヴィッド・グレーバー(1961-2020),『官僚制のユートピア』,1 想像力の死角? 構造 的愚かさについての一考察,pp.96-97,以文社(2017),酒井隆史(訳),芳賀達彦(訳),森田和 樹(訳))

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則 [ デヴィッド・グレーバー ]



デヴィッド・グレーバー
(1961-2020)







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