固有名の意義、固有名の意味
【固有名の意義とは? 固有名の意味とは?(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925))】
記号 ⇔ 記号の意義 ⇔ 記号の意味
固有名 記号によって 記号によって
表現された 表示された
対象の様態 特定の対象
宵の明星 ⇔ 太陽が沈んだ後、⇔(金星)
西の空にどの星
よりも先に、一
番明るく輝いて
いる星。
明けの明星⇔ 太陽が昇る前に、⇔(金星)
東の空にどの星
よりも後まで、
一番明るく輝い
ている星。
金星 ⇔ 太陽系で、太陽 ⇔(金星)
に近い法から二
番目の惑星。
「例えば、a,b,cが、それぞれ三角形の各頂点とその対辺の中点とを結ぶ線分であるとしよう。このとき、aとbとの交点は、bとcとの交点と同一である。したがって、我々は同一の点に対して二つの異なる表記を得たことになる。そして、この二つの名前、すなわち、「aとbとの交点」と「bとcとの交点」という二つの名前は、また同時に、表示されたものの与えられる様態をも示す(deuten)ゆえに、この文には、実質的(wirklich)な認識が含まれることになる。
従って、記号(名前、語結合(Wörterverbindung)、文字)に結び付くものとして、その記号によって表示されたもの、すなわち、記号の意味(Bedeutung)と呼ぶことのできるものに加えて、記号の意義(Sinn)と私が名づけたいものを考慮するべきである。そして、表示されたものの与えられる様態は、その記号の意義の中に含まれることになる。この考え方に従うならば、上述の例に関しては、「aとbとの交点」という表現の意味と「bとcとの交点」という表現の意味とは同一であるが、この二つの表現の意義は異なることになる。同様に、「宵の明星」と「明けの明星」の意味は同一であるが、それらの表現の意義は同一ではないということになるであろう。
以上の議論の脈絡から明らかになることは、まず私がここで「記号(Zeichen)」や「名前(Name)」として理解しているものが固有名(Eigenname)の役割を果たす何らかの表記手段であるということと、それゆえに、その記号法の意味は特定の対象(Gegenstand)(ただし、この語を最も広い意味において理解するとして)であり、他の論文でさらに詳しく検討するはずの概念(Begriff)や関係(Beziehung)ではないということである。また、一つの個別的な対象を表示する記号が、複数の語、あるいは、その他の記号から構成されているということもありうる。したがって、簡単のためにそのような機能を果たす表記を一括して固有名と名づけることが許されるであろう。」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『意味と意義について』26-27、フレーゲ著作集4、pp.72-73、土屋俊)
(索引:記号、固有名、対象、固有名の意味、固有名の意義)
(出典:
wikipedia)
「1. 思考の本質を形づくる結合は、表象の連合とは本来異なる。
2. 違いは、[思考の場合には]結合に対しその身分を裏書きする副思想(Nebengedanke)が存在する、ということだけにあるのではない。
3. 思考に際して結合されるものは、本来、表象ではなく、物、性質、概念、関係である。
4. 思想は、特殊な事例を越えてその向こう側へと手を伸ばす何かを常に含んでいる。そして、これによって、特殊な事例が一般的な何かに帰属するということに気づくのである。
5. 思想の特質は、言語では、繋辞や動詞の人称語尾に現われる。
6. ある結合[様式]が思想を形づくっているかどうかを識別するための基準は、その結合[様式]について、それは
真であるかまたは偽であるかという問いが意味を持つか否かである。
7.
真であるものは、私は、定義不可能であると思う。
8. 思想を言語で表現したものが文である。我々はまた、転用された意味で、文の真理についても語る。
9. 文は、思想の表現であるときにのみ、真または偽である。
10.「レオ・ザクセ」が何かを指示するときに限り、文「レオ・ザクセは人間である」は思想の表現である。同様に、語「この机」が、空虚な語でなく、私にとって何か特定のものを指示するときに限り、文「この机はまるい」は思想の表現である。
11. ダーウィン的進化の結果、すべての人間が 2+2=5 であると主張するようになっても、「2+2=4」は依然として真である。あらゆる
真理は永遠であり、それを[誰かが]考えるかどうかということや、それを考える者の心理的構成要素には左右されない。
12. 真と偽との間には違いがある、という確信があってはじめて論理学が可能になる。
13. 既に承認されている真理に立ち返るか、あるいは他の判断を利用しないかのいずれか[の方法]によって、我々は判断を正当化する。最初の場合[すなわち]、推論、のみが論理学の対象である。
14. 概念と判断に関する理論は、推論の理論に対する準備にすぎない。
15. 論理学の任務は、ある判断を他の判断によって正当化する際に用いる法則を打ち立てることである。ただし、これらの判断自身は真であるかどうかはどうでもよい。
16. 論理法則に従えば判断の真理が保証できるといえるのは、正当化のために我々が立ち返る判断が真である場合に限る。
17. 論理学の法則は心理学の研究によって正当化することはできない。
」
(ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)『論理学についての一七のキー・センテンス』フレーゲ著作集4、p.9、大辻正晴)
ゴットロープ・フレーゲ(1848-1925)
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