2020年6月11日木曜日

10.政治は科学を利用し,都合が悪ければ切り捨てる.いかに名声があり偉大な科学者であっても,国家レベルの政治に影響を与え得た科学者はいなかった.それが可能なのは,普通の人々の幅ひろい運動と世論に支えられた場合だけである.(高木仁三郎(1938-2000))

政治と科学

【政治は科学を利用し,都合が悪ければ切り捨てる.いかに名声があり偉大な科学者であっても,国家レベルの政治に影響を与え得た科学者はいなかった.それが可能なのは,普通の人々の幅ひろい運動と世論に支えられた場合だけである.(高木仁三郎(1938-2000))】

 「バーンスタインの指摘を待つまでもなく、シラードたちが最初に原爆について提言し(「アインシュタインの手紙」)、それが政府にいれられたと信じ、その後もその種の意志の伝達が政府(政治)に対して科学(者)の側から可能だと考えていたら、それはあまりにナイーブにすぎるというものだろう。

 実際問題としても、シラードたちが原爆の不使用を一九四五年五月にトルーマン大統領に請願したとき、請願は簡単に無視された。バーンスタインはいう。

 「そして当初から、ローズヴェルトとかれの側近は、原爆が正当な兵器であり、それが開発できる場合には使用されるであろうということを当然の前提としていたのです。攻撃目標は、日本に変えられることになりましたが、変更にさいしてはこれといった再検討は行われませんでしたし、いささかのためらいも疑念も熟考もなく、いわんや苦悩をともなうものではありませんでした」(『原爆投下と科学者』)

 つまり、権力者(政治の側)は科学者(科学の側)の提言を、みずからに都合のよい情報としては利用するが、都合が悪ければいつでも切り捨てる。政治の側からみれば、最初からそのようなものとして、プロジェクトが組織され、科学者を組みこんでいったのであって、主-従の関係ははっきりしていた。

 ボーアに起こったことも同じ文脈で考えられよう。世界の科学者の代表ともいえたニールス・ボーアは、四四年七月にルーズベルトとチャーチルに手紙を送り、米英ソ三国による原子力の国際管理を訴えた。しかし、これもまったく無視された。ボーアがいかに偉大な科学者であり、人格者であっても、そのことによって政治の側が影響されることはなかった。

 原爆開発から現在にいたるまで、科学者たちの一連の行動には、とくにそれが著名で、科学上の業績がある科学者を含むものであれば、なお強く、政治(家)や権力(者)に対して影響力をもっていると信じこんだナイーブさがうかがえる。

しかしそれは、すでにマンハッタン計画で破産した行動パターンであり、歴史から否定的な教訓をうるべきことがらだった。科学者たちがある場合に、署名や請願、アピールなどを通じて政治に影響を与えたのは、あくまで大衆的な運動の背景があり、広範な大衆の意向が、科学者たちに反映されただけのことである。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第六巻 核の時代/エネルギー』核時代を生きる 第2章 歴史の教訓(一)、pp.56-57)
(索引:)

核の時代・エネルギー (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
Citizens' Nuclear Information Center
認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND for CITIZEN SCIENCE
高木仁三郎の部屋
高木仁三郎の本(amazon)
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ニュース(高木仁三郎)
高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
原子力市民委員会(2013-)
原子力市民委員会
Citizens' Commission on Nuclear Energy
原子力市民委員会 (@ccnejp) | Twitter
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9.構成要素ごとの検証と,実物に近い全体システムの検証が必要となるが,原子炉の場合,燃料棒など実物が使えない要素があり,他の技術とは異なり真の意味での実証は不可能である.計算機による模擬実験は,技術における実証性を虚構化する.(高木仁三郎(1938-2000))

核技術は真の意味で実証できない技術

【構成要素ごとの検証と,実物に近い全体システムの検証が必要となるが,原子炉の場合,燃料棒など実物が使えない要素があり,他の技術とは異なり真の意味での実証は不可能である.計算機による模擬実験は,技術における実証性を虚構化する.(高木仁三郎(1938-2000))】

(1)実物による検証
 小さなシステムでの実験ならば、本物を使って何回も実験を繰り返し、失敗を重ねながら、生じるあらゆる物理的現象を把握しながら、いかなる条件下でも問題ないように改良していくことができる。
(2)構成要素ごとの実物による検証
 システムが大型化したときには、小型のシステムの実験では予測しえないことが起こりうる。そこでまず、実験室的な純化した条件下で、ある事象を構成するいろいろな基礎的な現象を解析し、その基礎データをもとに、ある事象の全体を再構成するという方法が用いられる。
(3)構成要素の結合が全体を再現しないという問題
 ところが、そのような細分化された個別的な因子の再構成が、全体としての一つのシステムの振舞いを必ずしも再現化しえないという、実証的手法に基づく解析的科学における、一つの大きな問題点がある。
(4)構成要素を結合した全体の検証
 そこで、伝統的な実証的方法に従えば、可能な限り実物に近いシステムを作り、実験を繰り返し、失敗を重ねながら、少しずつ(2)の精度を上げ、改良を積み上げていく必要がある。
(5)原子炉では実物が使えない
 ところが、原子炉の緊急炉心冷却システムのようなものは、失敗を重ねてデータを収集することを前提に実物を使うわけにはいかない。そこで、実際には、小規模な模擬実験炉を作り、実際の燃料棒ではなく、たとえば電熱で加熱した模擬的な燃料棒を用いるなどして、実験することになる。それでも、なかなかうまくいかない。
(6)コンピュータを使ったシミュレーションでの代替
 以上のような問題を抱えた状況での大型コンピュータの登場は、一挙に解析の適用範囲を拡げることになったが、検証性にかかわる問題の本質は、何ら変わっていない。これによって、科学は虚構的な領域に入り、従来の方法論からの変質が現実に進行していると言える。

 「ECCSとは、その名の通り、正規の冷却水の供給が配管の破断などによって断たれたとき、別のルートから緊急に原子炉に冷却水を注ぎこんで、空だきを防ぐための装置です。本書は、技術的な詳細に入ることを目的としていないので、ECCSの機能についてのこれ以上の記述は省きます。

 ECCSの最大の問題は、その機能の有効性が実証的に確かめられていないことにあり、さらにいえば、実証する手立てがないということです。

 伝統的な実証的方法に従えば、実際の大型原子炉を制作し、しかも実際と同じ運転条件を実現し、その条件下で冷却材(水)の喪失が起こるような事故(大口径配管の破断であるとか、圧力容器の亀裂であるとか)を生ぜしめて、ECCSを働かせ、首尾よく炉心に水が入って溶融事故を防ぎうることを確かめるというのが、ECCSの有効性を確認する最も直接的な手段といえます。

しかしもちろん、通常の実験のように、何回もそんなことを繰り返し、失敗を重ねながら、生じるあらゆる物理的現象を把握しながら、いかなる条件下でも緊急冷却水が炉心に注入されるようになるまでECCSの性能を改良して行くといった方法は取りようがありません。

経費の問題は別にしても、あまりに危険が大きすぎるから、ただの一回の失敗も許されないのです。

 そこで、実際には、小規模な模擬実験炉を作り、実際の燃料棒ではなく、たとえば電熱で加熱した模擬的な燃料棒を用いるなどして、ECCSの機能を検討するということになります。」(中略)

 「計画の変更が余儀なくされたのは、表の八〇〇シリーズの実験の後半段階で行われた炉心への緊急冷却水の注入実験で、六回の実験で六回とも、炉心に水が到達しなかったからです。

その原因は、結局、原子炉内で起こる物理的現象が十分に把握できておらず、コンピュータによる予測と実験の間に大幅なずれが出てきてしまう、ということに尽きるといえます。

 実際の条件と比較すれば、はるかに小規模で、簡素化したシステムを用いた実験でもこういうことが起こるわけです。

ましてや、実際の条件ではどのようなことが起こるのか、確たる予測はできず、ECCSの機能の有効性を実証する、というのとは程遠いのが実情です。

システムを大型化したときには、小型のシステムの実験では予測しえないことが起こりうるし、その予測を行うのに必要な実証的手だてがない、という巨大科学技術に共通の困難がここに現われています。」(中略)

 「すでに述べたように、実証的手法に従えば、実験室的な純化した条件下で、ある事象を構成するいろいろな基礎的な現象を解析し、その基礎データをもとにある事象の全体を再構成するというアプローチの方法が用いられます。

そのような細分化された個別的な因子の再構成が、全体としての一つのシステムの振舞いを必ずしも再現化しえないということが、実証的手法に基づく解析的科学の一つの大きな問題点とされてきました。

 大型コンピュータの登場は、そのような実証科学の問題をそのままにしながら、一挙に解析の適用範囲を拡げることになったのです。それによって、科学は虚構的な領域に入り、従来の方法論からの変質が現実に進行しているのです。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第七巻 市民科学者として生きるⅠ』科学は変わる Ⅱ 原子力の困難(一)、pp.55-58)
(索引:科学の実証性、実験、実証性の虚構化)

市民科学者として生きる〈1〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ
 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

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99.化学者が放射性物質を扱う場合、%とかppmのオーダーの化学とは異なり、例えば水100gに(10の-14乗)gというような非常な微量を扱う。それでも、予想外の汚染とかを経験しながら、放射性物質の取扱いの難しさと様々な技術とを学んでいく。(高木仁三郎(1938-2000))

科学の実証性

【化学者が放射性物質を扱う場合、%とかppmのオーダーの化学とは異なり、例えば水100gに(10の-14乗)gというような非常な微量を扱う。それでも、予想外の汚染とかを経験しながら、放射性物質の取扱いの難しさと様々な技術とを学んでいく。(高木仁三郎(1938-2000))】

 「一般に化学者が実験的に放射性物質を扱う場合は、通常は遠隔操作ではなく手で扱います。手といっても、もちろんゴム手袋をしたり、必要に応じてはマスクをしたり、鉛ガラス入りの眼鏡をしたり、放射線防護用の服を着たり、鉛の板で生殖器部分を守ったりというように、必要な措置を施します。そんなに特別なことをしないで扱うのは、放射能にして一〇の五乗から七乗ベクレルくらいまでです。

 一〇の六乗ベクレルというのは、どの程度の濃度かというと、一〇〇グラムの水に、水の分子量は一八ですから、約五モルの水が入っているわけですけれども、それに対してセシウム-一三七は一〇のマイナス一四乗グラムということになります。モル数にするとおよそ一〇のマイナス一六乗モルくらいになるわけで、水の分子が一あるところに対して、セシウム-一三七の原子は一〇のマイナス一六乗モル個しかない。これは非常にわずかな量です。

このような微量な領域になってくると、一グラムの中に数ミリグラムが溶けていたというようなパーセントとか、ppmのオーダーの化学とは、化学自体が全然違ってきます。非常に特殊な振る舞いをするということが出てきます。

 私の経験では、セシウムはとにかく挙動が難しくて、少量の場合にはすぐに揮発してしまいます。非常に揮発性が高い元素です。

セシウムはアルカリ金属の一つで、あまり化学はややこしくないほうですけれども、もう少しややこしい化学のアクチノイド元素とか、ランタノイド元素だと、少量ではすぐにコロイドというものを作ります。つまり、少ない量の物質というのは、何分子も集まって、コロイド状に固まった状態になってしまって、溶液の中に溶けているのか、溶けていないのか、よくわかりません。

したがって、ふつうの化学の教科書に書いてあるように、沈殿を落としたり、溶媒抽出といって有機溶媒を使って溶媒中に取り出したりしようとすると、教科書どおりでないことが起こります。

 教科書どおりと思って扱っても、目に見えないですから、うっかりしていると、意外に大きな汚染を起こしたり、揮発を起こしたりしてしまいます。そんなことで、実験室を汚してしまったとか、手袋を汚してしまったとか、そういう経験はしょっちゅうあります。

そういう経験を経ながら、放射性物質は非常に難しいものだということを学んでいくのが、放射化学者として一人前になっていく道です。当然、扱い方が慎重になります。」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第三巻 脱原発へ歩みだすⅢ』原発事故はなぜくりかえすのか 3 放射能を知らない原子力屋さん、pp.354-355)
(索引:科学の実証性)

脱原発へ歩みだす〈3〉 (高木仁三郎著作集)


(出典:高木仁三郎の部屋
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 「「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
 未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
 まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
 反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々とともにあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向って進めてくれました。幸いにして私は、ライト・ライブリフッド賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うものとしての受賞でした。
 残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期的症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
 後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
 私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。
 泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
 今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向っての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
 いつまでも皆さんとともに
 高木 仁三郎
 世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ」
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第四巻 プルートーンの火』未公刊資料 友へ―――高木仁三郎からの最後のメッセージ、pp.672-674)

高木仁三郎(1938-2000、物理学、核化学)
原子力資料情報室(CNIC)
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高木仁三郎の部屋
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高木仁三郎 略歴・業績Who's Whoarsvi.com立命館大学生存学研究センター
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2020年6月10日水曜日

問題解決の4大阻害要因は(a)問題はない(b)自分には関係ない(c)悪いのは彼らだ(d)どうせ駄目だと思うこと. 諸個人の幸福の公共善との不可分性を理解し,連帯への分断の罠に陥ることなく,可能性を信じて立ち向かうこと.(ロバート・ライシュ(1946-))

問題解決を困難にする4つの原因

【問題解決の4大阻害要因は(a)問題はない(b)自分には関係ない(c)悪いのは彼らだ(d)どうせ駄目だと思うこと. 諸個人の幸福の公共善との不可分性を理解し,連帯への分断の罠に陥ることなく,可能性を信じて立ち向かうこと.(ロバート・ライシュ(1946-))】

世間のほとんどの人たちの頭の中に巣食っている4つの「労働回避メカニズム」
(1)否認
 問題の存在を認めないこと。
(2)逃避願望
 (a)問題を認識しても、責任逃れをしようとする。
 (b)誰であれ、自分以外の多くの人がより貧しく、より経済的に不安定な状態にさらされているのに、自分や家族だけが満ち足りた裕福な人生を送ることなどできはしない。
(3)スケープゴート
 (a)問題を引き起こした人を「スケープゴート(身代り)」にする。
 (b)誰かを「スケープゴート」に仕立てあげても、人々が互いに分断されるだけで、逆進化の流れをひっくり返すことは益々困難になる。
(4)冷笑(シニシズム)
 (a)問題改善の可能性を信じようとしない。
 (b)私たちは以前にもそれをやり遂げたのだし、これからもできるはずだ。

 「リーダーは他の人々を積極的に動かして、なすべきことを完遂させなければならないが、そのためには、世間のほとんどの人たちの頭の中に巣食っている四つの「労働回避メカニズム」を克服できるよう、手を貸す必要がある。それは、問題の存在を認めない「否認」、問題を認識しても責任逃れをしようとする「エスケープ(逃避)」の願望、問題を引き起こした人を「スケープゴート(身代り)」にする傾向、そして、最悪なのが、問題改善の可能性を信じようとしない「シニシズム(冷笑)」である。たとえば、人々を動かして活気づけ、この国の逆進的な流れの方向を変えさせるための組織づくりを行って、経済と民主主義を私たちの手に取り戻すには、たとえ人々が現実を「否認」したとしても、リーダーは多くの人々を説得してこの国に金権国家化する危機が迫っているという事実を認めさせなければならない。この現実から「エスケープ」することはできないことを、人々に示さなければならないのだ。誰であれ、自分以外の多くの人がより貧しく、より経済的に不安定な状態にさらされているのに、自分や家族だけが満ち足りた裕福な人生を送ることなどできはしない。もし人々が移民や貧者や、政府職員や労働組合員、あるいは富裕層もそうだが、誰かを非難していたら、それをやめさせよう。なぜなら、誰かを「スケープゴート」に仕立てあげても、人々が互いに分断されるだけで、逆進化の流れをひっくり返すことは困難になるばかりだからだ。さらに、リーダーは「シニシズム」とも戦わなければならない。流れは変えられるということを、みんなに理解してもらおう。私たちは以前にもそれをやり遂げたのだし、これからもできるはずだ。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『怒りを越えて』(日本語名:『格差と民主主義』)PART3 怒りを乗り越えて――私たちがしなければならないこと、行動を起こすには、pp.168-169、東洋経済新報社 (2014)、雨宮寛・今井章子(訳))
(索引:否認,逃避願望,スケープゴート,冷笑,シニシズム,課題解決)

ロバート・ライシュ 格差と民主主義

(出典:wikipedia
ロバート・ライシュ(1946)の命題集(Propositions of great philosophers) 「国家や政府は人間が作ったものであり、法律も企業もそして野球だって人間が作ったものだ。同じように市場も人間の産物である。他のシステムと同じく市場の構築の仕方にもさまざまな方法があるが、それがどう作られようと、人々のやる気や市場のルールによって生まれてくる。理想的には、ルールによって人々が働いたり協力しあう気になり、生産的で創造的でありたいと動機づけされるのが望ましい。つまり、ルールが人々が望む暮らしの実現を手助けするのである。ルールはまた、人々の倫理観や、何が良くて立派で、何が公平かについての判断基準をも映し出す。そしてルールは不変ではなく、時間の経過とともに変わっていく。願わくば、ルールにかかわる人のほとんどが、より良くより公平だと思う方向へ――。だが、常にそうなるとは限らない。ある特定の人々が自分たちを利するようにルールを変える力を得たことによっても、ルールは変わりうるからだ。これがこの数十年の間に、米国や他の多くの国々で起こったことである。
 私的所有独占への制限契約不履行に対処するための破産などの手段ルールの執行といった事柄は、いかなる市場にも必須の構成要素だ。資本主義と自由企業体制にはこれらが必要なのだ。だがこの要素の一つひとつを、多くの人ではなく、ひと握りの人々を利するように捻じ曲げることも可能である。」(中略)「経済的支配力が、政治的権力を増大させ、政治的権力がさらに経済的支配力を拡大させる。大企業と富裕層が市場を構築する政治の仕組みに影響を与え、彼らがその政治的決定によって最も恩恵を受けるという状況は加速するばかりだ。こうして彼らの富は増強され、その富によってますます、将来発生する決断事項への影響力を得ていくのである。」(中略)「拡大する不平等は「自由市場」の構成要素そのものにしっかりと焼き込まれている。グローバル化と技術革新がなくても減税や補助金がなくても、国民総所得のうち、企業と、企業収益に自分の所得が連動する重役たちや投資家に振り分けられる割合は、労働者層に向う割合よりも、相対的に増加している。こうして悪循環が勝手に成立していくのである。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『資本主義を救う』(日本語名『最後の資本主義』)第1部 自由市場、第9章 まとめ――市場メカニズム全般、pp.108-111、東洋経済新報社 (2016)、雨宮寛・今井章子(訳))

ロバート・ライシュ(1946-)
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真っ赤な嘘も信念となる:(a)富裕層が経済の牽引力(b)低税率が投資を促進(c)小さい政府が良い(d)規制緩和は良い(e)財政赤字は悪い(f)社会保障費は抑制すべき(h)寛大な制度は活力を奪う(i)一律の税率が最も公平(ロバート・ライシュ(1946-))

経済をめぐる10の嘘

【真っ赤な嘘も信念となる:(a)富裕層が経済の牽引力(b)低税率が投資を促進(c)小さい政府が良い(d)規制緩和は良い(e)財政赤字は悪い(f)社会保障費は抑制すべき(h)寛大な制度は活力を奪う(i)一律の税率が最も公平(ロバート・ライシュ(1946-))】

反論されない嘘は信念となる
 真っ赤な嘘も、反論されない限り繰り返し語っていれば、次第に人々が受け入れるようになることは、扇動の歴史が物語っている。
 (1)嘘その1:富裕層が経済の牽引力
  (a)富裕層が経済の牽引力
   富裕層は「雇用の創造主」であるから、富裕層に対して減税すれば、みなによい効果を波及させる「トリクルダウン」が発生する。逆に、富裕層に増税すると景気に打撃を与え、雇用の伸びも鈍化してしまう。
  (b)圧倒的多数の国民の購買力が経済の牽引力
   富裕層が雇用を生み出すのではない。国民の購買力が企業の生産能力の拡大や雇用を創出する。だから、国民所得が不均衡に富裕層に流れると、中間層にはもはや雇用を創出するだけの購買力がなくなってしまうのである。
 (2)嘘その2:低税率が投資を促進する
  (a)低い税率が投資を促進する
   法人税を下げれば、企業は雇用を創出し景気も活性化する。
  (b)経済的に見合う購買力を見込んで投資する
   これらの企業が生産能力の拡大や雇用創出に投資しない理由は、税金とはまったく関係がない。本当の理由は、生産力を追加したとしても、そうやって新たに造り出されたモノを買うだけの十分なカネを持つ顧客が足りないことだ。企業は経済的に見合う分しか支出しない。
 (3)嘘その3:小さい政府が経済に良い
  (a)政府は小さい方が経済に良い
   政府の規模を小さくすれば、雇用が増大し景気も好転する。
  (b)公共投資は経済に重要
   政府の規模縮小は、州や自治体レベルでは教員や消防士、警察官、福祉職員などの公務員の減少を、連邦レベルでは安全検査官や軍人の減少をもたらす。その結果、公共事業の受託企業が減り、受託企業による民間部門の雇用も減ってしまう。
 (4)嘘その4:規制が少ないほど、経済は強くなる
  (a)規制緩和
   規制が少ないほど、経済は強くなる。
  (b)最小の負担で最大の公共利益をもたらす規制が必要
   (i)企業の存在理由
    企業の存在理由は一つしかない。すなわち、利益を上げ株価を上げることであって、市民を守ることではない。
   (ii)公共善
    だがそれでも、市民の健康と安全、個人投資家に対する公平性、持続可能な環境といったものはすべて「公共善」であり、これがなければ、人々はますます貧しくなってしまう。
   (iii)最小の負担で最大の公共利益
    公共に対する利益のほうが、その負担よりも大きい場合に、規制を行うことは理にかなっている。規制は、公共の利益を最大化し負担を最小化するように設計すべき、それだけのことだ。
 (5)嘘その5:財政赤字の削減は経済に良い
  (a)財政赤字削減
   財政赤字をただちに削減すれば、景気は回復する。
  (b)成長と雇用が経済規模に対する相対的債務を減少させる
   成長と雇用が鍵なのだ。より多くの人が働けば、より多くの企業が利益を上げ、景気が拡大して税収が増え、経済規模に対する債務は相対的に減っていく。だが、経済成長が緩やかだったり、低迷しているときには、まさに反対のことが起こる。景気低迷と低税収の悪循環に陥ってしまう。もしそこで政府支出を削減したら、悪循環どころか、それが死にいたる落とし穴になってしまうかもしれない。
 (6)嘘その6:公的医療保険制度は縮小すべき
  (a)公的医療保険制度は縮小すべき
   公的医療保険制度であるメディケア(高齢者対象)とメディケイド(低所得者対象)を縮小すべきだ。
  (b)全ての人に医療が提供できる公的な仕組みを工夫する
   基本的医療費が増え続ける一方で、より多くの高齢者が、支払能力がないために医療ケア市場から締め出されていく。医療費を抑制するずっとましな方法は、メディケアとメディケイドが公的医療保険制度としての交渉力を駆使して、製薬会社や病院の治療費を下げさせ、診療行為に対する課金から診療結果に対する課金システムへと移行させることだ。
 (7)嘘その7:セーフティネットが寛大すぎる
  (a)セーフティネットが寛大すぎるので働かない
   われわれのセーフティネットは、寛大にすぎる。彼らは、米国が抱える経済問題の原因は、政府「依存」の急増にあり、これらの給付を止めれば、人々は一生懸命に働くようになるというのである。
  (b)本当に必要なセーフティネットが整備されているか
   しかしここでも、逆進主義者たちは原因と結果をあべこべにしている。
   (i)失業保険の受給者が増えた原因は何か?
   (ii)必要としている人が、全て受給できているのか?
   (iii)受給資格要件は、ほんとうに妥当なのか?
 (8)嘘その8:社会保障制度は破綻する
  (a)社会保障制度は、ねずみ講だ。
  (b)保険料の所得上限を引き上げるべき
   社会保障制度をめぐる長期課題に対する合理的解決策は、給付額の削減や支給開始年齢の引き上げではなく、徴収対象となる所得上限を引き上げることなのである。
 (9)嘘その9:低所得者層の税負担が軽いのは不公平
  (a)低所得者層の税負担が軽いのは不公平
   低所得者層の連邦所得税の負担割合が小さく、人によってはまったく所得税を払っていないのは不公平だ。
  (b)累進課税制度が真の公平である
   これはまったく不公平でも何でもない。累進課税制度が真の公平である。しかし現実には、様々な所得に対する様々な税を総合的に考慮すると、単純に平等な税負担にさえなっていない。
 (10)嘘その10:一律の税率のほうが公平だ。

 「真っ赤な嘘も、反論されない限り繰り返し語っていれば、次第に人々が受け入れるようになることは、扇動の歴史が物語っている。ジョージ・オーウェルがかつて述べたように、「大衆はストレスを受けて混乱すると、反論されずに繰り返し語られる大嘘を、次第に真実として受け入れてしまう」のだ。だからまず事実を知って、それを広めていかなくてはならない。
 ではその嘘とは何か。
 嘘その1:富裕層は「雇用の創造主」であるから、富裕層に対して減税すれば、みなによい効果を波及させる「トリクルダウン」が発生する。逆に、富裕層に増税すると景気に打撃を与え、雇用の伸びも鈍化してしまう。」(中略)
 「富裕層が雇用を生み出すのではない。雇用は、大多数のアメリカ人がモノを買い、企業が生産能力を拡大して労働者を採用することで創出されるのだ。そして、そのためには大多数の国民がモノを買うだけのカネを持っていなければならない。先に述べたように、国民所得が不均衡に富裕層に流れると、中間層にはもはや雇用を創出するだけの購買力がなくなってしまうのである。」
 嘘その2:法人税を下げれば、企業は雇用を創出し景気も活性化する。
 「これらの企業が生産能力の拡大や雇用創出に投資しない理由は、税金とはまったく関係がない。本当の理由は、生産力を追加したとしても、そうやって新たに造り出されたモノを買うだけの十分なカネを持つ顧客が足りないことだ。企業は経済的に見合う分しか支出しない。」
 嘘その3:政府の規模を小さくすれば、雇用が増大し景気も好転する。
 「政府の規模縮小は、州や自治体レベルでは教員や消防士、警察官、福祉職員などの公務員の減少を、連邦レベルでは安全検査官や軍人の減少をもたらす。その結果、公共事業の受託企業が減り、受託企業による民間部門の雇用も減ってしまう。」
 嘘その4:規制が少ないほど、経済は強くなる。
 「企業の存在理由は一つしかない。すなわち、利益を上げ株価を上げることであって、市民を守ることではない。だがそれでも、市民の健康と安全、個人投資家に対する公平性、持続可能な環境といったものはすべて「公共善」であり、これがなければ、人々はますます貧しくなってしまう。公共に対する利益のほうが、その負担よりも大きい場合に、規制を行うことは理にかなっている。規制は、公共の利益を最大化し負担を最小化するように設計すべき、それだけのことだ。」
 嘘その5:財政赤字をただちに削減すれば、景気は回復する。
 「成長と雇用が鍵なのだ。より多くの人が働けば、より多くの企業が利益を上げ、景気が拡大して税収が増え、経済規模に対する債務は相対的に減っていく。だが、経済成長が緩やかだったり、低迷しているときには、まさに反対のことが起こる。景気低迷と低税収の悪循環に陥ってしまう。もしそこで政府支出を削減したら、悪循環どころか、それが死にいたる落とし穴になってしまうかもしれない。」
 嘘その6:公的医療保険制度であるメディケア(高齢者対象)とメディケイド(低所得者対象)を縮小すべきだ。
 「基本的医療費が増え続ける一方で、より多くの高齢者が、支払能力がないために医療ケア市場から締め出されていく。医療費を抑制するずっとましな方法は、メディケアとメディケイドが公的医療保険制度としての交渉力を駆使して、製薬会社や病院の治療費を下げさせ、診療行為に対する課金から診療結果に対する課金システムへと移行させることだ。」
 嘘その7:われわれのセーフティネットは、寛大にすぎる。
 「彼らは、米国が抱える経済問題の原因は、政府「依存」の急増にあり、これらの給付を止めれば、人々は一生懸命に働くようになるというのである。
 しかしここでも、逆進主義者たちは原因と結果をあべこべにしている。フードスタンプや失業保険などのセーフティネット・プログラムの給付額が増えたのは、2008年に人々が、世界大恐慌以来の経済危機に打ちのめされたからなのだ。彼らもその家族も、受けられる限りの支援を必要としていたのである。
 それどころか、アメリカのセーフティネットはあまりに小さく、穴だらけだ。貧困層の数を割合が2009年から12年にかけて劇的に増大したのはそのためなのだ。これこそ本物の不祥事ではないか。たとえば、不況の真っただ中で失業保険給付を受けることができた失業者は40%にすぎなかったが、それは彼らが失業する前に非正規従業員であったか、職に就いていても受給資格に必要な労働時間を満たしていなかったからなのだ。失業保険制度では、多くの労働者が非正規で複数の仕事を掛け持ちし、短期間で職を転々とするという実態を想定していないのである。」
 嘘その8:社会保障制度は、ねずみ講だ。
 「社会保障制度をめぐる長期課題に対する合理的解決策は、給付額の削減や支給開始年齢の引き上げではなく、徴収対象となる所得上限を引き上げることなのである。」
 嘘その9:低所得者層の連邦所得税の負担割合が小さく、人によってはまったく所得税を払っていないのは不公平だ。
 「これはまったく不公平でも何でもない。「公平」というのは、より多くのカネを稼ぐ人が、カネのない人よりも、その所得のうちより大きな割合を税金として支払うということを言うのだ。これは累進課税制度と言われ、米国の税法の基本原理である。富裕層上位1%の人たちに流れる所得が1970年代後半に比べて倍増したのだから、彼らの税分担も倍増し、中・低所得層の負担は軽減したと思いたいところだが、実際には上位1%の人たちの税負担は、増えていく総所得に対するシェアには追い付いていない。もし税制が完全に公平であるならば、総所得税収に対する彼らの負担割合が増え、それ以外の人たちの税負担が減るはずだ。
 しかも、所得税はアメリカ人が支払う税金のほんの一部にすぎない。中・低所得者層は所得のなかから、給与税として社会保障税とメディケア、州と地方の消費税、各種の受益者負担金、固定資産税なども支払うから、所得に対する負担割合は、富裕層よりもずっと高くなる。」
 嘘その10:一律の税率のほうが公平だ。

(ロバート・ライシュ(1946-)『怒りを越えて』(日本語名:『格差と民主主義』)PART2 逆進主義的右派の勃興、経済をめぐる10の嘘、pp.142-157、東洋経済新報社 (2014)、雨宮寛・今井章子(訳))
(索引:経済をめぐる10の嘘)

ロバート・ライシュ 格差と民主主義

(出典:wikipedia
ロバート・ライシュ(1946)の命題集(Propositions of great philosophers) 「国家や政府は人間が作ったものであり、法律も企業もそして野球だって人間が作ったものだ。同じように市場も人間の産物である。他のシステムと同じく市場の構築の仕方にもさまざまな方法があるが、それがどう作られようと、人々のやる気や市場のルールによって生まれてくる。理想的には、ルールによって人々が働いたり協力しあう気になり、生産的で創造的でありたいと動機づけされるのが望ましい。つまり、ルールが人々が望む暮らしの実現を手助けするのである。ルールはまた、人々の倫理観や、何が良くて立派で、何が公平かについての判断基準をも映し出す。そしてルールは不変ではなく、時間の経過とともに変わっていく。願わくば、ルールにかかわる人のほとんどが、より良くより公平だと思う方向へ――。だが、常にそうなるとは限らない。ある特定の人々が自分たちを利するようにルールを変える力を得たことによっても、ルールは変わりうるからだ。これがこの数十年の間に、米国や他の多くの国々で起こったことである。
 私的所有独占への制限契約不履行に対処するための破産などの手段ルールの執行といった事柄は、いかなる市場にも必須の構成要素だ。資本主義と自由企業体制にはこれらが必要なのだ。だがこの要素の一つひとつを、多くの人ではなく、ひと握りの人々を利するように捻じ曲げることも可能である。」(中略)「経済的支配力が、政治的権力を増大させ、政治的権力がさらに経済的支配力を拡大させる。大企業と富裕層が市場を構築する政治の仕組みに影響を与え、彼らがその政治的決定によって最も恩恵を受けるという状況は加速するばかりだ。こうして彼らの富は増強され、その富によってますます、将来発生する決断事項への影響力を得ていくのである。」(中略)「拡大する不平等は「自由市場」の構成要素そのものにしっかりと焼き込まれている。グローバル化と技術革新がなくても減税や補助金がなくても、国民総所得のうち、企業と、企業収益に自分の所得が連動する重役たちや投資家に振り分けられる割合は、労働者層に向う割合よりも、相対的に増加している。こうして悪循環が勝手に成立していくのである。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『資本主義を救う』(日本語名『最後の資本主義』)第1部 自由市場、第9章 まとめ――市場メカニズム全般、pp.108-111、東洋経済新報社 (2016)、雨宮寛・今井章子(訳))

ロバート・ライシュ(1946-)
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法外な富の蓄積や低い実質税率という真実を隠蔽し実利を得る方法(a)ゼロサムゲームの幻想を広め,高齢者対若者,中間層対貧困層など国民を分断,対立させる(b)公務員を悪者にし,規制緩和と民営化を推進する(c)最高裁への影響力(ロバート・ライシュ(1946-))

分断制圧戦略

【法外な富の蓄積や低い実質税率という真実を隠蔽し実利を得る方法(a)ゼロサムゲームの幻想を広め,高齢者対若者,中間層対貧困層など国民を分断,対立させる(b)公務員を悪者にし,規制緩和と民営化を推進する(c)最高裁への影響力(ロバート・ライシュ(1946-))】

(1)富裕層の知られてはならない秘密
 (a)法外な所得や、富の蓄積。
 (b)実質的な税率が低いという事実。
 (c)相続税や、キャピタル・ゲイン課税をなるべく低くすること。
 (d)富裕層に対して、さらなる減税を進めようとしていること。
(2)逆進主義者たちの分断制圧戦略
 国民を互いに分断し、互いに争わせ、本当の事実を見えなくさせる方法である。
 (2.1)戦略1 「ゼロサムゲーム」という幻想
  財政赤字に対する警鐘を鳴らしつつ、誰かを救うためには誰かが犠牲にならなければならないという幻想を作り出し、中産階級に人気の政策を締め付ける。
  (a)社会保障の受給が間近に迫る高齢労働者と、自分たちの時代にはそれらは破綻していると思っている若年労働者を対立させること。
  (b)中間層と貧困層を対立させること。
  (c)組合員と非組合員とを対立させること。
  (d)自国民と移民とを対立させること。
  (e)宗教的保守と世俗主義者とを対立させること。
 (2.2)戦略2 公務員を悪者にする
  (a)公的部門と、民間の労働者とを対立させること。
  (b)規制緩和と民営化の推進に好都合な戦略である。
  (c)社会資本やインフラへの投資削減に好都合な戦略である。
 (2.3)戦略3 最高裁を制圧せよ

 「逆進主義者の狙いは、米国を分断し制圧することだ。前に述べたように、組合員と非組合員とを対立させ、公的部門とそうでない部門の労働者、米国生まれと移民とを対抗させたばかりか、メディケアや社会保障の受給が間近に迫る高齢労働者と自分たちの時代にはそれらは破綻していると思っている若年労働者、中間層と貧困層、宗教的保守と世俗主義者との間をも対立させている。
 これは、富裕層のトップが法外な所得や富や権力を得てそれをため込んでいることや、歴史的に富裕層には税率が低いという事実から、人々の関心をそらすやり方の一つなのだ。そして彼らは、自分たちが富裕層に対してさらなる減税を進めようとしていることに誰も気づくまいと考え、ブッシュ減税を恒久化して富裕層減税を進め、相続税を廃止したほか、自分の所得をより税率が低いキャピタル・ゲイン課税(15%)になるべく多く区分できるようにしたのである。
 逆進主義者たちの分断制圧戦略は、以下の三つの部分からなっている。
 戦略1 「ゼロサムゲーム」という幻想。
 一つ目は連邦政府の予算審議だ。財政赤字に対する警鐘を鳴らしつつ、中産階級に人気の政策を締め付けることで、逆進主義者たちは国民に、首都で巨大なゼロサムゲームが起こっていると思わせたいのだ。普通のアメリカ人が勝つためには、別の普通のアメリカ人が負けなくてはならないという風に考えてほしいのだ。」(後略)
 戦略2 公務員を悪者にする
 戦略3 最高裁を制圧せよ
(ロバート・ライシュ(1946-)『怒りを越えて』(日本語名:『格差と民主主義』)PART1 不公正なゲーム、何を間違えたのか、p.xx、東洋経済新報社 (2014)、雨宮寛・今井章子(訳))
(索引:分断制圧戦略)

ロバート・ライシュ 格差と民主主義

(出典:wikipedia
ロバート・ライシュ(1946)の命題集(Propositions of great philosophers) 「国家や政府は人間が作ったものであり、法律も企業もそして野球だって人間が作ったものだ。同じように市場も人間の産物である。他のシステムと同じく市場の構築の仕方にもさまざまな方法があるが、それがどう作られようと、人々のやる気や市場のルールによって生まれてくる。理想的には、ルールによって人々が働いたり協力しあう気になり、生産的で創造的でありたいと動機づけされるのが望ましい。つまり、ルールが人々が望む暮らしの実現を手助けするのである。ルールはまた、人々の倫理観や、何が良くて立派で、何が公平かについての判断基準をも映し出す。そしてルールは不変ではなく、時間の経過とともに変わっていく。願わくば、ルールにかかわる人のほとんどが、より良くより公平だと思う方向へ――。だが、常にそうなるとは限らない。ある特定の人々が自分たちを利するようにルールを変える力を得たことによっても、ルールは変わりうるからだ。これがこの数十年の間に、米国や他の多くの国々で起こったことである。
 私的所有独占への制限契約不履行に対処するための破産などの手段ルールの執行といった事柄は、いかなる市場にも必須の構成要素だ。資本主義と自由企業体制にはこれらが必要なのだ。だがこの要素の一つひとつを、多くの人ではなく、ひと握りの人々を利するように捻じ曲げることも可能である。」(中略)「経済的支配力が、政治的権力を増大させ、政治的権力がさらに経済的支配力を拡大させる。大企業と富裕層が市場を構築する政治の仕組みに影響を与え、彼らがその政治的決定によって最も恩恵を受けるという状況は加速するばかりだ。こうして彼らの富は増強され、その富によってますます、将来発生する決断事項への影響力を得ていくのである。」(中略)「拡大する不平等は「自由市場」の構成要素そのものにしっかりと焼き込まれている。グローバル化と技術革新がなくても減税や補助金がなくても、国民総所得のうち、企業と、企業収益に自分の所得が連動する重役たちや投資家に振り分けられる割合は、労働者層に向う割合よりも、相対的に増加している。こうして悪循環が勝手に成立していくのである。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『資本主義を救う』(日本語名『最後の資本主義』)第1部 自由市場、第9章 まとめ――市場メカニズム全般、pp.108-111、東洋経済新報社 (2016)、雨宮寛・今井章子(訳))

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低い税率と低い賃金で資本を呼び込もうとする政策は、悪循環する。適切な公共投資によって、熟練した良質の労働者と整った社会資本を持つ国は、比較的良質の仕事を提供する資本を引き寄せる。(ロバート・ライシュ(1946-))

適切な公共投資の必要性

【低い税率と低い賃金で資本を呼び込もうとする政策は、悪循環する。適切な公共投資によって、熟練した良質の労働者と整った社会資本を持つ国は、比較的良質の仕事を提供する資本を引き寄せる。(ロバート・ライシュ(1946-))】

参考:資本の移動性が高まったことによって,ローカルな政府は,資本を呼び込むために規制緩和し,資本の選好,慣例,期待に応える。低い税金,柔軟な労働市場,そして組織的抵抗を行わない従順な国民。(ジグムント・バウマン(1925-2017))

 「《公共》部門が行う投資額およびその種類と、国が世界から資本を集められる能力との関連は強まっている。ここに、新たな経済ナショナリズムの論理が生まれる。すなわち労働者の技能と社会資本の質こそが、世界経済におけるその国独自の特質であり、他の国とは違った魅力を形成する。世界的な生産における、こうした比較的変動のない要素への投資が、国と国との主要な差なのである。それと対照的に、マネーは世界中を容易に移動する。
 知識を持ち、複雑な作業に熟練し、仕事の成果を容易に地球経済に移転できる労働力こそ、グローバル・マネーを自分のほうに引き寄せる力を持つ。この誘因はある一つの有益な関係に発展する可能性がある。熟練労働者と整った社会資本は、投資を行い、労働者に比較的良質の仕事を提供するグローバル・ウェブを持つ企業を惹きつける。こうした仕事は、当然、実地訓練や経験をさらに増やすことになり、他のグローバル企業にとっても強い魅力を生みだすことになる。技能が向上し、経験を積むにつれ、その国の市民は世界経済にますます大きな価値をもたらし、当然の権利としてかつてない高い報酬を獲得し、生活水準を向上させる。
 しかし適切な技能や社会資本の整備がなければ、この関係はまったく逆――すなわち、外国からの投資は国際比較でみて低い賃金と低い税率に引き寄せられる、という悪循環――になる可能性が高い。こういうもので投資を呼び寄せても、将来のための教育や社会資本への投資はもっと困難になる。結果として提供される仕事は、将来より複雑な作業につながるような実地訓練や経験をほとんど、あるいはまったくもたらさない。あとは推して知るべしだ。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』第4部 国家の新しい意味、22 古臭い思想の効用、pp.363-364、ダイヤモンド社 (1991)、中谷巌(訳))
(索引:公共投資)

ザ・ワーク・オブ・ネーションズ?21世紀資本主義のイメージ

(出典:wikipedia
ロバート・ライシュ(1946)の命題集(Propositions of great philosophers) 「国家や政府は人間が作ったものであり、法律も企業もそして野球だって人間が作ったものだ。同じように市場も人間の産物である。他のシステムと同じく市場の構築の仕方にもさまざまな方法があるが、それがどう作られようと、人々のやる気や市場のルールによって生まれてくる。理想的には、ルールによって人々が働いたり協力しあう気になり、生産的で創造的でありたいと動機づけされるのが望ましい。つまり、ルールが人々が望む暮らしの実現を手助けするのである。ルールはまた、人々の倫理観や、何が良くて立派で、何が公平かについての判断基準をも映し出す。そしてルールは不変ではなく、時間の経過とともに変わっていく。願わくば、ルールにかかわる人のほとんどが、より良くより公平だと思う方向へ――。だが、常にそうなるとは限らない。ある特定の人々が自分たちを利するようにルールを変える力を得たことによっても、ルールは変わりうるからだ。これがこの数十年の間に、米国や他の多くの国々で起こったことである。
 私的所有独占への制限契約不履行に対処するための破産などの手段ルールの執行といった事柄は、いかなる市場にも必須の構成要素だ。資本主義と自由企業体制にはこれらが必要なのだ。だがこの要素の一つひとつを、多くの人ではなく、ひと握りの人々を利するように捻じ曲げることも可能である。」(中略)「経済的支配力が、政治的権力を増大させ、政治的権力がさらに経済的支配力を拡大させる。大企業と富裕層が市場を構築する政治の仕組みに影響を与え、彼らがその政治的決定によって最も恩恵を受けるという状況は加速するばかりだ。こうして彼らの富は増強され、その富によってますます、将来発生する決断事項への影響力を得ていくのである。」(中略)「拡大する不平等は「自由市場」の構成要素そのものにしっかりと焼き込まれている。グローバル化と技術革新がなくても減税や補助金がなくても、国民総所得のうち、企業と、企業収益に自分の所得が連動する重役たちや投資家に振り分けられる割合は、労働者層に向う割合よりも、相対的に増加している。こうして悪循環が勝手に成立していくのである。」
(ロバート・ライシュ(1946-)『資本主義を救う』(日本語名『最後の資本主義』)第1部 自由市場、第9章 まとめ――市場メカニズム全般、pp.108-111、東洋経済新報社 (2016)、雨宮寛・今井章子(訳))

ロバート・ライシュ(1946-)
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2020年6月9日火曜日

福祉国家創造への原動力である崇高な倫理的理念にせよ,公正や平等への闘争にせよ,前提条件的な経済状況の変化によって機能不全に陥る. 大量の労働力が不要となり,労働は分極化,分断され,連帯や組織的抵抗が弱体化する.(ジグムント・バウマン(1925-2017))

福祉国家創造の原動力の前提条件の変化

【福祉国家創造への原動力である崇高な倫理的理念にせよ,公正や平等への闘争にせよ,前提条件的な経済状況の変化によって機能不全に陥る. 大量の労働力が不要となり,労働は分極化,分断され,連帯や組織的抵抗が弱体化する.(ジグムント・バウマン(1925-2017))】

(1)福祉国家の創造への原動力
 (a)崇高な倫理的理念
  近代の文明社会を構成する諸原則のうちで、倫理的意図が結実した。
 (b)不平等に対する闘争
  また資本主義の発展がたどる不平等で不安定な過程によって脅かされる人々の暮らしに対して、国家に裏づけられた集団的な保障を要求した労働組合や労働者政党による長い闘争の結果として、そうした福祉国家の導入がなされた。
 (c)労働の反抗の回避
  資本と労働における意見の不一致を和らげ、労働者の反抗する可能性を避けたいという動機から、制度が導入された。
(2)かつて前提となっていた経済的状況とその変化
 (2.1)資本
  (a)かつて、成長率と利益率は生産過程に投入された労働の量に比例していた。
  (b)企業利益の主要な源泉が,大量の消費者を獲得できるアイディアに変化し,労働力への依存度が減少,比較的単純な仕事の担い手は,交換可能な部品,消耗品とみなされ,仕事の意義を見失い,同僚との結びつきも希薄化する。(ジグムント・バウマン(1925-2017))
 (2.2)労働
  労働力は、必要な時に供給されるように、準備されている必要があった。
 (2.3)ローカルな国家
  (a)国家は、必要な施策を実施する責任を担っていた。
  (b)資本の移動性が高まったことによって,ローカルな政府は,資本を呼び込むために規制緩和し,資本の選好,慣例,期待に応える。低い税金,柔軟な労働市場,そして組織的抵抗を行わない従順な国民。(ジグムント・バウマン(1925-2017))

「もしカインの質問がヨーロッパ中で、種々の新たな形をとりながら尋ねられるとともに、福祉国家があらゆるところで攻撃にさらされているのだとすれば、すでに確立し、近代社会の自然な状態と見なされたり感じられたりしてきた複数の要素からなる独特の結びつきが、いまでは解体しはじめていることがその理由である。その期限において、福祉国家は「重層的に決定されていた」といえるかもしれない。しかしいまでは、福祉国家の制度に対する怒りとそうした制度が少しずつ解体しているということが、同じように「重層的に決定されている」。
 福祉国家の登場は倫理的意図の勝利であり、近代の文明社会を構成する諸原則のうちでそうした倫理的意図を改変した結果であるという人々がいる。また資本主義の発展がたどる不平等で不安定な過程によって脅かされる人々の暮らしに対して、国家に裏づけられた集団的な保障を要求した労働組合や労働者政党による長い闘争の結果として、そうした福祉国家の導入がなされたのだという人々もいる。さらにまた、資本と労働における意見の不一致を和らげ、その脅威に対して反抗する可能性を避けたいという既成の政治組織が抱いていた望みを強調する人たちもいる。こうした説明のすべては確かな響きが感じられるけれども、その一つひとつは真理の一面を把握しているだけにすぎない。いま述べた要因のどれをとってみても、そのどれか一つだけでは福祉国家を支えることができない可能性が高い。むしろそれらが同時に生じたということこそが、福祉国家の創造への道を開き、給付制度に対するほとんどすべての人々からの支持を取りつけ、同じようにすべての人々からその費用を負担してもいいという態度を引き出したのである。
 しかしこうした要因を組み合わせてみたとしても、それらを束ねる留め金がなかったとすれば、不十分であったということになる。その留め金とは、資本と労働の両者を「市場に対して準備が整った」状態に保つ必要性と、国家によって担われたこうした行為をおこなう責任のことである。資本主義経済が機能するためには、資本が労働を買い入れる必要があるばかりでなく、労働の側も自らを購買するかもしれない人々に対して、自分を必要な商品だと思わせるように十分に魅力的な状態を自ら保たなければならなかった。このような状況で国家に担う主要な任務となり、国家が果たすべき他の諸機能を適切に遂行するための鍵ともなっていたのは、「資本ー労働関係の商品化」すなわち労働を売買する取り引きが妨害されずに続けられるように責任をもつことだった。
 資本主義の発達でのこうした段階(いまでは一般的に言って過ぎ去ってしまった)では、成長率と利益率は生産過程の投入された労働の量に比例していた。そして資本主義市場の活動は、好況の後には長引く不況が到来するといった変動によって悪名が高かった。それゆえ、潜在的には使用可能なすべての労働資源が、あらゆる時期において雇用されるなどということはありえなかったのである。しかし現在仕事のない者も、将来には意欲的な労働力となった。つまりそのとき、一時的に彼らは失業していただけなのであり、通常とは異なってはいるが、過渡的であって矯正可能でもある状態にとどまっている人々として扱われたわけである。要するに彼らは「労働予備軍」だったのであり、その時点での彼らの状況ではなく、必要なときに彼らが対応できるかどうかということによって、その地位も定義されていたのである。」
(ジグムント・バウマン(1925-2017)『個人化社会』第5章 私は弟の世話役ですか?、pp.105-106、青弓社 (2008)、菅野博史(訳))
(索引:福祉国家)

個人化社会 (ソシオロジー選書)


(出典:wikipedia
ジグムント・バウマン(1925-2017)の命題集(Propositions of great philosophers) 「批判的思考の課題は「過去を保存することではなく、過去の希望を救済することである」というアドルノの教えは、その今日的な問題性をいささかなりとも失ってはいない。しかしまさしくその教えが今日的な問題性を持つのが急激に変化した状況においてであるがゆえに、批判的思考は、その課題を遂行するために、絶え間ない再考を必要とするものとなる。その再考の検討課題として、二つの主題が最高位に置かれなければならない。
 第一に、自由と安定性(セキュリティ)のあいだの許容しうるバランスをうまく作り出すことへの希望と可能性である。これら二つの、両立できるかどうか自明ではないとはいえ、等しくきわめて重要な人間社会の必須の(sine qua non)条件が、再考の努力の中心に置かれる必要がある。そして第二に、至急救い出される必要がある、過去に存在した数々の希望のなかでも、カント自身の「瓶に詰められたメッセージ」として保持されてきたもの、つまりカントの『世界市民的見地における一般史の構想』は、メタ希望としての地位を正当にも主張しうるものだということである。つまりそれは、希望するという果敢な振る舞いそのものを可能にすることができる――するであろう、すべきである――ような希望である。自由と安定性のあいだにいかなる新しいバランスを作ることが探究されるとしても、それは、地球規模のスケールで構想される必要がある。」
(ジグムント・バウマン(1925-2017)『液状不安』第6章 不安に抗する思考、pp.256-257、青弓社 (2012)、澤井敦(訳))

ジグムント・バウマン(1925-2017)
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感情が引き起こす身体変化のうち筋骨格系は、視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝えることで迅速に起こる。特に顔面の変化は、文化によって変わらず、役割取得に重要な役割を果す。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

筋骨格系

【感情が引き起こす身体変化のうち筋骨格系は、視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝えることで迅速に起こる。特に顔面の変化は、文化によって変わらず、役割取得に重要な役割を果す。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】
筋骨格系
 (1)視床下部
  (a)視床下部が、他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝える。
 (2)横紋筋
  (a)横紋筋は、自律神経系の平滑筋よりもより敏捷に反応するので、その刺激と関係する感情興奮ならびにその収縮からのフィードバックは迅速である。
  (b)個人の最初の役割取得は筋骨格系、とくに顔の筋肉からの信号を頼りにしている。顔の原基的感情反応は文化によって変わるということがない。なぜなら、人間はことごとく顔面に設定された同一の筋肉構成をもっているからである。そして横紋筋の刺激は速やかに働く。

 「筋骨格系は身体運動を指令する骨格構造を制御する横紋筋の刺激に関与する。この系で働く基礎過程は図4-5に略図化されている。ここでも、視床下部が他の辺縁系からの入力情報を横紋筋の収縮へと伝える際にとくに重要である。そして横紋筋は自律神経系の平滑筋よりもより敏捷に反応するので、その刺激と関係する感情興奮ならびにその収縮からのフィードバックは迅速である(Le Doux 1996)。事実、個人の最初の役割取得(および、意図的か意図的でないかにかかわらず、役割づくり)は筋骨格系、とくに顔の筋肉からの信号を頼りにしている。エクマン(Ekman 1982,1992b)と同僚たちが検証しているように、顔の原基的感情反応は文化によって変わるということがない。なぜなら、人間はことごとく顔面に設定された同一の筋肉構成をもっているからである。そして横紋筋の刺激は速やかに働く(ミリ秒単位で)。さらに、神経伝達物質は筋肉収縮に関与しているので、顔の表情の読解は筋骨格系と神経伝達身体系の両方を対象にしていることになる。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.141、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:筋骨格系)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

ジョナサン・H・ターナー(1942-)
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感情が引き起こす身体変化のうち内分泌系は、辺縁系を経由した入力情報を視床下部が受信し、直接に、あるいは下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

内分泌系

【感情が引き起こす身体変化のうち内分泌系は、辺縁系を経由した入力情報を視床下部が受信し、直接に、あるいは下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】
内分泌系
 (a)視床下部
  視床下部は他の辺縁系からの入力情報を受信し、そして直接に、あるいはより典型的には下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。
 (b)神経刺激性のペプチドのフロー
 (c)ホルモンのフロー

 「この系は内分泌系から構成され、脳の血流を通して神経刺激性のペプチドのフローと、身体の全体的な脈管系に通じるホルモンのフローからなっている。視床下部は他の辺縁系からの入力情報を受信し、そして直接に、あるいはより典型的には下垂体とこれに直接に関係する諸領野を通って、ホルモンとペプチドの血流への放出を引き起こす。それらは伝達されるにともなって身体を活性化し、そしてすみずみまで作用し、脳血管系に戻るにつれて、それらは他の辺縁系に対して重要なフィードフォワードならびにフィードバック効果をもつ(Le Doux 1996)。もちろん、これらの効果が現われるまでには時間がかかる。なぜなら、ホルモンは身体中を頻繁に循環しなければならないからだ。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、p.140、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:内分泌系)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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感情が引き起こす身体変化のうち神経伝達物質と神経刺激性ペプチドは、次のような影響を及ぼす。(a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽、(b)注意、興奮、(c)学習、記憶、(d)摂食への刺激、(e)睡眠、覚醒(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

神経伝達物質と神経刺激性ペプチド

【感情が引き起こす身体変化のうち神経伝達物質と神経刺激性ペプチドは、次のような影響を及ぼす。(a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽、(b)注意、興奮、(c)学習、記憶、(d)摂食への刺激、(e)睡眠、覚醒(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

神経伝達物質と神経刺激性ペプチド
 例えば、次のような変化を引き起こす。
 (a)満足感、福利感、リラクセーション、快楽
 (b)注意、興奮
 (c)学習、記憶
 (d)摂食への刺激
 (e)睡眠、覚醒
 「この身体系は神経伝達物質の放出に関係する。もっとも重要なものは表4-3ならびに図4-3に列挙されている。」
神経伝達物質
 アセチルコリン(ACh) 皮質興奮、学習、そして記憶、これらが身体系を刺激する。アセチルコリンが中程度の満足と関係するといういくらかの証拠がある。
 モノアミン
  ドーパミン 運動機能と視床機能を規制し、またほとんどの辺縁系を刺激する。
  ノルアドレナリン
  (ノルエピネフリン)
入力情報に反応し、興奮を刺激するニューロンの能力を強化する。
  アドレナリン
  (ピネフリン)
ノルアドレナリンと同じ。
  セロトニン 睡眠-覚醒サイクルを調整し、またリラクセーションと快楽を生成する。
  ヒスタミン 十分にわかっていないが、神経内分泌機能に関与すると考えられる。
 アミノ酸
  ガンマアミノ酪酸
  (GABA)
抑制行動がニューロンの出力を制御する。
  グリシン 不分明であるが、しかしグルタミンの効果を緩和する。
  グルタミン 辺縁系のニューロンを含めて、ニューロンの興奮行動の原因である。
神経刺激性ペプチド 判明している数十種のペプチドのうち、多くのペプチドは脳で生産され、伝達物質のように作用する。その理由は、これが微小であり、また脳脈管系を往き来する能力のゆえである。これらは種々の辺縁系によって刺激される広範な感情に影響すると考えられる。オピオイドは感情反応でとくに重要と考えられる。多数のペプチドが内分泌系、また身体のより包括的な循環器系を介して作用する。最近のデータはサブスタンスPが感情反応、とくにモノアミンとの関係において決定的に重要であることを立証している(Wahlestedt 1998,Kramer et al. 1998)。

 「感情状態に含まれる神経伝達物質のほとんどはふつう、他の感情システムからの刺激のもとで、そしてドレヴェットら(Drevets et al. 1997)の最近の研究が明らかにしているように、脳梁膝下の前頭前皮質の影響下で脳幹の中脳部位によって放出される。

前脳基底もまた一つの伝達物質であるアセチルコリン(ACh)を放出していると考えられる。

そして視床も直接に関与しているのかもしれない(Bentivoglio,Kutas-Ilinsky,and Ilinsky 1993)。

ところで、最近発表された研究では、伝達物質が以前に考えられていた以上に脳幹の外側の領野で放出されていると考えられている。

表4-3にしめしたように、伝達物質それぞれの気分高揚の効果を列挙するのは伝達物質を議論するうえで魅力的である。

たとえば、われわれはセロトニンを福利感、リラクセーション、そして睡眠を生みだすのに関与するものとみなし、またドーパミンを注意、興奮、摂食への刺激とみなすことができるかもしれない。 


しかしこうした伝達物質の効果はおそらくそれぞれ異なり、またそれらの相互作用効果はまだ十分にわかっていない。

ケェティ(Kety 1970:p.120)が二五年以上前に指摘したように、「特定の感情状態を一つあるいは複数の成体アミンの活動によって考察しようとする企てはそもそも不毛であると思われる。これらのアミンは複雑なニューロン・ネットワークの非常に重要な結節点で、単独で、もしくは結びあって機能すると考えられる。〔中略〕しかしこれらは個人の経験におそらく由来している」。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.134-138、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:神経伝達物質,神経刺激性ペプチド)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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9感情が引き起こす身体変化のうち自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃などへ影響を波及させる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

自律神経系

【感情が引き起こす身体変化のうち自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃などへ影響を波及させる。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1)感情が引き起こす身体変化
 (1.1)視床下部、下垂体、ホルモン
  (a)視床下部が受信した神経情報は、下垂体を経由して、ホルモン情報に変換される。
 (1.2)自律神経系
  (a)自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、他の感情システムや大脳皮質に伝達する。
  (b)感情は、自律神経系を介して、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃もたれなどの身体変化を生じる。
 (1.3)反応の連鎖
  (a)ある刺激への最初の興奮は最初の興奮を維持し、変換し、あるいは強化する仕方で身体系を動員する。その一方で、他の感情的身体系を起動させる。
(2)反応の社会的機能
 (2.1)ジェスチャーの無意識的な表現を含む自己呈示(役割づくり)
  自己呈示は、しばしば無意識に進行する。自己呈示に反応した他者が役割を取得し、その他者の反応を彼らの無意識なジェスチャー表現と気づくまで、自らの身体動員にしばしば無意識である。
 (2.2)自己呈示に対する他者の反応(役割取得)
  自己呈示が無意識であることに起因して、感情システムの興奮に起因するフィードバックは、しばしば他者が役割を取得することに依存する。

 「自律神経系(ANS)は、感情興奮に随伴する本能的な反応を制御する平滑筋組織から構成されている。こうした反応、呼吸、心拍、筋肉収縮、口の渇き、発汗、胃もたれを含む(Shepered 1994:p.395)。図4-2は自律神経系の反応に関与する重要な脳システムの大略をしめしている。」
 新皮質───┐ …─→自律神経系
  運動領野 │
  感覚皮質 │
  前頭葉  │
  前頭前葉 │
 前葉帯───│──┐ …─→自律神経系
 扁桃体───│─┐│ …─→自律神経系
 海馬    │ ││ …─→自律神経系
 前脳基底  │ ││ …─→自律神経系
┌視床←───┘ ││ …─→自律神経系
│ ↓      ││
│視床下部←───┘┘ …─→自律神経系
│ ↓
│下垂体 …─→自律神経系

└→脳幹:間脳 …─→自律神経系

「ずば抜けて重要なのは視床下部であり、これが脳の他の領野からの入力情報を受信し、そして血流に分泌する下垂体にねらいを定めることによって神経情報をホルモン情報に変換する。

これがひとたび起動すると、自律神経系は、主として視床を通して作用するフィードバック・システムとして働き、入力情報を受信し、そしてそれを他の感情システムや大脳皮質に伝達する(Le Doux 1996)。

ダマシオ(Damasio 1994)とルドゥー(Le Doux 1996)が論じているように、こうしたフィードバック・システムは感情興奮にとって重要である。ある刺激への最初の興奮は最初の興奮を維持し、変換し、あるいは強化する仕方で身体系を動員する。

その一方で、他の感情的身体系を起動させる。

そしてわたしが論じているように、自己呈示(ジェスチャーの無意識的な表現を含めて)において、あるいは役割づくり(R.H.Turner 1962)、そしてこうした呈示に対する他者の反応、あるいは役割取得(Mead 1934)において非常に重要であるのは、そうした身体系の動員なのである。

さらに、個人が他者の役割を取得し、そして、そうした他者の反応を彼らの無意識なジェスチャー表現とみなすまで、自らの身体動員にしばしば無意識である。

だから、感情システムの興奮に起因するフィードバックは、個人にとって内面的であるだけでなく、それはしばしば身体系動員の視覚的な光景に反応する他者の役割を取得することに依存している。

自律神経系について真であることは、すぐ後でみるように、他の三つの身体系についても同じく真である。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第4章 人間感情の神経学、pp.132-135、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学



(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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8.環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))

合理的な意思決定

【環境への迅速な対応のため、感情記憶は無意識的な過程を介して生成され機能する。合理的な思考と言語も、感情記憶の基礎の上に構築されており、認知能力は、感情によって活性化され、複雑かつ繊細になっていく。(ジョナサン・H・ターナー(1942-))】

(1.9)追記。

(1)人類の歴史
 (1.1)社会性と集団が無ければ生存できなかった
 (1.2)感情能力が強化されることで社会性が獲得された
 (1.3)社会性を強化するための、感情能力に依存する6つの仕組み
 (1.4)その1:感情エネルギーの動員と経路づけ
 (1.5)その2:対面反応の調整
 (1.6)その3:裁可
  (1.6.1)否定的裁可
   (1.6.1.1)怒りの表出
   (1.6.1.2)恐怖の喚起
   (1.6.1.3)否定的裁可の効果
   (1.6.1.4)否定的裁可の離反的効果
  (1.6.2)否定的裁可の内在化、恥と罪の感情
  (1.6.3)記憶による感情の持続化、激情化と肯定的感情の発展
   (1.6.3.1)記憶による感情の持続化と激情化
   (1.6.3.2)肯定的感情の必要性
  (1.6.4)肯定的裁可の内在化、誇りの感情
  (1.6.5)自己像の形成と自尊心の感情の誕生
  (1.6.6)悲しみなどの否定的感情の役割
   (1.6.6.1)恥や後悔などの感情と動機づけ
   (1.6.6.2)他者の悲しみの感知と連帯
 (1.7)その4:道徳的記号化
 (1.8)その5:資源評価と資源交換
 (1.9)その6:合理的意思決定
  (1.9.1)記憶
   (1.9.1.1)無意識的な感情記憶
    (a)危険に対してただちに反応するためには、もしその危険が繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を、皮質下辺縁系に貯蔵する。
    (b)新皮質を通るループを迂回する。
   (1.9.1.2)意識的な記憶
    (a)すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。
    (b)新皮質からの制御システムは、皮質下辺縁系を補完する。
  (1.9.2)思考と行為
   (a)合理的思考と言語は、無意識的な感情記憶の能力の上に構築されている。
   (b)その結果、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。
   (c)しかし合理的な思考は、具体的な経験と感情、情動と結合されないならば、活性化しない。
   (d)情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていく。

 「ここでもう一度、わたしの考えを繰り返しておこう。しばしば人間のもっとも卓越した特徴――合理的思考と言語――とみなされているものは、われわれのもっとも特有な特徴のもう一つ――非常に感情的であるわれわれの能力――の上に構築されたのだ。

ここでのわたしの要点は、記憶と思考は思考に経験、感情に情動をぴったり付ける能力なしには活性化しないだろうということである。

そして情動の拡がりが大きいほど、認知能力は複雑かつ繊細になっていくのである。

 とはいえ、思考と行為を導く記憶のすべてが意識的ではない。脳は感情記憶を皮質下に貯蔵できることがわかっている。すなわち、意識的な思考と評価が起こるのは新皮質の外部においてである(Le Doux 1996)。

選択が原始哺乳類の適合度をどのように強化したかを考えれば、このことは一目瞭然である。危険に対してただちに反応するためには、もし繰り返し起こりそうであるなら、適切な感情反応を瞬時に送信できる経験を皮質下辺縁系に貯蔵するために新皮質(もしそれが大きくなければ)を通るループを迂回するのが有用である。

すべての期待を新皮質経由にすると時間がかかり、身体反応を起こす感情中枢の起動が遅れてしまう。

そして、危険な状況下で、貴重な時間を失うことは適合度を減じることになる。

この種の皮質下の記憶系はヒト科の認知能力の拡張によって取り代えられはしなかった。むしろ原基的な皮質下の感情記憶系は新皮質からの制御システムによって補完された。

その結果、人間は新皮質に貯蔵された意識的記憶によって、あるいは中間的記憶(数年程度)を貯蔵する新皮質と統合される皮質下海馬と遷移性皮質によって、つき動かされて決定したり行動したりするのではなく、むしろ感情記憶を新皮質の直接的な関係の外部に貯蔵する、他の皮質下辺縁系によって押しだされる身体反応の影響下でしばしば意思決定は行われる。

事実、個人はなぜそのような決定をしてしまったのか、なぜそのように行動したのかを理解するのにとまどうことがしばしばある。

その答えは皮質下の感情記憶システムが皮質によって制御される系と交絡しているからである。

ゆえに、合理性はしばしば感情価との混合であり、その一部は、もし必要ならば、自己に接合され、そしてそれ以外は完全な自意識の外部にとどまっている。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の起源』第2章 選択力と感情の進化、pp.88-89、明石書店 (2007)、正岡寛司(訳))
(索引:合理的意思決定)

感情の起源 ジョナサン・ターナー 感情の社会学


(出典:Evolution Institute
ジョナサン・H・ターナー(1942-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「実のところ、正面切っていう社会学者はいないが、しかしすべての社会学の理論が、人間は生来的に(すなわち生物学的という意味で)《社会的》であるとする暗黙の前提に基づいている。事実、草創期の社会学者を大いに悩ませた難問――疎外、利己主義、共同体の喪失のような病理状態をめぐる問題――は、人間が集団構造への組み込みを強く求める欲求によって動かされている、高度に社会的な被造物であるとする仮定に準拠してきた。パーソンズ後の時代における社会学者たちの、不平等、権力、強制などへの関心にもかかわらず、現代の理論も強い社会性の前提を頑なに保持している。もちろんこの社会性については、さまざまに概念化される。たとえば存在論的安全と信頼(Giddens,1984)、出会いにおける肯定的な感情エネルギー(Collins,1984,1988)、アイデンティティを維持すること(Stryker,1980)、役割への自己係留(R. Turner,1978)、コミュニケーション的行為(Habermas,1984)、たとえ幻想であれ、存在感を保持すること(Garfinkel,1967)、モノでないものの交換に付随しているもの(Homans,1961;Blau,1964)、社会結合を維持すること(Scheff,1990)、等々に対する欲求だとされている。」(中略)「しかしわれわれの分析から帰結する一つの結論は、巨大化した脳をもつヒト上科の一員であるわれわれは、われわれの遠いイトコである猿と比べた場合にとくに、生まれつき少々個体主義的であり、自由に空間移動をし、また階統制と厳格な集団構造に抵抗しがちであるということだ。集団の組織化に向けた選択圧は、ヒト科――アウストラロピテクス、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトゥス、そしてホモ・サビエンス――が広く開けた生態系に適応したとき明らかに強まったが、しかしこのとき、これらのヒト科は類人猿の生物学的特徴を携えていた。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『社会という檻』第8章 人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬、pp.276-277、明石書店 (2009)、正岡寛司(訳))

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