仮想身体ループ機構の進化的由来
【仮想身体ループ機構によって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速で、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっており、実際の行動や身体変化の準備を迅速に成し遂げる。(アントニオ・ダマシオ(1944-)】(再掲)
仮想身体ループ機構
(1)恐ろしい事故が起き、ある人物がひどい怪我を負った話を聞かされる。
(2)心の中にその人物の苦痛を鏡像的に再現する。
(3)表象が、現在の身体マップを急激に変更する。すなわち、この例では苦痛を感じる。この身体マップの変更は、実際の苦痛により被る変更と同じである。このことにより、あたかもあなた自身が犠牲者であるかのように感じる。
仮想身体ループ機構の進化的由来
(1)はじめ脳は、身体状態をただありのままにマッピングした。
(2)その後、苦をもたらすような身体状態のマッピングを一時的に消去する、といった手段が生まれた。
(3)その後、何も存在しないところに、苦の状態を模倣する手段も生じた。
(3.1)脳は身体マップの変更を、100ms以下という時間スケールで、ひじょうに迅速に成し遂げることができる。これは、前頭前皮質からその先わずか数cmしか離れていない島の体性感覚に信号を伝達する時間である。
(3.2)この仮想身体的メカニズムによって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速であり、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっている。
(3.3)これに対して脳が、本物の身体に変化を引き起こす時間スケールは数秒だ。長い、無髄性の軸索が脳から数十cm離れた身体部分に信号を送るのに、およそ1秒かかる。これはまた、ホルモンが血流中に放出されその一連の作用を生じはじめるのに要する時間スケールでもある。
「脳はさまざまな手段により、われわれが身体状態を〈ごまかす〉ことができるようにしている。そのような特徴が進化においていかにしてはじまったかを考えてみる。
はじめ、脳は身体状態をただありのままにマッピングした。その後、他の手段、たとえば、苦をもたらすような身体状態のマッピングを一時的に消去する、といった手段が生まれた。そしてたぶんさらにその後、何も存在しないところに苦の状態を模倣する手段も生じた。
これらの手段には明らかな利点があって、そうした利点を利用する者が繁栄したから、それによりそれらの手段が生き残った。ただし、自然がもたらした他の価値ある特徴がそうであるように、病理的変異によってその価値ある用途が損なわれることはある。ヒステリーなどの病の場合がたぶんそうだろう。
こうしたメカニズムにより付加された実用的価値の一つは、その速さである。脳は身体マップの変更を、じつに100ミリ秒(0.1秒)以下という時間スケールで、ひじょうに迅速に成し遂げることができるのだ。
この時間、短い有髄性の軸索が、たとえば前頭前皮質からその先わずか数センチメートルしか離れていない島の体性感覚に信号を伝達するのに要する時間である。
脳が本物の身体に変化を引き起こす時間スケールは数秒だ。長い、無髄性の軸索が脳から数十センチメートル離れた身体部分に信号を送るのに、およそ1秒かかる。これはまた、ホルモンが血流中に放出されその一連の作用を生じはじめるのに要する時間スケールでもある。
これがたぶん、われわれがひじょうに多くの場合、さまざまな感情と、それらを誘発した思考――あるいは、そうした感情から生じる思考――との間に、とびきり優れた時間的関係を感じとることができる理由だろう。
つまり、迅速な仮想身体的メカニズムによって、思考と生み出される感受とは時間的に密接につながっているのであり、感情がひたすら本物の身体変化に依存している場合にくらべ、疑いなくそうである。
注意すべきは、ここで述べているようなごまかしは、それが身体の内部と関係している感覚システム以外の感覚システムで起こったりすると、適応的ではなくなるということ。
幻視はきわめて破壊的だし、幻聴もそうだ。それらに利点はなく、神経疾患や精神疾患の患者がエンタテインメントとして楽しめるものではない。癲癇患者が経験する可能性のある幻嗅や幻味も同様である。
しかし、私がざっと取り上げたいくつかの精神病的症状をのぞけば、身体状態のごまかしは健常者にとって価値ある能力だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第3章 感情のメカニズムと意義、pp.161-162、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:仮想身体ループ機構の進化的由来)
(出典:wikipedia)
「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
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