本人を通じて間接的に受ける影響
【直接影響を与えるのが本人のみであっても、家族への被害は? 頼っている人への被害は? また、社会全体としてみると害悪があるのでは? 他の人が真似をしてしまうような悪影響は?(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】(2.3.3)追記。
(2.3.3)本人を通じて間接的に受ける影響について
直接影響を与えるのが本人のみであっても、一般的に、本人に影響があることは、間接的には本人を通じて他人に影響を与え得る。
(a)家族への被害は?
誰でも、自分に深刻な害か、取り返しのつかない害のあることをすれば、少なくとも家族には被害が及ぶだろう。
(b)頼っている人への被害は?
自分の財産を減らせば、その財産に直接にか間接にか頼って生活している人が打撃を受けるだろう。
(c)社会全体にとっての害悪は?
自分の身体か頭の能力が低下すれば、幸せのある部分でその人に頼っている人たちに被害を与えるうえ、社会全体の役に立つ仕事をすべきなのにそれができなくなり、おそらくは逆に社会の愛情と慈悲に頼るようにすらなるだろう。
(d)他の人が真似をしてしまうような悪影響は?
悪徳や愚行によって他人に直接に被害を与えないとしても、悪い実例を示して社会に害悪を流すことになるので、その人の行動を見聞きした人が堕落か誤解をしないように、自制を強制されるのが当然である。
(2.3.4)周囲の人たちのために自分自身に配慮すべきなのに、そうしなかったことで周囲の人たちへの義務を果たせなかったときには、道徳の問題になり非難の対象となる。
「以上では、個人の生活のうち、本人のみに関係する部分と他人に関係する部分とを区別してきたが、この区別を認めない人が多い。そうした人は以下のように主張する。社会の一員の行動のうちどのような部分であっても、他の人たちにとって無関心ではいられないものがあるだろうか。まったく孤立して生きている人はいない。誰でも、自分に深刻な害か、取り返しのつかない害のあることをすれば、少なくとも家族には被害が及ぶし、さらに広く被害が及ぶこともある。自分の財産を減らせば、その財産に直接にか間接にか頼って生活している人が打撃を受けるし、社会全体の資源が多かれ少なかれ減少する。自分の身体か頭の能力が低下すれば、幸せのある部分でその人に頼っている人たちに被害を与えるうえ、社会全体の役に立つ仕事をすべきなのにそれができなくなり、おそらくは逆に社会の愛情と慈悲に頼るようにすらなるだろう。このような行動が多ければ、どのような犯罪にも劣らないほど、社会全体の幸福の量を減らすことになろう。最後に、悪徳や愚行によって他人に直接に被害を与えないとしても、悪い実例を示して社会に害悪を流すことになるので、その人の行動を見聞きした人が堕落か誤解をしないように、自制を強制されるのが当然ではないかと。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第4章 個人に対する社会の権威の限界,pp.175-176,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:本人を通じて間接的に受ける影響)
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(出典:wikipedia)
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(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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