2021年12月11日土曜日

歴史は如何なる意味をも持たないとはいえ、我々は歴史に意味を与えることができる。我々は、権力政治史を、開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治に向けての我々の闘争という観点から解釈することができる。(カール・ポパー(1902-1994))

開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、国際的犯罪の統治

歴史は如何なる意味をも持たないとはいえ、我々は歴史に意味を与えることができる。我々は、権力政治史を、開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯罪の統治に向けての我々の闘争という観点から解釈することができる。(カール・ポパー(1902-1994))


「私は、歴史は如何なる意味をも持っていない、と主張する。しかし、この主張の含意は、 われわれはせいぜいのところ唖然として権力史に見とれるだけか、或いは歴史を残虐なジョー クとして見つめざるをえない、ということではない。なぜなら、われわれの時代に解決すべく 選択された権力政治上の諸問題を視野に収めつつ、われわれは歴史を解釈しうるからである。 われわれは、権力政治史を、開かれた社会、理性の支配、正義、自由、平等、そして国際的犯 罪の統治に向けてのわれわれの闘争という観点から解釈することができる。歴史は如何なる目 的も持たないにせよ、われわれは歴史にこのようなわれわれの諸目的を課することができる。 《歴史は如何なる意味をも持たないとはいえ、われわれは歴史に意味を与えることができるの だ》。  われわれがここで再び出会うのは、自然と規約の問題である。自然も歴史もわれわれに、何 を為すべきかを告げることはできない。自然の事実であれ歴史の事実であれ、諸多の事実はわ れわれのために決定を下すことはできない。それらは、われわれが選択しようとしている諸目 的を決定することはできないのである。自然と歴史に目的と意味を導入するのはわれわれであ る。人間は平等ではない。しかし、われわれは、平等の権利に向けて闘おうと決定することは できる。国家のような人間の作った諸制度は合理的ではないが、しかし、われわれは、それら のいっそうの合理化を目ざして闘うべく決定しうるのである。われわれ自身とわれわれの日常 言語は、全体としてみれば、合理的であるというよりも感情的である。だが、われわれはほん の少しでも合理的になるべく努力できるし、われわれの言語を(われわれのロマンチックな教 育者が言うところの)自己表出の道具としてではなく、合理的な意思疎通のための道具として 使用すべく自己を訓練することもできるのである。」
 (カール・ポパー(1902-1994),『開かれた社会とその敵』,第2部 予言の大潮――ヘーゲル、 マルクスとその余波,第25章 歴史は意味を持っているか,第4節,pp.257-258,未来社 (1980),内田詔夫(訳),小河原誠(訳))
カール・ポパー
(1902-1994)









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