2018年6月10日日曜日

ホメオスタシスのプロセス:(1)内的、外的環境の変化、(2)変化の感知、(3)評価、反応。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスのプロセス

【ホメオスタシスのプロセス:(1)内的、外的環境の変化、(2)変化の感知、(3)評価、反応。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
ホメオスタシスのプロセス
(1) 一個の有機体の内部あるいは外部の環境で、何かが変化する。
(2) その変化が、その有機体の命の方向を変える。
(3) 有機体は、そうした変化を検出し、有機体の自己保存と効率的機能にとって、最も有益な状況を生み出すように反応する。
(3.1) 有機体の内部と外部の状況を評価する。有機体は、ただ単に生きている状態ではなく、より「優れた命の状態」を目指しているように見える。すなわち、人間であれば「健康でしかも幸福である」状態を目指しているように見える。
(3.2) 反応。
(3.3) 結果として、健全性への脅威を取り除く、改善への好機を手に入れる。

 「自然は、単なる生存という恩恵に満足せず、どうやらすばらしい後知恵も使ったようだ。じつは、生得的な生命調節装置は生と死の中間的な状態を目標とはしていない。そうではなく、ホメオスタシスの努力の目標は中間よりも優れた命の状態を、つまり、思考する豊かな生き物であるわれわれ人間が「健康でしかも〈幸福〉である」とみなす状態へ導くことだ。

 ホメオスタシスの全プロセスは、われわれの体の一つひとつの細胞の中で、刻一刻、命を調節している。この調節は以下のような単純な手順で実現されている。

第一に、一個の有機体の内部あるいは外部の環境で、何かが変化する。第二に、その変化がその有機体の命の方向を変える(その変化は有機体の健全性への脅威にもなるし、有機体の改善の好機にもなる)。第三に、有機体はそうした変化を検出し、有機体の自己保存と効率的機能にとってもっとも有益な状況を生み出すように反応する。

 すべての反応はこのような手順で起こる。それらは有機体の内部と外部の状況を〈評価し〉、それにしたがって動作する手段である。またそれらは、あるときはトラブルを検出し、またあるときは好機を検出する。そしてそれに働きかけることで、トラブルを取り除くという問題や、あるいは好機を手に入れるという問題を解決している。

あとで、狭義の情動――悲しみ、愛、罪悪感といった情動――においてさえ、そのような手順が形をとどめていることを述べる。ただし、その評価と反応は、単純な反応の場合と比較して、はるかに複雑である。それらの情動は、もともと、単純な反応が生物進化の過程で合体したものだからだ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第2章 欲求と情動について、pp.60-61、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:ホメオスタシス)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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1.ホメオスタシス機構の階層:(a)感情、(b)狭義の情動、(c)多数の動因と動機、あるいは欲求、(d)快または苦と結びついている行動、(e)免疫系、(f)基本的な反射、(g)代謝のプロセス(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシス機構

【ホメオスタシス機構の階層:(a)感情、(b)狭義の情動、(c)多数の動因と動機、あるいは欲求、(d)快または苦と結びついている行動、(e)免疫系、(f)基本的な反射、(g)代謝のプロセス(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
(a)感情
《例》欲望:意識を持つ個体が、自分の欲求やその成就、挫折に関して持つ認識と感情
(b)狭義の情動
《例》喜び、悲しみ、恐れ、プライド、恥、共感など。
(c)多数の動因と動機、あるいは欲求
《例》空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲など。
《定義》欲求:ある特定の動因によって活発化する有機体の行動的状態
(d)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動――快楽行動、苦痛行動
《例》自動的な行動であり快や苦の経験が生じるとは限らない。意識される場合は「苦しい、快い、やりがいがある、苦痛を伴う」行動
《定義》特定の対象や状況に対する有機体の接近反応や退避の反応。
《誘発原因》
 ある身体機能の不調
 代謝調整の最適作用
 有機体に損害を与えるような外的事象
 有機体を保護するような外的事象
(e)免疫系
《誘発原因》
 有機体の外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子など。
 有機体の内部であっても、例えば死滅しつつある細胞から放出される有害な化学分子。
(f)基本的な反射
《例》有機体が音や接触に反応して示す驚愕反射。極端な熱さ、極端な寒さから遠ざけたり、暗いところから明るいところへ向わせたりする、走性、屈性など。
(g)代謝のプロセス
《定義》
・内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素(内分泌、ホルモン分泌)と機械的要素(消化と関係する筋肉の収縮など)
《機能》
・体内に適正な血液を分配するための、心拍数や血圧の調整。
・血液中や細胞と細胞の間にある液の酸度とアルカリ度の調整。
・運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要なエネルギーを供給するための、タンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備の調整。

 「ホメオスタシス機構とは、自動的な生命調整を備えた、多数の枝分かれをもつ、大きな現象の木、と考えることができる。そして多細胞生物の場合、下から上に登っていくと、その立ち木には順に以下のようなものが見えてくるだろう。

 いちばん下の枝にあるのは、
・代謝のプロセス―――この中には、内部の化学的作用のバランスを維持するための化学的要素と機械的要素(たとえば内分泌やホルモン分泌、消化と関係する筋肉の収縮など)が含まれる。これらの作用は、たとえば心拍数や血圧(それにより体内に適正な血液が分配される)、内部環境(血液中や細胞と細胞の間にある液)の酸度とアルカリ度の調整、有機体にエネルギーを供給するために必要なタンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備(エネルギーは、運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要)などを管理している。

・基本的な反射―――たとえば、有機体が音や接触に反応して示す驚愕反射。あるいは、有機体を極端な熱さや極端な寒さから遠ざけたり、暗いところから明るいところへ向わせたりする、走性、屈性など。

・免疫系―――免疫系は有機体の外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子などを撃退すべく備えている。興味深いことに、免疫系は、体内の健全な細胞に通常含まれている化学分子でも、それが死滅しつつある細胞から内部環境に放出されると有機体にとって危険であるような場合、そのような化学分子(たとえば、ヒアルロン酸の分解、グルタメート)に対しても備えている。要するに、免疫系は、有機体の完全性が外部からであれ内部からであれ脅かされるときの、第一の防御線である。

 中レベルの枝にあるのは、
・通常、快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動―――こうしたものには、たとえば、特定の対象や状況に対する有機体の接近反応や退避の反応がある。人間の場合、感じることもできるし何が感じられているかを報告することもできるので、そうした反応は、苦しい、快い、やりがいがある、苦痛を伴うといったように説明される。」

(中略)「苦と快は多くの原因――たとえば、ある身体機能の不調、代謝調整の最適作用、有機体に損害を与えるような、あるいは有機体を保護するような外的事象――によって誘発される。しかし苦や快の〈経験〉は〈苦痛行動や快楽行動の原因ではない〉し、またそうした行動が生じる上で必要なものでもない。次項で述べるように、ひじょうに単純な生物は、たとえそうした行動を感じる可能性が低かったりゼロであったりしても、こうした情動的行動のうちいくつかを実行することができる。

 次に高いレベルにあるのは、
・多数の動因と動機―――主たる例は、空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲、である。スピノザは〈欲求〉というじつに適切な言葉でそれらをひとまとめにし、また意識をもつ個体がそうした〈欲求〉を認識するようになる状況に対して〈欲望〉という言葉を使った。欲求という言葉は、ある特定の動因によって活発化する有機体の行動的状態を意味する。さらに欲望という言葉は、ある欲求をもっていることに対する、そしてその欲求の最終的な成就または挫折に対する意識的感情を意味している。このスピノザの区別は、本章の出発点である情動と感情の区別と、見事に対応している。明らかに人間には欲求と欲望があり、情動と感情がそうであるように、それらはシームレスに結びついている。

 最上部に近いが、最上部ではないレベルにあるのは、
・狭義の情動―――ここには自動化された生命調整のうちのもっとも重要な部分がある。つまり、喜びや悲しみや恐れからプライドや恥や共感まで、狭い意味での情動だ。では、木の最上部には何があるか。答えは単純、感情である。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第2章 欲求と情動について、pp.55-59、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:ホメオスタシス,感情, 情動, 動因, 動機, 欲求, 快, 苦, 免疫系, 反射, 代謝)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年6月9日土曜日

13.パーソナル・コンストラクト心理学:心理学者でなくとも誰もが、私的なパーソナリティ理論を持っている。行動の参照例から、それを理解する必要がある。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

パーソナル・コンストラクト心理学

【パーソナル・コンストラクト心理学:心理学者でなくとも誰もが、私的なパーソナリティ理論を持っている。行動の参照例から、それを理解する必要がある。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1) 心理学者の対象である被験者は、心理学者とまったく異なっているわけではない。たとえば、自分自身を明晰に理解し統制するための、その人自身の理論を持っているのであって、盲目の犠牲者ではない。
(2) したがって、被験者を本当に理解するには、彼を「科学者」として扱わなければならない。すなわち、その人が持っている私的なパーソナリティ理論(コンストラクト)を理解する必要がある。
(3) コンストラクトを知るには、どうすればよいか。コンストラクトは、行動を通じてのみ知られる。したがって、そのコンストラクトが私的なものであろうと、理論的なものであろうと、その人が考える行動の「参照例」を見つけなければならない。

(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)

 「ケリー(ジョージ・ケリー)によれば、たいていの心理学者は認知的な明晰さを求め、自身の人生を含めた現象を理解することに自分自身が動機づけられているとみているはずである。

しかし、彼らの理論の「研究対象」は、自分たち理論家とは違って、理解することも統制することもできない心理的な力や特性の犠牲者になっているとみている。

理論家と研究対象の間にあるこの溝をなくそうとケリーは考え、すべての人を科学者として扱おうとする。

 科学者と同様に、研究対象は人生における事象を予期し統制しようとし、コンストラクトや仮説を生成する。

ゆえに、研究対象を理解するには、その人のコンストラクト、つまり私的なパーソナリティ理論を理解しなければならない。

ある人のコンストラクトを研究するためには、その人の行動例つまり「参照例」を見つけなければならない。その人が、行動例を提示してくれなければ、「私は自尊心が高すぎる」とか「親しみやすい人間ではない」とか「恋に落ちたかもしれない」と言うとき、それが何を意味しているのかを理解することはできない。

ある患者が自分を「一人の女性として」解釈するときのように、コンストラクトが私的であろうと、心理学者が「内向性」あるいは「自我防衛」について話すときのように理論的であろうと、参照行動例が必要になってくる。コンストラクトは、行動を通してのみ知られるのである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.394-395、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:パーソナル・コンストラクト心理学)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

ウォルター・ミシェル(1930-)
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2018年6月8日金曜日

8.他人からの依頼への対処:(a)はっきりと断らない、(b)何とか言い繕った返事をする。その理由:(a)依頼が不要になる可能性、(b)不履行を合理化できる可能性。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))

他人からの依頼

【他人からの依頼への対処:(a)はっきりと断らない、(b)何とか言い繕った返事をする。その理由:(a)依頼が不要になる可能性、(b)不履行を合理化できる可能性。(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540))】
 もし君が他人から好感を持たれたいと思えば、何かを依頼された場合、言下に断わってしまうようなことはせずに、何とか言い繕った返事をしておくこと。なぜなら、
(a) うまく口先だけをあわせることで、しばらく、依頼人を満足させておくことができる。
(b) ところが、要求を断わってしまえば、どんな場合でも君に対して不満を抱き続けるようになろう。
(c) 君に依頼する人物は、時には、後になって君の力を必要としないようになるかもしれない。
(d) また、そのうちに情況が変わって、言い逃れできるような材料がいっぱい出てくるかもしれない。

 「もし君が他人から好感をもたれたいと思えば、何かを依頼されたばあい、言下に断わってしまうようなことはせずに、なんとか言いつくろった返事をしておくように心がけなければならない。

なぜなら、君に依頼する人物は、時には、後になって君の力を必要としないようになるかもしれないし、あるいは、そのうちに情況が変わってきて、君が言い逃れできるような材料がいっぱいでてくるかもしれない。

そのうえ、多くの人間は愚かで、口先だけで簡単にまるめこまれるものだ。つまり君にしてやる気がないか、しようとしてもできないことがらを、してやらずに、うまく口先だけをあわせることで、しばらく依頼人を満足させておくことができるものである。

ところが、君がその依頼人の要求を一言のもとに断わってしまえば、どんなばあいでも君にたいして不満をいだきつづけるようになろう。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)C、36 他人からの依頼、p.71、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))
(索引:他人からの依頼)

フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)



フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「この書物の各断章を考えつくのはたやすいことではないけれども、それを実行に移すのはいっそうむずかしい。それというのも、人間は自分の知っていることにもとづいて行動をおこすことはきわめて少ないからである。したがって君がこの書物を利用しようと思えば、心にいいきかせてそれを良い習慣にそだてあげなければならない。こうすることによって、君はこの書物を利用できるようになるばかりでなく、理性が命ずることをなんの抵抗もなしに実行できるようになるだろう。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)『リコルディ』(日本語名『フィレンツェ名門貴族の処世術』)B、100 本書の利用のし方、p.227、講談社学術文庫(1998)、永井三明(訳))

フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)
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欺瞞と狡猾への対処方法:(a)罠を見破る狐の賢さ、法による戦い、(b)狐の賢さの隠蔽、偽装、(c)必要な不履行の合法化、潤色、(d)獅子の力による実力行使。(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527))

狐と獅子の喩え

【欺瞞と狡猾への対処方法:(a)罠を見破る狐の賢さ、法による戦い、(b)狐の賢さの隠蔽、偽装、(c)必要な不履行の合法化、潤色、(d)獅子の力による実力行使。(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527))】
(1) 現状の認識。
(1a) 人間がみな善良であるならば、信義を守り言行一致を宗とするがよい。この場合には、以下の勧告は善からぬものになるであろう。
(1b) 現実には、人間は邪悪な存在であり、信義など守らない。そして、信義などほとんど考えにも入れないで、狡猾に欺くすべを知る者たちが、誠意を宗とした者たちに、立ち勝ってきた。
(2) では、どうすればよいか。
(2a) 狐となって罠を悟る必要があり、法に拠り闘う。これは人間に固有の戦い方だ。
(2b) この際必要なのは、この狐の性質を巧みに潤色できることであり、偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである。人間というものは非常に愚鈍であり、目先の必要性にすぐ従ってしまうから、欺こうとする者は、いつでも欺かれる者を見いだすであろう。
(2c) 慎重な人物ならば、信義の履行が危害をもたらしそうな場合や、その約束をさせられたときの理由が失われた場合には、信義を守ることはできないし、また守るべきでもない。さらに、不履行を潤色するための合法的な理由を生み出すことにも、事欠かないであろう。
(2d) さらに、狐の方法は、非常にしばしば足りない。そこで、獅子の力に訴えねばならない。これは野獣のものだ。「君主たる者には、野獣と人間とを巧みに使い分けることが、必要になる。」
 「君主が信義を守り狡猾に立ちまわらずに言行一致を宗とするならば、いかに讃えられるべきか、それぐらいのことは誰にでもわかる。だがしかし、経験によって私たちの世に見てきたのは、偉業を成し遂げた君主が、信義などほとんど考えにも入れないで、人間たちの頭脳を狡猾に欺くすべを知る者たちであったことである。そして結局、彼らが誠意を宗とした者たちに立ち勝ったのであった。
 あなた方は、したがって、闘うには二種類があることを、知らねばならない。一つは法に拠り、いま一つは力に拠るものである。第一は人間に固有のものであり、第二は野獣のものである。だが、第一のものでは非常にしばしば足りないがために、第二のものにも訴えねばならない。そこで君主たる者には、野獣と人間とを巧みに使い分けることが、必要になる。」(中略)「したがって、君主には獣を上手に使いこなす必要がある以上、なかでも、狐と獅子を範とすべきである。なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないがゆえに。したがって、狐となって罠を悟る必要があり、獅子となって狼を驚かす必要がある。単に獅子の立場にのみ身を置く者は、この事情を弁えないのである。そこで慎重な人物ならば、信義の履行が危害をもたらしそうな場合や、その約束をさせられたときの理由が失われた場合には、信義を守ることはできないし、また守るべきでもない。また人間がみな善良であるならば、このような勧告は善からぬものになるであろう。だが、人間は邪悪な存在であり、あなたに信義など守るはずもないゆえ、あなたのほうだってまた彼らにそれを守る必要はないのだから。ましてや君主たる者には、不履行を潤色するための合法的な理由を生み出すことには事欠かなかったのだから。これに関してならば、現代の実例をも無数に挙げることができるであろうし、どれだけの和平が、どれだけの約束が、君主たちの不誠実によって、虚しく効力を失ってしまったかを、示すこともできるであろう。そして狐の業をより巧みに使いこなした者こそが、よりいっそうの成功を収めたのであった。だが、必要なのは、この狐の性質、これを巧みに潤色できることであり、偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである。また人間というものは非常に愚鈍であり、目先の必要性にすぐ従ってしまうから、欺こうとする者は、いつでも欺かれる者を見いだすであろう。」
(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)『君主論』第18章 どのようにして君主は信義を守るべきか、pp.131-133、岩波文庫(1998)、河島英昭(訳))
(索引:狐と獅子の喩え)

君主論 (岩波文庫)



(出典:wikipedia
ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「私の意図は一貫して、耳を傾ける者には役立ちそうな事態を書き記すことであったから、事態をめぐる想像よりも、その実際の真実に則して書き進めてゆくほうが、より適切であろうと私には思われた。そして多数の人びとがいままでに見た例もなく真に存在すると知っていたわけでもない共和政体や君主政体のことを、想像して論じてきた。なぜならば、いかに人がいま生きているのかと、いかに人が生きるべきなのかとのあいだには、非常な隔たりがあるので、なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、みずからの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。なぜならば、すべての面において善い活動をしたいと願う人間は、たくさんの善からぬ者たちのあいだにあって破滅するしかないのだから。そこで必要なのは、君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ。」
(ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)『君主論』第15章 人間が、とりわけ君主が、褒められたり貶されたりすることについて、pp.115-116、岩波文庫(1998)、河島英昭(訳))

ニッコロ・マキャヴェッリ(1469-1527)
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人類全体は、共にある共通の国家に属している市民のようなものだ。我々はこの共同国家から、叡智的なもの、理性的なもの、法律的なものを与えられている。(マルクス・アウレーリウス(121-180))

理性、法律、叡智の由来

【人類全体は、共にある共通の国家に属している市民のようなものだ。我々はこの共同国家から、叡智的なもの、理性的なもの、法律的なものを与えられている。(マルクス・アウレーリウス(121-180))】
 「もし叡智が我々に共通なものならば、我々を理性的動物となすところの理性もまた共通なものである。であるならば、我々になすべきこと、なしてはならぬことを命令する理性もまた共通である。であるならば、法律もまた共通である。であるならば、我々は同市民である。であるならば、我々は共に或る共通の政体に属している。であるならば、宇宙は国家のようなものだ。なぜならば人類全体が他のいかなる政体に属しているといえようか。であるから我々はこの共同国家から叡智的なもの、理性的なもの、法律的なものを与えられているのである。でなければどこからであろう。あたかも私の存在の土の部分はどこかの土から分割され、水の部分はほかの元素から、空気の部分はどこかの源泉から、熱と火の部分はさらに別の固有の源泉から分割されているように―――なぜなら何ものも無から生ぜず、同様に何ものも無にかえらないのである―――そのように叡智もまたどこからかきたのである。」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第四巻、四、pp.51-52、[神谷美恵子・2007])
(索引:共同国家、理性、法律、叡智)

自省録 (岩波文庫)


(出典:wikipedia
マルクス・アウレーリウス(121-180)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ。岩は立っている、その周囲に水のうねりはしずかにやすらう。『なんて私は運が悪いんだろう、こんな目にあうとは!』否、その反対だ、むしろ『なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても、私はなお悲しみもせず、現在におしつぶされもせず、未来を恐れもしていない』である。なぜなら同じようなことは万人に起りうるが、それでもなお悲しまずに誰でもいられるわけではない。それならなぜあのことが不運で、このことが幸運なのであろうか。いずれにしても人間の本性の失敗でないものを人間の不幸と君は呼ぶのか。そして君は人間の本性の意志に反することでないことを人間の本性の失敗であると思うのか。いやその意志というのは君も学んだはずだ。君に起ったことが君の正しくあるのを妨げるだろうか。またひろやかな心を持ち、自制心を持ち、賢く、考え深く、率直であり、謙虚であり、自由であること、その他同様のことを妨げるか。これらの徳が備わると人間の本性は自己の分を全うすることができるのだ。今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く『これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。』」
(マルクス・アウレーリウス(121-180)『自省録』第四巻、四九、p.69、[神谷美恵子・2007])
(索引:波の絶えず砕ける岩頭の喩え)

マルクス・アウレーリウス(121-180)
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2018年6月7日木曜日

魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである。なぜなら、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

予定調和(心身問題)

【魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである。なぜなら、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a) 魂は目的原因の法則に従い、物体がないかのように、欲求や目的や手段によって作用する。
(b) 物体は作用原因の法則つまり運動の法則に従って、魂がないかのように、作用する。
(c) 魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである。なぜなら、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。
 「七八―――これらの原理によって、私は魂と有機的な身体との結合、すなわち一致ということを自然的に説明する方法を得たのである。魂はみずからの法則にしたがい、身体もまたみずからの法則にしたがう。それでも両者が一致するのは、あらゆる実体のあいだに存する予定調和のためである、どの実体も同じ一つの宇宙の表現なのであるから。
 七九―――魂は目的原因の法則にしたがい、欲求や目的や手段によって作用する。物体[身体]は作用原因の法則つまり運動の法則にしたがって作用する。しかもこの二つの領域、作用原因の領域と目的原因の領域のあいだには調和が存している。」
「八一―――この説によると、物体[身体]は魂がないかのように(これはありえない仮定だけれど)作用し、魂は物体[身体]がないかのように作用する。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『モナドロジー』七八・七九・八一、ライプニッツ著作集9、pp.237-238、[西谷裕作・1989])
(索引:心身問題、予定調和)

ライプニッツ著作集 (9)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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表象も表象に依存しているものも、機械的な理由によっては説明できない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

心身問題、風車小屋の喩え

【表象も表象に依存しているものも、機械的な理由によっては説明できない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 「それはそうと、言っておかなければならないのは、表象も表象に依存しているものも機械的な理由によっては説明できない、すなわち形と運動からは説明できない、ということである。いま仮に、考えたり感じたり表象をもったりできる仕組みをもった機械があるとしよう。その機械が同じ釣合いを保ちながら大きくなり、風車小屋にはいるようにそこにはいれるようになった、と考えてみよう。そこでそう仮定して、その中にはいってみたとき、見えるものといってはいろんな部分がお互いに動かし合っていることだけで、表象を説明するに足りるものは決して見出せないだろう。そこで、表象を求むべきところは単純実体の中であって、複合的なものや機械の中ではない。さらに、単純実体の中に見出すことができるのは、それのみすなわち表象とその変化のみである。また、それのみが単純実体の内的作用のすべてなのである。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『モナドロジー』一七、ライプニッツ著作集9、pp.210-211、[西谷裕作・1989])
(索引:心身問題、風車小屋の喩え)

ライプニッツ著作集 (9)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

自由の意味

【自由のいろいろな意味:(a)精神の不完全性からの自由、(b)必然に対立する精神の自由、(c)権利上の自由、(d)事実上の自由、(e)身体の自由(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a) 精神の不完全性からの自由(情念への隷属からの自由)
(a.1) 強烈な情念に囚われているときには、必要とされる熟考をもって意志することができない。すなわち、情念に隷属しており、ある種の内的な強要と強制がある。
(a.2) 情念を超えて、知性による熟考と意志を働かせることができるとき、その程度に応じて情念から自由である。
(b) 必然に対立する精神の自由(自由意志)
(b.1) 知性が提示する、確実で間違いない最も強い諸理由に対してさえも、意志が偶然的であるのを妨げない。すなわち、知性は絶対的で言わば形而上学的な必然性を意志の働きに与えるわけではない。
(b.2) 知性は「確実で間違いのない仕方であっても、強いずに傾ける」。そして、意志が選択する。
 他にも、次のような自由の概念がある。
(c) 権利上の自由
 政治制度において、為すことが許されているという意味での自由。
(d) 事実上の自由
 権利上の自由の有無とは別に、意志する事柄を実際に為す力能があるという意味での自由。一般的に言えば、より多くの手段をもつ者が、意志する事柄をより自由に為す。
(e) 身体の自由
 身体が拘束されていたり、病気になったりしておらず、意志どおりに動かすことができるという意味での自由。
 「自由という名辞は甚だ曖昧です。権利上の自由もあれば事実上の自由もあります。権利上の見地からすれば、奴隷は自由ではないし、臣下が全面的に自由であるわけではないけれども、貧しき者も富める者と同程度に自由ではあるのです。事実上の自由は、意志する[欲する]事柄を為す力能ないし然るべく意志する[欲する]力能に存します。あなたが語っているのは為す自由で、それには程度と多様性があります。一般的に言えば、より多くの手段をもつ者が、意志する[欲する]事柄をより自由に為すのです。しかし自由は個別的には、私たちの思うままにできるのが常であるような諸事物の使用、特に私たちの身体の使用について理解されています。ですから、牢獄や病気は、私たちが意志して通常与えうる運動を身体や四肢に与えるのを妨げ、私たちの自由を奪い取るのです。そういうわけで、囚人は自由でないし、麻痺患者は自分の四肢を自由に使用できないのです。意志する自由はさらに二つの異なった意味に解されています。ひとつは、精神の不完全性ないし隷属に対立させる場合の自由。この不完全性ないし隷属は強要とか強制ではあるけれども、情念に由来するものがそうであるように内的なものです。もうひとつの意味は、自由を必然に対立させる場合に生じます。第一の意味では、ストア派の人々は賢者のみが自由だと言っていました。それに実際、強烈な情念にとらわれているときには、人は自由な精神をもっていません。そういうときは、然るべく意志すること、つまり必要とされる熟考をもって意志することができないからです。かくて、神のみが完全に自由であり、被造的精神は情念を超えている程度に応じて自由であるにすぎません。したがって、この自由はまさしく私たちの知性に関わっているのです。しかし、必然に対立する精神の自由は、知性と区別される限りでの裸の意志に関わっています。これが自由意志と呼ばれ、次のことに存します。すなわち、知性が意志に提示する最も強い諸理由ないし刻印でさえ意志の働きが偶然的であるのを妨げず、絶対的でいわば形而上学的な必然性を意志の働きに与えるわけではないと認めることです。確実で間違いのない仕方であっても、強いずに傾けるという仕方で、表象と理由が優位を占めるに応じて、知性は意志を決定しうる、と私が日頃から言っているのも、今述べたような意味においてです。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『人間知性新論』第二部・第二一章[八]、ライプニッツ著作集4、pp.199-201、[谷川多佳子・福島清紀・岡部英男・1993])
(索引:自由の意味)

認識論『人間知性新論』 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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