2018年7月29日日曜日

アストロサイトは探査し、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

アストロサイト

【アストロサイトは探査し、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】
 アストロサイトはあちこち探査しながら、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させている。「もうひとつの脳」は、意識的な心のまったく外側で活動しながら、「ニューロンの脳」の回路を形作っている。例えば、
 (a)細胞触手でニューロンの間を探っている。その触手を滑らかに伸び縮みさせて、ニューロン間を出入りしながら、脳の神経回路を変化させている。
 (b)シナプス周囲からそのグリア触手を引き抜くと、ニューロンの露出部分が増加する。
 (c)触手を退縮させると、シナプス間隙を間近で取り囲んでいたときほど、神経伝達物質をすばやく取り込むことができなくなる。その結果、細胞外間隙に神経伝達物質を蓄積させて、シナプス伝達に変化をもたらす。
 (d)数種類の神経活性物質(現在では、グリア伝達物質と呼ばれている)を放出し、ニューロンのシナプス上にある神経伝達物質受容体を刺激する。
 (e)シナプス伝達を直接調節できる。そこには、アミノ酸のタウリンやATP、D-セリンなど、ニューロンがシナプス伝達で使用しているのと同じ物質が含まれる。

 「私たちが水分を摂取する量と頻度は、その時々で大きく異なるにもかかわらず、脳は体内の水分量を厳密な範囲内に調節している。水は生命維持のために食糧よりも重要で、いかなる生物の体内でも、常に適切なレベルに維持されていなければならない。水分が欠乏すると、数時間のうちに身体機能にも精神機能にも支障が出る。脱水が続けば、数日のうちに命を落とすことになり、ほとんどの病気より急速に死に直結する。
 私たちの体が脱水に対処するひとつの方策に、抗利尿ホルモン(ADH)の血流中への放出がある。このポリペプチドホルモンは、視床下部ニューロンから分泌され、腎臓に作用して尿の排出量を減らし、体内に蓄えた貴重な水分の減少を食い止める。喉が渇いた動物では、視床下部のシナプスに存在するグリアが驚くべき方法で応答することを、解剖学者らが観察した。
 この無意識の脳で働くグリアに関する最近の研究から、別の新事実、つまりグリアが動けることが明らかになっている。今この瞬間にも、脳内のアストロサイトは活動していて、その細胞触手でニューロンの間を探っている。その触手を滑らかに伸び縮みさせて、ニューロン間を出入りしながら、アストロサイトは脳の神経回路を変化させているのだ。グリアにこうした働きがあることに気づく前でさえ、脳細胞に関する私たちの概念には、重要な何かが欠けているといつも感じていた。そこには、あまりにも動きがなさすぎた。一枚の基板上に無数のはんだ接合で固定された超小型回路によく似て、ニューロンは脳内でシナプス結合の網み目の中につなぎ留められている。このように固定されて動きの取れない状態にあるニューロンは、人工的で不自然に見える。これとは対照的に、束縛されていないグリアの細胞触手は、脳内で絡まるように結びついている神経線維網の間を、自在に動き回って探りながら、脳組織を細胞運動で活性化している。アストロサイトはあちこち探査しながら、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させている。「もうひとつの脳」は、意識的な心のまったく外側で活動しながら、「ニューロンの脳」の回路を形作っているのだ。
 アストロサイトは、視床下部のシナプスにおいてこのような細胞リモデリングを行うことによって、渇きに応じてシナプス特性を変化させられる。シナプス周囲からそのグリア触手を引き抜くと、ニューロンの露出部分が増加する。また、触手を退縮させたアストロサイトは、シナプス間隙を間近で取り囲んでいたときほど、神経伝達物質をすばやく取り込むことができなくなる。このような神経伝達物質の排出の遅れは、細胞外間隙に神経伝達物質を蓄積させて、シナプス伝達に変化をもたらす。神経科学者ステファン・ウエレらはフランスのボルドーで、微小電極を用いて視床下部のシナプス機能を研究し、動物の給水を断つと、シナプス周辺のアストロサイトが形を変えて、シナプス電位が変化することを見出した。グリア触手の先端による同じようなシナプス電位の調節は、筋肉のほかの部位でも起こっているだろうと、彼らは示唆している。
 シナプスを出入りして探り続けるグリア触手は、別の方法でもシナプス伝達を調節できる。それは、シナプスに作用する物質の放出である。視床下部では、アストロサイトは数種類の神経活性物質(現在では、グリア伝達物質と呼ばれている)を放出し、ニューロンのシナプス上にある神経伝達物質受容体を刺激している。グリアはこうして、多様な神経伝達物質を放出するだけで、シナプス伝達を直接調節できる。そこには、アミノ酸のタウリンやATP、D-セリンなど、ニューロンがシナプス伝達で使用しているのと同じ物質が含まれる。アストロサイトから放出されるこれらの物質はそれぞれ、シナプス伝達に異なる効果を及ぼす。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第13章 「もうひとつの脳」の心――グリアは意識と無意識を制御する,講談社(2018),pp.435-437,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:アストロサイト)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

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共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

共感のミラーニューロン仮説

【共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

共感のミラーニューロン仮説
(1)被験者は、他人が感情を表しているところを見る。
(2)被験者が顔を見ている間、まるで自分自身がその表情をしているかのような、身体感覚の表象が現れる。また、実際に被験者の顔の表情が変化する。これは、ミラーニューロンが実現する。
(3)ミラーニューロン領域の活性化は、島、大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核(顔に強く反応する辺縁構造)に伝播し、活性化させる。これで、感情はいわば本物となる。
(4)結果的に、他人の感情が共有されることになる。
 「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。(エドガー・アラン・ポーの短篇小説「盗まれた手紙」の主人公・探偵オーギュスト・デュパンの台詞)

 「もしミラーニューロンが信号を送っているのなら、顔写真の表情を模倣してもいる被験者の脳活動に高まりが見られるはずである。その高まりはミラーニューロン領域だけでなく、島でも大脳辺縁系でも見られるだろう。なぜならミラーニューロン領域での活動の高まりは、ミラーニューロンからの信号を受け取っている残りの二つにも広がるからだ。重要なのは、この最後の部分である。模倣中に起こると見られるミラーニューロン領域の活動は、ぜひとも広がっていかなくてはならない。
 これが私たちの仮説だった。そして結果は、私の二つの予測を実証した。被験者が顔を見ているあいだ、ミラーニューロン領域、島、そして大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核――顔に強く反応する辺縁構造――は実際に活性化し、その活動は、見た表情を模倣してもいる被験者において確実に高まっていたのである。これは明らかに、ミラーニューロン領域がある種の脳内模倣によって他人の感情の理解を助けているという仮説を裏づける結果だった。この「共感のミラーニューロン仮説」にしたがえば、他人が感情を表しているところを見るとき、私たちのミラーニューロンは、まるで私たち自身がその表情をしているかのように発火する。この発火によって、同時にニューロンは大脳辺縁系の感情をつかさどる脳中枢に信号を送り、それが私たちに他人の感じていることを感じさせる。
 エドガー・アラン・ポーは有名な短篇小説「盗まれた手紙」において、主人公の探偵オーギュスト・デュパンの台詞の中にこんな文章を入れている。「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。なんという驚くべき先見性! これは作家としても、自分の作った登場人物の内面に踏み入る最良の方法だったろう。しかし、ポーだけがそれを見抜いていたわけでもない。感情についての科学文献においても、顔の筋肉組織の変化によって感情的な経験が形成されるとする理論――現在で言う「顔面フィードバック仮説」――は長い歴史をもっている。チャールズ・ダーウィンとウィリアム・ジェームズは、それに類する記述を最初に残した人々の一員である(ポーの作品はこの二人の著作より数十年前のものではあるが)。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.149-151,塩原通緒(訳))
(索引:共感のミラーニューロン仮説)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

他者の行為の意味の感知

【他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】
 (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。
  (b3.1)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見る。(視覚情報)
  (b3.2)観察者の運動レパートリーに属している、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった対象物を扱う様相によって特徴づけられる特定のタイプの行動の運動感覚の表象が現れる。これは、同一であるとか類似しているという内省や知識に基づくものではなく、自動的に現われる。
  (b3.3)運動感覚の表象は、観察者自身を統制する運動行為の表象と同じであり、この運動感覚の表象が、観察された運動行為の「意味」であり、その行動をする他者の「意図」である。
  (b3.4)従って、他者の運動行為が始まると、たとえその行為が完遂されなくても、その意味と意図は直ちに感知される。
  (b3.5)他者の、あるタイプの行為を別のタイプの行為と区別することが可能となり、最適な反応をすることができる。

(再掲)
(b)ミラーニューロン
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その特定のタイプの行為に呼応したニューロンの一部が発火する。例えば、つかむミラーニューロン、持つミラーニューロン、いじるミラーニューロン、置くミラーニューロン、両手で扱うミラーニューロン。運動行為の視覚情報には、次のような特徴がある。
 ・カノニカルニューロンとは違い、食べ物や立体的な対象物を見たときには発火しない。
 ・手や口や体の一部を使って、対象物へ働きかける行動を見たときに限られ、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、対象物のない自動詞的行為には反応しない。
 ・見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 ・観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火する。
 ・視覚刺激の大きさに影響されることもない。
 ・2つ、あるいはめったにないが3つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。  (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。

 「私たちが「理解」と言うとき何を意味するかというと、それは、観察された行動の感覚表象と、観察者の運動レパートリーに属するその行動の運動表象が同一である、あるいは類似しているという明白な知識はもとより内省的な知識さえも観察者(私たちの場合にはサル)が持つ、ということでは必ずしもない。私たちが「理解」という言葉で指し示すものは、もっと単純だ。それは、観察された「運動事象」を構成する特定のタイプの行為、つまり、対象物を扱う様相によって特徴づけられる特定のタイプの行為をただちに認識し、そのタイプの行為を別のタイプの行為と区別し、この情報を使って最適な反応を示す能力だ。したがって、F5野の標準ニューロンと前部頭頂間野(AIP)の視覚-運動ニューロンについてこれまで述べてきたことは、ミラーニューロンにも当てはまる。運動行為が始まると、たとえその行為が完遂されなくても、対応する視覚刺激はただちにコードされる。ただし、両者に大きな違いが一つある。ミラーニューロンの場合の視覚刺激は、対象物やその動きではなく、つかむ、持つ、あるいは、いじるために他者が対象物に働きかける動きだ。対象物の場合と同様、こうした他者の動きは、行為を実行する自己の能力を統制する運動行為の語彙によって、観察者にとって意味を獲得する。サルにとって、そうした語彙に含まれる行為は、食べ物をつかむ、持つ、口に運ぶなどだ。実験者が精密把持のために手の形を整え、食べ物をつかもうとその手を伸ばすのを見ると、サルがすぐにこれらの「運動事象」の意味を察知し、それを《意図的な行為》という観点から《解釈する》のはこのためだ。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第4章 行為の理解,紀伊國屋書店(2009),pp.115-116,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:他者の行為の意味の感知)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

ジャコモ・リゾラッティ(1938-)
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視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

側頭葉のMT野と運動視

【視覚は、多数の視覚野で実現されており、各視覚野はそれぞれ視覚の異なる諸面に特化しているらしい。一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与しており、MT野が損なわれると運動盲が発生する。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

(1)高等霊長類は、多数の視覚野をもっている。
(1.1)それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。
  色覚、運動視、形態視、顔認知など。
(1.2)それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
(2)一例として、側頭葉のMT野は、運動視に関与している。
(2.1)脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた人が経験する世界(運動盲)
  ・視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできるが、動きを見るのが非常に困難となる。
  ・走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしない。その結果、車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわい。
  ・グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見える。その結果、グラスの水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。
  ・人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだ。
(2.2)その他の証拠。
 (a)サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。
 (b)電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである(幻覚が発生している)。
 (c)ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。
 (d)経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態を作り出すと、被験者はしばらくのあいだ、運動盲の状態になるが、その他の視覚能力はまったく損なわれない。

 「私たち高等霊長類がこれほど多数の視覚野をもっている理由も実際にはわかっていないが、視覚野はみな色覚、運動視、形態視、顔認知など、それぞれ異なる視覚の諸面に特化しているらしい。ひっとすると、それぞれの計算戦略がかなり異なっているために、進化の過程で神経ハードウェアが別々に発達したのかもしれない。
 好例の一つは側頭葉のMT野で、左右の半球に一つずつあるこの小さな皮質領域は、主として運動視(動きを見ること)に関与していると考えられている。1970年代後半にチューリッヒ在住のある女性(ここではイングリッドと呼ぶことにする)が、脳卒中を起こし、MT野だけが両側とも損なわれた。視覚はほぼ正常で、新聞も読めるし、物や人の認知もできたが、動きを見るのが非常に困難だった。走っている車を見ると、静止画像が連続しているように見え、まるでストロボがあたっているかのようだった。ナンバープレートは読めるし、車の色もわかるのに、動いている感じがまったくしなかった。車が近づいてくるスピードがわからないので、通りを渡るのがこわかった。グラスに水を注ぐと、水の流れがつららのように固まって見えた。水面があがってくる速さがわからないので、注ぐのをやめるタイミングがわからず、いつも水があふれてしまう。人と話していても、相手の唇の動きが見えないので、「電話で話している」ようだった。生活が奇妙な難事になってしまったのである。したがってMT野は、おもに運動視に関与していて、視覚のほかの諸面には関与していないらしいと考えられる。この見解を支持するちょっとした所見がほかに4つある。
 第一に、サルのMT野で個々のニューロンの活動を記録すると、ニューロンは、動いている物体の方向を信号で伝えるが、色や形態にはそれほど関心がないように見える。第二に、電極を用いてサルのMT野のニューロンの小さな集団を刺激して、ニューロン群を発火させると、電流が作用しているあいだ、サルは動きの幻覚を起こす。なぜそれがわかるかと言うと、サルの眼が動きだし、視野のなかで動いている実在しない物体を眼で追うからである。第三は、ボランティアの人間にfMRIなどの脳機能画像を用いて、MT野の活動性を観察したときに得られる所見である。fMRIでは、被験者が何かをしているときや、何かを見ているときに、脳の血流量の変化によって生じる磁場を測定する。そのfMRIで観察すると、MT野は、被験者が動いている物体を見ているときに活性化されて明るく光るが、静止画や色や印刷された文字を見ているときには光らない。第四は、経頭蓋磁気刺激装置と呼ばれる機器を用いて、ボランティア被験者のMT野のニューロンを一時的にノックアウトし、実質的に一時的な脳障害の状態をつくりだすという方法で得られる所見である。被験者はしばらくのあいだ、イングリッドと同じような運動盲の状態になるが、そのほかの視覚能力はまったくそこなわれない。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第2章 見ることと知ること,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.94-96,山下篤子(訳))
(索引:側頭葉のMT野,運動視,運動盲)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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21.情動の内観的特徴、物質的、身体的、生物学的特徴のまとめ(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動

【情動の内観的特徴、物質的、身体的、生物学的特徴のまとめ(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
(1)情動の内観的特徴
 (1.1)意識的熟考なしに自動的に作動する。
 (1.2)情動は有機体の身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)に起因する。
 (1.3)情動反応は、多数の脳回路の作動様式にも影響を与え、身体風景と脳の風景の双方に変化をもたらす。
 (1.4)これら一連の変化が、感情と思考の基層を構成することになる。
 (1.5)情動誘発因の形成においては、文化や学習の役割が大きく、これにより情動の表出が変わり、情動に新しい意味が付与される。
 (1.6)その結果、個的な差もかなりある。
(2)情動の物質的、身体的、生物学的特徴
 (2.1)情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。
 (2.2)情動は生物学的に決定されるプロセスであり、生得的に設定された脳の諸装置に依存している。
 (2.3)情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルからはじまって上位の脳へと昇っていく、かなり範囲の限定されたさまざまな皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節と表象を担う一連の構造の一部でもある。
 (2.4)すべての情動はなにがしか果たすべき調節的役割を有し、有機体の命の維持を助けている。
 (2.5)長い進化によって定着したものであり、有機体に有利な状況をもたらしている。

「こういったすべての現象の根底には生物学的に共通する中核があり、それはおよそつぎのようなものである。

(1) 情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。すべての情動はなにがしかはたすべき調節的役割を有し、なにがしかの形で、情動現象を示す有機体に有利な状況をもたらしている。情動は有機体の命――正確に言えばその身体――に「関する」ものであり、その役割は有機体の命の維持を手助けすることである。

(2) 学習や文化により情動の表出が変わり、その結果、情動に新しい意味が付与されるのは事実だが、情動は生物学的に決定されるプロセスであり、長い進化によって定着した、生得的にセットされた脳の諸装置に依存している。

(3) 情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルからはじまって上位の脳へと昇っていく、かなり範囲の限定されたさまざまな皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節と表象を担う一連の構造の一部でもある。これについては第5章で議論する。

(4) そのすべての装置が、意識的熟考なしに自動的に作動する。個的な差もかなりあるし、誘発因の形成において文化が一役はたすという事実もあるが、それによって情動の基本的な定型性、自動性、調節的目的が変わることはない。

(5) すべての情動は身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)を劇場として使っているが、情動はまた多数の脳回路の作動様式にも影響を与える。すなわち、さまざまな情動反応が身体風景と脳の風景の双方に変化をもたらす。これら一連の変化が、最終的に感情になるニューラル・パターンの基層を構成している。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第2部 すべては情動と感情から、第2章 外向きの情動と内向きの感情、pp.76-77、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:情動)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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2018年7月28日土曜日

カメレオン効果:(a)私たちは、自分の自然発生的な姿勢や動き、癖などを模倣する人に対して、好意を抱く傾向がある。(b)私たちは、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人に対する共感傾向も強い。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

カメレオン効果

【カメレオン効果:(a)私たちは、自分の自然発生的な姿勢や動き、癖などを模倣する人に対して、好意を抱く傾向がある。(b)私たちは、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人に対する共感傾向も強い。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 次の仮説を検証する実験が存在する。
(a) 被験者が他の人たちと作業しているとき、被験者は、被験者の自然発生的な姿勢や動きや癖を模倣する人に対して、より好意を抱く傾向が強い。また、作業の円滑さについても、高い評価をする傾向が強い。
(b) 被験者が、他人の模倣をする傾向が強いほど、他人の感情を気にかけ、共感を覚えやすい傾向が強い。

 「チャーランドとバーは次の実験で、「カメレオン効果」の機能の一つに、二人の人間が互いに好意をもつようになる確率を高めることがあるという仮説を検証した。ここでも被験者は、もう一人の参加者のふりをしたサクラが同席する中で写真を選ぶよう求められた。今回与えられた表向きの課題は、被験者とサクラがさまざまな写真の中で見たものをそれぞれ交替に描写することだった。その間ずっと、あるサクラは被験者の自然発生的な姿勢や動きや癖を模倣し、また別のサクラはニュートラルな姿勢を保つことになっていた。このやりとりが終わったところで、被験者は質問票を埋めるよう求められ、もう一人の参加者(すなわちサクラ)をどのくらい気に入ったか、このやりとりがどれぐらい円滑に進んだと思うかを報告した。もう結果は予想がつくだろう。お察しのとおり、サクラに真似されていた被験者は、模倣されていない被験者に比べ、相棒のサクラに対して抱く好意がずっと強かった。さらにやりとりの円滑さについても、サクラに真似されていた被験者は模倣されていない被験者よりも評価を高くつけていた。この実験は明らかに、模倣と「好意」が概して比例することを示している。誰かが自分を真似しているとき、私たちはその人をさらに好きになる傾向があるわけだ。《だから》私たちは自動的に互いを模倣する傾向があるのだろうか?――私はそう思う。
 チャートランドとバーによる最後にして最も決定的な実験は、人はカメレオンであればあるほど、他人の感情を気にかける――すなわち共感を覚えやすいという仮説を検証したものだった。この三つめの実験の状況設定は最初の実験と同じで、サクラがわざと顔をこするか足を揺するかしてみせる。ただし今回の実験の新しいところは、被験者に質問票に答えてもらい、そこから被験者の共感傾向を測定できるようになっていることだった。その結果、被験者の示した模倣行動の度合いと被験者の共感傾向には強い相関関係があることが確認された。被験者が顔をこすったり足を揺すったりする動作を真似する傾向が強いほど、その被験者は共感の深い人間である傾向が強かった。この結果からわかるのは、私たちは模倣と擬態を通じて他人の感じることを感じられるということだ。他人の感じることを感じられることによって、他人の感情の状態に思いやりをもって対応できるのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.143-145,塩原通緒(訳))
(索引:カメレオン効果)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

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ミラーニューロンの機能は、他者の行為の模倣である。すなわち、実際の行為のときに活性化される運動感覚と著しく類似した、内的な運動表象を作り上げる。(マーク・ジャンヌロー(1935-2011))

ミラーニューロンの模倣機能説

【ミラーニューロンの機能は、他者の行為の模倣である。すなわち、実際の行為のときに活性化される運動感覚と著しく類似した、内的な運動表象を作り上げる。(マーク・ジャンヌロー(1935-2011))】

(b)ミラーニューロン(マーク・ジャンヌローの模倣説)
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2')他者の行為を観察したとき、観察者の脳に潜在的な運動行為が生成される。それは、その行為を実際に構成・実行するときに行為者の脳内で自発的に活性化される運動行為と、著しい類似性を見せる。ただし、それは、「内的な運動表象」として潜在的な段階にとどまる。

(出典:wikipedia
マーク・ジャンヌロー(1935-2011)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)

 それにもかかわらず、私たちは、ミラーニューロンの主たる機能が模倣行動と関連しているとは考えていない。その主な働きは、「他者が実行した行為」の意味を理解することにあると考えている。

(再掲)
(b)ミラーニューロン
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その特定のタイプの行為に呼応したニューロンの一部が発火する。例えば、つかむミラーニューロン、持つミラーニューロン、いじるミラーニューロン、置くミラーニューロン、両手で扱うミラーニューロン。運動行為の視覚情報には、次のような特徴がある。
 ・カノニカルニューロンとは違い、食べ物や立体的な対象物を見たときには発火しない。
 ・手や口や体の一部を使って、対象物へ働きかける行動を見たときに限られ、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、対象物のない自動詞的行為には反応しない。
 ・見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 ・観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火する。
 ・視覚刺激の大きさに影響されることもない。
 ・2つ、あるいはめったにないが3つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。  (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。


 「数年前、運動イメージに関する論文でマーク・ジャンヌローが、ミラーニューロンの機能について、別の(そして、より洗練された)解釈を提起した。まず、音楽学校の授業風景を想像してほしい。教師がある難しい旋律をヴァイオリンで演奏し、生徒がその様子を一心不乱に見つめているとしよう。教師がお手本を示し終えたら、生徒は同じ部分を弾くことになっている。ジャンヌローによると、運動イメージを作るニューロンは、生徒が演奏を準備し実行する際にも活性化するという。言い換えれば、ミラーニューロンの活動によって、観察された運動行為の「内的な運動表象」が生み出され、それが模倣による学習を可能にするというのだ。
 ジャンヌローの見解はいたって貴重なものであり、すでに見てきた実験結果とも符合する。ミラーニューロンが示す視覚反応と運動反応の密接な結びつきは、他者の行為を観察したとき観察者の脳に潜在的な運動行為が生成されることを示唆するように思われる。それは、その行為を構成・実行するときに行為者の脳内で自発的に活性化される運動行為と、著しい類似性を見せる。違いは、一方では行為が(「内的な運動表象」として)潜在的な段階にとどまるのに対し、他方では一連の具体的な動作に変換されることだ。しかし、私たちはある一点においてジャンヌローと意見を異にする。私たちはミラーニューロンの主たる機能が模倣行動と関連しているとは考えていない。
 ここからは、頻繁に模倣と見なされたり、ときには模倣と混同されたりする広範な現象について詳しく分析してみたい。さらに、他人がある行為を実行するのを見てその行為を学ぶヒトの能力が、どの程度ミラーニューロン系に依存するのかについても検討していく。いずれにしても近年、ますます多くの動物行動学者たちが、厳密な意味での模倣は人類と(ひょっとしたら)類人猿の特権であり、私たちが例示した実験に使われたマカクザルには見られない、と主張するようになってきている。したがって、私たちはジャンヌローの説に諸手を挙げて賛同するわけにはいかない。F5野ミラーニューロンとPF-PFG結合体のミラーニューロンの機能は、その発生起源がもっと古いと考えられる。これまでの実験例によれば、これらのニューロンのおもな働きは《「運動事象」、つまり、「他者が実行した行為」の意味を理解すること》にあるようだ。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第4章 行為の理解,紀伊國屋書店(2009),pp.112-115,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:ミラーニューロンの模倣機能説)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

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複合性局所疼痛症候群Ⅱ型(CRPS-Ⅱ型)、すなわち慢性疼痛は卒中患者の約10%に見られ、また、中手骨のひびが原因で起こることもある。これは学習された痛みで、鏡の視覚フィードバック(MVF)による治療の効果が実証されている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

慢性疼痛

【複合性局所疼痛症候群Ⅱ型(CRPS-Ⅱ型)、すなわち慢性疼痛は卒中患者の約10%に見られ、また、中手骨のひびが原因で起こることもある。これは学習された痛みで、鏡の視覚フィードバック(MVF)による治療の効果が実証されている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 「MVFの臨床応用例はほかにも続々と増えているが、その一つは、奇妙な疼痛障害に関係する。この障害は名前も奇妙で、複合性局所疼痛症候群Ⅱ型(CRPS-Ⅱ型)というが、これは「すごい。どんなものか見当もつかない」という効果をねらった言葉の煙幕にすぎない。どんな名前で呼ぼうが、実際はよくある障害で、卒中患者の約10パーセントに見られる。この障害には比較的よく知られている変型があり、そちらは、中手骨(手の骨)の一つに通常は害がない程度のごく細いひびがはいったというような、小さなけがのあとに起きる。もちろん手にけがをしたのだから、最初は痛いが、通常ならその痛みは骨が治るにつれて徐々に消えていく。しかし運の悪い一部の人たちは痛みが消えない。もともとのけがが治ったあとも、慢性的な強い痛みがやわらぐことなく、いつまでもずっとつづく。治療法はない――少なくとも私は、医学部でそのように教えられた。」(中略)「急性疼痛は、即座にストーブから手を引かせ、身体組織がそれ以上のダメージを受けるのを防止する。慢性疼痛は、治るまで骨折した手を動かさないようにさせ、けがの再発を防止する。
 学習された麻痺が動かない幻肢の説明になるなら、ひょっとするとCRPS-Ⅱは一種の「学習された痛み」なのかもしれないと私は考えはじめた。手を骨折した患者がいるとしよう。完全に治るまでの長いあいだ、手を動かすたびに痛みが走る。彼の脳はそのあいだずっと、「AならB」という不変のパターンを経験する。ここでのAは運動、Bは痛みである。したがってこの二つを表象するさまざまなニューロンをつなぐシナプス結合は、日々強化される――何か月もつづけて。そしてついには、手を動かそうとする試みそのものが、ひどい痛みを誘発するようになる。その痛みが腕のほうまで広がって、手を固めてしまう場合もある。そのようなケースの一部では、腕が麻痺してしまうだけでなく、実際に赤く腫れあがりはじめ、ズデック萎縮の場合には、骨まで萎縮しはじめる。これらはみな、心と体の相互作用がひどくゆがんでしまったあらわれとみなすことができる。
 私は1996年10月にカリフォルニア大学サンディエゴ校で主催した「脳の10年」のシンポジウムで、鏡の箱は幻肢痛に効果があるのと同様に、学習された痛みをやわらげるのにも役立つかもしれないと示唆した。」(中略)「それから数年後に、二つを研究グループがこれを試し、大多数の患者でCRPS-Ⅱの治療に有効であることを示した。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第1章 幻肢と可塑的な脳,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.61-62,山下篤子(訳))
(索引:慢性疼痛,鏡の視覚フィードバック)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

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20.意志決定の過程:(a)状況に関する事実(b)選択肢(c)予想される結果(d)推論戦略により(e)意志決定されるが、状況が自動的に誘発する情動および関連して想起される諸素材が(c)に影響し(d)に干渉する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意志決定

【意志決定の過程:(a)状況に関する事実(b)選択肢(c)予想される結果(d)推論戦略により(e)意志決定されるが、状況が自動的に誘発する情動および関連して想起される諸素材が(c)に影響し(d)に干渉する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
(1) 反応が求められる状況が発生する。
(2) (3)と(4)の経路は並行する。しかし、(3)を経由しないで、(4)が直に決定をもたらすこともある。各経路が単独に、あるいは組になって使われる程度は、個人の成長の程度、状況の性質、環境などに依存する。
(3) 意志決定の経路A
 (3.1) 状況に関する事実、表象が誘発される。
 (3.2) 決定のための選択肢が誘発される。
 (3.3) 予想される将来の結果の表象が誘発される。
(4) 意志決定の経路Bは、経路Aと並行する。
 (4.1) 類似状況における以前の情動経験が活性化する。
 (4.2) 情動と関係する素材が想起され、(3.3)「将来の結果の表象」への影響する。
 (4.3) 同様に、想起された素材は、(5)「推論戦略」へ干渉する。
(5) (3)の認識に基づき、推論戦略が展開される。
(6) (3)と(5)から、意志決定する。

情動誘発刺激の学習 (再掲)
 社会的状況と、それに対する個人的経験に関する、以下のような知識が蓄積されていくことで、特定の情動誘発刺激が学習されていく。
(a)ある問題が提示されたという事実
(b)その問題を解決するために、特定の選択肢を選んだということ
(c)その解決策に対する実際の結果
(d)その解決策の結果もたらされた情動と感情
 (d.1)行動の直接的結果は、何をもたらしたか。罰がもたらされたか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。
 (d.2)直接的行動がどれほどポジティブであれ、あるいはどれほどネガティブであれ、行動の将来的帰結は、何をもたらしたのか。結局事態はどうなったのか。罰がもたらされたか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。


 「正常な意志決定には、相補的な二つの経路が使われる。

なんらかの反応が求められる状況と相対すると、経路Aが、その状況、行動の選択肢、予想される将来の結末と関係するイメージを誘発する。

その認識の上で、推論戦略が展開され、決定が生み出される。

経路Bは並行的に作用し、類似の状況における以前の情動経験の活性化を誘発する。

ついで、その情動と関係する素材の想起が(明白な想起であれ、ひそかな想起であれ)、注意を「将来の結果の表象」に仕向けることで、あるいは「推論戦略」に干渉することで、「決定」に影響を及ぼす。

ときおり、経路Bがじかに決定をもたらすことがある。本能的感情が即刻の反応を駆り立てるときがそうだ。

各経路が単独に、あるいは組になって使われる程度は、個人の成長の程度、状況の性質、環境などに依存する。1970年代にダニエル・カーネマンとエイモス・トヴァースキーが説明した興味深い意志決定パターンは、たぶん経路Bによる。」

(1) 状況
(2) 意志決定の経路A
 (2.1) 事実
 (2.2) 決定のための選択肢
 (2.3) 予想される将来の結果の表象
(3) 意志決定の経路B
 (3.1) 類似状況における以前の情動経験と関係する心的傾向のひそかな活性化
 (3.2) 想起された素材の「将来の結果の表象」への影響
 (3.3) 「推論戦略」への干渉
(4) 推論戦略
(5) 決定


(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、p.196、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:意志決定)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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