価値の問題
道徳や政治や神学の思想史は、敵対する専門家たちの敵対する主張の間に生じた激烈な対立の歴史である。自らの主張を真理であると信じ、また、たとえそれに到達するのは困難であっても、真理はあるはずだ。人間と社会に関する事実が、答えを示すと信じられていた。(アイザイア・バーリン(1909-1997))
(a)価値の問題
「人は何をなすべきか、あれこれのことが正しいのは何故か、これは善か悪 か、正か偽りか、許されているか禁止されているか」という形式の問題である。
(b)価値に関する諸説
道徳や政治や神学の思想史は、敵対する専門家たちの敵対する主張の間に 生じた激烈な対立の歴史である。
(i)神の聖典に記されている神の言葉
(ii)啓示や信仰や聖なる神秘
(iii)公認の神の解釈者、教会と聖職者の発言
(iv)合理的形而上学
(v)個人の良心の判断
(vi)経験的観察、科学の実験室、経験素材への数学的方法の応用
(c)啓蒙主義、功利主義の綱領
人間にとって必要なことは分析、分類することができ、自然と歴史の知識に照らして互 いに調整、調和させることができ、できるだけ多くの人々のできるだけ多くの必要に対して社会的、政治的措置によって最大の可能な充足を与えられるような社会が創造されるであろう。それが啓蒙思想、とりわけ功利主義の綱領であった。必要の相対性という枠組の中にあって も、人はいかに生きるべきか、何をなすべきか、正義や平等や幸福とは何かの問題は、まだ事実 の問題であると前提されていた。
「価値の問題――「人は何をなすべきか、あれこれのことが正しいのは何故か、これは善か悪 か、正か偽りか、許されているか禁止されているか」という形式の問題についても、同じこと が想定されていた。道徳や政治や神学の思想史は、敵対する専門家たちの敵対する主張の間に 生じた激烈な対立の歴史である。あるものは神の聖典に記されている神の言葉の中に、あるも のは啓示や信仰や聖なる神秘など、理解できないとしても信じることのできるものの中に、答 えを求めた。またあるものは、公認の神の解釈者――教会と聖職者――の発言の中に答えを求め た。それぞれの教会が同じ答えを出さなかったとしても、あれこれどれかの答えが正しいに違 いないことを疑う人はいなかった。この宗派の答えが間違っていても、別の宗派の答えが正し いと考えられていたのである。あるものは合理的形而上学の中に、あるいは個人の良心の判断 のようなある種の無謬の直感の中に答えを見つけた。さらにあるものは経験的観察、科学の実験室、経験素材への数学的方法の応用の中にそれを発見した。これら困難な問題の真の答えは これであるというさまざまな敵対する主張の間で、絶滅戦争が戦われた。何といっても、誰も が問うているもっとも深遠かつ重要な問題――真の生き方という問題についての答えがかかって いたのである。人々は救済を得るためには死ぬ覚悟でいた。魂は不死で、肉体の死の後で公正 な報いを受けられると信じていたから、なおさらそうであった。しかし、不死や神を信じてい なかったものも、それが真理であると確信できるならば、真理のために苦しみ死ぬ用意があっ た。真理を求めそれに従って生きること、たしかにそれは真理を求めることができる人誰もの 窮極の目標だったからである。これがプラトン派とストア派、キリスト教徒とユダヤ教徒とイ スラム教徒、有神論者と無神論的合理主義者の信じていたことであった。原理と大義――宗教的 なもの、世俗的なものの両方を含めて――のための戦争、さらには人間の生そのものが、この もっとも深い想定がなければ無意味に思われたであろう。 現代の世界観は、この礎石を砕くことによって作り出された。この点をできるだけ単純に言 えばこうである。道徳や政治における客観的真理という観念が懐疑主義や主観主義や相対主義 の登場によって揺るがされたというにとどまらない。万人にとって常にどこでも真である普遍 的な道徳的心理という観念がひっくり返されただけならば、もっと古い体系の中に縫い込める 形で事態を修復できたであろう。人間の必要、人間の性質は風土や土壌や遺伝やさまざまの人 間の制度によって異なっているというふうに言うことができたし、実際にそう言われてきた。 そこでは、各人、各グループ、各人種にそれぞれもっとも必要としているものを与えるような 方程式を作り出すことができた。そして方程式はそれ自体、やはり万人に共通な単一の普遍的 原理から抽出されたのである。必要はさまざまに異なってはいても、すべて人間の必要であ り、環境や事情の差異と変化に対応して同じ人間性が合理的な反応をしているだけであった。 人間と人間にとって必要なことは分析、分類することができ、自然と歴史の知識に照らして互 いに調整、調和させることができ、できるだけ多くの人々のできるだけ多くの必要にたいして 社会的、政治的措置によって最大の可能な充足を与えられるような社会が創造されるであろ う。それが啓蒙思想、とりわけ功利主義の綱領であった。必要の相対性とう枠組の中にあって も、人はいかに生きるべきか、何をなすべきか、正義や平等や幸福とは何かの問題はまだ事実 の問題であると前提されていた。つまり全宇宙の神の御業の観察ではないとしても、人間の本 性の観察によって、心理学、人類学、生理学などの新しい学問によって解決できるものと考え られていたのである。聖職者や形而上学的な賢者に代わって、今では道徳の専門家は科学者、 技術の専門家ということになった。しかし何が正しいかのテストは、やはり合理的人間が自分 で発見できる客観的真理という基準にあった。私が語ろうとしている変化は、これよりはるか に根本的で、すべてを根底からひっくり返すような性質のものであった。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『ヨーロッパの統一とその変転』,II,収録書籍名 『理想の追求 バーリン選集4』,pp.210-212,岩波書店(1983),福田歓一,河合秀和(編),松 本礼二(訳))
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