2022年2月6日日曜日

外的世界、他者、自己に関する事実の知識は、私の方針に対する無知と妄想に由来する障害を除去する。しかし、目的とは何なのか。それは、客観的なのか主観的なのか、いかに知られるのか。どこまでが、私の自由意志と言えるのかという問題がある。(アイザイア・バーリン(1909-1997))

自由意志に関する諸問題

外的世界、他者、自己に関する事実の知識は、私の方針に対する無知と妄想に由来する障害を除去する。しかし、目的とは何なのか。それは、客観的なのか主観的なのか、いかに知られるのか。どこまでが、私の自由意志と言えるのかという問題がある。(アイザイア・バーリン(1909-1997))



(1)外的世界、他者、自己に関する事実
 重要な事実についての知識、外的世界と他人と私自身の本性についての知識は、私 の方針に対する無知と妄想に由来する障害を除去する。
 (a)基本的な想定
   (i)物と人は本性――それが知られているかどうかにかかわりなく、明確な構造を有してい る、 (ii)これら本性ないし構造は、普遍的かつ不変の法則によって支配されている、  (iii)これら構造と法則は、少なくとも原則としては、すべて知ることができる。


(2)外的世界
 人間の本性とその目的について、この本性と目的を多少とも 達成するには、外的世界をいかにまたどの程度支配することが必要か。
 (a)外的世界が必要との主張
  例えばアリストテレスは、外的条件があまりにも不利ならば、自己達成、自らの本性の適切な実現は不可能にな るであろうと考えた。
 (b)内なる砦への退避
  ストア派とエピクロス派は、人間社会と外的世界からあ る程度の距離をおきさえすれば、外的状況が何であれ、完全な合理的自己統制は人間に達成可 能であると主張した。

(3)どこまでが私の意志なのか
 事物と非合理的な生物から成る 外的世界と、主体的な行動主体とを区別する境界線はどこにあるのか。

(4)目的とは何なのか
 一般的な本 性ないしは客観的な目的がそもそも存在しているのか。
 (a)客観的な目的があるとの主張
  ある者は、人間の目的は客観的に存在しており、特殊な調査方法によって発見可能であ ると主張した。
 (b)目的は主観的であるとの主張
  目的は主観的であり、あるいはき わめて多様な物理的、心理的、社会的要因によって決定されている。
 (c)目的はいかに知られるのか
  この方法が何であるか、経験的であるか先験的であるか、直感的であるか推論的であるか、科学的である純粋内省的であるか、公的であるか私的であるか、特に才能のあるもの、あるいは幸運なものに限られているのか、それとも原則として万人に開かれているの か。




「つまり重要な事実についての知識、外的世界と他人と私自身の本性についての知識は、私 の方針に対する無知と妄想に由来する障害を除去するという結論である。哲学者(そして神学 者、劇作家、詩人)は、それぞれ人間の本性とその目的について、この本性と目的を多少とも 達成するには、外的世界をいかにまたどの程度支配することが必要か、そのような一般的な本 性ないしは客観的な目的がそもそも存在しているのか、そして事物と非合理的な生物から成る 外的世界と主体的な行動主体とを区別する境界線はどこにあるのかについて、大きく意見を異 にしている。ある思想家は、本性の達成はこの地上において可能である(あるいはかつて可能 であったか、いつの日にかは可能であろう)と考え、また他の思想家は可能ではないと考え た。あるものは、人間の目的は客観的に存在しており、特殊な調査方法によって発見可能であ ると主張したが、この方法が何であるか、経験的であるか先験的であるか、直感的であるか推 論的であるか、科学的である純粋内省的であるか、公的であるか私的であるか、特に才能のあ るもの、あるいは幸運なものに限られているのか、それとも原則として万人に開かれているの かについては、意見が異なっていた。また他のものは、その目的は主観的であり、あるいはき わめて多様な物理的、心理的、社会的要因によって決定されていると信じていた。さらにいえ ば、例えばアリストテレスは、外的条件があまりにも不利ならば――人がいわばトロイ最後の王 プリアモスの不運に苦しめられるならば――、自己達成、自らの本性の適切な実現は不可能にな るであろうと考えた。それにたいしてストア派とエピクロス派は、人間社会と外的世界からあ る程度の距離をおきさえすれば、外的状況が何であれ、完全な合理的自己統制は人間に達成可 能であると主張した。彼らはさらにこれに加えて、意識的に独立と自立を求める人々、つまり 自分には支配できない外的な力の《おもちゃ》になることからの逃避を求める人々には、誰で も原則としてこの自己達成に必要な距離をおくことができるという、客観的な信念を抱いてい た。これらすべての見解に共通する想定として、次の点を挙げることができよう。  (i)物と人は本性――それが知られているかどうかにかかわりなく、明確な構造を有してい る、 (ii)これら本性ないし構造は、普遍的かつ不変の法則によって支配されている、  (iii)これら構造と法則は、少なくとも原則としては、すべて知ることができる。そしてそ の知識は自動的に、暗闇でつまずかないように、そして所与の事実――事物と人の本性、それを 支配する法則――からして失敗を運命づけられている方針に努力を浪費しないですむようにして くれる。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『希望と恐怖から自由に』,収録書籍名『時代と回 想 バーリン選集2』,pp.255-257,岩波書店(1983),福田歓一,河合秀和(編),河合秀和 (訳))

バーリン選集2 時代と回想 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド


アイザイア・バーリン
(1909-1997)




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