知覚
【知覚は、受動的なものではなく活動的なものであり、模写すること、ときには空想や、捏造に近いものである。このことで、多くの個別的な知覚をする苦労から免れる。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】知覚とは何か。
(1)他の諸事物が私たちに影響を及ぼす際、私たちは受動的であるのではなく、むしろ即座に、私たちは私たちの力をそれに対抗させるような、活動的なものである。諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ。
(2)それは、模写すること、ときには空想や、捏造に近いものである。
(3)こうすることで、多くの個別的な知覚をする苦労を免れさせている。
「模写すること(空想すること)は、私たちには、知覚すること、たんに知覚することよりも、いっそう容易になされる。
このゆえに、私たちが、たんに知覚している(たとえば運動を)と思っているいたるところで、すでに私たちの空想は助力し、捏造し、私たちが多くの個別的な知覚をする苦労を《免れさせ》ているのだ。
この《活動》は通常見のがされている。私たちは、他の諸事物が私たちに影響をおよぼすさい、《受動的》であるのでは《なく》、むしろ即座に私たちは私たちの力をそれに対抗させる。
《諸事物が私たちの琴線に触れるのだが、そこから旋律をつくり出すのは私たちなのだ》。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅰ認識論/自然哲学/人間学 一九、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、p.21、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
(索引:知覚)
(出典:wikipedia)
「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
きみたちの精神ときみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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