2018年5月24日木曜日

16.悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。なぜなら、悪を見破ることなくしては悪に勝つことはできず、邪悪な人たちを改悛させることもできないから。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

ヘビの賢さとハトの素直さ

【悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。なぜなら、悪を見破ることなくしては悪に勝つことはできず、邪悪な人たちを改悛させることもできないから。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 悪に対して、どう対処するか。
(1)無防備にも、ぺてんと邪悪な手管に先手を取られれば、あなたの生命が危うくされるが、逆に、あなたが先に悪を見破れば、悪はその効力を失う。
(2)あなたが悪を知っているということを認めさせることができなくては、卑劣で精神の腐敗した人たちは、一切の道徳を軽蔑することになる。また、正直な人も、悪の知識の助け無くしては、邪な人たちを改悛させることができない。
(3)従って、人間は何をなすべきかとは別に、人間は実際に何をなしているか、すなわち悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さを兼ねそなえることはできない。

 「パシリスクス〔ひとをにらんで殺すという伝説のヘビ〕について伝えられる寓話では、これがあなたをさきに見つければあなたはそのために死ぬが、あなたがそれをさきに見つければそれは死ぬといわれているように、ぺてんとよこしまな手管についても同様だからである。

すなわち、それらは、見破られたら生命を失うが、先手をとれば相手の生命を危くする。

それゆえに、われわれはマキアヴェルリやその他の、人間はどんなことをするかをしるして、どんなことをすべきかはしるさなかった人びとに負うところが大きいのである。

というのは、ヘビの性情を残らず正確に知っていなければ、その卑劣さとはらばい、そのうねり歩きとすべっこさ、その嫉妬と毒牙など、すなわち、悪のすべての種類と本性を心得ていなければ、ヘビの賢さとハトの素直さ〔『マタイによる福音書』一〇の一六〕を兼ねそなえることはできないからである。

それというのも、この心得がなければ、徳はあけっぱなしで、無防備になるからである。

それどころか、正直なひとも、悪の知識の助けなくしては、よこしまな人たちを改悛させるのに役だつことができないからである。

というのは、精神の腐敗した人たちは、正直は品性の単純さから生まれ、説教者や学校教師や人びとのうわべだけのことばを信ずることから生まれるのだときめてかかっているからである。

それゆえ、かれら自身の腐った考えのぎりぎりいっぱいのところをも知っているのだということをかれらに認めさせることができなければ、かれらはいっさいの道徳を軽蔑するのである。

―――「愚かな者は、かれが心に考えていることを告げられなければ、知恵のことばをうけいれない」〔『箴言』一八の二〕。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第二巻、二一・九、pp.282-283、[服部英次郎、多田英次・1974])

(索引:ぺてんと邪な手管の研究、ヘビの賢さ、ハトの素直さ)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月23日水曜日

13.反乱の防止法(フランシス・ベーコン(1561-1626))

反乱の防止法

反乱の防止法(フランシス・ベーコン(1561-1626))


(1)反乱の諸原因

(a)宗教における革新
(b)重税
(c)法律や慣例の変更、特権の廃止
(d)一般的圧政
(e)くだらない人物の抜擢
(f)他国人
(g)食糧不足
(h)除隊兵士
(i)どうにもならなぬ派閥争い
(j)国民を怒らせて共通の目的のために集合団結させる全て


(2)上層階級と一般大衆の両方に不満を抱かせないこと。とくに、上層階級の人たちの不満が危険である。
(a)国民の不満の危険性は大きくない。
(b)一般大衆は上層階級によって扇動されない限り、動きがにぶい。
(c)上層階級は群衆が自ら動き出そうとしない限り、微力である。

(3)貧富の差を大きくし過ぎないこと。

(a)欠乏と貧困を防止する。
(b)財宝と金銭が少数の手に集まらないようにする。
(c)暴利をむさぼる高利貸し、独占、大牧場などを抑制する。


(4)国民に適度の自由を与えること。
 苦痛や不満を解消させるために、適度の自由を与えること。


(5)国民に希望を抱かせ続けること。
 巧みに希望を抱かせつづけ、人々を希望から希望へ進ませること。

(6)政策の真の意図を隠しておくこと


(7)反対派のリーダーを作らない。
 不満を抱く人々が頼りにし、彼らの団結の中心になれる有望な頭首がいないように用心し予防する。

(8)反対派のリーダーを国家の側に引き入れること。
 傑出して名声もあり信頼されている人物は国家の側に、しっかりした間違いのない仕方で引き入れて、これと妥協する。

(9)反対派にもう一人のリーダーを立て、反対派を分裂させること。
 力のあるリーダーに対抗させるために、同派の他の誰かと対決させて、その名声を二分しなければならない。

(10)反対派を分裂、分断し、お互いに反目させること。
 一般に、国家に敵対する全ての党派や同盟を分裂させたり分断したりして、彼らを互に反目させ、少なくとも信用しないようにすること。
(11)実力による担保も必要だ。


(1)反乱の諸原因

(a)宗教における革新
(b)重税
(c)法律や慣例の変更、特権の廃止
(d)一般的圧政
(e)くだらない人物の抜擢
(f)他国人
(g)食糧不足
(h)除隊兵士
(i)どうにもならなぬ派閥争い
(j)国民を怒らせて共通の目的のために集合団結させる全て

 「反乱の原因と動機は、宗教における革新、重税、法律や慣例の変更、特権の廃止、一般的圧政、くだらない人物の抜擢、他国人、食糧不足、除隊兵士、どうにもならなぬ派閥争い、そのほか国民を怒らせて共通の目的のために集合団結させるすべてである。
 対策について言えば、一般的予防法がいくつかあるかもしれない。それについて述べることにしよう。適切な治療について言えば、それは個々の病弊に応えなければならない。したがって、それは規則よりむしろ思慮に委ねなければならない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.73、[渡辺義雄・1983])
(索引:反乱の防止法)

(2)上層階級と一般大衆の両方に不満を抱かせないこと。とくに、上層階級の人たちの不満が危険である。
(a)国民の不満の危険性は大きくない。
(b)一般大衆は上層階級によって扇動されない限り、動きがにぶい。
(c)上層階級は群衆が自ら動き出そうとしない限り、微力である。

 「これらの一つが不満である時、危険は大きくない。一般大衆は上層階級によって扇動されない限り、動きがにぶいし、また上層階級は群衆がみずから動き出そうとしない限り、微力だからである。上層階級が下層階級の間に騒動が持ち上がるのをひたすら待ち望み、いよいよとなったら態度を表明しかねない時が危険である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.75、[渡辺義雄・1983])

(3)貧富の差を大きくし過ぎないこと。

(a)欠乏と貧困を防止する。
(b)財宝と金銭が少数の手に集まらないようにする。
(c)暴利をむさぼる高利貸し、独占、大牧場などを抑制する。

 「第一の対策もしくは予防法は、前述した反乱の材料となる原因をあらゆる手段を尽くして取り除くことである。それは国内の欠乏と貧困である。」(中略)

「何よりもまず、国家の財宝と金銭が少数の手に集まらないように、適切な政策が取られなければならない。さもなければ、国家に大きな蓄えがあっても、飢えることがありうるからである。

また金銭は肥料のようなものであって、ばら蒔かなければ役には立たない。

そうするには真っ先に、暴利をむさぼる高利貸し、独占、大牧場などを抑制すること、少なくともきびしく取り締まることである。」

(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.74、[渡辺義雄・1983])

(4)国民に適度の自由を与えること。
 苦痛や不満を解消させるために、適度の自由を与えること。
 「苦痛や不満を解消させるために適度の自由を与えることは、(そのために度はずれの尊大とか横柄とかにならない限り)安全な方法である。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.75、[渡辺義雄・1983])

(5)国民に希望を抱かせ続けること。
 巧みに希望を抱かせつづけ、人々を希望から希望へ進ませること。

 「時宜をはかって巧みに希望を抱かせつづけ、人々を希望から希望へ進ませることは、不満という毒に対する最上の解毒剤の一つである。

人々の心を満足によって引きつけられなくても、希望によって引きつけられるとしたら、またどんな害悪もはけ口の希望が少しもないほど、避けられぬものではないと思わせるように、事態を処理できるとしたら、それは賢明な統治と行政の確かなしるしである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、pp.75-76、[渡辺義雄・1983])

(6)政策の真の意図を隠しておくこと

 「私は王侯の口からふと洩れた才気走った辛辣な言葉が、反乱を燃え立たせたことに気づいている。」(中略)

確かに、微妙な事件や不安定な時代に対処するには、王侯は自分の言うことに気をつける必要がある。

とくに短い言葉に気をつけなければならない。それは矢のように飛び出し、彼らの秘密の意図から発射されたと思われる。

くだくだしい談話は、かえって退屈なものであって、それほど注意されないからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.77、[渡辺義雄・1983])

(7)反対派のリーダーを作らない。
 不満を抱く人々が頼りにし、彼らの団結の中心になれる有望な頭首がいないように用心し予防する。

(8)反対派のリーダーを国家の側に引き入れること。
 傑出して名声もあり信頼されている人物は国家の側に、しっかりした間違いのない仕方で引き入れて、これと妥協する。

(9)反対派にもう一人のリーダーを立て、反対派を分裂させること。
 力のあるリーダーに対抗させるために、同派の他の誰かと対決させて、その名声を二分しなければならない。

(10)反対派を分裂、分断し、お互いに反目させること。
 一般に、国家に敵対する全ての党派や同盟を分裂させたり分断したりして、彼らを互に反目させ、少なくとも信用しないようにすること。

 「不満を抱く人々が頼りにし、彼らの団結の中心になれる有望な、あるいは適当な頭首がいないように用心し予防することも、衆知の、しかしすぐれた注意事項である。

私の言う適当な頭首とは、傑出して名声もあり、不満を抱く一派に信頼があり、彼らの注目の的となり、当人自身にも不満があると思われる人のことである。

この種の人物は国家の側に、しっかりした間違いのない仕方で引き入れて、これと妥協するか、さもなければこれに対抗させるために、同派の他の誰かと対決させて、その名声を二分しなければならない。一般に、国家に敵対するすべての党派や同盟を分裂させたり分断したりして、彼らを互に反目させ、少なくとも信用しないようにすることは、一考の余地がある対策である。国家の行政を支持する人々が、仲たがいや派閥争いに明け暮れ、反対する連中が仲よく団結しているならば、それは絶望的な状況だからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.76、[渡辺義雄・1983])

(11)実力による担保も必要だ。

 「最後に、王侯は万一に備え、反乱を初期のうちに鎮圧するために、武勇に秀でた誰か傑出した人物を、一人またはそれ以上、必ずそば近くにおくがよい。そうしないと、騒動が突発した初期に、宮廷内に相応以上に、動揺が起こるにきまっているからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ベーコン随想集』一五、p.77、[渡辺義雄・1983])

ベーコン随想集 (岩波文庫 青 617-3)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月22日火曜日

学問の真の目的は、人類の利益に役立つことだ。以下のような目的の見誤りは大きな過ちである。金儲けや生活の手段、戦いに勝つための知恵、装飾と名声、好奇心と探求の欲求、心を楽しませてくれる喜び。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問の目的

【学問の真の目的は、人類の利益に役立つことだ。以下のような目的の見誤りは大きな過ちである。金儲けや生活の手段、戦いに勝つための知恵、装飾と名声、好奇心と探求の欲求、心を楽しませてくれる喜び。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
(a)金儲けと生活の資のため
 利得や販売のための店を求めているようである。
(b)知恵で勝って相手をやっつけることができるため
 戦い争うための砦や展望のきく陣地を求めているようである。
(c)装飾と名声のため
 高慢な精神がその上に登るための高い塔を求めているようである。
(d)自然な好奇心と探求の欲求のため
 さ迷い歩く移り気な精神が美しい景色を見ながらあちこちと歩くためのテラスを求めているようである。
(e)様々な喜びで心を楽しませるため
 探し求めて落ち着かない精神を休ませるための臥床を求めているようである。
(f)人類の利益になり、役に立つよう誠実に立派に使うため
 創造主を賛美し人間のみじめさを救うために、豊かな倉庫を求めているようである。
 「しかし、他のどれよりも大きなあやまちは、知識の最後の、あるいは終極の目的を見誤りあるいははきちがえることである。というのは、人びとが学問と知識を求めるようになるのは、ときとして、自然な好奇心と探求の欲求からであり、ときとして、さまざまな喜びで心を楽しませるためであり、ときとして、装飾と名声のためであり、またときとして、知恵で勝って相手をやっつけることができるためであるが、しかしたいていは、かねもうけと生活の資のためであって、神から授かった理性を、人類の利益になり、役にたつよう、誠実に、りっぱに使うためであることはまれであって、人びとはまるで、知識のなかに、探し求めておちつかない精神を休ませるための臥床を求めているようでもあり、さまよい歩く移り気な精神が美しい景色を見ながらあちこちと歩くためのテラスを求めているようでもあり、高慢な精神がそのうえにのぼるための高い塔を求めているようでもあり、戦い争うためのとりでや展望のきく陣地を求めているようでもあり、利得や販売のための店を求めているようでもあるが、創造主を賛美し人間のみじめさを救うために、豊かな倉庫が求められているようではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・一一、pp.67-68、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、学問の目的)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことは、あやまちである。疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

疑うこと

【疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことは、あやまちである。疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「もう一つのあやまちは、疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことである。というのは、観想の二つの道は、古人がよく口にした行動の二つの道にまったく似ているのであって、一つの道は、はじめ平らでなめらかであるが、終わりには通れなくなり、もう一方は、はじめはでこぼこして骨がおれるが、やがて平らなよい道になるのと同様に、観想の場合も、確信からはじめれば、疑いに終わるだろうが、疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろうからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・八、p.66、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の不健康な状態、疑うこと)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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彼らが最も感心した考え方や、最もよく研究した学問の色で、彼の考えと学説を染まらせ、他の一切のものにも、まったく真実でない、本来とは違う色をつけてしまうのは、過ちである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

不当な一般化

【彼らが最も感心した考え方や、最もよく研究した学問の色で、彼の考えと学説を染まらせ、他の一切のものにも、まったく真実でない、本来とは違う色をつけてしまうのは、過ちである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「これといくらか関係のあるもう一つのあやまちは、人びとがいつもきまって、かれらの瞑想したあげくの考えと学説を、かれらがもっとも感心した考え方やもっともよく研究した学問の色に染まらせ、他のいっさいのものにも、その学問の色を、まったく真実でない、本来とは違う色をつけたというあやまちである。こうして、その哲学にプラトンは神学を、アリストテレスは論理学を、新プラトン派のプロクロスらは数学をまぜあわせた。というのは、これらの学問は、かれらにとって、それぞれ長子であるかのようにかわいがっていた学問であったからである。こうして、錬金術師は熔鉱炉の二、三の実験から哲学をつくりあげ、わが国人ギルベルトゥスは磁石の観察から哲学をつくりあげた。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・七、p.65、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、不当な一般化)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の船)


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人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝が、過ちに陥らせることがある。大きな書物である自然を、一字一字を拾いながら、少しずつ判じ取るように観察し考察しなければ、真理には到達できない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

知性への過度の尊敬

【人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝が、過ちに陥らせることがある。大きな書物である自然を、一字一字を拾いながら、少しずつ判じ取るように観察し考察しなければ、真理には到達できない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「もう一つのあやまちは、人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝からおこったものであるが、このあやまちゆえに、人びとは、自然の考察と経験の観察をすっかりやめてしまって、勝手なりくつをこね、根も葉もないことを考えて、混乱してしまったのである。これらの自分勝手な思いにふける人びとは、そうはいうものの、ふつう、もっとも崇高で、神のような哲学者と考えられているが、ヘラクレイトスはかれらに正当な非難をあびせて、「人びとは、真理をかれら自身の小さな世界に求めて、大きい共通の世界に求めなかった」〔セクストゥス・エンピリクス『教師連の論駁』七の一三三〕といっている。すなわち、人びとは一字一字をひろいながら、少しずつ、神のみわざをしるしている書物〔自然〕を判じとることをさげすみ、それとは反対に、たえず瞑想し精神をゆり動かして、かれら自身の霊をせきたて、いわばよび出して、それに予言をさせ、信託を告げさせるのであるが、そのためにかれらがまどわされるのも当然なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・六、pp.64-65、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、知性への過度の尊敬)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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いろいろ専門に分かれた技術と学問の中だけにとどまれば、技術と学問の進歩を止め、阻まずにはおかない。事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」が必要である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

第一哲学

【いろいろ専門に分かれた技術と学問の中だけにとどまれば、技術と学問の進歩を止め、阻まずにはおかない。事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」が必要である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「いまあげたものからおこるもう一つのあやまちは、個々の技術と学問がいろいろ専門に分かれたのち、人びとは、事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」を顧みなくなったことであるが、これはすべての進歩をとどめはばまずにはおかない。というのは、平地や水平面に立っていては、残るくまなき発見を行うことはできないが、それと同じように、同一の学問の水平面に立っているばかりで、高級の学問にまで上がってゆかないならば、どのような学問にせよ、その深遠なところをきわめることが不可能であるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・五、p.64、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、第一哲学)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時には、重い、中身のつまった価値のある学説が、忘れ去られている場合もある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

忘れ去られた学説

【最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時には、重い、中身のつまった価値のある学説が、忘れ去られている場合もある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時は川や流れに似た性質をもっているようで、重い、中身のつまった価値のある学説が、時の流れのなかで沈められ、忘れ去られている場合もある。
 「もう一つのあやまちも、前のものといくらか似たところがあるが、それは、これまでの学説や学派のうち、かず多くの異なった学説が提唱され検討されたのち、最善のものがいつも勝って、残りのものをおさえたのであるから、新しい探求の努力を始めようとすれば、以前に承認されず、承認されないことによって忘れられてしまったものに出くわすだけだろうと考えるあやまちである。」(中略)
 「こうした考えのまちがっているわけをいうと、時は川や流れに似た性質をもっているようで、それは、軽い、空気のつまったものは運んできてくれるが、重い、なかみのつまったものは沈めてしまうというのが真相なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・三、p.63、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、忘れ去られた学説)

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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月20日日曜日

今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

限りない未知

【今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「ところが遙かに大きな障害が、小心と、人々の努力が自らに課する仕事の貧しさと乏しさとによって、諸学に持ち込まれてきた。しかも(最も悪いことには)そうした小心は、僭越と傲慢を伴わずには現われないものなのである。」(中略)
 「つまり彼らはその技術が、完全なものと見なされることにのみ心を労し、すなわちこの上なく空しく、かつ見込みのない栄光のために骨を折りつつ、今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと、信じさせようと腐心しているのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、八八、pp.142-143、[桂寿一・1978])
(索引:学問の不健康な状態、限りない未知)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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