人間的目的を追求する人間
分業は富の蓄積、余暇、文化の可能性を拓いたが、同時に、他者を強制して自らのために働かせることも可能とし、階級社会が生まれた。歴史は意図的な行為と、予期せぬ諸結果との相互作用で織りなされていくが、何が歴史の推進力だろうか。それは、ヘーゲルの言う諸制度と絶対精神ではなく、人間的目的を追求する人間自身である。(カール・マルクス(1818-1883))
(1)分業の正当なる結果、余暇と文化
意識的であれ無意識的であれ人間の創造物の一つに、分業がある。それは原始社会において 始まり、その後、生産性に顕著な増大をもたらし、人間の直接的必要を超えた剰余の富を作りだ している。この富の蓄積が次には余暇の可能性と文化の可能性とを作りだす。
(2)分業の転倒した結果、階級の分裂
同時に、この蓄積された生活物資を、他人に福利を得させない手段として使用する可能性、他人を脅し強制して富の蓄積のために働かせる手段として使用する可能 性、他人を押しつけ搾取し人間を支配者階級と被支配者階級に分割する手段として使用する可 能性、に道を拓くことにもなる。
(3)意図的な行為と、予期せぬ諸結果との相互作用
(a)歴史とは、自主管 理の確立を目指して奮闘する行為者と、彼らの行為の諸結果との間に生まれる相互作用 である。
(b)行為の諸結果
(i)意図通り、想定外
意図されたものであるばあいもあれば、意図されざるものである ばあいもある。
(ii)予測可能、予測不能
人間およびその環境に及ぼす影響についても、予測される ものもあれば、そうでないものもありうる。
(iii)物質、無意識、感情、思想
物質的領域に生じることもあ れば、思想および感情の領域に発現することもあり、人間の生活の無意識的次元において起こ ることもある。
(iv)個人、大衆、社会、制度
個々人にのみ作用するばあいがあるかと思えば、他面、社会 制度ないし社会運動の形態をとって出現するばあいもある。
(4)歴史の進行方 向を規定する中核的運動要因は何だろうか
(a)諸制度と絶対精神(ヘーゲル)
中核的運動要因 は、種々の意識次元で自らが創造した抽象的あるいは具体的諸制度のうち に、自己自身を理解する鍵を探し求めている絶対精神のなかにある。
(b)目的を追求する人間存在(マルクス)
(i)事 実においては人間の労働の産物であるものに、人間から独立した外在的な物ないし力であるか の如き外観を与えようとするのは、誤りである。
(ii)理解可能な人間的目的を追求する人間存在こそが、中核的 要因である。この人間的目的とは、快楽とか知識とか安全とか来世の救済とかの個別 的目標ではなく、全人間能力を、理性の原理と合致した方向に調和的に実現することである。
(iii)人間的目的の追求は、部分的には自己を 実現できながらも、他面不可避的に部分的には不満を残さざるをえないところから、次の時代 の人々に関わる諸範疇や諸価値やらを変えることになる。
(iv)文化は、歴史的範疇であって、永遠不変のものではないのである。人間の歴史において唯一永続的な要因は、人間自体、闘いとの関連で理解される人間自体であった。自然を支配し自己の生産力を組織だてようとする闘い、し かも対内的にも対外的にも調和を保ちつつ合理的形態においてそれを実行しようとする闘いで ある。
(v)闘いとは、人間が自覚的に選び とったものではなく、既に人間存在の一部を成しているものである。この点は、マルクスの 形而上学的側面の表われである。
「分業の正当なる結果――余暇と文化
意識的であれ無意識的であれ人間の創造物の一つに、分業がある。それは原始社会において 始まり、その後生産性に顕著な増大をもたらし、人間の直接的必要を超えた剰余の富を作りだ している。この富の蓄積が次には余暇の可能性と文化の可能性とを作りだす。
分業の転倒した結果――階級の分裂
だがそれと同時に、この蓄積――蓄積された生活物資――を、他人に福利を得させない手段とし て使用する可能性、他人を脅し強制して富の蓄積のために働かせる手段として使用する可能 性、他人を押しつけ搾取し人間を支配者階級と被支配者階級に分割する手段として使用する可 能性、に道を拓くことにもなる。この階級分裂は、創意工夫と技術進歩とそれによって生みだ された財貨の蓄積との意図せざる諸結果のなかでも最も深刻なものである。歴史とは、自主管 理の確立を目指して奮闘する行為者の生活と、彼らの行為の諸結果との間に生まれる相互作用 である。これらの諸結果は、意図されたものであるばあいもあれば、意図されざるものである ばあいもある。これらの諸結果はが人間およびその環境に及ぼす影響についても、予測される ものもあれば、そうでないものもありうる。これらの諸結果は、物質的領域に生じることもあ れば、思想および感情の領域に発現することもあり、人間の生活の無意識的次元において起こ ることもある。これらの諸結果は、個々人にのみ作用するばあいがあるかと思えば、他面社会 制度ないし社会運動の形態をとって出現するばあいもある。この複雑な編成物は、その進行方 向を規定する中核的運動要因が把握されたときにのみ、理解可能となり制御可能となるのであ る。 初めて事物を優れて明晰に根源的に省察した人、ヘーゲルにあっては、この中核的運動要因 は、絶対精神のなかに、種々の意識次元で自らが創造した抽象的あるいは具体的諸制度のうち に自己自身を理解する鍵を探し求めている絶対精神のなかに、見出されていた。マルクスは、 「この宇宙論的図式を受け容れたのであるが、他方で、ヘーゲルとその弟子たちを、運動する究極の力について神話的説明を施したとの理由で非難した。神話は、人間の最も人間らしい面 の表われであり成果であるものを、人間以外のものによって作りだされたものと見なして外在 化する過程で、意図せざる結果として生まれてくるのである。このばあいについて言えば、事 実においては人間の労働の産物であるものに、人間から独立した外在的な物ないし力であるか の如き外観を与えようとするのである。ヘーゲルは、客観的な絶対精神の前進運動について 語った。それに対して、マルクスは、理解可能な人間的目的を追求する人間存在こそが中核的 要因であると考えた。この人間的目的とは、快楽とか知識とか安全とか来世の救済とかの個別 的目標ではなく、全人間能力を理性の原理と合致した方向に調和的に実現することである。こ の追求は、ある集団なりある世代なりある文明なりの行動を規定するとともに、その行動を理 解しようとする他の人々にその行動を説明する鍵ともなるものであるが、――部分的には自己を 実現できながらも、他面不可避的に部分的には不満を残さざるをえないところから、次の時代 の人々に関わる諸範疇や諸価値やらを変えることになる。あらゆる活動や創造の中心をなすこ の絶えざる自己変革は、固定した時間を超越した原理とか、変化に無縁の普遍的目標とか、永 遠不滅の人間的範疇とかなどという観念そのものを無意味なものにしてしまう。 マルクスが取り扱おうとする時代の特色は、マルクス自身の見解によると、階級闘争の現象 によって規定されているのである。個々人のあるいは諸社会の行動や見地もまたこの要因に よって決定されることは、疑問の余地がない。右のことは、文化についてもまたあてはまる基 本的な歴史的真理である。文化は、自らの力の実現を図るため、しばしば無益なあるいは自滅 的方策に訴えることを辞さない人々によって実行される富の蓄積およびこの蓄積の支配を目指 す闘争によって、影響を受けるのである。文化は、まさしく歴史的範疇であって、永遠不変の ものではないのである。それは、過去において現状とは異なっていたし、現状のまま永遠に続 くというものでもない。実際のところ、近づきつつあるその破滅の徴候は、見るべき眼をもっ た人々には、疑問の余地なく明白であった。人間の歴史において唯一永続的な要因は、人間自 体、闘いとの関連で理解される人間自体であった。ここでいう闘いとは、人間が自覚的に選び とったものではなく、既に人間存在の一部を成しているものである。(この点は、マルクスの 形而上学的側面の表われである。)自然を支配し自己の生産力を組織だてようとする闘い、し かも対内的にも対外的にも調和を保ちつつ合理的形態においてそれを実行しようとする闘いで ある。」
(アイザイア・バーリン(1909-1997),『カール・マルクス――その生涯と環境』,日本語書籍 名『人間マルクス』,第6章 唯物史観の諸相,pp.144-146,サイエンス社(1984),福留久大 (訳))
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アイザイア・バーリン (1909-1997) |