2018年9月6日木曜日

16.思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。(カール・ポパー(1902-1994))

思考と言語

【思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。(カール・ポパー(1902-1994))】

(3)を追加記載

世界1:自然淘汰によって進化した遺伝的な基盤をもつ自然的過程
 言語を学習する強い必要性と、無意識的で生得的な動機
 言語を学習する能力

世界3:種々の言語と、その文化的進化
 様々な差異を持った数多くの言語が存在する。

世界2:個々の言語を実際に学習する過程
(1)言語の習得は、世界1の基盤によって支えられている。
(2)言語の習得は、意識的、能動的な世界3の学習と探究の過程である。
(3)思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準の世界3に属するようになる。
 (3.1)思考はひとたび言語に定着させられると、われわれの外部の対象となる。
 (3.2)外部の対象となることで、間主観的に批判できるものとなる
 (3.3)間主観的に批判できることで、客観的な基準の世界、すなわち世界3が出現してくる。
 (3.4)世界3に属することで、等値、導出可能性、矛盾といった論理的関係が意味を持つようになる。
 (3.5)客観的な基準の世界に対して、世界2は主観的な思考過程という位置づけが成立する。
(4)言語は、以下に対して強いフィードバック効果を持っている。
 (4.1)自らの物質的環境への精通
 (4.2)他者との関係
 (4.3)自我、人格の形成
(5)すなわち、自我、人格とは、
 (5.1)能動的な学習と探究の成果の所産である。
 (5.2)世界3の所産である。
 (5.3)物質的環境との相互作用の所産である。
 (5.4)他者との相互作用の所産である。

参照: 言語は、世界1の基盤に支えられ、意識的、能動的な世界3の学習と探究を通じて、世界1との関係、他者との関係、自我の形成に強い作用を及ぼす。自我は、世界1、他者、世界3との能動的な相互作用の所産である。(カール・ポパー(1902-1994))

 「人間の言語と人間の思想は、たがいの相互作用をつうじて、ともに進化する。

人間の言語は、あきらかに、人間の思考過程、つまり世界2の対象を表現する。

しかし、そうした対象が客観的な人間の言語で述べられると、それらにとっては非常に大きなちがいが生じてくる。

つまり、人間の言語と人間の心とのあいだに強力なフィードバック効果が存在するようになる。

 というのは、主に、思考はひとたび言語に定着させられると、われわれの外部の《対象》となるからである。

そうした対象は、間-主観的に《批判》できるものとなる――われわれのみならず他者もまた批判できるのである。

この意味で間主観的あるいは客観的批判は、人間の言語とともにはじめて出現してくる。

そしてそれとともに、人間の世界3、いいかえると、客観的な基準の世界、ならびに、われわれの主観的な思考過程の内容という世界が出現してくる。

 ここからして、たんにある思想を《考える》だけか、それともそれを言語で《述べる》(あるいはよりよい言い方をすると、書き下ろしたり、印刷させる)かには、重大なちがいがある。

たんにその思想が考えられているだけでは、それは客観的に批判できるものではない。それは、われわれの一部にほかならないからである。

批判できるためには、それが人間の言語で述べられ、そして対象、つまり世界3の対象にならなければならない。言語で述べられた思想は、世界3に属する。

それらは、たとえば、ある種の歓迎されない、あるいは不合理な論理的帰結をもつと示せるならば、それらを《論理的に》批判することができるのである。

ただ世界3に属する《思想内容》のみが、たとえば、等値、導出可能性、あるいは矛盾といった論理的関係をむすぶことができる。

 ここからして、世界2に属する主観的な《思考過程》と、世界3を構成する、思想の客観的な《内容》、つまり、いわば内容そのものとが明確に区別されねばならない。」

(カール・ポパー(1902-1994),『開かれた宇宙―非決定論の擁護』,付録1,世界3の実在と部分的自律性,pp.147-149,岩波書店(1999),小河原誠,蔭山泰之,(訳))
(索引:思考と言語)

開かれた宇宙―非決定論の擁護


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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2018年9月5日水曜日

ビッグバンの直後は極めて高温で、すべての粒子が事実上、光子のように質量がゼロと考えてもいいような時空構造であったと考えられる。この構造では、局所的なスケール変化の影響を受けない。(ロジャー・ペンローズ(1931-))

ビッグバン直後の状態

【ビッグバンの直後は極めて高温で、すべての粒子が事実上、光子のように質量がゼロと考えてもいいような時空構造であったと考えられる。この構造では、局所的なスケール変化の影響を受けない。(ロジャー・ペンローズ(1931-))】

 ビッグバンの直後、恐らくビッグバンの瞬間から10-12秒後あたりまで遡ると、温度は約1016Kを超えていて、物理学はスケール因子Ωをまったく気にしないものになり、共形幾何学が、その物理過程に適した時空構造になると考えられる。そのため、当時の物理的活動のすべては、局所的なスケール変化の影響を受けなかったと考えられる。

 「はるかな昔、ビッグバン直後の物質宇宙は、物理的にどのようなものだったのだろうか? 確実にわかっているのは、高温だったということだ。ただの高温ではなく、おそろしく高温だった、と言うべきだろう。当時、宇宙を飛び回っていた粒子の運動エネルギーはあまりにも大きく、比較的小さな静止エネルギー(静止質量mの粒子ではE=mc2)を完全に圧倒していた。そのため、粒子の静止質量はほとんど問題にならず、これに関連した力学過程においては事実上ゼロと言ってよいほどだった。ごく初期の宇宙は、事実上質量のない粒子からできていたと言ってよい。
 このことを別の言葉で表現するために、心にとめておくべきことがある。それは、基本粒子の質量の起源に関する現在の素粒子物理学理論によると、素粒子の静止質量は、ヒッグス・ボソンと呼ばれる特別な粒子(ひょっとすると、特別な粒子のファミリー)の作用を通じて生じてきたと考えられるということだ。ヒッグス粒子と関連した量子場があり、量子力学的な「対称性の破れ」という不思議な過程を通じて、ほかの素粒子に質量を与えたというのが、自然界の任意の基本粒子の静止質量の起源に関する標準理論になっている。つまり、これらの素粒子はヒッグス粒子がなかったら質量をもたなかったと考えられるのに対して、ヒッグス粒子は独自の質量(静止質量)をもっていることになる。けれども、ごく初期の宇宙では、温度があまりにも高く、ヒッグス粒子の静止質量を大幅に上回る運動エネルギーを付与するため、標準理論によれば、すべての粒子が、事実上、光子のように質量がゼロであったということになる。
 第9章の議論を思い出してほしい。質量のない粒子は、時空の計量の「全体像」にはあまり関心がなく、その共形(またはヌル円錐)構造しか尊重していないように見える。もう少し明確に(そして慎重に)説明するため、原初の質量ゼロの粒子であり、今日も質量がないままである光子について考えよう。光子を正しく理解するためには、量子力学(より正確には「場の量子論」)という、奇妙だが厳密な理論のなかで考える必要があるが、ここで場の量子論を詳細に説明しているわけにはいかない(ただし、第16章では量子論の基本的な問題をいくつかとりあげることになる)。われわれが主に興味をもっているのは、光子が量子的な構成要素となるような物理場である。この場がマックスウェルの電磁場で、第12章で説明したようにテンソルFにより記述される。マックスウェル方程式は、完全に共形不変であることがわかっている。これは次のような意味である。計量gを共形的に関連した計量g^に置き換えて、
 gg^
とする。(非一様に)再スケーリングされる新しい計量g^は、
 g^2g
と書ける。ここでΩは、正の値をとり、時空のなかをなめらかに変化するスカラー量である。(第9章参照)。このとき、すべての操作をgではなくg^によって定義すれば、マックスウェル場のテンソルFについても、その源である電荷・電流ベクトルJについても、適当なスケール因子を見つけて、以前とまったく同じマックスウェル方程式が成り立つようにすることができるのだ。それゆえ、特定の共形スケールを選択した場合のマックスウェル方程式の任意の解は、ほかの共形スケールを選択した場合に完全に対応する解に変換することができる(この点については第14章でもう少し詳しく説明し、補遺A6でもっとしっかり説明する)。さらに根本的なレベルでは、粒子(光子)の記述との一致が「^」のついた計量g^にもあてはまり、個々の光子が個々の光子に対応するという点で、これは場の量子論と矛盾しない。ゆえに、光子そのものは、局所的なスケールが変更されたことに「気づきもしない」のだ。
 マックスウェルの理論は、この強い意味で共形不変であり、電荷を電磁場に結びつける電磁相互作用も、スケールの局所的な変更に気がつかない。光子も、光子と荷電粒子の相互作用も、その方程式が組み立てられるためには、時空がヌル円錐構造(つまり共形時空構造)をもつことを必要とするが、実際の計量を相互に区別し、このヌル円錐構造と矛盾しないようなスケール因子は必要としない。さらに、まったく同じ不変性がヤン=ミルズ方程式にも成り立つ。ヤン=ミルズ方程式は、強い相互作用だけでなく弱い相互作用も支配する。強い相互作用とは、核子(陽子と中性子)や、核子を構成するクォークや、これらに関連したその他の粒子との間ではたらく力のことで、弱い相互作用とは、放射性崩壊を引き起こす力のことである。ヤン=ミルズ理論は、数学的にはマックスウェルの理論に「余分な内部添字」をつけて(補遺A7参照)、一個の光子を粒子の多重項に置き換えたものにすぎない。強い相互作用では、クォークとグル―オンと呼ばれるものが、それぞれ電磁気理論における電子と光子に相当している。グル―オンには質量がないが、クォークには質量があり、その質量はヒッグス粒子と直接関係していると考えられている。弱い相互作用の標準理論(現在は電磁気理論もこの理論に組み込まれているため「電弱理論」と呼ばれている)では、光子はほかの三つの粒子(W+、W-、Z)を含む多重項の一部と考えられている。W+、W-、Zは質量をもっていて、、これらの質量もヒッグス粒子と結びついていると考えられる。」(中略)「まとめると、ビッグバンの直後、おそらくビッグバンの瞬間から10-12秒後あたりまでさかのぼると、温度は約1016Kを超えていて、物理学はスケール因子Ωをまったく気にしないものになり、共形幾何学が、その物理過程に適した時空構造になると考えられる。そのため、当時の物理的活動のすべては、局所的なスケール変化の影響を受けなかったと考えられる。」
(ロジャー・ペンローズ(1931-),『時間のサイクル』(日本語名『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』),第3部 共形サイクリック宇宙論,第13章 無限とつながる,新潮社(2014),pp.164-167,竹内薫(訳))
(索引:ビッグバン直後の状態)

宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか


(出典:wikipedia
ロジャー・ペンローズ(1931-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「さらには、こうしたことがらを人間が理解する可能性があるというそのこと自体が、意識がわれわれにもたらしてくれる能力について何らかのことを語っているのだ。」(中略)「「自然」の働きとの一体性は、潜在的にはわれわれすべての中に存在しており、いかなるレヴェルにおいてであれ、われわれが意識的に理解し感じるという能力を発動するとき、その姿を現すのである。意識を備えたわれわれの脳は、いずれも、精緻な物理的構成要素で織り上げられたものであり、数学に支えられたこの宇宙の深淵な組織をわれわれが利用するのを可能ならしめている――だからこそ、われわれは、プラトン的な「理解」という能力を介して、この宇宙がさまざまなレヴェルでどのように振る舞っているかを直接知ることができるのだ。
 これらは重大な問題であり、われわれはまだその説明からはほど遠いところにいる。これらの世界《すべて》を相互に結びつける性質の役割が明らかにならないかぎり明白な答えは現れてこないだろう、と私は主張する。これらの問題は互いに切り離し、個々に解決することはできないだろう。私は、三つの世界とそれらを互いに関連づけるミステリーを言ってきた。だが、三つの世界ではなく、《一つの》世界であることに疑いはない。その真の性質を現在のわれわれは垣間見ることさえできないのである。」

    プラトン的
    /世界\
   /    \
  3      1
 /        \
心的───2────物理的
世界         世界


(ロジャー・ペンローズ(1931-),『心の影』,第2部 心を理解するのにどんな新しい物理学が必要なのか,8 含意は?,8.7 三つの世界と三つのミステリー,みすず書房(2001),(2),pp.235-236,林一(訳))

ロジャー・ペンローズ(1931-)
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15.意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。これは、感覚皮質への直接刺激による感覚と、皮膚への刺激による感覚との比較により検証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識の時間遡及

【意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。これは、感覚皮質への直接刺激による感覚と、皮膚への刺激による感覚との比較により検証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(a)感覚皮質への、アウェアネスに必要な閾値に近い強さの連発した刺激パルス(500ms)
(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス
 (a)の後、(b)が数百ms遅延したとしても、(b)(a)の順で感覚される。
 (a)の後、(b)が500ms遅延したときのみ、(b)(a)は同時に感覚される。

(a)感覚皮質への、アウェアネスに必要な閾値に近い強さの連発した刺激パルス(500ms)
意識的な皮膚感覚
 ↑
 │
事象関連電位(ERP)と呼ばれる
皮質の一連の電気変化
 ↑意識感覚を生み出すために、
 │500ms以上の持続が必要である。
 │
感覚皮質への連発した刺激パルス

(b)皮膚への、閾値に近い単発のパルス
意識的な皮膚感覚
 ↑↑
 ││刺激の正確な位置と、
 ││発生タイミングを決める
 │└──────────────┐
事象関連電位(ERP)と呼ばれる  │
皮質の一連の電気変化       │
 ↑意識感覚を生み出すために、  │
 │500ms以上の持続が必要である。│
 │               │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

参照: 意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、片側の感覚上行路に損傷のある患者の例で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))


 「意識を伴う感覚経験を引き出すには、単発のパルスによる皮膚刺激の場合でさえ、適切な強さの脳内のニューロンの活動が最大約500ミリ秒間持続しなければならないことを、証拠は示しています。しかし主観的には、私たちは皮膚刺激に対して感知可能な遅延なしにほとんど即座に気づくようです。ここで、奇妙な逆説が生じます。脳内の神経活動の必要条件は、500ミリ秒間程度経過しなければ皮膚刺激の意識経験またはアウェアネスが現れることができないことを示していますが、その一方、このような遅延なしに経験したと私たちは主観的に判断しています。
 《主観的な》タイミングは、《ニューロンの》タイミング(言い換えると、ニューロン群が実際に経験を生み出したタイミング)と一致する必要がない、と考え始めるまで、私たちはこのやっかいなジレンマにしらばく苦しめられていました。そこで、この矛盾を直接証明する実験を行いました(リベット他(1979年))。このテストでは、連発した刺激パルス(アウェアネスに必要な閾値に近い強さ)を、通常、意識を伴う感覚経験を生み出す必要条件である約500ミリ秒間反復して感覚皮質に与えました。(この、皮質刺激によって誘発された感覚は、手のような皮膚の部位に感じられると報告されます。脳に現われたと決して感じられないのです。)次に、単発の、閾値に近いパルスを皮膚に与えます。このパルスは数々の試行において、連発した皮質刺激がスタートした後の様々な時点で与えました。皮質刺激と皮膚刺激をペアにして与える個々の試行の後、被験者は二つの感覚のうちどちらが先に現われたかを報告するように指示されました。すると皮膚パルスが皮質刺激の開始後、数百ミリ秒間遅延したとしても、被験者は(依然として)皮膚で生じる感覚は、皮質刺激で誘発された感覚の《前》に現われた、と報告しました。また、皮膚パルスが約500ミリ秒間遅延したときにのみ、両方の感覚がほとんど同時に現われたように感じると、被験者は報告しました。明らかに、皮膚刺激で誘発された経験の主観的な時間は、皮質刺激で誘発された経験とくらべて遅延がないように見えます。皮質刺激で誘発された感覚は、皮膚刺激で誘発された感覚と比較して、約500ミリ秒間遅延しているのです。
 皮質刺激において発見したのと同様に、皮膚への刺激パルスのアウェアネスには、およそ500ミリ秒間の脳内の活動が必要であるという、はっきりした証拠をすでに私たちは持っています。それでも、このような大幅な遅延がないかのようなタイミングで、皮膚パルスは主観的に知覚されるのです。この逆説的な経験上/実験上のジレンマをどのように扱ったらよいでしょうか? この矛盾を説明できるメカニズムが脳内にあるのでしょうか?」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.84-86,下條信輔(訳))
(索引:意識の時間遡及)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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15.人間の歴史の道筋を予測することはできない。なぜなら、未来は人間の知識の成長に強く影響されるが、知識が自らの将来の成長について自己予測することは矛盾であり、不可能だからである。(カール・ポパー(1902-1994))

人間の未来は予測できない

【人間の歴史の道筋を予測することはできない。なぜなら、未来は人間の知識の成長に強く影響されるが、知識が自らの将来の成長について自己予測することは矛盾であり、不可能だからである。(カール・ポパー(1902-1994))】

(1)個々の社会理論(たとえば経済理論)は、ある特定の条件のもとで、社会にどのような発展が生じるかという予測を導き出すだろうし、それが正しいかどうかテストすることもできる。
(2)しかし社会科学は、人間の歴史の道筋を予測することはできない。少なくとも、未来の道筋のうち、知識の成長によって強く影響される側面は予測できない。
 (2.1)なぜなら、知識が自らの将来の成長について自己予測をすることは矛盾であり、不可能だからだ。予測者がいかに複雑であったとしても、明日初めて知り得ることを今日予測することはできない。
 (2.2)結果として、相互に行為しあう予測者からなる「社会」は、この社会自体の将来における知識のありさまを予測することはできない。
 (2.3)人間の歴史の道筋は、人間の知識の成長によって強く影響される。よって、社会科学は、人間の歴史の道筋を予測することはできない。

 「この議論は、《ヒストリシズムの説》――社会科学の課題は人間の歴史の道筋を予測することであるという説――《を論駁する》ために利用することができる。なぜなら、つぎのように論じることができるだろうから。

 (1)予測者の複雑さがどうであれ、完璧な自己予測が不可能であることが示せれば、それは、相互に行為しあう予測者からなるどんな「社会」についても成り立つはずである。

結果として、相互に行為しあう予測者からなる「社会」は、この社会自体の将来における知識のありさまを予測することはできない。

 (2)人間の歴史の道筋は、人間の知識の成長によって強く影響される。
(この前提が真であることは、マルクス主義のように科学的観念も含めてわれわれの観念をさまざまな種類の物質的発展がもたらす副産物としか見ない者でさえ、認めざるをえない。)

 (3)したがって、将来における人間の歴史の道筋は予測できない。

いずれにせよ、未来の道筋のうち、知識の成長によって強く影響される側面は予測できない。

 この議論は、もちろん、個々の社会的予測の可能性を否定するものではない。それどころか、社会理論――たとえば経済理論(もっとも、「歴史的理論」ではない)――をテストする可能性と完全に両立する。

つまり、そうした理論からある条件のもとではある発展が生じるだろうと主張する予測を導き出し、それをテストすることによって理論の方をテストするという可能性と完全に両立する。」

(カール・ポパー(1902-1994),『開かれた宇宙―非決定論の擁護』,第3章 非決定論の申し立て,20 歴史的予測と知識の成長,p.80,岩波書店(1999),小河原誠,蔭山泰之,(訳))
(索引:人間の未来は予測できない)

開かれた宇宙―非決定論の擁護


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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2018年9月4日火曜日

14.初期誘発電位反応には、刺激の位置や感覚モダリティによって、5~40msの潜伏時間の違いがあるにもかかわらず、主観的には同時に意識される。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

感覚の意識的な同時性

【初期誘発電位反応には、刺激の位置や感覚モダリティによって、5~40msの潜伏時間の違いがあるにもかかわらず、主観的には同時に意識される。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

意識的な皮膚感覚
 ↑↑
 ││刺激の正確な位置と、
 ││発生タイミングを決める
 │└──────────────┐
事象関連電位(ERP)と呼ばれる  │
皮質の一連の電気変化       │
 ↑意識感覚を生み出すために、  │
 │500ms以上の持続が必要である。│
 │               │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス


初期EP(誘発電位)の発生タイミング
 (a)同じ体性感覚のモダリティの刺激でも、体の部位間の距離の違いによって、5~10ms(頭への刺激の場合)から、30~40ms(脚への刺激の場合)と差がある。
 (b)異なる感覚モダリティ間で、同期した刺激を与えた場合、たとえば、銃の発射音と閃光を知覚する場合。視覚は、時間がかかり初期誘発反応の遅延は、30~40msになる(網膜内の光受容体⇒次々と神経層を通る⇒神経節細胞⇒視覚神経線維⇒視床⇒視覚皮質)。
 (c)実験に当たっての注意事項1:身体の一つの部位へ非常に強い刺激が与えられた場合には、意識化に必要な脳の活動は極めて短い持続時間になる。この脳活動時間の差は、100~200msに及ぶ。これは、同時には感じられない(推測)。
 (d)実験に当たっての注意事項2:皮質の表面に設置した電極で記録ではなく頭皮の記録で見られる最も速い大きな電位は、初期誘発電位反応ではなく、より遅いコンポーネントの反応である。このコンポーネントは、初期誘発電位反応よりも50~100ms長い潜伏期間がある。

 「感覚の意識的な同時性 このことによって、実際に同調して与えられたさまざまな刺激が、どのように同調しているものとして意識的に感じられるかについて、重要で一般的な疑問が起こります。同じ体性感覚のモダリティの中で刺激を与えても、刺激を与える体の部位間の距離の違いによって、感覚経路の伝導時間が異なります。感覚メッセージの最も速い到達時間は、5~10ミリ秒間(頭への刺激の場合)から、30~40ミリ秒間(脚への刺激の場合)とばらつきがあります。(にもかかわらず)これら二つの部位への同調した刺激は、主観的には同調しているものとして感じられますから、30ミリ秒間程度の時間差は、主観的には重要ではないと考えるしかありません。その一方、身体の一つの部位へ非常に強い刺激が与えられた場合、(意識化に必要な)脳の活動は極めて短い持続時間ですみます。二つの異なる強さの刺激間での、この脳活動時間の差は、100~200ミリ秒間ぐらいです。このような(強度の違う)二つの刺激について、主観的な相対タイミングが研究されたことがあるかはわかりません。おそらく、同調したものとして感じられなかったのではないかと思います。いずれにしても、極めて短い脳の活性化時間で十分であるほどの強い刺激は、普通には起こりにくいと思われます。
 それでは、異なる感覚モダリティ間で同期した刺激を与えた場合は、どうでしょうか? たとえば、銃を発砲して、発射音と閃光の両方が同時に現われる場合を考えます。もちろん、光は音よりも早く直進します。しかし、もし銃がほんの数フィート(1メートル弱)の距離で発砲されていたら、その移動時間の差はあまり重要ではありません(秒速1100フィート(約330メートル)のスピードだと、音は2フィート(約0.6メートル)離れた聞き手のところに約2ミリ秒で届きます)。身体への体性感覚刺激と同様、視覚刺激と聴覚刺激もまた、視覚皮質と聴覚皮質にそれぞれ速い初期誘発電位反応を引き出します。速い信号が視覚皮質へ届くための潜伏時間、または遅延時間は、他の感覚モダリティと比べて明らかに長くなります。それはなぜかと言うと、網膜内で光受容体から次々と神経層を通るのに余分に時間がかかり、それからようやく神経節細胞が発火し、視覚神経線維を経由して視床を通って視覚皮質へと神経インパルスを送るからです。ゴフら(1977年)の計測によれば、ヒトの脳における視覚の初期誘発反応の遅延は、30~40ミリ秒間です。
 すべての感覚皮質部位において、初期誘発反応は、現在刺激を受けている末梢感覚地点または領域を表す小さな部位に限局されています。実際、皮質の表面に記録電極を設置してみると、感覚刺激に反応する末梢感覚要素からの速い入力を受ける皮質の「ホットスポット」でのみ、かなり強い初期誘発電位反応が記録されるのです。初期誘発電位反応は、頭皮につけた電極による記録では通常、はっきりと見出すことができません。なぜなら、電極がホットスポット上に設置されるとは限らないというだけではなく、局所的な皮質部位で生じる電位が皮質と頭皮の間にある組織の中で「ショートする」ことによって弱化し、大きく削減されるからです。その結果、頭皮の記録で見られる最も速い大きな電位は、(皮質の表面に設置した電極で記録した場合と違って)刺激への反応のうちでより遅いほうのコンポーネントとなります。このコンポーネントは、初期誘発電位反応よりも50~100ミリ秒間長い潜伏期間があり、さまざまな同時刺激における同期という問題を考える際には、これより後のタイミングで考えると間違える恐れがあります。
 どちらにしても、真の初期誘発電位反応には、刺激の位置や感覚モダリティによって、5~40ミリ秒間の潜伏時間があります。にもかかわらず、もしすべての同時に与えられた刺激が、主観的に同期していると感じられるならば、この範囲の潜時のばらつきが主観的に重要であるとは脳は「考え」ない、と推測しなければならないでしょう。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.80-82,下條信輔(訳))
(索引:感覚の意識的な同時性)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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14.世界2は、世界3と直接的に相互作用する。例として、(a)新しい問題の発見と解決、(b)例として数学の問題と証明、(c)例として数学における無限の概念、(d)例として言語の「意味」の理解。(カール・ポパー(1902-1994))

世界2と世界3の相互作用

【世界2は、世界3と直接的に相互作用する。例として、(a)新しい問題の発見と解決、(b)例として数学の問題と証明、(c)例として数学における無限の概念、(d)例として言語の「意味」の理解。(カール・ポパー(1902-1994))】

(b2.4.4)追加記載

 (b2.4)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ具現化する。
 (b2.4.1)世界3の符号である世界1の対象は、いかに世界2により働きかけられるにしても、それ自体は世界1の対象であるから、世界1の諸法則に従って生成・変化する。また世界2は、いかにそれが自ら固有の法則に従って働きかけるかのように見えようが、世界1の諸法則に支えられている。世界2は、最初に直接的に、世界1の諸法則には服さない世界3との関係を持つことなしには、世界1の因果関係から逃れることはできない。

 (b2.4.2)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1へ具現化する。

 時間1 世界1・P1           (世界3・C1⇔世界2・M1)
  │    │             │┌───┘
  ↓    ↓             ↓↓
 時間2 世界1・P2⊃世界1・S2⇔世界2・S2(世界3・C2⇒世界2・M2)
  │    │   │┌──────────────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間3 世界1・P3⊃世界1・S3⇔世界2・S3(世界3・C3⇒世界2・M3)

 (b2.4.3)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界2へ具現化する。

 時間1 世界1・P1     (世界3・C1⇔世界2・M1)
  │    │         │┌───┘
  ↓    ↓         ↓↓
 時間2 世界1・P2 世界2・S2(世界3・C2⇒世界2・M2)
  │    │   │┌─────────┘
  ↓    ↓   ↓↓
 時間3 世界1・P3 世界2・S3(世界3・C3⇒世界2・M3)

 (b2.4.4)(b2.4.2)が正しいことの理由。
 (b2.4.4.1)世界2が、未だ世界3のなかに表現されておらず、したがって当然、世界1には存在しない新しい問題を発見したり、問題への新しい解決を発見するときのような創造的行為を考えると、世界2が必ず世界1を経由するということは、誤りではないかと思われる。
 (b2.4.4.2)例として、数学の問題を発見し、証明する過程。
  (i)最初に問題を感じ、問題の存在に気づく。あるいは、証明の考案がなされる。
  (ii)次に、(i)が言語で表現される。
  (iii)明確化し、証明の妥当性を批判的に調べるため、世界1の表現に具現化される。
 (b2.4.4.3)例として、数学における無限の概念は、世界1、世界2に具現化されなくても、直接把握される。論証のための表現は世界1、世界2に具現化されるが、概念そのものは直接把握されるように思われる。
 (b2.4.4.4)例として、私たちが本を読んで「意味」を理解する方法も、ページの上に符号化、具現化されたものを飛び越して、世界3の属する意味を直接把握しているように思われる。

 「ここでの私の要点は、われわれは、問題となっている世界3の観念を把握するためには、世界3の観念を世界1で表現する(例えば、大脳の構成要素によるモデル)必要はない、ということです。

世界2による世界3の対象の直接把握の可能性についてのテーゼは(無限系列のような世界3の無限の対象のみではなく)一般に正しいと私はみなします。

でも、無限の対象の例は、私の考えでは、世界3の対象を世界1で表現する必要のないことを明白にしてくれます。

われわれは、もちろん永久に続く(任意の中間結果に1を加えるような)操作をプログラム化したコンピュータを作れるでしょう。でも、

(1)コンピュータは実際には永久に続くのではなく、有限時間内に尽きてしまいます(あるいは、すべての利用可能なエネルギーを消費してしまいます)。

(2)もしそのようにプログラムされていれば、途中結果の系列は伝えますが、最終結果は伝えないでしょう。(仮無限という世界3の観念の(有限の)物理モデルないし表現はありません。)

 世界3の対象を直接把握することの論証は、無限についての世界1の表現が存在しないことには依存しません。

決定的なことは私には次のように思えるのです。世界3の問題――例えば、数学の問題――を発見する過程で、われわれはそれが話し言葉、または書き言葉で表わされる前に、まず曖昧に問題を《感じ》ます。われわれはまずその存在に気づき、そして口頭の、または書かれた表示(いわば、随伴現象)を与えます。

そして、さらにそれを明確に、鋭くします。(この最後の段階でのみ、われわれは言語で問題を表現するのです。)これは作成し、照合し、また作成するという過程なのです。

 完成された世界3の証明はその妥当性について批判的に調べられねばならず、この目的のために、証明は世界1の表現――言語、望むべくは書き言葉――に移されなければなりません。

でも、証明の考案は世界2の世界3への直接操作――確かに、大脳の助けによるが、大脳に符号化された表現や世界3の対象の別の具体物からの問題または結果の読み取りを伴わない操作――でした。

 このことが示唆するのは、問題や新しい証明、またはその種のものいずれを問わず、新しい世界3の対象を作る世界2のすべてまたは大部分の創造的働きは、たとえ世界1の過程が伴うにしても、記憶や符号化された世界3の対象の読みとり以外のものでなければならない、ということです。

さて、これは非常に重要なことです。なぜなら、この種の直接接触はまた、世界2が符号化、具現化された世界3の対象を用いて、それらの符号化に対立したものとしての世界3の側面を直接みる仕方でもある、と考えられるからです。

これは、本を読む際、われわれがページの上の符号を飛び越して、直接意味を得る場合の方法なのです。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第3部、DXI章、(下)pp.781-782、思索社(1986)、西脇与作(訳))
(索引:世界2と世界3の相互作用)

自我と脳〈下〉


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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2018年9月3日月曜日

28.身体と外界のすべてを反映している意識されない「原自己」、対象と原自己の変化を知り、自伝的記憶を意識化する「中核自己」、自伝的記憶の担い手である「自伝的自己」。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

原自己、中核自己、自伝的自己

【身体と外界のすべてを反映している意識されない「原自己」、対象と原自己の変化を知り、自伝的記憶を意識化する「中核自己」、自伝的記憶の担い手である「自伝的自己」。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(1)原自己(proto-self)
 生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたもの。原自己は、意識されない。
以下の構造からなる。
 (1.1)マスター内知覚マップ(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (1.2)マスター生命体マップ(身体の形、身体の動き)
 (1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体マップの一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)
  参照:原自己(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2)中核自己(core self)
 (2.1) 1次のマップに対応する内的経験
  (2.1.1)対象のマップの内的経験
   形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶など。
   対象は、実際に存在するものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
   自伝的記憶も再活性化され、中核自己において意識化される。
   対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
  (2.1.2)原自己のマップの内的経験
 (2.2) 2次のマップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
  (2.2.1)何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
  (2.2.2)その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせる。
  (2.2.3)何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れて、聞いている。
  参照:中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))
(3)自伝的自己(autobiographical self)
 自伝的自己の基盤は自伝的記憶である。必要なときは、再活性化されてイメージとして、中核自己において意識される。
 (3.1)過去
 (3.2)予期される未来
 (3.3)アイデンティティや人格を記述している一連の記憶

「自伝的自己(autobiographical self)
 自伝的自己の基盤は自伝的記憶である。その自伝的記憶は、過去と予期される未来の個人的経験についての多数の内在的記憶からなる。

個人的伝記の不変的特徴が自伝的記憶の基盤を構成する。自伝的記憶は生活経験とともに連続的に増大するが、新しい経験を反映するために部分的に改編することができる。
 
アイデンティティや人格を記述している一連の記憶は、必要があるときはいつでもニューラル・パターンとして再活性化して、イメージとして明示的なものにすることができる。

再活性化された各記憶は「認識されるべきもの」として機能し、それ自身の中核意識のパルスを生み出す。その結果、われわれは自伝的自己を意識している。

中核自己(core self)
 中核自己は、ある対象が原自己を修正すると生じる、二次の非言語的説明の中にある。中核自己はいかなる対象によっても引き起こされる。中核自己を生み出す機構は一生涯ほとんど変化しない。われわれは中核自己を意識している。

原自己(proto-self)
 原自己は、脳の複数のレベルで有機体の状態を刻々と表象している、相互に関連しあった、そして一次的に一貫性のある、一連のニューラル・パターン。われわれは原自己を意識して「いない」。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『起こっていることの感覚』,(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』),第3部 意識の神経学,第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間,p.219,講談社(2003),田中三彦(訳))
(索引:自己の種類,自伝的自己,中核自己,原自己)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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ブラックホールは非常に小さな温度を持つ。宇宙の指数関数的な膨張が続くと、やがて宇宙の温度があらゆるブラックホールの温度より低くなる。ブラックホールはエネルギーを放射するようになり、最後は消滅する。(ロジャー・ペンローズ(1931-))

ブラックホールの温度の宇宙の未来

【ブラックホールは非常に小さな温度を持つ。宇宙の指数関数的な膨張が続くと、やがて宇宙の温度があらゆるブラックホールの温度より低くなる。ブラックホールはエネルギーを放射するようになり、最後は消滅する。(ロジャー・ペンローズ(1931-))】

(1)一般相対論によれば、ブラックホールは完全に真っ黒でなければならない。
(2)一般相対論に場の量子論の効果を考慮すると、ブラックホールは非常に小さな温度Tをもたなければならない。(スティーヴン・ホーキング、1974年)
 太陽質量の10倍のブラックホールの温度は、6×10-9K
 銀河系の中心部にある太陽質量の400万倍だと、約1.5×10-14K程度
 これは、宇宙マイクロ波背景放射の約2.7Kと比べると、ブラックホールははるかに冷たい。
(3)ところが、宇宙の指数関数的な膨張が無限に続き、宇宙マイクロ波背景放射の温度がどこまでも下がっていくと、どうなるだろうか。
 (3.1)やがて、宇宙マイクロ波背景放射の温度が、宇宙に存在しうる最大のブラックホールの温度より低くなる。
 (3.2)ブラックホールは周囲の空間にエネルギーを放射するようになり、アインシュタインのE=mc2の式によれば、エネルギーを失うことで質量も失うことになる。
 (3.3)ブラックホールは質量を失いながら高温になり、信じられないほど長い時間をかけて少しずつ縮んでゆき、ついには「ポン」と爆発して消滅してしまう。(今日の最大級のブラックホールなら、おそらく10100年、つまり「1グーゴル年」程度)。

 「第16章では、ブラックホールのもう一つの特徴を論じるつもりだ。その特徴は、今日では非常に小さな効果しか及ぼさないが、究極的にはわれわれにとって非常に重要な意味をもつことになる。アインシュタインの一般相対論は古典物理学であり、この理論によれば、ブラックホールは完全に真っ黒でなければならない。けれどもスティーヴン・ホーキングは、1974年に行なった分析により、背景の曲がった時空における場の量子論の効果を考慮すると、ブラックホールは非常に小さな温度Tをもたなければならないことを明らかにした。この温度は質量に反比例する。たとえば、質量が10Mのブラックホールの温度は6×10-9K程度となるが、これは、2006年にマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが達成した最低温度の記録(約10-9K)に近い、非常に低い温度である。今日のブラックホールはだいたいこの程度の温度だろうと考えられていて、まだまだ温かいほうだ。より大きなブラックホールはもっと低温で、銀河系の中心部にある質量約400万Mのブラックホールの温度は約1.5×10-14K程度しかないと考えられている。われわれを取り巻く宇宙の温度、すなわち、現時点の宇宙マイクロ波背景放射は約2.7Kなので、ブラックホールに比べればはるかに高温だ。
 それでも、もっと長い目でものごとを見るようにして、宇宙の指数関数的な膨張が無限に続き、宇宙マイクロ波背景放射の温度がどこまでも下がっていくと考えるなら、その温度は宇宙に存在しうる最大のブラックホールの温度より低くなるかもしれない。その後、ブラックホールは周囲の空間にエネルギーを放射するようになり、アインシュタインのE=mc2の式によれば、エネルギーを失うことで質量も失うことになる。ブラックホールは質量を失いながら高温になり、信じられないほど長い時間をかけて(今日の最大級のブラックホールなら、おそらく10100年、つまり「1グーゴル年」程度の時間をかけて)少しずつ縮んでゆき、ついには「ポン」と爆発して消滅してしまう。この最後の爆発は大砲の砲弾が破裂する程度のエネルギーしかなく、「バン」と呼べるような激しいものではない。これだけ長く待ったあとに起こる現象としては、なんとも拍子抜けである!」
(ロジャー・ペンローズ(1931-),『時間のサイクル』(日本語名『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』),第2部 ビッグバンの奇妙な特殊性,第12章 ビッグバンの特殊性を理解する,新潮社(2014),pp.141-142,竹内薫(訳))
(索引:ブラックホールの温度)

宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか


(出典:wikipedia
ロジャー・ペンローズ(1931-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「さらには、こうしたことがらを人間が理解する可能性があるというそのこと自体が、意識がわれわれにもたらしてくれる能力について何らかのことを語っているのだ。」(中略)「「自然」の働きとの一体性は、潜在的にはわれわれすべての中に存在しており、いかなるレヴェルにおいてであれ、われわれが意識的に理解し感じるという能力を発動するとき、その姿を現すのである。意識を備えたわれわれの脳は、いずれも、精緻な物理的構成要素で織り上げられたものであり、数学に支えられたこの宇宙の深淵な組織をわれわれが利用するのを可能ならしめている――だからこそ、われわれは、プラトン的な「理解」という能力を介して、この宇宙がさまざまなレヴェルでどのように振る舞っているかを直接知ることができるのだ。
 これらは重大な問題であり、われわれはまだその説明からはほど遠いところにいる。これらの世界《すべて》を相互に結びつける性質の役割が明らかにならないかぎり明白な答えは現れてこないだろう、と私は主張する。これらの問題は互いに切り離し、個々に解決することはできないだろう。私は、三つの世界とそれらを互いに関連づけるミステリーを言ってきた。だが、三つの世界ではなく、《一つの》世界であることに疑いはない。その真の性質を現在のわれわれは垣間見ることさえできないのである。」

    プラトン的
    /世界\
   /    \
  3      1
 /        \
心的───2────物理的
世界         世界


(ロジャー・ペンローズ(1931-),『心の影』,第2部 心を理解するのにどんな新しい物理学が必要なのか,8 含意は?,8.7 三つの世界と三つのミステリー,みすず書房(2001),(2),pp.235-236,林一(訳))

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13.意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、片側の感覚上行路に損傷のある患者の例で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

初期EP(誘発電位)の役割、意識の時間遡及

【意識的な感覚は、刺激を受けた時刻より約0.5秒遅れて発生するが、意識の内容は、刺激の発生時刻を指し示す。この意識の発生が初期EPにより調整されていることは、片側の感覚上行路に損傷のある患者の例で実証されている。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(1)初期EP(誘発電位)の役割
 (1.1)皮膚への刺激の正確な位置を識別するために重要な役割を果たす。
 (1.2)皮膚入力の主観的なタイミングを、過去のある時点に向って遡及するときに、遡及先となるタイミング信号を提供する。
(2)確認されている事実
 (2.1)脳卒中患者は、非常に大ざっぱな方法でしか、皮膚刺激の位置を示せない。例として、2点刺激の弁別では、刺激ポイントを何cmも離さないと識別できない。
 (2.2)脳の右半球に限局した脳卒中で、特定の感覚上行路に永久的な損傷のある患者の場合。
  (a)不自由な左手の皮膚への刺激パルス
  (b)健常な右手の皮膚への皮膚パルス
  (a)と(b)を同時に与えた場合、(b)の次に(a)を感覚する。
  (a)と(b)の意識感覚が、同時に発生したと患者が報告できるようにするには、(b)よりも0.5秒先に(a)を与えなければならない。

意識的な皮膚感覚
 ↑↑
 ││刺激の正確な位置と、
 ││発生タイミングを決める
 │└──────────────┐
事象関連電位(ERP)と呼ばれる  │
皮質の一連の電気変化       │
 ↑意識感覚を生み出すために、  │
 │500ms以上の持続が必要である。│
 │               │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

(再掲)

意識的な皮膚感覚
 ↑
 │
事象関連電位(ERP)と呼ばれる皮質の一連の電気変化
 ↑意識感覚を生み出すために、500ms以上の間持続することが必要である。
 │全身麻酔状態にある場合、ERPは消失する。
 │皮膚パルスの強さを、意識できないレベルまで下げると、ERPは突然消失する。
 │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │初期EPが無くとも、意識感覚は生み出せる。
 │初期EPがあっても、意識感覚は生み出せない。
 │
 │速い特定の投射経路を通っていく。
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

参照:皮膚への単発の有効な刺激に対して、14~50ms後に初期EP(誘発電位)が生じ、その後ERP(事象関連電位)が生じる。初期EPは、意識感覚の必要条件でも十分条件でもない。ERPが意識感覚と関連している。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

 「もし、(これまでに述べたように)記録された初期EP(誘発電位)が生じる皮質活動が、感覚的なアウェアネスを生み出すのに重要な役割を果たしていないというのならば、では一体、初期EPにはどのような役割があるのか、疑問に思う人も多いでしょう。一次神経反応は、皮膚への刺激の正確な位置を識別するために重要な役割を果たします。また、すでに私たちが発見したように、皮膚入力の正確で主観的なタイミングは過去のある時点に向って遡及するわけですが、その遡及先となるタイミング信号を提供しているように見えます。脳卒中のケースの中には、この迅速な、特定の感覚経路が感覚皮質に接近するあたりの部位に、大きな損傷がある場合もあります。こうした脳卒中患者は、非常に大ざっぱな方法でしか皮膚刺激の位置を示せません。(たとえば手の)皮膚への二点刺激で、その刺激ポイントが何センチメートルも離されない限り、そうして二点が実際に二つの離れた点でされていることを識別できません。
 私たちが接していたそういう患者においては、この空間的な障害に加え、健常な側への接触パルスと比較すると皮膚へのパルスはおよそ0.5秒間遅れて感じられることがわかりました(リベット他(1979年)参照)。この患者には数年前、脳の右半球に限局した脳卒中の発作がありました。この発作によって、この患者の身体感覚のための特定の感覚上行路に、永久的な損傷が残りました。この患者には、左手や左腕への刺激の位置を正確に示す能力が欠けており、非常におおまかな位置しか報告できないことがわかりました。この患者の健常な右手への刺激の主観的なタイミングを、損傷のある左手と比較するテストを私たちは行いました。両方の手の裏側に小さな刺激電極をつけ、ようやく感じられる強さの刺激をこの患者に与えました。
 刺激が両方の手に同時に与えられた場合、この被験者は、不自由な左手より以前に、右手への刺激を感じたと報告しました。両方への刺激が同時に与えられていることが意識的に感じられると患者が報告できるようにするには、健常である右側への刺激よりも0.5秒《先に》、損傷のある左側への刺激が与えられなければなりません。明らかに、左手への感覚を時間的に逆行するかたちで主観的に知覚する能力を、患者は喪失していました。その感覚はしたがって、アウェアネスが生じるための皮質の必要条件である、およそ500ミリ秒間の遅延を伴って主観的に知覚されます。このアウェアネスを(時間軸上で)前に戻す能力の喪失というのは、おそらく、患者の左手が初期誘発反応を喪失していることによるものでしょう。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.78-79,下條信輔(訳))
(索引:初期EP(誘発電位)の役割,意識の時間遡及)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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