数学の本質
たとえ数学が形式的な記号操作を基礎としていても、またあたかも抽象的な世界の実在物に思えたとしても、それは、私たちが世界を捉える生得的な直感を基盤に持つ。乳児は物体を個別化し、小さな集合から数を抽象する。幼児は、数の推定、比較、数えること、単純な加減算を、明確な指示なく行う。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
「20世紀の数学者たちは、数学の対象の性質という根源的な問題について、大きく意見が分 かれていた。伝統的に「プラトン主義者」と呼ばれている人々にとっては、数学的現実は抽象 的な空間の中に存在し、その対象は、日常生活の対象と同じような実在である。」(中略) 「プラトン主義者は、数学者には広く見られる信念で、それは彼らの内観を正しく表現してい るのだと思う。彼らは本当に、数や図形でできた抽象的な地形の中を歩き回っている感じを抱 いており、それらは、そこを探検しようとする彼らの試みとは独立に存在するのだ。」(中 略)
「プラトン主義に背を向けた第二のカテゴリーの数学者たちは、「形式主義者」と呼ばれて おり、彼らは、数学的対象の存在に関する議論は意味のない空論だと考える。彼らにとって は、数学は単に、厳密な論理的規則にしたがって記号を操作するゲームに過ぎない。数などの 数学的対象は、現実とはなんの関係もないのである。それらは、ある種の公理を満足させる記 号の集合に過ぎないと定義される。」(中略) 「数学の大部分が純粋に論理のゲームであるという形式主義者の考えには、確かにいくらか の真実が含まれているだろう。実際、純粋数学の数多くの問題は、一見したところ、夢のよう なアイデアから出発している。この公理をその否定形と入れ替えたらどうなるか? この「プ ラス」記号を「マイナス」記号に換えたらどうなるか? 負の数の平方根というものがあるこ とになったらどうなるのか? すべての数よりも大きな整数があったらどうなるか?
それでも私は、数学の全体が、純粋に勝手な選択から始まる結果に還元できるとは思ってい ない。形式主義の立場は、純粋数学の最近の発展を説明できるかもしれないが、数学のそもそ もの起源に対して適切な説明を与えるものではない。もしも数学が論理ゲーム以外の何もので もないのなら、なぜ数学は、数、集合、連続量など、人間の心が普遍的に持つ固有のカテゴ リーに焦点を当てるのだろうか? なぜ数学者は、算術の法則の方がチェスのルールよりも根源的だと判断するのだろうか? なぜペアノは、勝手にいろいろな定義を作っていくのではな く、ずいぶん苦労して、適切に選びとった公理を提出したのだろう? なぜヒルベルト自身、 ある限定された、数の論理づけの部分集合だけを数学の暫定的な基礎として選んだのだろう か? そして、何よりも、なぜ物理的世界のモデル化に数学がこれほどよく適用できるのだろ うか?
ほとんどの数学者は、純粋に任意な規則に従って記号操作をしているのではないと、私は考 えている。それとは反対に、彼らは、ある種の物理的、数的、幾何学的、論理的直感を、定理 の中にとらえこもうとしているのだ。そこで、第三のカテゴリーの数学者は、「直感主義者」 または「構築論者」と呼ばれている。彼らは、数学的対象は人間の心が生みだすものにほかな らないと考えている。彼らの見方では、数学は外の世界に存在するのではなく、それを発明す る数学者の頭の中だけに存在するのだ。」(中略)
「数学の性質に関するこれまでの理論の中で、直感主義が、算術と人間の脳の関係につい て、もっともよい説明を与えるように私は思う。算術に関する心理学のここ数年の発見は、直 感主義を支持する、カントもポアンカレも知らなかった新しい議論をもたらした。これらの実 証的結果は、だいたいにおいて、数は「思考の自然な対象」であり、それによって私たちが世 界をとらえる生得的なカテゴリーであるとしたポアンカレの主張を確証している。実際、これ までの章は、この自然の数覚について、どんなことを明らかにしただろうか?
・人間の赤ちゃんは生まれながらに、物体を個別化し、小さな集合に含まれる数を抽出する メカニズムを備えていること。
・この「数覚」は動物にもあり、それゆえに言語とは独立で、長い進化の歴史を持っている こと。
・子どもでは、数の推定、比較、数えること、単純な足し算と引き算はすべて、明確な指示 なしに自然に現われてくること。
・脳の両半球の下頭頂野は、数量の心的操作を司る神経回路を持っていること。
数に関する直感はこのように、私たちの脳の深くに根を下ろしている。数は、本質的な次元 の一つで、神経系はそれによって外界を切り分けている。私たちが物体の色(V4領域を含む後 頭葉の回路によって生まれる性質)や、その正確な空間上の位置(後頭=頭頂間の神経投影経 路で再構築される表象)を見ずにはいられないのと同様に、数量も、下頭頂野の特殊な神経回 路を通して、苦もなく感じてしまうものなのだ。私たちの脳の構造がカテゴリーを定義し、そ れによって私たちは世界を数学的にとらえるのである。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『数覚とは何か?』,第3部 神経細胞と数について,第9 章 数とは何か?,プラトン主義者、形式主義者、直感主義者,早川書房(2010),pp.420- 425,長谷川眞理子,小林哲生,(訳))