2018年4月8日日曜日

問題:(1)善を完全に知るには、無限といえるほどの知識が必要ではないか。(2)善の評価には、他の人の有益性も考慮すべきか。(3)他人の有益性の考慮がその人の性向だとしたら、違う人には違う「善」が完全だと承認させるのではないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))

自己の傾向性を信じて良いか

【問題:(1)善を完全に知るには、無限といえるほどの知識が必要ではないか。(2)善の評価には、他の人の有益性も考慮すべきか。(3)他人の有益性の考慮がその人の性向だとしたら、違う人には違う「善」が完全だと承認させるのではないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))】
 問題:多くの偶然の出来事が起こるこの現実の世界においては、収支勘定が分からないような状況で、選択を迫られることが多い。このとき、後悔しないほどに〈善〉を完全に知るためには、無限といえるほどの知を所有する必要があるのではないか。また〈善〉を評価するにあたっても、われわれのためにだけ役立つものがいいのか、それとも他の人にも有益なものがいいのか、おのおのの価値をはっきり見なければならない。ところが、自分のためだけに生きる人も、他人のことで心を悩ませる性質の人も、この自分の性向を、それを一生持続させる十分強い理由によって支えており、この暗黙の感情が、理性に「その人の善」の完全性を承認させる。もし、そうだとしたら、〈善〉とはいったい何なのか。自然から与えられた感情にどこまでしたがうべきか。また、いかにしてそれを正すべきか。
 「むしろ私は確信していますが、人民の統治者たちを不意打ちし、最も有効な措置を検討する暇も与えないような多くの偶然の出来事は、(その人がいくら有徳であっても)至福を妨げる主たるものの一つだとあなたがおっしゃる後悔を、あとで引き起こすような行為をしばしばさせるのです。たしかに、善をそれが満足に貢献することができるのに応じて評価し、この満足をそれが喜びを生みだす完全性に応じて評価し、これらの完全性や喜びを情念を交えることなく判断する習慣は、無数の誤りから彼らを守るでしょう。
 しかしこのように善を評価するためには、善を完全に知る必要があります。そして現実の生において選択を迫られるすべての善を知るためには、無限の知を所有する必要があるでしょう。できるかぎりのすべての用心をしたと良心が証言するとき、人は満足せずにはおれない、とあなたは言うでしょう。しかし収支勘定が分からないときには、決してそういうことは起こりません。なぜなら、まだ考慮していないことがらについて、人はいつも考えを変えるからです。満足を、それを引き起こす完全性に応じて測るためには、われわれのためにだけ役立つものがいいのか、それとも他の人にも有益なものがいいのか、おのおのの価値をはっきり見なければなりません。後者は他人のことで心を悩ませる性質の人によって過度に評価され、前者は自分のためだけに生きる人によって過度に評価されます。それにもかかわらず、いずれの人も自分の性向を、それを一生持続させる十分強い理由によって支えています。身体や精神の他の完全性についても同じです。暗黙の感情が理性に完全性を承認させます。その感情はわれわれに生まれつきのものですから、情念と呼ばれるべきではありません。それゆえ、(自然から与えられた)感情にどこまでしたがうべきか、いかにしてそれを正すべきかを、どうかお教え下さい。」
(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680)『デカルト=エリザベト往復書簡』一六四五年九月一三日、pp.125-127、[山田弘明・2001])
(索引:善と知識、利他傾向、利己傾向)

デカルト=エリザベト往復書簡 (講談社学術文庫)


エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680)
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