人間-機械の「奇妙な」とでも言うしかないような、やりとりの中で拡大され、次第に大きな事態になっていく(高木仁三郎(1938-2000)
TMIでは、機械部分の小さな異常を契機として事故が進展し、それによってもたらされた混乱が人間の判断ミスを誘い、それがさらに機械部分の異常を拡大し―――という風に、機械と人間がやりとりしながら、異常を増幅していった。
(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第二巻 脱原発へ歩みだすⅡ』共著書の論文 核エネルギーの解放と制禦、p.524)
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「市場支配力のゆがんだ影響
企業の市場支配力が増すと、市場支配力をもつ企業の所有者へ、顧客から富が移動する。顧客の富が減少したことは資本金会計には記録されないが、企業価値の増加は記録される。
〈フォーブズ〉誌の世界長者番付には、金融業、石油や石炭、ガス、鉱物などの資源開発にかかわる採取産業、不動産業、民営化された通信事業などにおける独占力のおかげで長者の地位を得た人々が散見される。
市場支配力が行使されると市場はゆがみ、社会福祉は縮小する。そして不平等を生むだけでなく、市場のレント(超過利潤)は経済・政治システムに別のゆがんだ影響をおよぼす。
第1にレントは、もし経済が最適に構築され、そのようなレントが存在しなかった場合に行なわれたはずの生産を減少させる。
第2にレントは、過剰な営業支出やロビー活動などの非生産的なレントシーキング活動への資源配分にインセンティブをあたえる。レントが大きいほど、そのような活動に対するインセンティブも大きくなる。
たとえば、2010年、医療産業は医療費負担適正化法に反対するロビー活動に1億240万ドルを投入し、金融および不動産業は金融規制改革法であるドッド=フランク法の可決と施行に反対するロビー活動に数十億ドルを費やした。
第3に、企業がレントを生み出したり維持したりするためにロビー活動や他の政治活動にかかわる度合に応じて、政治システムに影響をおよぼし、経済や他の社会分野に多くの有害な結果をもたらす。最初の反トラスト法は、経済システムだけでなく、政治システムのゆがみが動機となって定められた。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.70-71,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
「支配力が増すと、競争が減少する
■競争は、成功する経済には必須の特性であり、企業を効率的にし、価格を下げさせる。競争は市場関係者の力を制限し、彼らに都合のよい経済および政治成果を摘み取る。
■アメリカ経済のかなりの部分が、この競争の理想型からかけ離れた場所をさまよってきた。市場支配力が、人々の快適な暮らしや経済実績全体にとって重要な領域で大きな役割を演じている。
■テクノロジーとグローバル化における変化は、市場支配力の増大に一定の役割を担ってきた。しかし、政府が選択した明確な政策も同様だ。多くの場合、政府は市場支配力を抑制しない方向を選んできた。
■このような活動は経済効率を低下させ、人々の意欲を失わせうるので、市場支配力を抑制すれば、より公平で、より力強いアメリカ経済を維持できるはずだ。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.60-61,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
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「1970年代以降、ゲームのルールは変わり、第2次世界大戦後の30年間で達成された経済力のバランスを壊した。第1部では、国民にみじめな道を歩ませることになった転換点について分析し、ここに至るまでに学んだいくつかの教訓に照らして考察する。
◎経済ルールの根本的な変化は不平等を拡大し、結果として経済的利益を共有する人が減っただけでなく、経済全体と企業投資まで低迷させた。
◎民間セクターでは、融資が経済全体に役立つものから融資そのもののためへと変わった。
企業は利害関係者全員――労働者、株主、経営陣――への奉仕から、“株主の利益”を増やすことを口実に、トップ経営陣のみに奉仕する方向へ進んだ。主要セクターで数社の市場支配力が増したことで、競争の勢いは鈍った。結果として、近視眼的な行動や、雇用や将来への投資不足、成長の鈍化、価格の上昇、不平等の拡大が生じた。
◎アメリカの税制は労働より投機をうながし、経済をゆがめ、上位1パーセントの人々の利益に貢献している。
◎金融・税制政策で、財政赤字やインフレといった脅威に重点を置きすぎた一方で、不平等の拡大と投資不足という、経済の繁栄に対する現実の脅威を無視した。その結果、失業率が上昇して、社会はますます不安定になり、成長が鈍化した。
◎労働市場の制度、法律、規制や規範が変わったことで弱体化された労働者は、強大な企業と市場の力に対抗するのが難しくなった。その結果、生産性と賃金のへだたりが拡大した。これは恐らく、過去3分の1世紀のアメリカの経済生活における最も著しい局面だろう。
◎これらの問題は、不利な立場にある人たちのあいだでますます悪化している。市場は有利な立場を何世代にもわたって永続させ、差別は多くの人々が自らの人的資本を開発して富を蓄えるのを妨げてきた。
ここには、アメリカ社会が方向を誤ったことがはっきり示されている。しかしそのすべては選択だった。つまり、選択によってものごとのやりかたは変えられるということだ。前へと進む道については、第2部で示す。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.58-60,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
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「恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのかという疑問はまだ残っている。
その答えはパーソナリティの定義によるだろう。重篤な吃音や制御できない顔面チックのような不利な行動を変化させることでも、苦痛で恐怖を発生させる情動的な反応を除去することでも、人々の自分自身や自己概念についての感じ方が改善するというかなりの証拠がある(例:Bandura,1997; Meichenbaum,1995)。
自己概念と自尊心は、少なくとも一部は個人の実際の能力や行動が他者によってどのようにみられているかを反映する傾向がある(例:Leary & Downs,1995)。
私たちの自己知覚は、私たちが自分の行動の適応適性について得る情報を含んでいる。そしてもしこれらの自己知覚がパーソナリティの一部であるなら、行動がより適応的で、満足できるものになったとき、パーソナリティは変化する。
より有能に仕事ができることを学習した人は、より多くの満足感を得て、自己に対するより肯定的な態度を発達させる可能性が高い。恐怖や不安を克服できた結果、人はさらに自信ももつようになるに違いない。」(中略)
「しかし、それはしばしば真実かもしれないが、いつでも必ず起こるわけではない。実際、行動療法を批判する人たちは、患者たちの行動が不適切だからではなく、それを不当に評価するから、苦しんでいると指摘している。つまり、遂行ではなく歪曲された自己概念の問題をもっている人たちがいる。
しばしば人は、自分のまわりやもっと遠くの社会にいる人たちよりも自分自身がたいへんに変わっているというラベルを張り、自分の行動に対したいへん変わったものであるかのように反応する。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、pp.360-361、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館 |
「要するに、評価過程において、恥を経験する誰もが「悪いことをしたのは《わたし》だ」という。
これに対して、罪を経験している誰もが「わたしがしたのは悪い《ことだ》」という。
ルイス(2000)は、こうした帰属を包括的、もしくは特定的な帰属として識別する。包括的な自己帰属は「自己全体」におよぶ。自己の総体がその評価に含まれる。恥の場合、個人は自己を「悪い人」であると識別する。
これに対して、特定的な自己帰属は自己が関与している特定の行為を指示する。「悪い人」であるよりも、むしろ人が「悪いこと」をしたと認知する。タンネイによれば、こうした強調点の相違が異なる感情と異なる行動反応をもたらす。
恥は主として矮小感と関係する激しい否定的な感情である。個人は矮小であり、取るに足らず、無力であると感じる(Tangney,1995b)。
恥じている人は人目にさらされていると感じる。なぜなら「不完全な自己」が他人からどのように見られているかを考えるからだ。こうした他者はその状況に実際に存在し、もしくは自分の想像のなかに存在しているのかもしれない。恥を感じる人は、人目を避けたい、消えてしまいたい、あるいはその状況から逃れたいのだ。
罪は、恥と比べると、それほど激しい否定的な感情ではない。なぜならその焦点は、自己全体でなく、むしろ自分がしでかした特定の違反とその結果につながれているからだ。罪は悪いことをしたことへの緊張感、後悔と自責の念と関係する(Tangney,1995b)。
人はその状況から逃れるよりも、むしろ自分がやってしまった過失を打ち明け、その損傷について謝罪し、また(あるいは)現状を回復することを求める。
全人格が詮索されているのではないので、賠償的な行為を行うことがある状況においてたやすく自己の指針を見つける。違反は許されるので、人は出会いを継続することが可能であり、何らかの方法で対処することができる。
タンネイ(2002)は、罪(恥ではなく)が「道徳的感情」である一つの理由は、罪は他者ともう一度結合しようとする試みによって人を能動的に動機づける。
これに対して、恥は他者との分離と距離を広げたままである。それゆえ罪(恥ではなく)を道徳的感情として扱うための別の理由をも識別している。
罪は他者との同情の気持ちを促進するように思われるのに対して、恥はこれらの気持ちを萎えさせる。
同情は他者の苦悩を認知し感じることをともなう。それは育成するに値する有用な感情であると考えられる。なぜなら罪は支援行動を促進し、そして攻撃的な行動を抑制しがちであるからだ。
罪は自己全体よりも、むしろ個人の行動に焦点を定めるので、個人は恥の場合のように、内面を直視することも、また自己を巻き込むことも少ない。
外部に目を向け、他者の苦痛に注目することが同情の必要条件である。恥を感じることは同情過程への侵害である。なぜなら傷ついた他者よりも自己にいっそう焦点を定めるからだ。」
(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第5章 精神分析的要素を用いた感情の象徴的相互作用論の理論化、pp.317-318、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))
「君が世話をするつもりもないようなことは約束しないのが誠実で男らしい態度である。
ところが、人間は理性に支配されるものではないので、たとえすじの通った理由があっての上でも、君が断わったその相手は、おおむね不満をいだくものである。
これとは反対のことが、気安く約束してやったときにもおこってくる。というのは、多くのことがおこってきて、君が約束していたことを守る必要がなくなるばあいがあるからである。
このばあいでも、君は労せずして満足を与えることができることになる。またたとえ、君が約束を実行しなければならないようなばあいでさえも、いいのがれする道はあるのだ。そして多くの人間は血のめぐりの悪いものだから、口先でだまされてしまう。
けれども、君がした約束を破ってしまうのは、醜悪なことなので、それによって君がひきだしたあらゆる利益をも台無しにしてしまう。
このようなわけなので、人はできうるかぎりつかみどころがなく、しかも希望をもたせるような答えにとどめるように気をくばらなければならない。しかもこのばあい、可能なかぎりはっきりした約束を避けることである。」
(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』B、八七 他人からの依頼、フィレンツェ名門貴族の処世術、p.220、[永井三明・1998])
索引:)
フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫) |
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「1990年代と2000年代には、また別のすさまじい変化があった。
この期間、規制を緩和された金融セクターは、企業にむけて“短期主義”を奨励した。結局、1990年代にみられた成長の多くは不安定で、バブルの上に築かれていたことがわかった――まずはITバブル、次に住宅バブル。
“大いなる安定”は幻影であることが判明した。もたらされたのは、よりよく制御された経済につながる新しい経済的見識(たとえば金融政策の実施にかんしてなど)ではなく、さらなる不安定と、成長の鈍化と、不平等の拡大だった。
同時期に、テクノロジーとグローバル化にも変化があり、世界の国々がより緊密に統合されはじめた。
これらの進歩は、中流層の生活を脅かすのではなく、生活水準を向上させるはずだった。うまく制御すれば、実現していたかもしれない。
しかし、広く受け入れられていた前提は、自由化された市場が自動的に人々すべてを豊かにするというもので、その前提は悲惨なほど間違っていることがあきらかになった。
グローバル化とテクノロジーは世界市場にさらなる相互依存をもたらした一方で、労働コストの“底辺への競争”に対するセーフガードがなかったため、アメリカ経済における大規模な失業と賃金引き下げへの圧力をもたらした。
さらにこの圧力は、アメリカ経済の金融化が増大するとともに、製造工程の複数の段階を一手に担う垂直統合の製造業を衰退させる一因にもなった。これらすべての要素の極致が、レントと搾取が蔓延し、賃金と雇用が削減されたアメリカ経済なのだ。
※短期主義 Short-termism
短期的な利潤と株主の利益に重点を置いた1980年代以降のコーポレートガバナンスのモデル。持続性とイノベーションと成長につながる人材や研究への長期投資といった長期的な考えかたとは対照的。
今日、多くの人が1990年代と2000年代の画期的なイノベーションに希望を託している。
インターネットで可能になった分散コンピューティング、ナノテクノロジーの有望性、バイオテクノロジーや個別化医療の大きな可能性。これまでのところ、強力な企業をつくったり、インターネットの力の上に財産を築くなど、いくつかの分野で成長がみられる。
しかし経済をめぐる最も重要な疑問は、これらのテクノロジーがさらなる成長と機会と快適な暮らしを生み出し、もっと多くの人に分配するのに役立つかどうかだ。
インターネットとその未開発の革新的な潜在力は、21世紀の今、あらゆる所得水準の人々にとって20世紀の製造業に匹敵するものになれるだろうか? それとも、レントの蔓延した目下の経済に拍車をかけるのだろうか?
ウェブ技術は多くの利益をもたらしているが、繁栄の幅広い共有をうながすかどうかはまだわかっていない。実のところ、いくつかの新しいテクノロジーは、所得と富と権力のさらなる集中を招く傾向にある。
これがわたしたちの課題だ。イノベーションのすばらしさを実感するには、目前の問題をまず解決しなければならない。35年にわたるサプライサイドの考えかたとルールが、アメリカの経済と社会のあらゆる面をつくり替え、成長の鈍化と前例のない不平等へ導き、それによって数々の問題がのこされているからだ。」
(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),序章 不平等な経済システムをくつがえす,pp.44-46,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))
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「人々がしばしば不適応と判断される主な理由は、その人たちが出会う社会的・職業的要求に効果的に対処するために必要な行動様式をどのように実行するかを学ばなかったということであろう。
つまり、うまく役割を果たすために要求されている技術が欠如しているので、適切にふるまえない。
例えば、社会的、経済的に恵まれていない人は、職業や対人関係場面で成功するために必要な行動様式や能力を獲得していないので苦しんでいるのかもしれない。同様に、私たちの文化において高校中退は実際に、恒久的な不利益をもたらす。
そのような行動的欠陥は、もし広範囲に及ぶものなら、重篤な情動的苦痛を生じさせるかもしれない。
多くの特別学習プログラムは、人々にさまざまな問題解決戦略や認知的スキル(Bijou,1965)を教えるように、また人々が多くの他の肯定的な行動の変化を成し遂げるのを援助するよう計画されている(Kamps et al.,1992; Karoly,1980)。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、p.355、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館 |
「ある子どもの読書の問題が、視力の悪さによって引き起こされると仮定したら、矯正メガネや矯正手術のような適切な治療をすれば、例えば読書行動の向上など、行動上の変化がもたらされるはずである。
心理的原因に関しても、同じであるのは間違いない。例えば、もし子どもの読書の困難さが、読書するようにという母親からの圧力についての不安で引き起こされていると信じるなら、母親が圧力を減少させたとき、読書行動に期待された改善が生じるかどうか、試してみるべきである。
つまり、行動を完全に理解するには、それを引き起こす条件を知る必要がある。条件の変化が反応パターンの予測された変化を生じさせることを示すことができたとき、それら条件の意味を理解できたと、確信をもっていうことができる。
行動査定と、例えば行動の変化などの治療との間の明確な区別は、このように考えると、意味はないし可能でもない。実際、行動査定における最も重要な革新のいくるかは、問題行動を変容させる治療的努力から派生している。
これらの査定方法の主要な特徴は、それらが行動変容と密接に結びついており、実際に行動変容とは分離することはできないということである。
行動査定と行動変容の間の密接な関係は機能分析、つまり刺激条件の変化と選択された行動パターンの変化の間の密接な共変動の分析において最も明らかである。そのような機能分析は、行動査定の基本であり、そのことは行動を系統的に変化させようとする研究において最もはっきりと示される。」
(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、pp.342-343、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館 |