中絶に関する理論
(1)中絶はモラル上深刻な決定である、(2)胎児、母親等の深刻な理由に基づく中絶の許容 、(3)母親の生活上の不利益に基づく中絶の許容、(4)刑罰法規で胎児の利益を擁護する権限はない。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
中絶に関するリベラルな立場の理論的枠組(paradigm)は、4つの要素から構成されてい る。
(1)中絶はモラル上深刻な決定である
第一は、中絶はモラル上何ら問題がないという極端な意見は排除され、反対に中絶は、遺 伝学上少なくとも胎児の自己同一性が確立され、子宮壁に無事着床した時期すなわち通常は、概ね懐 妊後14日を経過した時点以降には、常にモラル上深刻な決定とされるということである。
(2)胎児、母親等の深刻な理由に基づく中絶の許容
第二は、中絶はそれにもかかわらず、いくつかの深刻な理由の場合、モラル上許容されることがある、ということである。中絶は母胎保護、レイプ、近親相姦の場合のみならず、例えば、 サリドマイド児やティ・サックス病などの深刻で致命的な胎児の異常──仮に出産に至ったとし ても、その胎児には、短命で苦痛に満ちたいらだたしい人生がもたらされることが予想される──が診断された場合も、正当化されるのである。
(2.1)中絶がモラル上、要求される場合
この見解では、実際、胎児の異常が極めて深 刻で、今後の人生が悲惨なほどに不自由で短いものになることが不可避とされる場合には、中 絶はモラル上許容されるばかりでなく、モラル上要求されることが有り得るのであり、そのよ うな子供を故意に世に送り出すことが悪とみなされることがありえよう。
(3)母親の生活上の不利益に基づく中絶の許容
第三は、仮に出産の結果が、彼女自身又は彼女の家族の人生にとって永続的で深刻なものと なることが予想される場合には、女性自身の自らの諸利益に関する配慮(concern)が、中絶 を十分に根拠づける理由となるということである。
(3.1)判断が困難なケース
多くの女性にとってはこれが最も困難なケースであり、したがって、中絶に対してリベラルな見解を持つ人々は、このよう な場合に妊娠中の女性が中絶を決意した場合、彼女が何らかの後悔で苦しむことを当然のこ とと考える。
(3.2)逆に出産が問題となるケース
しかしながら、彼らは女性達の決定を利己的なものとして非難するので はなく、おそらくは逆に、女性達が出産の決定をすることがモラル上重大 な誤りとなるのかも知れない、と考えることが大いにありえよう。
(4)刑罰法規で胎児の利益を擁護する権限はない
少なくとも、胎児が十分 に発達を遂げて独自の利益を持つに至る妊娠後期までは、州は、たとえモラル上許容できない 中絶を阻止することを目的とするものであっても、妊娠の判断に干渉する権限を持たない。
(4.1)他の人々はモラル上の判断を本人に強制できない
何故ならば、中絶が正当とみなされるか否かの問題は、最終的には胎児を妊娠 している女性の決定に関する事柄だからである。なるほど、他者――家族、友人、世間――が中絶に反対しているかも知れず、しかも彼らの反対がモラル上正しいことがあるかもしれない。
「私はこれから、このような見解の一つの例を分析することにしよう――もちろん私は、穏健 リベラル派の全ての人々がそれを認めている、と言おうというのではない。
◇第一の要素――中絶の決定はモラル上深刻なものである 中絶に関するリベラルな立場の理論的枠組(paradigm)は、4つの要素から構成されてい る。第一は、中絶はモラル上何ら問題がないという極端な意見は排除され、反対に中絶は、遺 伝学上少なくとも胎児の自己同一性が確立され、子宮壁に無事着床した時期――通常は、概ね懐 妊後14日を経過した時点――以降には、常にモラル上深刻な決定とされるということである。そ の時点以降は、中絶は既に開始された人間の生命の消滅を意味し、その理由のみでモラル上深 刻なコストを伴うとされるのである。中絶はささいな(trivial)、あるいはつまらない (frivolous)理由では決して容認されるものではなく、ある種の重大な損害を回避する場合 を除いては、正当化できないものとされる。(この立場においては)女性が、出産によって待 望していたヨーロッパ旅行の機会を失わなければならないとか、別な時期に出産をした方がよ り快適であると感じるとか、本当は男子を望んでいたにもかかわらず女子の出産が判明した、 ということを理由とする中絶は悪とされるであろう。
◇第二の要素――胎児、母親等の深刻な理由に基づく中絶の許容 第二は、中絶はそれにもかかわらず、いくつかの深刻な理由の場合モラル上許容されること がある、ということである。中絶は母胎保護、レイプ、近親相姦の場合のみならず、例えば、 サリドマイド児やティ・サックス病などの深刻で致命的な胎児の異常――仮に出産に至ったとし ても、その胎児には、短命で苦痛に満ちたいらだたしい人生がもたらされることが予想される ――が診断された場合も、正当化されるのである。この見解では、実際、胎児の異常が極めて深 刻で、今後の人生が悲惨なほどに不自由で短いものになることが不可避とされる場合には、中 絶はモラル上許容されるばかりでなく、モラル上要求されることが有り得るのであり、そのよ うな子供を故意に世に送り出すことが悪とみなされることがありえよう。
◇第三の要素――母親の生活上の不利益に基づく中絶の許容 第三は、仮に出産の結果が、彼女自身又は彼女の家族の人生にとって永続的で深刻なものと なることが予想される場合には、女性自身の自らの諸利益に関する配慮(concern)が、中絶 を十分に根拠づける理由となるということである。仮に出産によって、彼女が退学を余儀なく されたり、昇進や満足のいく独立した生活を獲得するチャンスを放棄することを余儀なくされ る場合には、事情によっては中絶が許容されることがあろう。多くの女性にとってはこれが最 も困難なケースであり、したがって、中絶に対してリベラルな見解を持つ人々は、(このよう な場合に)妊娠中の女性が中絶を決意した場合、彼女が何らかの後悔で苦しむことを当然のこ とと考えるであろう。しかしながら、彼らは女性達の決定を利己的なものとして非難するので はなく、おそらくは逆に、(女性達が)反対(=出産する)の決定をすることがモラル上重大 な誤りとなるのかも知れない、と考えることが大いにありえよう。
◇第四の要素――州は、刑罰法規で胎児の利益を擁護する権限を有しない リベラルな見解の第四の構成要素は、彼らが、既に述べた中絶に関してモラル上保守的な見 解をもつ人々と、時として共有する政治的見解である。この見解は、少なくとも、胎児が十分 に発達を遂げて独自の利益を持つに至る妊娠後期までは、州は、たとえモラル上許容できない 中絶を阻止することを目的とするものであっても、妊娠の判断に干渉する権限を持たないとい うものである。何故ならば、中絶が正当とみなされるか否かの問題は、最終的には胎児を妊娠 している女性の決定に関する事柄だからである。なるほど、他者――家族、友人、世間――が中絶に反対しているかも知れず、しかも彼らの反対がモラル上正しいことがあるかもしれない。法 はある状況のもとで、妊婦に対して、中絶の決定について他者との協議を義務づけることが許 されることがあるかもしれない。しかし州は最終的には、妊婦が自らの判断で中絶の決定をす ることを認めなければならず、他の人々のモラル上の信念を彼女に強制することは許されない のである。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『ライフズ・ドミニオン』,第2章 中絶のモラリ ティ,保守派とリベラル派,信山社(1998),pp.52-54,水谷英夫,小島妙子(訳))