応報または公正な報いか、抑止か
【当該犯罪者と類似する潜在的犯罪を抑止するという前方視的な処罰理論と、応報または公正な報いのための後方視的な処罰理論に対して、人々は双方に理解を示すが、特定の事例では後者の理論に突き動かされる傾向がある。(スコット・M・ジェイムズ(19xx-))】「しかしながら、処罰に関するこれらの研究のすべては、《なぜ罰するのか》という、より深遠な質問には答えていない。我々が他人を罰するとき、何が我々を突き動かしているのか。悪事を働く人に償わせることを、我々はいかにして(たとえば、自分自身に対して)正当化するのか。これらの疑問は、我々の道徳感覚における処罰の役割をより真剣に考えるように我々を促し、また我々の道徳感覚はやはり適応であったという考えを支持する一つの独立した論拠を提供するかもしれない。処罰の心理学は研究の非常に新しい領域であるが、いくつかの知見は示唆的である。
心理学者のケビン・カールスミス、ジョン・ダーレイ、ポール・ロビンソン(2002)は、次の実験によって、我々の「処罰に対する素朴な真理」の本質を掴もうとした。そのテストは処罰の決定にあたって、道徳規範の侵犯がもつどの特徴が、我々に最も影響を与えるかを見るものであった。もっと正確に言えば、このテストは処罰についての競合する哲学理論のうちのいずれを人々が一般に支持しているのかを明らかにするようにデザインされていた。一つの処罰の哲学は、《抑止》モデルであって、「前方視的(forward-looking)」である。すなわち、我々は今後生じるよい結果のために罰する。それは《この》犯罪者のみならず、潜在的な犯罪者が将来似たような違法行為をすることを抑止するものである。もう一つの処罰の哲学は《応報または公正な報い》モデルであって、「後方視的(backward-looking)」である。すなわち、不正が犯されたがゆえに、また悪事を働いた者は罰せられるに値するがゆえに、我々は罰する。罰は罪と釣り合っている。なぜなら、狙いは「不正を正す」ことだからである。興味深いことに、被験者がこれら二つの処罰のモデルを与えられたときに、被験者は概して「両方に肯定的な態度」を持ち、「他方を犠牲にして一方を好む傾向をそれほど示さなかった」(Carlsmith et al.2002:294)しかしながら、被験者が、特定の悪事の行為への応答として、実際に処罰(全然厳しくないものから非常に厳しいものまで、あるいは無罪から終身刑まで)を与える機会が与えられると、被験者は「主として公正な報いという動機から」行動した(2002:289)。つまり、被験者はほぼ排他的に公正な報いモデルによって特徴づけられる点(たとえば、罪の深刻さと情状酌量の欠如)に反応しており、抑止モデルによって特徴づけられる点(たとえば、〔犯罪の〕発覚の可能性と〔事件の〕知名度)を無視しているように見えた。結論は次のとおりである。人々は異なる処罰の正当化に対して一般的な支持を表明するかもしれないが、特定の事例を扱うときには、ほとんど常に「処罰に値する罪を犯したかどうかに限定した立場」によって突き動かされている(2002:295)。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第4章 公正な報い、pp.104-105、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:応報または公正な報い,処罰の抑止モデル,道徳規範)
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(出典:UNC Wilmington )
「道徳的生物を道徳的たらしめるものには、いくつかのことが関係していると考えられる。以下のものが道徳判断の形成についての概念的真理を表すと思われる。(1)道徳的生物は禁止というものを理解する。
(2)道徳的禁止は我々の欲求に依存しないように思われ、
(3)法律のような人間の取り決めに依存するようにも思われない。むしろ、それらは主観的ではなく客観的なもののように思われる。
(4)道徳判断は動機と密接に結びついている。ある行為は間違っていると心から判断することは、少なくともその行為をするのを《差し控えたい》という欲求を含意しているようである。
(5)道徳判断は功罪の観念を含意する。道徳的に禁止されていると知っていることをすることは、処罰が正当化されうるということを含意する。
(6)我々のような道徳的生物は、自身の悪事に対して、ある特有の《感情的》反応を示し、そしてこの反応はしばしば我々を、その悪事の償いをするよう駆り立てる。」
(スコット・M・ジェイムズ(19xx-)『進化倫理学入門』第1部「利己的な遺伝子」から道徳的な存在へ、第3章 穴居人の良心、p.81、名古屋大学出版会(2018)、児玉聡(訳))
(索引:)
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「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」







「国家や政府は人間が作ったものであり、法律も企業もそして野球だって人間が作ったものだ。同じように市場も人間の産物である。他のシステムと同じく市場の構築の仕方にもさまざまな方法があるが、それがどう作られようと、人々のやる気や市場のルールによって生まれてくる。理想的には、ルールによって人々が働いたり協力しあう気になり、生産的で創造的でありたいと動機づけされるのが望ましい。つまり、ルールが人々が望む暮らしの実現を手助けするのである。ルールはまた、人々の倫理観や、何が良くて立派で、何が公平かについての判断基準をも映し出す。そしてルールは不変ではなく、時間の経過とともに変わっていく。願わくば、ルールにかかわる人のほとんどが、より良くより公平だと思う方向へ――。だが、常にそうなるとは限らない。ある特定の人々が自分たちを利するようにルールを変える力を得たことによっても、ルールは変わりうるからだ。これがこの数十年の間に、米国や他の多くの国々で起こったことである。