2018年7月28日土曜日

倫理や価値の領域に、科学的方法は適用可能か? 健康についての考察が、重要な示唆を与える。いずれも、この宇宙、自然、生命、人間、社会、文化についての諸事実に基づいた科学の方法によって探究可能である。(パトリシア・チャーチランド(1943-))

倫理や価値の領域に科学的方法は適用可能か?

【倫理や価値の領域に、科学的方法は適用可能か? 健康についての考察が、重要な示唆を与える。いずれも、この宇宙、自然、生命、人間、社会、文化についての諸事実に基づいた科学の方法によって探究可能である。(パトリシア・チャーチランド(1943-))】
(1)人間の本性と健康の関係
 (1.1)健康であるために私たちは何をするべきか?
 (1.2)これは規範的なプロジェクトなのか?
(2)人間の本性と善の関係(道徳や価値の領域)
 (2.1)善であるために私たちは何をするべきか?
 (2.2)これは規範的なプロジェクトなのか?
(3)健康のためにも、善のためにも、科学が必要である。
 (3.1)科学によって利用できるようになった事実に基づいて、健康であるために何をするべきかについて、私たちは多くのことを知っている。同じように、人間の社会性の本性についてより深く理解することによって、社会的な実践や制度のいくつかが解明され、それらについてこれまで以上に賢明に考えられるようになるだろう。
 (3.2)どのような状態が、一定の病気の予防や治療に寄与するかの知識。同じように、ある社会的状態が、善を促進し悪を予防するための知識があるだろう。
 (3.3)環境の特徴と、特定の医学的状態の関係に関する知識。同じように、社会的環境の特徴と、社会の倫理的状態の関係、社会的調和と安定に有利な条件に関する知識があるだろう。
(4)健康も善悪も、複雑で難しいテーマである。
 (4.1)「健康」とは何か、「善」とは何か? 意見の不一致が根強く存在する領域が数多くある。
 (4.2)健康というテーマがいかに複雑であるか。これは、社会的行動と善悪のテーマが複雑なのと同じである。
 (4.3)もちろん、科学によってあらゆる道徳的ジレンマが解決可能だということではない。これは、健康についても同じである。
(5)健康も善悪も、この宇宙、自然、生命、人間、社会、文化についての諸事実に基づいた科学の方法によって探究可能なテーマである。
 (5.1)健康とは何かについて、分析的に記述し尽くすことが不可能だからといって、健康という概念が非自然的性質であることを示しているわけではない。善悪についても、同じである。
 (5.2)健康とは何かについて、直感によってしか把握できず、またその直感の源泉を知り得ないからといって、その直感が、超自然的なものであり、何らかの〈形而上学的真理〉であることを示しているわけではない。善悪についても、同じである。
 (5.3)仮に直観の源泉が知り尽くせないとしても、そのこと自体は、何が意識され何が意識されないかに関する一つの事実を指し示しており、またその直感は、結局のところ脳の産物であり、人間のたどった生物進化的な諸事実と、経験と、文化的実践に基づいている。健康についても、善悪についても同じである。

 「もしムーアが、私たちの本性とよいものとの関係は単純ではなく複雑だということを指摘しただけなら、彼はもっと強固な基礎に支えられていただろう。類似した例を挙げれば、私たちの本性と健康との関係は複雑である。道徳や価値の場合と同様に、いかなる単純な定式化も十分ではない。健康は、たとえば血圧が低いとか、十分な睡眠をとっているといったことと単純に等しいとすることはできないのだから、健康についてムーアのような考えをする人は、《健康》は非自然的性質である――分析不可能で形而上学的に自律的である――と論じるかもしれない。健康であるために私たちは何をする《べきか》について科学を用いて明らかにしようとしても、このムーア的な考えによれば、無駄である。というのも、それは「べし」のプロジェクト、つまり規範的なプロジェクトであって、事実的なプロジェクトではないからである。もちろん、そのような見解は奇妙であるように思われる。たしかに、遊びや瞑想が精神の健康にどれくらい貢献するか、アルコール依存は病気と見なされるべきか、血清コレステロールのレベルを下げるスタチン剤を50歳以上の人全員に処方するべきか、プラシーボはどのように作用するか、どれくらい痩せていれば痩せすぎなのかなど、健康な生き方について意見の不一致が根強く存在する領域が数多くあるが、そうだとしても、そのような見解は奇妙である。そして、こうした意見の不一致が存在するにもかかわらず、科学によって利用できるようになった事実に基づいて、健康であるために何をするべきかについて、私たちは多くのことを知っている。
 生物科学の進展とともに、健康について、またどのような健康状態が一定の病気の予防や治療に寄与するかについて、ますます多くのことがわかるようになってきた。個人差に関する知識や、環境の特徴と特定の医学的状態の関係に関する知識が得られはじめるとともに、人間の健康というテーマがじっさいにどれほど複雑であるかが明らかになってきた。健康は、私たちが何をするべきかについて科学が私たちに多くのことを教えることのできる領域であり、そしてすでに教えてきた領域である。
 同様に、社会的行動の領域はきわめて複雑であり、社会的調和と安定に有利な条件および個人の生活の質について、日常の観察と科学から多くを学ぶことができる。ムーアの議論にはこれが不可能であることを示すものは何もない。それどころか、進化生物学の観点からすれば、道徳の根拠として分析不可能な直感へと撤退することは、控えめに言っても有望ではないように思われる。直観とは結局のところ脳の産物であり、〈真理〉に至る超自然的な通路ではない。直観は神経系によって何らかの仕方で生みだされたものである。直観はその原因が意識からどのように隠されていようと、明らかに経験と文化的実践に基づいたものである。私たちが内観によって直感の源泉を知りえないことは、それ自体は脳の機能に関するひとつの事実――何が意識され、何が意識されないかに関する事実――である。私たちが内観によって直感の源泉を知りえないからといって、そのことは、そうした直感が私たちに何らかの〈形而上学的真理〉を告げることを少しも意味していない。
 これまで論じてきたことは、けっして科学によってあらゆる道徳的ジレンマが解決可能だということではない。ましてや、科学者や哲学者が農夫や大工よりも道徳的に聡明であるということでもない。しかし、これまで論じてきたことは、人間の社会性の本性についてより深く理解することによって、社会的な実践や制度のいくつかが解明され、それらについてこれまで以上に賢明に考えられるようになるだろうし、私たちはその可能性を虚心坦懐に受け入れるべきだということをたしかに示唆している。」
(パトリシア・チャーチランド(1943-),『脳がつくる倫理』,第7章 規則としてではなく,化学同人(2013),pp.266-268,信原幸弘(訳),樫則章(訳),植原亮(訳))
(索引:倫理,価値,科学的方法,健康,人間の本性)

脳がつくる倫理: 科学と哲学から道徳の起源にせまる


(出典:wikipedia
パトリシア・チャーチランド(1943-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
パトリシア・チャーチランド(1943-)
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2018年7月27日金曜日

細胞は、カルシウムを信号として用いているので、カルシウムと反応して蛍光を発する塗料を利用すると、ニューロンの発火によりカルシウムイオンがニューロンに流入し、細胞質に波紋が伝わる様子を映像化できる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

カルシウムイメージング

【細胞は、カルシウムを信号として用いているので、カルシウムと反応して蛍光を発する塗料を利用すると、ニューロンの発火によりカルシウムイオンがニューロンに流入し、細胞質に波紋が伝わる様子を映像化できる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】

(a)細胞がカルシウムをシグナルとして使用している理由
 (1)細胞膜にあるポンプが絶えずカルシウムを細胞外に排出しているため、細胞内のカルシウム濃度は、細胞外の濃度の1万分の1でしかない。
 (2)カルシウムの一部は、小胞体と呼ばれる細胞質の貯蔵タンクへ、ポンプで汲み入れられている。小胞体のこのポンプ活動は、細胞質から余分なカルシウムを除去するだけでなく、小胞体そのものがカルシウム貯蔵庫となって、大量のカルシウムを一気に放出して、その下流でいくつかのプロセスを活性化し、細胞応答を始動させる役割を担うことも可能にしている。
 (3)ある受容体が、それが感知するように設計されている特定の化学物質を見つける。
 (4)細胞膜に小さな孔を開き、カルシウムイオンを一時的に細胞内へ流入させる。
 (5)受容体分子が見張っていた出来事の発生を、細胞全域に知らせ、適切な細胞応答の開始を先導する。

(b)カルシウムイメージングの手法
 カルシウムが存在すると奇妙な緑色の蛍光を発する染料に細胞を浸して、顕微鏡で観察すると、さまざまな刺激が生きた細胞の内部でどのようにカルシウムシグナルを引き起こすのかを見ることができる。
 ニューロンにおいては、
 (1)軸索で電気的インパルスが発火される。
 (2)ニューロンの細胞膜にある特別に分化したイオンチャネルは、電圧の変化を感知する。
 (3)このタンパク質チャネルが、電気的インパルスに反応してわずかな時間だけ開く。
 (4)カルシウムイオンがニューロン内へ一気に流入する。
 (5)細胞質にカルシウムの波紋が伝わっていく。

 「細胞の表面には、目も眩むほどのさまざまなセンサーがあって、周囲の化学的環境を絶えず監視している。ある受容体が、それが感知するように設計されている特定の化学物質を見つけると、細胞膜に小さな孔を開き、カルシウムイオンを一時的に細胞内へ流入させて、細胞全体に警報を発する。このカルシウムシグナルは、「イギリス軍が来るぞ!」という警報に相当し、その受容体分子が歩哨として見張っていた出来事の発生を細胞全域に知らせ、適切な細胞応答の開始を先導する。スティーヴン・スミスらのグループは、カルシウムが存在すると奇妙な緑色の蛍光を発する染料に細胞を浸し、この新たな顕微鏡を用いて、さまざまな刺激が生きた細胞の内部でどのようにカルシウムシグナルを引き起こすのかを熱心に調べた。
 私たちの細胞がカルシウムをシグナルとして使用するのは、体内のすべての細胞が、カルシウムで満たされた海のような環境に生息しているからだ。だが細胞の内側では、状況は大きく異なる。堤防システムが海水の浸入を阻んでいるように、細胞膜にあるポンプが絶えずカルシウムを細胞外に排出しているため、細胞内のカルシウム濃度は、細胞外の濃度の1万分の1でしかない。これは、カルシウムイオンが細胞内で強力なメッセンジャーとして機能するためには、申し分のない状況だ。カルシウムの一部は、小胞体と呼ばれる細胞質の貯蔵タンクへ、ポンプで汲み入れられている。小胞体のこのポンプ活動は、細胞質から余分なカルシウムを除去するだけでなく、小胞体そのものがカルシウム貯蔵庫となって、大量のカルシウムを一気に放出して、その下流でいくつかのプロセスを活性化し、細胞応答を始動させる役割を担うことも可能にしている。
 カルシウムは、すべての細胞内部で情報交換の主要通貨としての役目を果たし、絶えず変わり続ける細胞環境の状況に合わせて、細胞応答を調和させている。ニューロンもこの情報の細胞内通貨に頼っている。ニューロンの細胞膜にある特別に分化したイオンチャネルは、軸索で電気的インパルスが発火されたときに生じる電圧の変化を感知する。このタンパク質チャネルが、電気的インパルスに反応してわずかな時間だけ開くと、カルシウムイオンがニューロン内へ一気に流入する。細胞表面の電気現象に続いて、細胞質にカルシウムの波紋が伝わっていく軌跡を監視することで、細胞深部の働きも、外部の電気現象を常に把握しているのだ。科学者たちは今では、この新たなカルシウムイメージングの手法を用いて、ニューロンの発火を文字どおり見ることができるようになった。
 生きた細胞を使用したカルシウムイメージング技術は革新的であり、大きな衝撃を与えた。というのも、この手法は、科学者が生きた細胞の働く様子をリアルタイムで観察できる新たな境地を開いたからだ。カルシウムイオンと結合すると蛍光を発する色素によって、それまでひそかに行われていた細胞どうしのメッセージのやり取りが目に見えるようになった。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第1部 もうひとつの脳の発見,第3章 「もうひとつの脳」からの信号伝達――グリアは心を読んで制御している,講談社(2018),pp.107-109,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:カルシウムイメージング)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

R・ダグラス・フィールズ(19xx-)
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すべての会話は、共通の目標をもった協調活動であり、模倣と刷新の相乗効果で、新しい言語の進化の場でもある。聴覚障害児によって創出された自然発生的な「ニカラグア手話」は、その実例である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

ニカラグア手話

【すべての会話は、共通の目標をもった協調活動であり、模倣と刷新の相乗効果で、新しい言語の進化の場でもある。聴覚障害児によって創出された自然発生的な「ニカラグア手話」は、その実例である。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

 「すべての会話は共通の目標をもった協調活動であり、ある意味では、新しい言語の進化をその場に再現していると言えなくもない。実際、会話の中の一部の言葉が、互いの暗黙の了解によって決まった特定の意味を帯びているということ自体、模倣と刷新の相乗効果でコミュニケーションが形成されていくことを示したものだと言える。この考えを裏づける最も驚くべき事例が、1970年代末から80年代にかけて、ニカラグアの学校の聴覚障害児によって創出された自然発生的な、しかし充分に発達したサイン言語(手話)である。それ以前、ニカラグアの聴覚障害児はほとんど社会から疎外されており、単純な身ぶりや身内にしか通じない「自家製」のサイン体系を使って友人や家族とコミュニケーションをとるだけだった。そこにサンディニスタ革命が起こり、聴覚障害児の特別教育施設が設けられるようになった。そしてマナグアの二つの学校に数百人が入学した――いまにして思えば、「臨界質量」とでも言おうか、ある結果をもたらすのに必要十分な人数が揃っていたわけである。校庭やバスの中や道端で互いに顔を合わせているうちに、子供たちはしだいにそれぞれの慣れ親しんだ身ぶりを組み合わせながら共通のサイン言語を発達させていった。最初はそれも比較的単純な言語で、文法も単純、類義語はほとんどない、いわゆるピジン語のようなものであった。やがて、年長の子供たちにこの単純な言語を教えてもらった年少の子供たちが、もっと精密で、明確で、揺らぎのない、成熟したサイン言語を発達させた。これが現在「ニカラグア手話」と呼ばれているものである。皮肉なことに、学校の教職員は子供たちが互いにどんなサインを出しあっているのかを理解できず、外部の助けに頼らなくてはならなかった。アメリカ手話の専門家であるアメリカ人言語学者ジュディ・ケーグルが招かれて、初めてここでなにが進行しているかわかったのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第3章 言葉をつかみとる,早川書房(2009),pp.126-127,塩原通緒(訳))
(索引:ニカラグア手話)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

カノニカルニューロンとミラーニューロン

【対象物を見ると、それを操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】
(a)標準(カノニカル)ニューロン
 (a1)つかむ、持つ、いじるといった運動行為に対応したニューロンの大多数が発火する。
 (a2)対象物の視覚刺激(対象物の形、大きさ、向き)に対応して運動特性(すなわち、つかみ方のタイプ)に呼応したニューロンの一部が発火する。
 (a3)その結果、対象物の形、大きさ、向きに応じて決まる、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、視覚情報を適切な運動行為に変換するプロセスが準備される。

(b)ミラーニューロン
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その特定のタイプの行為に呼応したニューロンの一部が発火する。例えば、つかむミラーニューロン、持つミラーニューロン、いじるミラーニューロン、置くミラーニューロン、両手で扱うミラーニューロン。運動行為の視覚情報には、次のような特徴がある。
 ・カノニカルニューロンとは違い、食べ物や立体的な対象物を見たときには発火しない。
 ・手や口や体の一部を使って、対象物へ働きかける行動を見たときに限られ、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、対象物のない自動詞的行為には反応しない。
 ・見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 ・観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火する。
 ・視覚刺激の大きさに影響されることもない。
 ・2つ、あるいはめったにないが3つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。  (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。

 「F5野の機能特性の分析で見てきたとおり、つかむ、持つ、いじるといった運動行為の間に、この皮質野のニューロンはその大多数が発火し、視覚刺激《にも》反応するものがある。視覚刺激に反応するニューロンの運動特性(たとえば、ニューロンがコードするつかみ方のタイプ)と視覚的選択性(対象物の形、大きさ、向き)は明らかに呼応しており、そのおかげで、対象物に関する視覚情報を適切な運動行為に変換するプロセスでこれらのニューロンが果たす役割が決定的なものとなる。このようなニューロンは「標準(カノニカル)ニューロン」と呼ばれている(訳注 感覚情報を運動情報に変換するのが感覚-運動ニューロンの標準的な機能)。前運動皮質が視覚-運動変換にかかわっているかもしれないと長い間考えられていたからだ。
 ところが、1990年代の初めに行われた実験(サルを使った実験で、サルは特定のタスクを実行するように訓練されてはおらず、自由に行動できるようになっていた)で、カノニカルニューロン以外にも視覚-運動特性を持ったニューロンのタイプがあることがわかった。驚いたことに、サル自身が運動行為(たとえば食べ物をつかむ)を行ったときと、実験者が運動行為を行っているのをサルが見たときの《両方で》、活性化するニューロンが見つかったのだ。これらのニューロンはF5野の皮質凸状部で記録され、「ミラーニューロン」と名づけられた。
 ミラーニューロンの運動特性は、特定の運動行為の間、選択的に発火するという点では、F5野のほかのニューロンとまったく同じだが、両者の視覚特性は著しく異なる。ミラーニューロンは、カノニカルニューロンとは違い、食べ物やほかの立体的な対象物を見たときには発火しないし、発火が視覚刺激の大きさに影響されることもないようだ。じつは、ミラーニューロンが活性化するのは、手や口といった体の一部がかかわる特定の運動行為、つまり対象物への働きかけを観察したときに限られる。興味深いのは、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、すなわち対象物のない「自動詞的」行為(訳注 自動詞は目的語をとらないので、対象物のない行為を「自動詞的」行為と呼ぶ)には反応しないという点だ。ミラーニューロンは、観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火するという点も注目に値する。ただし、見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 視覚的にコードされた実際の運動行為を識別基準として考えると、ミラーニューロンは、第2章でF5ニューロンの運動特性に当てはめたのと同じような種類に細分できる。「つかむミラーニューロン」「持つミラーニューロン」「いじるミラーニューロン」などだ。また「置くミラーニューロン」(実験者が台の上に物を置くのをサルが見たときに発火するニューロン)や「両手で扱うミラーニューロン」(片手で物を持ち、もう一方の手がその方向へ動くのを観察したときに発火するニューロン)などもある。この分類によって、F5野のほとんどのミラーニューロンが、《特定のタイプの行為》(たとえば、つかむ行為)を観察したときに発火することがわかる。ただし、これほど選択性を持たず、二つ、あるいは(めったにないが)三つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第4章 行為の理解,紀伊國屋書店(2009),pp.96-97,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:カノニカルニューロン,ミラーニューロン)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

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鏡の視覚フィードバック(MVF)によって、3週間ほどで幻肢と痛みが完全に消えた事例がある。また、MVFは現在、脳卒中後の麻痺からの回復を促進するためにも使用されている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

鏡の視覚フィードバック(MVF)の効果

【鏡の視覚フィードバック(MVF)によって、3週間ほどで幻肢と痛みが完全に消えた事例がある。また、MVFは現在、脳卒中後の麻痺からの回復を促進するためにも使用されている。(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】
(1)鏡の箱による治療で、3週間ほどの期間で、幻肢が完全に無くなり、痛みも一緒に消えてしまった事例が存在する。
(2)MVFは現在、脳卒中後の麻痺からの回復を促進するためにも使用されている。
(再掲)
(a)
幻の     健全な
左腕     右腕

(b)
──┐
  │鏡
幻の│面   健全な
左腕│    右腕
  │


 「ロンという患者のケースはさらに驚異的で、鏡の箱を自宅にもちかえって三週間ほどいろいろやっているうちに、幻肢が完全になくなり、痛みも一緒に消えてしまった。私たちは一様に衝撃を受けた。単純な鏡の箱が幻肢を追い払ったのだ。」(中略)「またMVFは現在、脳卒中後の麻痺からの回復を促進するためにも使用されている。私はこれを1998年に初めて、博士後研究員のエリック・オールトシューラーと共同で「ランセット」誌に発表したが、その研究は患者9名と、サンプルサイズが小さかった。最近では、ドイツのクリスチャン・ドーラのグループが、脳卒中患者50名を対象に三重盲検対照法による研究をおこない、大多数では感覚機能と運動機能がともに回復するという結果を示した。脳卒中をわずらう人が6人に1人の割合でいることを考えれば、これは重要な発見である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第1章 幻肢と可塑的な脳,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.60-61,山下篤子(訳))
(索引:鏡の視覚フィードバック(MVF)の効果)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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19.特定の社会的状況と個人的経験が、情動誘発刺激となるために蓄積される知識:(a)特定の問題、(b)問題解決のための選択肢、(c)選択した結果、(d)結果に伴う情動と感情(直接的結果、および将来的帰結)(アントニオ・ダマシオ(1944-))

情動誘発刺激の学習

【特定の社会的状況と個人的経験が、情動誘発刺激となるために蓄積される知識:(a)特定の問題、(b)問題解決のための選択肢、(c)選択した結果、(d)結果に伴う情動と感情(直接的結果、および将来的帰結)(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

 社会的状況と、それに対する個人的経験に関する、以下のような知識が蓄積されていくことで、特定の情動誘発刺激が学習されていく。
(a)ある問題が提示されたという事実
(b)その問題を解決するために、特定の選択肢を選んだということ
(c)その解決策に対する実際の結果
(d)その解決策の結果もたらされた情動と感情
 (d.1)行動の直接的結果は、何をもたらしたか。罰がもたらされたか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。
 (d.2)直接的行動がどれほどポジティブであれ、あるいはどれほどネガティブであれ、行動の将来的帰結は、何をもたらしたのか。結局事態はどうなったのか。罰がもたらされたか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。

(再掲)
《情動の誘発原因》
 狭義の情動が引き起こされるとき、その情動の原因となった対象や事象を、〈情動を誘発しうる刺激〉(ECS Emotionally Competent Stimulus)という。進化の過程で獲得したものも、個人の生活の中で学習したものも存在する。
情動の根拠には(a)生得的なもの、(b)学習されたものがある。また、情動の誘発は、(a)無意識的なもの、(b)意識的評価を経由するものがあるが、いずれも反応は自動的なものであり、誘発対象の評価が織り込まれている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「では、情動と感情は意志決定においてどのような役割を演じているのか。

わかりにくかったりそれほどではなかったり、効果的だったりそれほどではなかったり、といろいろな場合があるというのがその答えだが、いずれの場合も情動と感情は推論のプロセスにおける役者であるだけでなく、不可欠な役者でもある。

たとえば個人的経験が蓄積されていくと、社会的状況についてのさまざまな分類が形成される。そのような生活経験に関してわれわれが蓄える知識には以下のようなものがある。
1 その問題が提示されたという事実
2 その問題を解決するために特定の選択肢を選んだということ
3 その解決策に対する実際の結果
そして重要なのは、
4 情動と感情に関するその解決策の結果

 たとえば、選択した行動の直接的結果は罰をもたらしたのか、それとも報酬をもたらしたのか。言い換えると、その行動は、苦の、あるいは快の、悲しみの、あるいは喜びの、羞恥心の、あるいはプライドの情動と感情を伴ったのか。

同じように重要なのは、直接的行動がどれほどポジティブであれ、あるいはどれほどネガティブであれ、行動の〈将来的帰結〉は報酬をもたらすものだったのか、それとも罰をもたらすものだったのか。

結局事態はどうなったのか。特定の行動に由来するネガティブな、あるいはポジティブな将来的帰結があったのか。典型的な例は、特定の関係を壊したことで、あるいは開始したことで、利益が、それとも災いがもたらされたのか。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.192-193、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:情動誘発刺激の学習)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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日常語で規定された素朴な心理的概念を、科学的に獲得された適切な概念に置き換えていけば、生得的な内観機構の一部は、より真実で深く豊かなものへと学習、訓練し、習慣化することができる。交響曲の指揮者やワイン鑑定家、天文学者を考えてみよ。(ポール・チャーチランド(1942-))

消去主義的唯物論

【日常語で規定された素朴な心理的概念を、科学的に獲得された適切な概念に置き換えていけば、生得的な内観機構の一部は、より真実で深く豊かなものへと学習、訓練し、習慣化することができる。交響曲の指揮者やワイン鑑定家、天文学者を考えてみよ。(ポール・チャーチランド(1942-))】

 「本章の最後の積極的な提案が、ここから浮上してくる。最終的に唯物論が正しいなら、私たちの内的本性についてもっとも重要な知恵を内包しているのは、完成した神経科学の概念枠組だということになる。(さし当りここでは、唯物論のさまざまな形態を分かつ微妙な違いについては考慮しない。)そこで、「完成した」神経科学、もしくは現状よりはるかに進展した神経科学の概念枠組のもとで、自分の内的生活の豊かな詳細を記述し、思考し、そして内観的に把握することを学習していけるという可能性について考えてみよう。とくに、私たちが自分の生得的な内観メカニズムを訓練して、もっと厳密な新しい一群の区別を行えるようになるとしよう。この区別は、現在の日常語の素朴な心理的分類に基づくものではなく、脳活動についてのもっと発展した神経機能的説明から引き出されるもっと深くて豊かな説明力をもつ分類に基づくものである。つまり、私たちが自分を訓練して、そのように捉え直された内的活動に対して、神経科学の適切な概念で形成された判断でもって習慣的に反応するようになるとしよう。
 内観能力の増強については、交響曲の指揮者やワイン鑑定家、天文学者が良い参考例になるとすれば、新しい概念枠組によって可能となる内観能力の増強も驚くべきものとなるだろう。」
(ポール・チャーチランド(1942-),『物質と意識(原書第3版)』,第8章 遥かなる展望,2 内観的意識の拡張,森北出版(2016),pp.298-300,信原幸弘(訳),西堤優(訳))
(索引:消去主義的唯物論)

物質と意識(原書第3版) 脳科学・人工知能と心の哲学


(出典:Open-mind.net
ポール・チャーチランド(1942-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
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脳の各構造が実現している機能の観点から定義された「階層」という考え方を用いて、脳の各構造と構造間のインタフェースなどの仕組みを、明確に理解することができる。(マイケル・S・ガザニガ(1939-))

機械式時計の喩え

【脳の各構造が実現している機能の観点から定義された「階層」という考え方を用いて、脳の各構造と構造間のインタフェースなどの仕組みを、明確に理解することができる。(マイケル・S・ガザニガ(1939-))】
 例えば、機械式時計の多様な部品の仕組みを理解するには、「この車輪があのぜんまいにつながって、それからあの車輪につながっている」というような構造を理解しても、分かったような気にならない。
 しかし、各部品が実現している目的、機能の観点から、階層という考えを利用して理解すると、その仕組みが明確になる。機械式時計の場合、階層は5つある。
 (a)エネルギー層:時計が動くにはエネルギーが必要である。
 (b)分配層:車輪がそのエネルギーを時計の隅々にまで分配する。
 (c)逃し止め層:エネルギーが一度に放出されることを防ぐ。
 (d)制御層:逃し止め機能を制御する。
 (e)時間表示層:以上のすべての機構を利用して、時刻を表示する。

 「機械式時計のふたを外して中をのぞき込んだら、たくさんの車輪や歯車やぜんまいが相互に連結されているのが見えるだろう。これらが忙しく動いて計時係が誕生する。時計は自分が時を測っていることを知らず、その各部もみずからが果たす機能について何も知らない。脳においても同様に、忙しく働いて個人の意識的な体験を生みだしている個々のニューロンも、みずから何をしているのか知らない。単純な時計の背後にある多様な部品の仕組みを理解するには、「この車輪があのぜんまいにつながって、それからあの車輪につながっている」とは違う観点から考える必要のあることがすぐに明らかになる。昔ながらの「AがBに接続し、BがCに接続する」という考え方ではどこにも行き着けないのだ。
 それでは階層という観点から考えよう。時計の場合、階層は5つある。階層という観点から機械を見ると、その構造が明らかになる。すべての機械式時計についてもそれが言える。機械式時計の層には、エネルギー層、分配層、逃し止め層、制御層、時間表示層がある。第一に、時計が動くにはエネルギーが必要であるため、ぜんまいを巻かなければならない。そのエネルギーが蓄えられ、それからゆっくりと放出されなくてはならない。第二に、車輪がそのエネルギーを時計の隅々にまで分配する。第三に、逃し止め機構がエネルギーが一度に放出されることを防ぐ。第四に、制御機構が逃し止め機能を制御する。最後に、これらすべての機構が第五の階層、すなわち時間の表示につながる。階層を先に進んでも、各層が次の層の機能のもつ役割を予測しないことに注目してほしい。エネルギー層は逃し止め層とは関係ない。他についてもそうだ。」
(マイケル・S・ガザニガ(1939-),『右脳と左脳を見つけた男』,第4部 脳の階層,第9章 階層と力学 新しい展望を求めて,青土社(2016),pp.391-393,小野木明恵(訳))
(索引:機械式時計の喩え)

右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -


(出典:scholar google
マイケル・S・ガザニガ(1939-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「私たちは、人類共通の倫理が存在するという立場に立って、その倫理を理解し、定義する努力をしなければならない。信じ難い考え方であるし、一見すると荒唐無稽にも思える。だが、他に手立てはない。世界について、また人間の経験の本質について、私たちが信じていることは実際には偏っている。また、私たちが拠り所にしてきたものは過去に作られた物語である。ある一面では、誰もがそれを知っている。しかしながら、人間は何かを、何らかの自然の秩序を信じたがる生き物だ。その秩序をどのように特徴づけるべきかを考える手助けをすることが、現代科学の務めである。」
(マイケル・S・ガザニガ(1939-),『脳のなかの倫理』,第4部 道徳的な信念と人類共通の倫理,第10章 人類共通の倫理に向けて,紀伊國屋書店(2006),p.214,梶山あゆみ(訳))
(索引:)

マイケル・S・ガザニガ(1939-)
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2018年7月26日木曜日

1.気づきのない行動と、気づきのある行動が存在する。気づきのある行動は、被験者の内観報告を基礎に判断する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

操作的な基準としての内観報告

【気づきのない行動と、気づきのある行動が存在する。気づきのある行動は、被験者の内観報告を基礎に判断する。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】
(a)気づきのない行動
 (1)信号を検出し、観察可能な筋肉の活動とか、自律神経系の変化(たとえば心拍数、血圧、発汗など)が起こる。
 (2)被験者は、気づくことなく、無意識になされる。
 (3)認知的で抽象的な問題解決プロセスがどれほど複雑になろうとも、このようなことが起こり得る。
(b)気づきのある行動
 (1)被験者は、信号に気づき、主観的な意識経験をする。
 (2)被験者は、実験者の質問を理解し、自分の個人的な経験について、内観的な経験を報告する。

 「操作的な基準としての内観報告
 内観報告についてはすでに論じました。この原則から敷衍される重要な原則は以下の通りです。

確かな内観的報告なしで成立するようなものは、それがいかなる行動上の証拠であっても、主観的な意識経験の指標とはみなしません。行為の目的に向う性質ががどうであれ、また認知的で抽象的な問題解決プロセスがどれほど複雑になろうとも、このことに変わりはありません。

どちらの場合においても、被験者が気づくことなく、無意識になされることがあり得るし、実際にしばしば見られます。

また、信号を検出する能力と信号に気づく能力の違いについても、実験者はさらに注意深く区別しなければなりません。

 行動として現われた行為とは、観察可能な筋肉の活動と自律神経系の変化(たとえば心拍数、血圧、発汗など)を指します。

内観的経験を指し示して《いない》、単に行動として現われた行為は、《主観的な》意識経験の正当な証拠とはなりません。

内観的な経験を報告するという場合は普通、被験者は自分の個人的な経験についての質問に答えているのであり、実験者は被験者が質問を理解していることに私たちは確信を持っています。この前提なしに行われている、行動として現われた行為は実際、無意識に行なわれている可能性があるのです。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第1章 本書の問題意識,岩波書店(2005),p.19,下條信輔(訳))
(索引:内観,内観報告,気づきのない行動,気づきのある行動)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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