統治体制と諸個人
【個人は、統治体制の影響の中で形成され、自らの可能性を実現させる。優れた諸個人の影響力は、統治体制によって合流させられ、社会をより高い段階へと発展させる。人類が最初に習得したのは、服従と勤労生活であった。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】(1)統治体制と諸個人
(1.1)統治体制から個人への影響
個人は、統治体制の大きな影響を受けて形成される。
(a)個人に及んでいる権威の性質と度合
(b)権力の配分、命令と服従の諸条件
(c)宗教的信条
(1.2)統治体制
統治体制は、優れた諸個人の影響力を合流させ、支配下に置いている。
(1.3)諸個人から社会への影響
諸個人は、様々な可能性を実現へと導くことにより、社会を一つの段階から、それよりも高い段階へと発展させる。
(2)人類の歴史
(2.1)各人が孤立した状態
各人が孤立して生活し、一時的な場合を除いて外的統制を免れているような状態。
(2.2)戦闘と略奪の世界
単調に延々と続く労働は嫌悪され、戦闘と略奪が自由に許される状態。
(2.3)服従の習得
一人の絶対的支配者の宗教的、軍事的な功績により、あるいは外国軍隊により、国民が服従することを習得する。服従を習得するまでは、文明段階におけるどんな進歩も事実上不可能である。どんな程度にせよ、民主政的な性格を持つ国制は、社会の種々の構成員たちが、行動の個人的自由を自発的に放棄することに依存している。
(2.4)勤労生活の習得
単調に延々と続く勤労生活が、社会の圧倒的大部分がひたすら従事すべきものとして強制される。こうした労働がなければ、文明社会が必要とする習慣へと精神を規律することはできないし、文明社会の受容に向けて物質面を整備することもできない。
「社会は、諸々の影響力の合流によってのみ、これらの段階の一つからそれよりも高い段階へと発展できるのであり、そうした影響力の主なものが、諸々の影響力を支配下に置いている統治体制なのである。これまでに到達している人間改善のどの状態においても、個人を現にあるようにし、その将来の可能性を実現へと導くことができる影響力の中で、個人に及んでいる権威の性質と度合、権力の配分、命令と服従の諸条件は、宗教的信条を除けば最も強力な影響力である。特定の時代の発展段階に対する統治体制の適応に欠陥があるために、個人が発展の途中で突如停止することもある。だから、統治体制の長所には、他にかなり短所があっても、進歩とは両立するような短所であれば、その長所が必要不可欠だということに免じて大目に見てよい、といったものもある。つまり、国民がより高い段階へと向上するために踏み出す必要のある次の一歩に対して、国民に波及する統治体制の作用が有利に働く、あるいは不利に働かないという長所である。
というわけで(以前の例をくり返すと)、未開の独立状態にあって、各人が孤立して生活し一時的な場合を除いて外的統制を免れている国民の場合、服従を習得するまでは文明段階におけるどんな進歩も事実上不可能である。したがって、この種の国民を対象として成立する統治体制に欠かせない特質は、国民を服従させるということである。これが可能となるためには、政体は専制に近いものであるか、あるいは完全な専制でなければならない。どんな程度にせよ民主政的な性格を持つ国制は、社会の種々の構成員たちが行動の個人的自由を自発的に放棄することに依存しているので、進歩のこの段階で生徒たちが必要としている最初の学習をさせることができない。したがって、こうした種族の文明化は、すでに文明化している他国民との隣接の結果でない場合は、ほとんどつねに、一人の絶対的支配者の仕事となる。その権力は宗教的あるいは軍事的な功績に由来しており、外国軍隊に由来する場合も非常に多い。
さらに言えば、未開種族は単調に延々と続く労働を嫌悪する。最も勇猛で最も活力に富む種族は、とりわけそうである。しかし、真の文明はすべてこの対価を払っている。そうした労働がなければ、文明社会が必要とする習慣へと精神を規律することはできないし、文明社会の受容に向けて物質面を整備することもできない。しばらくの間、勤労を強制することでもなければ、こうした国民が勤労を受け容れるようになるには、諸々の状況の非常にまれな同時並存が必要であり、また、そのために非常に長い時間も必要になる。こういうわけで、奴隷制ですら、勤労生活の出発点を与え、勤労生活を社会の圧倒的大部分がひたすら従事すべきものとして強制することによって、戦闘と略奪の自由を超えた自由への移行を加速することもある。奴隷制のこの大義名分が、ごく初期の社会状態でしか成り立たないことは、ほとんど言うまでもない。文明化した国民の場合は、自分たちの影響下にある諸国民に文明を伝えるのにもっと別の方法がある。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『代議制統治論』,第2章 よい統治形態の基準,pp.34-35,岩波書店(2019),関口正司(訳))
(索引:統治体制と諸個人,服従,勤労生活,統治体制)
(出典:wikipedia)
「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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