2018年11月22日木曜日

24.新しい第1次的ルールを導入、廃止、変更するルールを定める第2次的ルールが、変更のルールである。遺言、契約、財産権の移転など、個人による制限的立法権能も、この変更のルールに基づく。(ハーバート・ハート(1907-1992))

変更のルール

【新しい第1次的ルールを導入、廃止、変更するルールを定める第2次的ルールが、変更のルールである。遺言、契約、財産権の移転など、個人による制限的立法権能も、この変更のルールに基づく。(ハーバート・ハート(1907-1992))】

(2.2.5)追加記載。

 (2.2)ルールの静的な性質
  (2.2.1)ルールのゆるやかな成長の過程が存在する。
   (i)ある一連の行為が、最初は任意的と考えられている。
   (ii)その行為が、習慣的またはありふれたものとなる。
   (iii)その行為が、義務的なものとなる。
  (2.2.2)ルールの衰退の過程が存在する。
   (i)ある行為が、最初は厳しく処理されている。
   (ii)その行為への逸脱が、緩やかに扱われるようになる。
   (iii)その行為が、顧みられなくなる。
  (2.2.3)しかし、古いルールを排除したり新しいルールを導入したりすることによって、変化する状況に意識的にルールを適応させる手段が存在しない。
  (2.2.4)また個人は、責務や義務を負うだけで、この責務は、いかなる個人の意識的な選択によっても変えられないし、修正されえない。責務の免除や、権利の移転というような作用も、第1次的ルールの範囲には入っていない。
  (2.2.5)補われる第2次的ルール:変更のルール
   新しい第1次的ルールを導入したり、古いルールを排除する権能を、ある個人または団体に与えるというルールを、人々が受け入れている。このルールは、権能の範囲と手続を含む。
   (a)変更のルールが存在するときは、変更を成立させる諸条件と手続は、変更されたルールを確定させる条件になっているので、承認のルールにもなっている。
    (a.1)例えば、制定法のみがルールを制定・変更できるとするルール
    (a.2)例えば、統治する君主のみがルールを制定・変更できるとするルール
   (b)個人による制限的立法権能の行使も、変更のルールである。すなわち、第1次的ルールに基づいて持っていた最初の地位を、変更する権能を個人に与えるルールである。
    (b.1)「約束」という道徳的な制度の基礎となっているのが、この権能付与のルールである。
    (b.2)例として、遺言、契約、財産権の移転など。

 「第1次的ルールの体制に見られる《静的》な性質に対しては、われわれが「変更のルール」rules of change と呼ぶものを導入することで矯正が行なわれる。

そのルールのもっとも単純な形態は、集団あるいはそのなかのある部類の人々の生活における行動を方向づけるために、新しい第1次的ルールを導入し、古いルールを排除する権能を個人または人々の団体に与えるルールである。

すでに第4章で論じたように、法の制定、廃止という観念が理解されうるのは威嚇を背景とする一般的命令からではなく、このような変更のルールからである。

そのような変更のルールはたいへん単純なものもあれば、たいへん複雑なものもあるだろう。付与される権能は無制限かもしれないし、さまざまま点で制限されているかもしれない。

そして、ルールは誰が立法すべきかを明らかにする一方、多少厳密な用語で立法にあたってどういう手続に従うべきかを定めるだろう。

明らかに変更のルールと承認のルールとの間には非常に密接な関係があるだろう。というのは、変更のルールが存在するところでは、承認のルールは立法に関係した手続の詳細のすべてにかかわるわけではないが、必然的に立法を、ルールを確認する特徴であると言い及んでいるからである。

普通は公的な証明書または公的な謄本があれば、それは承認のルールの下では適正な制定がなされたという十分な証拠とみなされるだろう。

もちろん、唯一の「法源」が立法であるような非常に単純な社会構造の下では、承認のルールは、法の制定がルールを確認する唯一のしるし、あるいはその妥当性の唯一の基準であると明記するだけであろう。

これに該当するものとして、たとえば第4章で示した想定上のレックス1世の王国があげられるだろう。そこにおいては承認のルールは、およそレックス1世が制定したものは法であるということだけだろう。

 われわれは、個人が第1次的ルールの下でもっていた最初の地位を変更することができるような権能を個人に与えるルールについて、すでにいくらか詳細にのべてきた。

私人に権能を付与するそのようなルールがなければ、社会は法によって与えられる主要な快適さをいくぶん欠くだろう。

というのは、これらのルールがなしうる作用があってはじめて、法の下での生活を象徴する遺言、契約、財産権の移転をなすこと、そしてその他の多くの任意に設定される権利義務の構造をつくることが可能となるからである。

もちろん、こうした権能付与のルールの原初的形態は、また約束という道徳的な制度の基礎ともなっているのであるけれども、これらのルールと立法の観念に含まれている変更のルールは明らかに類似しており、ケルゼンの理論のような最近の理論が示しているとおり、契約や財産権の制度に関してわれわれを悩ましている特徴の多くは、契約の締結、財産権の移転を個人による制限的立法権能の行使として考えれば明らかになるのである。」 

(ハーバート・ハート(1907-1992),『法の概念』,第5章 第1次的ルールと第2次的ルールの結合としての法,第3節 法の諸要素,pp.105-106,みすず書房(1976),矢崎光圀(監訳),石井幸三(訳))
(索引:変更のルール)

法の概念


(出典:wikipedia
ハーバート・ハート(1907-1992)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
 では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)

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