慣例主義
慣例が存在しない難解な事例の解決において、慣例主義はいかに決定すべきかという問題がある。立法府が慣例によって採用するだろう決定、国民全体の意志と思われる決定、そうでなければ裁判官の裁量による新しい法の創造である。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))
(6.1.5)慣例主義による難解な事例への対応
慣例が尽きているハード・ケイスを裁判官はい かにして判決すべきか。
(a)裁判官は裁量を行使して新しい法を創り出さねばならない。そして、彼はこの後で、新しい 法を遡及的に訴訟当事者に適用することになる。
(b)裁判官は、自己自身の政治的道徳的信念を可能なかぎり持ち出さないような仕方で、そして、慣例によって立法権を認 められた制度上の機関を最大限に尊重するような仕方で判決を下さなければならない。
(c)これが見あたらない場合には、国民全体の意志 を最もよく表わしていると彼が信じるルールを選択すべきである。
「慣例主義の消極的主張はまた別の仕方においても、一般に支持された前記の理念に仕えるものと考えられる。しかし、これについては、慣例が尽きているハード・ケイスを裁判官はい かにして判決すべきか、という点に関し一連の主張を付加する必要がある。既に述べたよう に、慣例主義の見解によれば、マクローリン事件のような事例においては法は存在せず、従っ て裁判官は裁量を行使して新しい法を創り出さねばならない。そして、彼はこの後で、新しい 法を遡及的に訴訟当事者に適用することになる。しかし、状況をこのように説明しても、更な る条件として次のように定める余地は充分に残されている。すなわち、裁判官は自己自身の政治的道徳的信念を可能なかぎり持ち出さないような仕方で、そして、慣例によって立法権を認 められた制度上の機関を最大限に尊重するような仕方で判決を下さなければならない、という 条件である。慣例主義が主張するように、裁判官がこのような状況において新しい法を創造す ることが明らかにされたからには、彼は、そのときに権限を有する立法府が選択するであろう と彼自身が信じるルールを選択すべきであり、これが見あたらない場合には、国民全体の意志 を最もよく表わしていると彼が信じるルールを選択すべきである、と考えることは一応正当な ものと思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『法の帝国』,第4章 慣例主義,慣例主義の説得力, 未来社(1995),pp.197-198,小林公(訳))
ロナルド・ドゥオーキン (1931-2013) |