先例からルールを発見する帰納的方法
【先例の事実の言明とあるルールとから、先例の決定が導出可能であるような一般的ルールを発見できたとしても、同様に導出可能なルールは一意には決まらない。あるルールの選択には、別の諸基準が必要となる。(ハーバート・ハート(1907-1992))】(1)先例からルールを発見する帰納的方法
(1.1)関連のある先例から、一般的ルールを発見して定式化する。
(1.2)その一般的ルールが、その先例によって正当化されるための必要条件は、その事件の事実の言明と、抽出された一般的ルールとから、先例における決定が導き出されることである。
(1.3)しかし一般的に、ある先例の決定を導く一般的ルールは、他にも無数に存在しているため、(2)は十分条件ではない。その一般的ルールが唯一のものとして選択されるためには、その選択を制約する別の諸基準が存在するはずである。
(1.4)一般的ルールを正当化する諸基準とは何だろうか。
(1.4.1)ある理論は、その事件にとって重要なものとして扱われるべき諸事実の選択基準が、そのような諸基準だと考える。
(1.4.2)ある理論は、その先例を検討する段階での、通常の道徳的、社会的諸要因の比較考量が、そのような諸基準だと考える。
(2)別の理論は、一般的ルールを経由せずに、先例を利用する。
(2.1)今回の事例と重要な点で十分に類似している先例を推論する。
(2.2)その先例を典型例として、今回の事例も同じように決定する。
「裁判所における先例の使用には帰納的推論が用いられているという、比較的紋切り型の法理学者たちの主張には、多くの曖昧さがつきまとっている。
このように、先例との関連でいつも帰納法に言及されるのは、立法機関により制定されたルールの個々の事例への適用において用いられる演繹的といわれている推論との対照を明らかにするためである。
「一般的ルールから出発するかわりに、裁判官は、関連のある判例に目を向け、そこに含まれている一般的ルールを発見しなければならない……。二つの方法の間に見られる顕著な違いは、大前提の出所にある。帰納的方法は大前提となるものを個々の事例から見つけだそうとするのに対して、演繹的方法は大前提をあらかじめ想定している」。
裁判所がルールを発見するために、またそのルールを有効なものとして受容することを正当化するために、過去の判例をたえず参照していることはもちろん事実である。過去の判例は、そこから「抽出される」ルールにとって「権威」であるといわれている。
もしも、過去の判例がルールの受容をこのように論理的に正当化しているのだとすれば、明らかに一つの必要条件が満たされていなければならない。それは、過去の判例における決定がルールの言明と事件の事実の言明から導き出されることが可能であったという意味で、過去の判例はそのルールを例証するものでなければならないという条件である。
この必要条件の充足に関する限り、その推論は、実際、演繹的推論を逆に適用するものである。しかしながら、もちろんこの条件は、裁判所が過去の判例に基づいてあるルールを受容することの一つの必要条件にすぎないのであって、十分条件ではない。
というのは、いかなる所与の先例にとっても、その条件を満たすことのできる一般的ルールは、論理上、他にも無数に存在しているからである。
それゆえ、これらの代替可能なルールのなかから、先例によって正当性を保障されるルールとして一つのルールを選択するためには、その選択を制約する別の諸基準に依拠しなければならない。そしてこれらの別の諸基準は、論理の問題ではなく、〔法〕体系ごとに、また同一の〔法〕体系でも時代ごとに変わりうる実質的問題なのである。
かくして、裁判所における先例の使用についてのある理論によれば、先例によって正当性を保障されるルールは、事件にとって「重要な」ものとして扱われるべき諸事実の選択を通して、裁判所によって明示的ないし暗示的のいずれかの仕方で示されなければならない。
他の理論によれば、先例によって正当性を保障されるルールとは、その先例を検討する後の裁判所が、論理上可能な諸ルールのなかから通常の道徳的、社会的諸要因を比較考量した後で選択するであろうルールである。
多くの法律の著述家たちは依然として先例からの一般的ルールの抽出ということについて語っているけれども、先例の使用の際に用いられる推論は、本質的には、「典型例による」事例から事例への推論であると主張しようとする人びともいる。
それによれば、裁判所は、もしも過去に事例が現在の事例と「重要な」点で「十分に」類似しているならば、現在の事例を過去の事例と同じようにして決定するのであり、したがって何らかの一般的ルールを過去の事例からまず抽出し、それを定式化するのではなく、過去の事例を先例として利用するのである。
しかしそれにもかかわらず、裁判所は一般的ルールを発見したり、その受容を正当化したりするために過去の判例を用いているとする比較的きまりきった説明は十分に普及しており、かつ、もっともらしいものであるために、この脈絡での「帰納法」という用語の使用を議論に値するものとしている。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第1部 一般理論,3 法哲学の諸問題,pp.116-118,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳),古川彩二(訳))
(索引:先例,帰納的方法)
(出典:wikipedia)
「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
(索引:)
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「決定的に重要な問題は、新しい理論がベンサムがブラックストーンの理論について行なった次のような批判を回避できるかどうかです。つまりブラックストーンの理論は、裁判官が実定法の背後に実際にある法を発見するという誤った偽装の下で、彼自身の個人的、道徳的、ないし政治的見解に対してすでに「在る法」としての表面的客観性を付与することを可能にするフィクションである、という批判です。すべては、ここでは正当に扱うことができませんでしたが、ドゥオーキン教授が強力かつ緻密に行なっている主張、つまりハード・ケースが生じる時、潜在している法が何であるかについての、同じようにもっともらしくかつ同じように十分根拠のある複数の説明的仮説が出てくることはないであろうという主張に依拠しているのです。これはまだこれから検討されねばならない主張であると思います。
では要約に移りましょう。法学や哲学の将来に対する私の展望では、まだ終わっていない仕事がたくさんあります。私の国とあなたがたの国の両方で社会政策の実質的諸問題が個人の諸権利の観点から大いに議論されている時点で、われわれは、基本的人権およびそれらの人権と法を通して追求される他の諸価値との関係についての満足のゆく理論を依然として必要としているのです。したがってまた、もしも法理学において実証主義が最終的に葬られるべきであるとするならば、われわれは、すべての法体系にとって、ハード・ケースの解決の予備としての独自の正当化的諸原理群を含む、拡大された法の概念が、裁判官の任務の記述や遂行を曖昧にせず、それに照明を投ずるであろうということの論証を依然として必要としているのです。しかし現在進んでいる研究から判断すれば、われわれがこれらのものの少なくともあるものを手にするであろう見込みは十分あります。」
(ハーバート・ハート(1907-1992),『法学・哲学論集』,第2部 アメリカ法理学,5 1776-1976年 哲学の透視図からみた法,pp.178-179,みすず書房(1990),矢崎光圀(監訳),深田三徳(訳))
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