2020年7月25日土曜日

これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)、デカルト哲学再評価の必要性について

これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)

【これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学(第2版)、デカルト哲学再評価の必要性について】

《概要》
 今さらデカルトから始める必要があるのかと疑問に思う人は、恐らく、(a)何かしら「最新」の哲学が、デカルトを超えて存在しており、そんな古い考えは必要ないと考えているか、(b)デカルトも様々な哲学の「学派」の一つに過ぎないと考えているか、(c)あるいはまた、様々な科学があれば、私たちは哲学なしにでもやっていけると考えているのだと思う。
 私の主張は、これらのいずれもが誤っているというものである。
 (a)デカルトは、確かに、これ以上は遡れない基礎としての、ひとつの真理をつかんでいる。最新の哲学といえども、この真理を度外視することはできない。
 (b)そもそも今までの哲学が、様々な学派があるかのように展開してきたのには、理由がある。それは、この宇宙の構造が、あたかも私一人のみが特別に全宇宙に向き合っているかのような、非対称的な構造をしていることに由来する。今、この序文を読んでいる「あなた」にとっても、あなた一人のみが特別に全宇宙に向き合っているかのように、この宇宙は存在している。このことは、最も驚嘆すべきとも言い得る、この宇宙の基本的な構造である。なぜ、哲学が混乱するのか。概念をよく区別し、それが属しているものにのみ帰属させること。ある困難な問題を、それに属していない概念によって説明しようとするとき、われわれは必ず間違う。(ルネ・デカルト(1596-1650))ここから、あらゆる誤った混乱と、真理の一面のみを捉え他の側面を無視した様々な「学派」が生まれた。しかし、私たちが求めているのは、ただ一つの真理である。
 (c)哲学は、私たちが到達し得るような知識の全体的な見通しと、その限界への洞察を与えてくれる。また、個別科学の基礎的な概念の分析と基礎づけ、有効な方法論の確立のための洞察を与えてくれる。方法が確立されているように見える自然科学の分野においてさえ、科学の基礎を問うような限界的で難しい問題の考察には、デカルトまで遡るような確固とした足場が必要となるのである。

《改訂履歴》
2019/05/02 第1版 これ以上遡れない諸科学の基礎としての自我心理学
2020/07/25 第2版


《目次》
(1)なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 (1.1)偽なるものに同意しない力
 (1.2)これ以上遡れない哲学の基礎
 (1.3)今までの哲学の誤りの原因
(2)私は存在する
 (2.1)このすべてが私である
 (2.2)無意識は存在するのか
 (2.3)明晰かつ判明な現前
 (2.4)すべては私に関する事実でもある
(3)私でないものが、存在する
 (3.1)私でないものが存在するすることの証明
 (3.2)補足説明
 (3.3)存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在
(4)精神と身体
 (4.1)精神と身体の関係
 (4.2)精神と身体の合一の意味
 (4.3)能動と受動の概念
 (4.4)補足説明
(5)私(精神)のなかに見出されるもの
 (5.1)意志のすべてが精神の能動である
  (5.1.1)精神そのもののうちに終結する精神の能動
   (5.1.1.1)「見る」とか「触れる」等の認知
   (5.1.1.2)記憶の「想起」
   (5.1.1.3)「想像する」とか「表象する」こと
   (5.1.1.4)「理解する」こと(純粋悟性)
  (5.1.2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)
 (5.2)あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である
  (5.2.1)身体を原因とする知覚
   (5.2.1.1)外部感覚
   (5.2.1.2)共通感覚、想像力、記憶
   (5.2.1.3)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
   (5.2.1.4)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
   (5.2.1.5)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想(広い意味では、情念の一種)
  (5.2.2)精神を原因とする知覚
  (5.2.3)身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)
   (5.2.3.1)精神に関係づけられていること
   (5.2.3.2)精神の受動性



(1)なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 (1.1)偽なるものに同意しない力
   もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、断乎として偽なるものに同意しないように用心することは、私の力のうちにある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(出典:wikipedia

 (1.2)これ以上遡れない哲学の基礎
  (a) 私があるものであると、私が考えるであろう間は、確かに私は何ものかとして存在する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) 私は、私の推論の基礎として、何ものもそれ以上に識られているものはありえない程に、私に識られているところの私自身の存在を、使用することを選んだ。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c) 真理探究の方法を見出すためには、この方法を探究するための他の方法の探究が必要だというように、限りなく遡る探究はあり得ない。こうした方法では、およそどんな認識にも到達しないであろう。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

(出典:wikipedia

 (1.3)今までの哲学の誤りの原因
  (a) 哲学者たちは、最も単純で自明的なことを、論理学的な定義によって、説明しようと試みた点で誤りを犯している。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b) 概念をよく区別し、それが属しているものにのみ帰属させること。ある困難な問題を、それに属していない概念によって説明しようとするとき、われわれは必ず間違う。(ルネ・デカルト(1596-1650))

(2)私は存在する
 (2.1)このすべてが私である
   疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲せぬ、なおまた想像し、感覚するものが、確かに存在する。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.2)無意識は存在するのか
  (a) 精神のうちには、精神が意識してはいない多くのものがありうるのではないか。(アントワーヌ・アルノー(1612-1694))
アントワーヌ・アルノー(1612-1694)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia

  (b) およそ意識のうちに現われるすべてのものは、潜勢的に存在している精神の能力が、作用として発現することで、意識されるものである。したがって、決して意識することができないなら、それは潜勢的にも存在しない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (c)現在の脳科学における無意識の概念の一例
   哲学の体系としての記述順序からは、科学基礎論と個別の科学の記述が先にあるべきである。しかし、特に微妙な諸問題を除いて、科学の方法については、概ね合意が存在するため、ここではデカルトの「私」を超える概念ではあるが、全体の議論を分かり易くするために、現在の脳科学における無意識の概念の一例を記載する。このような方法は、以下の記述でも採用することがある。
   その際、精神(私)の内側からのデカルトの概念と、かなり先で明らかにされる科学による概念とを、慎重に区別しながら進むことが重要である。デカルトの概念は、現象学としては完全に厳密なものである。この現象としての精神を、現在の脳科学はどこまで解明しているのか。また逆に、デカルトの概念の中に、未だ科学によって解明されるべきものとしての重要な現象がないかどうか、この両面の観点が必要である。

   (i)アクセス可能な前意識
    既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (ii)識閾下の状態
    注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (iii)複雑な発火パターンへの希釈という現象
    脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (iv)潜在的な結合
    識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、記憶時と似た発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
   (v)切り離されたパターンの無意識
    前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))


《概念図》

  環境
┌──│───────────────┐
│  │    潜在的な結合(無意識)│─┐
│┌─│───┐           │ │
││ │識閾下│           │ │
││ │の状態│           │ │
││ ↓   │           │ │
││感覚データ←機能と一体化した記憶 │ │
││記憶←──────記憶      │ │
││ │   │           │ │
││ ↓   │           │ │
││識閾下での←機能と一体化した記憶 │ │
││認知処理 →記憶化        │ │
││ │   │           │ │
││ ↓   │           │ │
││前意識  ←機能と一体化した記憶 │ │
││ │   →記憶化        │ │
││ ↓   │           │ │
││意識   ←機能と一体化した記憶 │ │
││自発的行動→記憶化        │ │
│└─────┘           │ │
└────────↑↓──↑↓──↑↓┘ │
 │       一体化した相互作用   │
 │                   │
 │切り離されたパターンの無意識     │
 └───────────────────┘


 (2.3)明晰かつ判明な現前
   この蜜蝋は、いったい何か。これは確かに、ただ単に精神の洞観と言えるようなものとして、明晰かつ判明に現われている。対象として特定し、言葉で捉えられたものには、すでに不完全で不分明なものが混入している。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (2.4)すべては私に関する事実でもある
  (a) いま眼の前にあるこの蜜蝋だけでなく、およそすべてのことに対して、それがいっそう判明に認識されれば、それは同時に、「私自身」が何であるかの認識でもある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)ニーチェは、この真理を極めて印象的に表現している。
    この自然情景、激動する海のこの感情、崇高な線、この確固として明確に見ること一般、その他、私たちが事物に授けた一切の美と崇高は、実際には己が創造したものであり、原始的人類から相続している遺産である。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia

(3)私でないものが、存在する
 (3.1)私でないものが存在するすることの証明
   私のみが独り世界にあるのではなく、ある他のものがまた存在することの証明。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (3.2)補足説明
〈このすべて〉Aが、〈わたし〉Aである。
〈わたし〉Aは、存在する。
〈わたし〉Aは、〈精神〉Aである。
〈この蜜蝋〉は〈わたし〉のなかにある〈観念〉であり、〈わたし〉のなかに存在する。〈この蜜蝋〉が〈観念〉としてではなく、〈本当に存在するもの〉であるためには、〈この蜜蝋〉を存在せしめている〈原因〉があり、この〈原因〉から〈この蜜蝋〉が〈本当に存在するもの〉であることが、理解できるようになっているはずだ。このとき、この〈原因〉も〈この蜜蝋〉も、〈わたし〉のなかに〈観念〉の連鎖として存在すれば十分だと考えることはできないのであって、何か〈本当に存在するもの〉としての〈原因〉から理解できるようになっているはずだ。このような理解に達してはじめて、〈わたし〉のなかにある〈この蜜蝋〉は、〈本当に存在するもの〉ではあるが、〈存在するとおりのもの〉ではなく、ある映像のようなものであることが知られるのである。
 さきに私が、すべてを疑い、それでも〈わたし〉が確かに存在することを知ったのと同じように、〈本当に存在するもの〉が〈現象するとおりのもの〉として〈わたし〉のうちにあるのならば、私自身がその〈観念〉の〈原因〉である。しかし、〈この蜜蝋〉は、〈現象するとおりのもの〉としては〈わたし〉のうちに存在せず、何か私とは別の〈本当に存在するもの〉を〈原因〉としてしか、〈本当に存在するもの〉であることが理解できないとすれば、私自身が〈この蜜蝋〉の〈原因〉ではなく、この〈原因〉であるところの、私とは別の〈本当に存在するもの〉が、確かに存在するということが帰結するのである。

[説明図]

〈わたし〉としての〈このすべて〉は、〈現象するとおりのもの〉で〈本当に存在するもの〉。
この場合は、私自身が〈原因〉である。

〈原因〉……〈観念〉なら、私自身が〈原因〉である。
 ↓
〈観念〉
 ↓
〈現象するとおりのもの〉でない〈観念〉……〈本当に存在するもの〉かどうか不明
 例:〈この蜜蝋〉

〈原因〉……私には〈現象するとおりのもの〉として知られない。
 ↓    私以外のものが〈現象するとおりのもの〉として知る。
〈観念〉  〈本当に存在するもの〉の、私以外の〈原因〉がある。
 ↓
〈現象するとおりのもの〉でない〈観念〉……〈本当に存在するもの〉
 例:〈この蜜蝋〉


 (3.3)存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在
私の精神が、いかに完全な物体の観念を知性の虚構によりつくり上げたとしても、私の精神と物体が存在する原因として、存在そのものがその本質に属するようなあるものの存在を、想定せざるを得ない。(ルネ・デカルト(1596-1650))


(4)精神と身体
 (4.1)精神と身体の関係
   心身問題:この存在するすべてが精神である。そして、身体すなわち延長、形、運動という別のものも存在するならば、身体が精神として現れているという意味で、すべてはまた感覚であるとも言える。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (4.2)精神と身体の合一の意味
   心身問題:我々は身体を感覚し、その他の何ものをも感覚しない。これが、精神と身体との合一の意味である。しかし、感覚を結果とし、その原因を身体と結論したのだが、その原因については実は何ごとも理解してはいないのである。(バールーフ・デ・スピノザ(1632-1677))

 (4.3)能動と受動の概念
  (a) 新たに生起することすべては、それが生じる主体に関しては「受動」とよばれ、それを生じさせる主体に関しては「能動」とよばれる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (b)精神において「受動」であるものは、一般に身体において「能動」である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
  (c) 意志のすべてが精神の能動、あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動とよべる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

 (4.4)補足説明
 〈このすべて〉Xが、〈わたし〉Xである。
 〈わたし〉Xは、存在する。
 〈わたし〉Xは、〈精神〉Xである。

 〈このすべて〉Xのある部分は、〈精神の受動〉Pと呼ばれる。
 〈精神の受動〉Pは、すべて身体における能動である。
 〈精神の受動〉P以外の〈精神〉Xの部分は、精神自らの動き〈精神の能動〉Aである。
  〈精神の受動〉P ⊆ X
  〈精神の能動〉A ⊆ X
  〈精神の受動〉P ∪ 〈精神の能動〉A = X
  〈精神の受動〉P ∩ 〈精神の能動〉A = φ

 いまここでの身体という概念は、わたしが〈精神の受動〉Pとして知ることの原因として考えられるもので、それの働きが原因となって、〈わたし〉Xにおいて感覚を結果させているものである。そして、〈精神の受動〉Pのすべてが、何らかの身体の能動を原因としているという仮説は、精神と身体が合一しているという仮説の別の表現であり、また精神自らの動き〈精神の能動〉A以外の、およそ精神が受け取るものは、すべて身体を通じてであり、その他の方法を通ずることはないという仮説の、別の表現でもある。
 ところで、意志のすべてが〈精神の能動〉Aであるが、意志についての知覚、意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚も存在し、これも知覚であるということから、〈精神の受動〉Pの部分である。そこで、これを〈精神の受動(意志)〉と〈精神の受動(意志以外)〉に分けて表現すれば、

 〈このすべて〉Xのある部分は、〈精神の受動(意志以外)〉Pと呼ばれる。
 〈精神の受動(意志以外)〉Pは、すべて身体における能動である。
 〈精神の受動(意志以外)〉P以外の〈精神〉Xの部分は、精神自らの動き〈精神の能動〉Aである。
  ところで実は、〈精神の能動〉A = 〈精神の受動(意志)〉Aであるから、
  〈精神の受動(意志以外)〉P ⊆ X
  〈精神の受動(意志)〉A ⊆ X
  〈精神の受動(意志以外)〉P ∪ 〈精神の受動(意志)〉A = X
  〈精神の受動(意志以外)〉P ∩ 〈精神の受動(意志)〉A = φ

 〈このすべて〉Xが、〈精神の受動〉Xである。
 〈このすべて〉Xは、すべて身体における能動である。
 このように、〈精神〉と身体のもともとの概念は、すべてが〈精神の受動〉であることを含んでいるが、このすべての受動のなかに、確かに〈意志〉の現象が事実として存在している。この事実に基づき、この〈意志〉という現象を概念で表現したものが、〈精神の受動(意志)〉、〈精神の能動〉Aなのである。


(5)私(精神)のなかに見出されるもの
 (5.1)意志のすべてが精神の能動である
  (5.1.1)精神そのもののうちに終結する精神の能動

   (a) 意志のひとつとして、精神そのもののうちに終結する精神の能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 認識力は、想像力と共同して外部感覚や共通感覚に働きかけるときは認知と呼ばれ、記憶をもとにした想像力だけに働きかけるときは想起と呼ばれ、新たな形をつくるために想像力に働きかけるときは想像と呼ばれ、独りで働くときは理解(純粋悟性)と呼ばれる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (5.1.1.1)「見る」とか「触れる」等の認知
    認識力が、想像力と共同して外部感覚や共通感覚に働きかけること。

《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └───┬──┘ └───┬────┘
        │        ↓
        │      想像力(能動)
        │        ↓
        │    ┌観念─┴────┐
        │    │形象の観念   │
        │    │肢体感覚の観念 │
        │    │内臓感覚の観念 │
        │    │幻覚・夢想の観念│
        │    └───┬────┘
        └───────┐│
                ↓↓
               認識力(能動)
                ↓↓
             ┌観念┴┴────┐
             │認知      │
             │ 理解したという│
             │ 何らかの心的な│
             │ 状態     │
             └────────┘

   (5.1.1.2)記憶の「想起
    認識力が、記憶をもとにした想像力だけに働きかけること。

《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └──────┘ └───┬────┘
                 ↓
               想像力(能動)
                 ↓
             ┌観念─┴────┐
             │形象の観念   │
             │肢体感覚の観念 │
             │内臓感覚の観念 │
             │幻覚・夢想の観念│
             └───┬────┘
                 ↓
               認識力(能動)
                 ↓
             ┌観念─┴────┐
             │記憶の想起   │
             │ 理解したという│
             │ 何らかの心的な│
             │ 状態     │
             └────────┘
   (5.1.1.3)「想像する」とか「表象する」こと
    認識力が、新たな形をつくるために想像力に働きかけること。
    (a)(例)存在しない何かを想像する。
      存在しない何かを想像しようと努める場合、また、可知的なだけで想像不可能なものを考えようと努める場合、こうしたものについての精神の知覚も主として、それらを精神に知覚させる意志による。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)(例)詩人は、精神的なものを形象化するために、想像力を用いる。
      悟性は精神的なものを形象化するために、風や光などのようなある種の感覚的物体も、用いることができる。これは詩人たちの手法だ。(ルネ・デカルト(1596-1650))

   (5.1.1.4)「理解する」こと(純粋悟性
    認識力が、独りで働くこと。
    (a)(例)可知的なだけで想像不可能なものを考える。
    (b)想像力、感覚、記憶と悟性
      悟性はいかにして、想像力、感覚、記憶から助けられ、あるいは妨げられるか。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)観念を表現する物自体(モデル)、物のある省略された形(記号)
      悟性は、感覚でとらえ得ないものを理解するときは、かえって想像力に妨げられる。逆に、感覚的なものの場合は、観念を表現する物自体(モデル)を作り、本質的な属性を抽象し、物のある省略された形(記号)を利用する。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (d)記号による解法
      問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。次に紙の上で、記号をもって解決を見出すことで、当初の問題の解を得る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (5.1.2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)
   (a) 意志のひとつとして、身体において終結する能動がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (b) 想像が、多数のさまざまな運動の原因となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))


 (5.2)あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である
  (5.2.1)身体を原因とする知覚
   (5.2.1.1)外部感覚
    (a) 対象に注意を向けるのは能動であるにしても、外部感覚は精神の受動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)〈特殊感覚〉視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚

   (5.2.1.2)共通感覚、想像力、記憶
    (a) 共通感覚について。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b) 外部感覚だけでなく、それがより広い範囲の身体に影響を与えて生じた共通感覚もまた、記憶され、想像力の対象となる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)「これらの形象[事物の性質をも表す]のうち、観念は...外部感覚の器官や脳の内表面に刻み込まれる形象ではなく、〈想像力と共通感覚の座〉である腺Hの表而に、精気によって描かれる形象だけである。...私が‘想像したり感じたり’といっているのに注意していただきたい。...私は、〈観念〉の名のもとに、精気が腺Hから出るときに受ける刻印すべてを広く含めたいからである。...この刻印は、対象の現前に依存するときはすべて共通感覚に帰せられるが、あとで述べるように多くの他の原因によってもできるのであって、そのときは想像力に帰せられねばならない。」(出典:デカルトの身体的記憶と想像力(谷川多佳子,1990))
《概念図》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
    │ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
    └──────┘ └───┬────┘
                 ↓
               想像力(能動)
         ┌───────┘
         ↓
    ┌観念──┴───┐
    │形象の観念   │
    │肢体感覚の観念 │
    │内臓感覚の観念 │
    │幻覚・夢想の観念│
    └────┬───┘
         ↓
    ┌(受動)┴─┐
    │共通感覚  │
    │ 肢体の感覚│
    │ 内臓感覚 │
    │ 幻覚・夢想│
    └──────┘

   (5.2.1.3)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
    ・ 精神の受動のひとつ、身体ないしその一部に関係づける知覚として、飢え、渇き、その他の自然的欲求、自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    ・〈表在性感覚〉皮膚の触覚、圧覚、痛覚、温覚
    ・〈深部感覚〉筋、腱、骨膜、関節の感覚

   (5.2.1.4)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
    ・〈内臓感覚〉空腹感、満腹感、口渇感、悪心、尿意、便意、内臓痛など

   (5.2.1.5)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想(広い意味では、情念の一種)
    ・ 精神の受動のひとつ、身体によって起こる知覚として、意志によらない想像がある。夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想も、これである。これらは、飢え、渇き、痛みとは異なり、精神に関連づけられており、これらが情念である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

  (5.2.2)精神を原因とする知覚
   ・ 意志についての知覚、意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚は、知覚ということからは精神の受動であるが、精神から見れば能動である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
   (5.2.2.1) 意志についての知覚
   (5.2.2.2) 意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚

  (5.2.3) 身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)
   (5.2.3.1)精神に関係づけられていること
    (a) 精神の受動のひとつ、精神だけに関係づけられる知覚として、喜び、怒り、その他同種の感覚がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)身体と思考の結びつき
      ある身体行動とある思考が結びつくと、両者のいずれかが現われれば必ずもう一方も現われるようになる。この結びつきは、各人によって異なり、各人ごとに異なる情念の原因である。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)精神に関係づけられているとは、受動された感覚を能動的に認知する精神の能力、また、意志による能動作用に関係づけられているのが、情念の本質であるということである。
   (5.2.3.2)精神の受動性
    (a)精神の受動なので、意志によって直接制御できない
      意志の作用によって直接、情念を制御することはできない。持とうと意志する情念に習慣的に結びついているものを表象したり、斥けようと意志する情念と相容れないものを表象することで、間接的に制御することができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (b)精神の受動、すなわち身体の能動である
      情念はほぼすべて、心臓や血液全体など身体のなんらかの興奮の生起をともなっており、その興奮がやむまで情念はわたしたちの思考に現前しつづける。これは感覚対象が感覚を現前させつづけるのと同じである。(ルネ・デカルト(1596-1650))
    (c)思考の持続効果
      情念は、精神のなかに思考を強化し持続させる作用が効用をもたらし、また時に、それは害を及ぼす。(ルネ・デカルト(1596-1650))


《概念図:情動、情念》
    ┌(受動)──┐ ┌記憶──────┐
 外界─→外部感覚  ├→┤形象の観念   │
    │共通感覚  │ │        │
    │ 肢体の感覚│ │肢体感覚の観念 │
    │ 内臓感覚 │ │内臓感覚の観念 │
  ┌─┤ 幻覚・夢想│ │幻覚・夢想の観念│
  │ └───┬──┘ └───┬────┘
  │     │        ↓
  │     │      想像力(能動)
  │     │        ↓
  │     │    ┌観念─┴────┐
  │     │    │形象の観念   │
  │     │    │肢体感覚の観念 │
  │     │    │内臓感覚の観念 │
  │     │    │幻覚・夢想の観念│
  │     │    └───┬────┘
  │     └───────┐│
  │             ↓↓
  │            認識力(能動)
  │             ↓↓
  │ ┌(受動)──┐ ┌観念┴┴(能動)┐
  │ │精神の能動の←─┤認知      │
  │ │知覚    │ │記憶の想起   │
  └─→身体を原因と│ │想像      │
    │する知覚  │ │理解      │
    │      │ │ 理解したという│
    │喜び、悲しみ│ │ 何らかの心的な│
    │などの情念 │ │ 状態     │
    └──────┘ └────────┘

《概念図:全体のまとめ》
┌─────────────身体(外界)─┐
│┌精神─────────┐       │
││┌─────(受動)┐│       │
│││外部感覚     ←─(身体←外界)│
│││共通感覚     ←─(身体)   │
│││ 肢体の感覚   ←─(身体←外界)│
│││ 内臓感覚    ←─(身体)   │
│││ 幻覚、夢想←─(受動)────記憶│
│││想像された観念←想像力(能動)─記憶│
│││情念・情動(受動)←─┐←────┐│
││└────┬────┘││     ││
││     ↓     ││     ││
││┌認知──┴(能動)┐││     ││
│││外部感覚の認知  ├─┘     ││
│││共通感覚の認知  ←─機能と一体化││
│││ 肢体の感覚   ││ した記憶 ││
│││ 内臓感覚    ─→記憶化   ││
│││ 幻覚・夢想   ││(身体の受動)││
│││想像された観念  ││      ││
│││情念・情動(認知)││      ││
││└────┬────┘│      ││
││     ↓     │      ││
││┌意志──┴(能動)┐│      ││
│││想起       ├───────┘│
│││想像、予測、構想 ←─機能と一体化 │
│││理解、理論    ││ した記憶  │
│││計画、行動    ─→記憶化    │
││└─────────┘│(身体の受動) │
│└───────────┘       │
└────────────────────┘




(出典:wikipedia
ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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2020年7月23日木曜日

パーソナリティ特性の本質が、情動傾向であるという仮説は、情動の身体性を通じてパーソナリティの神経生理学的な基礎についての洞察を与え、また情動と認知構造、信念体系との関連から、社会心理学的な予見を導出することができる。

パーソナリティ特性の情動理論

【パーソナリティ特性の本質が、情動傾向であるという仮説は、情動の身体性を通じてパーソナリティの神経生理学的な基礎についての洞察を与え、また情動と認知構造、信念体系との関連から、社会心理学的な予見を導出することができる。】

《概要》
 パーソナリティ検査により測定される特性は、被験者の自己認知と性格の社会的認知という観点からは、相当程度に客観的に同定可能なものではあるが、その神経生理学的、心理学的な基盤については、必ずしも明確であるとは言えない。
 ここでは、パーソナリティ特性の本質が、情動傾向であるという仮説に基づいて、5因子性格検査(FFPQ)の諸特性を再定義することを試みる。情動は、その発動機制において身体・脳機能と関連し、パーソナリティ特性と神経生理学的との関連への示唆を与えてくれる。また同時に情動は、個人の認知構造、信念体系を通じて、集団の持つ文化特性とも相関するため、パーソナリティ特性とこれら心理的、社会的構造との関連への示唆も与えてくれる。ここでの再定義によって予見される神経生理学の関連命題、社会心理学の関連命題、発達心理学の関連命題、症候群への介入関連命題を、仮説として提示する。

《改訂履歴》
2020/7/23 初版

《目次》
(1)5因子性格検査(FFPQ)の超特性と特性
 (1.1)内向性/外向性
 (1.2)分離性/愛着性
 (1.3)自然性/統制性
 (1.4)非情動性/情動性
 (1.5)現実性/遊戯性
(2)パーソナリティ特性と情動、欲求との関連性
 (2.1)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
 (2.2)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の欲求)
 (2.3)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
 (2.4)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
 (2.5)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
 (2.6)外的対象、他者状態、他者行為を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
(3)仮説:パーソナリティ特性の情動傾向による特徴づけ
 (3.1)内向性/外向性
 (3.2)分離性/愛着性
 (3.3)自然性/統制性
 (3.4)非情動性/情動性
 (3.5)現実性/遊戯性
(4)解明されたパーソナリティ特性が予言する諸命題
 (4.1)内向性/外向性
  (4.1.1)神経生理学の関連命題
  (4.1.2)社会心理学の関連命題
  (4.1.3)発達心理学の関連命題
  (4.1.4)症候群への介入関連命題
 (4.2)分離性/愛着性
  (4.2.1)神経生理学の関連命題
  (4.2.2)社会心理学の関連命題
  (4.2.3)発達心理学の関連命題
  (4.2.4)症候群への介入関連命題
 (4.3)自然性/統制性
  (4.3.1)神経生理学の関連命題
  (4.3.2)社会心理学の関連命題
  (4.3.3)発達心理学の関連命題
  (4.3.4)症候群への介入関連命題
 (4.4)非情動性/情動性
  (4.4.1)神経生理学の関連命題
  (4.4.2)社会心理学の関連命題
  (4.4.3)発達心理学の関連命題
  (4.4.4)症候群への介入関連命題
 (4.5)現実性/遊戯性
  (4.5.1)神経生理学の関連命題
  (4.5.2)社会心理学の関連命題
  (4.5.3)発達心理学の関連命題
  (4.5.4)症候群への介入関連命題

(1)5因子性格検査(FFPQ)の超特性と特性
※質問項目は、FFPQ-50
 (1.1)内向性/外向性
  本質:活動
  特徴と傾向:臆病・気おくれ⇔控え目⇔積極的⇔無謀
  (a.1)(内向性/外向性)非活動/活動
   もの静かである (Ex1)
   じっとしているのが嫌いである (Ex1)
  (a.2)(内向性/外向性)服従/支配
   人の上に立つことが多い (Ex2)
   人に指示を与えるような立場に立つことが多い (Ex2)
  (a.3)(内向性/外向性)独居/群居
   大勢でわいわい騒ぐのが好きである (Ex3)
   大勢の人の中にいるのが好きである (Ex3)
  (a.4)(内向性/外向性)興奮忌避/興奮追求
   にぎやかな所が好きである (Ex4)
   スポーツ観戦で我を忘れて応援することがある (Ex4)
  (a.5)(内向性/外向性)注意回避/注意獲得
   地味で目立つことはない (Ex5)
   人から注目されるとうれしい (Ex5)
 (1.2)分離性/愛着性
  本質:関係
  特徴と傾向:敵意・自閉⇔自主独立的⇔親和的⇔集団埋没
  (b.1)(分離性/愛着性)冷淡/温厚
   人には暖かく友好的に接している (A1)
   あまり親切な人間ではない (A1)
  (b.2)(分離性/愛着性)競争/協調
   人情深いほうだと思う (A2)
   気配りをするほうである (A2)
  (b.3)(分離性/愛着性)懐疑/信頼
   どうしても好きになれない人がたくさんいる (A3)
   出会った人はたいがい好きになる (A3)
  (b.4)(分離性/愛着性)非共感/共感
   人の気持ちを積極的に理解しようとは思わない (A4)
   人のよろこびを自分のことのように喜べる (A4)
  (b.5)(分離性/愛着性)自己尊重/他者尊重
   誰に対しても優しく親切にふるまうようにしている (A5)
   人を馬鹿にしているといわれることがある(A5)
 (1.3)自然性/統制性
  本質:意志
  特徴と傾向:無為怠惰⇔あるがまま⇔目的合理的⇔仕事中毒
  (c.1)(自然性/統制性)大まか/几帳面
   あまりきっちりした人間ではない (C1)
   几帳面である (C1)
  (c.2)(自然性/統制性)無執着/執着
   まじめな努力家である (C2)
   根気が続かないほうである (C2)
  (c.3)(自然性/統制性)無責任/責任
   仕事を投げやりにしてしまうことがある (C3)
   責任感が乏しいといわれることがある (C3)
  (c.4)(自然性/統制性)衝動/自己統制
   しんどいことはやりたくない (C4)
   欲望のままに行動してしまうようなことは,ほとんどない (C4)
  (c.5)(自然性/統制性)無計画/計画
   よく考えてから行動する (C5)
   仕事は計画的にするようにしている (C5)
 (1.4)非情動性/情動性
  本質:情動
  特徴と傾向:感情鈍麻⇔情緒安定⇔敏感な⇔神経症
  (d.1)(非情動性/情動性)のんき/心配性
   ものごとがうまく行かないのではないかと,よく心配する (Em1)
   小さなことにはくよくよしない (Em1)
  (d.2)(非情動性/情動性)弛緩/緊張
   よく緊張する(Em2)
   緊張してふるえるようなことはない (Em2)
  (d.3)(非情動性/情動性)非抑うつ/抑うつ
   憂鬱になりやすい (Em3)
   見捨てられた感じがする (Em3)
  (d.4)(非情動性/情動性)自己受容/自己批判
   自分がみじめな人間に思える (Em4)
   自分には全然価値がないように思えることがある (Em4)
  (d.5)(非情動性/情動性)気分安定/気分変動
   陽気になったり陰気になったり,気分が変りやすい (Em5)
   明るいときと暗いときの気分の差が大きい (Em5)
 (1.5)現実性/遊戯性
  本質:遊び
  特徴と傾向:権威主義⇔堅実な⇔遊び心がある⇔逸脱・空想
  (e.1)(現実性/遊戯性)保守/進取
   考えることは面白い (P1)
   好奇心が強い (P1)
  (e.2)(現実性/遊戯性)実際/空想
   イメージがあふれ出てくる (P2)
   空想の世界をさまようことはほとんどない (P2)
  (e.3)(現実性/遊戯性)芸術への無関心/関心
   芸術作品に接すると鳥肌がたち興奮をおぼえることがある (P3)
   美や芸術にはあまり関心がない (P3)
  (e.4)(現実性/遊戯性)内的経験への鈍感/敏感
   自分の感じたことを大切にする (P4)
   感情豊かな人間である (P4)
  (e.5)(現実性/遊戯性)堅実/奔放
   変わった人だとよくいわれる (P5)
   別世界に行ってみたい (P5)
(出典:パーソナリティの特性論と 5 因子モデル: 特性の概念, 構造, および測定(辻平治郎,藤島寛,辻斉,夏野良司,向山泰代,1997))
(出典:5 因子性格検査短縮版 (FFPQー50) の作成(藤島寛,山田尚子,辻平治郎,2005))

(2)パーソナリティ特性と情動、欲求との関連性
 整理のための次元は、情動と欲求の基礎概念に従う。心的現象の事実を総合的に考えると、パーソナリティの発動は、他の心的現象と同じく情動と欲求を介した思考、行動への影響と仮定することは、妥当性の高い仮説だからである。
 また、配列の順は、アブラハム・マズローの欲求階層の基礎的な段階から高次な段階への順とする。なぜなら、この順が、情動の進化的な発現順についての一つの仮説となり得るし、また個人の発達段階としての仮説ともなり得るからである。ただし、マズローの欲求階層理論は、情動と欲求の基礎概念による新解釈に従った。
 基礎的な欲求の対象(情動の対象)から順に列挙する。
 (a)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
 (b)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の欲求)
 (c)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
 (d)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
 (e)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
 (f)外的対象、他者状態、他者行為を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
  参照:(a)成長欲求(a1)自己実現欲求(真,善,美,躍動,必然,秩序,個性,完成,単純,完全,正義,豊富,自己充実,無礙,楽しみ,意味)(b)基本的欲求(b1)自尊心,他者による尊厳の欲求(b2)愛と集団帰属の欲求(b3)安全と安定の欲求(b4)生理的欲求(アブラハム・マズロー(1908-1970))

※情動と欲望は、代表的なものの例示である。
※情動誘発刺激は、感覚、想起、想像対象だけでなく、認知対象、信念も含む。

(2.1)自己の身体が感知する快・不快(生理的欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 肢体状況    快
 内部感覚    嫌悪
 自然的     快   自然的欲求  (自然性/統制性)
                    衝動/自己統制
   欲求    嫌悪         しんどいことは
                    やりたくない
         飢え、渇き      欲望のままに行動して
                    しまうようなことは,
                    ほとんどない
                    (非情動性/情動性)
                    気分安定/気分変動
                    陽気になったり陰気に
                    なったり,気分が変り
                    やすい
                    明るいときと暗いとき
                    の気分の差が大きい

(2.2)対象の新奇性(驚き、恐怖)と自己状態の快・不快(喜び、悲しみ)(安全と安定の欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 全対象     驚き  好奇心    (現実性/遊戯性)
                     保守/進取
         恐怖         考えることは面白い
                    好奇心が強い
 自己状態
 (感覚)    快   安全・安心欲求(非情動性/情動性)
                     弛緩/緊張
         不快         よく緊張する
                    緊張してふるえるよう
                    なことはない
                    (現実性/遊戯性)
                    内的経験への鈍感/敏感
                    自分の感じたことを
                    大切にする
                    感情豊かな人間である
 (認知)    喜び         (非情動性/情動性)
                     非抑うつ/抑うつ
         悲しみ        憂鬱になりやすい
                    見捨てられた感じが
                    する
 (予測)    安心         (非情動性/情動性)
                     のんき/心配性
         希望         ものごとがうまく行か
                    ないのではないかと,
                    よく心配する
         不安         小さなことには
                    くよくよしない
         絶望


(2.3)自己向け他者行為の快・不快(感謝、怒り)(愛と集団帰属の欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 他者行為    好意  親和欲求   (分離性/愛着性)
                     冷淡/温厚

         憤慨         人には暖かく友好的に
                    接している
                    あまり親切な人間では
                    ない
                    (分離性/愛着性)
                     懐疑/信頼
                    どうしても好きになれ
                    ない人がたくさんいる
                    出会った人はたいがい
                    好きになる
                    (内向性/外向性)
                     独居/群居
                    大勢でわいわい騒ぐの
                    がが好きである
                    大勢の人の中にいるの
                    が好きである
 (自己向け)  感謝
         怒り


(2.4)自己行為の他者評価の快・不快(誇り、恥)(承認の欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 自己行為
 (他者評価)  誇り  承認欲求   (内向性/外向性)
                     服従/支配
         恥   服従欲求   人の上に立つことが多い
                    人に指示を与えるよう
                    な立場に立つことが多い
                    (内向性/外向性)
                    注意回避/注意獲得
                    地味で目立つことはない
                    人から注目されると
                    うれしい
                    (自然性/統制性)
                    無責任/責任
                    仕事を投げやりにして
                    しまうことがある
                    責任感が乏しいといわ
                    れることがある

(2.5)自己行為の自己評価の快・不快(内的自己満足、後悔)(自己尊重の欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 自己行為
 (自己評価)  自尊心 達成欲求   (非情動性/情動性)
                    自己受容/自己批判
         後悔         自分がみじめな人間に
                    思える
                    自分には全然価値が
                    ないように思えるこ
                    とがある

(2.6)外的対象、他者状態、他者行為を含むすべての対象の快・不快(自己実現欲求)
《情動誘発刺激》《情動》《欲求・欲望》《パーソナリティ特性次元》
 外的対象    快   感覚欲求   (内向性/外向性)
                    興奮忌避/興奮追求
         嫌悪         にぎやかな所が好きで
                    ある
                    スポーツ観戦で我を忘
                    れて応援することがある
                    (現実性/遊戯性)
                    芸術への無関心/関心
                    芸術作品に接すると
                    鳥肌がたち興奮を
                    おぼえることがある
                    美や芸術にはあまり
                    関心がない
 他者状態    喜び         (分離性/愛着性)
                    非共感/共感

         憐れみ        人の気持ちを積極的に
                    理解しようとは思わない
                    人のよろこびを自分の
                    ことのように喜べる
                    (分離性/愛着性)
                    競争/協調
                    人情深いほうだと思う
                    気配りをするほうである
                    (分離性/愛着性)
                    自己尊重/他者尊重
                    誰に対しても優しく
                    親切にふるまうように
                    している
                    人を馬鹿にしていると
                    いわれることがある
 想起対象    快
         嫌悪
 想像対象    快   想像遊び   (現実性/遊戯性)
                    実際/空想
         嫌悪         イメージがあふれ出て
                    くる
                    空想の世界をさまよう
                    ことはほとんどない
                    (現実性/遊戯性)
                    堅実/奔放
                    変わった人だとよく
                    いわれる
                    別世界に行ってみたい
 幻覚・     快
   夢想    嫌悪
 認知対象    快   有能性への
                欲望
             認知欲求
         嫌悪
 理解対象    快   知的遊び   (自然性/統制性)
                    大まか/几帳面
         嫌悪  有能性への  あまりきっちりした
                    人間ではない
                欲望  几帳面である
                    (自然性/統制性)
                    無執着/執着
                    まじめな努力家である
                    根気が続かないほう
                    である
                    (自然性/統制性)
                    無計画/計画
                    よく考えてから行動する
                    仕事は計画的にする
                    ようにしている
 運動・行動   快   活動欲求   (内向性/外向性)
                    非活動/活動
         嫌悪         もの静かである
                    じっとしているの
                    が嫌いである

(3)仮説:パーソナリティ特性の情動傾向による特徴づけ
 分析結果を、パーソナリティ特性の本質として再整理する。
(3.1)内向性/外向性
本質:活動
特徴と傾向:臆病・気おくれ⇔控え目⇔積極的⇔無謀
本質の再定義
(a)内向性
(a.1)服従、注意回避
 自己行為の他者評価に伴う恥の情動が優勢であり、服従欲求が強い。
(a.2)独居
 他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動が優勢である。
(a.3)非活動
 運動や行動に伴う嫌悪の情動が優勢である。
(a.4)興奮忌避
 外的対象の感覚に伴う嫌悪の情動が優勢である。
(b)外向性
(b.1)支配、注意獲得
 自己行為の他者評価に伴う誇りの情動が優勢であり、承認欲求が強い。
(b.2)群居
 他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動が優勢であり、親和欲求が強い。
(b.3)活動
 運動や行動に伴う快の情動が優勢であり、活動欲求が強い。
(b.4)興奮追求
 外的対象の感覚に伴う快の情動が優勢であり、感覚欲求が強い。

(3.2)分離性/愛着性
本質:関係
特徴と傾向:敵意・自閉⇔自主独立的⇔親和的⇔集団埋没
本質の再定義
(a)分離性
(a.1)冷淡、懐疑
 他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動が優勢である。
(a.2)競争、非共感、自己尊重
 他者状態の認知に伴う喜び、憐れみの情動が弱い。
(b)愛着性
(b.1)温厚、信頼
 他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動が優勢であり、親和欲求が強い。
(b.2)協調、共感、他者尊重
 他者状態の認知に伴う喜び、憐れみの情動が強い。

(3.3)自然性/統制性
本質:意志
特徴と傾向:無為怠惰⇔あるがまま⇔目的合理的⇔仕事中毒
本質の再定義
(a)自然性
(a.1)大まか、無執着、無計画
  認知や理解に伴う嫌悪の情動が優勢である。
(a.2)無責任
  自己行為の他者評価に伴う恥の情動が優勢であり、服従欲求が強い。
(a.3)衝動
  肢体状態、内部感覚、自然的欲求を強く感知しすぎ、意志で統制できない。
(b)統制性
(b.1)几帳面、執着、計画
 認知や理解に伴う快の情動が優勢であり、知的遊びへの欲求が強い。
(b.2)責任
 自己行為の他者評価に伴う誇りの情動が優勢であり、承認欲求が強い。
(b.3)自己統制
 肢体状態、内部感覚、自然的欲求が弱い。あるいは意志による統制が強い。

(3.4)非情動性/情動性
本質:情動
特徴と傾向:感情鈍麻⇔情緒安定⇔敏感な⇔神経症
本質の再定義
(a)非情動性
(a.1)気分安定
 肢体状態、内部感覚、自然的欲求が弱い。あるいは意志による統制が強い。
(a.2)弛緩
 自己状態に伴う快、不快を適切に感知し、楽しむことができる。
(a.3)非抑うつ
 自己状態の認知に伴う喜び、悲しみを適切に感知し、活用することができる。
(a.4)のんき
 自己状態の予測に伴う希望や不安を適切に感知し、活用することができる。
(a.5)自己受容
 自己行為の自己評価に伴う自尊心の情動が優勢であり、達成欲求が強い。
(b)情動性
(b.1)気分変動
 肢体状態、内部感覚、自然的欲求を強く感知しすぎ、意志で統制できない。
(b.2)緊張
 自己状態に伴う快、不快を過剰に感知してしまう。
(b.3)抑うつ
 自己状態の認知に伴う喜び、悲しみを過剰に感知してしまう。
(b.4)心配症
 自己状態の予測に伴う希望や不安を過剰に感知してしまう。
(b.5)自己批判
 自己行為の自己評価に伴う後悔の情動が優勢である。

(3.5)現実性/遊戯性
本質:遊び
特徴と傾向:権威主義⇔堅実な⇔遊び心がある⇔逸脱・空想
本質の再定義
(a)現実性
(a.1)保守
 驚きの情動、好奇心が弱い。
(a.2)内的経験への鈍感
 自己状態に伴う快、不快に対して鈍感である。
(a.3)芸術への無関心
 外的対象に伴う嫌悪の情動が優勢である。
(a.4)実際、堅実
 想像に伴う嫌悪の情動が優勢である。
(b)遊戯性
(b.1)進取
 驚きの情動が豊かで、好奇心が旺盛である。 (b.2)内的経験への敏感
 自己状態に伴う快、不快を適切に感知し、楽しむことができる。
(b.3)芸術への関心
 外的対象に伴う快の情動が優勢であり、感覚欲求が強い。
(b.4)空想、奔放
 想像に伴う快の情動が優勢であり、想像遊びの欲求が強い。

(4)解明されたパーソナリティ特性が予言する諸命題
パーソナリティ特性の正確な再定義から予言される諸命題は、以下の通りである。
 (4.1)内向性/外向性
  本質:活動
  特徴と傾向:臆病・気おくれ⇔控え目⇔積極的⇔無謀
  (4.1.1)神経生理学の関連命題
   (a)運動や行動に伴う嫌悪の情動が優勢となる神経生理学的基盤は、内向性を強める。
   (b)運動や行動に伴う快の情動が優勢となる神経生理学的基盤は、外向性を強める。
   (c)外的対象の感覚に伴う嫌悪の情動が優勢となる神経生理学的基盤は、内向性を強める。
   (d)外的対象の感覚に伴う快の情動が優勢となる神経生理学的基盤は、外向性を強める。
  (4.1.2)社会心理学の関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起しやすい文化を持つ社会の成員は、内向性が強い。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起しやすい文化を持つ社会の成員は、外向性が強い。
   (c)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい文化を持つ社会の成員は、内向性が強い。
   (d)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすい文化を持つ社会の成員は、外向性が強い。
  (4.1.3)発達心理学の関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起しやすい成育歴を持つ個人は、内向性が強い。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起しやすい成育歴を持つ個人は、外向性が強い。
   (c)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい成育歴を持つ個人は、内向性が強い。
   (d)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすい成育歴を持つ個人は、外向性が強い。
  (4.1.4)症候群への介入関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起しやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の内向性を緩和できる。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起しやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の外向性を緩和できる。
   (c)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の内向性を緩和できる。
   (d)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の外向性を緩和できる。

 (4.2)分離性/愛着性
  本質:関係
  特徴と傾向:敵意・自閉⇔自主独立的⇔親和的⇔集団埋没
  (4.2.1)神経生理学の関連命題
   (a)他者状態の認知に伴う喜び、憐れみの情動が弱い神経生理学的基盤は、分離性を強める。
   (b)他者状態の認知に伴う喜び、憐れみの情動が強い神経生理学的基盤は、愛着性を強める。
  (4.2.2)社会心理学の関連命題
   (a)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい文化を持つ社会の成員は、分離性が強い。
   (b)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすく親和欲求を強める文化を持つ社会の成員は、愛着性が強い。
  (4.2.3)発達心理学の関連命題
   (a)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい成育歴を持つ個人は、分離性が強い。
   (b)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすく親和欲求を強める成育歴を持つ個人は、愛着性が強い。
  (4.2.4)症候群への介入関連命題
   (a)他者行為の認知に伴う憤慨、怒りの情動を喚起しやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の分離性を緩和できる。
   (b)他者行為の認知に伴う好意、感謝の情動を喚起しやすく親和欲求を強める認知構造、信念体系を是正することで、過度の愛着性を是正できる。

 (4.3)自然性/統制性
  本質:意志
  特徴と傾向:無為怠惰⇔あるがまま⇔目的合理的⇔仕事中毒
  (4.3.1)神経生理学の関連命題
   (a)肢体状態、内部感覚、自然的欲求を強く感知しすぎる神経生理学的基盤は、自然性を強める。
   (b)肢体状態、内部感覚、自然的欲求の感知が弱い神経生理学的基盤は、統制性を強める。
   (c)認知や理解に伴う嫌悪の情動が優勢である神経生理学的基盤は、自然性を強める。
   (d)認知や理解に伴う快の情動が優勢であり、知的遊びへの欲求が強い神経生理学的基盤は、統制性を強める。
  (4.3.2)社会心理学の関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起し、服従欲求を強めやすい文化を持つ社会の成員は、自然性が強い。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起し、承認欲求を強めやすい文化を持つ社会の成員は、統制性が強い。
  (4.3.3)発達心理学の関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起し、服従欲求を強めやすい成育歴を持つ個人は、自然性が強い。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起し、承認欲求を強めやすい成育歴を持つ個人は、統制性が強い。
  (4.3.4)症候群への介入関連命題
   (a)自己行為の他者評価に伴う恥の情動を喚起し、服従欲求を強めやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の自然性を緩和できる。
   (b)自己行為の他者評価に伴う誇りの情動を喚起し、承認欲求を強めやすい認知構造、信念体系を是正することで、過度の統制性を緩和できる。

 (4.4)非情動性/情動性
  本質:情動
  特徴と傾向:感情鈍麻⇔情緒安定⇔敏感な⇔神経症
  (4.4.1)神経生理学の関連命題
   (b)肢体状態、内部感覚、自然的欲求の感知が弱い神経生理学的基盤は、非情動性を強める。
   (a)肢体状態、内部感覚、自然的欲求を強く感知しすぎる神経生理学的基盤は、情動性を強める。
   (c)自己状態に伴う快、不快を適切に感知できる神経生理学的基盤は、非情動性を強める。
   (d)自己状態に伴う快、不快を強く感知しすぎる神経生理学的基盤は、情動性を強める。
  (4.4.2)社会心理学の関連命題
   (a)自己状態の認知に伴う喜び、悲しみの情動を適切に喚起する文化を持つ社会の成員は、非情動性が強い。
   (b)自己状態の認知に伴う喜び、悲しみの情動を過剰に喚起する文化を持つ社会の成員は、情動性が強い。
   (c)自己状態の予測に伴う希望や不安を適切に喚起する文化を持つ社会の成員は、非情動性が強い。
   (d)自己状態の予測に伴う希望や不安を過剰に喚起する文化を持つ社会の成員は、情動性が強い。
   (e)自己行為の自己評価に伴う自尊心の情動の喚起が優勢な文化を持つ社会の成員は、非情動性が強い。
   (f)自己行為の自己評価に伴う後悔の情動の喚起が優勢な文化を持つ社会の成員は、情動性が強い。
  (4.4.3)発達心理学の関連命題
   (a)自己状態の認知に伴う喜び、悲しみの情動を適切に喚起する成育歴を持つ個人は、非情動性が強い。
   (b)自己状態の認知に伴う喜び、悲しみの情動を過剰に喚起する成育歴を持つ個人は、情動性が強い。
   (c)自己状態の予測に伴う希望や不安を適切に喚起する成育歴を持つ個人は、非情動性が強い。
   (d)自己状態の予測に伴う希望や不安を過剰に喚起する成育歴を持つ個人は、情動性が強い。
   (e)自己行為の自己評価に伴う自尊心の情動の喚起が優勢な成育歴を持つ個人は、非情動性が強い。
   (f)自己行為の自己評価に伴う後悔の情動の喚起が優勢な成育歴を持つ個人は、情動性が強い。
  (4.4.4)症候群への介入関連命題
   (a)自己状態の認知に伴う喜び、悲しみの情動を過剰に喚起する認知構造、信念体系を是正することで、過度の情動性を緩和できる。
   (b)自己状態の予測に伴う希望や不安を過剰に喚起する認知構造、信念体系を是正することで、過度の情動性を緩和できる。
   (c)自己行為の自己評価に伴う後悔の情動の喚起が優勢にする認知構造、信念体系を是正することで、、過度の情動性を緩和できる。

 (4.5)現実性/遊戯性
  本質:遊び
  特徴と傾向:権威主義⇔堅実な⇔遊び心がある⇔逸脱・空想
  (4.5.1)神経生理学の関連命題
   (a)驚きの情動、好奇心が弱い神経生理学的基盤は、現実性強める。
   (b)驚きの情動、好奇心が強い神経生理学的基盤は、遊戯性強める。
   (c)自己状態に伴う快、不快に対して鈍感である神経生理学的基盤は、現実性強める。
   (d)自己状態に伴う快、不快に対して敏感である神経生理学的基盤は、遊戯性強める。
   (e)外的対象に伴う嫌悪の情動が優勢である神経生理学的基盤は、現実性強める。
   (f)外的対象に伴う快の情動が優勢である神経生理学的基盤は、遊戯性強める。
   (g)想像に伴う嫌悪の情動が優勢である神経生理学的基盤は、現実性強める。
   (h)想像に伴う快の情動が優勢である神経生理学的基盤は、遊戯性強める。
  (4.5.2)社会心理学の関連命題
   なし。
  (4.5.3)発達心理学の関連命題
   なし。
  (4.5.4)症候群への介入関連命題
   なし。
(索引:パーソナリティ,5因子性格検査(FFPQ),情動)

パーソナリティは、目的に貢献するような互いに強化し合う諸部分から構成され、変化に対する抵抗性と復元性を持つ。ときに、変化による矛盾回避のため影響が全体に及ぶ場合もあるが、逆に元の傾向を極端化させる場合もある。(アブラハム・マズロー(1908-1970))

パーソナリティ症候群の諸特徴

【パーソナリティは、目的に貢献するような互いに強化し合う諸部分から構成され、変化に対する抵抗性と復元性を持つ。ときに、変化による矛盾回避のため影響が全体に及ぶ場合もあるが、逆に元の傾向を極端化させる場合もある。(アブラハム・マズロー(1908-1970))】
パーソナリティ症候群の諸特徴
(1)互換性
 一つの症候群に属する諸部分(各症状)は同じ目的を有するゆえに,部分間の代替可能性があること。
(2)循環的決定
 ホーナイの悪循環概念にみられるように,一つの部分は他のすべての部分に影響を与えると同時に,他のすべての部分からも影響を受けるという循環的な動きが総体的に進行すること。
(3)変化への抵抗性
 例えば,健康であろうとなかろうと,大きな外界の変化があっても,従来の生活スタイルに固執することがよく見られること。
(4)変化に対する復元傾向
 ショックを受けたとしても,それが慢性的でない限り,その影響は通例一時的なもので終わり,元の状態に復元しようとする自発的な調整が見られること。
(5)変化が全体的に及ぶ傾向
 症候群の一部分が変化すると,付随して他の部分も同じ方向で変化するので,症候群の変化はホーリスティックに起きることが多いこと。
(6)内的無矛盾性への傾向
 症候群の中で他の部分と矛盾する部分がある場合には,しばしばその部分を他の諸部分と同じ方向に引き込む作用が働くこと。
(7)極端化傾向
 自己保存の傾向とは逆の変化が増大する場合のことで,(6)の傾向のもと,不安定な人は極端に不安定となり,安定的な人は極端に安定的となる場合がよく見られること。
(8)外的状況による変化
 症候群は外的状況からは孤立していないところから,それに対して反応し変化する場合が多いこと。
(9)症候群の変数の重要性
 最も重要で明白な研究上の変数は症候群のレベルにあること。例えば,自尊心の強い場合と弱い場合に分けたり,精神的に安定している場合と不安定の場合に分けたりして,症候群の質を考察すること。
(10)症候群の表出は文化によって決定されること
 人が生活上の主要な目標を達成する方法は,多くの場合,その人が所属する文化の型に依存し,例えば,自尊心や愛情の表現は所属する文化によって承認された方法を通じて行われるということ。ここには,文化人類学の影響がみられる。

《概念図》
(1)互換性
 部分1→目的
  │
  │
 部分2→目的
(2)循環的決定
    強化
 部分1─→部分2┐
  ↑      │
  └──────┘
    強化
(3)変化への抵抗性、(4)復元性、(8)外的状況による変化
   外的状況
    │
    ↓変化
 部分1→部分1’→目的達成不可
  ↑  ││
  └──┘└→部分1”→目的達成
   復元   変化
(5)変化が全体的に及ぶ傾向
 部分1─→部分2─→部分3─→部分4
    影響   影響   影響
(6)内的無矛盾性への傾向
   外的状況
    │
    ↓変化 矛盾
 部分1→部分1’⇔部分2
      │
      ↓矛盾回避
     部分1”─→部分2
      ↑ 整合 │
      └────┘
(7)極端化傾向
   外的状況
    │
    ↓変化 矛盾
 部分1→部分1’⇔部分2
  ↑   │矛盾回避
  └───┘
  極端化
(9)症候群の変数の重要性
 最も重要で明白な研究上の変数は症候群のレベルにあること。例えば,自尊心の強い場合と弱い場合に分けたり,精神的に安定している場合と不安定の場合に分けたりして,症候群の質を考察すること。
(10)症候群の表出は文化によって決定されること
《概念図》
┌───────────────┐
│┌────────────┐ │
││┌─────────┐ │ │
│││意識的な動機   ← │ │
│││ 究極目標(目的)→ │ │
│││  ↓      │ │ │
│││ 部分目標(手段)│ │ │
│││  └───┐  ←── │
│││環境(状況)│  ──→ │
│││ 過去・現在│  │ │ │
│││ 予測・規範│  │ │ │
│││  │┌──┘  │ │ │
│││  ││ 分離的←─── │
│││  ││ 特殊的 │ │ │
│││  ││ 反応  │ │ │
│││  ↓↓ ↓   │ │ │
│││ 反応・行動   │ │ │
││└─────────┘ │ │
││文化(特殊的、局所的) │ │
│└────────────┘ │
│生体の状態(身体)      │
│ 多数の欲求、複数の動機   │
│ 欲求の優先度の階層     │
│ 無意識的な動機(根本的)  │
│ 局所的に見られた「動因」  │
└───────────────┘

(出典:wikipedia
アブラハム・マズロー(1908-1970)の命題集(Propositions of great philosophers)
「第4節では,前節を受けて,パーソナリティの部分としての症候群は如何なる特質を有するのかが示される。すなわち,「パーソナリティ症候群の諸特徴(Characteristics of Personality Syndromes)〔1954年著書では副題:「症候群の力動性(Syndrome Dynamics)」が付加〕」として,次の10点が列挙されている)。
(1)「互換性(interchangeability)」;一つの症候群に属する諸部分(各症状)は同じ目的を有するゆえに,部分間の代替可能性があること。
(2)「循環的決定(circular determination)」;ホーナイの悪循環概念にみられるように,一つの部分は他のすべての部分に影響を与えると同時に,他のすべての部分からも影響を受けるという循環的な動きが総体的に進行すること。
(3)「十分に組織化された症候群は変化に抵抗し自己を保存する傾向のあること(tendency of the well organized syndrome to resist change or to maintain itself)」;例えば,健康であろうとなかろうと,大きな外界の変化があっても,従来の生活スタイルに固執することがよく見られること。
(4)「十分に組織化された症候群は変化を経た後,再確立させる傾向のあること(tendency of the well organized syndrome to reestablish itself after change)」;ショックを受けたとしても,それが慢性的でない限り,その影響は通例一時的なもので終わり,元の状態に復元しようとする自発的な調整が見られること。
(5)「症候群は全体的に変化する傾向のあること(tendency of the syndrome to change as a whole)」;症候群の一部分が変化すると,付随して他の部分も同じ方向で変化するので,症候群の変化はホーリスティックに起きることが多いこと。
(6)「内的無矛盾性への傾向(the tendency to internal consistency)」;症候群の中で他の部分と矛 盾する部分がある場合には,しばしばその部分を他の諸部分と同じ方向に引き込む作用が働くこと。
(7)「症候群レベルが極端化する傾向(the tendency to extremeness of the syndrome level)」;自己保存の傾向とは逆の変化が増大する場合のことで,(6)の傾向のもと,不安定な人は極端に不安定となり,安定的な人は極端に安定的となる場合がよく見られること。
(8)「症候群が外的圧力によって変化する傾向(tendency of the syndrome to change under external pressures)」;症候群は外的状況からは孤立していないところから,それに対して反応し変化する場合が多いこと。
(9)「症候群の変数(syndrome variables)」;最も重要で明白な研究上の変数は症候群のレベルにあること。例えば,自尊心の強い場合と弱い場合に分けたり,精神的に安定している場合と不安定の場合に分けたりして,症候群の質を考察すること。
(10)「症候群の表出は文化によって決定されること(cultural determination of syndrome expres-sion)」;人が生活上の主要な目標を達成する方法は,多くの場合,その人が所属する文化の型に依存し,例えば,自尊心や愛情の表現は所属する文化によって承認された方法を通じて行われるということ。ここには,文化人類学の影響がみられる。
(出典:パーソナリティ研究におけるマズローの基本視座(三島斉紀,河野昭三,2010))
(索引:パーソナリティ症候群の諸特徴.三島斉紀,河野昭三,1908-1970_アブラハム・マズロー)

動機は、人間の統合的全体性の観点から解明される。すなわち、階層づけられた多数の無意識的な欲求に基盤を持ち、文化的な環境と相互作用する意識的な目標と、力動的に解釈された環境との相互作用から人間の行動が理解できるだろう。(アブラハム・マズロー(1908-1970))

動機の理論

【動機は、人間の統合的全体性の観点から解明される。すなわち、階層づけられた多数の無意識的な欲求に基盤を持ち、文化的な環境と相互作用する意識的な目標と、力動的に解釈された環境との相互作用から人間の行動が理解できるだろう。(アブラハム・マズロー(1908-1970))】

(1)生体の統合的全体性が再び強調されなくてはならない。
(2)局所的,身体的,部分的な動因を動機理論のパラダイムとしてはならない。
(3)動機研究で強調すべきことは,部分目標よりは究極目標,また手段よりは目的にある。意識的な動機だけでなく無意識的な動機が,動機理論の出発点となるべきである。
(4)通例,一つの目標に到達するのに文化的に異なった経路がある。それゆえ,動機理論の構築にあたり,根本的で無意識的な目標の方が,意識的で特殊的・局所的な願望よりも有益である。
(5)動機づけられた行動は,事前的であれ完了的であれ,多数の欲求が表明または充足され得る一つの経路であると理解されなくてはならない。通常の行為は,複数の動機から生じている。
(6)生体の状態の殆どすべては,動機づけられていると理解されるべきである。
(7)人間は常に何かを欲している動物である。一つの欲求が現出するかどうかは,直前の状況すなわち他の優勢な諸欲求がどのような状況にあるかに依存する。欲求や願望は優勢度のヒエラルキーの下で配列されている。
(8)個別の動因をいくら列挙しても無意味である。動機の分類を行うのであれば,分類のレベルや特殊性についての問題を取り扱う必要がある。
(9)動機の分類は,駆動因よりも目標に基づいてなされなくてはならない。
(10)動機理論は,動物を中心にするのではなく,人間を中心として形成されるべきである。
(11)生体が反応する状況や場が考慮されなくてはならないが,その際,状況や場について力動的な解釈が伴われなくてはならない。
(12)生体の統合的な在り方だけでなく,分離的,特殊的,部分的な反応行動も考慮されなくてはならない。

《概念図》(1)(10)
┌───────────────┐
│┌────────────┐ │
││┌─────────┐ │ │
│││意識的な動機   ← │ │
│││ 究極目標(目的)→ │ │(3)(9)
│││  ↓      │ │ │
│││ 部分目標(手段)│ │ │
│││  └───┐  ←── │
│││環境(状況)│  ──→ │(11)
│││ 過去・現在│  │ │ │
│││ 予測・規範│  │ │ │
│││  │┌──┘  │ │ │
│││  ││ 分離的←─── │(12)
│││  ││ 特殊的 │ │ │
│││  ││ 反応  │ │ │
│││  ↓↓ ↓   │ │ │
│││ 反応・行動   │ │ │
││└─────────┘ │ │
││文化(特殊的、局所的) │ │(4)
│└────────────┘ │
│生体の状態(身体)      │(6)
│ 多数の欲求、複数の動機   │(5)
│ 欲求の優先度の階層     │(7)(8)
│ 無意識的な動機(根本的)  │(3)
│ 局所的に見られた「動因」  │(2)
└───────────────┘

(出典:wikipedia
アブラハム・マズロー(1908-1970)の命題集(Propositions of great philosophers)
「他方,1943年の第1番目の発表論文「動機理論序説」では,基本欲求の階層性と自己実現欲求について萌芽的な記述がみられる。この論文は,従来の心理学の研究方法論について疑問を提起し,今後自らが目指すべき心理学(健全な心理学sound motivation theory と称した)の要件として,次の12命題(1954年以降では16命題に増加)を指摘している)。
(1)生体の統合的全体性(the integrated wholeness of the organism)が再び強調されなくてはならない。
(2)局所的,身体的,部分的な動因(drive)を動機理論のパラダイムとしてはならない。
(3)動機研究で強調すべきことは,部分目標よりは究極目標(ultimate goals),また手段よりは目的(ends)にある。意識的な動機だけでなく無意識的な動機(unconscious motivations)が,動機理論の出発点となるべきである。
(4)通例,一つの目標に到達するのに文化的に異なった経路(different cultural paths)がある。それゆえ,動機理論の構築にあたり,根本的で無意識的な目標(fundamental, unconscious goals)の方が,意識的で特殊的・局所的な願望よりも有益である。
(5)動機づけられた行動は,事前的であれ完了的であれ,多数の欲求(many needs)が表明または充足され得る一つの経路(a channel)であると理解されなくてはならない。通常の行為は,複数の動機(more than one motivation)から生じている。
(6)生体の状態の殆どすべては,動機づけられていると理解されるべきである。
(7)人間は常に何かを欲している動物(a perpetually wanting animal)である。一つの欲求が現出するかどうかは,直前の状況すなわち他の優勢な諸欲求がどのような状況にあるかに依存する。欲求や願望は優勢度のヒエラルキー(hierarchies of prepotency)の下で配列されている。
(8)個別の動因をいくら列挙しても無意味である。動機の分類を行うのであれば,分類のレベルや特殊性についての問題を取り扱う必要がある。
(9)動機の分類は,駆動因よりも目標に基づいてなされなくてはならない。
(10)動機理論は,動物を中心にするのではなく,人間を中心として形成されるべきである。
(11)生体が反応する状況や場が考慮されなくてはならないが,その際,状況や場について力動的な解釈が伴われなくてはならない。
(12)生体の統合的な在り方だけでなく,分離的,特殊的,部分的な反応行動も考慮されなくてはならない。」
(出典:パーソナリティ研究におけるマズローの基本視座(三島斉紀,河野昭三,2010))
(索引:動機の理論.三島斉紀,河野昭三,1908-1970_アブラハム・マズロー)

2020年7月11日土曜日

識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

潜在的な結合

【識閾下での認知処理、前意識、意識、自発的行動の全ては、機能と一体化した潜在的な神経結合により遂行され、同時に、潜在的な結合へと再組織化、記憶化される。記憶の一部は、近似的な発火パターンが再構築され、想起される。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

潜在的な結合
 (1)誕生前に形成されるシナプス結合
  生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。
 (2)記憶として存在するシナプス結合と学習された無意識の直感
  数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。
  (a)視覚処理のための記憶
   低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。
  (b)聴覚の記憶
   聴覚では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。
  (c)運動の記憶
   ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。
  (d)エピソード記憶
   海馬には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 (3)記憶の意識化は、かつて存在した活性化パターンの近似的な再構築
  (a)記憶の知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからである。
  (b)想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。

《概念図》

  環境
┌──│───────────────┐
│  │    潜在的な結合(無意識)│
│┌─│───┐           │
││ ↓   │           │
││感覚データ←機能と一体化した記憶 │
││記憶←──────記憶      │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││識閾下での←機能と一体化した記憶 │
││認知処理 →記憶化        │
││ │   │           │
││ ↓   │           │
││前意識  ←機能と一体化した記憶 │
││ │   →記憶化        │
││ ↓   │           │
││意識   ←機能と一体化した記憶 │
││自発的行動→記憶化        │
│└─────┘           │
└──────────────────┘

 「最後になるが、無意識の知識の五つ目のカテゴリーは、潜在的な結合という形態で、神経系に伏在する。ワークスペース理論によれば、脳全体にわたって活性化された細胞集成体が形成された場合にのみ、私たちはニューロンの発火パターンに気づく。とはいえ莫大な量の情報が、静的なシナプス結合に蓄えられている。生まれる前ですら、ニューロンは外界を統計的にサンプリングし、それに神経結合を適合させている。数百兆の単位で人の脳内に存在する皮質シナプスは、私たちの全生涯の眠った記憶を含む。とりわけ環境に対する脳の適応の最盛期をなす生後数年間は、毎日何百万ものシナプスが形成されたり、破壊されたりしている。こうした各シナプスには、シナプス前細胞と後細胞の発火の可能性に関して〔刺激をつたえるニューロンをシナプス前細胞、受け取るニューロンをシナプス後細胞という〕、ごくわずかずつ統計的な情報が保たれているのだ。
 このような結合の力によって、脳のいたる所で、学習された無意識の直感が支えられている。低次の視覚野では、皮質結合は、隣接する直線がいかに結びついて対象物の輪郭を構成するかについて、統計情報を編集する。聴覚・運動野では、音のパターンに関する暗黙の知識が蓄えられる。ピアノの練習を何年も続けると、これらの領域の灰白質の密度に検知可能な変化が生じるが、これは、シナプスの密度、樹状突起の大きさ、白質の構造、ニューロンを支えるグリア細胞の変化に起因すると考えられる。また、海馬(側頭葉の下に位置するカールした組織)には、いつどこで誰と一緒にいるときに、どのようなできごとが起こったかに関して、シナプスによってエピソード記憶が集められる。
 私たちの記憶は、何年間も眠ったままでいられる。その内容は、複数のシナプス・スパインに圧縮して分配される。このシナプスの知恵を直接取り出すことはできない。なぜなら、そのフォーマットは、意識的思考を支援するニューロンの発火パターンとはまったく違うからだ。想起するためには、記憶は眠った状態から活性化された状態へと変換されねばならない。記憶の想起に際して、シナプスは正確に発火パターンが再現されるように促す。この働きがなければ、私たちは過去のできごとを思い出せない。記憶の意識化とは、過去に経験した意識の瞬間の再現、つまりかつて存在した活性化パターンの近似的な再構築なのだ。脳画像法が示すところでは、記憶は、過去のできごとを意識に再現する前に、前頭前皮質、およびそれと相互結合する帯状回に広がる、ニューロンの明示的な活動パターンにまず変換されなければならない。過去を想起する際に生じる、遠隔の皮質領域をまたがる再活性化は、われわれが想起するワークスペース理論の予想に完全に合致する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.273-274,高橋洋(訳))
(索引:潜在的な結合,記憶)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

複雑な発火パターンへの希釈

【脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.4)追記。

(3)識閾下での認知作用
 (3.1)様々な認知作用
  知覚、言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。
 (3.2)無意識の無数の統計マシン
  意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行する。
 (3.3)知覚の例
  (a)入力:感覚データ
   微かな動き、陰、光のしみなど。
  (b)推論:観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。
  (c)出力:感覚データの原因となった外界
   自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。

 (3.4)複雑な発火パターンへの希釈という現象
  脳内では感覚データ通りコード化されているにもかかわらず、このコードが無意識に留まり、コンパクトで明確な再コード化がなされず、異なる知覚が意識される場合がある。複雑な発火パターンへの希釈という現象である。
  (3.4.1)複雑な発火パターンへの希釈の事例
   (a)感覚データ
    目で判別できないほど稠密に表示された、もしくは素早く明滅する(50ヘルツ以上)格子模様を考えてみる。
   (b)経験される知覚
    一様に灰色がかった画面を知覚するだけである。
   (c)意識されないが脳内では処理されている
    だが、実験が示すところによれば、脳内では格子模様は実際にコード化されている。格子の方向によって、それぞれ別のニューロン群が発火する。無意識の領域には、無尽蔵の資源が発掘されるのを待っている。
   (d)意識されない感覚の解読技術の可能性
    コンピューターに支援された神経コードの解読技術の発達は将来、感覚によって検知されながら意識には見落とされているミクロのパターンを増幅することで、厳密な形態の超感覚的知覚、すなわち環境に対する高められた感覚の利用を可能にするかもしれない。
  (3.4.2)(仮説)脳内処理と経験される知覚との違いの原因
   (a)おそらくその理由は、それが一次視覚野の極端に錯綜した時空間的な発火パターンに依拠し、高次の皮質領域にあるグローバル・ワークスペースのニューロンには、はっきりと識別し得ないほど複雑なコード化がなされているからであろう。
   (b)次第に抽象性を増す特徴を、感覚入力から順次抽出する、階層的に構造化された感覚ニューロンが存在する。
    (i)メッセージの明確化
    (ii)コンパクトで、明確な形態で再コード化
    (iii)意味づけられたカテゴリーへの分類


 「ワークスペース理論に従えば、ニューロンの持つ情報が無意識に留まる第四の様態として、複雑な発火パターンへの《希釈》があげられる。こう言っただけではわかりにくいので、具体例として、目で判別できないほど稠密に表示された、もしくは素早く明滅する(50ヘルツ以上)格子模様を考えてみよう。それを見たあなたは一様に灰色がかった画面を知覚するだけだが、実験が示すところによれば、脳内では格子模様は実際にコード化されている。そう言えるのは、格子の方向によって、それぞれ別のニューロン群が発火するからだ。では、なぜこの神経活動のパターンは意識されないのか? おそらくその理由は、それが一次視覚野の極端に錯綜した時空間的な発火パターンに依拠し、高次の皮質領域にあるグローバル・ワークスペースのニューロンには、はっきりと識別し得ないほど複雑なコード化がなされているからであろう。神経コードについて十全な理解が得られているわけではないが、われわれの見るところでは、一片の情報が意識されるには、それはニューロンのコンパクトな集合によって、もう一度明確な形態でコード化し直される必要がある。視覚皮質の前部領域は、自身の活動が増幅され、情報を気づきにもたらすグローバル・ワークスペースの点火が引き起こされる前に、特定のニューロン群を意味のある視覚入力に割り当てなければならない。情報は、無数の無関係のニューロンの発火に紛れて希釈されたままだと、意識され得ないのである。
 私たちが目にするどんな顔も、耳にするいかなる言葉も、無数のニューロンのおのおのが、視覚や聴覚的場面のごくわずかな部分を検知し、時空間的にひどく錯綜した様態で一連のスパイクを放つ無意識のメカニズムのもとで始まる。これらの入力パターンのそれぞれには、解読できさえすれば、話者、メッセージ、情動、部屋の大きさなど、数限りない情報が含まれていることがわかるだろう。だが、この段階では解読はできない。私たちがこれらの潜在的な情報に気づくのは、高次の脳領域で、それらが意味づけられたカテゴリーに分類されたあとでのことだ。このように、メッセージの明確化は、次第に抽象性を増す特徴を感覚入力から順次抽出する、階層的に構造化された感覚ニューロンの重要な役割なのである。感覚のトレーニングは、かすかな光景や音に気づけるようにする。というのも、ニューロンはあらゆるレベルで、微視な感覚メッセージを増幅すべく、自らの特性を調節するからだ。学習する以前にも、メッセージは感覚野に達してはいるが、気づきにはアクセスできない希釈された発火パターンによって、暗黙的に存在するにすぎない。
 この事実から、フラッシュされた格子模様やかすかな意図など、脳内には、本人さえ知らないシグナルが行き交っていることがわかる。脳画像法によって、これらの暗号形態の解読が可能になりつつある。」(中略)「無意識の領域には、無尽蔵の資源が発掘されるのを待っている。コンピューターに支援された神経コードの解読技術の発達は将来、感覚によって検知されながら意識には見落とされているミクロのパターンを増幅することで、厳密な形態の超感覚的知覚、すなわち環境に対する高められた感覚の利用を可能にするかもしれない。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.271-272,高橋洋(訳))
(索引:複雑な発火パターンへの希釈)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

切り離されたパターンの無意識

【前意識、識閾下の状態とは異なる、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは「切り離されたパターン」の無意識が存在する。脳幹に限定される呼吸をコントロールする発火パターンなどである。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

 「前意識と識閾下の区別が、無意識の分類のすべてではない。呼吸を考えてみよう。私たちの一生のあらゆる瞬間に、脳の奥深くの脳幹で生成され心筋に送られる、調和のとれたニューロンの発火パターンによって、生命を維持する呼吸のリズムが形作られる。このリズムは、巧妙なフィードバックループによって血中の酸素と二酸化炭素のレベルに合わせられる。この高度な神経装置は、完全に無意識のうちに作用する。なぜそう言えるのか? その際のニューロンの発火は、非常に強く時間的に引き延ばされる。したがって識閾下の作用ではない。しかしいくらそれに注意を集中しても、それを意識化することはできない。よって前意識の作用でもない。われわれの分類では、このケースは無意識の作用の三番目のカテゴリー、「切り離されたパターン」を構成する。呼吸をコントロールする発火パターンは脳幹に限定され、前頭前皮質や頭頂皮質のグローバル・ワークスペース・システムからは切り離されている。
 意識されるためには、細胞集成体内の情報は、前頭前皮質やその関連領域に存在するワークスペースのニューロンに伝達されねばならない。ところが呼吸のデータは、脳幹のニューロンに閉じ込められている。したがって血中の二酸化炭素濃度を告知するニューロンの発火パターンは、他の皮質領域には伝わらないので、私たちはその情報に気づかない。このように、機能が特化した神経回路の多くは、非常に深く埋め込まれているため、気づきに達するのに必要な結合を欠く。おもしろいことに、それに気づく唯一の方法は、別の感覚様式を介することだ。たとえば私たちは、胸の動きに注意を向けると、間接的に呼吸の様態に気づく。
 私たちの誰もが、自分の身体は自分でコントロールしているかのように感じるが、ニューロンが発する無数のシグナルが、高次の皮質領域から切り離された状態で、気づきに達することなく、つねに脳のモジュール間を行き交っている。卒中患者には、その状況が悪化した状態に置かれている者もいる。白質で構成される経路の損傷は、特定の感覚や認知システムを切り離し、突如として意識にアクセスできないようにする場合がある。顕著な例の一つに、二つの大脳半球を結ぶ神経線維の巨大な束、脳梁が、卒中によって損傷を受けると発症する離断症候群がある。この症状を抱える患者は、自身の運動制御に対する気づきを完全に喪失する場合がある。さらには、自分の左手の動きを否認して、「それは勝手に動いている」「私にはコントロールできない」などとコメントすることもある。この現象は、左手を動かす指令が右半球に由来するのに対し、言葉によるコメントは左半球によって形成されることから生じる。これら二つのシステムがひとたび切り離されると、患者の脳には、二つの損なわれたワークスペースが別個に存在するようになり、互いに他方が持つ情報に気づけない状態に陥るのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.269-271,高橋洋(訳))
(索引:)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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自発的な脳活動は、非常に激しい。それに比べ外部刺激によって喚起された活動は、平均化処理を十分に施したうえでかろうじて検出できる程度のもので、消費エネルギー総量の恐らくは5%未満を費やすにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

ニューロン活動の自発性

【自発的な脳活動は、非常に激しい。それに比べ外部刺激によって喚起された活動は、平均化処理を十分に施したうえでかろうじて検出できる程度のもので、消費エネルギー総量の恐らくは5%未満を費やすにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

 「われわれのシミュレーションで検出されたもう一つの興味深い現象はニューロン活動の自発性であり、ネットワークを刺激し続ける必要はなかった。入力を欠いた状況でも、ニューロンは、シナプスでランダムに発生する事象に導かれて自発的に発火したのだ。そしてこの無秩序な活動は、やがてはっきりとしたパターンへと自己組織化した。
 覚醒度を表すパラメーターに大きな値を設定すると、複雑な発火パターンが、成長したり減退したりする様子がコンピューター画面上で観察された。ときにそのなかに、いかなる刺激の入力も介在せずに引き起こされたグローバル・イグニションを確認できた。同一の刺激をコード化する皮質カラム全体が短期間活性化したあと、その活動は減退し、そのあとすぐに別の広域的な細胞集成体がそれにとって代わった。このように、きっかけになる刺激がまったく与えられなくても、ネットワークは一連のランダムな点火へと自己組織化したのだ。その様子は、外部刺激の知覚にともなって引き起こされる現象に類似する。唯一の相違は、自発的な活動には、ワークスペース領域の高次の皮質で生じ、感覚野へと下位の方向に伝播される傾向が強く見られる点で、これは外部刺激の知覚の場合とは逆である。
 このような内因性の活動の突発は、実際の脳でも発生するのだろうか? 答えは「イエス」だ。事実、組織化された自発的な活動は、神経系ではありふれている。本人が目覚めていようと眠っていようと、二つの大脳半球が、高周波の大規模な脳波を常時生成しているという事実は、脳波記録を見たことがある者なら誰もが知っている。この自発的な興奮は、脳の活動を支配するほど非常に激しい。それに比べ外部刺激によって喚起された活動は、平均化処理を十分に施したうえでかろうじて検出できる程度のものだ。刺激に喚起された活動は、脳が消費するエネルギーの総量のわずかな部分、おそらくは5パーセント未満を費やすにすぎない。神経系は第一に、自身の思考パターンを生む自律的な装置として機能するのだ。このように、暗闇で休息し「何もかんがえていない」ときでも、私たちの脳は休まずに、複雑かつ絶えず変化する一連のニューロンの活動をつねに生んでいる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.259-260,高橋洋(訳))
(索引:ニューロン活動の自発性)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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ワークスペースのニューロンは、同一の心的表象の異なる側面をコード化する広域のプロセッサーと情報交換をし合い、大規模な並行処理を実行し、やがて一貫性を持ったトップダウンの同期処理が完了する。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

グローバル・ワークスペース理論

【ワークスペースのニューロンは、同一の心的表象の異なる側面をコード化する広域のプロセッサーと情報交換をし合い、大規模な並行処理を実行し、やがて一貫性を持ったトップダウンの同期処理が完了する。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(6.2.5)追記

 (6.2)グローバル・ワークスペース理論(バーナード・バース(1946-))
  (仮説)意識されない無数の心的表象のうち、目的に合致したものが選択され、グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域に保管される。このとき、情報は意識化され、様々な脳領域で利用可能な状態となる。(バーナード・バース(1946-))
  (6.2.1)グローバル・ワークスペース
   グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域が存在する。
  (6.2.2)意識されている情報
   引き起こされた活動が伝播し、最終的にはグローバル・ワークスペースを点火する。このとき、その情報は、意識化される。
  (6.2.3)意識されない情報、抑制機能
   その情報は、グローバル・ワークスペースを点火しない。
   (a)ワークスペースのニューロンには、現在の意識の内容を限定し、それが何では「ない」かも知らせるために、強制的に沈黙させねばならないものもある。
   (b)活動を抑制されたニューロンの存在は、二つの物体を同時に見たり、努力を要する二つの課題を一度に遂行したりすることを妨げる。
   (c)二番目の刺激が入ってこないよう、周囲に抑制の壁が築かれる。
   (d)ワークスペースは、低次の感覚野の活性化を排除するわけではない。低次の感覚野は、ワークスペースが最初の刺激によって占められている場合でも、明らかにほぼ通常のレベルで機能する。
  (6.2.4)情報の広域化、利用可能化
   (a)ここに保管されている情報は、様々な脳領域において利用可能な状態となっている。
   (b)すなわち、意識とは、脳全体の情報共有にほかならない。
  (6.2.5)グローバル・ワークスペースの機能
   ワークスペースのニューロンは、同一の心的表象の異なる側面をコード化する広域のプロセッサーと情報交換をし合い、大規模な並行処理を実行し、やがて一貫性を持ったトップダウンの同期処理が完了する。
   (a)数百ミリ秒間の活性化
    意識的な状態は、ワークスペースのニューロンの一部が、数百ミリ秒間安定して活性化されることでコード化される。
   (b)広域領域との情報交換
    ワークスペースのニューロンは、その長い軸索を利用して情報を交換し合い、一貫した解釈を得るべく同期しながら大規模な並行処理を実行する。
   (c)トップダウンの同期処理
    それらが一つに収斂するとき、意識的知覚は完成する。その際、意識の内容をコード化する細胞集成体は脳全体に広がり、個々の脳領域によって抽出される情報の断片は、全体として一貫性を保つ。というのも、関連するすべてのニューロン間で、長距離の軸索を介してトップダウンに同期が保たれるからだ。
   (d)同一の心的表象の異なる側面
    多くの脳領域に分散するこれらニューロンはすべて、同一の心的表象の異なる側面をコード化すると考えられる。グローバル・ワークスペースと相互作用する様々な特化した心のプロセッサの例
    (i)知覚
    (ii)記憶
    (iii)言語
  (6.2.6)グローバル・ワークスペースの機能のモデル例
   (a)各ニューロンは限られた刺激に特化している
    各ニューロンはごく限られた範囲の刺激に特化している。例として、視覚皮質だけを取り上げても、顔、手、物体、遠近、形状、直線、曲線、色、奥行きなどに対応するさまざまなニューロンを見出せる。
  (例)
   ニューロン
    顔、手、物体、遠近、形状、直線、曲線、色、奥行き:Ni (i=1,2,3...n)
   ニューロン Ni が表現する特徴のコード
    fij (j=1,2,3...ni)
   ニューロン Ni が表現する知覚対象xの特徴のコード
    Ni(x)=fik
   (b)ニューロンが集まると、思考の無数のレパートリーを表現できる。
     fij (i=1,2,3...n, j=1,2,3...ni)
     全ての特徴の組合せの数は、
     n1×n2×n3×...×nn
   (c)発火していないニューロンの情報
    この種のコード化の様式では、発火していないニューロンも情報のコード化に関わっている点を理解しておく必要がある。沈黙によって、対応する特徴が見当たらない、もしくは現在の心的状態には無関係であることを他のニューロンに暗黙的に伝える。
   (d)知覚対象の表現
    いかなる瞬間にも、この巨大な可能性のなかから、たった一つの思考の対象が、意識の焦点として選択される。その際、関連するすべてのニューロンは、前頭前皮質にある一部のニューロンの支援を受け、部分的に同期しながら活性化する。
  (例)イメージを理解するための例
    前頭前皮質にある一部のニューロン「対象 x は、246936117 だ!」
    N1(x)=f12
    N2(x)=f24
    N3(x)=f36
    N4(x)=f49
    N5(x)=f53
    N6(x)=f64
    N7(x)=f71
    N8(x)=f81
    N9(x)=f97

   ┌──グローバル・ワークスペース─┐
   │意識が生まれる         │
   │情報の広域化、利用可能化    │
   │                │
   │「対象 x は、246936117 だ!」  │    並行して機能する無意識の機能
   │ニューロン1─N1────────────機能1(特徴f12
   │ニューロン2─N2────────────機能2(特徴f24
   │ニューロン3─N3────────────機能3(特徴f35
   │ニューロン4─N4────────────機能4(特徴f46
   │ニューロン5─N5────────────機能5(特徴f53
   │ニューロン6─N6────────────機能6(特徴f66
   │ニューロン7─N7────────────機能7(特徴f71
   │ニューロン8─N8────────────機能8(特徴f81
   │ニューロン9─N9────────────機能9(特徴f97
   │                │
   │                │
   └────────────────┘

 「細胞集成体、伏魔殿、勝利の神経連合、アトラクター、収束域などの仮説は、いずれも相応の真実を含む。私が提起するグローバル・ニューロナル・ワークスペース理論は、それらに強く依拠している。この理論では、意識的な状態は、ワークスペースのニューロンの一部が数百ミリ秒間安定して活性化されることでコード化され、多くの脳領域に分散するこれらニューロンはすべて、同一の心的表象の異なる側面をコード化すると考えられる。こうして、対象、意味の断片、記憶を処理する無数のニューロンが一度に活性化することで、私たちはモナ・リザがモナ・リザであることに気づくのだ。
 コンシャスアクセスが続くあいだ、ワークスペースのニューロンは、その長い軸索を利用して情報を交換し合い、一貫した解釈を得るべく同期しながら大規模な並行処理を実行する。そしてそれらが一つに収斂するとき、意識的知覚は完成する。その際、意識の内容をコード化する細胞集成体は脳全体に広がり、個々の脳領域によって抽出される情報の断片は、全体として一貫性を保つ。というのも、関連するすべてのニューロン間で、長距離の軸索を介してトップダウンに同期が保たれるからだ。
 この仕組みでは、ニューロンの同期が鍵になると考えてよいだろう。互いに遠く離れたニューロンが、背景で継続する電気的振動に各自のスパイクを同期させて巨大な集合を形成することを示す証拠が、相次いで得られている。それが正しければ、私たちの思考のそれぞれをコード化する脳のウェブは、集団の示す律動的なパターンに従って個体同士が光の明滅を調和させる、ホタルの群れに似ているとも言えよう。中規模の細胞集団でも、たとえば左側側頭葉の言語ネットワークの内部で単語の意味を無意識にコード化するケースなど、意識は欠いていたとしても局所的には同期しているかもしれない。とはいえその情報は、前頭前皮質によってアクセスされないため、広く共有されず、よって無意識のうちに留まる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.248-249,高橋洋(訳))
(索引:)
 「意識に関わる神経コードがいかなるものかを示すイメージをもう一例あげよう。皮質には約160億のニューロンが存在し、各ニューロンはごく限られた範囲の刺激に特化している。その多様性は驚くべきものだ。視覚皮質だけを取り上げても、顔、手、物体、遠近、形状、直線、曲線、色、奥行きなどに対応するさまざまなニューロンを見出せる。各細胞は、視覚的場面に関わるわずかな情報を伝えるにすぎない。ところがそれらが集まると、思考の無数のレパートリーを表現できる。いかなる瞬間にも、この巨大な可能性のなかから、たった一つの思考の対象が、意識の焦点として選択されるというのが、グローバル・ワークスペースモデルの主張するところだ。その際、関連するすべてのニューロンは、前頭前皮質にある一部のニューロンの支援を受け、部分的に同期しながら活性化する。
 この種のコード化の様式では、発火《していない》ニューロンも情報のコード化に関わっている点を理解しておく必要がある。沈黙によって、対応する特徴が見当たらない、もしくは現在の心的状態には無関係であることを他のニューロンに暗黙的に伝えるのだ。このように意識の内容は、活性化したニューロンと、沈黙するニューロンの双方によって定義される。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.249-250,高橋洋(訳))
(索引:グローバル・ワークスペース理論)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2020年7月8日水曜日

注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

識閾下の状態

【注意により意識化できる前意識とは異なり、意識化できない「識閾下の状態」が存在する。視覚では50ms内外に閾値が存在し、意識の境界は比較的明確である。識閾下では検出可能な脳活動が生じるが、グローバル・イグニションには至らない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

識閾下の状態
 (1)識閾下の状態と前意識との違い
  前意識の刺激は、それに注意を向けさえすれば意識されるのに対し、識閾下の刺激は、いくら努力しても意識し得ない。
 (2)閾値の存在
  (a)多くの実験においては、可視と不可視の境界は比較的明確である。
  (b)40ミリ秒間表示されたイメージはまったく見えないにもかかわらず、60ミリ秒になると楽に見えるようになる。個人差はあるが、つねに50ミリ秒内外の値をとる。
  (c)閾値に相当する期間だけ視覚刺激を表示すれば、物理的な刺激は一定でありながら主観的な知覚がトライアルごとに異なる。
 (3)識閾下の刺激が意識されない理由
  (a)目に見えないほどごくわずかな時間、かすかにイメージをフラッシュする。
  (b)識閾下の刺激は、視覚、意味、運動を司る脳領域に検出可能な活動を引き起こすが、この活動はごくわずかな時間しか持続しないため、グローバル・イグニションには至らない。
  (c)高次の領域から低次の領域の感覚野に向けてトップダウンにシグナルが戻され、入ってくる活動を増幅する機会が得られる頃には、もとの活動はすでに失われ、マスクに置き換えられている。
 (4)閾値を超える刺激でも、意識されない場合がある:マスキング手法
  (a)マスキングの例
   時間順の刺激 刺激1→刺激2→刺激3 刺激1,3で2をマスキングする手法
   時間順の刺激 図形パターン1→図形パターン2→図形パターン3
        図形パターン2の特定図形をマスキングする手法
   時間順の刺激 刺激1→刺激2 刺激2で1をマスキングする手法
  (b)閾値を超える刺激であっても、識閾下における様々な認知作用と、高次の領域から低次の領域への相互作用によって、意識されない場合があり、識閾下の機能と意識の機能の解明に役立つ。

 「前意識の状態は、われわれが「識閾下の状態」と呼ぶ、別のタイプの無意識とは際立った対照をなす。目に見えないほどごくわずかな時間、かすかにイメージをフラッシュしたとしよう。この場合に生じる状況は、前意識とは大きく異なる。いくら注意を向けても、隠れた刺激は知覚できない。図形に〔時間的に〕前後をはさまれてマスクされた単語に、私たちは気づけない。この種の識閾下の刺激は、視覚、意味、運動を司る脳領域に検出可能な活動を引き起こすが、この活動はごくわずかな時間しか持続しないため、グローバル・イグニションには至らない。われわれのコンピューター・シミュレーションでも、この状況が認識されており、短い活動パルスはグローバル・イグニションを引き起こせなかった。なぜなら、高次の領域から低次の領域の感覚野に向けてトップダウンにシグナルが戻され、入ってくる活動を増幅する機会が得られる頃には、もとの活動はすでに失われ、マスクに置き換えられているからだ。巧妙な心理学者たちは、グローバル・イグニションが一貫して妨げられるほど弱く短い、あるいは雑然とした刺激をいとも簡単に考案し、脳にトリックを仕掛けられる。「識閾下」という用語は、グローバル・ニューラル・ネットワークの岸辺に津波を起こす以前に、入ってくる感覚の波が消え去る、この種の状況に適用される。前意識の刺激は、それに注意を向けさえすれば意識されるのに対し、識閾下の刺激は、いくら努力しても意識し得ない。これは重要な相違であり、脳のレベルで種々の違った結果をもたらす。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.268-269,高橋洋(訳))
 「多くの実験においては、可視と不可視の境界は比較的明確で、40ミリ秒間表示されたイメージはまったく見えないにもかかわらず、60ミリ秒になると楽に見えるようになる。この事実は、識閾下(閾値より下)、識閾上(閾値より上)という言い方が妥当であることを示す。比喩的に言えば、意識への門戸は、明確に設置された敷居であり、フラッシュされたイメージは、その内側に入れるか入れないかのいずれかである。閾値は人によって多少異なるとはいえ、つねに50ミリ秒内外の値をとる。閾値付近では、人はその期間表示されるイメージをおよそ半分の割合で見る。したがって閾値に相当する期間だけ視覚刺激を表示すれば、物理的な刺激は一定でありながら主観的な知覚がトライアルごとに異なるという、絶妙にコントロールされた状況を実験的に作り出せる。
 意識を意のままに調節するために用いることのできるマスキング技法は、数種類ある。たとえば、攪乱したイメージではさむと、画像全体を完全に不可視にすることが可能だ。その画像に写っているのが笑っている顔や怒った顔であれば、被験者には意識的に認知できない、秘められた情動に関する識閾下の知覚を調査できる(無意識のレベルでは、情動は輝きを放つ)。マスキングの他のバリエーションに、一連の図形をフラッシュし、それらのうちの一つを長期間表示される四つの点で囲むというものがある。驚くべきことに、四つの点で囲まれた図形のみが意識にのぼらず、他の図形ははっきりと見える。四つの点は図形より長く表示されるので、それらとそれらによって取り囲まれる空間は、その位置にある図形の意識的知覚を置き換えて消し去るかのように見える。それゆえこの方法は「置き換えマスキング」と呼ばれる。
 マスキングは、実験パラメータの完全なコントロールが可能で、しかも時間的に高い精度をもって視覚情報を与えられるので、無意識の視覚刺激の成り行きを研究する際の格好の実験ツールになる。最良の条件は、ただ一つのターゲットイメージをフラッシュし、それからただ一つのマスクを表示させることだ。正確なタイミングで、被験者の脳に、精緻にコントロールされた量の視覚情報(単語など)を「注入」する。原理的にこの量は、通常は意識的に知覚できるに十分な程度というものになる。なぜなら、そうすれば後続のマスクを取り除くと、被験者はつねにターゲットイメージを見ることになるからだ。しかしマスクされていると、先行するターゲットイメージはマスクに抑制され、後者だけが見える。ということは、脳内で奇妙な競争が起こっているに違いない。単語のほうが先に脳に入ってきたにもかかわらず、後続のマスクがそれに追いついて、前者を意識的知覚から締め出したと見なせるからだ。一つには、脳が統計学者のごとく機能し、証拠に基づいてどちらのアイテムをとるかを評価している可能性が考えられる。ターゲットの単語の表示期間が十分に短く、マスクが強力な場合、被験者の脳は、マスクのみが表示されているという結論に有利な圧倒的証拠を受け取り、単語に気づかないのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.61-62,高橋洋(訳))
(索引:識閾下の状態,閾値,前意識,グローバル・イグニション)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2020年7月7日火曜日

既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

アクセス可能な前意識

【既にコード化が完了し、注意によってアクセスされれば意識化される「前意識」と呼ばれる無意識状態が存在する。前意識は、朽ちていく前の短時間ならアクセス可能で、意識化されたとき、過去の事象を振り返って経験させる。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(4)、(5.2)追記。

(4)アクセス可能な前意識
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
 (4.1)知覚のコード化は終わっている
  情報はすでに発火するニューロンの集合によってコード化され、注意の対象になりさえすればいつでも意識され得るが、実際にはまだされていない状態にある。
 (4.2)前意識(ジークムント・フロイト(1856-1939))
  「プロセスのなかには、(……)意識されなくなっても、再度難なく意識できるものもある。(……)かくのごとく振る舞う、すなわち意識的な状態といとも簡単に交換可能な無意識的状態はすべて、〈意識にのぼる能力を持つ〉と、もしくは〈前意識〉と記述すべきだろう」
 (4.3)アクセスされない知覚情報
  (a)前意識の情報は、私たちがそれに注意を向けない限り、そこでゆっくりと朽ちていく。
  (b)慣れによって意識されない表象
   慣れによって、その印象に新鮮な魅力がなくなって、我々の注意力や記憶力を喚起するほど十分強力ではなくなり、感覚されなくなることがある。(参考:我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

 (4.4)遅れてアクセスされた知覚情報
  (a)短期間なら、朽ちてゆく前意識の情報は、回復して意識にのぼらせることができる。その場合、私たちは過去の事象を振り返って経験する。
  (b)意識されない表象の記憶
   注意力が気づくことなく見過ごしていたある表象が、誰かが直ちにその表象について告げ知らせ、例えば今聞いたばかりの音に注意を向けさせるならば、我々はそれを思い起こし、まもなくそれについてある感覚を持っていたことに気づくことがある。(参考:我々の魂の内には、意識表象も反省もされていない無数の表象と、その諸変化が絶えずある。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)))

(5)アクセス中の表象としての意識
 ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。

 (5.1)意識の劇場(イポリット・テーヌ(1828-1893))
  人間の心は、フットライトのある先端では狭く、背景に退くに従って広くなる舞台に譬えられる。先端では、たった一人の演者が占める余地しかない。背後に控える演者は姿がぼやけ、舞台裏や脇には見えない無数の演者が控えている。(イポリット・テーヌ(1828-1893))

 (5.2)グローバル・ワークスペース理論(バーナード・バース(1946-))
  (仮説)意識されない無数の心的表象のうち、目的に合致したものが選択され、グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域に保管される。このとき、情報は意識化され、様々な脳領域で利用可能な状態となる。(バーナード・バース(1946-))
  (5.2.1)グローバル・ワークスペース
   グローバル・ワークスペースと呼ばれる特殊な神経領域が存在する。
  (5.2.2)意識されている情報
   引き起こされた活動が伝播し、最終的にはグローバル・ワークスペースを点火する。このとき、その情報は、意識化される。
  (5.2.3)意識されない情報
   その情報は、グローバル・ワークスペースを点火しない。
  (5.2.4)情報の広域化機能
   (i)ここに保管されている情報は、様々な脳領域において利用可能な状態となっている。
   (ii)すなわち、意識とは、脳全体の情報共有にほかならない。
  (5.2.5)ワークスペースの抑制機能
   (a)ワークスペースのニューロンには、現在の意識の内容を限定し、それが何では「ない」かも知らせるために、強制的に沈黙させねばならないものもある。
   (b)活動を抑制されたニューロンの存在は、二つの物体を同時に見たり、努力を要する二つの課題を一度に遂行したりすることを妨げる。
   (c)二番目の刺激が入ってこないよう、周囲に抑制の壁が築かれる。
   (d)ワークスペースは、低次の感覚野の活性化を排除するわけではない。低次の感覚野は、ワークスペースが最初の刺激によって占められている場合でも、明らかにほぼ通常のレベルで機能する。
  (5.2.6)グローバル・ワークスペースと相互作用する様々な特化した心のプロセッサの例
   (i)対応する外部刺激が途絶えたあとでも、それを長く心に留めておく機能
   (ii)外部刺激を名前と対応づける機能

 「「脳の作用のほとんどは無意識のうちに生じる」という、第2章の主たるメッセージを思い出そう。私たちは、呼吸から姿勢のコントロール、そして低次の視覚から微細な手の動き、さらには文字認識から文法に至るまで、自分が何をしているのか、何を知っているのかに気づいていない。非注意性盲目が生じると、着ぐるみのゴリラが胸を叩く様子でさえ見落とす。私たちのアイデンティティや行動様式は、無数の無意識のプロセッサーによって織り上げられているのだ。
 グローバル・ワークスペース理論は、この混乱したジャングルにいくばくかの秩序をもたらす。それは、メカニズムが劇的に異なる個々の脳領域における無意識の働きを分類する。非注意性盲目では何が生じるかを考えてみよう。それが起こると、意識的知覚が現れる通常の閾値をはるかに超えて視覚刺激が与えられるのに、別の課題によって心が完全に占められているため、それに気づかない。私はこの文章を妻の実家で書いている。それは17世紀の農家で(ヨーロッパの石造建築は何世紀も使用に耐える)、その魅力的な居間に置かれている巨大なホール時計の振り子が、たった今私の目の前で揺れ、時を刻んでいる。しかし本書の執筆に集中していると、時計のリズミックな音は、私の心から消え去る。このように、気づきは非注意性盲目によって妨げられるのである。
 われわれは、この種の無意識の情報には「前意識の」という形容詞を加えて分類するよう提案する。それは待機中の意識を指す。つまり、情報はすでに発火するニューロンの集合によってコード化され、注意の対象になりさえすればいつでも意識され得るが、実際にはまだされていない状態を言う。われわれはこの用語をジークムント・フロイトから拝借した。『精神分析概説』で彼は、「プロセスのなかには、(……)意識されなくなっても、再度難なく意識できるものもある。(……)かくのごとく振る舞う、すなわち意識的な状態といとも簡単に交換可能な無意識的状態はすべて、〈意識にのぼる能力を持つ〉と、もしくは〈前意識〉と記述すべきだろう」と述べる。
 グローバル・ワークスペースのシミュレーションによって、前意識の状態を生む神経メカニズムがいかなるものかを推定できる。シミュレーションに刺激を与えると、それによって引き起こされた活動が伝播し、最終的にはグローバル・ワークスペースを点火する。すると次に、この意識的な表象は、二番目の刺激が入ってこないよう、周囲に抑制の壁を築く。この中枢での競争は避けられない。意識的な表象は、何であるかと同程度に、何では《ない》かによっても定義されると、先に述べた。われわれの仮説によれば、ワークスペースのニューロンには、現在の意識の内容を限定し、それが何では《ない》かを報せるために、強制的に沈黙させねばならないものもある。このような抑制の拡大は、皮質の高次の中枢にボトルネックを生む。いかなる意識ある状態においても必須の部分を構成する、活動を抑制されたニューロンの存在は、二つの物体を同時に見たり、努力を要する二つの課題を一度に遂行したりすることを妨げる。しかしそれは、低次の感覚野の活性化を排除するわけではない。低次の感覚野は、ワークスペースが最初の刺激によって占められている場合でも、明らかにほぼ通常のレベルで機能する。前意識の情報は、私たちがそれに注意を向けない限り、そこでゆっくりと朽ちていく。短期間なら、朽ちてゆく前意識の情報は、回復して意識にのぼらせることができる。その場合、私たちは過去の事象を振り返って経験する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第5章 意識を理論化する,紀伊國屋書店(2015),pp.266-268,高橋洋(訳))
(索引:前意識)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)
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無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識的な注意の働き

【無意識の無数の認知機能が計算した確率的な推論結果からサンプルが抽出されるには、意識的な注意の働きが必要なことが、両眼視野闘争の実験などで示されている。ここには、量子力学の観測と類似の状況があるが、未解明である。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(3.3)追記。

(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))
 (3.1)入力:無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)出力:最善の解釈サンプルの抽出(全か無かのサンプル)
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)作用の担い手:意識的な注意(精神の能動)
  (a)サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じない。
  (b)例:両眼視野闘争
   (i)二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。
   (ii)注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。
   (iii)サンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。
  (c)意識的な注意の量子力学における観測装置との類似性
   特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 (3.4)次の入力先:意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

 「サンプリングは、意識的な注意の働きなくしては生じないという意味で、純粋にコンシャスアクセスの機能と考えられる。両目のおのおのに異なるイメージを提示すると生じる不安定な知覚、両眼視野闘争を考えてみよう。二つのイメージに注意を向けていると、それらは絶えず交互に意識に現われる。感覚入力はあいまいで、かつ固定しているが、私たちは一時にはどちらか一方のイメージにしか気づかないため、絶えず交替するものとしてそれらを知覚する。しかし重要なことに、注意を別の対象に向けると、両眼視野闘争は停止する。どうやらサンプリングによる選択は、意識的な注意が向けられているときにのみ生じるらしい。その結果、無意識のプロセスは意識のプロセスにより客観的になる。というのも、無意識の無数のニューロンが、外界の状況に関して真の確率分布を見積もるのに対し、意識はためらうことなく、それを全か無かのサンプルに還元するからだ。
 このプロセスは、奇しくも量子力学に似た側面がある(ニューロンのメカニズムが、古典力学のみに関係することはほぼ間違いないが)。量子力学によれば、物理的実体は、特定の状態で粒子が見出される確率を決定する波動関数の重ね合わせから構成される。しかし私たちが測定を行うやいなや、この確率は、全か無かの固定された状態へと収縮する。私たちは、半分生きていて半分死んでいるという、有名なシュレーディンガーの猫のような奇妙な混合状態を観察することはない。量子論に従えば、測定の行為それ自体によって、確率はたった一つの個別的な状態へと収縮するのである。脳内でも、類似の現象が起こる。つまり特定の対象に注意を向ける、まさにその意識の活動によって、さまざまな解釈の確率分布が収縮し、そのなかの一つだけを私たちは知覚する。このように意識の活動は、背後に存在する、無意識の計算の広大な領域のわずかな部分を垣間見せる、選別的な測定装置として機能する。
 とはいえ、この魅力的なたとえは、表面的なものにすぎないのかもしれない。量子力学の基盤となる数学が、意識的知覚の問題を扱う認知神経科学に適用できるかどうかは、今後の研究成果を待たねばならない。しかし人間の脳内ではそのような分業が至るところに見られ、無意識のプロセスが並行処理によって迅速な計算を実行する統計マシンであるのに対し、意識が緩慢なサンプリング装置であることは確実に言える。これは視覚のみならず言語の領域にも当てはまる。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.140-141,高橋洋(訳))
(索引:意識的な注意の働き,意識,注意,量子力学と意識,両眼視野闘争)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々のシナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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2020年7月6日月曜日

無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識は何のためにあるのか?

【無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(2)、(3)追記。

意識されない知覚情報、アクセス可能な前意識、アクセス中の意識
  無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

(1)無数の潜在的な知覚情報と記憶
 私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。
(2)識閾下での認知作用
 (2.1)様々な認知作用
  知覚、言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。
 (2.2)無意識の無数の統計マシン
  意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行する。
 (2.3)知覚の例
  (a)入力:感覚データ
   微かな動き、陰、光のしみなど。
  (b)推論:観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。
  (c)出力:感覚データの原因となった外界
   自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。
(3)気づきの外での情報選択
 無意識の無数の統計マシンが計算した、感覚データの原因となった外界の確率的な推論結果のうちから、その時点における最善の解釈を抽出して、意識を持ったたった一つの意志決定システムへ引き渡す。
 (3.1)無意識の認知作用の確率的な推論結果
  無意識の認知作用は、感覚データの原因となった外界についての確率的な推論結果しか示さない。
 (3.2)最善の解釈サンプルの抽出
  あらゆる曖昧さを取り除き、その時点における外界の最善の解釈を抽出して、意思決定システムに受け渡す必要がある。私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルが抽出される。
 (3.3)意識を持ったたった一つの意思決定者
  どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。意識化されたサンプルを用いて、自発的行為のための意思決定を行う。

(4)アクセス可能な前意識
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
(5)アクセス中の表象としての意識
 ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。


 「私の提起する意識の構図は、自然な分業を前提にする。地下では、無数の無意識の職人が骨の折れる作業をこなし、最上階では、選抜された役員が、重要な局面のみに焦点を絞って、じっくりと意識的な決断を下している。そんなイメージだ。
 第2章では、無意識の力を検討した。知覚から言語理解、決定、行為、評価、抑制に至る広範な認知作用が、少なくとも部分的には、識閾下でなされ得る。意識以前の段階では、無数の無意識のプロセッサーが並行して処理を実行し、外界についての詳細で徹底した解釈をつねに引き出そうとしている。それらは、微かな動き、陰、光のしみなど、あらゆる知覚の微細なヒントを最大限に活用しながら、もろもろの特徴が現在の環境にも当てはまるか否かを計算する、一種の最適化された統計マシンとして機能する。気象庁が何十種類もの気象データを組み合わせて、明日、明後日の降水確率を計算するのと同様、無意識の知覚は、入力された感覚データをもとにして、自らが直面している環境に、特定の色、形状、動物、人間などが存在する可能性を計算する。それに対して意識は、この確率的な宇宙の一端のみ、すなわち統計学者なら、無意識データの分布から得られた「標本」と呼ぶであろうもののみを取り上げる。そして、あらゆるあいまいさを取り除き、単純化された概観を、言い換えると、意思決定システムに受け渡せる、その時点における外界の最善の解釈を抽出するのだ。
 無意識の無数の統計マシンと、意識を持つたった一人の意思決定者のあいだのこの分業は、環境内を動き回り、外界に応じて行動する必要のある、あらゆる生物に課せられた要件なのかもしれない。どんな生物も、確率のみに頼って行動できるわけではない。いずれかの時点で、独裁的なプロセスが、あらゆる不確実性を整理して、決定を下さねばならない。」(中略)「いかなる自発的行為にも、そこを超えたら元には戻れない、ある一定の境界を踏み越えることが求められる。意識は、この境界の踏み越えを可能にする脳の装置かもしれない。つまり、私たちがさらなる決断を下せるよう、あらゆる無意識の可能性を整理して、たった一つの意識的なサンプルを抽出するのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.132-133,高橋洋(訳))
 「ベイズ推定は、統計的推論を遡及的に適用して、観察結果の背後にある隠れた原因を推測する。一般に古典的な確率理論では、起こり得る事象がまず指定され(たとえば「52枚のカードから成る山札から3枚を引く」)、それから私たちは、当該理論に従って特定の結果が生じる確率を割り当てる(「引いた3枚のカードがすべてエースである確率はどれくらいか?」)。それに対してベイズ理論は、結果から未知の原因へと推論が逆方向になされる(「52枚のカードから成る山札から3枚を引き、それらがすべてエースだった場合、イカサマによってこの山札に5枚以上のエースが含まれる確率はどのくらいか?」)。この方法は「逆推論」、あるいは「ベイズ統計学」と呼ばれる。「脳はベイズ統計学者のごとく機能する」という仮説は、最新の神経科学の研究のなかでも、もっとも熱く、またもっとも激しい議論を呼んでいるテーマの一つだ。
 感覚のあいまいさのゆえに、人間の脳は一種の逆推論を行わねばならない。同じ感覚は、外界のさまざまな事物によって引き起こされ得る。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第3章 意識は何のためにあるのか?,紀伊國屋書店(2015),pp.134-135,高橋洋(訳))
(索引:意識は何のためにあるのか)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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