2018年10月19日金曜日

03.見掛け上抵触する法準則には、優先法を規律するルールが存在するのに対して、原理においては互いに抵触しあう諸原理が、並立する。原理には重みとか重要性という特性があるが、しばしば議論の余地のあるものとなる。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))

論証における原理の作用の特徴

【見掛け上抵触する法準則には、優先法を規律するルールが存在するのに対して、原理においては互いに抵触しあう諸原理が、並立する。原理には重みとか重要性という特性があるが、しばしば議論の余地のあるものとなる。(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013))】

(1)原理には、重みとか重要性といった特性がみられ、それを有意味に問題にし得る。
 (1.1)複数の原理が抵触しあうとき、相対的な重みを考慮に入れる必要がある。
 (1.2)ただし重みには、精確な測定などあり得ず、特定の原理や政策が他より重要であるという判断は、しばしば議論の余地あるものとなる。
(2)これに対して、二つの法準則が抵触することはあり得ない。見掛け上抵触する場合にも、法体系にはこの種の抵触を規律する別種のルールが存在する。例として、
 (2.1)高次の権威が制定した法準則の優先
 (2.2)後に確立された法準則の優先
 (2.3)あるいは、より特殊な法準則の優先
 (2.4)その他の類いの法準則の優先
 (2.5)法体系によっては、より重要な原理に支持された法準則を優先

 「法準則と原理の以上の相違には次のような別の相違が含まれている。原理には法準則にはない特性、つまり重みとか重要性といった特性がみられる。複数の原理が抵触しあうとき(たとえば、自動車の消費者を保護する政策と契約自由の原理が相互に抵触するとき)、この抵触を解決すべき者は両者の相対的な重みを考慮に入れる必要がある。もちろん、これは精確な測定などありえず、特定の原理や政策が他より重要であるという判断は、しばしば議論の余地あるものである。しかしそれにもかかわらず、重みという特性をもつことや、重要性や重みの度合を有意味に問題にしうることは、原理概念の本質的要素なのである。
 ルール一般には、この特性がない。我々はルールについて、それが「機能的」に重要か否かを問題にすることはできる。(三振はアウトであるという野球のルールは、ボークのとき走者は塁を進めることができるというルールより重要である。後者のルールを変えるより前者のルールを変えた場合の法が、ゲーム自体に大幅な変化が生ずるからである。)この意味でならば、あるルールは他のルールよりも行動を規律する点でより重大かつ重要な役割を有し、したがってそれ自体より重要な法準則と言えるだろう。しかし同一のルール体系の内部で、あるルールが他のルールより重要であり、したがって二つのルールが抵触するとき、一方がより重要であるという理由で他方のルールにとって替わる、というようなことはあり得ない。
 二つの法準則(法的ルール)が抵触すれば、どちらか一方は妥当する法準則ではありえない。どちらが妥当しどちらが放棄ないし修正さるべきかの決定は、法準則自体を超えた考慮へと訴えることによりなされなければならない。法体系にはこの種の抵触を規律する別種のルールが存在することがあり、このルールによって高次の権威が制定した法準則や後に確立された法準則、あるいはより特殊な法準則その他これに似た類いの法準則に優位が認められ、また法体系によっては、より重要な原理に支持された法準則を優先させる場合もあるだろう(我々の法体系はこれら両者の技術を利用している)。」

(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,3 法準則・原理・政策,木鐸社(2003),pp.20-21,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))
(索引:論証における原理の作用の特徴)

権利論


(出典:wikipedia
ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「法的義務に関するこの見解を我々が受け容れ得るためには、これに先立ち多くの問題に対する解答が与えられなければならない。いかなる承認のルールも存在せず、またこれと同様の意義を有するいかなる法のテストも存在しない場合、我々はこれに対処すべく、どの原理をどの程度顧慮すべきかにつきいかにして判定を下すことができるのだろうか。ある論拠が他の論拠より有力であることを我々はいかにして決定しうるのか。もし法的義務がこの種の論証されえない判断に基礎を置くのであれば、なぜこの判断が、一方当事者に法的義務を認める判決を正当化しうるのか。義務に関するこの見解は、法律家や裁判官や一般の人々のものの観方と合致しているか。そしてまたこの見解は、道徳的義務についての我々の態度と矛盾してはいないか。また上記の分析は、法の本質に関する古典的な法理論上の難問を取り扱う際に我々の助けとなりうるだろうか。
 確かにこれらは我々が取り組まねばならぬ問題である。しかし問題の所在を指摘するだけでも、法実証主義が寄与したこと以上のものを我々に約束してくれる。法実証主義は、まさに自らの主張の故に、我々を困惑させ我々に様々な法理論の検討を促すこれら難解な事案を前にして立ち止まってしまうのである。これらの難解な事案を理解しようとするとき、実証主義者は自由裁量論へと我々を向かわせるのであるが、この理論は何の解決も与えず何も語ってはくれない。法を法準則の体系とみなす実証主義的な観方が我々の想像力に対し執拗な支配力を及ぼすのは、おそらくそのきわめて単純明快な性格によるのであろう。法準則のこのようなモデルから身を振り離すことができれば、我々は我々自身の法的実践の複雑で精緻な性格にもっと忠実なモデルを構築することができると思われる。」
(ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013),『権利論』,第1章 ルールのモデルⅠ,6 承認のルール,木鐸社(2003),pp.45-46,木下毅(訳),野坂泰司(訳),小林公(訳))

ロナルド・ドゥオーキン(1931-2013)
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