2020年4月15日水曜日

様々な制約下にあっても徐々に合理的な意見や行動が拡がるのは、間違いを改善し得るという人間の知性の性格に由来する。(a)理論の役割(b)自由な反論の機会(c)反論や批判、事実と経験による誤りの除去。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

言論の自由

【様々な制約下にあっても徐々に合理的な意見や行動が拡がるのは、間違いを改善し得るという人間の知性の性格に由来する。(a)理論の役割(b)自由な反論の機会(c)反論や批判、事実と経験による誤りの除去。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】

(3)徐々に合理的な意見や行動が拡がる理由
 優れた能力を持つ人は、比較的少数であろうし、またその人たちでも過去、今では間違いであることが分かっている意見をいくつも持っていたにもかかわらず、人類全体でみたとき、合理的な意見や合理的な行動が多数を占めているのはなぜなのだろうか。
 (a)それは、間違いを改められる点によるものである。すなわち、人間の知能の性格による。
 (b)事実の解釈には理論が必要
  事実をどう解釈すべきかを知るには、議論が必要である。事実のうち、それをみただけで意味が分かるものはめったにない。ほとんどの場合、その意味を理解するには解説が必要である。すなわち、事実が積み重なるだけで、知識が改善されるわけではない。
 (c)自由な反論の機会が必要
 ある意見が正しいと推定し得るための必要不可欠な条件は、その意見に対する反論、反証をあげる完全な自由が存在することである。根拠の乏しい確信に基づいて、ある意見に対する反論の機会を奪うのは、誤りである。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 (d)反論や批判、異論を検討し自らの誤りを正す
  反論や批判、異論や障害を避けるどころか、それらを求める姿勢をとり、自分とは違った立場の人がその問題をどう解明しているのかを検討して、自分の間違っている部分を探し出す。
 (e)事実と経験に基づき、自らの誤りを正す
  自分や他人の経験などの事実に基づき、自分の意見と行動の誤りを改善する。

 「人類の意見がどのように変遷してきたかをみても、人がいま、通常どのように生活しているのかをみても、どちらもそれほど悪くない理由はどこにあるのだろうか。人間の理解力がそもそも優れているからだといえないのは確かだ。自明ではない問題ではかならず、その問題を判断する能力がまったくない人が大部分であり、判断する能力をもつ人はせいぜい百人にひとりしかいないのが現実だからである。そして、そのひとりも、他の九十九人にくらべれば能力が高いといえるにすぎない。この点は過去のどの世代でも、優れた人物の大多数がいまでは間違いであることが分かっている意見をいくつももっていたし、いまでは誰も正しいとは考えない行動をいくつもとり、是認してきたことを考えれば、明らかである。では、人類全体でみたとき、合理的な意見や合理的な行動が多数を占めているのはなぜなのだろうか。実際に多数を占めているのだとすれば(そうでなければ、人類は過去も現在も、ほとんど絶望的な状態に陥っているはずなので、実際に多数を占めているはずだが)、それは人間の知能の性格によるものである。人間の知性と道徳心のうち優れた部分のすべての源泉である点、つまり、間違いを改められる点によるものである。人は議論と事実(自分や他人の経験など)によって、自分の誤りを改めることができる。事実が積み重なるだけで改められるわけではない。事実をどう解釈すべきかを知るには、議論が必要である。間違った意見や間違った行動は、事実と議論によって、徐々に改められていく。だが、事実と議論は、はっきりと示されなければ、人の心に何の影響も与えない。また、事実のうち、それをみただけで意味が分かるものはめったにない。ほとんどの場合、その意味を理解するには解説が必要である。このように、人間の判断の強みと価値はすべて、たったひとつの性格、間違っていたときにそれを正すことができるという性格に依存しているのだから、人間の判断に頼ることができるのは、間違いを正す手段がつねに用意されているときだけである。ほんとうに信頼できる判断をくだせる人は、なぜそのような能力を身につけることができたのだろうか。自分の意見と行動に対する批判に、いつも心を開いてきたからである。自分に対する反論や批判をすべて聞き、そのなかで正しい部分を最大限に取り入れるとともに、間違っている部分はどこが間違っているのかを考え、ときには他人に説明するようにしてきたからだ。人がある問題の全体を知っているといえる状態に近づくためには、その問題についてさまざまな主張に耳を傾け、それぞれがその問題をどのようにみているかを研究する以外に方法がないと感じているからだ。これ以外の方法で英知を獲得してきた賢人はいないし、これ以外の方法で賢明になることは、人間の知性の性格上ありえない。他人の意見と比較検討して自分の意見の間違いを正し、不十分な点を補う作業を着実に続けていくと、迷いとためらいが生じて自分の意見を実行に移せなくなる原因になるどころか、自分の意見を信じて行動するための安定した基盤を作る唯一の方法になる。自分の意見に対して少なくともはっきりした形でだされうる反論はすべて知っているし、どの反論に対しても自分の立場を明確にしているのだから、そして、異論や障害を避けるどころかそれらを求める姿勢をとり、自分とは違った立場の人がその問題をどう解明しているのかもすべて検討しているのだから、これに似た方法をとっていない人や集団よりも自分の判断の方が優れていると考える権利があるのだ。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第2章 思想と言論の自由,pp.48-50,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:言論の自由,誤りの除去,自由な反論)

自由論 (日経BPクラシックス)



(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

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