2018年5月22日火曜日

疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことは、あやまちである。疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

疑うこと

【疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことは、あやまちである。疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「もう一つのあやまちは、疑うことがもどかしく、断定をいそぐあまりに、時機が十分熟するまで判断をさしひかえないことである。というのは、観想の二つの道は、古人がよく口にした行動の二つの道にまったく似ているのであって、一つの道は、はじめ平らでなめらかであるが、終わりには通れなくなり、もう一方は、はじめはでこぼこして骨がおれるが、やがて平らなよい道になるのと同様に、観想の場合も、確信からはじめれば、疑いに終わるだろうが、疑いからはじめることに甘んじれば、確信に終わるであろうからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・八、p.66、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の不健康な状態、疑うこと)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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彼らが最も感心した考え方や、最もよく研究した学問の色で、彼の考えと学説を染まらせ、他の一切のものにも、まったく真実でない、本来とは違う色をつけてしまうのは、過ちである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

不当な一般化

【彼らが最も感心した考え方や、最もよく研究した学問の色で、彼の考えと学説を染まらせ、他の一切のものにも、まったく真実でない、本来とは違う色をつけてしまうのは、過ちである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「これといくらか関係のあるもう一つのあやまちは、人びとがいつもきまって、かれらの瞑想したあげくの考えと学説を、かれらがもっとも感心した考え方やもっともよく研究した学問の色に染まらせ、他のいっさいのものにも、その学問の色を、まったく真実でない、本来とは違う色をつけたというあやまちである。こうして、その哲学にプラトンは神学を、アリストテレスは論理学を、新プラトン派のプロクロスらは数学をまぜあわせた。というのは、これらの学問は、かれらにとって、それぞれ長子であるかのようにかわいがっていた学問であったからである。こうして、錬金術師は熔鉱炉の二、三の実験から哲学をつくりあげ、わが国人ギルベルトゥスは磁石の観察から哲学をつくりあげた。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・七、p.65、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、不当な一般化)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の船)


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人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝が、過ちに陥らせることがある。大きな書物である自然を、一字一字を拾いながら、少しずつ判じ取るように観察し考察しなければ、真理には到達できない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

知性への過度の尊敬

【人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝が、過ちに陥らせることがある。大きな書物である自然を、一字一字を拾いながら、少しずつ判じ取るように観察し考察しなければ、真理には到達できない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「もう一つのあやまちは、人間の精神と知性に対する過度の尊敬と一種の崇拝からおこったものであるが、このあやまちゆえに、人びとは、自然の考察と経験の観察をすっかりやめてしまって、勝手なりくつをこね、根も葉もないことを考えて、混乱してしまったのである。これらの自分勝手な思いにふける人びとは、そうはいうものの、ふつう、もっとも崇高で、神のような哲学者と考えられているが、ヘラクレイトスはかれらに正当な非難をあびせて、「人びとは、真理をかれら自身の小さな世界に求めて、大きい共通の世界に求めなかった」〔セクストゥス・エンピリクス『教師連の論駁』七の一三三〕といっている。すなわち、人びとは一字一字をひろいながら、少しずつ、神のみわざをしるしている書物〔自然〕を判じとることをさげすみ、それとは反対に、たえず瞑想し精神をゆり動かして、かれら自身の霊をせきたて、いわばよび出して、それに予言をさせ、信託を告げさせるのであるが、そのためにかれらがまどわされるのも当然なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・六、pp.64-65、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、知性への過度の尊敬)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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いろいろ専門に分かれた技術と学問の中だけにとどまれば、技術と学問の進歩を止め、阻まずにはおかない。事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」が必要である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

第一哲学

【いろいろ専門に分かれた技術と学問の中だけにとどまれば、技術と学問の進歩を止め、阻まずにはおかない。事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」が必要である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「いまあげたものからおこるもう一つのあやまちは、個々の技術と学問がいろいろ専門に分かれたのち、人びとは、事物の普遍的認識あるいは「第一哲学」を顧みなくなったことであるが、これはすべての進歩をとどめはばまずにはおかない。というのは、平地や水平面に立っていては、残るくまなき発見を行うことはできないが、それと同じように、同一の学問の水平面に立っているばかりで、高級の学問にまで上がってゆかないならば、どのような学問にせよ、その深遠なところをきわめることが不可能であるからである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・五、p.64、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、第一哲学)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時には、重い、中身のつまった価値のある学説が、忘れ去られている場合もある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

忘れ去られた学説

【最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時には、重い、中身のつまった価値のある学説が、忘れ去られている場合もある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 最新の学説や学派が、つねに最善のものであると考えてしまうのは、過ちである。時は川や流れに似た性質をもっているようで、重い、中身のつまった価値のある学説が、時の流れのなかで沈められ、忘れ去られている場合もある。
 「もう一つのあやまちも、前のものといくらか似たところがあるが、それは、これまでの学説や学派のうち、かず多くの異なった学説が提唱され検討されたのち、最善のものがいつも勝って、残りのものをおさえたのであるから、新しい探求の努力を始めようとすれば、以前に承認されず、承認されないことによって忘れられてしまったものに出くわすだけだろうと考えるあやまちである。」(中略)
 「こうした考えのまちがっているわけをいうと、時は川や流れに似た性質をもっているようで、それは、軽い、空気のつまったものは運んできてくれるが、重い、なかみのつまったものは沈めてしまうというのが真相なのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・三、p.63、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、忘れ去られた学説)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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2018年5月20日日曜日

今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

限りない未知

【今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと思うことは、小心、貧しさ、乏しさを示すだけでなく、僭越かつ傲慢である。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「ところが遙かに大きな障害が、小心と、人々の努力が自らに課する仕事の貧しさと乏しさとによって、諸学に持ち込まれてきた。しかも(最も悪いことには)そうした小心は、僭越と傲慢を伴わずには現われないものなのである。」(中略)
 「つまり彼らはその技術が、完全なものと見なされることにのみ心を労し、すなわちこの上なく空しく、かつ見込みのない栄光のために骨を折りつつ、今まで発見も理解もされなかったことは、将来に向かっても発見も理解もされ得ないことだと、信じさせようと腐心しているのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『ノヴム・オルガヌム』アフォリズム 第一巻、八八、pp.142-143、[桂寿一・1978])
(索引:学問の不健康な状態、限りない未知)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)



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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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どんなものがいまさら新たに発見されるであろうかという疑念を抱くことは、過ちである。大昔から気づかれずに見落とされているものが、いくらでもあるのだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

限りない未知

【どんなものがいまさら新たに発見されるであろうかという疑念を抱くことは、過ちである。大昔から気づかれずに見落とされているものが、いくらでもあるのだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 「古いものの偏重によってひきおこされる、もう一つのあやまちは、大昔から気づかれずに見おとされてきたもので、どんなものがいまさら新たに発見されるであろうかという疑念である。」(中略)
 「われわれは、それとは反対に、ふつうそこに、人びとの判断のうわついた無節操をみるのである。すなわち、あるものごとがなされるまでは、はたしてなされるだろうかといぶかっているが、なされるとたちまち、こんどは、どうしてもっと早くなされなかったかといぶかるのである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・二、p.62、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、限りない未知)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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38.変革を憎む保守的な考え、古いものを抹殺する急進的な考えは、ともに不健康な状態である。古いものを尊敬し、その基礎の上に立って最善の道を見極め、見極めた確信に基づき変革すること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

保守的と急進的

【変革を憎む保守的な考え、古いものを抹殺する急進的な考えは、ともに不健康な状態である。古いものを尊敬し、その基礎の上に立って最善の道を見極め、見極めた確信に基づき変革すること。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
(a)古いものを偏重する保守的な人は、新しいものがつけ加わる変革を憎む。
(b)新しいものを偏愛する急進的な人は、ただ付け加えるだけでは満足できず、古いものを抹殺せずにおかない。
(c)古いものは尊敬に値するものであり、人びとはその上に立って、最善の道がどれであるかを見きわめるべきである。そして、見きわめたという確信がついたら、それからはどんどん進んでゆくべきである。


 「それらのうち第一のものは、二つの極端に対する極度の愛好である。すなわち、一方は古いものの偏重であり、もう一方は新しいものの偏愛である。」(中略)
 「すなわち、古いものを好む保守的なひとは、新しいものがつけ加わる変革を憎み、新しいものを好む急進的なひとは、ただつけ加えるだけでは満足できず、古いものを抹殺せずにおかないのである。」(中略)
 「すなわち、古いものは尊敬に値するものであって、人びとはその上に立って、最善の道がどれであるかを見きわめるべきではあるが、しかし、見きわめたという確信がついたら、それからはどんどん進んでゆくべきである。それに、じつをいうと、「時代の古いということは、世界の若かったことである」〔出典不詳〕。世界が年をとっている現代こそが古い時代なのであって、われわれ自身から「逆算して」古いと考える時代が古い時代であるのではない。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、五・一、pp.61-62、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:学問の不健康な状態、保守的、急進的)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


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フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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37.学問を空想的にしてしまう原因:(a)ずるさによる意図的な騙し、(b)人の信じやすい傾向、(c)他愛のないお喋り、詮索、噂、(d)技術に対する過度の信頼、(e)学説の創始者への過度の信用。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

空想的な学問

【学問を空想的にしてしまう原因:(a)ずるさによる意図的な騙し、(b)人の信じやすい傾向、(c)他愛のないお喋り、詮索、噂、(d)技術に対する過度の信頼、(e)学説の創始者への過度の信用。(フランシス・ベーコン(1561-1626))】
 学問を空想的にしてしまう原因にはいくつかある。
(a)ずるさや、だます喜びから生じるまやかしだけでなく、他愛のないお喋りや噂話しなど。
(b)単純さから生じる軽信、だまされやすいことだけでなく、詮索好きや、噂好きなど。
(c)技術そのものを、過度に信頼してしまうこと。
(d)学説の創始者たちに寄せられる過度の信用が、創始者たちを、その言葉には文句なしに服すべき独裁者にしてしまい、諸学を低いところに停止させてしまう。
 「第三のまやかしまたは不真実に関係のある、学問の欠陥または病気についていえば、それは、認識のだいじな本性をこわすものとして、もっともひどい病気なのである。」(中略)
 「この欠陥は二種類に分かれるのであるが、その一つはだます喜びであり、他の一つはだまされやすいことである。すなわち、まやかしと軽信であり、両者はちがった性質のようにみえ、一方はずるさから、他方は単純さから生ずるようにみえるけれども、しかしたしかなところ、両者はたいていの場合、同時におこるのである。」(中略)
 「すなわち、せんさく好きな人は、たわいのないおしゃべりといわれているように、同じようなわけで、軽信的な人は、だますひとである。うわさの場合にみられるように、やすやすとうわさを信ずるひとは、またやすやすとうわさを大きくし、かれ自身少し尾ひれをつける。」(中略)
 「つぎに、技術と学説にやすやすと信用が与えられることについていえば、これにもまた二つの種類がある。すなわち、その一つは、過度の信頼が技術そのものによせられる場合であり、もう一つはどの技術においても、ある創始者たちによせられる場合である。」(中略)
 「つぎに、諸学における創始者たちを、そのことばには文句なしに服すべき独裁者にしてしまい、助言を与える顧問にはしないような、かれらに与えられた過度の信用についていえば、それは、諸学を成長させあるいは発達させずに、低いところに停止させておくおもな原因なので、諸学がそれからうける損害ははかりきれないほどである。」
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、四・八~四・一二、pp.56-60、[服部英次郎、多田英次・1974])
(索引:空想的な学問)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)


(出典:wikipedia
フランシス・ベーコン(1561-1626)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「不死こそ、子をうみ、家名をあげる目的であり、それこそ、建築物と記念の施設と記念碑をたてる目的であり、それこそ、遺名と名声と令名を求める目的であり、つまり、その他すべての人間の欲望を強めるものであるからである。そうであるなら、知力と学問の記念碑のほうが、権力あるいは技術の記念碑よりもずっと永続的であることはあきらかである。というのは、ホメロスの詩句は、シラブル一つ、あるいは文字一つも失われることなく、二千五百年、あるいはそれ以上も存続したではないか。そのあいだに、無数の宮殿と神殿と城塞と都市がたちくされ、とりこわされたのに。」(中略)「ところが、人びとの知力と知識の似姿は、書物のなかにいつまでもあり、時の損傷を免れ、たえず更新されることができるのである。これを似姿と呼ぶのも適当ではない。というのは、それはつねに子をうみ、他人の精神のなかに種子をまき、のちのちの時代に、はてしなく行動をひきおこし意見をうむからである。それゆえ、富と物資をかなたからこなたへ運び、きわめて遠く隔たった地域をも、その産物をわかちあうことによって結びつける、船の発明がりっぱなものであると考えられたのなら、それにもまして、学問はどれほどほめたたえられねばならぬことだろう。学問は、さながら船のように、時という広大な海を渡って、遠く隔たった時代に、つぎつぎと、知恵と知識と発明のわけまえをとらせるのである。
(フランシス・ベーコン(1561-1626)『学問の進歩』第一巻、八・六、pp.109-110、[服部英次郎、多田英次・1974])(索引:学問の船)


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論争的な学問には注意せよ。それは、新規で珍しい用語で独断的な主張をし、論争を引き起こす。しかし実のところ、より総合的な諸学問の調和の中においては、この類いの反対論は、簡単に論破されるようなものなのである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

 

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