2018年6月11日月曜日

運動における決定の根源的完全性と、魂における自由な決定の根源的完全性とが、いかに両立し、なおかつ魂における決定に、身体が依存するのか。この依存は、形而上学的依存である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

自由意志の問題

【運動における決定の根源的完全性と、魂における自由な決定の根源的完全性とが、いかに両立し、なおかつ魂における決定に、身体が依存するのか。この依存は、形而上学的依存である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
(a)自然学的依存は、一方がそれの依存する他方から受けとる直接的影響に存する。たとえば魂は、非意志的活動において、よく考えてみると身体に依存している。
(b)一方、思考の内には秩序と連結がある。また、善や悪は思考する存在者を強いずに傾かせ、意志による決定は自由である。つまり、選択を伴っている。
(c)このとき、運動における決定は、そのままで変わらない。
(d)運動における決定の根源的完全性と、魂における自由な決定の根源的完全性とが、いかに両立し、なおかつ魂における決定に、身体が依存するのか。これは自然学的依存とは異なる。形而上学的依存である。
 「運動においてもそうですが、思考の内には秩序と連結があります。なぜなら、一方は他方に完全に対応するからです。もっとも、運動における決定はそのままです。ところが思考する存在者においては、決定は自由である、つまり選択を伴っている。善や悪は思考する存在者を強いずに傾かせるのみです。というのも、魂は身体を表現する際に自分の完全性を保存するからです。それに、魂は非意志的活動において(よく考えてみると)身体に依存しているにもかかわらず、他の活動においては独立していて、まさに身体を魂自身に依存させるのです。しかしこの依存は形而上学的でしかなく、神が一方を規制するときに他方を顧慮するところに存する。言い換えれば、各々の根源的完全性に応じて一方よりも他方を神がいっそう多く顧慮するところに存するのです。これに対して自然学的依存は、一方がそれの依存する他方から受けとる直接的影響に存するでしょう。それに、非意志的思考が私たちにやってくる場合、一部分は私たちの感覚を刺激する諸対象によって外部から、また一部分は、先行の諸表象が残した(しばしば非可感的な)刻印のゆえに内部からきます。この先行の諸表象は活動を続け、新たにやってくるものと混ざりあう。この点で私たちは受動的であって、眠らずにいるときでさえ、夢の中と同様、呼び寄せられたわけでもないのにイメージが浮かんできます。(イメージということで私は、形の表現のみならず音声や他の可感的性質の表現をも含めて考えています)。ドイツ語ではそれを fliegende Gedanken 、つまり飛びまわっている思考と呼んでいます。それは私たちの思い通りにはならないし、そこには時として善良な人々に良心のためらいを抱かせるような馬鹿げたところ、決疑論者や教導者に試練を課すような馬鹿げたところがあります。幻燈の中で何かを回すとそれに応じて壁に図形が現われる。この思考はこうした幻燈の中で起ることと同じです。しかし私たちの精神は、再び現われる何らかのイメージを意識して「止まれ」と言いうるし、いわばそれを停止させることができます。さらに精神は、自分で然りと思う通りにある思考の進行に入っていき、それによって他の思考へと導かれるのです。けれども、これが当てはまるのは内的あるいは外的な印象が優勢でないときです。その点に関して人々は、気質によっても、また自らの行なった自己統制の訓練によっても著しく異なっているのは確かです。したがって、ある人が身をゆだねてしまう印象を別の人は克服しうるのです。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『人間知性新論』第二部・第二一章[一二]、ライプニッツ著作集4、pp.203-204、[谷川多佳子・福島清紀・岡部英男・1993])
(索引:心身問題、自由意志)

認識論『人間知性新論』 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)
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すべて魂の本性は、宇宙を表出するところにある。魂の状態は、「魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態」の表出である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))

予定調和

【すべて魂の本性は、宇宙を表出するところにある。魂の状態は、「魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態」の表出である。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))】
 すべて魂の本性は、宇宙を表出するところにある。自己の本性に固有な法則の力によって、物体とりわけ自分の肉体の中に起こることと一致するように出来ている。魂のそれぞれの状態は、自然的かつ本質的に世界の状態、対応する世界のそれぞれの状態の表出である。なかんずくそのとき、魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態の。

体にチクリときたときに、そのチクリを魂が自分の中に表現することができるようになっている。
瞬間A   肉体の状態     表出⇒ 魂の状態
       ↓             ↓
次の瞬間B 肉体の状態(チクリ)表出⇒ 魂の状態(痛み)
 「さてその概念によれば、そのような実体のいまこの一瞬における状態は、つねにそれに先だつ状態の自然的な帰結である。なぜならすべて魂の本性は、宇宙を表出するところにあるからにほかなりません。魂はひとたび創造されるが早いか、自己の本性に固有な法則の力によって、物体とりわけ自分の肉体の中に起こることと一致するように出来ている。ですから体にチクリときたときに、そのチクリを魂が自分の中に表現することができるようになっているからといって、べつだんビックリするには当たらないのです。ではこう申し上げて、この問題についての私の説明に、ケリをつけることにいたしましょう。いま仮に、
 瞬間Aにおける肉体の状態        瞬間Aにおける魂の状態
 次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ) 瞬間Bにおける魂の状態(痛み)
であるとします。
 と、瞬間Bにおける肉体の状態は、瞬間Aにおける肉体の状態から出てくる。同様に魂の状態Bも、実体一般の概念にしたがって、同一の魂における先だつ状態、すなわち状態Aの帰結である、ということになりましょう。ところで魂のそれぞれの状態は、自然的かつ本質的に世界の状態、対応する世界のそれぞれの状態の表出である。なかんずくそのとき、魂の状態と表裏の関係にある肉体の状態の。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『アルノーとの往復書簡』ハノーファーから、一六八七年一〇月九日、ライプニッツ著作集8、pp.361-362、[竹田篤司・1990])
(索引:心身問題、予定調和)

前期哲学 (ライプニッツ著作集)


(出典:wikipedia
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「すべての実体は一つの全たき世界のようなもの、神をうつす鏡もしくは全宇宙をうつす鏡のようなものである。実体はそれぞれ自分の流儀に従って宇宙を表出するが、それはちょうど、同一の都市がそれを眺める人の位置が違っているのに応じて、さまざまに表現されるようなものである。そこでいわば、宇宙は存在している実体の数だけ倍増化され、神の栄光も同様に、神のわざについてお互いに異なっている表現の数だけ倍増化されることになる。また、どの実体も神の無限な知恵と全能という特性をいくぶんか具えており、できる限り神を模倣している、とさえ言える。というのは、実体はたとえ混雑していても、過去、現在、未来における宇宙の出来事のすべてを表出しており、このことは無限の表象ないしは無限の認識にいささか似ているからである。ところで、他のすべての実体もそれなりにこの実体を表出し、これに適応しているので、この実体は創造者の全能を模倣して、他のすべての実体に自分の力を及ぼしていると言うことができる。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『形而上学叙説』九、ライプニッツ著作集8、pp.155-156、[西谷裕作・1990])

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16.他者の役割を演ずることは、新しい視点を獲得し、より有効なコンストラクトの創造するための助けとなる。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

役割演技

【他者の役割を演ずることは、新しい視点を獲得し、より有効なコンストラクトの創造するための助けとなる。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(a)人間観
 人には、相対的に安定し広範囲に一般化された「特性」があるというよりも、むしろ、多くの異なる役割を演じることができ、継続的にそれを取り替えていくことが可能である。
(b)役割を演ずるということ
 役割というのは、他者を他者の眼鏡を通して見る試みである。つまり、その人のコンストラクトを通して見ること、その見方で人の行為を構造化することである。ある役割を演じるには、他者の見方を知覚し、それによって行動が方向づけられることを必要とする。
(c)治療法
 そこで、人々が新しい視点を獲得したり、より有効な生き方を創り出したりするのを支援するためには、役割演技の技法が役にたつに違いない。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)


 「ケリー(ジョージ・ケリー)は、相対的に安定し広範囲に一般化された特性が人にあるという考え方をとらず、多くの異なる役割を演じることができ、継続的にそれを取り替えていくことが可能だと考えた。

役割というのは、他者を他者の眼鏡を通して見る試みである。つまり、その人のコンストラクトを通して見ること、その見方で人の行為を構造化することである。ある役割を演じるには、他者の見方を知覚し、それによって行動が方向づけられることを必要とする。

例えば自分を母親の「役割を演じる」には、母親がそうするように、その目を通して、自分自身を含めた周囲を見ようとし、その知覚に基づき行動しなければならない。それには、まるで本当に自分の母親になりきったようにふるまおうとするだろう。

人が新しい視点を得たり、より有効な生き方をつくりだしたりするのを支援するため、ケリー(ジョージ・ケリー)は治療的手続きを工夫し、広範囲にわたって、役割演技の技法を用いた。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.396-397、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:パーソナル・コンストラクト心理学)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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15.すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

パーソナル・コンストラクト心理学

【すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1)ある特定のパーソナル・コンストラクトが、その人自身の解釈でがんじがらめにさせ、ジレンマに陥らせているような場合がある。これは、不適切な理論から抜け出せないような状態だ。
(2)もし、その人の解釈が、その人にとって有効ではなく、人生や生活にとって良くない結果を招いているのならば、他のより良い解釈、つまり良い予想ができ、より良い結果が得られる考え方を見つけることが本人の課題になる。
(3)パーソナル・コンストラクト心理学は、その人のコンストラクトを細かい点まで確認・検討し、それが何を意味しているのかを、検証できる状況を提供する。これによって、その人は、自分をそのように解釈することが、自分自身の人生や生活にとって、どんな意味があるのかを理解できるようになる。
(4)このように、すべての人は、新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
検索(George Kelly)
検索(ジョージ・ケリー)

 「ケリー(ジョージ・ケリー)はコンストラクトの絶対的な真実性よりも、コンストラクトの利便性に関心があった。

ある特定のコンストラクトが真実であるかどうかを査定しようとするのでなく、解釈者にとっての利便性や有効性に注意を向ける。

例えば、あるクライエントが「本当に抑うつ的になっているか」あるいは「本当に気が狂ってしまうか」を査定するよりは、自分をそのように解釈することが、クライエントの人生や生活にとって、どんな意味があるのかを見いだそうとする。

もしその解釈が便利でないなら、他のよりよい解釈、つまりよい予想ができ、よい結果が得られる考え方を見つけることが本人の課題になる。

時に心理学者が不適切な理論から抜けだせないのと同様に、患者もまた自分自身の解釈でがんじがらめになり、ジレンマに陥るかもしれない。

「私には価値がない」とか「まだまだ成功しているとはいえない」というような判断を、行動についての解釈や仮説というよりも、議論の余地のない真実であるかのように信じ、自分を苦しめるかもしれない。

心理療法の役割は、パーソナル・コンストラクトが細かい点まで確認・検討され、それが何を意味しているのか検証できる状況を提供することである。

そしてもし、特定のコンストラクトがその人にとって有効でないとわかったら、うまく機能しないとわかった理論や考えを科学者が変更できるように、修正することができる。

科学者と同様、すべての人は新しい経験に照らして、パーソナル・コンストラクトを徐々に修正しながら、検証し、正当であると確認したり、取り消したりする機会を必要としている。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、p.396、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))
(索引:パーソナル・コンストラクト心理学)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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14.コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))

コンストラクトの代替性

【コンストラクトの代替性:(1)被験者自身のコンストラクトを理解する、(2)出来事を「科学的」にではなく、その人のコンストラクトで解釈する、(3)この解釈から、その人の予期と行動が理解される。(ジョージ・ケリー(1905-1967))】
(1)《例》
 ある少年が、母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。
(a) その子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。
(b) 母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話すかもしれない。
(c) 父親は「甘やかされている」と言うかもしれない。
(d) 先生は、少年が「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明だと言うかもしれない。
(e) 祖母は、それを単に「うっかり」起こしたと弁護するかもしれない。
(f) 本人は、その出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。
(2)《コンストラクトの代替性》
 生活や人生における出来事には、無数の解釈が可能である。人は、事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である。そして、解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。このように、人は出来事を予期するのに用いるコンストラクトよって、方向づけられている。
(3) 心理学においては、その人たちがしたことを、我々の意味づけで、すなわち最も科学的に簡潔な方法で理解するのではなく、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たち自身が理解するように理解することが必要である。
ジョージ・ケリー(1905-1967)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
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 「人々を理解するため、ケリー(ジョージ・ケリー)のアプローチを採用するなら、以下のようになる。
 『その人たちがしたことを我々の意味づけで理解するのではなく、その人たち自身が理解するように理解することを試みるだろう。その人たちの生活や人生における出来事を最も科学的に簡潔な方法でまとめる代わりに、その人たちのスキーマが理論的に簡潔であるか否かにかかわらず、その人たちがどのように出来事をまとめるかを私たちは尋ねるだろう。』(Maher,1979,p.203に引用されたKelly,1962)

 同じ事象は他のやり方でも分類されうる。人は常に事象を変化させることはできないかもしれないが、異なるように解釈することはいつでも可能である(Fransella,1995)。

ケリーはこれを、コンストラクトの代替性とよんでいる。

一つの例として、以下のような出来事について考えてみよう。ある少年が母親のお気に入りの花瓶を落としてしまう。これは何を意味しているか。

単純には、花瓶が割れたということである。しかしその子ども担当の精神分析家に聞けば、少年の無意識の敵意を指摘するかもしれない。

母親に尋ねれば、少年がどんなに「意地が悪い」か話し、父親は「甘やかされている」と言い、その子どもの先生は「怠け者」で、ずっと「不器用」であったことの証明として、その出来事をみるかもしれないし、祖母はそれを単に「うっかり」起こしたと弁護し、本人はその出来事を自分の「愚かさ」を示す出来事と解釈するかもしれない。

花瓶は壊れていて、その出来事は取り消すことはできない。しかしそのことには、無数の解釈が可能である。そして解釈が異なれば、その後の行動も違ったものになってくる。

 ケリーの理論は以下のような基本的な仮定から始まっている。「人の心理過程は、その人が出来事をどのように予期するかによって、方向づけられている。
(Kelly,1955,p.46)

これは人の活動は、出来事を予期するのに用いるコンストラクトによって方向づけられることを意味している。

他の現象学的理論と同様に、この考え方でも、その人の主観的な見方を強調するが、特にその人がどのように出来事を予測し予期するかに注目している。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第12章 現象学的・人間性レベルの諸概念、pp.395-396、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

(索引:パーソナル・コンストラクト心理学,コンストラクトの代替性)

パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解



(出典:COLUMBIA UNIVERSITY IN THE CITY OF NEW YORK
ウォルター・ミシェル(1930-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers) 「個人が所有する自由や成長へのわくわくするような可能性には限りがない。人は可能自己について建設的に再考し、再評価し、効力感をかなりの程度高めることができる。しかし、DNAはそのときの手段・道具に影響を与える。生物学に加えて、役割における文化や社会的な力も、人が統制できる事象および自らの可能性に関する認識の両方に影響を与え、制限を加える。これらの境界の内側で、人は、将来を具体化しながら、自らの人生についての実質的な統制を得る可能性をもっているし、その限界にまだ到達していない。
 数百年前のフランスの哲学者デカルトは、よく知られた名言「我思う、ゆえに我あり」を残し、現代心理学への道を開いた。パーソナリティについて知られるようになったことを用いて、私たちは彼の主張を次のよう に修正することができるだろう。「私は考える。それゆえ私を変えられる」と。なぜなら、考え方を変えることによって、何を感じるか何をなすか、そしてどんな人間になるかを変えることができるからである。」
(ウォルター・ミシェル(1930-),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅶ部 各分析レベルの統合――全人としての人間、第18章 社会的文脈および文化とパーソナリティ、p.606、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

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2018年6月10日日曜日

3.ホメオスタシスの入れ子構造:(1)各機構は、より単純な機構を構成要素としている。(2)その際、新しい問題に対応している。(3)全体として「幸福を伴う生存」が目指されている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスの入れ子構造

【ホメオスタシスの入れ子構造:(1)各機構は、より単純な機構を構成要素としている。(2)その際、新しい問題に対応している。(3)全体として「幸福を伴う生存」が目指されている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
ホメオスタシスの入れ子構造
(1) より複雑な反応部分は、その構成要素として、より単純な反応部分を組み込んでいる。
(2) その際、より複雑な反応部分は、構成要素を部分的に手直しし、より単純な反応部分が扱っている問題を超える、新しい問題の解決に目を向けている。
(3) 各階層の機構すべてを用いて、「幸福を伴う生存」という全体的目標が目指されている。

《例》
(b)狭義の情動の機構
 (c)多数の動因と動機、あるいは欲求
 (d)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動
 (e)免疫系
 (f)基本的な反射
 (g)代謝のプロセス

(c)動因と動機の機構
 (d)苦と快の行動の機構
 (g)代謝的補正を中心に展開

(d)苦と快の行動の機構
 (e)免疫系
 (g)代謝調節のうちのいくつかの機構

ホメオスタシスの各階層
(a)感情
(b)狭義の情動
(c)多数の動因と動機、あるいは欲求
(d)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動
(e)免疫系
(f)基本的な反射
(g)代謝のプロセス

 「われわれのホメオスタシスを保証している調節反応のリストをよく調べてみると、そこに、ある興味深い構築プランが見えてくる。

それは、より単純な反応部分をより複雑な反応部分の構成要素として組み込んでいる、つまり、単純なものを複雑なものの中に「入れ子式」に配置していることだ。

実際、免疫系と代謝調節のうちの〈いくつか〉の機構が、苦と快の行動の機構に組み入れられている。また後者の〈いくつか〉の機構が、動因と動機の機構に組み込まれている(動因と動機の機構の大部分は代謝的補正を中心に展開し、またすべてが快や苦に影響している)。そして先行するすべてのレベル――反射、免疫反応、代謝調節、苦や快の行動、そして動因――からなにがしかの機構が、狭義の情動の機構に組み込まれている。

あとでわかるように、さまざまな種類の狭義の情動がまさに同じ原理で組み立てられているのだ。」(中略)

「各反応はそれより下のレベルのより単純なプロセスの部品をあれこれいじって手直ししたものだ。それらはみな同じ全体的目標――幸福を伴う生存――を目指しているが、手直ししたもの一つひとつについては、幸福を伴う生存にとって解決することが不可欠な新しい問題に目が向けられている。全体的目標が達成されるには、それぞれの新しい問題の解決が必要なのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第2章 欲求と情動について、pp.62-64、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:ホメオスタシスの入れ子構造)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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ホメオスタシスのプロセス:(1)内的、外的環境の変化、(2)変化の感知、(3)評価、反応。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスのプロセス

【ホメオスタシスのプロセス:(1)内的、外的環境の変化、(2)変化の感知、(3)評価、反応。(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
ホメオスタシスのプロセス
(1) 一個の有機体の内部あるいは外部の環境で、何かが変化する。
(2) その変化が、その有機体の命の方向を変える。
(3) 有機体は、そうした変化を検出し、有機体の自己保存と効率的機能にとって、最も有益な状況を生み出すように反応する。
(3.1) 有機体の内部と外部の状況を評価する。有機体は、ただ単に生きている状態ではなく、より「優れた命の状態」を目指しているように見える。すなわち、人間であれば「健康でしかも幸福である」状態を目指しているように見える。
(3.2) 反応。
(3.3) 結果として、健全性への脅威を取り除く、改善への好機を手に入れる。

 「自然は、単なる生存という恩恵に満足せず、どうやらすばらしい後知恵も使ったようだ。じつは、生得的な生命調節装置は生と死の中間的な状態を目標とはしていない。そうではなく、ホメオスタシスの努力の目標は中間よりも優れた命の状態を、つまり、思考する豊かな生き物であるわれわれ人間が「健康でしかも〈幸福〉である」とみなす状態へ導くことだ。

 ホメオスタシスの全プロセスは、われわれの体の一つひとつの細胞の中で、刻一刻、命を調節している。この調節は以下のような単純な手順で実現されている。

第一に、一個の有機体の内部あるいは外部の環境で、何かが変化する。第二に、その変化がその有機体の命の方向を変える(その変化は有機体の健全性への脅威にもなるし、有機体の改善の好機にもなる)。第三に、有機体はそうした変化を検出し、有機体の自己保存と効率的機能にとってもっとも有益な状況を生み出すように反応する。

 すべての反応はこのような手順で起こる。それらは有機体の内部と外部の状況を〈評価し〉、それにしたがって動作する手段である。またそれらは、あるときはトラブルを検出し、またあるときは好機を検出する。そしてそれに働きかけることで、トラブルを取り除くという問題や、あるいは好機を手に入れるという問題を解決している。

あとで、狭義の情動――悲しみ、愛、罪悪感といった情動――においてさえ、そのような手順が形をとどめていることを述べる。ただし、その評価と反応は、単純な反応の場合と比較して、はるかに複雑である。それらの情動は、もともと、単純な反応が生物進化の過程で合体したものだからだ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第2章 欲求と情動について、pp.60-61、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:ホメオスタシス)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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1.ホメオスタシス機構の階層:(a)感情、(b)狭義の情動、(c)多数の動因と動機、あるいは欲求、(d)快または苦と結びついている行動、(e)免疫系、(f)基本的な反射、(g)代謝のプロセス(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシス機構

【ホメオスタシス機構の階層:(a)感情、(b)狭義の情動、(c)多数の動因と動機、あるいは欲求、(d)快または苦と結びついている行動、(e)免疫系、(f)基本的な反射、(g)代謝のプロセス(アントニオ・ダマシオ(1944-))】
(a)感情
《例》欲望:意識を持つ個体が、自分の欲求やその成就、挫折に関して持つ認識と感情
(b)狭義の情動
《例》喜び、悲しみ、恐れ、プライド、恥、共感など。
(c)多数の動因と動機、あるいは欲求
《例》空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲など。
《定義》欲求:ある特定の動因によって活発化する有機体の行動的状態
(d)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動――快楽行動、苦痛行動
《例》自動的な行動であり快や苦の経験が生じるとは限らない。意識される場合は「苦しい、快い、やりがいがある、苦痛を伴う」行動
《定義》特定の対象や状況に対する有機体の接近反応や退避の反応。
《誘発原因》
 ある身体機能の不調
 代謝調整の最適作用
 有機体に損害を与えるような外的事象
 有機体を保護するような外的事象
(e)免疫系
《誘発原因》
 有機体の外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子など。
 有機体の内部であっても、例えば死滅しつつある細胞から放出される有害な化学分子。
(f)基本的な反射
《例》有機体が音や接触に反応して示す驚愕反射。極端な熱さ、極端な寒さから遠ざけたり、暗いところから明るいところへ向わせたりする、走性、屈性など。
(g)代謝のプロセス
《定義》
・内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素(内分泌、ホルモン分泌)と機械的要素(消化と関係する筋肉の収縮など)
《機能》
・体内に適正な血液を分配するための、心拍数や血圧の調整。
・血液中や細胞と細胞の間にある液の酸度とアルカリ度の調整。
・運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要なエネルギーを供給するための、タンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備の調整。

 「ホメオスタシス機構とは、自動的な生命調整を備えた、多数の枝分かれをもつ、大きな現象の木、と考えることができる。そして多細胞生物の場合、下から上に登っていくと、その立ち木には順に以下のようなものが見えてくるだろう。

 いちばん下の枝にあるのは、
・代謝のプロセス―――この中には、内部の化学的作用のバランスを維持するための化学的要素と機械的要素(たとえば内分泌やホルモン分泌、消化と関係する筋肉の収縮など)が含まれる。これらの作用は、たとえば心拍数や血圧(それにより体内に適正な血液が分配される)、内部環境(血液中や細胞と細胞の間にある液)の酸度とアルカリ度の調整、有機体にエネルギーを供給するために必要なタンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備(エネルギーは、運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要)などを管理している。

・基本的な反射―――たとえば、有機体が音や接触に反応して示す驚愕反射。あるいは、有機体を極端な熱さや極端な寒さから遠ざけたり、暗いところから明るいところへ向わせたりする、走性、屈性など。

・免疫系―――免疫系は有機体の外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子などを撃退すべく備えている。興味深いことに、免疫系は、体内の健全な細胞に通常含まれている化学分子でも、それが死滅しつつある細胞から内部環境に放出されると有機体にとって危険であるような場合、そのような化学分子(たとえば、ヒアルロン酸の分解、グルタメート)に対しても備えている。要するに、免疫系は、有機体の完全性が外部からであれ内部からであれ脅かされるときの、第一の防御線である。

 中レベルの枝にあるのは、
・通常、快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動―――こうしたものには、たとえば、特定の対象や状況に対する有機体の接近反応や退避の反応がある。人間の場合、感じることもできるし何が感じられているかを報告することもできるので、そうした反応は、苦しい、快い、やりがいがある、苦痛を伴うといったように説明される。」

(中略)「苦と快は多くの原因――たとえば、ある身体機能の不調、代謝調整の最適作用、有機体に損害を与えるような、あるいは有機体を保護するような外的事象――によって誘発される。しかし苦や快の〈経験〉は〈苦痛行動や快楽行動の原因ではない〉し、またそうした行動が生じる上で必要なものでもない。次項で述べるように、ひじょうに単純な生物は、たとえそうした行動を感じる可能性が低かったりゼロであったりしても、こうした情動的行動のうちいくつかを実行することができる。

 次に高いレベルにあるのは、
・多数の動因と動機―――主たる例は、空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲、である。スピノザは〈欲求〉というじつに適切な言葉でそれらをひとまとめにし、また意識をもつ個体がそうした〈欲求〉を認識するようになる状況に対して〈欲望〉という言葉を使った。欲求という言葉は、ある特定の動因によって活発化する有機体の行動的状態を意味する。さらに欲望という言葉は、ある欲求をもっていることに対する、そしてその欲求の最終的な成就または挫折に対する意識的感情を意味している。このスピノザの区別は、本章の出発点である情動と感情の区別と、見事に対応している。明らかに人間には欲求と欲望があり、情動と感情がそうであるように、それらはシームレスに結びついている。

 最上部に近いが、最上部ではないレベルにあるのは、
・狭義の情動―――ここには自動化された生命調整のうちのもっとも重要な部分がある。つまり、喜びや悲しみや恐れからプライドや恥や共感まで、狭い意味での情動だ。では、木の最上部には何があるか。答えは単純、感情である。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第2章 欲求と情動について、pp.55-59、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:ホメオスタシス,感情, 情動, 動因, 動機, 欲求, 快, 苦, 免疫系, 反射, 代謝)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

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