2018年8月9日木曜日

2人以上の行為者が、相手の行為の意図を互いに、自己の潜在的運動行為として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「行為の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

行為の共有空間

【2人以上の行為者が、相手の行為の意図を互いに、自己の潜在的運動行為として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「行為の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】

行為の共有空間
(a)観察者A=行為者A
 (a1) 他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。
 (a2)すなわち、行為者Bの行為が、単独の行為であっても行為の連鎖であっても、観察された状況に最もふさわしい型の観察者Aの潜在行為として表象され、行為者Bが好むと好まざるとにかかわらず、観察者Aに対して意味を持つ。ここでは、意図的な「認知作業」はいっさい必要ない。
(b)行為者B=観察者B
 同時にBは、Aの行為を見るとき、その行為はただちにBに対して意味を持つ。
(c)このように、2人以上の行為者が、相手の行為の意図を互いに、自己の潜在的運動行為として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「行為の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。

 「「見る側の行為」は潜在的な運動行為であり、ミラーニューロンの活性化によって引き起こされる。ミラーニューロンは運動の言語で感覚情報をコードし、私たちが他者のすることを見てただちにそれを理解する能力の根底にある、行為と意図の「相互関係」を可能にする。他者の意図の理解とは、この場合、心理化、すなわちメタ表象活動に基づくのではなく、観察された状況に最もふさわしい行為の連鎖の選択にかかっている。誰かが何かをするのを見たとたん、それが単独の行為であっても行為の連鎖であっても、相手が好むと好まざるとにかかわらず、その動きはただちに私たちにとって意味を持つ。当然、その逆も成り立つ。私たちの行為はそれを見ている人にとってただちに意味を持つ。ミラーニューロン系と、それを作り上げているニューロンの反応の選択性が「行為の共有空間」を生み出し、その中で、個々の行為や行為の連鎖が、それが自分たちのものであろうと他者のものであろうと、ただちに記録され理解される。明確な、あるいは意図的な「認知作業」はいっさい必要ない。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第5章 ヒトのミラーニューロン,紀伊國屋書店(2009),pp.148-149,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:行為の共有空間)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

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4.皮膚への単発の有効な刺激に対して、14~50ms後に初期EP(誘発電位)が生じ、その後ERP(事象関連電位)が生じる。初期EPは、意識感覚の必要条件でも十分条件でもない。ERPが意識感覚と関連している。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

初期誘発電位(初期EP)と事象関連電位(ERP)

【皮膚への単発の有効な刺激に対して、14~50ms後に初期EP(誘発電位)が生じ、その後ERP(事象関連電位)が生じる。初期EPは、意識感覚の必要条件でも十分条件でもない。ERPが意識感覚と関連している。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

意識的な皮膚感覚
 ↑
 │
事象関連電位(ERP)と呼ばれる皮質の一連の電気変化
 ↑意識感覚を生み出すために、500ms以上の間持続することが必要である。
 │全身麻酔状態にある場合、ERPは消失する。
 │皮膚パルスの強さを、意識できないレベルまで下げると、ERPは突然消失する。
 │
皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EP(誘発電位)が局所的に発生する。
 ↑短い経路で14~20ms、長い経路で40~50ms後。
 │初期EPが無くとも、意識感覚は生み出せる。
 │初期EPがあっても、意識感覚は生み出せない。
 │
 │速い特定の投射経路を通っていく。
 │
単発の有効な皮膚への刺激パルス

 「第一番目の証拠は、皮膚への単発の《有効な》刺激に対する大脳皮質の電気反応についてです。

各々の単発のパルスによって、誘発電位(EP)または事象関連電位(ERP)と呼ばれる皮質の一連の電気変化が生じることは、すでに見つかっていました。これらのERPが、皮質内での神経細胞の反応を反映していることは研究によって示されています。

 ここにはさまざまな重要なコンポーネントがあります。まず、刺激を受けた皮膚領域が「投射する」感覚皮質の特定の小さな領域で、初期EPが局所的に発生します。

この初期EPを起こす入力が、前に述べた速い特定の投射経路を通っていくのです。初期EPは、皮膚パルスの後、ほんの数十ミリ秒間の遅れの後に始まります。たとえば頭からのように、距離の短い経路の場合、14~20ミリ秒間の遅延の後に始まり、足からの長い経路の場合は40~50ミリ秒間かかることがあります。初期EPのサイズまたは振幅は皮膚からの入力の強さに関係して決まります。

 初期EPの驚くべき特性というのは、これが意識感覚を引き出すための必要条件でも十分条件でもないことです。

必要でないことがわかった理由は、感覚皮質の表面に微弱な刺激を与えると意識感覚を引き出すことができることでした。この皮質刺激は、初期EPと同等の、いかなる誘発電気反応も生み出しません。初期EPは下から感覚経路を通って皮質に伝えられる入力によってのみ、生じるのです。

 一方、特定の感覚経路のうち《脳の中に位置する部分》のどこにでも《単発の》刺激パルスを与えると、感覚皮質の初期EP反応を確かに引き出します。しかし、この単発のパルスは主観的な感覚をまったく引き出しません。

これは、パルスが比較的強く、誘発された初期EP反応が大きかった場合ですら、このことには変わりがありません(リベット他(1968年))。第一次感覚経路からの反応が(単発で)意識感覚を引き出すことができないことを、ジャスパーとバートランド(1966年)も観察しています。

すでに述べてきたように、意識を伴う感覚を得るには、感覚皮質へ刺激を与える場合と同じように、この経路に刺激パルスが反復的に与えられなければならないのです。

(皮膚へのパルス刺激に対して)最初に起こる皮質の初期反応によって意識感覚が生じない以上、アウェアネスを実現するには後から起こるいくつかの反応コンポーネントが必要ということになります。

実際、皮膚への単発のパルスは、記録された皮質の電気反応の中で、最初に誘発された反応に加えて、後に続くコンポーネントを引き出します。

人間が全身麻酔状態にある場合には、初期EPは拡大する場合さえある一方、後に続くERPのコンポーネントは消失します。しかし、当然ながら患者にはどのような感覚も生じません。

同様に、単発の皮膚パルスの強さを、覚醒した健常な被験者が何も感じないと報告するレベルにまで下げた場合、後に続くERPコンポーネントは突然になくなりますが、はっきりとわかる初期EP反応は依然として感覚皮質で記録することができるのです(リベット他(1967年))。

 したがって、《皮膚への単発のパルス》の後に生じる大脳皮質の《後からの》反応が、意識感覚を生み出すのに必要であるらしい、ということになります。これらの遅い反応は、事実上、仮定されているアウェアネスの遅れに必要な活性化をするのに十分な、0.5秒以上の間持続します。そしてこの現象は皮膚への正常な感覚刺激でも起こります。

しかしながら、意識感覚に必要な、後から誘発されるコンポーネントの実際の最小限の時間の長さがどれほどかは、まだ立証されていません。また後からの反応のうち特定のコンポーネントが、アウェアネスの特別な作用因子である可能性も、まだ証明されていません。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.54-58,下條信輔(訳))
(索引:初期誘発電位,初期EP,事象関連電位,ERP)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2018年8月8日水曜日

サルとヒトのミラーニューロンの違い:広範囲の皮質を含む、自動詞的な運動行為にも反応する、個々の動きと行為の目的の両方を捉える、行為の真似に対しても反応する。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

サルとヒトのミラーニューロンの違い

【サルとヒトのミラーニューロンの違い:広範囲の皮質を含む、自動詞的な運動行為にも反応する、個々の動きと行為の目的の両方を捉える、行為の真似に対しても反応する。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】
サルとヒトのミラーニューロンの違い。
 ・ヒトでは、サルの場合よりも広範囲の皮質を含むように見える。
 ・ヒトのミラーニューロン系は「他動詞的」な運動行為と「自動詞的」な運動行為の両方をコードする。
 ・運動行為の目的と、行為を構成する個々の動きの両方をコードすることができる。
 ・「他動詞的」な運動行為の場合、対象物への実際の働きかけは絶対条件ではない。行為を真似ただけのときも、活性化できる。

(再掲)
(b)ミラーニューロン
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その特定のタイプの行為に呼応したニューロンの一部が発火する。例えば、つかむミラーニューロン、持つミラーニューロン、いじるミラーニューロン、置くミラーニューロン、両手で扱うミラーニューロン。運動行為の視覚情報には、次のような特徴がある。
 ・カノニカルニューロンとは違い、食べ物や立体的な対象物を見たときには発火しない。
 ・手や口や体の一部を使って、対象物へ働きかける行動を見たときに限られ、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、対象物のない自動詞的行為には反応しない。
 ・見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 ・観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火する。
 ・視覚刺激の大きさに影響されることもない。
 ・2つ、あるいはめったにないが3つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。  (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。

 「これまで見てきたように、電気生理学と脳画像研究はともに、サルで発見されたものとよく似たミラーニューロンがヒトにも存在していることを示している。しかし、両者には重要な違いがいくつかある。一つには、ミラーニューロン系はヒトでは、サルの場合よりも広範囲の皮質を含むように見える。もっともこの結論は、種によって使われる実験技術が違う点を考えると、ある程度用心して扱わねばならない。個々のニューロンの活動を記録するのと、血流の変化に基づいてさまざまな皮質野の活動を分析するのとは、まったく別物だからだ。しかし、なんと言っても最も重要な違いは、ヒトのミラーニューロン系には、サルで発見されていない特性があることだ。たとえば、ヒトのミラーニューロン系は「他動詞的」な運動行為と「自動詞的」な運動行為の両方をコードするし、運動行為の目的と、行為を構成する個々の動きの両方をコードすることもできる。最後に、「他動詞的」な運動行為の場合、対象物への実際の働きかけは絶対条件ではない。行為を真似ただけのときも、活性化できるからだ。
 すでに述べたように、こうした特性には重要な機能的意味合いがあるのかもしれない。しかし、ヒトのミラーニューロン系がサルで観察されたものよりも幅広いタスクを遂行できるからといって、ミラーニューロン系の《第一》の役割、すなわち「他者の行為の意味の理解」に関連した役割をうやむやにしてはならない。現に、他者の手による行為の観察によって、同じ行為をするために観察者が使う手の筋肉の運動誘発電位(MEP)が増加するという結果が、経頭蓋磁気刺激法(TMS)を使った実験から得られている。また脳画像研究からは、手や口や足を使った行為の観察から生じる前頭葉の活性化が、こうした体の部位の体性感覚局在的な運動表象に基本的に一致することが明らかになっている。
 サルと同じでヒトの場合も、他者の行為を目にすると、その行為の構成と実行を担う運動野がただちに活性化し、この活性化を通して、観察された「運動事象」の意味が解読できる。すなわち、《目的志向動作の観点》から《理解》できるのだ。この理解は、私たちが行為をするための能力が依存している「行為の語彙」と「運動知識」にもっぱら基づいているため、内省、概念、言語のいずれか、あるいはそのすべてが介在することはまったくない。最後に、やはりサルの場合と同じように、この理解は個々の運動行為に限定されずに、行為の連鎖全体に及んでいる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第5章 ヒトのミラーニューロン,紀伊國屋書店(2009),pp.142-143,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

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3.感覚皮質への刺激が意識経験を生じさせるのに、約0.5sの持続時間が必要だとすれば、通常の皮膚への刺激などによって意識感覚が生じるためには、刺激から約0.5sの遅れがあるはずである。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識感覚の遅れ

【感覚皮質への刺激が意識経験を生じさせるのに、約0.5sの持続時間が必要だとすれば、通常の皮膚への刺激などによって意識感覚が生じるためには、刺激から約0.5sの遅れがあるはずである。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】
(再掲)
(a)感覚皮質への刺激
 感覚皮質に、約0.1~0.5msのパルス電流を20~60p/sの周波数で与え、閾値レベルの微弱な意識感覚を生じさせるには、約0.5sの持続時間が必要である。高周波数では閾値の強度は低くなるが、約0.5sの持続時間は不変である。
(b)皮膚への刺激
 皮膚への刺激は、単発で微弱な電気パルスからでさえ、意識感覚が生じる。
 すると(a)から、皮膚感覚を意識するためには、0.5秒間の遅れがあるはずである。

意識的な皮膚感覚 0.5秒間の遅れがあるはず。
 ↑
十分な長さ(0.5秒間)の脳の活性化
 ↑
単発の有効な皮膚への刺激パルス

 「感覚経路の脳レベルでの直接的な活性化のためには時間的な必要条件がある、というこの新しい発見は、しかし、皮膚への刺激や、皮膚から脊髄への神経線維の刺激の必要条件とは合致しないようです。

皮膚へ(または、皮膚から神経線維へ)の単発で微弱な電気パルスからでさえ、意識感覚が生じることは長い間知られていました。

では、いったい何が起こっているのでしょうか? アウェアネスが生じるまでの相当の遅延に対する私たちの提案は、皮膚からの通常の場合には通用しないのでしょうか?

 この疑問を検討するには、末梢的な(皮膚)入力での必要条件と、皮膚からの入力によって生じる脳プロセスでの必要条件の違いを区別する必要があります。すなわち、意識的な皮膚感覚が現れるには、単発の有効な皮膚への刺激パルスによって十分な長さ(0.5秒間)の脳の活性化が生じていなければならないでしょう。

そのため、以下の記述内容が真実であるかを検証する方法を私たちは検討しました。「皮膚への単発パルス入力によって生じた、意識を伴う感覚的なアウェアネスにおいても、0.5秒間の遅れがあるか?
  ――正常な感覚入力に伴う、アウェアネスの実際の遅延――
 皮膚、または感覚神経への単発で微弱なパルスでも、意識感覚を十分に引き出すことができます。

このことは、前節で述べた証拠に一見反論しているように見えます。その研究では、意識感覚が生じるには最大約0.5秒間の脳の活性化が必要であることがわかりました。これが皮膚への刺激にも当てはまるのならば、意識を伴った皮膚感覚が現れるには、単発な刺激パルスによって十分な長さ(0.5秒間)の脳の活性化が生じていなければならないことになります。

 すると、質問は以下のようなものになります。「そのパルスが意識感覚を引き出した場合、皮膚への単発パルスは、約0.5秒間は続かなければならない脳の活性化を生みだしていただろうか?」これはすなわち、神経メッセージが皮膚の正常なソースへの単発で微弱なパルスによって始まった場合、やはり感覚的なアウェアネスに実際の遅延があるだろうか、ということです。」

(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.52-54,下條信輔(訳))
(索引:意識感覚の遅れ)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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2018年7月30日月曜日

22.中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))

中核自己

【中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))】

(a) 1次のマップに対応する内的経験
 (a1) 対象のマップの内的経験
  形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶など。
  対象は、実際に存在ものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
  対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
 (a2) 原自己のマップの内的経験
 (a2.1) マスター内知覚(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (a2.2) マスター生命体(身体の形、身体の動き)
 (a2.3) 外的に向けられた感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体の一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)
(b) 2次のマップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
 (b1) 何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
 (b2) その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせる。
 (b3) 何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れて、聞いている。
(再掲)
(a) 1次のマップ
 (a1) 対象のマップ:原因的対象の変化を表象する神経構造
 (a2) 原自己のマップ:原自己の変化を表象する神経構造
(b) 2次のマップ:(a1)と(a2)の双方の時間的関係を再表象する神経構造(仮説)
 (b1) はじめの瞬間の原自己の状態(a1)が反映される。
 (b2) 感覚されている対象の状態(a2)が反映される。
 (b3) 対象によって修正された原自己の状態(a1)が反映される。
 (b4) (b1)~(b3)を時間順に記述してゆくような、神経パターンが作られる。
 (b5) (b4)から直接的、または間接的に、流れる意識のイメージが作られる。
 (b6) 対象のイメージを強調するような信号が、直接的、または間接的に(a1)に戻される。
(b)のような2次のマップが複数あり、相互に信号をやり取りしている(仮説)。

   原自己のマップ
     │
対象X の │
マップ  │
  │  ├→はじめの瞬間の
  │  │   原自己のマップ
  ├───→対象X のマップ
  │  ├→修正された
  │  │   原自己のマップ
  │  │   ↓
  │  │(2次マップの組み立て)
  │  │   ↓
  │  │(イメージ化された
  │  │   │  2次マップ)
強調された←───┘
対象X の │
マップ  │
  │  │
  ↓  ↓


(1)生命体が、ある対象に遭遇する。
(2)ある対象が、感覚的に処理される。
(3)対象からの関与が、原自己を変化させる。
(4)原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。
(5)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化させた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。
(6)「ある対象が、ある特定の視点から見られ、触られ、聞かれた。それは、身体に変化を引き起こし、その対象の存在が感じられた。その対象が重要とされた。」こうしたことが、起こり続けるとき、対象によって変化させられたもの、視点を持っているもの、対象を知っているもの、対象を重要だとし関心と注意を向けているもの、これらを担い所有する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。

対象→原自己→変調された原初的感情
↑      変調されたマスター生命体
│       │    ↓
│       │   視点
│       ↓
│     知っているという感情
│       ↓     │
└─────対象の重要性  ↓
             所有の感覚
             発動力

「私が引き出した具体的な答えは、以下の仮説の中にある。

 〈対象を処理する有機体のプロセスによって有機体自身の状態がどう影響されるかについて、脳の表象装置がイメージ的、非言語的説明を生成し、かつ、このプロセスによって原因的対象(有機体の状態に影響を及ぼす対象)のイメージが強調され、時間的、空間的に顕著になると、中核意識が生じる〉

 この仮説は、二つの要素的機構について述べている。

 一つは、対象と有機体の関係についてのイメージ的、非言語的説明の生成――これが「認識中の自己感」の源である――で、もう一つは、対象のイメージの強調である。このうち自己感の要素に関して言えば、この仮説は以下の前提をよりどころとしている。

(1) 意識は、有機体とある対象との相互作用に関する新しい知識の内的な構築と提示に依存している。

(2) 一個のユニットとしての有機体は、その有機体の脳の中に、つまり有機体の命を調節し有機体の内的状態を継続的に信号化している構造の中にマッピングされる。

また対象も脳の中に、つまり有機体と対象との相互作用によって活性化した感覚構造と運動構造の中にマッピングされる。

結局、有機体も対象も、ニューラル・パターンとして一次のマップにマッピングされる。これらのニューラル・パターンはすべてイメージになりうる。

(3) 対象に関する感覚運動マップが、有機体に関するマップに変化を引き起こす。

(4) (3)で述べた変化は別のマップ(二次のマップ)に再表象される。それは対象と有機体の関係性を表象している。

(5) 二次のマップに一時的に形成されるニューラル・パターンは、一次のマップのニューラル・パターン同様、心的イメージになりうる。

(6) 有機体のマップも二次のマップも本質的に身体に関係しているから、その関係性を記述する心的イメージは感情である。

 繰り返せば、ここでの問題の焦点はマップ中のニューラル・パターンがどのようにして心的パターンやイメージになるか、ではない。第1章で概要を述べたように、それは意識の「第1の」問題であって、われわれがいま問題にしているのは意識の「第2の」問題、つまり自己の問題である。

 脳に関して言えば、この仮説における有機体は原自己により表象されている。そして、「説明」の中で注意が向けられている有機体の重要な側面は、前に私が原自己に授けられていると指摘したもの、すなわち、内部環境、内臓、前庭システム、筋骨格の各状態である。

その説明は、いま変化しつつある原自己と、そうした変化を引き起こす対象の感覚運動マップとの関係性を描写している。

 要するに、脳が、ある対象――たとえば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の記憶――のイメージを形成し、その対象のイメージが有機体の状態に「影響を及ぼす」と、別のレベルの脳構造が、対象と有機体の相互作用によって活性化したさまざまな脳領域でいま起きている事象について、素早く、非言語的な説明をする。

対象と関係する結果のマッピングは、原自己と対象を表象する一次のニューラル・マップに生じ、対象と有機体の「因果的関係」に対する説明は、唯一、二次のニューラル・マップに取り込まれる。

これを、大胆な比喩を使って言うと、素早い非言語的説明が語るストーリーとは、〈何か別のものを表象しつつみずからの変化を表象しているところを捕まえられた有機体の話〉ということになる。しかしここで驚くべきは、捕まえるほうの認識可能な実在が、その捕獲プロセスの話の中で生み出されているという事実である。

 このプロットは、脳が表象する対象一つひとつに対して、間断なく繰り返される。その場合、対象は実際に存在し有機体と相互作用しようが、いま過去の記憶から甦りつつあろうが、どちらでもよい。
また、その対象は何でもよい。

健康な人間なら、脳が覚醒していて、イメージ生成機構と意識の機構が「オン」であるかぎり、そして瞑想のようなもので自分の心の状態を操作していないかぎり、「本物の」対象も「思考上の」対象も尽きることはなく、したがって中核意識と呼ばれる産物も潤沢で尽きることはない。

本物であれ、想起されたものであれ、対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『起こっていることの感覚』(日本語名『無意識の脳 自己意識の脳』)第3部 意識の神経学、第6章 中核意識の発見――無意識と意識の間、pp.213-215、講談社(2003)、田中三彦(訳))
(索引:中核自己)

無意識の脳 自己意識の脳


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2018年7月29日日曜日

2.感覚皮質に、約0.1~0.5msのパルス電流を20~60p/sの周波数で与え、閾値レベルの微弱な意識感覚を生じさせるには、約0.5sの持続時間が必要である。高周波数では閾値の強度は低くなるが、約0.5sの持続時間は不変である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

意識経験を生じさせるのに必要な刺激時間

【感覚皮質に、約0.1~0.5msのパルス電流を20~60p/sの周波数で与え、閾値レベルの微弱な意識感覚を生じさせるには、約0.5sの持続時間が必要である。高周波数では閾値の強度は低くなるが、約0.5sの持続時間は不変である。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】
(1)実験方法
 (1.1)短いパルス電流(実験によってそれぞれ約0.1~0.5ミリ秒間持続する)による刺激を、1秒あたり20パルスから60パルスの範囲で反復する。
 (1.2)1秒あたりのパルス数を決めたら、電流の強さは、意識感覚を生じるような最低限のレベルまで下げる。
(2)実験結果
 (2.1)閾値レベルの微弱な感覚を引き出すには、反復的な刺激パルスを約0.5秒間継続しなければならない。
 (2.2)1秒間あたり30パルス(pps)から60パルスという、より周波数の高い刺激パルスにすると、閾値の強度が低くなる。すなわち、弱い電流でも意識経験が生じる。
 (2.3)しかし、60ppsで意識感覚を引き出すために必要な最小限の連発持続時間が0.5秒間で、変わらない。すなわち、与えられた周波数ごとに決まる閾値強度を用いている限りは、0.5秒間の連発時間という最小限の必要条件は、周波数または刺激パルスの回数には影響を受けず、不変である。

以下、補足説明。(ただし、図は概念的なものである。)
(a)被験者の報告する意識感覚の長さも変わる。
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│←─5~0.5秒───────────→│

(b)閾値レベルの微弱な感覚を引き出すには、反復的な刺激パルスを約0.5秒間継続しなければならない。
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┼┴┴┴┴┴┴┴┴┼
│←─0.5秒 ──→│

(c)連発した閾値の刺激を0.5秒以下に短縮すると、感覚が消失する。
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│←0.5秒 より→│
   短時間

(d)パルスの強度(ピーク電流)が十分に上がっていればどうにか意識的感覚を引き出すことができる。しかし、強度をより強くしていくと、人間の通常の日常生活ではそう簡単には出会わないであろうレベルの末梢感覚インプットの範囲に達する。
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(e)ほんの数回、または単発のパルスでも反応が生じるほどの強度の刺激を体性感覚皮質に与えた場合には、手または腕の筋肉のわずかな痙攣が発生し、被験者の報告に影響を与える。すなわち、感覚皮質への刺激だけから、意識的感覚が生み出されたかどうかを判断することができなくなる。
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 「それでは、感覚皮質にあらゆる種類の多様な刺激を与えた結果、何が発見されたでしょうか(リベット他(1964年)、リベット(1973年)参照)。

短いパルス電流(実験によってそれぞれ約0.1~0.5ミリ秒間持続する)による刺激を、1秒あたり20パルスから60パルスの範囲で反復します。

その結果、時間的要因が、意識経験を引き出すための最も興味深い必要条件であることがわかりました。閾値レベルの微弱な感覚を引き出すには、反復的な刺激パルスを約0.5秒間継続しなければなりません。この必要条件は、神経機能としては驚くほど長い時間です。

 では、これをどのように計測したのでしょうか? 0.5秒間持続する《一連》のパルスで最も微弱な意識感覚を生み出すには、そのために必要な《最低限の》レベルまで強度(各パルスの電流の強さ)を上げなければなりません。

この閾値の強度で連発したパルスを5秒以下に短縮すると、被験者が報告する意識感覚の長さもまた短縮します。しかし、被験者が知覚している感覚の強さは変わりません。

さらに、連発した閾値の刺激を0.5秒以下に短縮すると、感覚が消失します。

一方、連発時間が短くても(0.5秒以下)、パルスの強度(ピーク電流)が十分に上がっていればどうにか意識的感覚を引き出すことができました。

しかし、強度をより強くしていくと、人間の通常の日常生活ではそう簡単には出会わないであろうレベルの末梢感覚インプットの範囲に達します。

 それでは、刺激強度を上がることによってどうして、0.5秒以下の連発したパルスでも効果が得られるようになるのでしょうか? より高い強度であれば、間違いなくより多くの神経線維を興奮させ、これらの神経線維からインプットを受ける数多くの神経細胞に影響を与えます。

あるいは、強度が上がると、(興奮する神経細胞の数は増えないにしても)より低い閾値の刺激強度に反応する共通のニューロン群の多くで、発火の頻度が増加します。

これと関連して、たとえば、1秒間あたり30パルス(pps)から60パルスというより周波数の高い《刺激》パルスにすると、閾値の強度が低くなります。

しかし、60ppsで意識感覚を引き出すために必要な《最小限の連発持続時間》が0.5秒間であることには《変わりありませんでした》。

つまり、与えられた周波数ごとに決まる閾値強度を用いている限りは、0.5秒間の連発時間という最小限の必要条件は、周波数または刺激パルスの回数には影響を受けず、不変であることが示されています。

 刺激の強度を上げていくと、(結果の解釈上)込み入った要因が関わってくることになります。すなわち、より直径の細い、さまざまな神経線維までもが発火し得るのです。

これがどのように、受容体ニューロン群の反応に影響を与えるかについてはまだ明らかになっておらず、(結果を予測する上で)取り扱いが難しいのです。

 ほんの数回、または単発のパルスでも反応が生じるほどの強度の刺激を体性感覚皮質に与えた場合には、さらに込み入った問題が生じます。

しかし、これらの反応は、手または腕の筋肉のわずかな痙攣も含みます。したがって、こうした高い強度においては観察可能な運動反応が見られるわけです。患者が報告した内容は、筋肉中または周辺にある受容体から実際の末梢感覚メッセージを生み出すこの筋肉の痙攣と明らかに関係があるのです。

(したがって、500ミリ秒以下で自覚報告が得られても、先の原則の反証にはならないのです)。

こうした運動反応があるせいで、(末梢からのいかなる感覚フィードバックもなしで)単発あるいはほんのわずかな回数の強いパルスが意識感覚を直接引き出せるかどうかを決定することはできないのです。」

(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.45-47,下條信輔(訳))
(索引:意識経験を生み出すのに必要な刺激時間)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

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アストロサイトは探査し、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

アストロサイト

【アストロサイトは探査し、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させる。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】
 アストロサイトはあちこち探査しながら、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させている。「もうひとつの脳」は、意識的な心のまったく外側で活動しながら、「ニューロンの脳」の回路を形作っている。例えば、
 (a)細胞触手でニューロンの間を探っている。その触手を滑らかに伸び縮みさせて、ニューロン間を出入りしながら、脳の神経回路を変化させている。
 (b)シナプス周囲からそのグリア触手を引き抜くと、ニューロンの露出部分が増加する。
 (c)触手を退縮させると、シナプス間隙を間近で取り囲んでいたときほど、神経伝達物質をすばやく取り込むことができなくなる。その結果、細胞外間隙に神経伝達物質を蓄積させて、シナプス伝達に変化をもたらす。
 (d)数種類の神経活性物質(現在では、グリア伝達物質と呼ばれている)を放出し、ニューロンのシナプス上にある神経伝達物質受容体を刺激する。
 (e)シナプス伝達を直接調節できる。そこには、アミノ酸のタウリンやATP、D-セリンなど、ニューロンがシナプス伝達で使用しているのと同じ物質が含まれる。

 「私たちが水分を摂取する量と頻度は、その時々で大きく異なるにもかかわらず、脳は体内の水分量を厳密な範囲内に調節している。水は生命維持のために食糧よりも重要で、いかなる生物の体内でも、常に適切なレベルに維持されていなければならない。水分が欠乏すると、数時間のうちに身体機能にも精神機能にも支障が出る。脱水が続けば、数日のうちに命を落とすことになり、ほとんどの病気より急速に死に直結する。
 私たちの体が脱水に対処するひとつの方策に、抗利尿ホルモン(ADH)の血流中への放出がある。このポリペプチドホルモンは、視床下部ニューロンから分泌され、腎臓に作用して尿の排出量を減らし、体内に蓄えた貴重な水分の減少を食い止める。喉が渇いた動物では、視床下部のシナプスに存在するグリアが驚くべき方法で応答することを、解剖学者らが観察した。
 この無意識の脳で働くグリアに関する最近の研究から、別の新事実、つまりグリアが動けることが明らかになっている。今この瞬間にも、脳内のアストロサイトは活動していて、その細胞触手でニューロンの間を探っている。その触手を滑らかに伸び縮みさせて、ニューロン間を出入りしながら、アストロサイトは脳の神経回路を変化させているのだ。グリアにこうした働きがあることに気づく前でさえ、脳細胞に関する私たちの概念には、重要な何かが欠けているといつも感じていた。そこには、あまりにも動きがなさすぎた。一枚の基板上に無数のはんだ接合で固定された超小型回路によく似て、ニューロンは脳内でシナプス結合の網み目の中につなぎ留められている。このように固定されて動きの取れない状態にあるニューロンは、人工的で不自然に見える。これとは対照的に、束縛されていないグリアの細胞触手は、脳内で絡まるように結びついている神経線維網の間を、自在に動き回って探りながら、脳組織を細胞運動で活性化している。アストロサイトはあちこち探査しながら、構造的に脳を再構築し、ニューロン間の結合を変化させている。「もうひとつの脳」は、意識的な心のまったく外側で活動しながら、「ニューロンの脳」の回路を形作っているのだ。
 アストロサイトは、視床下部のシナプスにおいてこのような細胞リモデリングを行うことによって、渇きに応じてシナプス特性を変化させられる。シナプス周囲からそのグリア触手を引き抜くと、ニューロンの露出部分が増加する。また、触手を退縮させたアストロサイトは、シナプス間隙を間近で取り囲んでいたときほど、神経伝達物質をすばやく取り込むことができなくなる。このような神経伝達物質の排出の遅れは、細胞外間隙に神経伝達物質を蓄積させて、シナプス伝達に変化をもたらす。神経科学者ステファン・ウエレらはフランスのボルドーで、微小電極を用いて視床下部のシナプス機能を研究し、動物の給水を断つと、シナプス周辺のアストロサイトが形を変えて、シナプス電位が変化することを見出した。グリア触手の先端による同じようなシナプス電位の調節は、筋肉のほかの部位でも起こっているだろうと、彼らは示唆している。
 シナプスを出入りして探り続けるグリア触手は、別の方法でもシナプス伝達を調節できる。それは、シナプスに作用する物質の放出である。視床下部では、アストロサイトは数種類の神経活性物質(現在では、グリア伝達物質と呼ばれている)を放出し、ニューロンのシナプス上にある神経伝達物質受容体を刺激している。グリアはこうして、多様な神経伝達物質を放出するだけで、シナプス伝達を直接調節できる。そこには、アミノ酸のタウリンやATP、D-セリンなど、ニューロンがシナプス伝達で使用しているのと同じ物質が含まれる。アストロサイトから放出されるこれらの物質はそれぞれ、シナプス伝達に異なる効果を及ぼす。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第13章 「もうひとつの脳」の心――グリアは意識と無意識を制御する,講談社(2018),pp.435-437,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:アストロサイト)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

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共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

共感のミラーニューロン仮説

【共感のミラーニューロン仮説:他人が感情を表しているところを見ると、その視覚情報が、同じ身体感覚の表象を引き起こし、この表象が同じ表情、同じ感情を誘発する。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

共感のミラーニューロン仮説
(1)被験者は、他人が感情を表しているところを見る。
(2)被験者が顔を見ている間、まるで自分自身がその表情をしているかのような、身体感覚の表象が現れる。また、実際に被験者の顔の表情が変化する。これは、ミラーニューロンが実現する。
(3)ミラーニューロン領域の活性化は、島、大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核(顔に強く反応する辺縁構造)に伝播し、活性化させる。これで、感情はいわば本物となる。
(4)結果的に、他人の感情が共有されることになる。
 「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。(エドガー・アラン・ポーの短篇小説「盗まれた手紙」の主人公・探偵オーギュスト・デュパンの台詞)

 「もしミラーニューロンが信号を送っているのなら、顔写真の表情を模倣してもいる被験者の脳活動に高まりが見られるはずである。その高まりはミラーニューロン領域だけでなく、島でも大脳辺縁系でも見られるだろう。なぜならミラーニューロン領域での活動の高まりは、ミラーニューロンからの信号を受け取っている残りの二つにも広がるからだ。重要なのは、この最後の部分である。模倣中に起こると見られるミラーニューロン領域の活動は、ぜひとも広がっていかなくてはならない。
 これが私たちの仮説だった。そして結果は、私の二つの予測を実証した。被験者が顔を見ているあいだ、ミラーニューロン領域、島、そして大脳辺縁系の感情をつかさどる部分、とくに扁桃核――顔に強く反応する辺縁構造――は実際に活性化し、その活動は、見た表情を模倣してもいる被験者において確実に高まっていたのである。これは明らかに、ミラーニューロン領域がある種の脳内模倣によって他人の感情の理解を助けているという仮説を裏づける結果だった。この「共感のミラーニューロン仮説」にしたがえば、他人が感情を表しているところを見るとき、私たちのミラーニューロンは、まるで私たち自身がその表情をしているかのように発火する。この発火によって、同時にニューロンは大脳辺縁系の感情をつかさどる脳中枢に信号を送り、それが私たちに他人の感じていることを感じさせる。
 エドガー・アラン・ポーは有名な短篇小説「盗まれた手紙」において、主人公の探偵オーギュスト・デュパンの台詞の中にこんな文章を入れている。「僕はある人がどれほど賢いか、どれほど愚かか、どれほど善人か、どれほど悪人か、あるいはその人がいまなにを考えているかを知りたいとき、自分の表情をできるだけその人の表情とそっくりに作るんだ。そうすると、やがてその表情と釣り合うような、一致するような考えやら感情やらが、頭だか心だかに浮んでくるから、それが見えるのを待っているのさ」。なんという驚くべき先見性! これは作家としても、自分の作った登場人物の内面に踏み入る最良の方法だったろう。しかし、ポーだけがそれを見抜いていたわけでもない。感情についての科学文献においても、顔の筋肉組織の変化によって感情的な経験が形成されるとする理論――現在で言う「顔面フィードバック仮説」――は長い歴史をもっている。チャールズ・ダーウィンとウィリアム・ジェームズは、それに類する記述を最初に残した人々の一員である(ポーの作品はこの二人の著作より数十年前のものではあるが)。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第4章 私を見て、私を感じて,早川書房(2009),pp.149-151,塩原通緒(訳))
(索引:共感のミラーニューロン仮説)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

他者の行為の意味の感知

【他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つといった運動特性に呼応した、観察者が知っている運動感覚の表象が自動的に現れる。この表象が行為の「意味」であり、他者の「意図」である。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】
 (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。
  (b3.1)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見る。(視覚情報)
  (b3.2)観察者の運動レパートリーに属している、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった対象物を扱う様相によって特徴づけられる特定のタイプの行動の運動感覚の表象が現れる。これは、同一であるとか類似しているという内省や知識に基づくものではなく、自動的に現われる。
  (b3.3)運動感覚の表象は、観察者自身を統制する運動行為の表象と同じであり、この運動感覚の表象が、観察された運動行為の「意味」であり、その行動をする他者の「意図」である。
  (b3.4)従って、他者の運動行為が始まると、たとえその行為が完遂されなくても、その意味と意図は直ちに感知される。
  (b3.5)他者の、あるタイプの行為を別のタイプの行為と区別することが可能となり、最適な反応をすることができる。

(再掲)
(b)ミラーニューロン
 (b1)特定の運動行為に対応したニューロンが発火するのは、カノニカルニューロンと同じである。
 (b2)他者が、対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その特定のタイプの行為に呼応したニューロンの一部が発火する。例えば、つかむミラーニューロン、持つミラーニューロン、いじるミラーニューロン、置くミラーニューロン、両手で扱うミラーニューロン。運動行為の視覚情報には、次のような特徴がある。
 ・カノニカルニューロンとは違い、食べ物や立体的な対象物を見たときには発火しない。
 ・手や口や体の一部を使って、対象物へ働きかける行動を見たときに限られ、腕を上げるとか手を振るといったパントマイムのような行為、対象物のない自動詞的行為には反応しない。
 ・見えた行為の方向や、実験者の手(右か左か)に影響されるように思える場合もある。
 ・観察者と観察される行為との距離や相対的位置関係にはほとんど影響されずに発火する。
 ・視覚刺激の大きさに影響されることもない。
 ・2つ、あるいはめったにないが3つの運動行為のいずれかを観察すると発火するニューロンもあるようだ。  (b3)その結果、他者が対象物へ働きかける運動行為を見るとき、その対象物をつかむ、持つ、いじるといった運動特性に呼応した、運動感覚の表象が現れ、他者の行為の意味が感知できる。

 「私たちが「理解」と言うとき何を意味するかというと、それは、観察された行動の感覚表象と、観察者の運動レパートリーに属するその行動の運動表象が同一である、あるいは類似しているという明白な知識はもとより内省的な知識さえも観察者(私たちの場合にはサル)が持つ、ということでは必ずしもない。私たちが「理解」という言葉で指し示すものは、もっと単純だ。それは、観察された「運動事象」を構成する特定のタイプの行為、つまり、対象物を扱う様相によって特徴づけられる特定のタイプの行為をただちに認識し、そのタイプの行為を別のタイプの行為と区別し、この情報を使って最適な反応を示す能力だ。したがって、F5野の標準ニューロンと前部頭頂間野(AIP)の視覚-運動ニューロンについてこれまで述べてきたことは、ミラーニューロンにも当てはまる。運動行為が始まると、たとえその行為が完遂されなくても、対応する視覚刺激はただちにコードされる。ただし、両者に大きな違いが一つある。ミラーニューロンの場合の視覚刺激は、対象物やその動きではなく、つかむ、持つ、あるいは、いじるために他者が対象物に働きかける動きだ。対象物の場合と同様、こうした他者の動きは、行為を実行する自己の能力を統制する運動行為の語彙によって、観察者にとって意味を獲得する。サルにとって、そうした語彙に含まれる行為は、食べ物をつかむ、持つ、口に運ぶなどだ。実験者が精密把持のために手の形を整え、食べ物をつかもうとその手を伸ばすのを見ると、サルがすぐにこれらの「運動事象」の意味を察知し、それを《意図的な行為》という観点から《解釈する》のはこのためだ。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第4章 行為の理解,紀伊國屋書店(2009),pp.115-116,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:他者の行為の意味の感知)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

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