カール・ポパー(1902-1994)命題集
カール・ポパー(1902-1994) |
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(2)世界3の存在
(3)世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である
(4)世界3は、世界2としては全く具現化されていなくても、存在する
(5)人間は、未だ世界1の中に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したりする ことができる
(6)世界3は、世界1や世界2と同じ意味で、実在的な存在である
(7)世界3の自律性
(1)【各論の概要】
(1.1)【徹底的唯物論】
(1)真理の探究
(2)理論の役割
(3)理論は実証できない
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(3.2)観察は知識の源泉ではないのか?
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(5)経験主義の原理
(6)帰納の論理的問題
(7)批判的合理主義の原理
(7.1)批判的推論
(7.2)観察と実験の役割
(7.3)理論の拒否、受容の条件
(7.3.1)後退を防ぐ保守的な条件
(7.3.2)新しい仮説に望まれる革命的な条件
(7.3.3)観察と実験による判定
(7.4)世界の謎は汲み尽くされることはない
(8)傾向なのか、方法と能動的な行為なのか
(8.1)傾向と考える理論
(8.2)方法と能動的な行為と考える理論
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
世界3論
《概要》
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(2)世界3の存在
(3)世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である
(4)世界3は、世界2としては全く具現化されていなくても、存在する
(5)人間は、未だ世界1の中に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したりする ことができる
(6)世界3は、世界1や世界2と同じ意味で、実在的な存在である
(7)世界3の自律性
(1)世界3は、世界1のなかに符号化されている
(a)世界3とは、物語、説明的神話、道具、真であろうとなかろうと科学理論、科学上の問題、 社会制度、芸術作品(彫刻、絵画など)のような人間の心の所産の世界である。対象の多くは 物体の形で存在し、世界1に属している。例として、書物そのものは、世界1に属している。
┌世界1────┐
│人間⇒世界3│
│ の符号│
└───────┘
(b)モナド論による定式化:実体的紐帯の精神
(2)世界3の存在
世界3は、単に世界1の特定の対象ではない。また、個々の世界2の集まりともみなせな い。世界1、世界2とは別の世界が確かに存在する。
(a)人間の心の所産である対象が、人間とともに存在しているとき、そこに世界1、世界2と は異なる世界が生まれる。例えば書物には「内容」が存在する。この内容は世界1ではない し、読者の個人的な世界2でもない。これは、世界3に属している。そして内容は、本ごとや版 ごとで変わりはしない。
(b)世界3の諸対象は、我々自身の手になるものであるが、それらは必ずしも常に個々人に よって計画的に生産された結果ではない。
┌世界2────┐
│世界3 ⇔ 世界3
│の符号 │
└───────┘
(3)世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、世界3である
(参照:世界3とは何か?(カール・ポパー(1902- 1994))
世界1に具現化されている世界3は、本のように符号化されたものもあれば、芸術作品のよう に世界1の対象の役割がより大きいものもあるが、世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解 するのは、物質化された世界3の対象というよりも、むしろ、物質化とは無関係な世界3の側面 である。
(a)私たちが本を読んで「意味」を理解する方法も、ページの上に符号化、具現化されたも のを飛び越して、世界3の属する意味を直接把握しているように思われる。
(b)特別な本ではない場合は、世界1の対象は単に付随的な符号と思われるかも知れないが、 例えば、ダンテの稀覯本を扱う際の鑑識家の楽しみは、特定の対象としての世界1に依存して いる。しかし、その楽しみは歴史などの知識に基づく世界3に属している。
(c)例として、ミケランジェロの彫刻はどうだろう。この場合は、さらに世界1の対象の役割 が大きくなる。しかし、世界2が真に接触し、鑑賞し、賞賛し、理解するのは、物質化された 世界3の対象というよりも、むしろ、物質化とは無関係な世界3の側面である。
(4)世界3は、世界2としては全く具現化されていなくても、存在する
(a)世界3は、物理的対象としての世界1としては常に存在するにしても、いずれかの世界2 が存在するときだけ存在すると言えるのか。それとも、世界2の記憶、意図の対象としていっ さい存在しないときにも、存在すると言えるのか。
(b)世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界3として存在する。
(c)一度も演奏されなかったとしても、楽譜やレコードのように、記号化した形でのみ存在 している対象もまた、世界3として存在する。
参照:世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界 3として存在する。また、世界3の実在性を理解することは、世界3での新発見や創造と、未解 決の問題を解決する探究の、前提条件である。(カール・ポパー(1902-1994))
(5)人間は、未だ世界1の中に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したり することができる
世界1の中に符号化、具現化されているものだけが、世界3ではない。人間は、未だ世界1の中 に具現化されていない世界3の対象を、把握したり理解したりすることができる。(カー ル・ポパー(1902-1994))
(a)モナド論による定式化
(6)世界3は、世界1や世界2と同じ意味で、実在的な存在である
人間の科学と技術の営みを考えると、次の命題が正しいことを確信させる:世界3の対象は、 世界2を経由して間接的に、物理的な世界1に働きかける。ゆえに、世界1を実在的と呼ぶなら ば、それに作用する世界3も実在的な対象である。(カール・ポパー(1902-1994))
(i)科学理論の構築は、科学者による既存の理論の理解、新しい問題の発見、解決法の提案、批 判的な議論など長い知的な仕事によるものだが、ここには個々の科学者の世界2の寄せ集めを 超える世界が存在する。これが、世界3である。そして、これら科学理論の応用である人工物 が、世界1に実現されて、地球表面を覆っていることを考えてみよ。これらが世界1の中だけで 実現されていると考え得るか。世界2の寄せ集めだけで実現されていると考え得るか。このよ うに考えると、世界3の実在性は確かなものに思える。
(ii)思想の実在性
(a)社会の経済組織、すなわち自然との 物質交換の組織が、あらゆる社会的制度の歴史的発展にとって基礎的であるという主張は概ね正しいが注意すべき点がある。
(7)世界3の自律性
世界3の対象は、世界2と世界1を経由して、世界3の他の対象を作り出す。
未だ世界1の形態あるいは世界2の形態をとってはいな いが、私たちの思考過程と相互作用する自律的な世界3の対象が存在する。それは、自身の内 的法則、制約、規則性を持ち、私たちの思考過程に決定的な影響を与える。(カール・ポ パー(1902-1994))
世界3の自律性:世界3はいったん存在するようになると、意図しなかった結果を生むようにな る。また、今は誰も知らない未発見の諸結果が、その中に客観的に存在しているかのようであ る。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)世界3は、確かに最初は人間が作ったものであり、また人間の心の所産である。
(b)しかし、いったん存在するようになると、それは意図しなかった結果を生み出す。それ は、ある程度の自律性を持っている。
(c)また、今は誰も知らない未知の諸結果が客観的に存在していて、発見されるのを待って いるかのようである。
(d)未知の諸結果が発見されるのを待っており、また、未解決の問題については、その解決 が客観的に存在すると理解することが、発見と解決のための探究の重要な前提条件である。
(8)世界3の歴史
(1)【各論の概要】
(1.1)【徹底的唯物論】
世界1のみが実在する。
時間1 世界1・P1 ⊃ 世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⊃ 世界2・M2
(1.2)【同一説(中枢状態説)】
世界1は、次の2つの世界に区別することができる。すなわち、意識的過程と同一である物理 過程の世界 1mと、それ以外の世界 1pである。世界 1mと、世界 1pには、相互作用が可能である。
徹底的唯物論とは異なり、心的世界2も実在すると考える。心的世界2と、身体・大脳の物理 的過程 1m とは、世界1のなかの同一の実体についての、異なる二つの記述方 法である。したがって、随伴現象論とは異なり、心的世界2も、世界1の実体として物理過程と 相互作用することができる。
時間1 世界1・P1 ⊃ 1m・状態1
│ │ =世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⊃ 1m・状態2
=世界2・M2
(1.3)【随伴現象論(epiphenomenalism)】
精神状態は、脳内のプロセスに随伴する。ただし、因果関係にはかかわらない。
また、汎心論とは異なり、生命のある対象のみが、内的または主観的経験を持つと考える。
時間1 世界1・P1 ⇒ 世界2・M1
↓ ↓
時間2 世界1・P2 ⇒ 世界2・M2
(1.4)【汎心論】
純粋な物理的対象も、多かれ少なかれ我々自身の内的意識に類似の内面を持っている。
時間1 世界1・P1 世界2・M1
↓ ↓ ↓意識的な思考過程
時間2 世界1・P2 世界2・M2
(2)【心身問題と世界3】
(2.1)心身問題と世界3
(c)モナド論による定式化
(a)物理的世界1の諸法則の支配の下にある現象でもなく、個々の世界2の現象とも言えな いような現象が存在する。これが、世界3である。
(b)仮に、すべて物理的世界における現象だと考えてみる。
数学とか論理学も、物理的世界における人間の脳の進化と自然淘汰の産物ではないのか。環境 に適応する過程のなかで、言語が生まれ、思考が生まれ、適応的な推理のための性向的能力が 習得されたのではないか。(カール・ポパー(1902-1994))
(i)進化と自然淘汰の産物として、人間の大脳が生まれた。
(ii)環境に適応するこの過程のなかで言語活動が生まれた。
(iii)適応的な行動を生むための思考と、適応的な推理のための性向的能力が習得された。
(iv)やがて学校教育において、論理的思考が組織的に学習されることになった。
(v)数学や論理学が、世界1における人間の脳の進化と自然淘 汰の産物だとしても、ある論理法則の「正誤」は、世界1に具現化されている対象物や、それ と相互作用する世界2の集合体を超える、別の世界に属していると思われる。(カール・ ポパー(1902-1994))
(a)たとえば、世界2における計算、または世界1に書き下した計算式、または、ある計算 を行なっているコンピュータが「正しい」とか「誤っている」と言うことには、確かに意味が ある。「正しい」論理法則とは、何なのか。
(b)「正しい」「誤っている」と言うためには、基準が必要であるが、この基準は、物理 的世界1の中に具現化されているだろうか。たとえば、ある特定の論理学の書物が基準である とか。
(c)あるいは、大多数の論理学者が正しいと判断するから「正しい」というような方法 で、世界2の集合体が、その基準を具現化しているのだろうか。
(d)ある論理法則が「正しい」とか「誤っている」という基準は、物理的世界1に具現化さ れている対象物や、それと相互作用する主観的経験の世界2の集合体を超える、別の世界に属 していると思われる。
(e)モナド論による定式化
(2.3) 世界3の生成と変化の法則
時間1 世界1・P1⇒世界3・C1
↓ ↓
時間2 世界1・P2⇒世界3・C2
(a)世界2は、世界3を把握し、批判的な選択作用により、新たな世界3を作り出す。
時間1 世界3・C1⇔世界2・M1
│ │┌───┘
↓ ↓↓
時間2 世界3・C2⇒世界2・M2
(b)世界3は、世界2との相互作用によって、新たな世界3を生成する。
実体的紐帯の精神は、個別の精神との相互作用によって、新たな実体的紐帯の精神を生成する。
時間1 世界1・P1(世界3・C1⇔世界2・M1)
│ │ │┌───┘
↓ ↓ ↓↓
時間2 世界1・P2(世界3・C2⇒世界2・M2)
(c)世界2が、未だ世界3のなかに表現されておらず、したがって当然、世界1に は存在しない新しい問題を発見したり、問題への新しい解決を発見するときのような創造的行 為を考えると、世界2が必ず世界1を経由するということは、誤りではないかと思われる。
(d)例として、数学の問題を発見し、証明する過程。
(i)最初に問題を感じ、問題の存在に気づく。あるいは、証明の考案がなされる。
(ii)次に、(i)が言語で表現される。
(iii)明確化し、証明の妥当性を批判的に調べるため、世界1の表現に具現化される。
(e)例として、数学における無限の概念は、世界1、世界2に具現化されなくて も、直接把握される。論証のための表現は世界1、世界2に具現化されるが、概念そのものは直 接把握されるように思われる。
(f)例として、私たちが本を読んで「意味」を理解する方法も、ページの上に符 号化、具現化されたものを飛び越して、世界3の属する意味を直接把握しているように思われ る。
(2.4)一つの反論:世界3の創造とは、世界1または世界2の中の符号との相互作用ではないのか(ジョン・エックルス(1903-1997))
(b2.3.1)世界3の対象は、世界1の物質的対象の上に符号化されている。
(b2.3.2)世界2は、世界1の符号から意識経験を引き出している。
(符号)⇔(符号の意識経験)⇔(世界3)
世界1・S1⇔世界2・S1⇔世界3・C1
世界1・S2⇔世界2・S2⇔世界3・C2
(b2.3.3)世界2は、世界3の符号である世界1の対象へ働きかけることで、新たな世界3を 生成する。
時間1 世界1・P1⊃世界1・S1⇔世界2・S1⊂世界2・M1
│ │ │ ↓↑ │
│ │ │ 世界3・C1 │
│ │ │ ┌─────────┘
↓ ↓ ↓ ↓
時間2 世界1・P2⊃世界1・S2⇔世界2・S2⊂世界2・M2
↓↑
世界3・C2
(b2.3.4)世界2は、世界3の符号である世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を 生成する。
時間1 世界1・P1 世界2・S1⊂世界2・M1
│ │ │ ↓↑ │
│ │ │世界3・C1 │
│ │ │ ┌────┘
↓ ↓ ↓ ↓
時間2 世界1・P2 世界2・S2⊂世界2・M2
↓↑
世界3・C2
(2.5)反論への回答
(b2.4)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生 成し、世界1の対象、または世界2の対象へ働きかけることで、新たな世界3を世界1と世界2へ 具現化する。(カール・ポパー(1902-1994))
(m)モナド論による定式化
(b2.4.1)世界3の符号である世界1の対象は、いかに世界2により働きかけられるにして も、それ自体は世界1の対象であるから、世界1の諸法則に従って生成・変化する。また世界2 は、いかにそれが自ら固有の法則に従って働きかけるかのように見えようが、世界1の諸法則 に支えられている。世界2は、最初に直接的に、世界1の諸法則には服さない世界3との関係を 持つことなしには、世界1の因果関係から逃れることはできない。
(b2.4.2)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界1の対象へ働 きかけることで、新たな世界3を世界1へ具現化する。
(b2.4.3)世界2は、世界3と直接的に相互作用し、新たな世界3を生成し、世界2の対象へ働 きかけることで、新たな世界3を世界2へ具現化する。
(b2.4.4)正しいことの理由。
参照:世界2は、世界3と直接的に相互作用する。例として、(a)新しい問題の 発見と解決、(b)例として数学の問題と証明、(c)例として数学における無限の概念、(d)例と して言語の「意味」の理解。(カール・ポパー(1902-1994))
(b2.4.4.1)世界2が、未だ世界3のなかに表現されておらず、したがって当然、世界1には 存在しない新しい問題を発見したり、問題への新しい解決を発見するときのような創造的行為 を考えると、世界2が必ず世界1を経由するということは、誤りではないかと思われる。
(b2.4.4.2)例として、数学の問題を発見し、証明する過程。
(i)最初に問題を感じ、問題の存在に気づく。あるいは、証明の考案がなされは異なり、 心的世界2も、世界1の実体として物理過程と相互作用することができる。
(2.6)心身問題における言語の役割
言語は、世界1の基盤に支えられ、意識的、能動的な世界3の学習と探究を通じて、世界1との 関係、他者との関係、自我の形成に強い作用を及ぼす。自我は、世界1、他者、世界3との能動 的な相互作用の所産である。(カール・ポパー(1902-1994))
(2.6.1)言語の習得は、世界1の基盤によって支えられている。
・世界1:自然淘汰によって進化した遺伝的な基盤をもつ自然的過程
・言語を学習する強い必要性と、無意識的で生得的な動機
・言語を学習する能力
(2.6.2)言語の習得は、意識的、能動的な世界3の学習と探究の過程である。
・世界2:個々の言語を実際に学習する過程
(1)保持時間に基づく記憶の分類
(出典:記憶の分類<脳科学辞典)
(1.1)心理学
感覚記憶、短期記憶(保持期間が数十秒程度)、長期記憶
(1.2)臨床神経学
即時記憶(情報の記銘後すぐに想起させるもの)
近時記憶(情報の記銘と想起の間に干渉が介在される)
遠隔記憶(臨床場面では個人の生活史(冠婚葬祭や旅行など)を尋ねることが多い)
(2)内容に基づく記憶の分類
(出典:記憶の分類<脳科学辞典)
(2.1)陳述記憶(宣言的記憶)
イメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる。
(2.1.1)エピソード記憶
個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べた か、というような記憶に相当する。
(a)関連:「連続性形成記憶」。アンリ・ベルクソンの《純粋記憶》に関連しているよ うに思われる。すなわち、われわれの経験すべての正しい時間的順序による記録である。 (カール・ポパー(1902-1994))
(2.1.2)意味記憶
知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約 束など、世の中に関する組織化された記憶である。
(例) 試行錯誤、問題解決、あるいは行為と選択による能動的学習(カール・ポパー (1902-1994))
生得的な、そして獲得した《いかに行動するかの知識》と、背景にある《何であるかの 知識》とによって導かれる能動的探究
(a)新しい推測、新しい理論の作成
(b)その新しい推測や理論の批判とテスト
(c)その推測の拒絶と、それがうまくいかないという事実の記録
(d)もとの推測の修正や新しい推測を用いての(c)から(a)への過程の反復
(e)新しい推測がうまくいくようだという発見
(f)補足的なテストを含む、その新しい推測の適用
(g)その新しい推測の実際的で標準化された、反復的な使用
(2.2)非陳述記憶(非宣言的記憶)
意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶であ る。
(2.2.1)手続き記憶
手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズ ルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形 成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。
(2.2.2)プライミング
プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑 制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。
(2.2.3)古典的条件付け
古典的条件付けとは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練 により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をい う。
(2.2.4)非連合学習
非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減 弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。
(3)獲得方法に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
(3.1)生得的な記憶
(a)遺伝子に暗号化された蛋白質(酵素)合成のプログラム
(b)生得的神経路の構造
(c)機能的性格をもった付加的な生得的記憶がある。これは歩いたり話したりすることを 学ぶためのさまざまな機能を十分に発達して生得的能力を含むようである。免疫学的記憶もま たここに挙げることができる。
(d)泳ぎ方、描き方、教え方を学ぶような、成熟とは密接に結びついていない学習のため のその他の生得的能力。
(3.2)何らかの学習過程を通して獲得される記憶
(a)無意識的で受動的な学習過程によって獲得される記憶
(b)意識的で能動的な学習過程によって獲得される記憶
(4)想起の様相に基づく記憶の分類(カール・ポパー(1902-1994))
(4.1)能動的に随意に想起できる記憶
(4.2)随意に想起できず、求められなくとも想起されてしまう記憶
3種類の学習:(1)試みと誤りによる学習、推測と反駁による学習、(2)模倣による学習、伝統 の吸収、(3)習慣形成による学習、反復そのものによる学習。(カール・ポパー(1902- 1994))
(1)試みと誤りによる学習、推測と反駁による学習
(a)新しい情報の獲得、すなわち新しい事実や新しい問題の発見、問題に対する新しい解決 の発見をもたらす学習である。
(b)解こうとしている問題、テストしようとしている推測に基づく、体系的観察による学習 と、偶然的な観察からの学習を含む。
(c)理論的なものだけでなく、新しい技能とか、物事を行なう新しいやり方など、実践的な ものも含む。
(2)模倣による学習、伝統の吸収
(a)原始的で重要な学習のひとつの形態で、高度に複雑な本能に基礎をおいている。
(b)示唆や感情が学習で演じている役割は、他の仕方での学習よりもはるかにはっきりして いる。
(c)模倣による学習は、いつでも典型的な試みと誤りの過程でもある。
(3)習慣形成による学習、反復そのものによる学習
(1)と(2)によって学ばれた解決に、慣れ親しむことによる学習である。
(2.6.3)人間の理性と人間の自由の創発
思考は、言語で表現され外部の対象となることで、間主観的な批判に支えられた客観的な基準 の世界3に属するようになる。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)思考はひとたび言語に定着させられると、われわれの外部の対象となる。
(b)外部の対象となることで、間主観的に批判できるものとなる。
(c)間主観的に批判できることで、客観的な基準の世界、すなわち世界3が出現してくる。
(d)世界3に属することで、等値、導出可能性、矛盾といった論理的関係が意味を持つように なる。
(e)客観的な基準の世界に対して、世界2は主観的な思考過程という位置づけが成立する。
(2.6.4)言語の機能
言語が、記述機能と論証機能を獲得し、世界3が創造されたことによって、自然選択によらな い非遺伝的成長が可能となり、理性や人間の自由が創発された。(カール・ポパー (1902-1994))
(4.1)表出機能
(4.2)通信機能
(4.3)記述機能:記述内容には、真・偽の区別がある。
(4.4)論証機能:論証には、妥当かどうかの区別がある。
(a)世界3の創造
記述機能、論証機能によって世界3が創造された。
(b)非遺伝的成長
自然選択から、合理的批判にもとづく選択に依存して成長できるようになった。
(c)人間の理性と人間の自由の創発
(2.6.5)言語のフィードバック効果
(a)自らの物質的環境への精通
(b)他者との関係
(c)自我、人格の形成
(2.6.6)世界3の所産としての自我
形而上学的信念、宗教的信念、道徳的信念、科学的知識 が「私の経験」から構築されると考える理論は誤っている。「私の」知識、信念は、それらが 属する世界3との相互作用、能動的な学習と探究の成果の所産である。(カール・ポパー (1902-1994))
(a)物質的環境との相互作用の所産である。
(b)他者との相互作用の所産である。
(i)例えば、科学的知識は「私の」知識ではない。
(ii)宗教的信念、道徳的信念、形而上学的信念も、ある伝統を吸収した結果である。
(iii)伝統のいくつかを自ら批判することは、「自分の知識」であると信じているものを 形成するのに重要な役割を演じるであろう。
(iv)そうした批判はほとんどいつでも、伝統の内部や、様々な伝統のあいだに不整合を発 見することから引き起こされてくる。
(v)自らの観察経験が伝統的理論を本当に反証する機会などめったにない。
(vi)もちろん、「私自身の経験」による「個人的知識」は存在する。しかし、その経験を 表現する言語の由来まで考えれば、完全に「私自身の経験」の結果だと言えるものなどほとん どない。
科学基礎論
(1)真理の探究
(2)理論の役割
(3)理論は実証できない
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(3.2)観察は知識の源泉ではないのか?
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(5)経験主義の原理
(6)帰納の論理的問題
(7)批判的合理主義の原理
(7.1)批判的推論
(7.2)観察と実験の役割
(7.3)理論の拒否、受容の条件
(7.3.1)後退を防ぐ保守的な条件
(7.3.2)新しい仮説に望まれる革命的な条件
(7.3.3)観察と実験による判定
(7.4)世界の謎は汲み尽くされることはない
(8)傾向なのか、方法と能動的な行為なのか
(8.1)傾向と考える理論
(8.2)方法と能動的な行為と考える理論
(1)真理の探究
(a)真理の探究には、何ものにも勝る重要性があり、われわれの目的であり続ける。
(b) 科学は、事実に基礎をおいており、誰が正しく誰が間違っているのかを、完全な明晰さをもっ て結論づけられるようになっている。またそれは単に、検証可能な量的予測の技術なのではな く、この世界の真の仕組みを理解しようとする営みである。(カルロ・ロヴェッリ (1956-))
(2)理論の役割
理論は、実践的な科学と理論科学にとって至高の重要性を持つ。
(2.1)道具主義的な計算規則と理論との違いは何か
理論は、普遍的に成立する真理を探究し、真理 は想像を超える未知の出来事を予測できる豊かさを持ち、経験の理解を助ける。予測は有用な だけでなく、偽なる理論を排除するために必要なものと考えられている。(カール・ポ パー(1902-1994))
(a)論理的構造が異なる
限定された目的のための計算規則なのか(道具主義)、普遍的に成り立つことを推測とし て主張しているか(理論)の違いがある。2つ以上の理論体系の間には、演繹体系内における 論理関係があるが、2つ以上の計算規則の間には、この関係があるとは限らない。理論に基づ いて、限定された目的の計算規則を導出することはあり得るが、逆はあり得ない。
(b)有用なのか、真理なのか
有用なので選ばれているのか(道具主義)、真理なので選ばれているのか(理論)の違い がある。
(c)応用可能性の限界なのか、反証なのか
応用可能性の限界があっても使われるのか(道具主義)、反証されると破棄されるのか (理論)の違いがある。
(d)適用可能領域の変更なのか、反証なのか
適用可能領域の変更があっても破棄されないのか(道具主義)、適用の失敗が反証事例と 考えられるのか(理論)の違いがある。
(e)特殊化する傾向があるか、一般化する傾向があるか
ますます特殊化する傾向があるか(道具主義)、ますます一般化する傾向があるか(理 論)の違いがある。実用的な観点からは、道具は手もとの特殊な目的にとってもっとも便利な ものであることが望まれる。
(f)論理的に異なる理論への態度が異なる
実際的な応用が予測できるかぎりでは、いまのところ、両者の区別がつかないといった ケースの場合、2つの理論がその適用領域で同じ結果をもたらすなら、それらは等しいと考え るのか(道具主義)、2つの理論が論理的に異なっていれば、異なった結果が生じるような適 用領域を見つけ出そうとするか(理論)の違いがある。
(g)未知の出来事の予測の有無
既知の出来事をうまく予測しようとするだけなのか(道具主義)、決して誰も考えもしな かったような出来事が予測されることがあり得ると考えるのか(理論)の違いがある。理論で は、もしこれが「真理」であるならば、このようなことが生じるはずだという予測がある。
(h)道具以上の何らかの情報内容
(i)「真なる」理論は、経験の理解へ導く
計算規則は経験を再現しようとするが、理論は経験を「解釈する」助けになる。
(j)予測は「偽なる」理論を排除する
予測は実用的な価値のみならず(道具主義)、「偽なる」なる理論を除去する。
(3)理論は実証できない
真理が実際に見出されたということを示す実証的理由は、決して与えることはできない。
参照: ある理論が真理であることを示す実証的理由は、決して与え得ない。合理的な批判と、妥当な 批判的理由を示すことで先行の理論が真でないことを示し、新しい理論がより真理に近づいて いることを信じることができるだけである。(カール・ポパー(1902-1994))
(3.1)帰納の非妥当性の原理
(a)どんな帰納推理も、妥当ではあり得ない。すなわち、単称の観察可能な事例、およ び、それらの反復的生起から、規則性とか普遍的な自然法則へ至る妥当な推論はあり得ない。
(b)理論を信じる実証的理由は、決して得られない。
(3.2)観察は知識の源泉ではないのか?
観察が「知識の源泉」であると主張する知識論は、誤り である。また、論理的思考、知的直観、知的想像力なども、重要なものではあるが、理論が真 であることを約束してくれるわけではない。(カール・ポパー(1902-1994))
(c)経験への還元主義は誤りである
(a)知識は、タブラ・ラサから始めることはできない。
(3.3)確実な知識の源泉はない
知識が事実であることを約束するような「知識の源泉」は、ない。
(3.3.1) 観察、論理的思考、知的直観、想像力
(3.4)理論は人間精神の一つの自由な創造物である
概念の世界は「先験的必然」でもなければ、論理的方 法によって経験から導出し得るものでもなく、人間精神の一つの自由な創造物である。しか し、概念体系の妥当性の唯一の理由は、事実と経験による検証である。(アルベルト・ア インシュタイン(1879-1955))
(3.5)理論は人間の歴史の所産であり、多くの偶然に依存している
(1)科学的知識の性質
あらゆる科学的知識は仮説的ないし推測的なものである。
(1.1)科学的客観性を保証するもの
科学的客観性は、その理論を反駁しようとする批判によって保証される。
(1.2)科学者の友好的かつ敵対的協働
客観性は、個々の科学者の客観性ないし公平無私によって保証されるのではなく、「科学 者の友好的かつ敵対的協働」とでも呼べる科学者の集団によってもたらされる。
(1.3)科学における権威主義と批判的アプローチの対比
科学における権威主義は、科学上の理論を確立しようとする観念、すなわち理論を証明し たり、実証したりしようとする観念と結びついていた。批判的アプローチは、科学上の推測を テストしようとする観念、すなわち推測を反駁したり、反証したりしようとする観念と結びつ いている。
(2)大胆な理論の提起
知識の成長、とくに科学的知識の成長は、われわれの誤りから学ぶことにある。まず、あえ て誤りを犯すというリスクを冒すこと、すなわち、新しい理論を大胆に提起する。
(2.1)科学と擬似科学を区別する反証可能性
理論とか仮説とか推測が科学において果たす根本的な役割は、テスト可能(あるいは反証 可能)な理論と、テスト可能ではない(あるいは反証可能ではない)理論とのあいだの区別を 重要なものにする。
(2.2)ある出来事が生じないことを予言する理論
ある特定の出来事が生じないであろうと予言する理論が、反証可能な理論である。あらゆ る手段を講じて、その出来事を生じさせようと努めることが、テストになる。
(2.3)テスト可能性の度合
より多くのことを主張し、したがってより多くのリスクを冒している理論の方が、主張を あまりしていない理論よりテスト可能性の度合が高い。
(2.4)テストの厳しさの度合
定性的なテストは、一般的にいえば、定量的なテストよりきびしさの度合が低い。また、 より正確な定量的予測のテストの方が、正確さの劣る予測のテストよりもいっそう厳しいテス トである。
(3)誤りを除去する批判的方法
われわれが犯した誤りを系統的に探すこと、すなわち、われわれの理論を批判的に議論した り、批判的に検討したりする。
(3.1)批判に対する辛抱強い反論の必要性
科学の方法は批判的議論の方法なので、批判の対象となっている理論が、辛抱強く擁護さ れるべきだということもおおいに重要なことである。というのは、そのような仕方でのみ、理 論のもつ真の力を知ることができるからだ。
(3.2)実験的テスト
この批判的議論で用いられるもっとも重要な議論のなかには、実験的テストによる議論が ある。
(3.3)実験は理論に導かれている
実験は、つねに理論によって導かれている。
(5)経験主義の原理
(a)科学理論の採否は、観察と実験の結果に依拠すべきである。
(6)帰納の論理的問題
参照: 帰納の非妥当性の原理と、経験主義の原理とが衝突し、そこに帰納の論理的問題があると、か つて考えられたことがあるが、反合理主義的な結論を引き出すのは誤りである。批判的合理主 義の原理が、解答を与える。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)かつて、帰納の非妥当性の原理と経験主義の原理とが衝突するように考えられたことがあった。
(7)批判的合理主義の原理
(7.1)批判的推論
科学理論の採否は、批判的推論に依拠すべきである。
(7.2)観察と実験の役割
観察と実験は、ある理論が「真でない」ことを示す妥当な批判的理由を、与えることがで きる。
(a)観察と実験は、ある理論が「真でない」ことを示す妥当な批判的理由を、与えること ができる。
(b)私たちが、実在から得ることができる唯一の情 報は、理論が「真でない」ことを示す観察と実験の結果である。実在とは、私たちの考えが間 違っていることを教えてくれる何ものかである。(カール・ポパー(1902-1994))
(7.3)理論の拒否、受容の条件
理論は、合理的批判の結果に照らして他の既知の理論よりもよりよい、あるいはより悪い 理論として、暫定的に、拒否されたり、受け容れられたりする。
先行仮説を超える新しい問題を解決し、新しい予測を導出するような新しい仮説の自由な創造 と、合理的批判、観察と実験による誤った仮説の消去という能動的方法により、仮説の「真理 らしさ」が増大する。(カール・ポパー(1902-1994))
(a)新しい仮説は、先行仮説が解決した問題を、同じ程度にうまく解決せねばならな い。
(b)伝統は、重要な知識の源泉である
伝統なしには、知識を得ることは不可能である。知識は、既存の知識を修正し、訂正 することによって進歩する。
(c) 理論における想像力の役割:何の手がかりもなしに新たな理論を「想像しようと試みる」に は、わたしたちの空想力はあまりに貧弱である。すでに成功を収めている理論と実験データ に、この世界の真の姿の兆候が現われている。(カルロ・ロヴェッリ(1956-))
(7.3.2)新しい仮説に望まれる革命的な条件
(a)新しい仮説は、先行仮説からは導出されない予測を演繹する。
(b)新しい仮説は、先行仮説と新しい仮説のいずれを支持するかの、決め手となる実験 を構成する。
もし、決め手となる実験が新しい仮説に有利に決まるなら、より「真理らしさ」が増大 した、科学理論は「進歩した」と言うことができる。
(7.4)世界の謎は汲み尽くされることはない
ある問題の解決は、新たな未解決の問題を生み出す。世界の事物についての諸経験が深ま るほど、知識が深まるほど、自分たちの無知についての知識がいっそう明確になってゆく。こ れは、無知が必然的に際限のないものであるのに対して、私たちの知識には限界があるという 事実に由来する。
(8)傾向なのか、方法と能動的な行為なのか
科学理論は、理論や仮説に固有の傾向として、真理らしさの増大に「向かう」と言うべきで はない。科学の進歩は、誤謬消去を基礎とした科学の方法と、我々の批判的で能動的な行為に より支えられている。
(8.1)傾向と考える理論
(b)数学による自然界の記述可能性は、奇跡なのだろうか。失敗した 数多くの理論の歴史を顧みれば、人の脳に宿ったアイデアのうち、この世界に適応できたもの が自然淘汰によって生き残ったというのが、真実のように思われる。(谷村省吾(1967- ))
(8.2)方法と能動的な行為と考える理論
(a)科学を含む人類の文化の動向を、自然淘汰だけによって理解す るのは、当たっていないかもしれない。なぜなら、人間には未来を構想して、現在した方がよ いことを検討し選ぶ能力があるからである。(谷村省吾(1967-))
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
(4.1)独断論
(4.2)共約不可能性
(4.3)相対主義
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
(5.3)反論
(5.4)反論への回答
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
合理的討論の前提には無条件的な原理があり(独断 論),原理自体は討論の対象外で(共約不可能性),全て同等の資格を持つ(相対主義).これは誤 りである.原理は常に誤謬の可能性があり,その論理的帰結によって合理的討論ができる. (カール・ポパー(1902-1994))
(4.1)独断論
あらゆる合理的討論は何らかの原理、もしくはしばしば公理と呼ばれるものから出発せね ばならず、また無限背進を避けようと望むならば、こういった原理や公理を独断的に受け入れ ねばならない。
(4.2)共約不可能性
前提にした原理や公理自体は、合理的討論は不可能であり、したがって合理的選択もあり えない。
(4.3)相対主義
全てのフレームワークは、優劣において同等の資格を持つ。
(5)フレームワークの神話の誤り
(5.1)フレームワークの神話の暗黙の前提
フレームワークの神話には、暗黙の仮定が存在する。それは、合理的討論は正当化や証 明、論証、あるいは是認された前提からの論理的導出といった特徴を持たねばならないという 仮定である。
《概念図》
原理1 ←互いに対立→ 原理2
↓ 討論不可 ↓
結論1 結論2
(5.2)原理や公理は科学における合理的討論の対象
科学における合理的討論は、原理や公理の論理的帰結が、すべて受け入れることのできる ものかどうかを、あるいは望ましからぬ帰結が生じないかどうかを調べることによって、テス トしようとするものなのである。
《概念図》
原理1 原理2 ......つねに誤りの可能性がある
↓ ↓
結論1 結論2 ......結論が受け入れられるか?
(5.3)反論
「われわれに好ましく思える帰結」自体が、フレームワークの一部なのだから、フレーム ワークの外側に出ることはできない。
(5.4)反論への回答
帰結による合理的討論によっても,各自の原理 の外へは出れないという反論に対する再反論.相手の原理を無視し自己強化するのでなく,自他 の原理を超えた,より包括的な真理の探究という原理によって乗り越え可能である.(カー ル・ポパー(1902-1994))
原理1、結論1が自らの主張であるとして、結論1も結論2も満足できない場合、われ われは以下の二つの方法を選択することができる。
(5.4.1)方法1:自らの原理を強化する
自らの原理1を強化して、相手の原理、結論は課題に設定しない。
(5.4.2)方法2:人間、社会、自然、宇宙の真の姿の理解
人間、社会、自然、宇宙の真の姿を理解すること。これは、確かに、一つのフレーム ワークの選択であるかもしれない。しかし、自らの原理、結論とともに、相手が提示した原 理、結論をも理解して、乗り越えようとする原理である。
《概念図》
原理1 原理2
↓ ↓
結論1 結論2
不満足 不満足
方法1
原理1’修正 原理2
↓ ↓
結論1’ 結論2
満足 考慮外
方法2
より包括的な真理の探究
という原理
↓ ↓
原理1” 原理2”
↓ ↓
結論1” 結論2”
満足 満足
(5.4.3)客観的真理の増大という価値
価値は生命とともに世界に登場する。無意識的な問題による価値から自由な想像力と知性によるあらゆる創造物までの中で、世界3の中核的部分に存在する人間的価値の世界は、客観的真理の増大という価値が支配している。なぜなら、それが価値であるというのは真実なのかという問題が立ち現れるからである。(カール・ポパー(1902-1994))
(1)特定条件下での予測
(2)人間の歴史の道筋の予測
(2.1)知識の自己予測
(2.2)予測者の相互作用
(2.3)知識と人間の歴史の道筋
(3.7.2)歴史の中に「発見される意味」は恣意的、偶然的、非科学的なもの
歴史の中に発見されるという「意味」は恣意的、偶然 的、非科学的なものである。私たち自身が与える倫理的理念、目標設定によって初めて、歴史 の「進歩」や「退歩」、いかに誤り、大きな犠牲を払って来たかなど、歴史に意味を読み込む ことができる。(カール・ポパー(1902-1994))
合理性の前提にある「状況」には少なくとも3つの意 味がある。真に客観的な状況に応ずる仮想的な合理性、行為者が現実に認識している状況に応 ずる現実的な合理性、行為者が認識すべき状況に応ずる規範的な合理性である。(カー ル・ポパー(1902-1994))
(1)客観的状況
(a)現実にそうであったものとしての状況、歴史家が再構成しようとする客観的状況であ る。
(b)客観的状況とは、そもそも何かを考えると、(3)が(1)を構成しているともいえる。
(c)各行為者が、現実をどのように認識していたのかという状況も含まれる。すなわち、 以下の(2)も状況として(1)に含まれている。
(2)行為者が認識する状況
行為者が現実に見たものとしての状況である。
(3)行為者が認識すべき状況
行為者が、客観的状況のなかでそう見ることができたはずの、そしてたぶんそう見るべき だったはずの状況である。
(4)仮想的な合理性原理
行為者は、自らの客観的状況(1)に対して適切に行動する。
(5)現実的な合理性原理
行為者は、認識した自らの状況(2)に対して適切に行動する。
(6)規範的な合理性原理
(a)行為者は、認識すべきと考えられる自らの状況(3)に対して適切に行動するべきであ る。
(b)歴史家が、「失敗」を説明しようと試みるさいには、合理性原理についての(2)と(3) の違いを論ずることになろう。
(c)もし(2)と(3)のあいだに衝突があれば、行為者は合理的に行為しなかったといっても よい。
(d)なお状況は、過去、現在、予測としての未来、規範としての未来を含むだろう。すな わち、行為者は過去、現在をこのように認識すべき、状況がこのような結果を招くだろうと予 測すべき、状況からこのようにすべきと認識すべきという様相が区別できよう。
(7)現実的な人間行動
われわれはしばしば(1)、(2)、(3)のどの意味でも状況に対して適切ではないような仕方 で行為する、言葉をかえれば、合理性原理はわれわれが行為する仕方の記述としては、普遍的 には真ではないとつけ加えてもいいだろう。
(1)必要悪としての国家
(a)人は人に対して狼であるか? 故に国家が必要であるか?
(b)人が人に対して天使であるとしても、国家は必要である。依然として弱者と強者とが存在する。弱者が、強者の善良さに恩義をこうむりながら生き る。これを認めない場合は、国家の必要性が承認される。
(c)国家は絶えざる脅威であり、たとえ必要悪であるとはいえ、悪であることに変わりはな い。国家が自らの課題を果すためには、権力を持たねばならないが、その権力の濫用から生じ る危険を完全に取り除くことはできない。また、権利の保護に対する代価が高すぎる場合もあ ろう。
(2)民主主義の本質
民主主義においては、政府は流血なしに倒されうる。専制政治においてはそうではない。
民主主義は枠組みであり、何事かをなし得るのは市民である。
(b)利己主義 (b')利他主義
(a)人間の人格は永遠の価値を持ち、目的そのものである。(個人主義)
(a')個人はつねに、都市・国家・部族・ あるいは他の集合体の利益に役立たねばならない。(集団主義)
(iii)真実は個人主義的利他主義にある
(4)民主主義は、最も害が少ない
(a)多数派はいつでも正しいとは限らない。
(b)民主主義の諸制度が、民主主義の伝統に根ざしている場合には、われわれの知る限りで もっとも害が少ない。
(5)制度は善用も悪用もできる
(a)制度は、いつでも両価的である。善用もできれば、悪用もできる。
(b)制度を支える良い伝統が必要である。伝統は、制度と個人の意図や価値観を結びつける 一種の連結環を作り出すために必要である。
(6)制度を支える伝統の力
(a)法はただ一般的な原理を書き記しているのみであり、その解釈や司法過程は、伝統的な 正義や原則によって支えられ、発展させられる。これは、自由主義のもっとも抽象的で一般的 な原則についても当てはまる。
(b)個人の自由に加えられる制約は、それが社会的な共同生活によって不可避である場合、 可能なかぎり等しく課せられ、そして可能なかぎり少なくされる。
(7)自由主義の諸原則は改善のための原則
(a)社会科学によって扱われる事実。
(b)倫理的な考察に基づいているか、他の意思決定に基づいているかのいずれにせよ、政治 的な目標。
(7.2)事実から目標が導出可能とする反論
(a)意思決定の仕方は、教育やそれと同じような事実の影響に依存してい る。
(1)自由で批判的で公開的な討論
世論は、正義の問題や他の道徳的テーマについての討論を含めて、学問において生じている 自由で批判的で公開的な討論からは区別される。
(2)一つの社会現象としての世論
(a)自由で批判的で公開的な討論によって、世論はたしかに影響される。
(b)しかし、討論の成果として、世論が出現してくるわけではない。
(c)また、討論によって世論を押さえつけられるものでもない。
(3)世論の否定的な側面
(3.1)世論が真理と誤謬の裁判官ではない
世論が、神の声として、真理と誤謬についての裁判官として、承認されることはあっては ならない。
(3.2)世論は操作され、演出され、計画される
残念なことに世論は操作され、演出され、また計画される。
(3.3)世論が自由にとっての脅威となることもある
強固な自由主義の伝統による束縛を受けないならば、世論は、自由にとっての脅威とな る。世論は趣味の問題の裁判官としては、危険なものなのである。
(4)世論の否定的な側面の克服
(4.1)自由主義の伝統の強化
これらすべての脅威に対してわれわれは、自由主義の伝統を強化することによってのみ対 抗し得る。また、この自由主義を守るということにおいて、すべての人は共同することができ る。
(4.2)世論の積極的な側面
(a)世論はしばしば政府より賢明
世論は、確かに、政府などよりはしばしば啓発されていて賢明である。
(b)世論は、正義と道徳的価値を言い当てる
また世論は、往々にして、正義と他の道徳的価値にかんする啓発された裁判官でもあ る。
(8)伝統としての道徳的枠組み
伝統のうちでも、もっとも重要なものは、制度化された法的枠組みに呼応する道徳的枠組み を形成している伝統である。この伝統により、道徳的感情が育成されている。
(8.2)合理的討論の原則
認識論的かつ倫理的な原則である。
恐らく,私たちは共に部分的に間違っている. 私たちは, 真理に接近するために討論するのであって,相手を打ち負かすためではない. だから,合意でき なくとも,互いによりよい理解には達し,多くを学ぶだろう.(カール・ポパー(1902- 1994))
(8.2.1)可謬性の原則
私は、あなたから学ぼうとしている。私が間違っていて、恐らくあなたが正しいのであろ う。しかし、私たちの両方がともに間違っているのかもしれない。
(8.2.2)合理的討論の原則
私たちは、批判可能な特定の問題を論じているのであって、相手の人格を攻撃しようとし ているのではない。問題を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲している。
(8.2.3)真理への接近の原則
私たちは何故、討論するのか。真理に接近するためである。だから仮に、合意に達するこ とができないときでも、互いによりよい理解には達し、多くを学ぶことができるに違いない。
(8.3)思想の自由と真理
思想の自由および自由な討論は、目的そのものともいえる根本的な自由主義的価値だが、我々が真理に到達するためにも必要なものだ。真理は顕現しない。しかも手に入れるのは容易ではない。真理の探求には (a)自由な想像力と(b)試行錯誤(c)批判的討論を経由した偏見の漸次的発見が必要だからである。(カール・ポパー(1902-1994))
(8.4)知にかかわる倫理
知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、政治家などに とっての倫理である。
推論知には権威が存在せず,確証理論も例外ではない.誤り は不可避で,学びの契機であり,自己批判と知的誠実さ,他者批判の必要性と尊重,寛容の原理が 要請される.批判は真理のため,人でなく理論に関し理由と論拠によってなされる.(カー ル・ポパー(1902-1994))
(1)推論知の本質
(a)客観的な推論知において権威は存在しない。われわれの客観的な推論知は、いつでもひとりの人間が修得できるところをはるかに超え ている。それゆえいかなる権威も存在しない。このことは専門領域の内部においてもあてはま る。
(b)確証された理論も例外ではない。もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。
(a)誤りを避けることは不可能
すべての誤りを避けること、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けること は、不可能である。
(b)誤りを避けることの困難性
もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である。しかしな がら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして 何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。
(3)誤りの本質の理解
(a)誤りに対する態度の変更
それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない。われわれの実際上の 倫理改革が始まるのはここにおいてである。
(b)誤りから学ぶという原則
新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれはまさ に自らの誤りから学ばねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大 の知的犯罪である。
(c)誤りを分析すること
それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれ は、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りを あらゆる角度から分析しなければならない。
(4)自己批判と知的誠実さ
それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる。
(5)価値あるものとしての他者の批判
(a)他者による批判の必要性
われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし他者による批判が必要なことを学 ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
(b)自分とは似ていない他者の価値、寛容の原理
誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする、また彼らはわれわれ を必要とするということ、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の 人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
(c)他者から指摘された誤りへの感謝
われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせ てくれたときには、それを受け入れること、実際、感謝の念をもって受け入れることを学ばね ばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと 同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。
(6)合理的な批判の原則
(a)理由や論拠を伴った具体的な批判
合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言 明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定さ れた理由を述べるものでなければならない。
(b)批判は、真理のため
それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。
(c)人の批判ではなく内容の批判
このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。