2018年1月22日月曜日

哲学とは知恵の探究、人間の知り得るすべての事物の完全な知識の探究を意味し、生活の思慮、健康の維持、技術の発見にも及ぶ。これは(1)人間精神が把握できる明白かつ自証的な真理と、(2)原因、原理に基づく演繹過程を基礎とし、単なる「処世の才能」ではない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

真の哲学とは?

【哲学とは知恵の探究、人間の知り得るすべての事物の完全な知識の探究を意味し、生活の思慮、健康の維持、技術の発見にも及ぶ。これは(1)人間精神が把握できる明白かつ自証的な真理と、(2)原因、原理に基づく演繹過程を基礎とし、単なる「処世の才能」ではない。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 哲学とは、知恵の探究を意味し、人間の知り得るすべての事物の、完全な知識の探究を意味する。完全な知識とは、単に「処世の才能」ではなくして、真理である最初の原因、原理から導かれるようなものである。これら真理は、(1)明白かつ自証的でその真理性を疑い得ないほどに、人間の精神が把握できるものと、(2)原理に依存する諸事物の認識を、原理に基づいて演繹する明白な全過程とに、基づいている。これら完全な知識である真理は、生活の思慮についても、健康の維持やあらゆる技術の発見にも及ぶものである。
 「即ち、この哲学なる言葉は知恵の探究を意味し、知恵とは単に処世の才能ではなくして、生活の思慮についても、健康の維持やあらゆる技術の発見についても、人間の知り得るすべての事物の、完全な知識を意味すること、そしてこの知識がかようなものであるためには、それが最初の原因から導き出されることが必要であり、従って、本来の意味で哲学する、と呼ばれることの獲得に努めるためには、これら最初の原因即ち原理の探求から始めねばならぬこと、またこれら原理には二つの条件がなければならぬこと、即ち一つは、それらが明白で自証的であって、人間の精神が注意深くその考察に向けられるときには、その真理性を疑い得ないほどであること、他は、これら原理に他の事物の認識が依存し、従って原理は事物なくしても認識できるが、しかし逆に原理なくして事物は認識され得ないということ、そしてその後に、これらの原理に依存する諸事物の認識を、原理から演繹し、その実際行われる演繹の全過程のうちに、完全に明白でないようなものは、何も残さぬようにしなければならぬ、と言ったことがら(を説きたかったの)であります。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、p.12、[桂寿一・1964])
(索引:哲学、知恵の探究、完全な知識、原因、原理、明白かつ自証的、演繹)

哲学原理 (岩波文庫 青 613-3)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

ルネ・デカルト(1596-1650)
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いかなる事においても発見せらるべき真理はただ一つしかないのであって、その真理を発見しうる人はいかなる人にもせよ、そのものについては人の知りうるかぎりを知るのである。(ルネ・デカルト(1596-1650))

真理

【いかなる事においても発見せらるべき真理はただ一つしかないのであって、その真理を発見しうる人はいかなる人にもせよ、そのものについては人の知りうるかぎりを知るのである。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「いかなる事においても発見せらるべき真理はただ一つしかないのであって、その真理を発見しうる人はいかなる人にもせよ、そのものについては人の知りうるかぎりを知るのである。例えば、算術を教えられた子供が、それの規則に従って加算を行い、自分の検出した総計に関しては、人間の精神が見いだしうるであろう一切を見いだしたものと確信しうるのである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『方法序説』第二部、p.32、[落合太郎・1967])
(索引:真理)

方法序説 (岩波文庫)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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2018年1月21日日曜日

言葉から物を、結果から原因を、原因から結果を、似たものから似たものを、部分から部分または全体そのものを、引き出す。(ルネ・デカルト(1596-1650))

引き出すこと

【言葉から物を、結果から原因を、原因から結果を、似たものから似たものを、部分から部分または全体そのものを、引き出す。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
   単純なる事物の概念
   (単純本質、すべてそれ自身によって知られるもの)
   (悟性が、事物を直感し認識する能力によって知られるもの)
   単純なる事物の概念から複合せられた概念
   (悟性が、肯定あるいは否定の判断を下すところの能力によって知られるもの)
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
  言葉から物を引き出す。(言葉の不明瞭さに困難が存する場合)
  結果から原因を引き出す。(それが何であるか、それが存在するか否かを探る。)
  原因から結果を引き出す。(演繹)
  似たものから似たものを引き出す。(類推)
  部分から部分を引き出す。
  部分から全体そのものを引き出す。
 「さて第八にわれわれはいう、演繹はただ次のようにのみ行われる。すなわち、或いは言葉から物を、或いは結果から原因を、或いは原因から結果を、或いは似たものから似たものを、或いは部分から部分または全体そのものを、演繹する・・・・」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.91、[野田又夫・1974])
 「困難が言葉の不明瞭さに存するすべての場合、言葉から物を求める、という。」(中略)
 「或るものについて、それが存在するか否か、或いはそれが何であるか、を探ねる場合はいつも、結果から原因を求めているのである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一三、pp.97-98、[野田又夫・1974])
(索引:言葉の分析、原因の分析、演繹、類推)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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単純本質は、必然的にか偶然的にか結合される。単純本質と、これらの混合または複合のほかに、われらは何ものをも理解できない。複合的と呼ばれる本質は、経験することによってか、または、われわれ自身が複合することによって認識される。この複合は、衝動によるか、推測によるか、または演繹による。(ルネ・デカルト(1596-1650))

複合的本質

【単純本質は、必然的にか偶然的にか結合される。単純本質と、これらの混合または複合のほかに、われらは何ものをも理解できない。複合的と呼ばれる本質は、経験することによってか、または、われわれ自身が複合することによって認識される。この複合は、衝動によるか、推測によるか、または演繹による。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
   単純なる事物の概念
   (単純本質、すべてそれ自身によって知られるもの)
   (悟性が、事物を直感し認識する能力によって知られるもの)
   単純なる事物の概念から複合せられた概念
   (悟性が、肯定あるいは否定の判断を下すところの能力によって知られるもの)
    単純本質の必然的結合
     (例)形と延長は、必然的に結合されている。
     (例)運動と持続、時間は、必然的に結合されている。
    単純本質の偶然的結合
    経験によって知られる複合的本質
     感覚によって知覚するすべてのもの
     他人から聴くところのすべてのもの
     一般に悟性に現れる一切のもの
    悟性が複合した複合的本質
    衝動により得られた複合的本質
    推測により得られた複合的本質
    演繹により得られた複合的本質
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「第四にわれわれのいうところは、これら単純物相互の結合は必然的(necessaria)であるか偶然的(contingens)であるかだ、ということである。必然的というのは、或るものが他のものの概念の中に或る不判明な仕方で含まれていて、従って、それらが互いに他から離れていると判断する時はそれらのいずれも判明に把握しえない、という場合である。そういうふうに、形は延長と結合されており、運動は持続に、或いは時間に、結合されている、等。」(中略)
 「第五にわれわれのいうところは、これら単純本質及びそれら相互の或る混合または複合のほかに、われらは何ものをも理解できないことである。」(中略)
 「第六にわれわれのいうところは、複合的と呼ばれる本質がわれわれに認識されるのは、われらがそのいかなるものなるかを経験することによってか、またはそれをわれわれ自身が複合することによってか、いずれかである。われらが経験するものとは、われわれが感覚によって知覚するすべてのもの、他人から聴くところのすべてのもの、及び一般にわれらの悟性に現れる一切のもの――外から来るものであろうと悟性自身の反省的直感から生ずるものであろうと――である。」(中略)
 「第七にわれわれのいうところは、この複合が三様になされうることである。すなわち、衝動によるか、推測によるか、または演繹によるか。事物についての自己の判断を、衝動によって複合(構成)するとは、何らかの理由によって承服したのでなく、ただ、或いはより高き力により或いは自己の自由により或いは想像の傾向によって決定せられて、或る事を信ぜしめられるに至ることである。これらの中、第一のものは決して欺くことがなく、第二は稀に、第三はほとんど常に欺く。しかし第一のものも、方法的には考察できぬから、ここでは論ずる限りではない。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、pp.82-86、[野田又夫・1974])
(索引:複合概念、概念の結合、複合的本質)

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哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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悟性が直感し、真と認識するところの単純本質は、すべてそれ自身によって真である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

単純本質

【悟性が直感し、真と認識するところの単純本質は、すべてそれ自身によって真である。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
   単純なる事物の概念
   (単純本質、すべてそれ自身によって知られるもの)
   (悟性が、事物を直感し認識する能力によって知られるもの)
    純粋に悟性的なもの
     認識とは何であるか。
     疑いとは何であるか。
     意志の働きとは何であるか。
    純粋に物質的なもの
     形、延長、運動など。
    共通的なもの
     共通概念(公理):他の諸々の単純本質を相互に結合する鎖
     存在、統一、持続など。
   単純なる事物の概念から複合せられた概念
  (悟性が、肯定あるいは否定の判断を下すところの能力によって知られるもの)
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「第三に我々のいうところは、これら単純本質が、すべてそれ自身によって知られるものであって、決して虚偽を含まないこと、である。このことは、悟性がよって以って事物を直感し認識するところの能力をば、悟性がよって以って肯定或いは否定の判断を下すところの能力から、区別するなら、容易に明らかになるであろう。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、pp.81-82、[野田又夫・1974])
(索引:)

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哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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悟性にとって単純なる事物には、純粋に悟性的なもの、純粋に物質的なもの、共通的なものがある。(ルネ・デカルト(1596-1650))

単純本質

【悟性にとって単純なる事物には、純粋に悟性的なもの、純粋に物質的なもの、共通的なものがある。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
   単純なる事物の概念
    純粋に悟性的なもの
     認識とは何であるか。
     疑いとは何であるか。
     意志の働きとは何であるか。
    純粋に物質的なもの
     形、延長、運動など。
    共通的なもの
     共通概念(公理):他の諸々の単純本質を相互に結合する鎖
     存在、統一、持続など。
   単純なる事物の概念から複合せられた概念
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「第二にわれわれのいうところは、われらの悟性に関して単純といわれる事物が、或いは純粋に悟性的なもの(intellectuales)、或いは純粋に物質的なもの(materiales)、或いは共通的なもの(communes)、であることである。純粋に悟性的なものとは、或る生具の光によりかつ物体的心像の助けを全く借らずに、悟性が認識するものである。事実、そういうものが一つならず存在すること、確かである。そしていかなる物体的観念を作って見ても、認識とは何であるか、疑いとは何、意志の働き――これを意志作用と呼びうる――が何であるか等を、われらに示しえないけれども、しかしわれらはこれらすべてを、真実に認識する。しかもそのためにはただわれらが理性を賦与されているということのみで足るといえるくらいに容易に、認識するのである。純粋に物質的なものとは、物体においてのみ存するとわれわれの認識するところのもの、である。例えば形、延長、運動など。最後に、共通的というべきものは、物体的なものにも精神的なものにも無差別に適用されるところのもの、存在、統一、持続などである。またかの共通概念(公理)(notiones communes)をも、ここに属せしむべきである。それは、他の諸々の単純本質を相互に結合する鎖ともいうべきものであって、それの明証性に基づいてすべての推論が結論を生むのである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、pp.80-81、[野田又夫・1974])
(索引:)

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哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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認識に関係させて考察するのは、事実上存在するものとしてのそれらについて語るとは、異なった仕方でなすべきである。(ルネ・デカルト(1596-1650))

事実上存在するもの

【認識に関係させて考察するのは、事実上存在するものとしてのそれらについて語るとは、異なった仕方でなすべきである。(ルネ・デカルト(1596-1650))】
 「そこで第一に、われわれはいう、一々の事物をわれらの認識に関係させて考察するのは、事実上存在するものとしてのそれらについて語るとは、異なった仕方でなすべきである、と。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.79、[野田又夫・1974])

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哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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いかにしてあるものが他のものから認識せられるか(ルネ・デカルト(1596-1650))

認識

【いかにしてあるものが他のものから認識せられるか(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
   単純なる事物の概念
   単純なる事物の概念から複合せられた概念
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「今や第二の点に移り、単純なる事物の概念(notio)を、それから複合せられた概念より分ち、そして両者のいずれに虚偽が存在しうるかを見てそれを避け、どの概念が確実に認識されるかを見てただそれのみに携わるため、ここでも前と同様、恐らくすべての人の承認するとは限らぬであろう若干の事柄を、仮定せねばならない。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.78、[野田又夫・1974])

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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おのずからしてわれらに明らかであるもの(ルネ・デカルト(1596-1650))

自ずからして明らかなもの

【おのずからしてわれらに明らかであるもの(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
  2.私は存在する
   人間精神が何であるか。
  3.私でないものが、存在する
  4.精神と身体
   身体は何であるか。
   身体は精神によっていかに形成されるか。
  5.私(精神)のなかに見出されるもの
   この複合物(人間)全体において、事物を認識するに役立つ能力はいったい何である。
   それらの一々はいかなる働きをするか。
   5.1 意志のすべてが精神の能動である。
   5.1.1 精神そのもののうちに終結する精神の能動
   5.1.2 身体において終結する精神の能動(運動、行動)
   5.2 あらゆる種類の知覚ないし認識が、一般に精神の受動である。
   5.2.1 身体を原因とする知覚
   5.2.1.1 外部感覚
   5.2.1.2 共通感覚
   5.2.1.3 想像力、記憶
   5.2.1.4 自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様
   5.2.1.5 身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求
   5.2.1.6 精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想
      (広い意味では、情念の一種)
   5.2.2 精神を原因とする知覚
   5.2.2.1 意志についての知覚
   5.2.2.2 意志に依存するいっさいの想像や他の思考についての知覚
   5.2.3 精神だけに関係づけられる知覚(情念)
   (身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を、原因とする。)
 いかにして或るものが他のものから認識せられるか
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「さて第一の点を考察するに当って、ここに私は、人間精神が何であるか、身体は何であるか、後者は前者によっていかに形成(informari)されるか、この複合物(人間)全体において、事物を認識するに役立つ能力はいったい何であるか、それらの一々はいかなる働きをするか、を説明できればしたいのである。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.72、[野田又夫・1974])
(索引:おのずからしてわれらに明らかであるもの)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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認識するわれわれ、認識さるべき物自身(ルネ・デカルト(1596-1650))

認識するもの、されるもの

【認識するわれわれ、認識さるべき物自身(ルネ・デカルト(1596-1650))】
認識するわれわれ
 5.1 意志のすべてが精神の能動である。
 5.1.1 精神そのもののうちに終結する精神の能動
 5.1.1.1 「見る」とか「触れる」等の認知とは、認識力が、想像力と共同して外部感覚や共通感覚に働きかけること。
 5.1.1.2 記憶の「想起」とは、認識力が、記憶をもとにした想像力だけに働きかけること。
 5.1.1.3 「想像する」とか「表象する」こととは、認識力が、新たな形をつくるために想像力に働きかけること。
  (例)存在しない何かを想像する。
 5.1.1.4 「理解する」こと(純粋悟性)とは、認識力が、独りで働くこと。
  (例)可知的なだけで想像不可能なものを考える。
  (例)観念を表現する物自体(モデル)
  (例)捨象、抽象
  (例)物のある省略された形(記号)
  (例)問題となっている対象を表わす抽象化された記号を、紙の上の諸項として表現する。
 5.1.2 身体において終結する精神の能動(運動、行動)
認識さるべき物自身
 おのずからしてわれらに明らかであるもの
 いかにしてあるものが他のものから認識せられるか
 各々の物からいかなる事柄が演繹されるか
 「事物の認識について考察すべきことはただ二つある。すなわち認識するわれわれと、認識さるべき物自身と。われわれの中には、このために用いうるただ四つの能力がある。すなわち悟性、想像力、感覚、記憶、そして悟性のみが真理を覚知しうるのであるけれども、しかし悟性は想像力感覚及び記憶から助力を受けねばならない。これはわれらの有するどの能力をも閑却するようなことにならぬためである。物については、三つを吟味すれば足りる。すなわち第一に、おのずからしてわれらに明らかであるもの、第二にはいかにして或るものが他のものから認識せられるか、第三には各々の物からいかなる事柄が演繹されるか。しかして、この枚挙は完全で、人間の力の及びうる何ものをも看過していない、と私は思う。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『精神指導の規則』規則第一二、p.71、[野田又夫・1974])
(索引:認識するわれわれ、認識さるべき物自身)

精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)



哲学の再構築 ルネ・デカルト(1596-1650)まとめ&更新情報 (1)存在論
(目次)
 1.なぜ、哲学をここから始める必要があるのか
 2.私は存在する
 3.私でないものが、存在する
 4.精神と身体
 5.私(精神)のなかに見出されるもの

ルネ・デカルト(1596-1650)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)
(出典:wikipedia
 「その第一の部門は形而上学で、認識の諸原理を含み、これには神の主なる属性、我々の心の非物質性、および我々のうちにある一切の明白にして単純な概念の解明が属します。第二の部門は自然学で、そこでは物質的事物の真の諸原理を見出したのち、全般的には全宇宙がいかに構成されているかを、次いで個々にわたっては、この地球および最もふつうにその廻りに見出されるあらゆる物体、空気・水・火・磁体その他の鉱物の本性が、いかなるものであるかを調べます。これに続いて同じく個々について、植物・動物の本性、とくに人間の本性を調べることも必要で、これによって人間にとって有用な他の学問を、後になって見出すことが可能になります。かようにして、哲学全体は一つの樹木のごときもので、その根は形而上学、幹は自然学、そしてこの幹から出ている枝は、他のあらゆる諸学なのですが、後者は結局三つの主要な学に帰着します。即ち医学、機械学および道徳、ただし私が言うのは、他の諸学の完全な認識を前提とする窮極の知恵であるところの、最高かつ最完全な道徳のことです。ところで我々が果実を収穫するのは、木の根からでも幹からでもなく、枝の先からであるように、哲学の主なる効用も、我々が最後に至って始めて学び得るような部分の効用に依存します。」
(ルネ・デカルト(1596-1650)『哲学原理』仏訳者への著者の書簡、pp.23-24、[桂寿一・1964])

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