2021年11月12日金曜日

アントニオ・ダマシオ (1944-)の命題集

 アントニオ・ダマシオ (1944-)の命題集

《目次》


第1部 ホメオスタシスの階層
(1)ホメオスタシスのプロセス
(2)ホメオスタシスの各階層
(3)ホメオスタシスの入れ子構造
(4)代謝のプロセス
(5)基本的な反射
(6)免疫系
(7)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動――快楽行動、苦痛行動
(8)多数の動因と動機、あるいは欲求
(8.1)意識化された外部環境、内部環境

第2部 意識のレベル
(1)無意識のプロセスとコンテンツ
(1.1)意識化されないイメージ
(1.2)イメージ以前のニューラル・パターン
(1.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
(1.4)獲得された傾性の改編
(1.5)生得的傾性
(2)精神分析的無意識
(3)覚醒
(4)低いレベルの注意
(5)情動
(6)中核意識
(6.1)中核意識とは?
(6.2)意識の役割
(7)延長意識
(8)集中的な注意

第3部 自己と他者
(1)中核自己の誕生
(2)あたかも身体ループシステムの獲得
(2.1)仮想身体ループ機構
(2.2)仮想身体ループ機構の進化的由来
(3)他者の身体状態のシミュレーション
(3.1)他者の行動の意味の理解
(3.2)他者の情動の理解


第4部 感情と情動
(1)感情
(1.1)感情表出反応
(1.1.1)例えば、欲望
(1.2)感情の特徴
(1.2.1)感情の情動依存性
(1.2.2)感情、思考は学習される
(1.2.3)情動誘発の神経機構の相対的自律性
(1.2.4)情動の連鎖
(1.3)感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化
(2)狭義の情動
(2.1)情動の例
(2.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
(2.2.1)情動の概念
(2.3)情動の補足説明
(2.3.1)「対象や事象」情動誘発刺激
(2.3.2)「想起された対象や事象」
(2.3.2.1)意識的な思考の役割
(2.3.2.2)物理的環境、文化的環境、社会的環境との相互作用
(2.3.2.3)社会的環境と個人の情動
(2.3.2.4)意志決定過程への情動の影響
(2.3.3)「自動的に引き起こされる」
(2.3.4)「対象や事象の評価を含む」
(2.3.5)「脳や身体の状態を一時的に変更する」情動の身体過程
(2.3.6)「思考や行動に影響を与える」:認知状態と関係する変化
(2.3.7)誘発される意識の種類
(2.4)情動の種類
(2.4.1)背景的情動
(2.4.1.1)背景的情動の例
(2.4.1.2)内的状態の指標
(2.4.1.3)背景的情動の表出
(2.4.1.4)背景的情動と欲求や動機との関係
(2.4.1.5)背景的情動とムードとの関係
(2.4.1.6)背景的情動と意識の関係
(2.4.2)基本的情動
(2.4.3)社会的情動

第5部 自己の誕生
(1)原自己(proto-self)
(1.1)マスター内知覚マップ
(1.2)マスター生命体マップ
(1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ
(2)中核自己
(2.1)ニューラルマップ(仮説)
(2.1.1)1次のニューラルマップ
(2.1.2)2次のニューラルマップ
(2.1.3)1次マップへのフィードバック
(2.1.4)2次マップ間の連絡
(2.2)対応する内的経験
(2.2.1)1次マップに対応する内的経験
(2.2.2)2次マップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
(2.2.2.1)対象を知っているという感覚
(2.2.2.2)原自己が変化したという感覚
(2.2.2.3)中核自己の存在の感覚
(2.2.2.4)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
(3)中核自己の発現の再記述
(3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
(3.2)原自己の変化(1次マップ)
(3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
(3.3.1)対象のイメージ群
(3.3.1.1)対象という感覚、知っているという感覚
(3.3.1.2)関心、注意を向ける重要性の感覚
(3.3.1.3)対象の志向性と内在的対象性
(3.3.1.4)現象としての意識とアクセス可能な意識(ネド・ブロック(1942-))
(3.3.2)中核自己のイメージ群
(3.3.2.1)ある視点の存在の感覚
(3.3.2.2)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるとい う感覚
(3.3.2.3)発動力
(3.3.2.4)原初的感情
(3.3.3)中核自己
(3.3.3.1)存在しているという感情
(3.3.3.2)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
(3.4)意識のハードプロブレムについて
(3.4.1)コウモリであるとはどのようなことか(トマス・ネーゲル(1937-))
(4)3次の言語的翻訳
(4.1)言語への翻訳
(4.2)言語への翻訳の様相
(4.3)非言語的な概念
(4.4)言語翻訳の作話性
(5)自伝的自己、延長意識がもたらす諸能力
(6)文化的構築物


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第1部 ホメオスタシスの階層
《目次》
(1)ホメオスタシスのプロセス
(2)ホメオスタシスの各階層
(3)ホメオスタシスの入れ子構造
(4)代謝のプロセス
(5)基本的な反射
(6)免疫系
(7)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動――快楽行動、苦痛行動
(8)多数の動因と動機、あるいは欲求
(8.1)意識化された外部環境、内部環境


(1)ホメオスタシスのプロセス
参考:ホメオスタシスのプロセス:(1)内的、外的環境の変化、(2)変化の感知、(3)評価、反応。 (アントニオ・ダマシオ(1944-))
 有機体は、外部環境と内部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、外部環境と内部環境を変更する。
(i)外部環境、内部環境の変化
 一個の有機体の内部あるいは外部の環境で、何かが変化する。
(ii) 有機体の状態変化
 その変化が、その有機体の命の方向を変える。
(iii) 有機体は、そうした変化を検出し、有機体の自己保存と効率的機能にとって、最も有益な 状況を生み出すように反応する。
(a) 状態変化の評価(自己保存、効率的機能)
 有機体の内部と外部の状況を評価する。有機体は、ただ単に生きている状態ではな く、より「優れた命の状態」を目指しているように見える。すなわち、人間であれば「健康で しかも幸福である」状態を目指しているように見える。
(b) 反応
(c) 外部環境、内部環境の変更
 結果として、健全性への脅威を取り除く、改善への好機を手に入れる。

(2)ホメオスタシスの各階層
(a)感情
(b)狭義の情動
(c)多数の動因と動機、あるいは欲求
(d)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動
(e)免疫系
(f)基本的な反射
(g)代謝のプロセス

(3)ホメオスタシスの入れ子構造
ホメオスタシスの入れ子構造:(1)各機構は、より単純な機構を構成要素としている。(2)そ の際、新しい問題に対応している。(3)全体として「幸福を伴う生存」が目指されている。 (アントニオ・ダマシオ(1944-))
(i) より複雑な反応部分は、その構成要素として、より単純な反応部分を組み込んでいる。 
(ii) その際、より複雑な反応部分は、構成要素を部分的に手直しし、より単純な反応部分が 扱っている問題を超える、新しい問題の解決に目を向けている。
(iii) 各階層の機構すべてを用いて、「幸福を伴う生存」という全体的目標が目指されている。 

(4)代謝のプロセス
 有機体は、内部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、代謝のプロセスで内部環境を調整する。
《定義》
・内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素(内分泌、ホルモン分泌)と機 械的要素(消化と関係する筋肉の収縮など)
《機能》
・体内に適正な血液を分配するための、心拍数や血圧の調整。
・血液中や細胞と細胞の間にある液の酸度とアルカリ度の調整。
・運動、化学酵素の生成、有機体組織の維持と再生に必要なエネルギーを供給するための、タ ンパク質、脂質、炭水化物の貯蔵と配備の調整。


(5)基本的な反射
 有機体は、外部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、基本的な反射で対応する。
《例》有機体が音や接触に反応して示す驚愕反射。極端な熱さ、極端な寒さから遠ざけたり、 暗いところから明るいところへ向わせたりする、走性、屈性など。

(6)免疫系
 有機体は、内部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、免疫系で内部環境を調整する。
《誘発原因》
 有機体の外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子など。有機体の内部であっても、例えば死滅しつつある細胞から放出される有害な化学分子。


(7)快(および報酬)または苦(および罰)と結びついている行動――快楽行動、苦痛行動
 有機体は、外部環境と内部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、代謝のプロセスや免疫系で内部環境を調整したり、基本的な反射で反応したりするが、やがて外部環境の特定の対象や状況への接近反応や退避反応をするようになる。
《定義》特定の対象や状況に対する有機体の接近反応や退避の反応。
《例》自動的な行動であり快や苦の経験が生じるとは限らない。意識される場合は「苦しい、 快い、やりがいがある、苦痛を伴う」行動
《階層構造》
 (e)免疫系
  外部から侵入してくるウイルス、細菌、寄生虫、毒性化学分子などに対する反応。
 (f)基本的な反射
  有機体に損害を与えるような外的事象や、保護を与えるような外的事象に対する反応。
 (g)代謝調節のうちのいくつかの機構
  内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素と機 械的要素による調整作用。


(8)多数の動因と動機、あるいは欲求
 有機体は、外部環境と内部環境の変化を検出し、その変化が有機体の自己保存と効率的機能にとって良いか悪いかを評価して反応し、代謝のプロセスや免疫系で内部環境を調整したり、基本的な反射で反応したりするが、やがて外部環境の特定の対象や状況への接近反応や退避反応をするようになる。そして、外部環境と内部環境の変化検出と評価の一部を意識化することで、特定の動因による行動を組織化するようになる。
《定義》欲求:ある特定の動因によって活発化する有機体の行動的状態
《例》空腹感、喉の渇き、好奇心、探究心、気晴らし、性欲など。
《階層構造》
(d)苦と快の行動の機構
(g)代謝的補正を中心に展開
 内部の化学的作用のバランスを維持するための、化学的要素と機 械的要素による調整作用。

(8.1)意識化された外部環境、内部環境
・外部感覚(特殊感覚)
・自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様(表在性感覚、深部感覚)
・身体ないしその一部に関係付ける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求(内臓感覚)
参考:精神の受動のひとつ、身体ないしその一部に関係づける知覚として、飢え、渇き、その他の自然的欲求、自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様がある。(ルネ・デカルト(1596-1650))



 
第2部 意識のレベル
《目次》
(1)無意識のプロセスとコンテンツ
(1.1)意識化されないイメージ
(1.2)イメージ以前のニューラル・パターン
(1.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
(1.4)獲得された傾性の改編
(1.5)生得的傾性
(2)精神分析的無意識
(3)覚醒
(4)低いレベルの注意
(5)情動
(6)中核意識
(6.1)中核意識とは?
(6.2)意識の役割
(7)延長意識
(8)集中的な注意

(1)無意識のプロセスとコンテンツ
 中核意識においても延長意識においても認識されず、非意識的なままとどまっている大量 のプロセスとコンテンツ。
(1.1)意識化されないイメージ
 (a)われわれが注意を向けていない、完全に形成されたすべてのイメージである。
 (b)参考:アクセス可能な前意識
 (c)複雑な発火パターンへの希釈


(1.2)イメージ以前のニューラル・パターン
 (a)決してイメージにはならない全てのニューラル・パターン。
 (b)参考:識閾下の状態

(1.3)ニューラル・パターン以前の獲得された傾性
 (a)経験をとおして獲得されるが、休眠したままで、恐らく明示的ニューラル・パターンには ならない全ての傾性。
 (b)参考:潜在的な結合
 (c)参考:切り離されたパターンの無意識

(1.4)獲得された傾性の改編
 そのような傾性の静かなる改編の全てと、それら全ての静かなる再ネットワーク化。
(1.5)生得的傾性
 自然が生得的、ホメオスタシス的傾性の中に具現化した、すべての隠れたる知恵とノウハ ウ。

(2)精神分析的無意識
・自伝的記憶を支えている神経システムにそのルーツがある。

(3)覚醒
・正常な意識がなくても、人は覚醒と注意を維持できる。

(4)低いレベルの注意
・生得的な低いレベルの注意は、意識に先行して存在する。
・注意は、意識にとって必要なものだが、十分なものではない。注意と意識とは異なる。 

(5)情動
・意識と情動は、分離できない。
・意識に障害が起こると、情動にも障害が起こる。 

(6)中核意識
(6.1)中核意識とは?
・「いま」と「ここ」についての自己感を授けている。
・中核意識は、言語、記憶、理性、注意、ワーキング・メモリがなくても成立する。
・統合的、統一的な心的風景を生み出すことそのものが、意識ではない。統合的、統一的な のは、有機体の単一性の結果である。
・意識のプロセスのいくつかの側面を、脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけること ができる。
(6.2)意識の役割

(7)延長意識
・「わたし」という自己感を授け、過去と未来を自覚させる。
・言語、記憶、理性は、延長意識の上に成立する。

(8)集中的な注意
・集中的な注意は、意識が生まれてから生じる。








第3部 自己と他者
参考:身体と身体状態の表象が,中核自己を生む。身体状態が 記憶,想起され,自己の身体状態のシミュレーションが可能となる.やがて,他者の身体状態のシ ミュレーションによって,他者の意図や情動が理解可能となる.(アントニオ・ダマシオ (1944-))

(1)中核自己の誕生
(2)あたかも身体ループシステムの獲得
(2.1)仮想身体ループ機構
(2.2)仮想身体ループ機構の進化的由来
(3)他者の身体状態のシミュレーション
(3.1)他者の行動の意味の理解
(3.2)他者の情動の理解



 (1)中核自己の誕生
  (a)自分の身体と身体状態が、脳内に表象されるようになる。
  (b)中核自己の意識が生まれる。
  (c)自分の身体と身体状態が記憶され、想起できるようになることで、自分自身の身体状態 のシミュレーションへの準備が整ってゆく。
 (2)あたかも身体ループシステムの獲得
  (a)過去の知識や認知によって、実際の状況に遭遇したときと同じ内部感覚の表象が出現す る。
  (b)これは、自分自身の身体状態シミュレーションである。
  (2.1)仮想身体ループ機構
  (2.2)仮想身体ループ機構の進化的由来
   仮想身体ループ機構によって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速で、 情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっており、実際の行動や身体変化の準 備を迅速に成し遂げる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
   (a)はじめ脳は、身体状態をただありのままにマッピングした。
   (b)その後、苦をもたらすような身体状態のマッピングを一時的に消去する、といった手段が 生まれた。
   (c)その後、何も存在しないところに、苦の状態を模倣する手段も生じた。
   (d)脳は身体マップの変更を、100ms以下という時間スケールで、ひじょうに迅速に成し 遂げることができる。これは、前頭前皮質からその先わずか数cmしか離れていない島の体性感 覚に信号を伝達する時間である。
   (e)この仮想身体的メカニズムによって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場 合より迅速であり、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっている。
   (f)これに対して脳が、本物の身体に変化を引き起こす時間スケールは数秒だ。長い、無 髄性の軸索が脳から数十cm離れた身体部分に信号を送るのに、およそ1秒かかる。これはま た、ホルモンが血流中に放出されその一連の作用を生じはじめるのに要する時間スケールでも ある。



 (3)他者の身体状態のシミュレーション
  (3.1)他者の行動の意味の理解
   (a)他人の行動を目撃する。
   (b)同じ行動の体感的な表象が出現する。
   (c)このことで、他人の行動の意味が理解できる。
   (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
参考:対象物を見ると、それを 操作する運動感覚の表象が伴う。これはカノニカルニューロンが実現している。また、他者の 対象物への働きかけを見ると、その運動感覚の表象が伴う。これはミラーニューロンが実現し ている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))
 (3.2)他者の情動の理解
  (a)他人の情動表出を目撃する。
  (b)同じ内部感覚の表象が出現する。
  (c)このことで、他人の情動が理解できる。
  (d)これは、他人の身体状態シミュレーションである。
参考: 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情 動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係 の基盤の必要条件となっている。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))






第4部 感情と情動
(1.1)感情表出反応
(1.1.1)例えば、欲望
(1.2)感情の特徴
(1.2.1)感情の情動依存性
(1.2.2)感情、思考は学習される
(1.2.3)情動誘発の神経機構の相対的自律性
(1.2.4)情動の連鎖
(1.3)感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化
(2)狭義の情動
(2.1)情動の例
(2.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
(2.2.1)情動の概念
(2.3)情動の補足説明
(2.3.1)「対象や事象」情動誘発刺激
(2.3.2)「想起された対象や事象」
(2.3.2.1)意識的な思考の役割
(2.3.2.2)物理的環境、文化的環境、社会的環境との相互作用
(2.3.2.3)社会的環境と個人の情動
(2.3.2.4)意志決定過程への情動の影響
(2.3.3)「自動的に引き起こされる」
(2.3.4)「対象や事象の評価を含む」
(2.3.5)「脳や身体の状態を一時的に変更する」情動の身体過程
(2.3.6)「思考や行動に影響を与える」:認知状態と関係する変化
(2.3.7)誘発される意識の種類
(2.4)情動の種類
(2.4.1)背景的情動
(2.4.1.1)背景的情動の例
(2.4.1.2)内的状態の指標
(2.4.1.3)背景的情動の表出
(2.4.1.4)背景的情動と欲求や動機との関係
(2.4.1.5)背景的情動とムードとの関係
(2.4.1.6)背景的情動と意識の関係
(2.4.2)基本的情動
(2.4.3)社会的情動


(1)感情
(1.1)感情表出反応
(1.1.1)例えば、欲望
 意識を持つ個体が、自分の欲求やその成就、挫折に関して持つ認識と感情

(1.2)感情の特徴
 感情の特徴:(a)情動が、感情と思考を誘発する。(b)誘発される感情と思考は、学習され る。(c)特定の脳部位への電気刺激も、情動、感情、思考を誘発する。(d)感情、思考は、新 たな情動誘発刺激となる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(1.2.1)感情の情動依存性
 情動が、感情と思考を誘発する。
感覚/想起された ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
対象/事象
(情動を誘発する
対象/事象)

(1.2.2)感情、思考は学習される
 情動によって誘発される感情と思考は、学習されたものである。

(1.2.3)情動誘発の神経機構の相対的自律性
 特定の脳部位への電気刺激により誘発された情動でも、学習された感情と思考を誘発す る。
(特定の脳部位 ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
への電気刺激)
※ 学習によって情動と結びつけられた思考が、呼び起こされる。

(1.2.4)情動の連鎖
 呼び起こされた思考が、さらに情動の誘発因となる。
呼び起こされた ⇒ 情動 ⇒ 感情 ⇒ 思考
思考
※ 呼び起こされた思考は、現在進行中の感情状態を高めるか、静めるかする。思考の 連鎖は、気が散るか、理性によって終止符が打たれるまで継続する。
参考:最初の「情動を誘発しうる刺激」の存在が、しばしば、その刺激と関連する別の「情動を誘発 しうる刺激」をいくつか想起させ、当初の情動を拡大、変化、減少させ、複雑な感情の土台を 作る。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

《概念図》
「情動を誘発しうる刺激」A
 │
 ├→Aと関連して想起された対象や事象B
 ↓       (新たな情動誘発刺激となる)
情動a  │
   ├→想起された対象や事象C
   ↓                     ↓
   情動b   情動c
 情動aは持続、拡大したり、変化したり、減少したりする。これら、身体的状態のパターンである情動a、b、cと、心の内容である対象や事象の全体 が、特定の「感情」の土台を構成する。

(1.3)感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化
 感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(a)身体性

 そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。

(b)ヴェイレンス

 これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

(c)感情の知性化

 同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。



(2)狭義の情動
(2.1)情動の例
 喜び、悲しみ、恐れ、プライド、恥、共感など。

(2.2)情動とは何か、情動の暫定的定義
 感覚で与えられた対象や事象、あるいは想起された対象や事象を感知したとき、自動的に 引き起こされる身体的パターンであり、喜び、悲しみ、恐れ、怒りなどの語彙で表現される。 それは、対象や事象の評価を含み、脳や身体の状態を一時的に変更することで、思考や行動に 影響を与える。
参照: 狭義の情動とは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2.2.1)情動の概念
 情動の内観的特徴、物質的、身体的、生物学的特徴のまとめ(アントニオ・ダマシオ (1944-))
(1)情動の内観的特徴
 (a)意識的熟考なしに自動的に作動する。
  ・「自動的に引き起こされる」
  ・「精神の受動性」

 (b)情動は有機体の身体(内部環境、内臓システム、前庭システム、筋骨格システム)に 起因する。
  ・身体の能動性(精神の受動性)
 (c)情動反応は、多数の脳回路の作動様式にも影響を与え、身体風景と脳の風景の双方に 変化をもたらす。
  ・「脳や身体の状態を一時的に変更する」
 (d)これら一連の変化が、感情と思考の基層を構成することになる。
  ・「対象や事象の評価を含む」
 (e)情動誘発因の形成においては、文化や学習の役割が大きく、これにより情動の表出が 変わり、情動に新しい意味が付与される。
  ・「精神だけに関係づけられる精神の受動」
(2)情動の物質的、身体的、生物学的特徴
 (a)情動は、一つのパターンを形成する一連の複雑な化学的、神経的反応である。
  ・「身体の能動性」
 (b)情動は生物学的に決定されるプロセスであり、生得的に設定された脳の諸装置に依存 している。
 (c)情動を生み出すこれらの装置は、脳幹のレベルからはじまって上位の脳へと昇ってい く、かなり範囲の限定されたさまざまな皮質下部位にある。これらの装置は、身体状態の調節 と表象を担う一連の構造の一部でもある。
 (d)すべての情動はなにがしか果たすべき調節的役割を有し、有機体の命の維持を助けて いる。
  ・「思考や行動に影響を与える」
 (e)長い進化によって定着したものであり、有機体に有利な状況をもたらしている。



(2.3)情動の補足説明
(2.3.1)「対象や事象」情動の誘発原因
(a)狭義の情動が引き起こされるとき、その情動の原因となった対象や事象を、〈情動 を誘発しうる刺激〉(ECS Emotionally Competent Stimulus)という。
(b)ある情動の根拠は進化の過程で獲得され、他の情動の根拠は個人の生活の中で学習 される。あるときは無意識的に情動が誘発され、またあるときは意識的な評価段階を経て情動 が誘発される。このような情動が、人間の発達の歴史において重要な役割を演じている。
参照:情動の根拠には(a)生得的なもの、(b)学習されたものがある。また、情 動の誘発は、(a)無意識的なもの、(b)意識的評価を経由するものがあるが、いずれも反応は 自動的なものであり、誘発対象の評価が織り込まれている。(アントニオ・ダマシオ (1944-))

(2.3.2)「想起された対象や事象」
(2.3.2.1)意識的な思考の役割
 その対象と他の対象との関係や、その対象と過去との結びつきなど、意識的な思考が 行う評価であることもある。むしろ、原因的対象と自動的な情動反応との間に、特定の文化の 要求と調和するような意識的な評価段階をさしはさむことは、教育的な成長の重要な目標の一 つである。

(2.3.2.2)物理的環境、文化的環境、社会的環境との相互作用

(a)物理的環境
 もともと情動の基本的役割は、生来の生命監視機能と結びついている。情動の役割 は、命の状態を心にとどめ、その命の状態を行動に組み入れることだった。
(b)文化的環境
 (i)文化的環境は、情動の誘発に大きな影響を与える。そして逆に情動が、文化的構築 物の評価、発展において重要な役割を担っている。それが、有益な役割を担うためには、文化 が科学的で正確な人間像に基づかなければならない。


(c)社会的環境
 社会的環境も、情動の誘発に大きな影響を与える。それは、人間集団の命の状態の 指標でもある。そして逆に情動が、社会的環境の評価、改善において重要な役割を担ってい る。情動と、社会的な現象との関係を知的に考察することは、社会の苦しみを軽減し幸福を強 化するような物質的、文化的環境状況を生み出すために必要なことである。

(2.3.2.3)社会的環境と個人の情動
 特定の社会的状況と個人的経験が、情動誘発刺激となるために蓄積される知識(a)特定の問 題、(b)問題解決のための選択肢、(c)選択した結果、(d)結果に伴う情動と感情(直接的結 果、および将来的帰結)(アントニオ・ダマシオ(1944-))
 社会的状況と、それに対する個人的経験に関する、以下のような知識が蓄積されてい くことで、特定の情動誘発刺激が学習されていく
(a)ある問題が提示されたという事実
(b)その問題を解決するために、特定の選択肢を選んだということ
(c)その解決策に対する実際の結果
(d)その解決策の結果もたらされた情動と感情
 (i)行動の直接的結果は、何をもたらしたか。罰がもたらされたか、報酬がもたら されたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライドか。
 (ii)直接的行動がどれほどポジティブであれ、あるいはどれほどネガティブであ れ、行動の将来的帰結は、何をもたらしたのか。結局事態はどうなったのか。罰がもたらされ たか、報酬がもたらされたか。利益か、災いか。苦か快か、悲しみか喜びか、羞恥かプライド か。

(2.3.2.4)意志決定過程への情動の影響
 意志決定の過程:(a)状況に関する事実(b)選択肢(c)予想される結果(d)推論戦略により(e) 意志決定されるが、状況が自動的に誘発する情動および関連して想起される諸素材が(c)に影 響し(d)に干渉する。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
(1) 反応が求められる状況が発生する。
(2) (3)と(4)の経路は並行する。しかし、(3)を経由しないで、(4)が直に決定をもたらす こともある。各経路が単独に、あるいは組になって使われる程度は、個人の成長の程度、状況 の性質、環境などに依存する。
(3) 意志決定の経路A
 (3.1) 状況に関する事実、表象が誘発される。
 (3.2) 決定のための選択肢が誘発される。
 (3.3) 予想される将来の結果の表象が誘発される。
(4) 意志決定の経路Bは、経路Aと並行する。
 (4.1) 類似状況における以前の情動経験が活性化する。
 (4.2) 情動と関係する素材が想起され、(3.3)「将来の結果の表象」への影響する。
 (4.3) 同様に、想起された素材は、(5)「推論戦略」へ干渉する。
(5) (3)の認識に基づき、推論戦略が展開される。
(6) (3)と(5)から、意志決定する。



(2.3.3)「自動的に引き起こされる」
(a)意識的な評価は、情動が生じるためには必要というわけではない。
(b)意識的な評価どころか、情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づ いていようといなかろうと、情動は自動的に引き起こされる。
参照: 情動を誘発しうる刺激(ECS)の存在に、われわれが気づいていようといなかろうと、情動は 自動的に引き起こされる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2.3.4)「対象や事象の評価を含む」
 意識的な評価なしに自動的に引き起こされた情動にも、その対象や事象に対する評 価結果が織り込まれている。ただし、それは意識的評価をはさんだ場合とは、異なるかもしれ ない。

(2.3.5)「脳や身体の状態を一時的に変更する」
:情動の身体過程
 情動は,対象の感知による一時的変化が,体液性 信号と神経信号を通じ全身に伝播し,内部環境,内臓,筋骨格の状態,身体風景の表象を変化さ せ,脳状態の変更を通じて,特定行動誘発,認知処理モードの変化等を引き起こす。(アン トニオ・ダマシオ(1944-))

(a)情動対象を感知する
 (a.1)感覚で与えられた対象や事象を感知し、評価する。(場所:感覚連合皮質と高次の大脳皮質)
 (a.2)「あたかも身体ループ」:想起された対象や事象を感知し、評価する。この「あたかも」機構は、単に情動と感情にとって重要なだけでなく、「内的シ ミュレーション」とも言える一種の認知プロセスにとっても重要である。
(b)有機体の状態が一時的に変化する
 (b.1)身体状態と関係する変化:「身体ループ」または「あたかも身体ループ」
  (i)自動的に、神経的/化学的な反応の複雑な集まりが、引き起こされる。(場所:例えば「恐れ」であれば扁桃体が誘発し、前脳基底、視床下部、脳幹が実 行する。)
  (ii)2種類の信号が変化を伝播する。
   (1)体液性信号:血流を介して運ばれる化学的メッセージ
   (2)神経信号:神経経路を介して運ばれる電気化学的メッセージ
  (iii)身体の内部環境、内蔵、筋骨格システムの状態が一時的に変化する。情動的状態は、身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化、そして顔面、 咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。
  (iv)身体風景の表象が変化する。二種類の信号の結果として身体風景が変化し、脳幹から上の中枢神経の体性感覚 構造に表象される。
 (b.2)認知状態と関係する変化
  脳構造の状態も一時的に変化し、身体のマップ化や思考へも影響を与える。
次項目「思考や行動に影響を与える」へ。
(c)有機体の一時的変化の表象
 一時的に変化した有機体の状態は、イメージとして表象される。
(d)対象の意識化と自己感の発生
 有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。同時 に、対象を認識している自己感が出現する。

(2.3.6)「思考や行動に影響を与える」:認知状態と関係する変化
(a)情動のプロセスによって前脳基底部、視床下部、脳幹の核にいくつかの化学物質が 分泌される。
(b)分泌された神経調節物質が、大脳皮質、視床、大脳基底核に送られる。
(c)その結果、以下のような重要な変化が多数起こる。
 (i)特定の行動の誘発
  たとえば、絆と養育、遊びと探索。
 (ii)現在進行中の身体状態の処理の変化
  たとえば、身体信号がフィルターにかけられたり通過を許されたり、選択的に抑制 されたり強化されたりして、快、不快の質が変化することがある。
 (iii)認知処理モードの変化
  たとえば、聴覚イメージや視覚イメージに関して、遅いイメージが速くなる、 シャープなイメージがぼやける、といった変化。この変化は情動の重要な要素である。
 (iv)引き起こされた特有な身体的パターン、行動パターンの種類がいくつか存在す る。

(2.3.7)誘発される意識の種類
 誘発された反応は再び意識の内容となる。デカルトの分類に従って記載し直すと、引き起こされた情動の意識現象としての実体が分かる。

(a)精神の能動

(a1)精神そのもののうちに終結する精神の能動

(i)認知

 →有機体の一時的変化の表象は、情動の対象を強調し意識的なものに変化させる。

(ii)想起

(iii)想像

(iv)理解

(a2)身体において終結する精神の能動(運動、行動)

 → 特定の行動の誘発

(b)精神の受動

(b1)身体を原因とする知覚

(i)外部感覚

(ii)共通感覚

(iii)自分の肢体のなかにあるように感じる痛み、熱さ、その他の変様

 → 顔面、 咽喉、胴、四肢のさまざまな横紋筋の収縮の程度を変化させる。

(iv)身体ないしその一部に関係づける知覚としての、飢え、渇き、その他の自然的欲求

 → 身体の化学特性の無数の変化、内臓の状態の変化

 → 現在進行中の身体状態の処理の変化

(v)精神の能動によらない想像、夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想

(b2)精神を原因とする知覚

(b3)身体を原因とする知覚や、精神を原因とする知覚を原因とする、精神だけに関係づけられる知覚(情念)


(2.4)情動の種類
(2.4.1)背景的情動
 背景的情動は,内的状態の指標であり,中核 意識と密接に結びついている. 疲労,やる気,興奮,好調,不調,緊張,リラックス,高ぶり,気の 重さ,安定,不安定,バランス,アンバランス,調和,不調和などがある.(アントニオ・ダ マシオ(1944-))

(2.4.1.1)背景的情動の例
 疲労、やる気、興奮、好調、不調、緊張、リラックス、高ぶり、気の重さ、安定、不 安定、バランス、アンバランス、調和、不調和などがある。

(2.4.1.2)内的状態の指標
(a)血液などの器官の平滑筋系や、心臓や肺の横紋筋の時間的、空間的状態。
(b)それらの筋肉繊維に近接する環境の化学特性。
(c)生体組織の健全性に対する脅威か、最適ホメオスタシスの状態か、そのいずれか を意味する化学特性のあり、なし。

(2.4.1.4)背景的情動と欲求や動機との関係
 欲求は、背景的情動の中に直接現れ、最終的に背景的情動により、われわれはその存 在を意識するようになる。

(2.4.1.5)背景的情動とムードとの関係
 ムードは、調整された持続的な背景的情動と、一次の情動との調整された持続的な感 情とからなっている。たとえば、落ち込んでいる背景的情動と悲しみとの調整された持続的感 情。

(2.4.1.6)背景的情動と意識の関係
 背景的情動と中核意識は極めて密接に結びついているので、それらを容易には分離で きない。

(2.4.2)基本的情動
 基本的情動:《例》恐れ、怒り、嫌悪、驚き、悲しみ、喜び。様々な文化や、人間以外の種に おいても、共通した特徴が見られる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2.4.3)社会的情動
 社会的情動:共感、当惑、恥、罪悪感、プライド、嫉妬、羨望、感謝、賞賛、憤り、軽蔑など (アントニオ・ダマシオ(1944-))

(a)集団内に対する情動、集団外に対する情動
 社会的情動のいくつかは集団と関係し、集団内と集団外に対して異なる機能を持つ。人間の文 化の歴史は、これら情動を、個的な集団の制約を超え、最終的には人類全体の包含を目指した 努力の歴史である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 (i)親切な情動、賞賛に値する適応的利他主義は、集団と関係がある。家族、部族、 市、国などである。
 (ii)集団外のものに対する反応は、少しも親切ではない。適切なはずの情動が、集団 外に向けられると、いとも簡単に悪意に満ちた、残忍なものになる。その結果が、怒り、恨 み、暴力である。それらすべては、部族間の憎しみや人種差別や戦争の潜在的な芽として容易 に認識できる。
 (iii)われわれ人間の文化の歴史は、ある程度まで、最善の「道徳的感情」を、個的 な集団の制約を超え、最終的には人類全体を包含するように、より広い世界へ広めていこうと する努力の歴史である。
 (iv)その仕事は、まったく、未だ完成していない。

(b) 社会的情動のうち支配と従順も、人間のコミュニティにおいて不可欠な役割を果たすととも に、同時にまた、集団全体の破滅を早めてしまうようなネガティブな作用を及ぼすこともあ る。(アントニオ・ダマシオ(1944-))






第5部 自己の誕生

参考:身体と外界のすべてを反映している意識されない「原自己」、対象と原自己の変化を知り、自 伝的記憶を意識化する「中核自己」、自伝的記憶の担い手である「自伝的自己」。(アン トニオ・ダマシオ(1944-))

《目次》

(1)原自己(proto-self)
(1.1)マスター内知覚マップ
(1.2)マスター生命体マップ
(1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ
(2)中核自己
(2.1)ニューラルマップ(仮説)
(2.1.1)1次のニューラルマップ
(2.1.2)2次のニューラルマップ
(2.1.3)1次マップへのフィードバック
(2.1.4)2次マップ間の連絡
(2.2)対応する内的経験
(2.2.1)1次マップに対応する内的経験
(2.2.2)2次マップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
(2.2.2.1)対象を知っているという感覚
(2.2.2.2)原自己が変化したという感覚
(2.2.2.3)中核自己の存在の感覚
(2.2.2.4)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
(3)中核自己の発現の再記述
(3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
(3.2)原自己の変化(1次マップ)
(3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
(3.3.1)対象のイメージ群
(3.3.1.1)対象という感覚、知っているという感覚
(3.3.1.2)関心、注意を向ける重要性の感覚
(3.3.1.3)対象の志向性と内在的対象性
(3.3.1.4)現象としての意識とアクセス可能な意識(ネド・ブロック(1942-))
(3.3.2)中核自己のイメージ群
(3.3.2.1)ある視点の存在の感覚
(3.3.2.2)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるとい う感覚
(3.3.2.3)発動力
(3.3.2.4)原初的感情
(3.3.3)中核自己
(3.3.3.1)存在しているという感情
(3.3.3.2)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
(3.4)意識のハードプロブレムについて
(3.4.1)コウモリであるとはどのようなことか(トマス・ネーゲル(1937-))
(4)3次の言語的翻訳
(4.1)言語への翻訳
(4.2)言語への翻訳の様相
(4.3)非言語的な概念
(4.4)言語翻訳の作話性
(5)自伝的自己、延長意識がもたらす諸能力
(6)文化的構築物




《目次》
(1)原自己(proto-self)
(1.1)マスター内知覚マップ
(1.2)マスター生命体マップ
(1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ

(1)原自己(proto-self)
 参考:原自己(アントニオ・ダマシオ(1944-))
 原自己:生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パ ターンを統合して集めたもの。原自己は、意識を持たない。以下の構造からなる。
 ・マスター内知覚マップ(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 ・マスター生命体マップ(身体の形、身体の動き)
 ・外的に向けられた感覚ポータルのマップ(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉 と、マスター生命体マップの一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知 覚)

(1.1)マスター内知覚マップ
マスター内知覚マップ(アントニオ・ダマシオ(1944-))
《知覚の種類》器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚。
《情動》原初的な感情(最適、平常、問題あり)、痛覚、温冷、飢え、喉の渇き、快楽。
《特徴》内部状態は、ホメオスタシス機構により、変化は極めて狭い範囲でしか生じない。 従って、この知覚は他の知覚と比較し、生涯を通じて安定しており、不変性の基礎を提供す る。

(1.2)マスター生命体マップ
マスター生命体マップ(アントニオ・ダマシオ(1944-))
《知覚の種類》身体の形、身体の動き。
《特徴》発達の途中で変わってゆく。
《マスター内知覚マップとマスター生命体マップの関係》
 マスター内知覚マップは、マスター生命体マップの中に収まる。ある特定の内部知覚は、マ スター生命体マップの中の解剖学的図式に当てはまる領域の部分で知覚される。例として、吐 き気が胃のあたりで体験される等。

(1.3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ
外的に向けられた感覚ポータルのマップ(アントニオ・ダマシオ(1944-))
《知覚の種類》視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マスター生命体マップの 一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚。
《例》視覚であれば、目を動かす眼筋、レンズや瞳孔の直径を調節する仕組み、目のまわりの 筋肉、まばたきしたり、笑いを表現したりするための筋肉など。
《特徴》
(a)〈特殊感覚〉が、心の「質的」な側面を構築する。
(b)〈特殊感覚〉が、マスター生命体マップのどの身体領域から受け取っているのかを知り、 身体領域を調節して視点を構築する。

(2)中核自己
《目次》
(2.1)ニューラルマップ(仮説)
(2.1.1)1次のニューラルマップ
(2.1.2)2次のニューラルマップ
(2.1.3)1次マップへのフィードバック
(2.1.4)2次マップ間の連絡
(2.2)対応する内的経験
(2.2.1)1次マップに対応する内的経験
(2.2.2)2次マップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)

(2.2.2.1)対象を知っているという感覚
(2.2.2.2)原自己が変化したという感覚
(2.2.2.3)中核自己の存在の感覚
(2.2.2.4)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)

(2.1)ニューラルマップ(仮説)
(2.1.1)1次のニューラルマップ
(a)対象マップ
 原因的対象の変化を表象する神経構造である。
(b)原自己マップ
 原自己の変化を表象する神経構造である。

(2.1.2)2次のニューラルマップ
参照: 2次のニューラルマップとは?(アントニオ・ダマシオ(1944-))
 対象マップと原自己マップ双方の、時間的関係を再表象する神経構造である。(仮説) 

(a)原自己マップの2次マップ
 はじめの瞬間の原自己の状態が反映される。
(b)対象マップの2次マップ
 感覚されている対象の状態が反映される。
(c)変化した原自己マップの2次マップ
 対象によって修正された原自己の状態が反映される。
(d)原自己と対象マップの時系列的2次マップ
 原自己のマップと対象のマップを、時間順に記述してゆくような、神経パターンが作ら れる。
(e)時間の流れ
 上記から、直接的または間接的に、流れる意識のイメージが作られる。

(2.1.3)1次マップへのフィードバック
 対象のイメージを強調するような信号が、直接的、または間接的に1次のニューラル マップへと戻され、対象が強調される。

(2.1.4.)2次マップ間の連絡
 2次のマップが複数あり、相互に信号をやり取りしている(仮説)。


(2.2)対応する内的経験
(2.2.1)1次マップに対応する内的経験
(a)対象マップの内的経験
 (i)形成されたイメージである「対象」、例えば、顔、メロディ、歯痛、ある出来事の 記憶など。
 (ii)対象は、実際に存在するものでも、過去の記憶から想起されたものでもよい。
 (iii)対象はあまりにも多く、しばしば、ほとんど同時に複数の対象が存在する。
(b)原自己マップの内的経験
 (i)マスター内知覚(器官、組織、内臓、その他内部環境の状態に由来する知覚)
 (ii)マスター生命体(身体の形、身体の動き)
 (iii)外的に向けられた感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、平衡覚の〈特殊感覚〉と、マス ター生命体の一部である目、耳、鼻、舌を収めている身体領域とその動きの知覚)

(2.2.2)2次マップに対応する内的経験(イメージ的、非言語的なもの)
参照: 中核自己の誕生(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(2.2.2.1)対象を知っているという感覚
 何かしら対象が存在する。その対象を、知っている。
(2.2.2.2)原自己が変化したという感覚
 その対象が、影響を及ぼして、何かしら変化させている。その対象は注意を向けさせ る。
(2.2.2.3)中核自己の存在の感覚
 何かしら変化するものが存在する。それは、ある特定の視点から、対象を見て、触れ て、聞いている。
(2.2.2.4)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
 一つの対象に向けられる「注意」の程度は変化するが、ある対象から別の対象へと気を そらされても、全体的な意識のレベルが識閾より下に落ちることはない。つまり、無意識状態 になることはないし、発作を起こしているように見えることもない。

   原自己のマップ
    │
対象Xの │
マップ    │
│             ├→はじめの瞬間の
│             │        原自己のマップ
├───→対象X のマップ
│            ├→修正された
│            │         原自己のマップ
│            │             ↓
│            │(2次マップの組み立て)
│            │             ↓
│            │(イメージ化された
│            │            │ 2次マップ)
強調された←──┘
対象X の │
マップ     │
│              │
↓               ↓


《目次》
(3)中核自己の発現の再記述
(3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
(3.2)原自己の変化(1次マップ)
(3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
(3.3.1)対象のイメージ群
(3.3.1.1)対象という感覚、知っているという感覚
(3.3.1.2)関心、注意を向ける重要性の感覚
(3.3.1.3)対象の志向性と内在的対象性
(3.3.1.4)現象としての意識とアクセス可能な意識(ネド・ブロック(1942-))
(3.3.2)中核自己のイメージ群
(3.3.2.1)ある視点の存在の感覚
(3.3.2.2)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるとい う感覚
(3.3.2.3)発動力
(3.3.2.4)原初的感情
(3.3.3)中核自己
(3.3.3.1)存在しているという感情
(3.3.3.2)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
(3.4)意識のハードプロブレムについて
(3.4.1)コウモリであるとはどのようなことか(トマス・ネーゲル(1937-))

(3)中核自己の発現の再記述
参照: 「中核自己」の発現(アントニオ・ダマシオ(1944-))
参照:必ずしも意識化されない情動誘発因が情動誘発 部位を活性化し、身体と脳の多数の部位へ波及することで原自己が変化する。これら対象と原 自己の変化が2次構造にマッピングされ、中核自己を構成する諸感情が発現する。(アン トニオ・ダマシオ(1944-))
参考:外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))



(3.1)対象の感覚的処理(1次マップ)
 (a)生命体が、ある対象(情動誘発因)に遭遇する。
  対象に対する意識も、対象の認知も、このサイクルの継続に必ずしも必要ではない。
 (b)ある対象が、感覚的に処理される。
  対象のイメージの処理に伴う信号が、その対象が属している特定の種類の誘発因に反 応するようプリセットされている神経部位(情動誘発部位)を活性化する。
(3.2)原自己の変化(1次マップ)
 (a)対象からの関与が、原自己を変化させる。
 (b)身体と脳の多数の部位の反応
  情動誘発部位は、身体と他の脳の部位に向けての多数の反応を始動させ、情動を構成す る身体と脳の反応を全面的に解き放つ。
 (c)身体と脳の状態変化の表象
  皮質下ならびに皮質部における一次のニューラル・マップは、それが「身体ループ」に よるものか、「あたかも身体ループ」によるものか、あるいは両者の組合せによるものかには 無関係に、身体状態の変化を表象する。こうして感情が浮上する。

(3.3)情動誘発部位と原自己の2次マッピング
 情動誘発部位における神経活動のパターンと原自己の変化が、二次の構造にマッピングさ れる。かくして、情動対象と原自己の関係性についての説明が二次の構造においてなされる。
 参考:(a)外界と身体の変化(b)対象,驚き,既知 感(c)関心,注意(d)視点(e)表象の所有感(f)発動力(g)原初的感情.これら全てが,その担い 手である中核自己の存在を感知させ,全ての表象がその内部での現象であると感知させる.これ が意識である.(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(3.3.1)対象のイメージ群
 イメージの一群は、意識の中の物体を表す。
(3.3.1.1)対象という感覚、知っているという感覚
 原初的感情が変化し、「その対象を知っているという感情」が発生する。(2次マッ プ)
(3.3.1.2)関心、注意を向ける重要性の感覚
 (a)知っているという感情が、対象に対する「重要性」を生み出し、原自己を変化さ せた対象へ関心/注意を向けるため、処理リソースを注ぎ込むようになる。(1次マップへの フィードバック)

 (b)ニーチェは、この事実を極めて印象的に表現している。
 この自然情景、激動する海のこの感情、崇高な線、こ の確固として明確に見ること一般、その他、私たちが事物に授けた一切の美と崇高は、実際に は己が創造したものであり、原始的人類から相続している遺産である。(フリードリヒ・ ニーチェ(1844-1900))

(3.3.1.3)対象の志向性と内在的対象性
 「全ての心的現象は中世のスコラ学者が対象の志向的(もしくは心的)内在性と呼んだ ものおよび、完全に明確ではないが、対象つまり内在的対象性と我々が呼ぶかもしれないもの によって特徴づけられる。あらゆる心的現象は、必ずしも同じようにではないが、自身の内に 対象として何者かを含む。表象においては何者かが表象され、判定においては何者かが肯定ま たは否定され、愛においては愛され、嫌悪においては嫌われ、欲望においては欲望され、...と いうように。志向的内-在性は専ら心的現象が持つ特性である。物質的現象はこのような特性 を示さない。したがって、心的現象はそれ自体の内に志向的に対象を有する現象だと定義でき る。」(フランツ・ブレンターノ(1838-1917))(参考:志向性(wikipedia))

(3.3.1.4)現象としての意識とアクセス可能な意識(ネド・ブロック(1942-))
 ヒトの視覚システムは見つめている焦点が最も解像度が高く、周辺視野に行けばいく ほど解像度が悪くなる。また、周辺視野では混みあい効果という現象が生じる。これらの影響 のため、特に複雑な内容の自然画像では、直接に焦点を当てて見ている部位以外では、異なる 画像も同じクオリアを起こす。この同じクオリアが、アクセス可能な意識である。アクセス可 能な意識は、言語的に報告でき、記憶に保持でき、そのため後の意識的な行動計画に直接影響 を及ぼすような、意識の側面を指す。(出典:クオリア(脳科学事典))

(3.3.2)中核自己のイメージ群
 別のイメージ群は自分を表す。
(3.3.2.1)ある視点の存在の感覚
 全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。対象は見られ、触ら れ、聞かれ、変化するが、いつもある不動の視点から見られ、触られ、聞かれている。

(3.3.2.2)対象が対象そのものではなく、影響を受けている何者かの所有物であるとい う感覚
 (i)浮かび上がった対象は、対象そのものではないようだ。対象に向き合い、対象か ら影響を受けている何者かが存在する。浮かび上がった対象は、この何者かが所有しているも のであるという感覚が存在する。
 (ii)対象の志向性と内在的対象性(再掲)
(フランツ・ブレンターノ(1838-1917))(参考:志向性(wikipedia))

 (iii)離れて持つこと
 「絵画は視覚という錯乱を呼びさまし、渾身の力をふるってそれを保持する。錯乱 ――といったのは、〈見る〉ということが〈離れて持つ〉ということであり、そして絵画とはこ の奇妙な所有権を存在のあらゆる象面に押し拡げるものだからである。というのもそれが絵画 のなかに入り込むためには見えるものにならねばならないからである。」(メルロ・ポンティ 1966: 263/1964: 27)(出典:村田純一(1948-)世 界内存在としての意識:志向性の哲学と現象学(村田純一,2014))

(iv)絶対に安全であるという感情
 ウィトゲンシュタインは、この感覚に別の表現を与えている。「私は安全であり、 何が起ろうとも何ものも私を傷つけることはできない」というような感情。
参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、 いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を 傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889- 1951))

(3.3.2.3)発動力
 浮かび上がった対象に関心と注意を向ける何者かが存在する。原自己に属する身体 は、この何者かが確かに、自ら命じて動かすことができる。

 (a)エナクション(行為的産出、行為的認知)(フランシスコ・ヴァレラ(1946- 2001))
 「カゴに入れられた猫と自分で行動する猫の二匹を用意し、同じ視覚情報を与え る。自分で行動した猫は正常な知覚を獲得したのに対し、カゴに入れられた猫は知覚不能を起 こす。ヴァレラによれば、視覚とは単なる視覚情報の処理ではなく、知覚と行為の関係性の学 習である。猫は能動的に行為することによってその都度知覚を身体化し、はじめて視覚という 知覚能力を形成する。」(下西風澄(1986-))(出典:F. J. ヴァレラの神経現象学における時間意識の分析(1)―神経ダイナ ミクスと過去把持―(下西風澄,2015))
 (b)知覚は有機体の行動によって創造される(モーリス・メルロー=ポンティ(1908- 1961))
 「有機体の受容するすべての刺戟作用は、それはそれで、有機体がまず身を動か し、その運動の結果、受容器官が外的影響にさらされることによってのみ可能だったのである から、〈行動〉があらゆる刺戟作用の第一原因だと言うこともできるであろう。(改行)この ようにして刺戟のゲシュタルトは有機体そのものによって、つまり有機体が自らを外の作用に 差し出す固有の仕方によって、創造されるのである。」(モーリス・メルロー=ポンティ (1908-1961))(武藤伸司(1983-))(出典:現象学と 自然科学の相補関係に関する一考察(3)(武藤伸司,2017))

 (c)感覚運動的相互作用持つ4つの特性(ジョン・ケビン・オレガン(1948-))
  (i)広範囲の多様な状態が可能である。(豊かさ)
  (ii)身体の動きに応じて、感覚入力が変化する。(身体性)
  (iii)感覚入力は、自発的にも変化しうる。(部分的自律性)
  (iv)感覚は、注意を直接的に惹きつける。(直接的把捉)
(鈴木敏昭(1950-))(出典:クオリアへ の現象学的接近(鈴木敏昭,2017))

(3.3.2.4)原初的感情
 対象がどのように変化しようが、比較的変化しないで持続する何者かが存在する。

(3.3.3)中核自己
(3.3.3.1)存在しているという感情
 (i)全てが無差別に存在している混沌の中に、対象が浮かび上がる。何かが変化し、 知っているという感情が生まれた。それは注意をひきつける。対象は、いつもある不動の視点 から、見られ、触れられ、聞かれている。対象は、対象そのものではなく、影響を受けている 何者かの所有物であるという感覚がある。浮かび上がった対象に注意を向ける何者かが存在す る。原自己に属する身体は、この何者かが自ら命じて動かすことができる。これらを担い所有 する主人公が浮かび上がってくる。これが「中核自己」である。
 (ii)存在することへの驚き
  ウィトゲンシュタインは、それが驚きの感情を伴うことを指摘する。「何かが存在 するとはどんなに異常なことであるか」、「この世界が存在するとはどんなに異常なことであ るか」という存在することへの驚き。
参考:二つの表明し得ぬもの:(a)何かが存在する、この世界が存在するとは、 いかに異常なことであるかという驚き、(b)私は安全であり、何が起ころうとも何ものも私を 傷つけることはできない、という感覚。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889- 1951))

(3.3.3.2)中核自己の継続した存在の感覚(意識の流れの感覚)
 一つの対象に向けられる「注意」の程度は変化するが、ある対象から別の対象へと気 をそらされても、全体的な意識のレベルが識閾より下に落ちることはない。つまり、無意識状 態になることはないし、発作を起こしているように見えることもない。

(a)多重安定性(フランシスコ・ヴァレラ(1946-2001))
 例えば、ゲシュタルト心理学において用いられる反転図形のように、意識の経験 は、それぞれが安定した経験が多重に重なりあっており、また、一つの認知経験から他の認知 経験への変化は、不連続的に移行する。(フランシスコ・バレーラ(1946-2001))(武藤伸司 (1983-))(出典:F. J. ヴァレラの神経現象学における時間意識の分析(1)―神経ダイナ ミクスと過去把持―(武藤伸司,2011))

(3.4)意識のハードプロブレムについて
 たとえ外界と身体の全ての表象が存在しても、無差別に存在する混沌の中には、意識は 存在しない。(a)外界と身体の変化の感知、(b)驚きまたは既知感、(c)関心と注意、(d)視点 の感知、(e)表象の所有感、(f)発動力の感知、(g)継続的な原初的感情が、(h)中核自己の存 在を感知させ、これら全てが中核自己の内部で現象していると感知される。これが意識であ る。「自己集積体のイメージが非自己物体のイメージとあわせて折りたたまれると、その結果 が意識ある心となる」。

(3.4.1)コウモリであるとはどのようなことか(トマス・ネーゲル(1937-))
(a)様々な意識形態の存在
 おそらく意識体験は、宇宙全体にわたって他の太陽系の他の諸々の惑星上に、われ われにはまったく想像もつかないような無数の形態をとって生じている。
(b)意識体験を持つという事実の意味
 その生物であることは、そのようにあることであるようなその何かが―しかもその 生物にとってそのようにあることであるようなその何かが―存在している場合であり、またそ の場合だけである。
(c)意識体験に含まれるかもしれない他のもの
 生物の行動に関する意味さえ含まれているかもしれない。私は、そうは思わない が。
(1974年) / 永井均訳 (1989年、p.260)(出典:コウ モリであるとはどのようなことか(wikipedia)
《説明図》

対象→原自己→変調された原初的感情
↑          の変化  変調されたマスター生命体
│                             │               ↓
│                             │           視点の獲得
│                             ↓
│                知っているという感情
│                            ↓              │
└─────対象の重要性   ↓
          所有の感覚
          発動力


《目次》
(4)3次の言語的翻訳
(4.1)言語への翻訳
(4.2)言語への翻訳の様相
(4.3)非言語的な概念
(4.4)言語翻訳の作話性
(5)自伝的自己、延長意識がもたらす諸能力

(4)3次の言語的翻訳
 中核自己を発現させた2次のマップに対応する内的経験は、抑制不可能で自動的な方法で直ち に言語に変換される。また、分離脳研究の知見によると、左大脳半球は必ずしも事実と一致し ない作話をする。(アントニオ・ダマシオ(1944-))
(4.1)言語への翻訳
 2次の非言語的、イメージ的なものは、直ちに言語に変換される。
(4.2)言語への翻訳の様相
 この翻訳は、抑制不可能で自動的なものである。ただし、付随しないこともままあって、 かなり気ままになされる。言葉や文が無くても、「意識」が失われることはない。あなたは、 ただ耳を澄まし、じっと見ているのだ。

(4.3)非言語的な概念
 対象の認識や、原自己、中核自己は、2次の非言語的なものとしても存在するし、言語的 にも存在する。非言語的なものが「概念」であり、概念は言葉や文に先行して存在する。
(a)概念は、実在、動作、事象、関係性に対する非言語的理解からなっている。
(b)言葉や文は、概念を翻訳し、実在、動作、事象、関係性を指示している。

(4.4)言語翻訳の作話性
 「言語的」創造心は、フィクションに耽りやすい。すなわち、人間の左大脳半球は、必ず しも事実と一致しない言語的な話をつくりやすい。これは、分離脳研究における重要な知見で ある。

(5)自伝的自己、延長意識がもたらす諸能力
 延長意識がもたらす諸能力:(a)自己、他者、集団の生存に関係する能力、(b)(a)を超越し て、善・悪、美を感じとる能力、(c)不調和を嗅ぎつける能力、(d)(b)と(c)により事実、真 理の探究、行動規範の構築をする能力。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

(1)自己、他者、集団の生存に有利か不利かを感知する能力
 (a)生を重んじる能力
 (b)有用な人工物を創造する能力
 (c)他人の心について考える能力
 (d)自分と他人に死の可能性を感じ取る能力
 (e)他人や集団の利益を斟酌する能力
 (f)集団の心を感じ取る能力
(2)真に人間的な作用をもたらす「良心」の能力
 (2.1)生存への有利・不利を超越して善・悪、美・醜を感じ取る能力
  (a)ただ痛みを感じてそれに反応するのとは反対に痛みを辛抱する能力
  (b)快と苦とは異なる、善と悪の感覚を構築する能力
  (c)ただ快を感じるのではなく、美を感じとる能力
 (2.2)不調和を嗅ぎつける能力
  (a)感情の不調和を感じとる能力
  (b)抽象的な概念の不調和を感じとる能力(これが真実の感覚の源)
 (2.3)真実の探究、規範の構築への願望
  (a)真実を探求し、事実分析のための概念を構築したいという願望
  (b)行動のための規範と概念を構築したいという願望

(6)文化的構築物

「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2021年11月11日木曜日

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

主観性の誕生

外部感覚、肢体感覚、内臓感覚とこれらの記憶の相互作用から、対象とその対象から影響され変化するものが分離し、変化する私が存在し、対象は私が把握したものだという概念が生まれる(主観性)(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「自然なプロセスの基礎的レベルにある細胞による感知と、完全な意味における心的状態のあ いだにはきわめて重要な中間段階が存在し、それはもっとも基本的な心的状態である感情で構 成される。感情は中核的な心的状態であり、《意識が宿る身体の内的状態》という基礎的なコ ンテンツに対応する、《唯一の》核心的な心的状態だとさえいえるかもしれない。そして体内 の生命活動のさまざまな質に関連するがゆえに、感情は必然的にヴェイレンスを帯びている。 つまり、よいものにも悪いものにも、ポジティブなものにもネガティブなものにもある。さら には、魅力的なものにも嫌悪を催すものにも、快いものにも苦痛に満ちたものにも、あるいは 受け入れられるものにも受け入れらないものにもなる。

 《たった今の》内的な生命活動の状態を示す感情が、《生命全体の現在の視点の内部》に 「置かれる」、あるいは単に「位置する」だけでも主観性は生じ、そこから周囲のできごと、 自らが参加するできごと、想起された記憶に新たな可能性が生まれる。つまり、自分にとって それらが《重要性を帯びて》立ち現われ、生きるあり方に影響を及ぼすようになるのだ。文化 の出現には、できごとが重要性を帯びて立ち現われ、自分にとって有益か否かに基づいて自動 的に分類されるこのステップが必要とされる。自己によって所有され意識された感情は、自分 の置かれた状況が問題を孕むか否かに関するすばやい判断を可能にする。そして想像力を喚起 し、自分の置かれた状況を正しく判断するための基盤をなす理性的プロセスを始動する。この ように、文化を構築する創造的な知性を駆り立てるためには、主観性は不可欠なのである。 

 主観性は、イメージ、心、感情に対し、新たな性質を付与する。その性質とは、これらの現 象が生じている生体に対する所有の感覚と、個体性(individuality)の世界への参入を可 能にする「私有性(mineness)」である。心的経験は心に、無数の生物種に利点をもたらし てきた新たなインパクトを与える。人間にとって心的経験は、熟慮に基づく文化の構築の梃に なる。痛み、苦しみ、喜びの心的経験は人間の欲求の基盤をなし、文化的な発明の足がかりと なる。その意味でこの経験は、自然選択や遺伝の働きによってそれまでに構築されてきた種々 の行動とは鮮やかな対照をなす。生物学的進化と文化的進化という二つのプロセスのあいだに 横たわるギャップは非常に大きいため、双方の背後にホメオスタシスの力が厳然と存在する事 実が忘れられやすい。

 イメージは、特定の文脈の一部となるまで単独で《経験される》ことがない。この文脈は、 感覚装置が特定の対象と関わることで、生体がどのような影響を受けているかを示すストー リーをごく自然なあり方で語る《生体関連のイメージの集合を含んでいる》対象が外界にある のか、あるいは身体のどこかに存在するのか、それともかつて遂行されたイメージ化によって 形成された、外界や内界の何ものかに関する記憶から想起されたものなのかは、ここでは重要 ではない。《主観性とは、有無を言わさず構築されるナラティブなのだ》。そしてナラティブ は、ある種の脳の機能を備えた生物が、周囲の世界、記憶に蓄えられた過去の世界、自己の内 界と相互作用することで生じる。

 意識の背後にある謎の本質はそこにある。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第9章 意 識,pp.196-198,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情の身体性、ヴェイレンス、感情の知性化


感情のコンテンツはつねに身体を参照し(身体性)、その状態が望ましいか、望ましくないか、中立かを明示する(ヴェイレンス)。同様な状況を繰り返し経験すると、状況の概念が形成され、自分自身や他者に伝達可能なものとなる(感情の知性化)(アントニオ・ダマシオ(1944-))


(a)身体性

 そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。

(b)ヴェイレンス

 これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。

(c)感情の知性化

 同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。


 「感情は心的な経験であり、定義上意識的なものである。さもなければ、それに関する直接的 な知識は得られないだろう。しかし感情は、いくつかの点で他の心的経験とは異なる。まず第 一に、そのコンテンツはつねに、それが生じた生物の身体を参照する。感情は、その生物の内 部、すなわち内臓や内的作用の状態を反映する。すでに述べたように、内的なイメージが形成 される状況は、外界を描写するイメージと内界を描写するイメージを分つ。第二に、これらの 特殊な状態のもとで形成される結果として、内界の描写、すなわち感情は、ヴェイレンスと呼 ばれる特質に満たされている。ヴェイレンスは、生命活動の状態を、一瞬一瞬直接心的な言葉 に翻訳し、その状態が望ましいか、望ましくないか、その中間かを必然的に明示する。生存に 資する状態を経験すると、私たちはそれをポジティブな用語で記述し、たとえば「快い」と呼 ぶ。それに対し生存につながらない状態を経験すると、ネガティブな用語で記述し、不快さを 口にする。ヴェイレンスは感情、そしてさらにはアフェクトを特徴づける要素をなす。

 この感情の概念は、基本的なプロセスにも、同じ感情を何回も経験することから生じるプロ セスにもあてはまる。同様な状況に繰り返し遭遇し何度も同じ感情を経験すると、多かれ少な かれその感情プロセスが内化されて「身体」との共鳴の色合いが薄まることがある。特定のア フェクトを引き起こす状況を繰り返し経験すると、私たちはそれを独自の内的なナラティブに よって描写する(言葉が用いられないこともあれば用いられることもある)。そしてそれをめ ぐってコンセプトを築き、それに注ぐ情念の度合いをいく分抑え、自分自身や他者に提示可能 なものに変える。感情の知性化がもたらす結果の一つは、このプロセスに必要とされる時間と エネルギーの節約である。それには対応する生理学的側面があり、バイパスされる身体構造も ある。私が提唱する「あたかも身体ループ」は、それを達成する一つの方法だといえる。」 (アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.129-130,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月10日水曜日

感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

感情表出反応

感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「人間存在を支配している(ように見える)心の側面は、今現在の世界であろうが記憶から呼 び起こされたものであろうが、他者や諸事象で満ちた周囲の世界に関係する。それらは、あら ゆるタイプの感覚に由来する無数のイメージによって表わされ、往々にして言葉に翻訳されナ ラティブとして構造化される。それでも驚くべきことに、かくも多様なイメージのすべてをと もなうパラレルな心的世界が存在する。その世界は非常にとらえがたく、私たちの注意を引か ない場合が多いが、おりに触れて非常に重要なものになって、心の支配的な部位における処理 の流れを顕著に変えることがある。このパラレルワールドは《アフェクト》の世界と呼ばれ、 この世界では、《感情》が、通常はより突出した心のイメージにともなって生じる。感情が生 じる直接的な要因には、次のものがある。

   (a)人間存在の背景をなす生命活動の流れ。自発的な、言い換えるとホメオスタシスに関わ る感情として経験される。(b)味覚、臭覚、触覚、聴覚、視覚などの無数の感覚刺激を処理す ることで生じる《感情表出反応》。その経験はクオリアの起源の一つをなす。(c)衝動(飢えや 渇きなど)、動機(欲望や遊びなど)、従来の意味での情動に起因する感情表出反応。これら の感情表出反応は、数々の、ときには複雑な状況に直面した際に活性化される行動プログラム である。情動の例としては、喜び、悲しみ、怖れ、怒り、羨望、嫉妬、軽蔑、思いやり、称賛 などがあげられる。(b)と(c)で言及されている感情表出反応は、基本的なホメオスタシスの流れから生じる自発的なものとは異なり、喚起されることで生じるタイプの《感情を生む》。 なお残念なことに、情動を感じる経験にも、同じ用語「情動」が使われている。そのせいで、 区別されてしかるべき情動と感情が、まったく同一の現象であるという誤った考えが広まって いる。

 私の用法では、アフェクトとはあらゆる感情のみならず、それらを生みだす(すなわち、そ の経験が感情になる行動を生み出す原因になる)状況や仕組みをも包み込む大きなテントを意 味する。

 感情は、生命活動が展開するもの、すなわち知覚、学習、想起、想像、推論、判断、意思決 定、計画、あるいは心的な想像にともなわれる。感情を、心へのおりに触れての訪問者、ある いは典型的な情動によってのみ引き起こされるものと見做すなら、その見方は感情という現象 の偏在性や機能的重要性を正しくとらえていないといわざるを得ない。

 私たちが心と呼ぶ行列に加わっているイメージのほとんどは、注意のスポットライトにとら えられたときからそこを去るまで、感情をともなう。また、イメージはアフェクトの随伴を強 く求めるので、一つの突出した感情を構成するイメージにも他の感情がともなわれる。一つの 音に含まれる倍音や、小石が水面に落ちたときにできる水の輪にも少し似ている。生命活動の 自然な心的経験、つまり存在しているという感覚がなければ、真の意味での生はあり得ない。 生の起源は、連続的で無限であるかのように思える感情状態、すなわち他の心的なものすべて の底流をなす、さまざまな激しさの心的コーラスに存する。なお、「であるかのように思え る」とぼかしを入れたのは、継続するイメージの流れから生じる無数の感情のパルスをもとに 見かけの連続性が構築されるからだ。

 感情の完全な欠如は生の停止を意味するが、それほど劇的でなくとも感情が減退すれば、そ れだけ人間の本性が阻害される。仮に心の感情の「トラック」を狭められたとすると、外界か ら入ってくる視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の刺激から形成された、干からびた感覚イメージ の連鎖が残るだけだろう。干からびたイメージには、具体的なものもあれば抽象的なものもあ り、あるいは象徴的な、すなわち言語的な形態のものもある。また知覚から生じたものもあれ ば、記憶から想起されたものもある。感情のトラックを欠いたまま生まれてくると、事態は もっと悪くなる。イメージの残滓が、まったく感情の影響を受けず、質を与えられることもな く、心のなかを漂うだけだろう。ひとたび感情が取り除かれれば、イメージを美しいもの、醜 いもの、快いもの、不快なもの、上品なもの、野卑なもの、崇高なもの、俗なものなどとして 分類することができなくなるだろう。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第2部 文化的な心の構築,第7章 ア フェクト,pp.125-127,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月9日火曜日

感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

文化的構築物

感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。様々な文化的構築物である。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「生命を律する魔法のようなホメオスタシスの規則には、とぐろを巻くように、その瞬間の 生存を確保するための指示が詰め込まれていた。代謝の調整、細胞構成要素の修理、集団にお ける行動規範、バランスのとれたホメオスタシスの状態からの正もしくは負の逸脱を、適切な 処置を講じるべく測定するための基準などである。しかしそれらの規則は、未来に敢然と飛び 込むにあたり、より複雑で堅固な構造によって将来の安全性を確保しようとする傾向を持って いた。この傾向は、無数の連携、さらには突然変異、自然選択をもたらす激しい競争を介して 実現された。初期の生命は、感情と意識を吹き込まれ、自らが構築した文化を通じて豊かに なった人間の心に今日見出される、以後のさまざまな発展を予示していた。感情や意識を備え た複雑な心は、知性と言葉の発展を導き、生体の外部からホメオスタシスの動的な調節を行う 新たな道具を生んだ。この新たな道具の目的は、初期の生命に課された、生存のみならず繁栄 を目指せとする規則と現在でも調和している。

 ならば、この尋常ならざる発展の結果が、気まぐれとまでは言わないまでも一貫性を欠いて いるのはなぜだろうか? なぜ人類の歴史は、かくも多くのホメオスタシスからの逸脱や苦 しみにまみれているのか? これらの問いはのちの章で詳しく検討するが、とりあえずここで は、文化的な道具は、個体、あるいは核家族や部族などの小集団のホメオスタシス維持に関連 して最初に発達したのだと述べるに留めておく。そこでは、より大規模な集団への拡張は考慮 されていなかったし、そもそも考慮など不可能だった。より大規模な人間の集団では、文化的 集団、国、さらには地政学的圏域でさえ、たった一つのホメオスタシスに服する、より巨大な 有機体を構成する複数の部位としてではなく、おのおのが個々の有機体として機能することが 多い。そして各有機体は、独自のホメオスタシスのコントロールを用いて《自組織の》利益を 守る。文化的なホメオスタシスは、未完成品であり、逆境の時期に何度も損なわれてきた。あ えていえば、文化的なホメオスタシスの成功は、さまざまな調節目標を互いに調和させようと する文明の、はかない努力に依存する。F・スコット・フィッツジェラルドの「だから私たち は、つねに過去へ戻されながらも、流れに逆らってボートを懸命に漕ぎ続ける」という言葉に よって示される静かなあがきが、人間の本性をとらえた、もっとも妥当な先見の明に満ちた表 現であり続けているのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.45-46,白揚社(2019),高橋洋(訳)

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「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

自己保存と効率的機能の展開

  生命の状態を意識化し、外界の物理的環境、人間集団の命の状態の指標でもある情動は、様々な文化的構築物創造の媒介者でもある。これら全ては、生命の自己保存と効率的な機能の展開という目的に貫かれているように思われる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

「人間の持つ文化的な心の誕生に向け、ホメオスタシスは感情によって、劇的な飛躍を果すこ とができた。なぜなら、感情は生体内の生命活動の状態を心的に表象することを可能にするか らだ。心の仕組みにひとたび感情がつけ加えられると、ホメオスタシスのプロセスは生命活動 の状態に関する直接的な知識を豊富に持てるようになり、その知識は、必然的に意識的なもの になった。やがて感情に駆り立てられた意識ある心は、経験の主体に照らして、(1)生体内の 状態と、(2)生体外の環境の状態という2つの決定的な事象を心的に表象することが可能になっ た。後者には、社会的な相互作用や共有された意図によって生じた種々の複雑な状況における 他個体の行動が、典型的なものとして含まれる。そのような行動の多くは、その個体の持つ衝 動、動機、情動に左右される。学習や記憶の能力が発達すると、個体は、事実やできごとに関 する記憶を形成、想起、操作することができるようになり、知識と感情に基盤を置く新たなレ ベルの知性が誕生する道が開けた。この知的能力の拡大のプロセスに、やがて話し言葉が加わ り、観念と言葉と文のあいだのやりとりがたやすくできるようになる。そこからは、創造性の 洪水は抑えられなくなる。こうして自然選択は、特定の行動、実践、道具の背後にある観念の 劇場を征服し、文化的な進化と遺伝的な進化の連携が可能になったのだ。

 すばらしき人間の心と、それを可能にした複雑な脳は、それらを生んだ先駆けとなる祖先の 生物の長い系列から私たちの目を逸らしてしまう。心と脳という輝かしい成果は、人間とその 心が、フェニックスのごとく完全な形態で最近になって突如出現したかのように思わせる。し かしこの驚異的なできごとの背景には、祖先の生物の長い連鎖と、激しい競争と、驚嘆すべき 協調の歴史が横たわっている。複雑な生命体は、管理されていたからこそ存続できた。また脳 は、とりわけ感情や思考に富んだ意識ある心の構築を導くことに成功したあとで、管理の仕事 の支援に長けるようになったがゆえに進化の過程で選択された。これらの点が、人間の心の物 語では見逃されやすい。つまるところ人間の創造性は、生命と、まさにその生命が、「何があ ろうと耐え、未来に向けて自己を発展させるべし」とする厳正な任務を担いつつ誕生したとい う、息を飲むような事実に根差しているのだ。このつつましくも強力な起源に思いを馳せるこ とは、不安定性と不確実性に満ちた現代を生き抜くにあたって、何らかの役に立つかもしれな い。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.44-45,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

ホメオスタシスの代理

芸術、哲学、宗教的信念、司法制度、政治的ガバナンスと経済制度、テクノロジー、科学は、情動の誘発に大きな影響を与える。逆に情動はホメオスタシスの代理であり、これら文化的構築物の新たな生成、発展、改善において重要な役割を演じている。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

 「以上の議論を踏まえると、感情と文化の関係に関して、「感情は、ホメオスタシスの代理と して、人類の文化を始動した反応の媒介者の役割を努めてきた」という仮説を提起することが できる。この仮説は妥当であろうか? 感情が動機となって、(1)芸術、(2)哲学的探究、(3) 宗教的信念、(4)司法制度、(5)政治的ガバナンスと経済制度、(7)テクノロジー、(8)科学な どの知的発明がもたらされたのか? 私なら、この問いに心から「イエス」と答えるだろう。 これら8つのいずれの面でも、文化的な実践や道具は、ホメオスタシスの低下(痛み、苦し み、窮乏、脅威、喪失など)や潜在的な恩恵(報酬をともなう結果など)を実際に感じる、も しくは予期することを人々に求めた。また、恩恵として示される豊かさを利用しつつ必要性を 満たしていくための方法を、知識と理性という道具を用いながら探究する動機づけとして、感 情が機能した。私はこれらについて、実例をあげて説明することができる。

 しかも、これは序の口にすぎない。文化的な反応が成功すると、感情による動機づけは低下 するか解消する。このプロセスは、ホメオスタシスの変化の《監視》を必要とする。そのよう な単純な反応に代わって、さまざまな社会集団の長期にわたる相互作用に基づく複雑な過程を 経て、知性による反応が採用され、それが文化体系へと取り込まれたり棄却されたりするよう になった。そして、それは規模や歴史から地理的な位置や内的、外的な権力関係に至るまで、 集団の持つ数々の特質に依存し、知性や感情が関与する段階を含む。たとえば文化的な闘争が 起こると、ネガティブな感情やポジティブな感情が動員され、それによって闘争が解決した り、悪化したりする。かくして文化的選択が適用されるのだ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-),『進化の意外な順序』,第1部 生命活動とその調節(ホメ オスタシス),第1章 人間の本性,pp.39-40,白揚社(2019),高橋洋(訳))

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「もし情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())


2021年11月8日月曜日

37.意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))

意識の役割
意図と目的による意識による行動コントロールは、無意識のプロセスを適切な手段として利用することで、意識の到達範囲はさらに増幅され、分析や計画などに専念できるようになる。(アントニオ・ダマシオ(1944-))


「人間の子供時代や思春期が異様に長い時間を要するのは、脳の無意識プロセスを教育し て、その無意識の脳空間の中に、意識的な意図や目的にしたがっておおむね忠実に活動するよ うなコントロールの形を作り上げるのに長い時間がかかるからだ。このゆっくりした教育は、 意識的コントロールを無意識の力(確かにそれは人間行動をむちゃくちゃにできる)に委ねる プロセスだと思うべきではないのだ。パトリシア・チャーチランドはこの立場を説得力ある形 で論じている。

  無意識プロセスがあるからといって、意識の価値が下がりはしない。むしろ、意識の到達範 囲はさらに増幅される。そして、普通に脳が機能していれば、一部の行動が健全で頑強な無意 識により実行されているからといって、行動に対するその人の責任は必ずしも低下するわけで はない。

   結局のところ、意識プロセスと無意識プロセスとの関係は、共進化するプロセスの結果とし て生じた奇妙な機能的パートナーシップの新たな一例というわけだ。必然的に、意識と直接的 な意識による行動コントロールは、意識のない心の後から発生したものだ。それまでは意識の ない心が仕切っており、かなりよい結果も出していたが、常に成功したわけではない。もっと うまくやれる余地があった。意識が成熟したのは、まず無意識による実行部隊の一部を制圧し て、それらを容赦なく小突き回し、計画通りのあらかじめ決まった行動を実施させたことによ る。無意識プロセスは、行動を実行するための適切で便利な手段となり、それにより意識は、 分析と計画にもっと時間を割けるようになったのだ。

  家に歩いて帰るとき、どの道で帰ろうか考えるよりは何か別の問題の解決法を考えていたり するが、それでも安全にきちんと家に帰れる。このとき、われわれはそれまで数多くの意識的 な実行により、学習曲線にそって身につけた無意識的な技能の恩恵を受け入れたことになる。 家に歩いて帰るとき、意識がモニターする必要があったのは、その旅の全体的な目的地だけ だ。意識プロセスの残りは、創造的な目的のために自由に使えた。

 ほとんど同じことが、音楽家や運動選手の専門活動についてもいえる。その意識的処理は、 目的の達成だけに専念している。ある時点で何らかの水準を達成し、その実施にあたってのい くつかの危険を回避し、予想外の状況を検出することだ。あとは練習、練習、また練習で、そ れが第二の天性になればいずれ大成し、カーネギー・ホールに立てるかもしれない。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『自己が心にやってくる』第4部 意識の後しばらく、第11 章 意識と共に生き得る、pp.322-324、早川書房 (2013)、山形浩生(訳))

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アントニオ・ダマシオ

「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織と いった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたか のいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物 を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現 を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な 自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自 己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二 に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもて ない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しか し、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学な どからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必 要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分 野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新し い種類の研究だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感 情の脳科学 よみがえるスピノザ』)4 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社 (2005)、田中三彦())

2020年9月3日木曜日

28.問題:称賛、非難されるべき真の善・悪は存在するのか。(a)本能や性癖か、理性、規則、義務なのか、(b)おのれの幸福の配慮か否か、(c)何らかの有用性の顧慮なのか否か、(d)困難な、希少な行為なのか否か。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

称賛、非難されるべき真の善・悪は存在するのか

【問題:称賛、非難されるべき真の善・悪は存在するのか。(a)本能や性癖か、理性、規則、義務なのか、(b)おのれの幸福の配慮か否か、(c)何らかの有用性の顧慮なのか否か、(d)困難な、希少な行為なのか否か。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(3)追加。

道徳的諸価値(良心の権威)
 問題:道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。無意識の徴候、病気、真の目的の誤解、隠蔽する仮面、偽善としての道徳、あるいは、薬剤、興奮剤、抑制剤、毒物としての道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 (1)結果としての道徳
  結果としての道徳:自己満足、自己浄化、復讐のための道徳、病気としての道徳、真の目的の誤解、自己隠匿、仮面としての道徳、偽善、自己弁護のための道徳、おのれの意志に他者を服従させようとする道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
  (a)無意識の徴候としての道徳
   ・主唱者の心を安らわせ自己満足を覚えさせようとするための道徳
   ・自己を浄化して高くはるかな天上へとのぼろうとするための道徳
  (b)病気としての道徳
   ・主唱者が自分自身を磔に処し屈辱にまみれさせようとするための道徳
  (c)真の目的の誤解としての道徳
   ・主唱者が他のものを忘却せしめるのに役立つ道徳
  (d)真の目的を隠す仮面としての道徳
   ・自己を隠匿しようとするための道徳
   ・主唱者が自己あるいは自己のあるものを人に忘却せしめるのに役立つ道徳
  (e)偽善としての道徳
   ・主唱者を、他の者に対して弁護することを意図した道徳
   ・主唱者が復讐しようとするための道徳
  (f)おのれの意志に他者を服従させようとする道徳
   ・人類のうえに権力と創意に富んだ思いつきとを実行してみようとする道徳
   ・自分が敬重し服従し得ることは、他者も服従すべきとする道徳
 (2)原因としての道徳
  (a)薬剤としての道徳
  (b)興奮剤としての道徳
  (c)抑制剤としての道徳
  (d)毒物としての道徳
 (3)称賛、非難されるべき真の善・悪は存在するのか
  (3.1)本能、性癖か、理性、規則、義務か
   ・本能であるがゆえに評価される行為
   ・性癖であるがゆえに評価される行為
   ・性癖なしでなされるがゆえに評価される行為
   ・最も明晰な理性であるがゆえに評価される行為
   ・規則にしたがっているがゆえに評価される行為
   ・義務であるがゆえに評価される行為
  (3.2)おのれの幸福の配慮か否か
   ・おのれの最善の幸福を配慮するがゆえに評価される行為
   ・おのれのことを配慮しないがゆえに評価される行為
  (3.3)何らかの有用性の顧慮か否か
   ・有用だとみなされるがゆえに評価される行為
   ・有用へのいかなる顧慮をも示さないがゆえに評価される行為
  (3.4)困難な、希少な行為か否か
   ・困難なことであるがゆえに評価される行為
   ・容易なことであるがゆえに評価される行為
   ・稀であるがゆえに評価される行為
   ・不可能だとみなされるがゆえに評価される行為
   ・総じて不可能(一つの奇蹟)だとみなされるがゆえに評価される行為


 「ここでは或る行為が、その行為は行為者には困難なことであるがゆえに評価され、かしこでは或る別の行為が、その行為は行為者には容易なことであるがゆえに、

かしこでは或る行為が、その行為は稀であるがゆえに、かしこでは或る行為が、その行為は規則にしたがっているがゆえに、

かしこでは或る行為が、評価者はその行為を自分には不可能だとみなすがゆえに、かしこでは或る行為が、評価者はその行為を総じて不可能(一つの奇蹟)だとみなすがゆえに、

かしこでは或る行為が、その行為が有用だとみなされるがゆえに、かしこでは或る行為が、その行為は有用へのいかなる顧慮をも示さないがゆえに、

かしこでは或る行為が、当の人間はそのようにしておのれの最善の仕合わせを配慮するがゆえに、かしこでは或る行為が、当の人間はそのさいおのれのことを配慮しないがゆえに、

かしこでは〔或る行為が〕、その行為は義務であるがゆえに、かしこでは〔或る行為が〕、その行為が性癖であるがゆえに、かしこでは〔或る行為が〕、その行為が性癖なしでなされるがゆえに、

かしこでは〔或る行為が〕、その行為は本能であるがゆえに、かしこでは〔或る行為が〕、その行為は最も明晰な理性であるがゆえに、評価される

―――かくてこれら一切を人々はその時々に道徳的と呼ぶのだ! 私たちは現今、きわめて異なった諸文化のもろもろの尺度を同時に操作し、そしてこれらの諸尺度によってほとんどあらゆる事物を、まさに望み通りに、言いかえれば、仲間の人間たちや私たち自身に対する私たちの善意あるいは悪意に応じて、道徳的あるいは非道徳的だと評価することができる。

道徳は現今では称讃や非難の大きな話題である。しかし、一体全体どうして称讃したり非難したりしなくてはならないのか? もし人々がそうしたことから脱却することができるならば、この大きな話題もまたもはや必要とされないことだろう。」

(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅱ道徳哲学 三四七、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.200-201、[原佑・吉沢伝三郎・1994])
(索引:本能と道徳,理性と道徳,幸福と道徳,有用性と道徳,行為の困難性と道徳)

生成の無垢〈下〉―ニーチェ全集〈別巻4〉 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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27.結果としての道徳:自己満足、自己浄化、復讐のための道徳、病気としての道徳、真の目的の誤解、自己隠匿、仮面としての道徳、偽善、自己弁護のための道徳、おのれの意志に他者を服従させようとする道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

結果としての道徳

【結果としての道徳:自己満足、自己浄化、復讐のための道徳、病気としての道徳、真の目的の誤解、自己隠匿、仮面としての道徳、偽善、自己弁護のための道徳、おのれの意志に他者を服従させようとする道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(1)に追記。

道徳的諸価値(良心の権威)
 問題:道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。無意識の徴候、病気、真の目的の誤解、隠蔽する仮面、偽善としての道徳、あるいは、薬剤、興奮剤、抑制剤、毒物としての道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。
 (1)結果としての道徳
  (a)無意識の徴候としての道徳
   ・主唱者の心を安らわせ自己満足を覚えさせようとするための道徳
   ・自己を浄化して高くはるかな天上へとのぼろうとするための道徳
   ・主唱者が復讐しようとするための道徳
  (b)病気としての道徳
   ・主唱者が自分自身を磔に処し屈辱にまみれさせようとするための道徳
  (c)真の目的の誤解としての道徳
   ・主唱者が他のものを忘却せしめるのに役立つ道徳
  (d)真の目的を隠す仮面としての道徳
   ・自己を隠匿しようとするための道徳
   ・主唱者が自己あるいは自己のあるものを人に忘却せしめるのに役立つ道徳
  (e)偽善としての道徳
   ・主唱者を、他の者に対して弁護することを意図した道徳
  (f)おのれの意志に他者を服従させようとする道徳
   ・人類のうえに権力と創意に富んだ思いつきとを実行してみようとする道徳
   ・自分が敬重し服従し得ることは、他者も服従すべきとする道徳
 (2)原因としての道徳
  (a)薬剤としての道徳
  (b)興奮剤としての道徳
  (c)抑制剤としての道徳
  (d)毒物としての道徳


 「「われわれの内には定言的命法がある」、というような主張の価値については措いて問わぬとしても、なおわれわれはこう問うことができる、そもそもこうした主張はその主張者について何を証言しているのか、と。

道徳のなかには、この主唱者を他の者に対して弁護することを意図したものもある。また、主唱者の心を安らわせ自己満足を覚えさせようとするための道徳もある。さらには、主唱者が自分自身を磔に処し屈辱にまみれさせようとするための道徳もある。なおまた、主唱者が復讐しようとするための道徳、自己を隠匿しようとするための道徳、自己を浄化して高くはるかな天上へとのぼろうとするための道徳もある。

ある道徳は、その主唱者が他のものを忘却せしめるのに役立ち、またある道徳は、その主唱者が自己あるいは自己のあるものを人に忘却せしめるのに役立つ。

人類のうえに権力と創意に富んだ思いつきとを実行してみようとする多くの道徳家もいるし、他方また多くの道徳家は、ほかならぬカントもその仲間だが、自分の道徳論によって次のようなことをほのめかす、「私において敬重さるべきことは、私が服従しうるという一事だ。―――されば、あなたたちも私とまったく同じように《あるべき》である!」と。

―――要するに、もろもろの道徳とても《情念の符号》にすぎないのだ。」

(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『善悪の彼岸』第五章 道徳の博物学について、一八七、ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜、p.154、[信太正三・1994])
(索引:道徳)

ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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2020年8月29日土曜日

26.「君の感情を信頼せよ!」は正しいか? 感情は、諸体験による形成物であり、その背後には、受け継がれた諸価値、判断、評価が隠されている。それは、自身の理性と経験に従う以上に、自分の祖父母等の判断に従うことを意味する。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

感情に従うということ

【「君の感情を信頼せよ!」は正しいか? 感情は、諸体験による形成物であり、その背後には、受け継がれた諸価値、判断、評価が隠されている。それは、自身の理性と経験に従う以上に、自分の祖父母等の判断に従うことを意味する。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

「君の感情を信頼せよ!」は正しいのか
 (1)感情は、諸体験から形成されたものである
   快と不快、愛着、反感等々の諸感情は、記憶による諸体験の形成物である。記憶は、強調し省略し、単純化し、圧縮し、対立(格闘)させ、相互形成し、秩序付け、統一体への変形する。諸思想は、最も表面的なものである。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 (2)感情が、判断より根源的というわけではない
   原因と徴候の取り違いによせて。快と不快とはすべての価値判断の最古の徴候である。だが価値判断の原因ではない。それゆえ、快と不快とは、道徳的および美的な判断が帰属しているのと、同一の範疇に帰属している。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 (3)感情の背後には、目標、状況判断、価値判断がある
   ある対象や諸変化の状況が、意欲されている目標との関連で判断され、激情的な所有欲や拒絶へと簡約化され、総体的価値へと固定される。これが快と不快であり、同時に、目標や知性における判断への逆作用を持つ。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))
 (4)感情の背後の目標、状況判断、価値判断は誤っているかもしれない
  (a)感情の背後には判断と評価があり、しかもしばしば、それらは、われわれの理性とわれわれの経験に従うより以上に、自分の祖父と祖母、さらにその祖父母に従うことを意味する。
  (b)その判断は、自分自身の判断ではなく、しかもしばしば誤った判断である。

 「《感情とその判断からの由来》。―――「君の感情を信頼せよ!」―――しかし感情は最後のものでも、最初のものでもない。感情の背後には判断と評価があり、それらは感情(傾向、嫌悪)の形をとってわれわれに遺伝している。感情に基づく霊感は、判断の―――しかもしばしば誤った判断の! ―――そしていずれにもせよ君自身のものでない判断の! 幼い孫である。自分の感情を信頼する―――それは、《われわれ》の内部にある神々、すなわち、われわれの理性とわれわれの経験に従うより以上に、自分の祖父と祖母、さらにその祖父母に従うことを意味する。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『曙光 道徳的な偏見に関する思想』第一書、三五、ニーチェ全集7 曙光、p.52、[茅野良男・1994])
(索引:感情,価値,判断,価値評価)

ニーチェ全集〈7〉曙光 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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25.何のために為すのかという習慣的な問いは、外部の権威への信仰を生む。(a)超人間的権威(b)人格的権威(c)良心(d)理性(e)社会的本能(f)内在的精神を持った歴史(g)最大多数者の幸福。しかしこれらは、真の自己決定の回避ではないのか。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

外から与えられた権威への信仰

【何のために為すのかという習慣的な問いは、外部の権威への信仰を生む。(a)超人間的権威(b)人格的権威(c)良心(d)理性(e)社会的本能(f)内在的精神を持った歴史(g)最大多数者の幸福。しかしこれらは、真の自己決定の回避ではないのか。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

(1)意志:おのれ自身を信じること
 おのれ自身に目標を与えること。
(2)外部から与えられる目標を信じること
 (2.1)何のために為すのかという問い
  何のために為すのか、という問いが習慣的に発せられる。
 (2.2)外部から与えられる目標
  おのれ自身に目標を与える冒険を回避し、何か他のものに責任を転嫁する。
  (a)超人間的権威
  (b)人格的権威
  (c)良心の権威
  (d)理性の権威
  (e)社会的本能
  (f)一つの内在的精神と目標を持っていると想像された歴史
  (g)最大多数者の幸福
(3)ニヒリズム:外部から与えられた権威を信じられなくなったとき現れる
 (a)特定の目標など、まるっきり必要ないのではないか。
 (b)特定の目標など、予見することなどまったくできないのではないか。

 「「何のために?」というニヒリズムの問いはこれまでの習慣から発するものであり、この習慣の力で、目標は外部から―――つまり、なんらかの《超人間的な権威》によって、立てられ、あたえられ、要求されると思われた。

この権威を信ずることが忘れられたのちにも、やはり古い習慣にしたがって、《無条件に語ることをこころえており》、目標や課題を《命令することのできる他の》権威がさがしもとめられる。

《良心》の権威が、《人格的な》権威の失われた代償として、いまや第一線へとのりだす(神学から解放されればされるほど、《道徳》はますます命令的となる)。ないしは《理性》の権威が。ないしは《社会的本能》(畜群)が。ないしは、一つの内在的精神をもっていて、おのれの目標をおのれ自身のうちにもっており、ひとが身を《まかせることのできる》歴史が。

ひとは、《意志》を、目標の《意欲》を、《おのれ自身に》目標をあたえる冒険を、《回避》したかったのである。ひとは責任を転嫁したかったのである(―――ひとは《宿命論》を奉じたでもあろう)。最後には幸福が、しかも、いくばくかの偽善をともなって、《最大多数者の幸福》があらわれる。
 ひとはこうひとりごとする、
 (一)特定の目標などまるっきり必要ではない、
 (二)それを予見することなどまったくできない。
 《最高の力に達した意志が必要である》いまこそ、この意志は《最も弱く最も小心》である。《全体を組織する》意志の《力に対する絶対的な不信》。」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『権力への意志』第一書 ヨーロッパのニヒリズム、Ⅰ ニヒリズム、二〇、ニーチェ全集12 権力の意志(上)、pp.36-37、[原佑・1994])
(索引:超人間的権威,人格的権威,良心,理性,社会的本能,内在的精神を持った歴史,最大多数者の幸福)

ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
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24.問題:道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。無意識の徴候、病気、真の目的の誤解、隠蔽する仮面、偽善としての道徳、あるいは、薬剤、興奮剤、抑制剤、毒物としての道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))

道徳的諸価値とは?

【問題:道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。無意識の徴候、病気、真の目的の誤解、隠蔽する仮面、偽善としての道徳、あるいは、薬剤、興奮剤、抑制剤、毒物としての道徳。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900))】

道徳的諸価値
 道徳的諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきた諸条件と事情とを解明すること。
 (1)結果としての道徳
  (a)無意識の徴候としての道徳
  (b)病気としての道徳
  (c)真の目的の誤解としての道徳
  (d)真の目的を隠す仮面としての道徳
  (e)偽善としての道徳
 (2)原因としての道徳
  (a)薬剤としての道徳
  (b)興奮剤としての道徳
  (c)抑制剤としての道徳
  (d)毒物としての道徳

 「同情と同情道徳との《価値》いかんというこの問題(―――私は近代の恥ずべき感情柔弱化にたいする敵対者だ―――)は、当初は単なる孤立した問題、一個の単独の疑問符にすぎないように見える。

だがしかし、ひとたびこの問題に専心し、これを問いたてることを《覚えた》者には、私に起こったと同じことが起こるであろう。―――すなわち、彼には一つの広大な新しい眺望がひらけ、一つの可能性が眩暈のごとく彼を捉え、ありとあらゆる種類の不信・猜疑・恐怖が跳びだし、道徳への、一切の道徳への信仰がゆらぎ、―――ついには一つの新しい要求が瞭然と聞きとられるようになる。

われわれはこれを、この《新しい要求》を、こう表現しよう。―――われわれは道徳的諸価値の《批判》を必要とする、《これら諸価値の価値そのものがまずもって問われねばならぬ》、

―――そのためには、これら諸価値を生ぜしめ、発展させ、推移させてきたもろもろの条件と事情についての知識が必要である(結果としての、徴候としての、仮面としての、偽善としての、病気としての、誤解としての道徳が。一方また原因としての、薬剤としての、興奮剤としての、抑制剤としての、毒物としての道徳など)。

そのような知識は、今までありもしなかったし、求められさえもしなかった。これら〈諸価値〉の《価値》は、所与のものとして、事実として、あらゆる疑問を超えたものとして受けとられてきた。

また、〈善人〉を〈悪人〉よりも価値の高いものと評価し、およそ人間《なるもの》(人間の未来をも含めて)にかかわる促進・効用・繁栄という点で善人を高く評価することについては、これまで露いささかも疑わず惑いためらうことも見られなかった。

ところで、どうだろう? もしその逆が真理であるとしたら? どうだろう? もし〈善人〉の内にも後退の徴候がひそんでいるとしたら? 同じくまた、もしかしたら《未来を犠牲にして》現在が生きようとする一つの危険、一つの誘惑、一つの毒、一つの麻酔剤がひそんでいるとしたら?

 そしておそらくは現在が、より安楽に、より危険すくなく、それだけにまた一層こぢんまりと、より低劣に生きようとしているとしたら? 

・・・かくして、そのものとしては可能な《もっとも強力にして豪華な》人間の型がついに達成されないということが、ほかならぬあの道徳の責めに帰せられるとしたら? かくして、ほかならぬあの道徳こそが危険のなかの危険であるとしたら? ・・・」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『道徳の系譜』序言、六、ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜、pp.367-368、[信太正三・1994])
(索引:道徳的価値の価値,道徳的価値,結果としての道徳,原因としての道徳)

ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫)


(出典:wikipedia
フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の命題集(Propositions of great philosophers) 「精神も徳も、これまでに百重にもみずからの力を試み、道に迷った。そうだ、人間は一つの試みであった。ああ、多くの無知と迷いが、われわれの身において身体と化しているのだ!
 幾千年の理性だけではなく―――幾千年の狂気もまた、われわれの身において突発する。継承者たることは、危険である。
 今なおわれわれは、一歩また一歩、偶然という巨人と戦っている。そして、これまでのところなお不条理、無意味が、全人類を支配していた。
 きみたちの精神きみたちの徳とが、きみたちによって新しく定立されんことを! それゆえ、きみたちは戦う者であるべきだ! それゆえ、きみたちは創造する者であるべきだ!
 認識しつつ身体はみずからを浄化する。認識をもって試みつつ身体はみずからを高める。認識する者にとって、一切の衝動は聖化される。高められた者にとって、魂は悦ばしくなる。
 医者よ、きみ自身を救え。そうすれば、さらにきみの患者をも救うことになるだろう。自分で自分をいやす者、そういう者を目の当たり見ることこそが、きみの患者にとって最善の救いであらんことを。
 いまだ決して歩み行かれたことのない千の小道がある。生の千の健康があり、生の千の隠れた島々がある。人間と人間の大地とは、依然として汲みつくされておらず、また発見されていない。
 目を覚ましていよ、そして耳を傾けよ、きみら孤独な者たちよ! 未来から、風がひめやかな羽ばたきをして吹いてくる。そして、さとい耳に、よい知らせが告げられる。
 きみら今日の孤独者たちよ、きみら脱退者たちよ、きみたちはいつの日か一つの民族となるであろう。―――そして、この民族からして、超人が〔生ずるであろう〕。
 まことに、大地はいずれ治癒の場所となるであろう! じじつ大地の周辺には、早くも或る新しい香気が漂っている。治癒にききめのある香気が、―――また或る新しい希望が〔漂っている〕!」
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『このようにツァラトゥストラは語った』第一部、(二二)贈与する徳について、二、ニーチェ全集9 ツァラトゥストラ(上)、pp.138-140、[吉沢伝三郎・1994])

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