2026年7月20日月曜日

008必ずわかる難問題4

 ★008難問題4


心理テストです。あなたは、(a)ですか(b)ですか?


(a)あるテストが重要な能力を診断すると言われたなら、成績がよくなる。


(b)テストが重要な能力を診断するものではないと伝えられたほうが、よりよい成績をとる。


何がわかるか?


https://sententiarum2.blogspot.com/2018/05/m1943.html

 ★

007必ずわかる難問題3

 007_必ずわかる難問題3

(1)前回、宇宙の構造と、法則の概要を話しました。現代の物理学は、かなりの精度で真理を掴んでいて、高度な技術の基礎知識にもなっています。(2)この宇宙の法則から、生命が生まれて進化することが理解できるだろうか。

(3)意識が生まれ、その意識が宇宙の法則を理解することを、説明できるだろうか。

(4)宇宙の出来事の生成は、確率の法則に従っているが、出来事の生成は、偶然に支配されている。

(5)ところが生命は、良くなろうとする傾向がある。物理学の法則とは矛盾しないのか?


次の記事を読んでみて欲しい

ダマシオは清泉の講義にも、登場してました

https://sententiarum2.blogspot.com/2018/06/1231944.html


2026年7月18日土曜日

006_必ずわかる難問題2

 ★

006a_必ずわかる難問題2(第1回)

物理学


難問題に入っていく前に、物理学が理解している宇宙の姿を、知って欲しい。次の記述は、簡潔で丁寧にまとめて書かれているので、何回も読んで欲しい。

後に、詳しく説明していきます。


 「わたしたちが生きる世界には、屈曲した時空間が広がっている。


どのようにしてかは分からないが、それは今から一四〇億年前に、巨大な爆発によって誕生した。以来、時空間はずっと膨張を続けている。


この空間は実在する「事物」であり、物理的な「場」である。時空間の力学は、アインシュタインの方程式によって記述される。物質の重みのもとで、空間は折れたり曲がったりする。物質が極度に凝縮されたときには、空間がブラックホールへ呑みこまれていくこともある。

 宇宙には無数の銀河が散らばっており、ひとつひとつの銀河に無数の星が散らばっている。銀河を形づくっている物質は、量子場によって形づくられている。量子場は、電子や光子のように、粒子の形態をとって現われる。または、量子場は電磁波のように、波の形で現われることもある。テレビの映像や、太陽の光や、星の輝きをわたしたちに伝えているのは、電磁波である。

 原子や光をはじめ、宇宙に存在するあらゆる事物は、量子場によって記述される。


量子場は奇妙な存在である。量子場を形成するひとつひとつの粒子は、別のなにかと相互作用を起こすときだけ、ある一点に居場所を定め、その姿をあらわにする。ひとたび相互作用を終えるなり、粒子は「確率の雲」のなかへ溶けこんでいく。


世界とは、素粒子が起こす事象の湧出である。波のように振動する、大きく躍動的な空間の海に、素粒子は浸かっている。

 世界のこのようなイメージと、このイメージを形づくるわずかな方程式によって、わたしたちの目に映るほとんどすべてのものを記述することができる。


 そう。あくまで、「ほとんど」である。肝心な何かが、まだ欠けている。今日のわたしたちが要求しているのは、その何かである。」


(カルロ・ロヴェッリ(1956-)『現実は私たちに現われているようなものではない』(日本語名『すごい物理学講義』)第3部 量子的な空間と相関的な時間、pp.142-143、河出書房新社(2017)、竹内薫(監訳)、栗原俊秀(訳))

カルロ・ロヴェッリ(1956 - )は、イタリアの理論物理学者、サイエンスコミュニケーターである。イタリア、ヴェローナ生まれ。ループ量子重力理論を提唱した。 


https://sententiarum2.blogspot.com/2018/01/1956_43.html

今後の予定

3 脳科学、神経科学7/20

4 心理学、精神分析7/21

5 社会学、人類学7/22

6 経済学7/23

7 政治哲学7/24

8 法哲学、倫理学7/25

9 いわゆる哲学7/26

10 人生の知恵7/27

005_必ずわかる難問題1

 ★

005a_必ずわかる難問題1(第1回)


何百年も議論されても、明確に解けたと思えないような難しい問題が、いくつかあります。その中の一つ。

宇宙が誕生し、星々ができ、地球上で生命が生まれ進化して、人間が生まれ、心を持つようになった。

私たちは、たしかに、自分で考えて、自由に選択する、Aを選ぶか、Bを選ぶか? しかし人間も、物質には違いなく、宇宙を支配している物理学の法則に従っているはずだ。

生命とは何か?

意識とは何か?

人間に自由意志はあるのか?

未来は選べるのか?

しばらくは、ポパーの考えたことを、

紹介してみたい。


カール・ポパー(1902 - 1994)は、オーストリア出身のイギリスの哲学者。純粋な科学的言説の必要条件として反証可能性を提起し、批判的合理主義に立脚した科学哲学及び科学的方法の研究の他、社会主義や全体主義を批判する『開かれた社会とその敵』を著すなど社会哲学や政治哲学も展開した。

物質の世界を世界1、心の世界を、世界2と呼ぶことにする。ポパーは。もう一つの世界があるという。世界3だ。

世界3とは、人間の心が作ったものの世界。


ぜひ、次の記事を読んでみて欲しいです。

https://sententiarum2.blogspot.com/2018/08/233331902-1994.html


2024年6月21日金曜日

26. 人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

「面接や、専門家たちによる統合的な全体評定は、自己報告の正確さには遠く及ばなかった(Mischel.1965)。

つまり、人に関する有益な情報は、単純に本人に尋ねることによって最も直接的に得られる可能性がある(例:Cantor & Kihlstrom,1987; Emmons,1997)。

こうした結論は、学業成績、職業上の成功、心理療法における治療の結果、精神病患者の再入院、非行少年の宣誓釈放違反など、さまざまな分野に当てはまるように思われる(Emmons,1997; Mischel,1981b; Rorer,1990)。

 要するに、ある条件下において、人は自分の行動を、少なくとも専門家と同じくらい正確に報告できる可能性がある。

もちろん、人は常に自分の行動を正確に予測するわけではない。自分自身の行動を予告するための情報や動機づけに欠けることもあるだろうし、わかってはいても、それを口外しないよう動機づけられていることもあるだろう。

犯罪者が再び盗みを計画していても、裁判の途中で検察官の尋問に対してそれを言うとは考えられない。

さらに、未来の行動の多くは、例えば他の人々や自己など、人の統制が及ばない変数によって決まる可能性もある。

とはいえ、得られた結果は、自己推定や自己予測が有益な評価ツールであることを強く示唆するものといえるだろう。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅴ部 現象学的・人間性レベル、第13章 内面へのまなざし、p.409、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳)

【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館

2024年5月9日木曜日

26.ウィリアム・ウエントワースの理論(ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 ウィリアム・ウエントワースの理論(ジョナサン・H・ターナー(1942-)


 「動物が学習し、そして環境から情報を獲得することに頼るほど、遺伝子が具体的な行動に効果をもつ可能性は小さくなる。

人間の場合、社会文化体系の行動に対する影響が遺伝子的傾向よりもはるかに大きい。

種がどのように行動するかについて情報を獲得するために、ますます学習に依存するようになるほど、《迅速で適切な情報検索》の必要性が高まる。迅速で適切な情報検索は統一的全体あるいはパターン化された《図式》として情報を収集し、解釈する能力によって促進される。

なぜならより多くの情報が図式としてダウンロードでき、またより多くの選択肢と代案が加えられるからである。

 ウエントワースはその要点を明示していないけれども、迅速で適切な情報検索への依存は動物に選択圧として作用する。生存手段として集団指向的な行動(たとえば群れ、小群れあるいは大きく群れる本能)に向う強力な生物プログラムをもたない動物は、社会関係をつくり、そしてそれを維持することに依存する。

つまり社会関係を育成するために大量の熱量を消費しなければならないという意味で、その動物が《深層において社会的》であるほど、情報探索のための効率的な機構は適応度をいっそう強化する。

 感情は人間の情報検索の背後にある中枢の機構である。なぜなら感情は脳の情報処理水準を超える「管理中枢」として作用し、また情報を「枠づけ、また焦点化をする」からである。これらの機構は適応度を強化するために多くの方法によって作用する。

 1.感情は注意の調整器である。感情は個体に環境のある側面について警告を迅速に伝える。

 2.感情は注意持続時間、つまり個体がどれほどの時間にわたって環境のある側面に警戒を保たなければならないかを調整する。

 3.感情は個人経験から学習し、そして環境の異なる側面についての記憶を貯蔵することを可能にする。学習は最終的に出来事に対する感情的反応に結ばれている。文化が経験を表示し、標識をつけるための手段として提供する感情が多いほど、記憶はますます複雑かつ精妙になる。

 4.感情は個人が環境および状況の特定の対象と関係する記憶を呼び起こすことを可能にする。

 5.感情は個人が自己を他者、状況、そしてもっと全体的な環境との関係において対象と見なすことを可能にする。感情がなければ、人びとはある状況において自己を方向づけ、評価し、あるいは位置づけることができない。

 6.感情は個人が役割を取得し、他者の性向を読み、そして他者の間主観性を達成することを可能にする方法で互いに伝達することを可能にする。

 7.感情は個人にエネルギーを与えるだけでなく、個人がある状況で文化的期待に適う方法で行動するよう強く働く。

 8.感情は文化的指令と禁止に力を付与する。感情がなければ、良心の《激しい痛み》、社会的責務の《指令に従うこと》も、尊敬を《実感すること》も、あるいは道徳性を《当然と見なすこと》もできないだろう。

 9.感情、とくに孤独や疎外の不安や恐れは、社会的網状組織が維持されていることを確認するため、自己、他者、また状況を監視するよう個人を強く動かす。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第8章 進化論による感情の理論化、pp.458-460、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))

感情の社会学理論 (ジョナサン・ターナー 感情の社会学5) [ ジョナサン・H・ターナー ]






リチャード・エマーソンの理論 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)



リチャード・エマーソンの理論 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)




 「エマーソンの理論には三つの中核と見なせる概念がある。(1)権力、(2)権力行使、(3)均衡である。

ある行為者が《権力》をもちうるのは、他者が高い価値をもつ資源を有する彼に依存する場合である。

エマーソンの用語を用いるならば、行為者Aの行為者Bに対する権力は、行為者Bが行為者Aの資源への依存度の関数である。

すなわち、PAB=DBAである(なおPは権力をDは依存度を、そしてAとBは異なる資源を交換しようとしている二人の行為者を表す)。

依存は、他者の求める資源が(a)高い価値をもち、そして(b)別人から入手できないか、あるいは入手するためにはもっと高い費用を支払わなければならない程度によって決定される。

逆に、他者の資源を高く価値づけている行為者が交換に供給できる高い価値をもつ場合、依存の水準、したがって一方の行為者の他方の行為者に対する権力は低下する。

各行為者が互いに高い価値をもつ資源をもち、したがって各行為者が高い価値をもつ資源を他者に依存すると、各行為者は他者に対して絶対的な権力をもつ。この状態は、その関係に内在する高い水準の互恵的な権力によって、エマーソンが構造的凝集と呼ぶ状態を強化する。 

一方の行為者が他方の行為者を上回る権力(後者の依存によって)をもつと、この行為者は権力を行使し、そしてその強みを活かして依存者からもっと多くの資源を引きだし、もしくは依存している者が提供するいかなる資源であっても、それを獲得するための費用を引き下げようとする。

行為者Aが、行為者Bの依存のために行為者Bに勝る権力をもつと、行為者Aは権力有利の立場にある。権力有利と権力行使をしめす交換関係は、エマーソンの用語を用いると、平衡失調状態である。このように関係が平衡を失うと、いくつかの均衡回復のための作用が始まる。 

 均衡回復のための一つの作用は、B(依存している行為者)がAによって提供される資源を低く評価することであり、これによって依存度を下げることができる。

第二の均衡回復のための作用は、BがA1によって提供される資源の代替的な源泉(A2、A3、A4など)を見つけることである。これにより貴重な資源をA1だけに依存しなくてすむ。

第三の均衡回復のための作用は、Bが提供しなければならない資源に対するAにとっての価値を多少でも増やすことである。そうすることで高い価値をもつ資源によって、AのBへの依存度を高くすることができる。

第四の均衡回復のための作用は、BがAに供給する資源のAにとってBの代替的な要因(別の行為者B)を多少でも減らすことである。こうした均衡回復のための作用のすべてが、BのAへの依存度を低下するか、それともAのBへの依存度を加増できる方策である。」

 (ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第6章 感情の交換理論、pp.335-337、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))

2024年5月7日火曜日

31.高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)



 「高貴であることのしるし。すなわち、われわれの義務を、すべての人間にたいする義務にまで引き下げようなどとはけっして考えないこと。おのれ自身の責任を譲りわたすことを欲せず、分かちあうことをも欲しないこと。自己の特権とその行使を、自己の《義務》のうちに数えること。」 (フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『善悪の彼岸』第九章 高貴とは何か、二七二、ニーチェ全集11 善悪の彼岸 道徳の系譜、p.329、[信太正三・1994])

2024年5月5日日曜日

13.一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)

 一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)

 「一部の人に恩恵をほどこそうとするばかりに、それ以外の連中にいやな思いをさせることのないように注意するがよい。なぜなら不愉快な目にあわされた人間は、それを忘れはしないどころか、実際にうけたよりも大げさに感じるものであり、他方、恩をうけた人間はそれを忘れてしまうか、実際に与えられたものより過少にしか感じないものだからである。したがって、他の条件が同一だと仮定すれば、君は得るものより、はるかに多くのものを失うことになるだろう。」

(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』C、二五 一部の者への恩恵、フィレンツェ名門貴族の処世術、p.63、[永井三明・1998])


フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)


2024年4月30日火曜日

18.パッシブ・セーフティ(高木仁三郎(1938-2000)

パッシブ・セーフティ(高木仁三郎(1938-2000)




 「つまり、小さな事故はともかくとして、原発が本当に深刻な事故に至った場合に、人為的な判断で、外からダイナミックな装置を介入させてシステムを止めるとか、緊急冷却水を送り込んで原子炉を冷やすというようなことではなくて、本来的に備わった安全性―――パッシブ・セーフティと言われています―――によって暴走を止めるようなあり方のほうが望ましいのではないかということです。

つまり、危機状態が起こったときに、たとえば原子炉の温度が上がってくれば自然と反応が下がるような、あるいは反応度が上がってくればフィードバックが働いて反応度が下がるような、そういうフィードバックによって原子炉が止まる。

あるいは、安全システムも、危機状態のときにモーターなどを使って人為的で動的な介入をして安全を確保するようなことをやると、モーターが動かないときはどうするのかという問題が必ず出てきますから、

そうではなくて、危機状態になったら必ず、たとえばもっと強力な自然の法則、重力の法則が働いて、それによって制御棒が挿入されるというような、そういった本来的な安全性が働くような形のシステムであったほうがよいということです。

そのようにパッシブなセーフティーのほうが望ましいのではないでしょうか。

 結局、技術的に純粋に詰めていけば、そういうことになってくると思います。技術的な極致はパッシビズムということだと私は思うのです。

つまり、ことさら外から何か巨大なシステムや大動力を導入したり、あるいは人為的な介入をやって危機状態を乗り切ろうとしている限りにおいては、いくら安全第一をモットーとしても、やはり人間のすることですから、うまく働かなければ人為ミスが起こって必ず事故につながるので、大事故の可能性が残ってしまいます。

あらゆる場合に、自然の法則やおのずと働いているさまざまな原理によって、人為的介入がなくても、事故がおさまるようなシステム、これを基本においた設計がなされるべきでしょう。

重力によって水が高いところから低いところに流れるとか、熱も高いところから低いところに伝わるとか、そういった自然法則に十分に依拠したようなシステム、これを私はある人の考えを借りてパッシビズムの技術と呼んでいますけれども、それならばうまくいくかもしれないと思うのです。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第三巻 脱原発へ歩みだすⅢ』原発事故はなぜくりかえすのか 8 技術の向かうべきところ、pp.414-415)



2024年4月29日月曜日

20.市場支配力が行使されると市場はゆがみ、社会福祉は縮小する。そして不平等を生むだけでなく、市場のレント(超過利潤)は経済・政治システムに別のゆがんだ影響をおよぼす(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

 市場支配力が行使されると市場はゆがみ、社会福祉は縮小する。そして不平等を生むだけでなく、市場のレント(超過利潤)は経済・政治システムに別のゆがんだ影響をおよぼす(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

 「市場支配力のゆがんだ影響

 企業の市場支配力が増すと、市場支配力をもつ企業の所有者へ、顧客から富が移動する。顧客の富が減少したことは資本金会計には記録されないが、企業価値の増加は記録される。

〈フォーブズ〉誌の世界長者番付には、金融業、石油や石炭、ガス、鉱物などの資源開発にかかわる採取産業、不動産業、民営化された通信事業などにおける独占力のおかげで長者の地位を得た人々が散見される。

 市場支配力が行使されると市場はゆがみ、社会福祉は縮小する。そして不平等を生むだけでなく、市場のレント(超過利潤)は経済・政治システムに別のゆがんだ影響をおよぼす。

 第1にレントは、もし経済が最適に構築され、そのようなレントが存在しなかった場合に行なわれたはずの生産を減少させる。

 第2にレントは、過剰な営業支出やロビー活動などの非生産的なレントシーキング活動への資源配分にインセンティブをあたえる。レントが大きいほど、そのような活動に対するインセンティブも大きくなる。

たとえば、2010年、医療産業は医療費負担適正化法に反対するロビー活動に1億240万ドルを投入し、金融および不動産業は金融規制改革法であるドッド=フランク法の可決と施行に反対するロビー活動に数十億ドルを費やした。

 第3に、企業がレントを生み出したり維持したりするためにロビー活動や他の政治活動にかかわる度合に応じて、政治システムに影響をおよぼし、経済や他の社会分野に多くの有害な結果をもたらす。最初の反トラスト法は、経済システムだけでなく、政治システムのゆがみが動機となって定められた。」

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.70-71,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))

【中古】 スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書 / ジョセフ・E. スティグリッツ, Joseph E. Stiglitz, 桐谷 知未 / 徳間書 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】

      





(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Propositions of great philosophers)


 


市場支配力を抑制すれば、より公平で、より力強いアメリカ経済を維持できるはずだ(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

 市場支配力を抑制すれば、より公平で、より力強いアメリカ経済を維持できるはずだ(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

 「支配力が増すと、競争が減少する

 ■競争は、成功する経済には必須の特性であり、企業を効率的にし、価格を下げさせる。競争は市場関係者の力を制限し、彼らに都合のよい経済および政治成果を摘み取る。

 ■アメリカ経済のかなりの部分が、この競争の理想型からかけ離れた場所をさまよってきた。市場支配力が、人々の快適な暮らしや経済実績全体にとって重要な領域で大きな役割を演じている。

 ■テクノロジーとグローバル化における変化は、市場支配力の増大に一定の役割を担ってきた。しかし、政府が選択した明確な政策も同様だ。多くの場合、政府は市場支配力を抑制しない方向を選んできた。

 ■このような活動は経済効率を低下させ、人々の意欲を失わせうるので、市場支配力を抑制すれば、より公平で、より力強いアメリカ経済を維持できるはずだ。」

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.60-61,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))

【中古】 スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書 / ジョセフ・E. スティグリッツ, Joseph E. Stiglitz, 桐谷 知未 / 徳間書 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】










 
(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Propositions of great philosophers)


自由な市場”が何を引き起こしたか(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

自由な市場”が何を引き起こしたか(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)

 「1970年代以降、ゲームのルールは変わり、第2次世界大戦後の30年間で達成された経済力のバランスを壊した。第1部では、国民にみじめな道を歩ませることになった転換点について分析し、ここに至るまでに学んだいくつかの教訓に照らして考察する。

 ◎経済ルールの根本的な変化は不平等を拡大し、結果として経済的利益を共有する人が減っただけでなく、経済全体と企業投資まで低迷させた。

 ◎民間セクターでは、融資が経済全体に役立つものから融資そのもののためへと変わった。

企業は利害関係者全員――労働者、株主、経営陣――への奉仕から、“株主の利益”を増やすことを口実に、トップ経営陣のみに奉仕する方向へ進んだ。主要セクターで数社の市場支配力が増したことで、競争の勢いは鈍った。結果として、近視眼的な行動や、雇用や将来への投資不足、成長の鈍化、価格の上昇、不平等の拡大が生じた。

 ◎アメリカの税制は労働より投機をうながし、経済をゆがめ、上位1パーセントの人々の利益に貢献している。

 ◎金融・税制政策で、財政赤字やインフレといった脅威に重点を置きすぎた一方で、不平等の拡大と投資不足という、経済の繁栄に対する現実の脅威を無視した。その結果、失業率が上昇して、社会はますます不安定になり、成長が鈍化した。

 ◎労働市場の制度、法律、規制や規範が変わったことで弱体化された労働者は、強大な企業と市場の力に対抗するのが難しくなった。その結果、生産性と賃金のへだたりが拡大した。これは恐らく、過去3分の1世紀のアメリカの経済生活における最も著しい局面だろう。

 ◎これらの問題は、不利な立場にある人たちのあいだでますます悪化している。市場は有利な立場を何世代にもわたって永続させ、差別は多くの人々が自らの人的資本を開発して富を蓄えるのを妨げてきた。


 ここには、アメリカ社会が方向を誤ったことがはっきり示されている。しかしそのすべては選択だった。つまり、選択によってものごとのやりかたは変えられるということだ。前へと進む道については、第2部で示す。」

(ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-),『アメリカ経済のルールを書き換える』(日本語書籍名『これから始まる「新しい世界経済」の教科書』),第1部 世界を危機に陥れた経済学の間違い,第1章 “自由な市場”が何を引き起こしたか,pp.58-60,徳間書店(2016),桐谷知未(訳))


【中古】 スティグリッツ教授のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書 / ジョセフ・E. スティグリッツ, Joseph E. Stiglitz, 桐谷 知未 / 徳間書 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】




 
(出典:wikipedia
ジョセフ・E・スティグリッツ(1943-)の命題集(Propositions of great philosophers)










20. 『人間の間柄の諸要素』(マルティン・ブーバー(1878-1965)

『人間の間柄の諸要素』(マルティン・ブーバー(1878-1965)



「この原稿が完結した後で、アレクサンダー・フォン・ヴィレルス(Alexander von Villers)の『ある無名氏の手紙』の中の二つの箇所が私の注目を引いた。

私にとり、それはここで引用するに足る注目すべきものと考えられる。  

《ヴィーゼンハウスにて、1877年12月27日。私は「人間間にひそむ人間」(der Zwischen-mensch)の迷信をもっています。私がそれではないし、君もそれではない。しかしわれわれの間には、私には《汝》といい、他者には《私》である、あるものが生じて来ます。

このようにして、各人は相互的な二重の名称を持った彼の「人間間にひそむ人間」を持っています。

そしてすべて百人の「人間間にひそむ人間」の――われわれの各々がそれに50パーセント関与しているわけですが――誰一人として他の「人間間にひそむ人間」とは等しくありません。

だが彼は考え、感じ、そして話します。これが「人間間にひそむ人間」です。彼には諸々の思想が属しています。これがわれわれを自由にするのです。》  

《ヴィーゼンハウスにて、1879年2月28日。かくてわれわれは今や真相に達します。それは話と答え、生ける対象、軋轢、そして多分生殖の内奥です。

なぜなら私はある事物についての表象を持ちますが、それは物自体ではなく、私における、また汝における、あるものについての表象であります。

それに名前、つまり握る柄をつけるために、私はそれを「人間間にひそむ人間」(der Zwischen-mensch)と名付けます。

「人間間にひそむ人間」とは、ただ二人の特定の人間にのみ特有で、彼らにのみ属する他者の表象です。AとCの両者の中間にあるBです。AのD、E、Fへの関係にあっては、この「人間間にひそむ人間」は、たとえA自身はいつも同じであっても、決して再び現れず、彼はAのCまでへの関係にしか属さないのです。》」
(マルティン・ブーバー(1878-1965)『人間の間柄の諸要素』付記(集録本『ブーバー著作集〈第2〉対話的原理2』)pp.116-117、みすず書房(1968)、佐藤吉昭・佐藤令子(訳))
(索引:)

ブーバー著作集〈第2〉対話的原理2 (1968年)









2024年4月28日日曜日

25. 恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのか(ウォルター・ミシェル(1930-2018)

 恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのか(ウォルター・ミシェル(1930-2018),

 「恐怖や他の情動的な問題が軽減され、そして、より適応的で機能的な社会的行動様式を通して社会的能力が改善されたとき、パーソナリティは変化するのかという疑問はまだ残っている。

その答えはパーソナリティの定義によるだろう。重篤な吃音や制御できない顔面チックのような不利な行動を変化させることでも、苦痛で恐怖を発生させる情動的な反応を除去することでも、人々の自分自身や自己概念についての感じ方が改善するというかなりの証拠がある(例:Bandura,1997; Meichenbaum,1995)。

自己概念と自尊心は、少なくとも一部は個人の実際の能力や行動が他者によってどのようにみられているかを反映する傾向がある(例:Leary & Downs,1995)。

私たちの自己知覚は、私たちが自分の行動の適応適性について得る情報を含んでいる。そしてもしこれらの自己知覚がパーソナリティの一部であるなら、行動がより適応的で、満足できるものになったとき、パーソナリティは変化する。

より有能に仕事ができることを学習した人は、より多くの満足感を得て、自己に対するより肯定的な態度を発達させる可能性が高い。恐怖や不安を克服できた結果、人はさらに自信ももつようになるに違いない。」(中略)

「しかし、それはしばしば真実かもしれないが、いつでも必ず起こるわけではない。実際、行動療法を批判する人たちは、患者たちの行動が不適切だからではなく、それを不当に評価するから、苦しんでいると指摘している。つまり、遂行ではなく歪曲された自己概念の問題をもっている人たちがいる。

しばしば人は、自分のまわりやもっと遠くの社会にいる人たちよりも自分自身がたいへんに変わっているというラベルを張り、自分の行動に対したいへん変わったものであるかのように反応する。」

(ウォルター・ミシェル(1930-2018),オズレム・アイダック,ショウダ・ユウイチ『パーソナリティ心理学』第Ⅳ部 行動・条件づけレベル、第11章 行動の分析と変容、pp.360-361、培風館 (2010)、黒沢香(監訳)・原島雅之(監訳))

【中古】パーソナリティ心理学—全体としての人間の理解 / ミシェル ウォルター ショウダユウイチ アイダック オズレム 黒沢香 原島雅之 / 培風館

2024年4月27日土曜日

25. 評価過程において、恥を経験する誰もが「悪いことをしたのは《わたし》だ」という。これに対して、罪を経験している誰もが「わたしがしたのは悪い《ことだ》」という。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

評価過程において、恥を経験する誰もが「悪いことをしたのは《わたし》だ」という。これに対して、罪を経験している誰もが「わたしがしたのは悪い《ことだ》」という。ジョナサン・H・ターナー(1942-)

 「要するに、評価過程において、恥を経験する誰もが「悪いことをしたのは《わたし》だ」という。

これに対して、罪を経験している誰もが「わたしがしたのは悪い《ことだ》」という。

ルイス(2000)は、こうした帰属を包括的、もしくは特定的な帰属として識別する。包括的な自己帰属は「自己全体」におよぶ。自己の総体がその評価に含まれる。恥の場合、個人は自己を「悪い人」であると識別する。

これに対して、特定的な自己帰属は自己が関与している特定の行為を指示する。「悪い人」であるよりも、むしろ人が「悪いこと」をしたと認知する。タンネイによれば、こうした強調点の相違が異なる感情と異なる行動反応をもたらす。

 恥は主として矮小感と関係する激しい否定的な感情である。個人は矮小であり、取るに足らず、無力であると感じる(Tangney,1995b)。

恥じている人は人目にさらされていると感じる。なぜなら「不完全な自己」が他人からどのように見られているかを考えるからだ。こうした他者はその状況に実際に存在し、もしくは自分の想像のなかに存在しているのかもしれない。恥を感じる人は、人目を避けたい、消えてしまいたい、あるいはその状況から逃れたいのだ。

 罪は、恥と比べると、それほど激しい否定的な感情ではない。なぜならその焦点は、自己全体でなく、むしろ自分がしでかした特定の違反とその結果につながれているからだ。罪は悪いことをしたことへの緊張感、後悔と自責の念と関係する(Tangney,1995b)。

人はその状況から逃れるよりも、むしろ自分がやってしまった過失を打ち明け、その損傷について謝罪し、また(あるいは)現状を回復することを求める。

全人格が詮索されているのではないので、賠償的な行為を行うことがある状況においてたやすく自己の指針を見つける。違反は許されるので、人は出会いを継続することが可能であり、何らかの方法で対処することができる。

 タンネイ(2002)は、罪(恥ではなく)が「道徳的感情」である一つの理由は、罪は他者ともう一度結合しようとする試みによって人を能動的に動機づける。

これに対して、恥は他者との分離と距離を広げたままである。それゆえ罪(恥ではなく)を道徳的感情として扱うための別の理由をも識別している。

 罪は他者との同情の気持ちを促進するように思われるのに対して、恥はこれらの気持ちを萎えさせる。

同情は他者の苦悩を認知し感じることをともなう。それは育成するに値する有用な感情であると考えられる。なぜなら罪は支援行動を促進し、そして攻撃的な行動を抑制しがちであるからだ。

罪は自己全体よりも、むしろ個人の行動に焦点を定めるので、個人は恥の場合のように、内面を直視することも、また自己を巻き込むことも少ない。 

外部に目を向け、他者の苦痛に注目することが同情の必要条件である。恥を感じることは同情過程への侵害である。なぜなら傷ついた他者よりも自己にいっそう焦点を定めるからだ。」

(ジョナサン・H・ターナー(1942-)『感情の社会学理論』第5章 精神分析的要素を用いた感情の象徴的相互作用論の理論化、pp.317-318、明石書店 (2013)、正岡寛司(訳))

感情の社会学理論 (ジョナサン・ターナー 感情の社会学5) [ ジョナサン・H・ターナー ]



2024年4月25日木曜日

30.道徳的な価値評価がまず第一に引き合いに出すのは《高級な人間》(あるいは世襲階級)《と低級なそれ》という区別である(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

道徳的な価値評価がまず第一に引き合いに出すのは《高級な人間》(あるいは世襲階級)《と低級なそれ》という区別である(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)




「道徳的な価値評価がまず第一に引き合いに出すのは《高級な人間》(あるいは世襲階級)《と低級なそれ》という区別である。

道徳はまず第一に権力のある者たちの自己賛美であり、そして権力のない者たちに関しては軽蔑である。「善」と「悪」ではなくて、「高貴」と「卑俗」が根源的な感覚である。

《次いで》ようやく、そういう区別を示す《諸行為や諸固有性》が《高貴》と呼ばれ、そしてそれらと対立する諸行為や諸固有性が《卑俗》と呼ばれる。」

 (フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『遺稿集・生成の無垢』Ⅱ道徳哲学 七一一、ニーチェ全集 別巻4 生成の無垢(下)、pp.345-346、[原佑・吉沢伝三郎・1994]) (索引:世襲階級、高貴、卑俗、善、悪)

生成の無垢〈下〉―ニーチェ全集〈別巻4〉 (ちくま学芸文庫)

『ギリシャ人の祭祀』(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)

『ギリシャ人の祭祀』(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)




「第二節 儀礼を形成する一般的傾向  私は、呪術および奇蹟を信仰する人々の思考にとって共通である、いくつかの特徴を挙げてきた。しかし、これらは彼らの《思考の形式》に関するものである。

ところで、彼らは、またみずからの思考の実質として、ひとつの確信を共通に有している。

それは《自然および自然との交渉》に関するものである。

すなわち、人々は自然法則については何も知らない。〔彼らにとっては〕大地にあっても、天空にあっても、必然は存しない。季節も日光も雨も、到来することもできれば、到来しないこともできるものである。

一般に、《自然的》因果性についての、いかなる概念も欠如している。

人間が漕ぐとしても、舟を動かすものは、この漕ぐことではなくして、漕ぐことは、これによって人間がデーモン〔魔神〕に舟を動かすように強制するところの呪術的儀式にすぎない。

あらゆる病気、死すらも、呪術的作用の結果である。病気になるのも死ぬのも、決して自然の出来事ではない。およそ《自然的な成り行き》という表象がまったく欠如している

(―――このような表象は、古代ギリシャ人にあっては、神々を超えて君臨するアナンケー〔宿命〕・モイラ〔運命〕の観念のうちに、次第に明け初めるのである)。 

ひとが弓をもって射るとしても、弓に常に非合理的な力が宿るからであり、泉が涸渇するとしても、恐らくは竜が水を土中に引き止めているからである。突然、雷に打たれた人間は、神が矢をもって彼を射たのである。

インド人の間にあっては(ラボックによれば)指物師は、彼の鎚や手斧やそのほかの道具に犠牲を捧げるのが常である。

そして同じように、婆羅門は彼が書くに用いる筆を、戦士は彼が戦場で用いる武器を、左官職は彼の鏝を、労働者は彼の鋤を取り扱うのである。

全自然が、意識的にして意志的な存在の行為の総計であり、《恣意》の総計である。われわれの外なる一切のものに関して、そのものはかくかくのように《なるであろう》、という推理は存しない。

ほぼ確実なもの、予測し得るものは、《われわれ》である。すなわち、人間は《規則的なもの》であるが、自然は《不規則なもの》なのである。  

ところで注意して貰いたい。人間がみずからを内面において豊かなものと感ずれば感ずるほど、すなわち人間の主体が重音的であればあるほど、ますます一層、自然の均斉は人間に畏敬の念を起こさせるものである。

そのことは、ゲーテが自然を近代人の魂の偉大な鎮静剤として見なしたとおりである。

しかし逆に、われわれは諸民族の粗野にして原始的な状態を想像したり、現在の未開人を見るならば、われわれは、彼らが極めて強力に《法》や《慣習》によって規定されているのを見るのである。

すなわち、個人はほとんど自動的に法や慣習に結びつけられている。

個人にとっては、自然は《自由の国》、恣意の国、より高き力の国として、そればかりか、いわば、《より高き人間性の段階》として、すなわち神として、現象せざるを得ない。

しかし、これによって、個人は自己の生存、自己の幸福、家族および国家の幸福、あらゆる計画の成功が、かの自然の恣意に如何に左右されるかを感得するのである。

ところで、自然の恣意のうち、あるものは然るべき時に出現しなければならないし、ほかのものは出現してはならない。とするならば、いかにしたら、ひとは自然の恣意に対して影響を及ぼし得るか、いかにしたら、ひとは自由の国を拘束することができようか? 

そこで、ひとは、つぎのように自問する。汝みずからが規則的であるのと同じように、かの自然の諸力を慣習と法とをとおして規則的ならしめる手段が存在するであろうか? 

―――すなわち、呪術および奇蹟を信ずる人々の思考は、《自然の上に法を課すること》に向うのである。そして宗教的儀礼は、これがために案出された手段なのである。  

これは、つぎのような問題と同じ問題である。すなわち、いかにしたら、《力の弱い》部族が、それにもかかわらず、《力の強い》部族に対して法を加え、彼らを規定し、(力の弱い部族に対する態度において)彼らの行動を左右し得るか? 

その最も悪意のない仕方は、ひとの《傾向性》に取り入ることによって行使するところの強制である。切願したり、祈ったり、服従したり、定期的に貢納したり、贈り物をしたり、追従の賞讃を捧げたりすること、などをとおして行なうところのものである。

つぎには、ひとは相互に一定の行為の仕方を義務づけ合い、担保を与え合い、宣誓を交わし合うことによって、《協定》を結ぶことができる。しかしまた、呪術や魔術によって、無理やりに《強制》を行使することもできる。」 
(フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)『ギリシャ人の祭祀』緒言、第二節、ニーチェ全集1 古典ギリシアの精神、pp.352-355、[上妻精・1994]) (索引:呪術、魔術、宗教的儀礼)

古典ギリシアの精神―ニーチェ全集〈1〉 (ちくま学芸文庫)

2024年4月24日水曜日

12. 人はできうるかぎりつかみどころがなく、しかも希望をもたせるような答えにとどめるように気をくばらなければならない。しかもこのばあい、可能なかぎりはっきりした約束を避けることである。」(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)

 人はできうるかぎりつかみどころがなく、しかも希望をもたせるような答えにとどめるように気をくばらなければならない。しかもこのばあい、可能なかぎりはっきりした約束を避けることである。」(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)


 「君が世話をするつもりもないようなことは約束しないのが誠実で男らしい態度である。

ところが、人間は理性に支配されるものではないので、たとえすじの通った理由があっての上でも、君が断わったその相手は、おおむね不満をいだくものである。

これとは反対のことが、気安く約束してやったときにもおこってくる。というのは、多くのことがおこってきて、君が約束していたことを守る必要がなくなるばあいがあるからである。

このばあいでも、君は労せずして満足を与えることができることになる。またたとえ、君が約束を実行しなければならないようなばあいでさえも、いいのがれする道はあるのだ。そして多くの人間は血のめぐりの悪いものだから、口先でだまされてしまう。

けれども、君がした約束を破ってしまうのは、醜悪なことなので、それによって君がひきだしたあらゆる利益をも台無しにしてしまう。

このようなわけなので、人はできうるかぎりつかみどころがなく、しかも希望をもたせるような答えにとどめるように気をくばらなければならない。しかもこのばあい、可能なかぎりはっきりした約束を避けることである。」

(フランチェスコ・グィッチャルディーニ(1483-1540)、『リコルディ』B、八七 他人からの依頼、フィレンツェ名門貴族の処世術、p.220、[永井三明・1998])





索引:)

フィレンツェ名門貴族の処世術―リコルディ (講談社学術文庫)


2024年4月23日火曜日

17. 確率評価の持つ問題点(高木仁三郎(1938-2000)

確率評価の持つ問題点(高木仁三郎(1938-2000)


 「個々の機器の故障の確率を求めるとか推定する、というのは、現実的には想像を絶する困難な作業です。

このような確率評価の持つ問題点については、すぐれた証言があるので、それを引用してみましょう。

 この証言は、一九七四年二月一日のカリフォルニア州議会におけるウィリアム・ブライアン博士によるものです。

フォールト・ツリー解析法は、かつてアメリカの航空宇宙局(NASA)が、その宇宙飛行計画の信頼性を評価するのに採用してきたものであり、実効が上がらず修正を迫られたものでした。ブライアン博士は、その作業に従事してきた技術者として、次のように証言しています。

 「サターン・ロケット原子力発電所のような複雑なシステムでこのような数のゲームをやろうとすれば、何十万という部品を考慮する必要があるのはお分かりでしょう。

そのうちのいくつかは付加的なものであり、いくつかは連続しているでしょう。

連続した一〇個の部品の故障ごとに、故障率は一桁変化します。分かりやすくいえば、仮に一〇個の部品を一続きとし、すべてが動作した時にこのシステムの故障率をたとえば一〇のマイナス三乗(一〇〇〇分の一)とすれば、部品一個当たりの故障は一〇のマイナス四乗(一万分の一)にしなければなりません。

 結局、この宇宙船の全体的な目標は一〇のマイナス三乗程度なので、ある種のサブシステム、たとえば私の担当だった第四段エンジンの部品に要求される信頼性は、現在AEC(当時のアメリカの原子力委員会)が使用している値とほぼ同じになります。

つまり故障率は一〇のマイナス九乗から一〇のマイナス一二乗です。これは一〇億回ないし一兆回の操作で一回の故障を起こすという割合です。工学に詳しい仲間達は、この要求を聞いて吹き出してしまいました。

こんな低い故障率を持つものなどありえません。私のうちにもそのようなものは何一つありません。もちろん洗濯機も掃除機も自動車エンジンも違うし、ロケットや原子力発電所のように沢山の部品を持ったシステムもそんな低い故障率でありえようはずがありません」(『技術と人間』一九七六年一月号)

 そこで、ブライアン博士やその他数多くの宇宙計画の安全解析にかかわった科学者・技術者たちが行ったのは、「NASAの要求を満足しうるということを紙の上だけで立証する」ことだったのです。

つまり、まず、NASAが受け入れてくれそうな故障率の最終値を想定し、それに合わせて、どのみち実証的に確かめようのない、個々の部品の故障率を一〇億分の一なり一兆分の一と決めてしまい、そしてその「データ」をもとに、あらためてフォールト・ツリー解析法によって、全体としての事故率を決めるというやり方です。」

(高木仁三郎(1938-2000)『高木仁三郎著作集 第七巻 市民科学者として生きるⅠ』科学は変わる Ⅱ 原子力の困難(一)、pp.60-61)



人気の記事(週間)

人気の記事(月間)

人気の記事(年間)

人気の記事(全期間)

ランキング

ランキング


哲学・思想ランキング



FC2