2020年4月14日火曜日

次の議論は正しいか。(a)誤謬の可能性があっても判断は必要、(b)絶対的な確実性はないが、十分な確信は得られる、(c)間違っており有害な意見は禁止すべき、(d)自分の意見に基づいて行動することは正しい。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

異論を抑圧することの害悪

【次の議論は正しいか。(a)誤謬の可能性があっても判断は必要、(b)絶対的な確実性はないが、十分な確信は得られる、(c)間違っており有害な意見は禁止すべき、(d)自分の意見に基づいて行動することは正しい。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))】
 異論を唱えるたった一人に対してであっても、彼を沈黙させるのは不当であり、特別の害悪がある。それは、人類全体や次世代にも及び得る被害をもたらす。その異論が正しい場合も、間違っている場合も。なぜか?(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))

(1)抑圧しようとする異論が、正しいこともある。
 抑圧された異論が正しかったとき、真理が失われる。なぜ抑圧しようとするのか。(a)自分の意見への愛着、(b)確信を正しさと誤解すること、(c)意見が、時代や国、所属する階級、党派、宗派に依存していることを忘れること。(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873))
 なぜ、このようなことが起こるのかの理由は、以下の通りである。
 (a)自分の意見への愛着
  人間は間違いをおかすもので、どんな意見でも間違っている可能性があると理解していても、自分が確実だと感じている意見が間違いかもしれないとは、思わない。
 (b)確信を正しさと誤解すること
  自分の意見が正しく、異論が間違いだと確信しても、確信自体が自分の意見が正しいことを保証してくれるわけではない。
 (c)意見は、時代や国、所属する階級、党派、宗派に依存する
  仮に、自分ひとりの判断ではなく、「世間」では、このように考えられているということを、根拠にしても、そもそも「世間」とは、抑圧しようとしている人が、普段接している人たち、つまり所属する党派や宗派、教会、階級を意味しているにすぎない。そして、数多い世間のなかで、どの世間を信頼するのかはまったくの偶然によって決まったのである。

(2)異論の抑圧を正当化しようとする言い分
 (a)間違いをおかす可能性があっても、判断は必要である
  もちろん、間違いをおかす可能性は認める。しかし、判断を間違う可能性があるからという理由で、判断力を使ってはならないとは言えない。
 (b)絶対的な確実性はないが、十分な確信は得られる
  政府は、そして個々人は、できるかぎり真実に近い意見を注意深くまとめあげ、その意見が正しいという確信をもてないかぎり、他人に強制しないようにする義務を負っている。絶対に確実だといえるようなことはどこにもないが、人間が生活していくうえで十分だといえるほどの確信は得られる。
 (c)間違っており有害な意見は禁止すべきである
  もし、人間の幸せにとって危険だと確信する考え方があって、それに何の制約もせずに、広まっていくのを許容してもいいのか。間違っており、有害だと考える意見を、悪人が広めて社会を邪道に導くのを禁止しなければならない。
 (d)自分の意見に基づいて行動することは正しい
  自分の意見が間違っているかもしれないという理由で、それに基づく行動をとらないのであれば、われわれは自分たちの利害に配慮することができず、義務を果たすこともできない。意見の正しさを確信しているのであれば、その意見に基づいて行動するのをためらうのは良心的な姿勢ではない。

 「以上の主張に対する反論はおそらく、以下のようなものになるだろう。政府は間違った意見の流布を禁止するとき、政府の判断と責任において行う他の行動と比較して、間違いをおかす可能性をとくに低く想定しているわけではない。人に判断力があるのは、それを使うためである。判断を間違う可能性があるからという理由で、判断力を使ってはならないといえるのだろうか。有害だと判断したことを禁止するとき、自分が間違いをおかすはずがないと主張しているわけではなく、間違える可能性があることを承知のうえで、自分に課された義務を遂行するために、良心に恥じない確信に基づいて行動しているにすぎない。自分の意見が間違っているかもしれないという理由で、それに基づく行動をとらないのであれば、われわれは自分たちの利害に配慮することができず、義務を果たすこともできない。どのような行動にもあてはまるような反対論では、個別の行動に対する反対論として妥当になりえない。政府は、そして個々人は、できるかぎり真実に近い意見を注意深くまとめあげ、その意見が正しいという確信をもてないかぎり、他人に強制しないようにする義務を負っている。しかし、意見の正しさを確信しているのであれば、その意見に基づいて行動するのをためらうのは良心的な姿勢ではない。臆病なだけである。その結果、現生か来世での人間の幸せにとって危険だと確信する考え方が何の制約も受けずに広まっていくのを許容するのだし、しかも、文明が遅れていた時代の人びとが、いまでは真実だとみられている意見を抑圧する誤りをおかしたことがその理由だというのだから。もちろん、同じ誤りをおかさないように注意すべきだとはいえる。だが、政府や国は権力を行使する対象として適切であることが否定されていない分野でも、誤りをおかしてきた。たとえば不当な税を課してきたし、不当な戦争を行ってきた。だから、税金を課してはならないとか、どのような挑発を受けても戦争を行ってはならないといえるのであろうか。人も政府も、力の及ぶかぎり最善を尽くして行動しなければならない。絶対に確実だといえるようなことはどこにもないが、人間が生活していくうえで十分だといえるほどの確信は得られる。われわれは自分たちの意見が行動の指針としては正しいと想定することができるし、想定しなければならない。間違っており有害だと考える意見を悪人が広めて、社会を邪道に導くのを禁止するとき、われわれはそれ以上のことを想定しているわけではないと。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『自由論』,第2章 思想と言論の自由,pp.45-47,日経BP(2011), 山岡洋一(訳))
(索引:異論を抑圧することの害悪)

自由論 (日経BPクラシックス)



(出典:wikipedia
ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「観照の対象となるような事物への知的関心を引き起こすのに十分なほどの精神的教養が文明国家に生まれてきたすべての人に先験的にそなわっていないと考える理由はまったくない。同じように、いかなる人間も自分自身の回りの些細な個人的なことにしかあらゆる感情や配慮を向けることのできない自分本位の利己主義者であるとする本質的な必然性もない。これよりもはるかに優れたものが今日でもごく一般的にみられ、人間という種がどのように作られているかということについて十分な兆候を示している。純粋な私的愛情と公共善に対する心からの関心は、程度の差はあるにしても、きちんと育てられてきた人なら誰でももつことができる。」(中略)「貧困はどのような意味においても苦痛を伴っているが、個人の良識や慎慮と結びついた社会の英知によって完全に絶つことができるだろう。人類の敵のなかでもっとも解決困難なものである病気でさえも優れた肉体的・道徳的教育をほどこし有害な影響を適切に管理することによってその規模をかぎりなく縮小することができるだろうし、科学の進歩は将来この忌まわしい敵をより直接的に克服する希望を与えている。」(中略)「運命が移り変わることやその他この世での境遇について失望することは、主として甚だしく慎慮が欠けていることか、欲がゆきすぎていることか、悪かったり不完全だったりする社会制度の結果である。すなわち、人間の苦悩の主要な源泉はすべて人間が注意を向け努力することによってかなりの程度克服できるし、それらのうち大部分はほとんど完全に克服できるものである。これらを取り除くことは悲しくなるほどに遅々としたものであるが――苦悩の克服が成し遂げられ、この世界が完全にそうなる前に、何世代もの人が姿を消すことになるだろうが――意思と知識さえ不足していなければ、それは容易になされるだろう。とはいえ、この苦痛との戦いに参画するのに十分なほどの知性と寛大さを持っている人ならば誰でも、その役割が小さくて目立たない役割であったとしても、この戦いそれ自体から気高い楽しみを得るだろうし、利己的に振る舞えるという見返りがあったとしても、この楽しみを放棄することに同意しないだろう。」
(ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873),『功利主義』,第2章 功利主義とは何か,集録本:『功利主義論集』,pp.275-277,京都大学学術出版会(2010),川名雄一郎(訳),山本圭一郎(訳))
(索引:)

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)
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