2018年8月14日火曜日

鏡像認識能力を持った子供のペアは、そうでない子供のペアよりも、自然発生的に多くの模倣行動が生じる。自己認識と模倣の能力とに、ミラーニューロンという共通の基礎があるのではないだろうか。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

鏡像認識能力と模倣行動

【鏡像認識能力を持った子供のペアは、そうでない子供のペアよりも、自然発生的に多くの模倣行動が生じる。自己認識と模倣の能力とに、ミラーニューロンという共通の基礎があるのではないだろうか。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(1)一部のミラーニューロンは生まれつき存在するものに違いない。
(2) (仮説)ミラーニューロンは、幼児における自己と他者との相互作用によって形成される。また、ミラーニューロンは、自己意識の発生に、ある役割を果たしている。
(3)ミラーニューロンによって、自分が笑っているという意識が生まれる。(自己意識)
 (3.1)赤ん坊がにっこり笑う。(運動感覚)
 (3.2)笑う運動感覚によって、笑顔の表象が現れる。これは、かつて他人の中に見ていたものである。

 二人一組の子供のあいだで自然発生的に生じる模倣についての、次のような調査結果が存在する。
 (a)鏡の前で自己を認識する能力を備えた子供のペア
 (b)まだ鏡像認識能力をもたない子供のペア
(b)に比べ(a)は、はるかに多く互いを模倣した。

 「このような自己と他者、模倣とミラーニューロンの関係の裏づけとも取れる実証的データも存在している。ある発達研究で、二人一組の子供のあいだで自然発生的に生じる模倣についての調査がなされた。いくつかのペアは、子供が二人とも鏡の前で自己を認識する能力を獲得しているが、別のペアの子供はどちらもまだその能力を獲得していない。結果は明らかだった。鏡の前で自己を認識する能力を備えた子供のペアは、まだ鏡像認識能力をもたない子供のペアに比べ、はるかに多く互いを模倣したのである。
 自己認識と模倣がこのように足並みを揃えるのは、「他者」が「自己」を模倣する生後初期にミラーニューロンが生まれているからだ。ミラーニューロンは、この自己と他者との初期の運動同期の結果であり、この同期の主体(自己と他者)をコードする神経要素となった。もちろん、幼児の模倣に関するメルツォフのデータから見て、一部のミラーニューロンは生まれつき存在するものに違いない。しかし私の見解は、ミラーニューロンシステムがおもに自己と他者との模倣による相互作用を通じて、とくに生後初期に形成されるという仮説を前提としている(ただし模倣されるという経験は成長後にもミラーニューロンを形成すると思う。詳しくは次章で述べよう)。私の仮説にしたがえば、自己認識のできる子供のペアが、より多くの模倣のできる子供のペアであることも納得がいく。どちらにも同じニューロン――ミラーニューロン――が関わっており、それが一方の機能(自己認識)を果たせるのなら、もう一方の機能(模倣)も果たせて当然である。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第5章 自分に向きあう,早川書房(2009),pp.167-168,塩原通緒(訳))
(索引:)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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(事例)数字の共感覚は、視覚的外形によって引き起こされる。ローマ数字では、色は誘発されない。白黒の人参は、何色としても想起できるが「7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))

共感覚

【(事例)数字の共感覚は、視覚的外形によって引き起こされる。ローマ数字では、色は誘発されない。白黒の人参は、何色としても想起できるが「7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。」(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-))】

 「私たちが医学生にまず教えることの一つに、患者の話によく耳を傾け、綿密に病歴をとるということがある。細心の注意を払い、それから、勘があたっていることを確認するため(そして保険請求の額を多くするため)に、身体の検診や高度なラボ検査をおこなうと、9割がたは薄気味悪いほど正確な診断に到達できる。私は、それが患者だけでなく共感覚者にもあてはまるかもしれないと思いはじめた。
 そこでスーザンに簡単なテストと質問をすることにした。たとえば、色を誘発するのは数字の視覚的外形なのだろうか? それとも数の概念――順序性や量の概念――なのだろうか? もし後者であれば、ローマ数字でも色は誘発されるだろうか? それともアラビア数字だけにかぎられるのだろうか? (アラビア数字は、紀元前にインドで発明され、それからアラビアを経由してヨーロッパに伝わったものなので、ほんとうはインド数字と呼ぶべきであるが)。
 私はメモ用紙に大きくVIIと書いて彼女に見せた。
 「どんなふうに見えますか?」
 「七だということはわかりますが、黒に見えます――赤はまったく見えません。いつもそうなんです。ローマ数字ではだめなんです。あ、先生。これは、記憶ではないという証明にはなりませんか? 私はこの字が七だと知っているのに、赤が生じないんですよ!」
 エドと私は、自分たちが相手にしているのが頭脳明晰な学生であることを知った。どうやら共感覚は本物の感覚現象であり、数字の視覚的外形によって引き起こされる(数の概念によって引き起こされるのではない)らしかった。しかしまだ立証というにはほど遠い。彼女が幼稚園の頃に、冷蔵庫の扉にとめてあった赤い7のマグネットをくり返し見たことが原因で起きているのではないと、絶対的な確信をもって言うことはできるだろうか? 記憶によって特定の色と強く結びついていることの多い果物や野菜の白黒写真を見せたらどうなるだろうかと私は考えた。そこで人参、トマト、かぼちゃ、バナナの絵を描いて彼女に見せてみた。
 「どんなふうに見えますか?」
 「えーっと、色はまったく見えません――そのことを聞いていらっしゃるのでしたら。人参はオレンジ色だと知っているし、この人参をオレンジ色として想像するというか、オレンジ色として視覚的に思い描くこともできます。でも、さっき数字の7を見て赤が見えたのと同じように、実際にオレンジ色が見えるかというと、それはないです。説明するのがむずかしいのですが、こんな感じです。白黒の人参を見ているときは、それがオレンジ色だと知っているけれど、その気になればどんな変な色にでも視覚化できます。青い人参とか。7の場合はそれが無理なんです。7が私に向って赤だと叫びつづけるので。こういう言いかたでわかりますか?」」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,第3章 うるさい色とホットな娘――共感覚,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.123-124,山下篤子(訳))
(索引:共感覚)

脳のなかの天使



(出典:wikipedia
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「バナナに手をのばすことならどんな類人猿にもできるが、星に手をのばすことができるのは人間だけだ。類人猿は森のなかで生き、競いあい、繁殖し、死ぬ――それで終わりだ。人間は文字を書き、研究し、創造し、探究する。遺伝子を接合し、原子を分裂させ、ロケットを打ち上げる。空を仰いでビッグバンの中心を見つめ、円周率の数字を深く掘り下げる。なかでも並はずれているのは、おそらく、その目を内側に向けて、ほかに類のない驚異的なみずからの脳のパズルをつなぎあわせ、その謎を解明しようとすることだ。まったく頭がくらくらする。いったいどうして、手のひらにのるくらいの大きさしかない、重さ3ポンドのゼリーのような物体が、天使を想像し、無限の意味を熟考し、宇宙におけるみずからの位置を問うことまでできるのだろうか? とりわけ畏怖の念を誘うのは、その脳がどれもみな(あなたの脳もふくめて)、何十億年も前にはるか遠くにあった無数の星の中心部でつくりだされた原子からできているという事実だ。何光年という距離を何十億年も漂ったそれらの粒子が、重力と偶然によっていまここに集まり、複雑な集合体――あなたの脳――を形成している。その脳は、それを誕生させた星々について思いを巡らせることができるだけでなく、みずからが考える能力について考え、不思議さに驚嘆する自らの能力に驚嘆することもできる。人間の登場とともに、宇宙はにわかに、それ自身を意識するようになったと言われている。これはまさに最大の謎である。」
(ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-),『物語を語る脳』,はじめに――ただの類人猿ではない,(日本語名『脳のなかの天使』),角川書店(2013),pp.23-23,山下篤子(訳))

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951-)
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25.仮想身体ループ機構によって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速で、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっており、実際の行動や身体変化の準備を迅速に成し遂げる。(アントニオ・ダマシオ(1944-)

仮想身体ループ機構の進化的由来

【仮想身体ループ機構によって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速で、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっており、実際の行動や身体変化の準備を迅速に成し遂げる。(アントニオ・ダマシオ(1944-)】
(再掲)
仮想身体ループ機構
(1)恐ろしい事故が起き、ある人物がひどい怪我を負った話を聞かされる。
(2)心の中にその人物の苦痛を鏡像的に再現する。
(3)表象が、現在の身体マップを急激に変更する。すなわち、この例では苦痛を感じる。この身体マップの変更は、実際の苦痛により被る変更と同じである。このことにより、あたかもあなた自身が犠牲者であるかのように感じる。

仮想身体ループ機構の進化的由来
(1)はじめ脳は、身体状態をただありのままにマッピングした。
(2)その後、苦をもたらすような身体状態のマッピングを一時的に消去する、といった手段が生まれた。
(3)その後、何も存在しないところに、苦の状態を模倣する手段も生じた。
 (3.1)脳は身体マップの変更を、100ms以下という時間スケールで、ひじょうに迅速に成し遂げることができる。これは、前頭前皮質からその先わずか数cmしか離れていない島の体性感覚に信号を伝達する時間である。
 (3.2)この仮想身体的メカニズムによって感受される情動は、本物の身体変化に依存する場合より迅速であり、情動をもたらした想起や思考と、時間的に密接につながっている。
 (3.3)これに対して脳が、本物の身体に変化を引き起こす時間スケールは数秒だ。長い、無髄性の軸索が脳から数十cm離れた身体部分に信号を送るのに、およそ1秒かかる。これはまた、ホルモンが血流中に放出されその一連の作用を生じはじめるのに要する時間スケールでもある。

 「脳はさまざまな手段により、われわれが身体状態を〈ごまかす〉ことができるようにしている。そのような特徴が進化においていかにしてはじまったかを考えてみる。

はじめ、脳は身体状態をただありのままにマッピングした。その後、他の手段、たとえば、苦をもたらすような身体状態のマッピングを一時的に消去する、といった手段が生まれた。そしてたぶんさらにその後、何も存在しないところに苦の状態を模倣する手段も生じた。

 これらの手段には明らかな利点があって、そうした利点を利用する者が繁栄したから、それによりそれらの手段が生き残った。ただし、自然がもたらした他の価値ある特徴がそうであるように、病理的変異によってその価値ある用途が損なわれることはある。ヒステリーなどの病の場合がたぶんそうだろう。

 こうしたメカニズムにより付加された実用的価値の一つは、その速さである。脳は身体マップの変更を、じつに100ミリ秒(0.1秒)以下という時間スケールで、ひじょうに迅速に成し遂げることができるのだ。

この時間、短い有髄性の軸索が、たとえば前頭前皮質からその先わずか数センチメートルしか離れていない島の体性感覚に信号を伝達するのに要する時間である。

脳が本物の身体に変化を引き起こす時間スケールは数秒だ。長い、無髄性の軸索が脳から数十センチメートル離れた身体部分に信号を送るのに、およそ1秒かかる。これはまた、ホルモンが血流中に放出されその一連の作用を生じはじめるのに要する時間スケールでもある。

 これがたぶん、われわれがひじょうに多くの場合、さまざまな感情と、それらを誘発した思考――あるいは、そうした感情から生じる思考――との間に、とびきり優れた時間的関係を感じとることができる理由だろう。

つまり、迅速な仮想身体的メカニズムによって、思考と生み出される感受とは時間的に密接につながっているのであり、感情がひたすら本物の身体変化に依存している場合にくらべ、疑いなくそうである。

 注意すべきは、ここで述べているようなごまかしは、それが身体の内部と関係している感覚システム以外の感覚システムで起こったりすると、適応的ではなくなるということ。

幻視はきわめて破壊的だし、幻聴もそうだ。それらに利点はなく、神経疾患や精神疾患の患者がエンタテインメントとして楽しめるものではない。癲癇患者が経験する可能性のある幻嗅や幻味も同様である。

しかし、私がざっと取り上げたいくつかの精神病的症状をのぞけば、身体状態のごまかしは健常者にとって価値ある能力だ。」

(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第3章 感情のメカニズムと意義、pp.161-162、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))
(索引:仮想身体ループ機構の進化的由来)

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ


(出典:wikipedia
アントニオ・ダマシオ(1944-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「もし社会的情動とその後の感情が存在しなかったら、たとえ他の知的能力は影響されないという非現実的な仮定を立てても、倫理的行動、宗教的信条、法、正義、政治組織といった文化的構築物は出現していなかったか、まったく別の種類の知的構築物になっていたかのいずれかだろう。が、少し付言しておきたい。私は情動と感情だけがそうした文化的構築物を出現させているなどと言おうとしているのではない。第一に、そうした文化的構築物の出現を可能にしていると思われる神経生物学的傾性には、情動と感情だけでなく、人間が複雑な自伝を構築するのを可能にしている大容量の個人的記憶、そして、感情と自己と外的事象の密接な相互関係を可能にしている延長意識のプロセスがある。第二に、倫理、宗教、法律、正義の誕生に対する単純な神経生物学的解釈にはほとんど望みがもてない。あえて言うなら、将来の解釈においては神経生物学が重要な役割を果たすだろう。しかし、こうした文化的現象を十分に理解するには、人間学、社会学、精神分析学、進化心理学などからの概念と、倫理、法律、宗教という分野における研究で得られた知見を考慮に入れる必要がある。実際、興味深い解釈を生み出す可能性がもっとも高いのは、これらすべての学問分野と神経生物学の〈双方〉から得られた統合的知識にもとづいて仮説を検証しようとする新しい種類の研究だ。」
(アントニオ・ダマシオ(1944-)『スピノザを探し求めて』(日本語名『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』)第4章 感情の存在理由、pp.209-210、ダイヤモンド社(2005)、田中三彦(訳))

アントニオ・ダマシオ(1944-)
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2人以上の情動表出者が、相手の情動を互いに、自己の内臓運動の表象として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「情動の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))

情動の共有空間

【2人以上の情動表出者が、相手の情動を互いに、自己の内臓運動の表象として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「情動の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。(ジャコモ・リゾラッティ(1938-))】

情動の共有空間
(a)観察者A=情動表出者A
 (a1) 他者の情動の表出を見るとき、その情動の基盤となっている内臓運動の表象が現れ、他者の情動が直ちに感知される。これは潜在的な場合もあれば実行されることもあり、複雑な対人関係の基盤の必要条件となっている。
(b)情動表出者B=観察者B
 同時にBは、Aの情動表出を見るとき、Bの情動を直ちに感知する。
(c)このように、2人以上の情動表出者が、相手の情動を互いに、自己の内臓運動の表象として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「情動の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。

(再掲)
行為の共有空間
2人以上の行為者が、相手の行為の意図を互いに、自己の潜在的運動行為として自動的に了解し合っているとき、この相互関係の状況を「行為の共有空間」と呼ぶ。これは、ミラーニューロンが実現している。

 「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:情動の共有空間)

ミラーニューロン


(出典:wikipedia
ジャコモ・リゾラッティ(1938-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「みなさんは、行為の理解はまさにその性質のゆえに、潜在的に共有される行為空間を生み出すことを覚えているだろう。それは、模倣や意図的なコミュニケーションといった、しだいに複雑化していく相互作用のかたちの基礎となり、その相互作用はますます統合が進んで複雑化するミラーニューロン系を拠り所としている。これと同様に、他者の表情や動作を知覚したものをそっくり真似て、ただちにそれを内臓運動の言語でコードする脳の力は、方法やレベルは異なっていても、私たちの行為や対人関係を具体化し方向づける、情動共有のための神経基盤を提供してくれる。ここでも、ミラーニューロン系が、関係する情動行動の複雑さと洗練の度合いに応じて、より複雑な構成と構造を獲得すると考えてよさそうだ。
 いずれにしても、こうしたメカニズムには、行為の理解に介在するものに似た、共通の機能的基盤がある。どの皮質野が関与するのであれ、運動中枢と内臓運動中枢のどちらがかかわるのであれ、どのようなタイプの「ミラーリング」が誘発されるのであれ、ミラーニューロンのメカニズムは神経レベルで理解の様相を具現化しており、概念と言語のどんなかたちによる介在にも先んじて、私たちの他者経験に実体を与えてくれる。」
(ジャコモ・リゾラッティ(1938-),コラド・シニガリア(1966-),『ミラーニューロン』,第8章 情動の共有,紀伊國屋書店(2009),pp.208-209,柴田裕之(訳),茂木健一郎(監修))
(索引:)

ジャコモ・リゾラッティ(1938-)
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8.疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))

短期記憶と意識

【疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。(ベンジャミン・リベット(1916-2007))】

(a)明らかに、被験者がそのアウェアネスを想起し報告するには、ある程度の短期記憶の形成が起こらなければならない。

          記憶の想起と内観報告
            ↑
意識的な皮膚感覚──この感覚の短期記憶があるはず
 ↑
アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間
 ↑
単発の有効な皮膚への刺激パルス

(b)疑問:アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか。
(c1)可能な仮説1:記憶痕跡の発生そのものが、アウェアネスの「コード」である。
(c2)可能な仮説2:ある事象のアウェアネスは遅延無しに発生するが、それが報告可能になるには、0.5秒間の長さの活性化が必要である。

 「0.5秒間の活性化の持続がアウェアネスに必要であることをどう説明するのかという問いには、また別の大きな問題があります。それは、記憶形成の果たしうる役割です。

 主観的なアウェアネスの唯一の有効な証拠とは、実際それを経験した個人のアウェアネスについての内観報告のみであることを、すでに述べました。

しかし明らかに、被験者がそのアウェアネスを想起し、報告するには、ある程度の短期記憶の形成が起こらなければなりません。

ついでに言えば、短期記憶、または「ワーキング」メモリーというのは、ある事象の数分後にその情報を想起するという人間の能力のために働いている記憶を指します。一度見ただけで7桁から11桁の電話番号を想起する能力が、このタイプの記憶の良い例です。さらに訓練を重ねなければ、人はその番号を数分で忘れるものです。

長期記憶では、その上にさらにニューロンのプロセスが関与するおかげで、その効果が数日や数ヶ月、数年間持続します。

 学者によっては、アウェアネスに必要な0.5秒間の活動持続時間というのは、単にある事象の短期記憶を生み出すのにかかる時間を反映しているだけではないか、と主張します(リベット(1993年)におけるデネットの議論を参照)。

この記憶形成が作用するとしたら、少なくとも二つのやり方があります。一つは、記憶痕跡の発生そのものが、アウェアネスの「コード」である場合です。

もう一つは、ある事象のアウェアネスは意味のある遅延などまったくなしに発生するが、それが報告可能になるには、0.5秒間の長さの活性化が必要であるとう場合です。

これらの選択肢のいずれについても、それを反証する実験結果があります。それについて簡単に説明します。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第2章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延,岩波書店(2005),pp.68-69,下條信輔(訳))
(索引:短期記憶,意識)

マインド・タイム 脳と意識の時間


(出典:wikipedia
ベンジャミン・リベット(1916-2007)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「こうした結果によって、行為へと至る自発的プロセスにおける、意識を伴った意志と自由意志の役割について、従来とは異なった考え方が導き出されます。私たちが得た結果を他の自発的な行為に適用してよいなら、意識を伴った自由意志は、私たちの自由で自発的な行為を起動してはいないということになります。その代わり、意識を伴う自由意志は行為の成果や行為の実際のパフォーマンスを制御することができます。この意志によって行為を進行させたり、行為が起こらないように拒否することもできます。意志プロセスから実際に運動行為が生じるように発展させることもまた、意識を伴った意志の活発な働きである可能性があります。意識を伴った意志は、自発的なプロセスの進行を活性化し、行為を促します。このような場合においては、意識を伴った意志は受動的な観察者にはとどまらないのです。
 私たちは自発的な行為を、無意識の活動が脳によって「かきたてられて」始まるものであるとみなすことができます。すると意識を伴った意志は、これらの先行活動されたもののうち、どれが行為へとつながるものなのか、または、どれが拒否や中止をして運動行動が現れなくするべきものなのかを選びます。」
(ベンジャミン・リベット(1916-2007),『マインド・タイム』,第4章 行為を促す意図,岩波書店(2005),pp.162-163,下條信輔(訳))
(索引:)

ベンジャミン・リベット(1916-2007)
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4.世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界3として存在する。また、世界3の実在性を理解することは、世界3での新発見や創造と、未解決の問題を解決する探究の、前提条件である。(カール・ポパー(1902-1994))

世界3

【世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界3として存在する。また、世界3の実在性を理解することは、世界3での新発見や創造と、未解決の問題を解決する探究の、前提条件である。(カール・ポパー(1902-1994))】

(一部、再掲)
(c)しかし、人間の心の所産である対象が、人間とともに存在しているとき、そこに世界1、世界2とは異なる世界が生まれる。例えば書物には「内容」が存在する。この内容は世界1ではないし、読者の個人的な世界2でもない。これは、世界3に属している。内容は、本ごとや版ごとで変わりはしない。
 (c1)世界3の対象のうちには、誰の世界2としても存在せず、したがって誰の大脳の記憶痕跡(世界1)としても存在しないような対象がある。また、それが存在するとしても、それらと共に消え去ってしまうようなものとして、存在している。世界3は、物理的対象としての世界1としては常に存在するにしても、いずれかの世界2が存在するときだけ存在するのか。それとも、世界2の記憶、意図の対象としていっさい存在しないときにも、存在するのか。
 (c2)世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界3として存在する。
 (c3)したがって、一度も演奏されなかったとしても、楽譜やレコードのように、記号化した形でのみ存在している対象もまた、世界3として存在する。

(一部、再掲)
(e)世界3の対象は、世界2と世界1を経由して、世界3の他の対象を作り出す。
 (e1)世界3は、確かに最初は人間が作ったものであり、また人間の心の所産である。
 (e2)しかし、いったん存在するようになると、それは意図しなかった結果を生み出す。それは、ある程度の自律性を持っている。
 (e3)また、今は誰も知らない未知の諸結果が客観的に存在していて、発見されるのを待っているかのようである。
 (e3.1)未知の諸結果が発見されるのを待っており、また、未解決の問題については、その解決が客観的に存在すると理解することが、発見と解決のための探究の重要な前提条件である。

 「書物、新しい合成薬品、コンピュータ、航空機のような多くの世界3の対象は世界1の対象で具現化されている。それらは物質的な加工品であり、世界3、世界1の両方に属している。芸術作品の大部分はこのようなものである。

世界3の対象のいくつかは、(一度も演奏されなかったとしても)楽譜やレコードのように、記号化した形でのみ存在している。

その他のもの――詩や理論――もまた世界2の対象として、つまり、おそらくはいく人かの人間の大脳(世界1)の記憶痕跡として記号化され、そしてそれらとともに消え去ってしまう記録として存在するだろう。

 具現化されていない世界3の対象は存在するであろうか。書物、レコード、あるいは記憶痕跡とは違って、具現化されていない(世界2の記憶、世界2の意図の対象としても存在していない)世界3の対象はあるだろうか。私は、この問いは重要であり、そしてその答えは《肯定的》であると考える。

 この答えは、科学的および数学的事実、問題とその解決の発見について前節で述べたことのうちに含まれている。自然数(基数)の発明(あるいは発見か?)によって、誰かが気づいたり、注意を払う前でさえも奇数と偶数は存在することとなった。」(中略)

「まだ具現化されていないにせよ、これらの問題の客観的な存在は、エヴェレストの存在がその発見に先行するのと同様に、それらの意識的な発見に先行する、ということを認識するのは重要である。そして、それらの問題の存在を意識することから、われわれはそれらの解決に至る客観的な方法が存在するに違いないと気づき、さらにその方法への意識的な追求が始まるということも重要である。

なぜなら、まだ発見されていない、そして具現化されていない方法の解決の客観的な存在(あるいは場合によっては、解決の客観的に存在しないこと)をまず理解していないことには、この追求もやはり理解され得ないからである。

 しばしばわれわれは、古い問題に対して期待
どおりの解決を得るのに失敗することを通じて、新しい問題を発見する。なぜなら、失敗を通して新しい問題、つまり(与えられた条件の下では)古い問題を解くことが客観的に不可能であることを証明するという問題が生じてくるからである。」

(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、12――具現化されていない世界3の諸対象(上)pp.70-71、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:世界3)

自我と脳


(出典:wikipedia
カール・ポパー(1902-1994)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「あらゆる合理的討論、つまり、真理探究に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、《倫理的な》原則です。そのような原則を3つ述べておきましょう。
 1.可謬性の原則。おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 2.合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 3.真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら3つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を合意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探究のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が合意を導かないときでさえ、討論から多くを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。」
 「わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。」(中略)「わたくしは、その倫理を以下の12の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 1.われわれの客観的な推論知は、いつでも《ひとりの》人間が修得できるところをはるかに超えている。それゆえ《いかなる権威も存在しない》。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
 2.《すべての誤りを避けること》は、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、《不可能である》。」(中略)「
 3.《もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である》。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何ぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。」(中略)「
 4.もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。」(中略)「
 5.《それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない》。われわれの実際上の倫理改革が始まるのは《ここにおいて》である。」(中略)「
 6.新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれは《まさに自らの誤りから学ば》ねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 7.それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 8.それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる
 9.われわれは、誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、《感謝の念をもって》受け入れることを学ばねばならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。」(中略)「
 10.《誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということ》、とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念のもとで育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 11.われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし《他者による批判が必要な》ことを学ばねばならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 12.合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。」
(カール・ポパー(1902-1994),『よりよき世界を求めて』,第3部 最近のものから,第14章 寛容と知的責任,VI~VIII,pp.316-317,319-321,未来社(1995),小河原誠,蔭山泰之,(訳))

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2018年8月12日日曜日

02.無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))

意識と、無数の潜在的な情報

【無数の潜在的な知覚情報と記憶から、まず気づきの外で情報選択がなされ、注意によってある項目が意識にのぼる。特定の一時点においては、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-))】

(4)ある項目が意識にのぼり、心がそれを利用できるようになる。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない。それらは、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になる。そして、私たちの行動を導く。
 ↑
(3)意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。新たな項目は、前意識(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかったものだ。また、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、注意が意識への門戸として機能する。
 ↑
(2)顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、ほとんどは気づきの外で、必要な情報が選択される。
 ↑
(1)私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。

 「コンシャスアクセスは、はなはだオープンであるとともに、過度に選択的でもある。これは次のような意味だ。コンシャスアクセスの《潜在的な》上演目録は巨大で、人は誰でも、いかなる瞬間にも、注意の焦点を切り替えれば、色、匂い、音、記憶の欠落、感情、戦略、間違い、さらには「意識」という用語の複数の意味にも気づける。間違いを犯せば、《自意識的》にもなる。つまり自分の感情、戦略、間違い、後悔が意識にのぼる。しかし、いついかなる時点でも、意識の《実際の》上演内容は大幅に限定される。私たちは基本的に、特定の一時点をとりあげれば、一つの意識的な思考のみが可能であるにすぎない(とはいえ、文章の意味を考えているときなど、一つの思考は複数の部分から構成される「かたまり」でもあり得る)。
 意識は能力が限られているため、新たな項目にアクセスするには、それまでとらえていた項目から撤退しなければならない。私たちは、読書を数秒間中断することで、足の位置に気づき、ここが痛い、あそこがかゆいなどと感じる。こうしてこれらの知覚は意識される。だが数秒前には、それらは《前意識》(preconscious)の状態に置かれ、アクセスは可能であったが、実際にアクセスされていなかった。つまり無意識の広大な保管庫で眠っていたのだ。これは必ずしも、それらがいかなる処理の対象にもなっていなかったことを意味するわけではない。たとえば、私たちは常時、身体から送られてくるシグナルに反応して無意識のうちに姿勢を変えている。しかしコンシャスアクセスは、心がそれを利用できるようにする。それらは突如として、言語システムや、その他の記憶、注意、意図、計画に関するプロセスの対象として利用可能になるのだ。」(中略)「ジェイムズの定義は、把握可能な多くの思考の断片のなかからただ一つを分離するという、それとは異なる概念を含む。これを「選択的注意」と呼ぼう。いついかなるときにも、私たちの環境は無数の潜在的な知覚情報に満ちあふれている。同様に、私たちの記憶は、次の瞬間には意識に浮上する可能性がある知識で満たされている。このような状況に起因する情報オーバーロード(情報過多のために必要な情報が埋もれてしまい、意思決定が困難になる状態)を回避するために、脳システムの多くは、ある種のフィルターを備える。無数の潜在的な思考のなかでも、私たちが注意と呼ぶ、きわめて複雑なふるいにかけられて選択された、ごく一部のみが意識に到達するにすぎない。脳は不要な情報を容赦なくふるい落とし、顕著さの度合い、あるいはそのときの目的に応じて、たった一つの意識の対象を分離するのだ。そしてこの刺激は増幅され、私たちの行動を導く。
 ならば明らかに、注意の選択的な機能の、すべてではないとしてもほとんどは、気づきの外で機能しているものと考えられる。そもそも、すべての潜在的な思考対象を、まず意識の力で選り分けなければならないとしたら、思考することなど不可能になるだろう。注意のふるいはおもに無意識のうちに作用し、コンシャスアクセスからは分かたれる。もちろん日常生活では、環境はたいがい刺激に満ちているので、どの対象にアクセスすべきかを選択するのに、私たちは十分に注意を払わねばならない。このゆえに、注意はときに、意識への門戸として機能する。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第1章 意識の実験,紀伊國屋書店(2015),pp.36-38,高橋洋(訳))
(索引:意識,前意識,注意)

意識と脳――思考はいかにコード化されるか


(出典:wikipedia
スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「160億年の進化を経て発達した皮質ニューロンのネットワークが提供する情報処理の豊かさは、現在の私たちの想像の範囲を超える。ニューロンの状態は、部分的に自律的な様態で絶えず変動しており、その人独自の内的世界を作り上げている。ニューロンは、同一の感覚入力が与えられても、その時の気分、目標、記憶などによって異なったあり方で反応する。また、意識の神経コードも脳ごとに異なる。私たちは皆、色、形状、動きなどに関して、神経コードの包括的な一覧を共有するが、それを実現する組織の詳細は、人によって異なる様態で脳を彫琢する、長い発達の過程を通じて築かれる。そしてその過程では、個々シナプスが選択されたり除去されたりしながら、その人独自のパーソナリティーが形成されていく。
 遺伝的な規則、過去の記憶、偶然のできごとが交錯することで形作られる神経コードは、人によって、さらにはそれぞれの瞬間ごとに独自の様相を呈する。その状態の無限とも言える多様性は、環境に結びついていながら、それに支配はされていない内的表象の豊かな世界を生む。痛み、美、欲望、後悔などの主観的な感情は、この動的な光景のもとで、神経活動を通して得られた、一連の安定した状態のパターン(アトラクター)なのである。それは本質的に主観的だ。というのも、脳の動力学は、現在の入力を過去の記憶、未来の目標から成る布地へと織り込み、それを通して生の感覚入力に個人の経験の層を付与するからである。
 それによって出現するのは、「想起された現在」、すなわち残存する記憶と未来の予測によって厚みを増し、常時一人称的な観点を外界に投影する、今ここについてのその人独自の暗号体系(サイファー)だ。これこそが、意識的な心の世界なのである。
 この絶妙な生物機械は、あなたの脳の内部でたった今も作動している。本書を閉じて自己の存在を改めて見つめ直そうとしているこの瞬間にも、点火したニューロンの集合の活動が、文字通りあなたの心を作り上げるのだ。」
(スタニスラス・ドゥアンヌ(1965-),『意識と脳』,第7章 意識の未来,紀伊國屋書店(2015),pp.367-368,高橋洋(訳))
(索引:)

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睡眠中の脳波を発生させている神経活動の周期を、アストロサイトが協調させている。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))

アストロサイト

【睡眠中の脳波を発生させている神経活動の周期を、アストロサイトが協調させている。(R・ダグラス・フィールズ(19xx-))】

(1)外部からいっさい刺激を与えていないのに、視床内部のアストロサイト網を、カルシウムウェーブが周期的に駆け抜ける。
(2)隣接するアストロサイトをカルシウムウェーブが通過するのに合わせて、ニューロンの電位が変化する。
 (2.1)アストロサイトが、神経伝達物質グルタミン酸を放出する。
 (2.2)グルタミン酸が、ニューロンのグルタミン酸受容体を活性化する。
 (2.3)この作用が、電位応答を誘発する。

 「シナプス相互作用に立脚したニューロン説の枠外で活動しながら、ニューロンの集団を集合体へと統合している存在がほかにもある――それはアストロサイトだ。クルネリらは、視床から得た切片を、アストロサイトによって選択的に取り込まれるカルシウム感受性蛍光色素の溶液に浸した。彼らが観察していると、外部からいっさい刺激を与えていないのに、視床内部のアストロサイト網をカルシウムウェーブが周期的に駆け抜けた。視床ニューロンに電極を刺入して、細胞内電位の変化を記録すると、隣接するアストロサイトをカルシウムウェーブが通過するのに合わせて、ニューロンの電位が変化していることがわかった。睡眠中の脳波を発生させている神経活動の周期を、アストロサイトが協調させていたのだ。
 ニューロンが示したこの電気的応答は、カルシウムウェーブが通過するときにアストロサイトが放出する神経伝達物質グルタミン酸によって引き起こされていた。このグルタミン酸が、ニューロンのグルタミン酸受容体を活性化し、この作用が電位応答を誘発して、ニューロンにインパルス発火を刺激していたのだった。
 この研究から導かれる驚くべき結論は以下のとおりだ。睡眠中の脳活動においてこのような広範囲の周期を制御しているのは、大脳皮質ではなく、さらにはニューロンさえも、主導権を握ってはいない。アストロサイトを通して流れる活動波が、視床ニューロンの大集団を結びつけて、その神経活動を競技場の観客の動きのように協調させている。てんかん発作や病気の際に、脳波の広範な変化が認められるのと同じように、アストロサイト内のカルシウム活動の波は、ニューロン内の電気的な活動と同期して振動している。アストロサイトは電気信号で連絡するのではなく、化学的メッセージを拡散することによって相互に信号を送り合っており、さらにはニューロンどうしがシナプスを介した連絡に用いているのと同じ神経伝達物質を放出することによって、ニューロンの発火を調節している。「もうひとつの脳」は、毎晩私たちが枕に頭を乗せて休んでいるときにも、睡眠の制御に精を出しているのだ。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第13章 「もうひとつの脳」の心――グリアは意識と無意識を制御する,講談社(2018),pp.445-447,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:アストロサイト,カルシウムウェーブ,グルタミン酸)

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」 (ブルーバックス)


(出典:R. Douglas Fields Home Page
R・ダグラス・フィールズ(19xx-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「アストロサイトは、脳の広大な領域を受け持っている。一個のオリゴデンドロサイトは、多数の軸索を被覆している。ミクログリアは、脳内の広い範囲を自由に動き回る。アストロサイトは一個で、10万個ものシナプスを包み込むことができる。」(中略)「グリアが利用する細胞間コミュニケーションの化学的シグナルは、広く拡散し、配線で接続されたニューロン結合を超えて働いている。こうした特徴は、点と点をつなぐニューロンのシナプス結合とは根本的に異なる、もっと大きなスケールで脳内の情報処理を制御する能力を、グリアに授けている。このような高いレベルの監督能力はおそらく、情報処理や認知にとって大きな意義を持っているのだろう。」(中略)「アストロサイトは、ニューロンのすべての活動を傍受する能力を備えている。そこには、イオン流動から、ニューロンの使用するあらゆる神経伝達物質、さらには神経修飾物質(モジュレーター)、ペプチド、ホルモンまで、神経系の機能を調節するさまざまな物質が網羅されている。グリア間の交信には、神経伝達物質だけでなく、ギャップ結合やグリア伝達物質、そして特筆すべきATPなど、いくつもの通信回線が使われている。」(中略)「アストロサイトは神経活動を感知して、ほかのアストロサイトと交信する。その一方で、オリゴデンドロサイトやミクログリア、さらには血管細胞や免疫細胞とも交信している。グリアは包括的なコミュニケーション・ネットワークの役割を担っており、それによって脳内のあらゆる種類(グリア、ホルモン、免疫、欠陥、そしてニューロン)の情報を、文字どおり連係させている。」
(R・ダグラス・フィールズ(19xx-),『もうひとつの脳』,第3部 思考と記憶におけるグリア,第16章 未来へ向けて――新たな脳,講談社(2018),pp.519-520,小松佳代子(訳),小西史朗(監訳))
(索引:)

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(仮説)ミラーニューロンは、幼児における自己と他者との相互作用によって形成される。また、ミラーニューロンは、自己意識の発生に、ある役割を果たしている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))

ミラーニューロンの由来

【(仮説)ミラーニューロンは、幼児における自己と他者との相互作用によって形成される。また、ミラーニューロンは、自己意識の発生に、ある役割を果たしている。(マルコ・イアコボーニ(1960-))】

(1)親の模倣行動により、笑顔という視覚情報に、運動感覚が関連づけられる。
 (1.1)赤ん坊がにっこり笑う。(運動感覚)
 (1.2)それに応えて親も笑う。(笑う運動感覚に、自分の見た笑顔が関連づけられる。)
 (1.3)赤ん坊がまた笑う。
 (1.4)親もまた笑う。
(2)以上のようにして、笑顔を映し出すミラーニューロンが誕生する。
 (2.1)赤ん坊が誰かの笑顔を見る。
 (2.2)笑うのに必要な運動計画と関連づけられた神経活動が、赤ん坊の脳内で作動して、笑顔をシミュレートするようになる。
 (2.3)赤ん坊も笑う。
 (2.4)成長した私たちは、この脳細胞を使って他人の心理状態を理解するようになる。
(3)ミラーニューロンによって、自分が笑っているという意識が生まれる。(自己意識)
 (3.1)赤ん坊がにっこり笑う。(運動感覚)
 (3.2)笑う運動感覚によって、笑顔の表象が現れる。これは、かつて他人の中に見ていたものである。

 「ミラーニューロンとは、この自己と他者との不可避な関係、必然的な相互依存性を(その発火パターンによって)具体的に表しているような脳細胞なのである。ただし注意しておかなくてはならないのは、ミラーニューロンの発火率が自己の行動に対してと他人の行動に対してとで同一ではないということだ。これまでに何度も見てきたように――さらに言えば、これまでミラーニューロンに関して行われてきたすべての実験において――自己の行動に対してのミラーニューロンの放電は、他者の行動に対してよりもはるかに大きな値を示している。したがってミラーニューロンは自己と他者の相互依存性を――どちらの行動に対しても発火することによって――具現化しているとともに、そのとき私たちが同時に感じている、私たちにとって必要な主体性(非依存性)を、自己の行動に対してより強く発火することで具現化してもいるのだ。
 そこで、ミラーニューロンがいかにして自己と他者とをつなぐ膠のような神経細胞となるかだが、私はそれが幼児の脳内におけるミラーニューロンの発達から始まるという仮説を立てている。いまのところ実証的なデータはまだないが、大いに可能性のありそうなシナリオを推測するのはそう難しいことではない。赤ん坊がにっこり笑えば、それに応えて親も笑う。二分後に赤ん坊がまた笑い、親もまた笑う。こうした親の模倣行動のおかげで、赤ん坊の脳は笑うのに必要な運動計画と、自分の見た笑顔を関連づけられる。それにより――ほら! 笑顔を映し出すミラーニューロンが誕生する。次回、赤ん坊が誰かの笑顔を見たときには、笑うのに必要な運動計画と関連づけられた神経活動が赤ん坊の脳内で作動して、笑顔を《シミュレート》するようになる。ミラーニューロンが私たちの脳内で最初に形成される経緯がこの仮説のとおりなら――私はほぼ確実にそうだと思っているが――「自己」と「他者」はミラーニューロンの中で不可分に混じりあっていることになる。実際、この説明にしたがえば、幼児の脳内のミラーニューロンは《自己と他者との相互作用によって形成される》。これは人間の社会行動におけるミラーニューロンの役割を理解する上で、忘れてはならない重要なコンセプトだ。成長した私たちがこの脳細胞を使って他人の心理状態を理解するというのは理にかなっている。しかし同時に、私たちがこの脳細胞を使って自己意識を築くというのも、また理にかなっている。もともとこれらの細胞は、生後まもなく、他人の行動が《自分自身》の行動の映し鏡だったときに生まれたものだからだ。私たちはミラーニューロンの作用によって、他人の中に自分自身を見るのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第5章 自分に向きあう,早川書房(2009),pp.166-167,塩原通緒(訳))
(索引:ミラーニューロンの由来)

ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice)


(出典:UCLA Brain Research Institute
マルコ・イアコボーニ(1960-)の命題集(Collection of propositions of great philosophers)  「ミラーリングネットワークの好ましい効果であるべきものを抑制してしまう第三の要因は、さまざまな人間の文化を形成するにあたってのミラーリングと模倣の強力な効果が、きわめて《局地的》であることに関係している。そうしてできあがった文化は互いに連結しないため、昨今、世界中のあちこちで見られるように、最終的に衝突にいたってしまう。もともと実存主義的現象学の流派では、地域伝統の模倣が個人の強力な形成要因として強く強調されている。人は集団の伝統を引き継ぐ者になる。当然だろう? しかしながら、この地域伝統の同化を可能にしているミラーリングの強力な神経生物学的メカニズムは、別の文化の存在を明かすこともできる。ただし、そうした出会いが本当に可能であるならばの話だ。私たちをつなぎあわせる根本的な神経生物学的機構を絶えず否定する巨大な信念体系――宗教的なものであれ政治的なものであれ――の影響があるかぎり、真の異文化間の出会いは決して望めない。
 私たちは現在、神経科学からの発見が、私たちの住む社会や私たち自身についての理解にとてつもなく深い影響と変化を及ぼせる地点に来ていると思う。いまこそこの選択肢を真剣に考慮すべきである。人間の社会性の根本にある強力な神経生物学的メカニズムを理解することは、どうやって暴力行為を減らし、共感を育て、自らの文化を保持したまま別の文化に寛容となるかを決定するのに、とても貴重な助けとなる。人間は別の人間と深くつながりあうように進化してきた。この事実に気づけば、私たちはさらに密接になれるし、また、そうしなくてはならないのである。」
(マルコ・イアコボーニ(1960-),『ミラーニューロンの発見』,第11章 実存主義神経科学と社会,早川書房(2009),pp.331-332,塩原通緒(訳))
(索引:)

マルコ・イアコボーニ(1960-)
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